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今夜はブギー・バック」(2020/03/12 (木) 09:46:56) の最新版変更点

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<p>鈴の音、響き渡る。<br /> 靴音。<br /> 近づいてくる。<br /> この店は貸切。<br /> ウェイタすらいない店で一人佇んでいた僕は侵入者に声を掛ける。<br /> 「お一人様ですか?」<br /> 「知らん。後から誰か来るのかも知っているのは俺じゃない。お前だ」<br /> 僕は微笑む。君も苦笑い。<br /> 「ご注文は?」<br /> 「何が有るんだよ」<br /> 「何でも有りますよ」<br /> まるで手品の様に。<br /> 「望むなら、何だって。貴方の手に入るでしょう」<br /> 「そっか。そうだな。そんなつまらない生き方はお断りだが」<br /> 「相変わらず欲の無い人だ」<br /> 「俺が欲なんざ持ってたら、きっとお前は今でもあの制服を着てるだろうさ」<br /> 「貴方も、ね」<br /> とりあえず、と僕はグラスを差し出す。氷が揺れる。硬質の音を立てる。<br /> 「ロックでよろしかったですか?」<br /> 「尋ねるまでも無いよな。望むものが出て来るだろ?」<br /> 「それが、この店の売りです」<br /> 二つのグラスを打ち鳴らす。<br /> 「お帰りなさい」<br /> 「遅いんだよ、迎えに来るのが」<br /> 彼は微笑む。僕も苦笑い。<br /> 「機関が解体した後の僕は、ちょっと貯金を持っているだけの一般人ですよ?」<br /> 「だったらどうやって俺の連絡先を突き止めたってんだ、馬鹿野郎」<br /> 「昔取った杵柄、とやらですか」<br /> BGM、リピートワン。<br /> 「こっちはずっと待ってたっつーのによ」<br /> 「おや、待っていてくれたんですか?」<br /> 「前言撤回だ」<br /> 「つれないですね。そして、変わってない」<br /> 彼は顎を撫で擦る。<br /> 「変わっちまったよ」<br /> 「後悔は?」<br /> 「山ほど」<br /> 「戻りたいですか?」<br /> 「半々、ってトコか」<br /> 「幸せでしたか?」<br /> 「それも半々、ってトコだな」<br /> 「同じですね、僕と」<br /> ウイスキを流し込む。喉の奥が焼けるような、心地よさ。<br /> 「幸せだったか?」<br /> 「半々、ってトコでどうでしょう?」<br /> 「戻りたいか?」<br /> 「それも半々、といったところで」<br /> 「後悔は?」<br /> 「だらけですよ」<br /> 「同じだな、俺と」<br /> ウイスキが彼の喉奥へと滑り込む。喉仏を上下させる、その姿は変わらない。<br /> 「何の用だ?」<br /> 「おや? 用件が有ると思いますか?」<br /> 「用件も無いのに呼び出したのか?」<br /> 「一人で飲むのが寂しかったんですよ」<br /> 「似合わない台詞だな、元エスパー」<br /> 「そうですか? 昔の僕はこんな感じだったかな、なんて考えながら受け答えをしてるんですけどね」<br /> 「それだけの為に場末のバーを貸しきるのは、それだけはお前らしいと言えなくも無い」<br /> 彼が懐からシガレットを取り出す。僕はポケットからライタを取り出してカウンタを滑らせた。<br /> 「生憎、煙草じゃない。パイポだ。嫁が怖くてな。禁煙してる」<br /> ライタが滑って手元に帰ってくる。<br /> 「吸っても良いですか、僕?」<br /> 「構わんさ」<br /> 「では、失礼して」<br /> 身体を蝕む紫煙を肺一杯に吸い込む。<br /> 「彼女は、息災ですか?」<br /> 「ああ。見せてやりたいくらいだよ。余りに変わってなくて腰抜かすぜ」<br /> 「既に驚かせて頂きましたよ」<br /> 「覗き見か。趣味が悪いな、ピーピングトム」<br /> 「お子さんを連れて、あの頃よりも一段と綺麗になっていらっしゃいました」<br /> 「綺麗に? 実感無いな」<br /> 喉の奥で笑う。肩を震わせて笑う。<br /> 「ああ、こんな風に笑うのは久しぶりですよ。こんなに愉快なのも」<br /> 「こんなに懐古に浸るのも、か」<br /> 「ええ。あ、もう知っているかも知れませんが一応。機関の決定だったんですよ」<br /> 「知ってる。ハルヒを刺激しないように、だったか」<br /> 「宇宙人、未来人、超能力者……その頃には『元超能力者』ですが」<br /> 「アイツが力を取り戻さないように、その全てはアイツの前から消える、か」<br /> 僕は二人分の空のグラスに琥珀を注いだ。<br /> 「彼女の望みでも有るのかも知れませんね」<br /> 「別れが?」<br /> 二本目に火を点ける。<br /> 「そうです」<br /> 「かもな」<br /> 彼はパイポを口に咥えて濁った空気を吸い込んだ。<br /> 「ようやく手に入れた、幸せが続くように」<br /> 「お前らが邪魔になった、ってか。ハルヒはそんな女じゃないぜ」<br /> 「分かっていますよ」<br /> 煙草の箱とライタがカウンタテーブルを滑る。彼の手にコツリと当たった。<br /> 「優しいのでしょう。だから、叶えてくれた」<br /> 「何を?」<br /> 「僕らが貴方達の幸せを見なくても済むように、してくれたんです」<br /> 「そんなもんか」<br /> 彼はそれ以上の追及はせず、煙草に火を点けた。<br /> 「そんなものです」<br /> 「この再会も、アイツの手の上か?」<br /> 「恐らくは。実は僕、今、結構泣きそうなんですよ」<br /> 「奇遇だな」<br /> 二人分の紫煙が視界を曇らせる。<br /> 「俺もだ」<br /> 「それはまた……奇遇ですね」<br /> 「泣いても、誰も見てないぜ。煙草の煙が目に沁みたとか、言い訳も出来るだろ」<br /> 「その為に禁煙の誓いを破ったんですか?」<br /> 「まさか。隣で煙草吸ってる奴が居て、まだ我慢が出来るならソイツは人間じゃねぇよ」<br /> 「言い付けますよ?」<br /> 「よく言うぜ。アイツの前には二度と出れないくせに」<br /> 小さな店に煙が充満するのにはそう時間が掛からなかった。<br /> だから、視界が定まらないのは、きっと、そのせいで。<br /> 「会いたいか?」<br /> 「残酷な質問ですね」<br /> 「悪かった。撤回する。聞かなかった事にしといてくれ。得意だろ、そういうの」<br /> 「幸か不幸か、得意です」<br /> 「きっと、不幸だ、そりゃ。……いや、不器用、だな」<br /> 「貴方には言われたくありませんよ」<br /> 「ははっ。違いない」<br /> 「別のにしますか?」<br /> グラスが手元に滑ってくる。僕はそれに杏子酒を注いだ。<br /> 「会いたいですよ、ずっと。今も」<br /> 「そうかい」<br /> 「どの面下げて、って感じですよね」<br /> 「会えば良いじゃないか」<br /> 「貴方の生活が一変しますよ。そう、それこそ高校時代に舞い戻りかねません」<br /> 「そうなっても、今度の主人公は俺達じゃないさ」<br /> 「お子さんがどうなっても良いんですか?」<br /> 「可愛い子には何とやら、さ。それにな、古泉」<br /> 「はい」<br /> 「俺はお前達を信じてる。……この酒、甘すぎるな」<br /> 「そこで、その台詞は卑怯でしょう。ああ、炭酸で割りますか?」<br /> 「そうしてくれ」<br /> 冷蔵庫を開ける。そこにはキンキンに冷えたドリンクが並んでいた。<br /> あの頃、ずっと渡せなかった小箱がそこで一緒に冷やされている。<br /> 「好きな分量で割って下さい」<br /> 「客に手酌させるのかよ、この店は」<br /> 「残念ながら、今日は店員が居ないんですよ」<br /> 笑いたいのに、笑い声が出て来ない。ただ、笑顔だけを浮かべられたのが……ああ、僕は本当に不器用になってしまったのだな。<br /> 「そうか。ソイツは仕方ない」<br /> 「僕が貴方の前に出てくるのすら、協定ギリギリなんですよ」<br /> 「お前らの内情なんざ知ったこっちゃないね」<br /> 「おや? それにしては頬が緩んでませんか?」<br /> 「目が悪くなったんじゃないか、お前」<br /> 彼の言う通り。今夜の僕は目が悪くなっているらしい。<br /> 何もかも、曇りガラスの向こうに有るような視界。<br /> 「視力検査なんて免許の更新ぐらいでしかやりませんからね」<br /> 「ああ、俺もだ」<br /> 「少し、酔っているのもあるようです」<br /> 「お前、こんなに酒に弱かったか?」<br /> 「いえ、夜が悪いんですよ」<br /> 「そういう台詞は異性相手に言え」<br /> 「女性が相手なら、貴女の瞳に酔ってしまいました、でしょう」<br /> 「俺が言ったらぶん殴られる台詞だ」<br /> 「棘の有る言い方ですね」<br /> 「棘が無いように聞こえたら、お前は耳も悪いよな」<br /> 杏子酒は、少し塩味がした。<br /> 口の中は鉄錆びた味。唇が破れていた。<br /> 「貴方に、会いたかった」<br /> 「そうか。俺はいつかこんな日が来るだろうな、とは思っていたが」<br /> 「彼女に、会いたい」<br /> 「そうか。俺はいつかそんな日も来るだろうな、とは思っているが」<br /> 「来ますかね?」<br /> 「来るだろうよ。アイツが優しいなら。きっと。お前の思いだって汲んでくれる」<br /> 「想いは汲んではくれないでしょうけど」<br /> 「俺の前でそういう事言うか、お前?」<br /> 「恨み言くらい、言わせて下さいよ」<br /> 新しい氷を二つのグラスに躍らせる。<br /> 「あまり強いのは勘弁してくれ。帰れなくなる」<br /> 「では、ジンジャーエールで割りましょうか」<br /> 「辛い方が好みだ」<br /> 「カナダドライは置いてません。貴方が望まなかったので」<br /> この再会は、彼女の掌の上。望めば全て手に入る彼に、この場が与えられたのは。<br /> 彼が望んだから。僕が望んだから。そして、もう一人。<br /> 「元気だったか?」<br /> 「聞くの、遅くありません? その手の質問は最初にするべきでしょう?」<br /> 「忘れてたんだよ」<br /> 「元気でしたよ。貴方は?」<br /> 「見れば分かるだろ」<br /> 「残念ながら、今日の僕は目が悪いのですよ」<br /> 「元気だった。お前らの事を忘れた事は無かったけどな」<br /> 「忘れられる、訳は無いでしょう。あの日々は、僕の一番大切な時間だった。貴方にとって忘れられる記憶だったら、悲しくていっちゃん泣いちゃいますよ」<br /> 「もう、泣いてんじゃねぇか」<br /> 「煙草が目に沁みたんです」<br /> 「もう少し上手い言い訳を考えたらどうだ。らしくない」<br /> 「貴方が知っている僕というのは、何年前だと思っているんですか」<br /> 何年前だっただろう。あの日々は。なのに、今でも僕の心の中心を支配している、輝かしい思い出。<br /> けれど、それはやはり過去で。<br /> けれど、それはやはり懐古で。<br /> 「何年前でしたっけ?」<br /> 「さぁな。自分の年齢すら管理してるのは嫁と役所くらいだ」<br /> 「明日は彼女の誕生日ですよ」<br /> 「それくらいは覚えてる。ああ、後数時間だな」<br /> 「ええ。このタイミングで貴方に連絡を入れたのは、偶然ではありません」<br /> 「流石に日付が変わるまでには家に帰らせろよ」<br /> 「良い旦那さんですね、貴方は」<br /> 「ハルヒが五月蝿いだけだ。後、ガキ共もな」<br /> 誕生日午前零時。貴方はきっと彼女に、誰よりも早い「ハッピーバースデー」を告げているのでしょう、ずっと。<br /> ずっと。僕と道を別れた後も。<br /> 彼女の傍には、貴方が居た。<br /> 既定事項。きっと未来人ならそう言うに違いない。<br /> 「幸せですね、貴方は」<br /> 「言ったな、半々ってトコだ。お陰様でな」<br /> 「そうでないと、困ります」<br /> 「古泉」<br /> 「はい」<br /> 「お前は? 幸せなのか?」<br /> 「ええ。彼女が幸せなら。僕はそれだけで幸せですよ」<br /> 「嘘吐け」<br /> 「半々、ってところですか」<br /> 「幸せには、なれそうか?」<br /> 「少なくとも、今夜は愉快です」<br /> それは本音。アルコールのせいで、口に蓋が出来なかったようだ。そう。僕は今、愉快で、愉快で、そしてとても切ない。<br /> 「そうか。俺で良ければまた付き合ってやらんでもないが」<br /> 「言ったでしょう。この再会はギリギリなんですよ」<br /> 「その割には、ゆったりとしてないか?」<br /> 「用件が無いと、会ってはいけませんでしたか?」<br /> 「からかうな、古泉」<br /> 「これは、失礼しました」<br /> 紫煙が、喉に痛い。今夜の為に用意した煙草は吸い慣れず、少しキツかったかも知れない。<br /> 「お気付きで?」<br /> 「気付かない振りをしていた方が、お前の事だ。どうせ良いんだろ」<br /> 「あの鈍感だった貴方が、こうも変わられるとは。これは驚きを通り越してちょっとしたスペクタクルですよ」<br /> 「大袈裟が過ぎるし、それに昔もそこまで鈍感だった訳じゃねぇよ」<br /> 「では、気付いていない振りをしていただけだ、と。驚愕の真相ですね」<br /> 「確信は無かったからな。臆病者だったし。いや、今もだが。演技と地と、半々ってトコだ」<br /> 「それでも。貴方が大人になられた事を実感しました」<br /> 彼はグラスの中の氷を揺らして笑った。<br /> 「いつまでも子供じゃ居られないだろ」<br /> 「流石。『パパ』が言われると重みが有ります」<br /> 「おい、茶化すなら俺は帰るぞ?」<br /> 「申し訳ありません。タクシーがこの店に来る時間は指定済みなんですよ」<br /> 「抜け目無いな。ああ、褒め言葉だ」<br /> 「ありがたき幸せ。皮肉が上手くなりましたね」<br /> 「その台詞も皮肉だな」<br /> この空間だけが、時間から取り残されているみたいだった。いや、もしかしたら本当に切り離されている可能性も有る。<br /> 彼女に出来ない、行為ではそれは無い。<br /> 「グラス、空ですよ。何を飲まれますか?」<br /> 「何が有るんだ?」<br /> 「貴方が望むものなら、なんだって中空から取り出しましょう」<br /> 「流石だな、超能力者」<br /> 「そこは手品師にでも鞍替えしたのか、と言って欲しかったですね」<br /> 「お前に先回りされるような台詞を吐いてたのは、昔の俺だよ」<br /> 「前言撤回です。貴方は変わられていらっしゃらない」<br /> 「それも……そうだな……」<br /> 「半々ってところ、でしょうか?」<br /> 「そうだ。半々ってトコだ」<br /> 何年も経っている。変わっていない訳が無いのに。時折、見せる仕草の中に君が変わっていないような錯覚を覚えるのは。<br /> 君が僕に合わせてくれているからだろうか。<br /> それとも、神が会いたい人に会わせてくれたのだろうか。<br /> 考えても、答えなどは出る筈も無く。<br /> 「変わらないモノなんて無いさ」<br /> 「妙に実感の有る言い方ですね。何か、有りました?」<br /> 「いや、ウチのガキ二人な。昨日生まれたと思ったら、もう上は小学生だとよ」<br /> 「お父さんは大変だ」<br /> 「全くな。願いが叶うなら、もう少しマシな労働環境を俺に与えて欲しかったね」<br /> 「おや。幸せでは、ないんですか?」<br /> 「皆まで言わせるな。察しろ。頭の回転まで悪くなったか?」<br /> グラスになみなみとアイスコーヒー。ウイスキを少しだけ混ぜて。<br /> 夜を溶かしたような味がする。<br /> 苦く、芳しく。少しだけ、頭を狂わす。<br /> 「古泉、結婚は?」<br /> 「秘密、としておきましょう」<br /> 「のくせに薬指に日焼け跡が有るんだな」<br /> 「そんなに目敏かったですか、貴方」<br /> 「人間は成長する生き物だろ」<br /> 「成長なんてしませんよ。人間はただ、忘却するのみです」<br /> 「へぇ。言うようになったな。何か有ったか、超能力者?」<br /> 「元、ですよ、その呼称も」<br /> 君が薬指に光る銀を弄る姿なんて、見たくは無かった。<br /> ……駄目ですね、僕は。<br /> 「今はどう呼べば良い?」<br /> 「お好きなように」<br /> 「だったら、決まってるな」<br /> 彼はニヤリと笑った。あの頃みたいに、意地悪く、笑った。<br />  <br /> 「副団長、息災かい?」<br />  <br /> 僕は、ついに滂沱の涙を堪える事が出来なかった。<br />  <br /> この夜は、僕が望んだ通りの再会になっているのかも知れない。<br /> 「卑怯ですよ、貴方は」<br /> 「お互い様だろ」<br /> 「一番弱いところを、狙い澄まして刺すのですから」<br /> 「言ったろ。成長したのさ。やられっ放しだった頃とは違う」<br /> 「いいえ、全然」<br /> 僕は首を振った。カウンタに滴が落ちる。<br /> 「貴方はまるであの時のままだ。あの時の、あの貴方だ」<br /> 「誰よりもお前には言われたくないね」<br /> 「ははっ。違いありません」<br /> 「だろうよ」<br /> 僕は、変わってない。変わって、変わってない。<br /> 君は、変わった。変わらないままに、変わった。<br /> 違うのは、手の中の飲み物に残らずアルコールが入っている事と……。<br /> 「幸せ、なんですよね、僕」<br /> 「そうか。奇遇だな。俺もだ」<br /> 「でも、少しだけチクリと刺す、この思いはなんて名前でしたかね?」<br /> 「俺は語彙が少ないからな。間違ってるかも知れんが、それで良ければ答えてやろうか?」<br /> 「お願いします」<br /> 「センチメンタリズム、ってんだ、そりゃ」<br /> 懐古主義(センチメンタリズム)。<br /> 「モラトリアムの続き、でしょうか」<br /> 「残滓、だな。俺もお前も、モラトリアムなんて言ってられる年齢でも、立場でも無いだろうよ」<br /> 責任猶予期間(モラトリアム)。<br /> 「そうですね。ああ、メランコリック、なんてどうです?」<br /> 「ちょいと情感的過ぎるぜ、その言葉は。お前はともかく、相方が俺なのを考慮してくれ」<br /> 憂鬱(メランコリック)。<br /> 「センチメンタルの方が余程恥ずかしいかと」<br /> 「それもそうか。なぁ、古泉。言葉にする事に意味は有るのか?」<br /> 「貴方が僕と同じ時間と感傷を共有してくれる助けになるでしょう?」<br /> 「大分前から、共感してるつもりだったんだけどな」<br /> 「おや、これは嬉しい誤算だ」<br /> 「言ってろ」<br /> 「良いんですか? 許可を貰ってしまうと、僕は際限無く喋り続けますよ?」<br /> 「ああ、良いぜ」<br /> 彼はグラスを揺らして氷を鳴らした。そんな仕草が、けれどよく似合っていた。<br /> 昔の彼なら、きっと似合わなかっただろう、そんな仕草が。<br /> 「悪くない気分だ。今なら付き合ってやれる」<br /> 「今夜しか、無いんですよ、僕達には」<br /> 「まるで未来を見てきたように言うな、お前」<br /> 煙草が彼の手元と僕の手元を行き来する。灰皿に積まれていく吸殻だけが、時間の経過をしっかりと僕に伝えていた。<br /> 「協定、ですよ。言ったでしょう」<br /> 「悪いが俺はその内容を知らんし、知る気も無い。俺が知ってるのはたった一つさ」<br /> 「一つ、とは?」<br /> 「俺達の女神はツンデレだが、慈悲深い」<br /> 彼が口にして、これほど似合う台詞も無い。<br /> 「再会を、お約束しても?」<br /> 「約束したら、守らなきゃならんからな。そんなのが無くても、俺達はきっとまたこうして酒を酌み交わせるさ」<br /> 「僕は信じてしまいますよ、その言葉」<br /> 「ああ、信じちまえ。信じる者は救われたりするらしい」<br /> 君は。僕は。変わった。変わってない。<br /> どちらなのか、なんて意味は無い。<br /> きっと、半々といったところなのだろうから。<br /> 「この場は、誰が用意してくれたんだ?」<br /> 「僕と、彼女と、彼女が。いえ、神様が望んでくれたのでしょうね」<br /> 「そうか」<br /> 彼は煙草を深く一度吸って、そして大きく煙を吐き出した。<br /> 溜息を、吐くように。<br /> 「朝比奈さんと、長門によろしく言っておいてくれ」<br /> 「承りました」<br /> 「ああ、後、元超能力者の変態にも、一応な」<br /> 「……必ず、伝えますよ」<br /> 「なんか有ったら……何も無くても、俺の方はカムカムウェルカムだ」<br /> 「そんな事を言っていると、非常識が大挙して押し寄せてきますよ?」<br /> 「言ったろ。ウェルカムだ。酒くらいなら出してやっても良いぜ」<br /> 彼が微笑む。僕も苦笑した。<br /> そんな「いつか」は決してやってこない。知っている。<br /> 宇宙人が、未来人が、機関が。彼と彼女を今でも取り囲む全てがそれを許さない。<br /> でも、僕はその真実を決して君に告げない。<br /> 告げては、ならない。<br /> 希望は、届かなくとも輝いているだけで価値が有る。<br /> それが分からない子供では、僕はもうない。<br /> 「では、いずれ」<br /> 「ああ。いつでも来い。ハルヒも喜ぶ」<br /> 「開口一番、怒られそうですよ。どこに行っていたのだと」<br /> 「それくらいは、甘んじて受けろ」<br /> 「ええ」<br /> BGM、リピートワン。空気を、気だるく染めていく。<br /> 「古泉」<br /> 「はい」<br /> 「だから、別れ際に『さよなら』は無しだ」<br /> 「臭い台詞ですね。しかし、よくお似合いで」<br /> 「茶化すな、って言っただろ」<br /> 「ならば、何と言って別れましょうか?」<br /> 「決まってる」<br />  <br /> 僕は、昔、彼女に渡せなかった小箱を、彼女の連れ合いに渡した。<br /> 「また会おう」<br /> 「またお会いしましょう」<br /> その別れの言葉も小箱の中身と同じで、きっと半々。<br />  <br /> 靴音。<br /> 近づいてくる。<br /> この店は貸切。<br /> ウェイタすらいない店で一人佇んでいた僕はずっとテーブルに着いていた彼女に声を掛ける。<br /> 「お一人様ですか?」<br />  <br /> 返答は無かった。いや、三点リーダは何よりも雄弁だったと言うべきか。<br /> 「朝比奈さんは?」<br /> 「帰った」<br /> 「そうですか」<br /> 背後を見ると、そのテーブルでは誰かの涙が水溜りを作っていた。<br /> 「これで良かったですか、長門さん」<br /> 彼女は何も答えない。<br /> 「一目見るだけ。声を聞くだけ。ストイックですね」<br /> 違う。<br /> 彼女達は声を掛ける事すら出来なかった。<br /> 不可侵協定が、彼女達を雁字搦めに縛り付けていたから。<br /> 「……古泉一樹」<br /> 「はい」<br /> 「ありがとう」<br /> 「その言葉は向ける相手が大分的外れです」<br /> 彼女の前にグラスを差し出す。アルコールが彼女を酩酊させてはくれない事を、僕は知っている。<br /> だから、戯れにそこへウイスキを注ぐ。<br /> 「一緒に、飲みませんか?」<br /> 「構わない」<br /> 「ありがとうございます」<br /> 「その言葉は私に向けるべきではない」<br /> 宇宙人がジョークを言える事を、久しぶりに思い出した。<br /> 数年振りに。<br /> 「長門さん」<br /> 「何?」<br /> 「いつか、五人で飲みに誘いますから、その時は良い返事をくれませんか?」<br /> だから、戯れにそこへ繰り言を告ぐ。<br />  <br /> 「喜んで」<br /> 前言撤回。アルコールは、宇宙人からも笑顔と涙を引きずり出す事が出来るらしい。<br />  <br /> 「望むなら、何だって。貴女の手に入るでしょう」<br /> 「変化の無い時間はもう過ごさないと決めた」<br /> 「相変わらず欲の無い人ですね」<br /> 「わたしが欲求を所持していたら、きっとわたし達は今でもあの制服を着てる」<br /> 「ああ、それは願ってもない。そしてお断りです」<br /> 「……半々で」<br /> 「ええ。半々で」<br />  <br />  <br /> こうして、誰かと誰かと誰かの、初恋が幕を閉じた。<br /> 甘い、苦い、芳しい。ウイスキを飲み干すように。少しだけ喉と思い出を焼いて。<br /> まるで、ミルクに蜂蜜を溶かし込んだような、少しだけ特別な夜のお話。<br />  <br />  <br /> <a href="//www25.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5960.html" title="今夜はブギー・バック 笹mix (19s)">今夜はブギー・バック 笹mix</a></p>
<p>鈴の音、響き渡る。<br /> 靴音。<br /> 近づいてくる。<br /> この店は貸切。<br /> ウェイタすらいない店で一人佇んでいた僕は侵入者に声を掛ける。<br /> 「お一人様ですか?」<br /> 「知らん。後から誰か来るのかも知っているのは俺じゃない。お前だ」<br /> 僕は微笑む。君も苦笑い。<br /> 「ご注文は?」<br /> 「何が有るんだよ」<br /> 「何でも有りますよ」<br /> まるで手品の様に。<br /> 「望むなら、何だって。貴方の手に入るでしょう」<br /> 「そっか。そうだな。そんなつまらない生き方はお断りだが」<br /> 「相変わらず欲の無い人だ」<br /> 「俺が欲なんざ持ってたら、きっとお前は今でもあの制服を着てるだろうさ」<br /> 「貴方も、ね」<br /> とりあえず、と僕はグラスを差し出す。氷が揺れる。硬質の音を立てる。<br /> 「ロックでよろしかったですか?」<br /> 「尋ねるまでも無いよな。望むものが出て来るだろ?」<br /> 「それが、この店の売りです」<br /> 二つのグラスを打ち鳴らす。<br /> 「お帰りなさい」<br /> 「遅いんだよ、迎えに来るのが」<br /> 彼は微笑む。僕も苦笑い。<br /> 「機関が解体した後の僕は、ちょっと貯金を持っているだけの一般人ですよ?」<br /> 「だったらどうやって俺の連絡先を突き止めたってんだ、馬鹿野郎」<br /> 「昔取った杵柄、とやらですか」<br /> BGM、リピートワン。<br /> 「こっちはずっと待ってたっつーのによ」<br /> 「おや、待っていてくれたんですか?」<br /> 「前言撤回だ」<br /> 「つれないですね。そして、変わってない」<br /> 彼は顎を撫で擦る。<br /> 「変わっちまったよ」<br /> 「後悔は?」<br /> 「山ほど」<br /> 「戻りたいですか?」<br /> 「半々、ってトコか」<br /> 「幸せでしたか?」<br /> 「それも半々、ってトコだな」<br /> 「同じですね、僕と」<br /> ウイスキを流し込む。喉の奥が焼けるような、心地よさ。<br /> 「幸せだったか?」<br /> 「半々、ってトコでどうでしょう?」<br /> 「戻りたいか?」<br /> 「それも半々、といったところで」<br /> 「後悔は?」<br /> 「だらけですよ」<br /> 「同じだな、俺と」<br /> ウイスキが彼の喉奥へと滑り込む。喉仏を上下させる、その姿は変わらない。<br /> 「何の用だ?」<br /> 「おや? 用件が有ると思いますか?」<br /> 「用件も無いのに呼び出したのか?」<br /> 「一人で飲むのが寂しかったんですよ」<br /> 「似合わない台詞だな、元エスパー」<br /> 「そうですか? 昔の僕はこんな感じだったかな、なんて考えながら受け答えをしてるんですけどね」<br /> 「それだけの為に場末のバーを貸しきるのは、それだけはお前らしいと言えなくも無い」<br /> 彼が懐からシガレットを取り出す。僕はポケットからライタを取り出してカウンタを滑らせた。<br /> 「生憎、煙草じゃない。パイポだ。嫁が怖くてな。禁煙してる」<br /> ライタが滑って手元に帰ってくる。<br /> 「吸っても良いですか、僕?」<br /> 「構わんさ」<br /> 「では、失礼して」<br /> 身体を蝕む紫煙を肺一杯に吸い込む。<br /> 「彼女は、息災ですか?」<br /> 「ああ。見せてやりたいくらいだよ。余りに変わってなくて腰抜かすぜ」<br /> 「既に驚かせて頂きましたよ」<br /> 「覗き見か。趣味が悪いな、ピーピングトム」<br /> 「お子さんを連れて、あの頃よりも一段と綺麗になっていらっしゃいました」<br /> 「綺麗に? 実感無いな」<br /> 喉の奥で笑う。肩を震わせて笑う。<br /> 「ああ、こんな風に笑うのは久しぶりですよ。こんなに愉快なのも」<br /> 「こんなに懐古に浸るのも、か」<br /> 「ええ。あ、もう知っているかも知れませんが一応。機関の決定だったんですよ」<br /> 「知ってる。ハルヒを刺激しないように、だったか」<br /> 「宇宙人、未来人、超能力者……その頃には『元超能力者』ですが」<br /> 「アイツが力を取り戻さないように、その全てはアイツの前から消える、か」<br /> 僕は二人分の空のグラスに琥珀を注いだ。<br /> 「彼女の望みでも有るのかも知れませんね」<br /> 「別れが?」<br /> 二本目に火を点ける。<br /> 「そうです」<br /> 「かもな」<br /> 彼はパイポを口に咥えて濁った空気を吸い込んだ。<br /> 「ようやく手に入れた、幸せが続くように」<br /> 「お前らが邪魔になった、ってか。ハルヒはそんな女じゃないぜ」<br /> 「分かっていますよ」<br /> 煙草の箱とライタがカウンタテーブルを滑る。彼の手にコツリと当たった。<br /> 「優しいのでしょう。だから、叶えてくれた」<br /> 「何を?」<br /> 「僕らが貴方達の幸せを見なくても済むように、してくれたんです」<br /> 「そんなもんか」<br /> 彼はそれ以上の追及はせず、煙草に火を点けた。<br /> 「そんなものです」<br /> 「この再会も、アイツの手の上か?」<br /> 「恐らくは。実は僕、今、結構泣きそうなんですよ」<br /> 「奇遇だな」<br /> 二人分の紫煙が視界を曇らせる。<br /> 「俺もだ」<br /> 「それはまた……奇遇ですね」<br /> 「泣いても、誰も見てないぜ。煙草の煙が目に沁みたとか、言い訳も出来るだろ」<br /> 「その為に禁煙の誓いを破ったんですか?」<br /> 「まさか。隣で煙草吸ってる奴が居て、まだ我慢が出来るならソイツは人間じゃねぇよ」<br /> 「言い付けますよ?」<br /> 「よく言うぜ。アイツの前には二度と出れないくせに」<br /> 小さな店に煙が充満するのにはそう時間が掛からなかった。<br /> だから、視界が定まらないのは、きっと、そのせいで。<br /> 「会いたいか?」<br /> 「残酷な質問ですね」<br /> 「悪かった。撤回する。聞かなかった事にしといてくれ。得意だろ、そういうの」<br /> 「幸か不幸か、得意です」<br /> 「きっと、不幸だ、そりゃ。……いや、不器用、だな」<br /> 「貴方には言われたくありませんよ」<br /> 「ははっ。違いない」<br /> 「別のにしますか?」<br /> グラスが手元に滑ってくる。僕はそれに杏子酒を注いだ。<br /> 「会いたいですよ、ずっと。今も」<br /> 「そうかい」<br /> 「どの面下げて、って感じですよね」<br /> 「会えば良いじゃないか」<br /> 「貴方の生活が一変しますよ。そう、それこそ高校時代に舞い戻りかねません」<br /> 「そうなっても、今度の主人公は俺達じゃないさ」<br /> 「お子さんがどうなっても良いんですか?」<br /> 「可愛い子には何とやら、さ。それにな、古泉」<br /> 「はい」<br /> 「俺はお前達を信じてる。……この酒、甘すぎるな」<br /> 「そこで、その台詞は卑怯でしょう。ああ、炭酸で割りますか?」<br /> 「そうしてくれ」<br /> 冷蔵庫を開ける。そこにはキンキンに冷えたドリンクが並んでいた。<br /> あの頃、ずっと渡せなかった小箱がそこで一緒に冷やされている。<br /> 「好きな分量で割って下さい」<br /> 「客に手酌させるのかよ、この店は」<br /> 「残念ながら、今日は店員が居ないんですよ」<br /> 笑いたいのに、笑い声が出て来ない。ただ、笑顔だけを浮かべられたのが……ああ、僕は本当に不器用になってしまったのだな。<br /> 「そうか。ソイツは仕方ない」<br /> 「僕が貴方の前に出てくるのすら、協定ギリギリなんですよ」<br /> 「お前らの内情なんざ知ったこっちゃないね」<br /> 「おや? それにしては頬が緩んでませんか?」<br /> 「目が悪くなったんじゃないか、お前」<br /> 彼の言う通り。今夜の僕は目が悪くなっているらしい。<br /> 何もかも、曇りガラスの向こうに有るような視界。<br /> 「視力検査なんて免許の更新ぐらいでしかやりませんからね」<br /> 「ああ、俺もだ」<br /> 「少し、酔っているのもあるようです」<br /> 「お前、こんなに酒に弱かったか?」<br /> 「いえ、夜が悪いんですよ」<br /> 「そういう台詞は異性相手に言え」<br /> 「女性が相手なら、貴女の瞳に酔ってしまいました、でしょう」<br /> 「俺が言ったらぶん殴られる台詞だ」<br /> 「棘の有る言い方ですね」<br /> 「棘が無いように聞こえたら、お前は耳も悪いよな」<br /> 杏子酒は、少し塩味がした。<br /> 口の中は鉄錆びた味。唇が破れていた。<br /> 「貴方に、会いたかった」<br /> 「そうか。俺はいつかこんな日が来るだろうな、とは思っていたが」<br /> 「彼女に、会いたい」<br /> 「そうか。俺はいつかそんな日も来るだろうな、とは思っているが」<br /> 「来ますかね?」<br /> 「来るだろうよ。アイツが優しいなら。きっと。お前の思いだって汲んでくれる」<br /> 「想いは汲んではくれないでしょうけど」<br /> 「俺の前でそういう事言うか、お前?」<br /> 「恨み言くらい、言わせて下さいよ」<br /> 新しい氷を二つのグラスに躍らせる。<br /> 「あまり強いのは勘弁してくれ。帰れなくなる」<br /> 「では、ジンジャーエールで割りましょうか」<br /> 「辛い方が好みだ」<br /> 「カナダドライは置いてません。貴方が望まなかったので」<br /> この再会は、彼女の掌の上。望めば全て手に入る彼に、この場が与えられたのは。<br /> 彼が望んだから。僕が望んだから。そして、もう一人。<br /> 「元気だったか?」<br /> 「聞くの、遅くありません? その手の質問は最初にするべきでしょう?」<br /> 「忘れてたんだよ」<br /> 「元気でしたよ。貴方は?」<br /> 「見れば分かるだろ」<br /> 「残念ながら、今日の僕は目が悪いのですよ」<br /> 「元気だった。お前らの事を忘れた事は無かったけどな」<br /> 「忘れられる、訳は無いでしょう。あの日々は、僕の一番大切な時間だった。貴方にとって忘れられる記憶だったら、悲しくていっちゃん泣いちゃいますよ」<br /> 「もう、泣いてんじゃねぇか」<br /> 「煙草が目に沁みたんです」<br /> 「もう少し上手い言い訳を考えたらどうだ。らしくない」<br /> 「貴方が知っている僕というのは、何年前だと思っているんですか」<br /> 何年前だっただろう。あの日々は。なのに、今でも僕の心の中心を支配している、輝かしい思い出。<br /> けれど、それはやはり過去で。<br /> けれど、それはやはり懐古で。<br /> 「何年前でしたっけ?」<br /> 「さぁな。自分の年齢すら管理してるのは嫁と役所くらいだ」<br /> 「明日は彼女の誕生日ですよ」<br /> 「それくらいは覚えてる。ああ、後数時間だな」<br /> 「ええ。このタイミングで貴方に連絡を入れたのは、偶然ではありません」<br /> 「流石に日付が変わるまでには家に帰らせろよ」<br /> 「良い旦那さんですね、貴方は」<br /> 「ハルヒが五月蝿いだけだ。後、ガキ共もな」<br /> 誕生日午前零時。貴方はきっと彼女に、誰よりも早い「ハッピーバースデー」を告げているのでしょう、ずっと。<br /> ずっと。僕と道を別れた後も。<br /> 彼女の傍には、貴方が居た。<br /> 既定事項。きっと未来人ならそう言うに違いない。<br /> 「幸せですね、貴方は」<br /> 「言ったな、半々ってトコだ。お陰様でな」<br /> 「そうでないと、困ります」<br /> 「古泉」<br /> 「はい」<br /> 「お前は? 幸せなのか?」<br /> 「ええ。彼女が幸せなら。僕はそれだけで幸せですよ」<br /> 「嘘吐け」<br /> 「半々、ってところですか」<br /> 「幸せには、なれそうか?」<br /> 「少なくとも、今夜は愉快です」<br /> それは本音。アルコールのせいで、口に蓋が出来なかったようだ。そう。僕は今、愉快で、愉快で、そしてとても切ない。<br /> 「そうか。俺で良ければまた付き合ってやらんでもないが」<br /> 「言ったでしょう。この再会はギリギリなんですよ」<br /> 「その割には、ゆったりとしてないか?」<br /> 「用件が無いと、会ってはいけませんでしたか?」<br /> 「からかうな、古泉」<br /> 「これは、失礼しました」<br /> 紫煙が、喉に痛い。今夜の為に用意した煙草は吸い慣れず、少しキツかったかも知れない。<br /> 「お気付きで?」<br /> 「気付かない振りをしていた方が、お前の事だ。どうせ良いんだろ」<br /> 「あの鈍感だった貴方が、こうも変わられるとは。これは驚きを通り越してちょっとしたスペクタクルですよ」<br /> 「大袈裟が過ぎるし、それに昔もそこまで鈍感だった訳じゃねぇよ」<br /> 「では、気付いていない振りをしていただけだ、と。驚愕の真相ですね」<br /> 「確信は無かったからな。臆病者だったし。いや、今もだが。演技と地と、半々ってトコだ」<br /> 「それでも。貴方が大人になられた事を実感しました」<br /> 彼はグラスの中の氷を揺らして笑った。<br /> 「いつまでも子供じゃ居られないだろ」<br /> 「流石。『パパ』が言われると重みが有ります」<br /> 「おい、茶化すなら俺は帰るぞ?」<br /> 「申し訳ありません。タクシーがこの店に来る時間は指定済みなんですよ」<br /> 「抜け目無いな。ああ、褒め言葉だ」<br /> 「ありがたき幸せ。皮肉が上手くなりましたね」<br /> 「その台詞も皮肉だな」<br /> この空間だけが、時間から取り残されているみたいだった。いや、もしかしたら本当に切り離されている可能性も有る。<br /> 彼女に出来ない、行為ではそれは無い。<br /> 「グラス、空ですよ。何を飲まれますか?」<br /> 「何が有るんだ?」<br /> 「貴方が望むものなら、なんだって中空から取り出しましょう」<br /> 「流石だな、超能力者」<br /> 「そこは手品師にでも鞍替えしたのか、と言って欲しかったですね」<br /> 「お前に先回りされるような台詞を吐いてたのは、昔の俺だよ」<br /> 「前言撤回です。貴方は変わられていらっしゃらない」<br /> 「それも……そうだな……」<br /> 「半々ってところ、でしょうか?」<br /> 「そうだ。半々ってトコだ」<br /> 何年も経っている。変わっていない訳が無いのに。時折、見せる仕草の中に君が変わっていないような錯覚を覚えるのは。<br /> 君が僕に合わせてくれているからだろうか。<br /> それとも、神が会いたい人に会わせてくれたのだろうか。<br /> 考えても、答えなどは出る筈も無く。<br /> 「変わらないモノなんて無いさ」<br /> 「妙に実感の有る言い方ですね。何か、有りました?」<br /> 「いや、ウチのガキ二人な。昨日生まれたと思ったら、もう上は小学生だとよ」<br /> 「お父さんは大変だ」<br /> 「全くな。願いが叶うなら、もう少しマシな労働環境を俺に与えて欲しかったね」<br /> 「おや。幸せでは、ないんですか?」<br /> 「皆まで言わせるな。察しろ。頭の回転まで悪くなったか?」<br /> グラスになみなみとアイスコーヒー。ウイスキを少しだけ混ぜて。<br /> 夜を溶かしたような味がする。<br /> 苦く、芳しく。少しだけ、頭を狂わす。<br /> 「古泉、結婚は?」<br /> 「秘密、としておきましょう」<br /> 「のくせに薬指に日焼け跡が有るんだな」<br /> 「そんなに目敏かったですか、貴方」<br /> 「人間は成長する生き物だろ」<br /> 「成長なんてしませんよ。人間はただ、忘却するのみです」<br /> 「へぇ。言うようになったな。何か有ったか、超能力者?」<br /> 「元、ですよ、その呼称も」<br /> 君が薬指に光る銀を弄る姿なんて、見たくは無かった。<br /> ……駄目ですね、僕は。<br /> 「今はどう呼べば良い?」<br /> 「お好きなように」<br /> 「だったら、決まってるな」<br /> 彼はニヤリと笑った。あの頃みたいに、意地悪く、笑った。<br />  <br /> 「副団長、息災かい?」<br />  <br /> 僕は、ついに滂沱の涙を堪える事が出来なかった。<br />  <br /> この夜は、僕が望んだ通りの再会になっているのかも知れない。<br /> 「卑怯ですよ、貴方は」<br /> 「お互い様だろ」<br /> 「一番弱いところを、狙い澄まして刺すのですから」<br /> 「言ったろ。成長したのさ。やられっ放しだった頃とは違う」<br /> 「いいえ、全然」<br /> 僕は首を振った。カウンタに滴が落ちる。<br /> 「貴方はまるであの時のままだ。あの時の、あの貴方だ」<br /> 「誰よりもお前には言われたくないね」<br /> 「ははっ。違いありません」<br /> 「だろうよ」<br /> 僕は、変わってない。変わって、変わってない。<br /> 君は、変わった。変わらないままに、変わった。<br /> 違うのは、手の中の飲み物に残らずアルコールが入っている事と……。<br /> 「幸せ、なんですよね、僕」<br /> 「そうか。奇遇だな。俺もだ」<br /> 「でも、少しだけチクリと刺す、この思いはなんて名前でしたかね?」<br /> 「俺は語彙が少ないからな。間違ってるかも知れんが、それで良ければ答えてやろうか?」<br /> 「お願いします」<br /> 「センチメンタリズム、ってんだ、そりゃ」<br /> 懐古主義(センチメンタリズム)。<br /> 「モラトリアムの続き、でしょうか」<br /> 「残滓、だな。俺もお前も、モラトリアムなんて言ってられる年齢でも、立場でも無いだろうよ」<br /> 責任猶予期間(モラトリアム)。<br /> 「そうですね。ああ、メランコリック、なんてどうです?」<br /> 「ちょいと情感的過ぎるぜ、その言葉は。お前はともかく、相方が俺なのを考慮してくれ」<br /> 憂鬱(メランコリック)。<br /> 「センチメンタルの方が余程恥ずかしいかと」<br /> 「それもそうか。なぁ、古泉。言葉にする事に意味は有るのか?」<br /> 「貴方が僕と同じ時間と感傷を共有してくれる助けになるでしょう?」<br /> 「大分前から、共感してるつもりだったんだけどな」<br /> 「おや、これは嬉しい誤算だ」<br /> 「言ってろ」<br /> 「良いんですか? 許可を貰ってしまうと、僕は際限無く喋り続けますよ?」<br /> 「ああ、良いぜ」<br /> 彼はグラスを揺らして氷を鳴らした。そんな仕草が、けれどよく似合っていた。<br /> 昔の彼なら、きっと似合わなかっただろう、そんな仕草が。<br /> 「悪くない気分だ。今なら付き合ってやれる」<br /> 「今夜しか、無いんですよ、僕達には」<br /> 「まるで未来を見てきたように言うな、お前」<br /> 煙草が彼の手元と僕の手元を行き来する。灰皿に積まれていく吸殻だけが、時間の経過をしっかりと僕に伝えていた。<br /> 「協定、ですよ。言ったでしょう」<br /> 「悪いが俺はその内容を知らんし、知る気も無い。俺が知ってるのはたった一つさ」<br /> 「一つ、とは?」<br /> 「俺達の女神はツンデレだが、慈悲深い」<br /> 彼が口にして、これほど似合う台詞も無い。<br /> 「再会を、お約束しても?」<br /> 「約束したら、守らなきゃならんからな。そんなのが無くても、俺達はきっとまたこうして酒を酌み交わせるさ」<br /> 「僕は信じてしまいますよ、その言葉」<br /> 「ああ、信じちまえ。信じる者は救われたりするらしい」<br /> 君は。僕は。変わった。変わってない。<br /> どちらなのか、なんて意味は無い。<br /> きっと、半々といったところなのだろうから。<br /> 「この場は、誰が用意してくれたんだ?」<br /> 「僕と、彼女と、彼女が。いえ、神様が望んでくれたのでしょうね」<br /> 「そうか」<br /> 彼は煙草を深く一度吸って、そして大きく煙を吐き出した。<br /> 溜息を、吐くように。<br /> 「朝比奈さんと、長門によろしく言っておいてくれ」<br /> 「承りました」<br /> 「ああ、後、元超能力者の変態にも、一応な」<br /> 「……必ず、伝えますよ」<br /> 「なんか有ったら……何も無くても、俺の方はカムカムウェルカムだ」<br /> 「そんな事を言っていると、非常識が大挙して押し寄せてきますよ?」<br /> 「言ったろ。ウェルカムだ。酒くらいなら出してやっても良いぜ」<br /> 彼が微笑む。僕も苦笑した。<br /> そんな「いつか」は決してやってこない。知っている。<br /> 宇宙人が、未来人が、機関が。彼と彼女を今でも取り囲む全てがそれを許さない。<br /> でも、僕はその真実を決して君に告げない。<br /> 告げては、ならない。<br /> 希望は、届かなくとも輝いているだけで価値が有る。<br /> それが分からない子供では、僕はもうない。<br /> 「では、いずれ」<br /> 「ああ。いつでも来い。ハルヒも喜ぶ」<br /> 「開口一番、怒られそうですよ。どこに行っていたのだと」<br /> 「それくらいは、甘んじて受けろ」<br /> 「ええ」<br /> BGM、リピートワン。空気を、気だるく染めていく。<br /> 「古泉」<br /> 「はい」<br /> 「だから、別れ際に『さよなら』は無しだ」<br /> 「臭い台詞ですね。しかし、よくお似合いで」<br /> 「茶化すな、って言っただろ」<br /> 「ならば、何と言って別れましょうか?」<br /> 「決まってる」<br />  <br /> 僕は、昔、彼女に渡せなかった小箱を、彼女の連れ合いに渡した。<br /> 「また会おう」<br /> 「またお会いしましょう」<br /> その別れの言葉も小箱の中身と同じで、きっと半々。<br />  <br /> 靴音。<br /> 近づいてくる。<br /> この店は貸切。<br /> ウェイタすらいない店で一人佇んでいた僕はずっとテーブルに着いていた彼女に声を掛ける。<br /> 「お一人様ですか?」<br />  <br /> 返答は無かった。いや、三点リーダは何よりも雄弁だったと言うべきか。<br /> 「朝比奈さんは?」<br /> 「帰った」<br /> 「そうですか」<br /> 背後を見ると、そのテーブルでは誰かの涙が水溜りを作っていた。<br /> 「これで良かったですか、長門さん」<br /> 彼女は何も答えない。<br /> 「一目見るだけ。声を聞くだけ。ストイックですね」<br /> 違う。<br /> 彼女達は声を掛ける事すら出来なかった。<br /> 不可侵協定が、彼女達を雁字搦めに縛り付けていたから。<br /> 「……古泉一樹」<br /> 「はい」<br /> 「ありがとう」<br /> 「その言葉は向ける相手が大分的外れです」<br /> 彼女の前にグラスを差し出す。アルコールが彼女を酩酊させてはくれない事を、僕は知っている。<br /> だから、戯れにそこへウイスキを注ぐ。<br /> 「一緒に、飲みませんか?」<br /> 「構わない」<br /> 「ありがとうございます」<br /> 「その言葉は私に向けるべきではない」<br /> 宇宙人がジョークを言える事を、久しぶりに思い出した。<br /> 数年振りに。<br /> 「長門さん」<br /> 「何?」<br /> 「いつか、五人で飲みに誘いますから、その時は良い返事をくれませんか?」<br /> だから、戯れにそこへ繰り言を告ぐ。<br />  <br /> 「喜んで」<br /> 前言撤回。アルコールは、宇宙人からも笑顔と涙を引きずり出す事が出来るらしい。<br />  <br /> 「望むなら、何だって。貴女の手に入るでしょう」<br /> 「変化の無い時間はもう過ごさないと決めた」<br /> 「相変わらず欲の無い人ですね」<br /> 「わたしが欲求を所持していたら、きっとわたし達は今でもあの制服を着てる」<br /> 「ああ、それは願ってもない。そしてお断りです」<br /> 「……半々で」<br /> 「ええ。半々で」<br />  <br />  <br /> こうして、誰かと誰かと誰かの、初恋が幕を閉じた。<br /> 甘い、苦い、芳しい。ウイスキを飲み干すように。少しだけ喉と思い出を焼いて。<br /> まるで、ミルクに蜂蜜を溶かし込んだような、少しだけ特別な夜のお話。<br />  <br />  <br /> <a title="今夜はブギー・バック 笹mix (19s)" href="http://www25.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5960.html">今夜はブギー・バック 笹mix</a></p>

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