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534 インピーダンスマッチング  [sage] 日付:2009/08/23(日) 23:56:02 ID:LTxLyFyn 不完全燃焼性燃料投下。そもそもssって、燃料として弱い気がする。 「ちょっと、キョンくん」  肩から首にかけて、温い泥が巻きついているようだ。声を受けて始めに思ったのがそれだった。 「もう。寝ないでよ、委員長のあたしの責任になっちゃう」  鳥肌に泡立つような錯覚を覚え、それと共に全身に感覚が蘇る。手の中にあるシャーペンのラバーの感触に、学級日誌と格闘していた事を思い出した。  机に座るには適さない角度まで傾いていた首を挙げると、前の椅子に横向きに腰掛け、ハードカバーを手に乗せた女子がこちらを覗きこんでいる。静かに流れ落ちるような黒髪。その中から伸びる白いコードと共に、抑えた響きの旋律が僅かに聞こえてくる。 「朝倉……?」  ぼう、とした頭で呼びかける。余程長い間、同じ体勢でいたようだ。添え木を当てられたように窮屈な首筋を捻ると、ゴキリ、と鈍い音が鳴った。 「そ、やっとお目覚め? 夜更かしのし過ぎじゃない? 大丈夫?」 「じゃない」  反射的に言葉を返す。寝起きの俺からそこまで早いレスポンスが返ってくるとは思わなかったらしい。朝倉は不意をつかれたのか、大きい瞳をもう少し丸くしただけのニュートラルな表情を浮かべた。  古泉ほどではないにしろ、笑顔がほとんどデフォルトなこいつのそんな表情は貴重なのだろうが、正直なところ、それ以上に眠くてたまらん。 「どうも文字列を前にすると、瞼が重くなりがちでな……」 「そう? あたしは寧ろ冴えるけどな」  俺の寝起きの表情がお気に召したのか、朝倉はクスクスと声を抑えて笑いながら、手元のハードカバーに目線を落とす。確か、長門に借りたと言っていたディックなる作者のSFの古典だったか。 「そりゃ、そっちは面白いからだろうよ。……っていうか、面白いか?」 「そうね。長門さんがあそこまで活字情報に傾倒するのも、分かる気がするな」  そう言うと、目を通していた印字達を慈しむような手付きで、ゆっくりとページを捲る。長門のように本をどこかに乗せて読むのとは異なり、朝倉は一本芯が通ったような姿勢のよさで、片手に本を乗せて読むスタイルらしい。  そして、長い髪に隠れた耳からはイヤホンの白いコードが伸び、本に添えられた指はそこから聞こえるリズムを小さめに刻んでいる。  まったく、様になってやがる。何処に出しても恥ずかしくない優等生。随分と、女子高生をやってやがるじゃないか。 「なに?」 「いや、何でもない」 「……まあ、いいけど。それより、まだ眠いの?」  いまだに痺れたままの頭で、何の気なしに朝倉を見ていると、それに気付いたのか本に落としていた視線を上げ、俺の手元を指差す。 「早くそれ、終わらせないと。結構時間経ってるわよ?」 「わかっちゃいるんだがな……」  どうにも眠くて、との言葉は、大きな欠伸にのまれた。      535 インピーダンスマッチング  [sage] 日付:2009/08/23(日) 23:57:18 ID:LTxLyFyn  何の因果か、朝倉と日直が同じになった。正直なところ、何たる僥倖か、と思ったものだ。  一日だけの役割といえど、執行権限としては委員長にも劣らないそれを有すると共に、委員長に次ぐ責任を負わされる役割である。某殺人鬼ほどではないが、植物じみた平和を望む俺としては出来得る限り御免蒙りたい役職だ。  そこへ、優等生であるとともに、我がクラスが誇る美少女委員長である朝倉涼子である。おまけに超処理能力の地球外知的生命体というオプション付き。さあ、丸投げできるぞ、と意気込んだ、もとい肩の力を抜いたのが昨日。  おかげで、昨日、というより今日の明け方まで、たまたま目についた映画を堪能してしまい―― 「はい、キョンくん」  そして今朝、大欠伸と共に教室の扉を開けた俺を迎えた第一声がこれであった。清々しい一日を過ごすために必須な朝の挨拶も抜きに、ハルヒとは質を異にするもののルクス換算としてはどっこいどっこいの笑顔で、ヤツは日誌を差し出して来やがった。  ああ、その笑顔に僅かに上気した頬、肩をすくめて両手で差し出すその動作。その手にあるのが日誌じゃなけりゃぁ、男心を素直にくすぐられただろうに。 「……楽しいそうだな」 「そんな事ないわよ。だけど丸投げしようったって、そうはいかないんだから。あたしにも、ちょっとは楽させてよね」  流石は万能宇宙人、浅はかな人類の考えることなどお見通しらしい。朝倉は俺に聞こえるギリギリの声でそう囁くと、先ほどの可愛らしい仕草はどこへやら、ウィンクと共に黒表紙の冊子を俺に押しつけた。  あと、どうでもいいが本音が出てるぞ、優等生。 「こんな事、あなたにしか言わないから大丈夫よ。じゃ、よろしくね」  その良い笑顔は相変わらずで。かくして、いつにも増して睡魔に屈しがちな俺に日誌などという難物が処理できるはずもなく、現在に至る。        536 インピーダンスマッチング  [sage] 日付:2009/08/23(日) 23:58:11 ID:LTxLyFyn 「俺、どれくらい寝てた?」 「読み進めたのが121ページ、聞き終わった曲が12曲、時計は見てなかったけれど45分ってとこかしらね」 「先に帰っちまっても良かったのに」 「んー。別に、あたしが好きでいるんだからいいと思わない?」  同意を求めるような疑問符の種類はないように思う。どう答えたらいいか、俺がわずかに逡巡する視線に気付き、帰ってもまずこの本を読んでたでしょうし何処で読んでも同じだしね、とすぐに付け足した。  大きく伸びをしつつ、ずり落ちかけた椅子に座り直す。お前がいいなら、俺は構わんがな。 「てか、寝てる間に代わりにやっといてくれるのが、一番助かったんだが」 「あら。他の仕事はほとんどあたしにやらせといて、日誌まで書けって?」  それは通らないでしょう、と、椅子に浅く座り、こちらに視線すら寄越さず朝倉は本を読み進める。ま、確かに。  さて、ならば仕方ないか、と欠伸と共に姿勢を正す。日直の仕事があるから、と先に送り出したハルヒをはじめ、SOS団のメンツを余り待たすのもなんだろう。学級日誌が原因で携帯を鳴らされた日には、流石に古泉が哀れだし。  なにより、わざわざ残っていてくれる委員長様も、家でゆっくり読んだ方が本も面白かろう。  そう決意を固め、適当にしろなんにしろ、今日クラスであった事を日誌欄に書きとめんとシャーペンを握り直し―― 「ほら、また寝てる!」 「んあっ!?」  パチンッ! とすぐ近くで聞こえた破裂音に、顔がはね上がる。  どうやら、俺の決意は三秒と持たずに泥の底に沈んだらしい。芯が痺れたままの頭を振るって机に肘を突き、手を打ったまま半眼で俺を見ている朝倉に諸手を挙げる。 「朝倉……。正直、眠くてたまりません」 「困った人ね」  俺の不甲斐なさに本を読むのを諦めたのか、朝倉は椅子の方向を直し、俺の机に肘をつく。長い髪が一束、音もなく流れ落ち、ふわりと柔らかい香りが鼻腔をくすぐる。台詞の割にあまり困ってなさそうな表情は、僅か30センチの距離で俺と視線を絡ませた。  一言でいえば、近い。古泉ならともかく、朝倉相手に顔がその距離にあるのは少々よろしくない。仕方なく咳払いを一つして、そのまま背もたれに寄りかかると、朝倉は愉快そうに目を細めた。こいつ、遊んでやがったな。 「どうでしょうね? それより、キョンくんの日誌、どうしようか?」  片手で口元を隠しつつ、日誌をコツコツと叩く。  考える前に、手伝ってくれれば早く終わるんだが……。 「んー、そうね。……それはもうちょっとだけ、駄目、かな」      537 インピーダンスマッチング  [sage] 日付:2009/08/23(日) 23:58:54 ID:LTxLyFyn  もうちょっと? なんだそりゃ、また何か企んでやがるのか? 「失礼ね。とにかく、もうちょっと、よ」  そうかい。朝倉が何考えてるのかはわからんが、俺に危害が加わらないならどうでもいい。目下この日誌を片付けるのが最優先だ。  しかし、少しでも黙考しようもんなら即座に意識が眠りの縁に滑落しそうな現状。どうしたものかと、前日分までの日誌をパラパラと捲る。  十人十色の個性がそこに書きとめてある。明らかに手抜きな物や、几帳面かつ端的にその日の出来事を整理したもの等々。  ああ、こいつらの頭の中覗いてみれば、ちょっとは楽に俺担当の欄を埋められるだろうに、と考え 「そういえば、朝倉」  ふと、好奇心が動いた。 「お前達が時々やってる同期って、どんな感じのなんだ?」  それが出来れば日誌も楽に、と考えた事は言わないでおく。 「ドーキ? ……ああ、同期、ね」  朝倉は一瞬、異国の言葉を聞くかのように首を傾げたが、すぐに得心したのか軽く首を上下させた。 「どんなの、って聞かれてもなぁ。言葉じゃ、伝達に齟齬が生じるわよ? それこそ正しく伝えるには同期するのが一番なんだけど」 「や、なんとなくでいいんだ。眠気が覚める程度の世間話レベルで構わん」 「そうね。……あ」  朝倉が考えをまとめている間に、机に付いた肘に体重を預ける。瞼が落ちていくのはわかったが、朝倉が何か思いつけば起こしてくれるだろう。  そう考えて手放しかけた意識を、左耳に触れたひやりとした感触と、急に鮮明になった先ほどから細々と聞こえていたバラードが引き揚げた。 「今説明できるのでは、これが一番早いかな」 「……んぁ?」  思わず間抜けな声が上がる。落ちかけた瞼を何とか上げると、悪戯っぽく顔を傾けた朝倉の髪の中から出たコードが、そのままこちらに伸びていた。 「どう? ニュアンスは伝わった?」  どうやら、イヤホンを片側だけ突っ込まれたらしい。そこから流れる抑揚の少ないゆったりとした旋律を、顔を突き合わせた二人がコードを通して共有している。 「……なるほど」 「情報の共有、ってところが似てるだけなんだけどね。本当はもっと分かりやすく違うんだけど――」  ゆったりとしたヘ長調と、済んだ朝倉の声音が鼓膜に染み込んでいく。音漏れで聞こえてきていた時には歌唱曲かと思ったが、どうやらオーケストラだったらしい。それとも、話している間に切り替わったのか。今となってはどうでもいいが。  段々と両の耳から入ってくるそれぞれの音が混じり合い、一つの音楽に聞こえてきた。朝倉の言葉の意味は既に全くわからないが、他の雑音は一切聞こえない。そして俺の意識は、心地よい音色に包まれて今度こそふわりと宙に待った。        538 インピーダンスマッチング  [sage] 日付:2009/08/24(月) 00:00:38 ID:RHCJHa5h = = = = - - - -  片方の耳に入れたイヤホンが僅かに引かれ、彼がついに机に突っ伏したのを知る。完全に寝てしまったらしい。自分から眠気の払える話を、と言ったのに。 「もう」  溜息をついても仕方がない。話が出来ないのは多少不満ではあるが、この状況は、そんなに悪くない。  腕を枕にする彼の頭に、そっと手を乗せてみる。想定していた反発力は得られず、意外に柔らかい髪質である事を知る。思ったよりも猫っ毛。一つ、発見である。  彼と日直が同じと知った時、正直、僥倖だと思ったものだ。まず、面倒な事を押しつけてやれ、と思いついた。例えば黒板消しなど、その場の行動で終わらない、机に座ってやらざるを得ない時間のかかる仕事を。  他の仕事は全てあたしがやってしまえばいい。そうすれば彼は、彼という個体の行動基準を逸脱しないならば、ほぼ間違いなく残った仕事を請け負ってくれるだろう、と考えて。はたして放課後、学級日誌は彼の手にあった。  後は、間に合わなくなりそうだったら手を貸せばいいだけ。いつもSOS団にかかりきりなのだ。一日位借りても、罰は当たらないだろう。 「あなたは知らないでしょうけど、感謝、してるんだから」  もちろん、教えてあげないけど。  『転校』から帰って、問題なく学校に溶け込めている。長門さんをはじめとするSOS団との関係も、概ね順調だ。観察対象である涼宮さんとは……もう少し。それでも、これ以上親しくなったら団に誘われるからその辺りは見極めておけよ、とは彼の言。  そこまでになったのに、なれたのに理由は幾つかあるけれど。 「……ありがとう」  きっとそんな事は欠片も知らない。ただ静かに寝息を立てる彼の髪を、もう一度だけ撫でつける。そして長門さんに借りた本を、再び手に取る。イヤホンの片方で、彼と繋がったまま。  チラリと時計に目をやると、そろそろ日誌を提出するには遅い時間になってきた。少しだけ寝かせてあげた後、起こして一緒に日誌を片付ける事を決める。――でも、その前に一つだけ。  胸ポケットに入れた音楽の出力元であるプレーヤーを取り出し、曲目からクラスの雑談で勧められた曲を選択する。有機生命体の感情はまだ少しわからないけれど、歌詞を聞いた時、彼の顔が最初に浮かんだ一曲。  時間にして三分半の、少し分の悪い賭け。もし彼が起きた時にこの曲をあたしと一緒に聞いていると知ったら、一体どんな顔をするだろう。それを少しだけ楽しみに、有機生命体とヒューマノイドインターフェースの同期を開始するボタンをゆっくりと押し込んだ。
<p> 534 インピーダンスマッチング  [sage] 日付:2009/08/23(日) 23:56:02 ID:LTxLyFyn</p> <p><br /> 不完全燃焼性燃料投下。そもそもssって、燃料として弱い気がする。</p> <p> </p> <p>「ちょっと、キョンくん」<br />  肩から首にかけて、温い泥が巻きついているようだ。声を受けて始めに思ったのがそれだった。<br /> 「もう。寝ないでよ、委員長のあたしの責任になっちゃう」<br />  鳥肌に泡立つような錯覚を覚え、それと共に全身に感覚が蘇る。手の中にあるシャーペンのラバーの感触に、学級日誌と格闘していた事を思い出した。<br />  机に座るには適さない角度まで傾いていた首を挙げると、前の椅子に横向きに腰掛け、ハードカバーを手に乗せた女子がこちらを覗きこんでいる。静かに流れ落ちるような黒髪。その中から伸びる白いコードと共に、抑えた響きの旋律が僅かに聞こえてくる。<br /> 「朝倉……?」<br />  ぼう、とした頭で呼びかける。余程長い間、同じ体勢でいたようだ。添え木を当てられたように窮屈な首筋を捻ると、ゴキリ、と鈍い音が鳴った。<br /> 「そ、やっとお目覚め? 夜更かしのし過ぎじゃない? 大丈夫?」<br /> 「じゃない」<br />  反射的に言葉を返す。寝起きの俺からそこまで早いレスポンスが返ってくるとは思わなかったらしい。朝倉は不意をつかれたのか、大きい瞳をもう少し丸くしただけのニュートラルな表情を浮かべた。<br />  古泉ほどではないにしろ、笑顔がほとんどデフォルトなこいつのそんな表情は貴重なのだろうが、正直なところ、それ以上に眠くてたまらん。<br /> 「どうも文字列を前にすると、瞼が重くなりがちでな……」<br /> 「そう? あたしは寧ろ冴えるけどな」<br />  俺の寝起きの表情がお気に召したのか、朝倉はクスクスと声を抑えて笑いながら、手元のハードカバーに目線を落とす。確か、長門に借りたと言っていたディックなる作者のSFの古典だったか。<br /> 「そりゃ、そっちは面白いからだろうよ。……っていうか、面白いか?」<br /> 「そうね。長門さんがあそこまで活字情報に傾倒するのも、分かる気がするな」<br />  そう言うと、目を通していた印字達を慈しむような手付きで、ゆっくりとページを捲る。長門のように本をどこかに乗せて読むのとは異なり、朝倉は一本芯が通ったような姿勢のよさで、片手に本を乗せて読むスタイルらしい。<br />  そして、長い髪に隠れた耳からはイヤホンの白いコードが伸び、本に添えられた指はそこから聞こえるリズムを小さめに刻んでいる。<br />  まったく、様になってやがる。何処に出しても恥ずかしくない優等生。随分と、女子高生をやってやがるじゃないか。<br /> 「なに?」<br /> 「いや、何でもない」<br /> 「……まあ、いいけど。それより、まだ眠いの?」<br />  いまだに痺れたままの頭で、何の気なしに朝倉を見ていると、それに気付いたのか本に落としていた視線を上げ、俺の手元を指差す。<br /> 「早くそれ、終わらせないと。結構時間経ってるわよ?」<br /> 「わかっちゃいるんだがな……」<br />  どうにも眠くて、との言葉は、大きな欠伸にのまれた。</p> <p> </p> <p><br />      535 インピーダンスマッチング  [sage] 日付:2009/08/23(日) 23:57:18 ID:LTxLyFyn</p> <p><br />  何の因果か、朝倉と日直が同じになった。正直なところ、何たる僥倖か、と思ったものだ。<br />  一日だけの役割といえど、執行権限としては委員長にも劣らないそれを有すると共に、委員長に次ぐ責任を負わされる役割である。某殺人鬼ほどではないが、植物じみた平和を望む俺としては出来得る限り御免蒙りたい役職だ。<br />  そこへ、優等生であるとともに、我がクラスが誇る美少女委員長である朝倉涼子である。おまけに超処理能力の地球外知的生命体というオプション付き。さあ、丸投げできるぞ、と意気込んだ、もとい肩の力を抜いたのが昨日。<br />  おかげで、昨日、というより今日の明け方まで、たまたま目についた映画を堪能してしまい――<br /> 「はい、キョンくん」<br />  そして今朝、大欠伸と共に教室の扉を開けた俺を迎えた第一声がこれであった。清々しい一日を過ごすために必須な朝の挨拶も抜きに、ハルヒとは質を異にするもののルクス換算としてはどっこいどっこいの笑顔で、ヤツは日誌を差し出して来やがった。<br />  ああ、その笑顔に僅かに上気した頬、肩をすくめて両手で差し出すその動作。その手にあるのが日誌じゃなけりゃぁ、男心を素直にくすぐられただろうに。<br /> 「……楽しいそうだな」<br /> 「そんな事ないわよ。だけど丸投げしようったって、そうはいかないんだから。あたしにも、ちょっとは楽させてよね」<br />  流石は万能宇宙人、浅はかな人類の考えることなどお見通しらしい。朝倉は俺に聞こえるギリギリの声でそう囁くと、先ほどの可愛らしい仕草はどこへやら、ウィンクと共に黒表紙の冊子を俺に押しつけた。<br />  あと、どうでもいいが本音が出てるぞ、優等生。<br /> 「こんな事、あなたにしか言わないから大丈夫よ。じゃ、よろしくね」<br />  その良い笑顔は相変わらずで。かくして、いつにも増して睡魔に屈しがちな俺に日誌などという難物が処理できるはずもなく、現在に至る。</p> <p><br />  <br />      536 インピーダンスマッチング  [sage] 日付:2009/08/23(日) 23:58:11 ID:LTxLyFyn</p> <p><br /> 「俺、どれくらい寝てた?」<br /> 「読み進めたのが121ページ、聞き終わった曲が12曲、時計は見てなかったけれど45分ってとこかしらね」<br /> 「先に帰っちまっても良かったのに」<br /> 「んー。別に、あたしが好きでいるんだからいいと思わない?」<br />  同意を求めるような疑問符の種類はないように思う。どう答えたらいいか、俺がわずかに逡巡する視線に気付き、帰ってもまずこの本を読んでたでしょうし何処で読んでも同じだしね、とすぐに付け足した。<br />  大きく伸びをしつつ、ずり落ちかけた椅子に座り直す。お前がいいなら、俺は構わんがな。<br /> 「てか、寝てる間に代わりにやっといてくれるのが、一番助かったんだが」<br /> 「あら。他の仕事はほとんどあたしにやらせといて、日誌まで書けって?」<br />  それは通らないでしょう、と、椅子に浅く座り、こちらに視線すら寄越さず朝倉は本を読み進める。ま、確かに。<br />  さて、ならば仕方ないか、と欠伸と共に姿勢を正す。日直の仕事があるから、と先に送り出したハルヒをはじめ、SOS団のメンツを余り待たすのもなんだろう。学級日誌が原因で携帯を鳴らされた日には、流石に古泉が哀れだし。<br />  なにより、わざわざ残っていてくれる委員長様も、家でゆっくり読んだ方が本も面白かろう。<br />  そう決意を固め、適当にしろなんにしろ、今日クラスであった事を日誌欄に書きとめんとシャーペンを握り直し――</p> <p><br /> 「ほら、また寝てる!」<br /> 「んあっ!?」<br />  パチンッ! とすぐ近くで聞こえた破裂音に、顔がはね上がる。<br />  どうやら、俺の決意は三秒と持たずに泥の底に沈んだらしい。芯が痺れたままの頭を振るって机に肘を突き、手を打ったまま半眼で俺を見ている朝倉に諸手を挙げる。<br /> 「朝倉……。正直、眠くてたまりません」<br /> 「困った人ね」<br />  俺の不甲斐なさに本を読むのを諦めたのか、朝倉は椅子の方向を直し、俺の机に肘をつく。長い髪が一束、音もなく流れ落ち、ふわりと柔らかい香りが鼻腔をくすぐる。台詞の割にあまり困ってなさそうな表情は、僅か30センチの距離で俺と視線を絡ませた。<br />  一言でいえば、近い。古泉ならともかく、朝倉相手に顔がその距離にあるのは少々よろしくない。仕方なく咳払いを一つして、そのまま背もたれに寄りかかると、朝倉は愉快そうに目を細めた。こいつ、遊んでやがったな。<br /> 「どうでしょうね? それより、キョンくんの日誌、どうしようか?」<br />  片手で口元を隠しつつ、日誌をコツコツと叩く。<br />  考える前に、手伝ってくれれば早く終わるんだが……。<br /> 「んー、そうね。……それはもうちょっとだけ、駄目、かな」</p> <p><br />  <br />      537 インピーダンスマッチング  [sage] 日付:2009/08/23(日) 23:58:54 ID:LTxLyFyn</p> <p><br />  もうちょっと? なんだそりゃ、また何か企んでやがるのか?<br /> 「失礼ね。とにかく、もうちょっと、よ」<br />  そうかい。朝倉が何考えてるのかはわからんが、俺に危害が加わらないならどうでもいい。目下この日誌を片付けるのが最優先だ。<br />  しかし、少しでも黙考しようもんなら即座に意識が眠りの縁に滑落しそうな現状。どうしたものかと、前日分までの日誌をパラパラと捲る。<br />  十人十色の個性がそこに書きとめてある。明らかに手抜きな物や、几帳面かつ端的にその日の出来事を整理したもの等々。<br />  ああ、こいつらの頭の中覗いてみれば、ちょっとは楽に俺担当の欄を埋められるだろうに、と考え<br /> 「そういえば、朝倉」<br />  ふと、好奇心が動いた。<br /> 「お前達が時々やってる同期って、どんな感じのなんだ?」<br />  それが出来れば日誌も楽に、と考えた事は言わないでおく。<br /> 「ドーキ? ……ああ、同期、ね」<br />  朝倉は一瞬、異国の言葉を聞くかのように首を傾げたが、すぐに得心したのか軽く首を上下させた。<br /> 「どんなの、って聞かれてもなぁ。言葉じゃ、伝達に齟齬が生じるわよ? それこそ正しく伝えるには同期するのが一番なんだけど」<br /> 「や、なんとなくでいいんだ。眠気が覚める程度の世間話レベルで構わん」<br /> 「そうね。……あ」<br />  朝倉が考えをまとめている間に、机に付いた肘に体重を預ける。瞼が落ちていくのはわかったが、朝倉が何か思いつけば起こしてくれるだろう。<br />  そう考えて手放しかけた意識を、左耳に触れたひやりとした感触と、急に鮮明になった先ほどから細々と聞こえていたバラードが引き揚げた。<br /> 「今説明できるのでは、これが一番早いかな」<br /> 「……んぁ?」<br />  思わず間抜けな声が上がる。落ちかけた瞼を何とか上げると、悪戯っぽく顔を傾けた朝倉の髪の中から出たコードが、そのままこちらに伸びていた。<br /> 「どう? ニュアンスは伝わった?」<br />  どうやら、イヤホンを片側だけ突っ込まれたらしい。そこから流れる抑揚の少ないゆったりとした旋律を、顔を突き合わせた二人がコードを通して共有している。<br /> 「……なるほど」<br /> 「情報の共有、ってところが似てるだけなんだけどね。本当はもっと分かりやすく違うんだけど――」<br />  ゆったりとしたヘ長調と、済んだ朝倉の声音が鼓膜に染み込んでいく。音漏れで聞こえてきていた時には歌唱曲かと思ったが、どうやらオーケストラだったらしい。それとも、話している間に切り替わったのか。今となってはどうでもいいが。<br />  段々と両の耳から入ってくるそれぞれの音が混じり合い、一つの音楽に聞こえてきた。朝倉の言葉の意味は既に全くわからないが、他の雑音は一切聞こえない。そして俺の意識は、心地よい音色に包まれて今度こそふわりと宙に待った。</p> <p><br />  <br />      538 インピーダンスマッチング  [sage] 日付:2009/08/24(月) 00:00:38 ID:RHCJHa5h</p> <p> </p> <p>= = = = - - - -</p> <p><br />  片方の耳に入れたイヤホンが僅かに引かれ、彼がついに机に突っ伏したのを知る。完全に寝てしまったらしい。自分から眠気の払える話を、と言ったのに。<br /> 「もう」<br />  溜息をついても仕方がない。話が出来ないのは多少不満ではあるが、この状況は、そんなに悪くない。<br />  腕を枕にする彼の頭に、そっと手を乗せてみる。想定していた反発力は得られず、意外に柔らかい髪質である事を知る。思ったよりも猫っ毛。一つ、発見である。<br />  彼と日直が同じと知った時、正直、僥倖だと思ったものだ。まず、面倒な事を押しつけてやれ、と思いついた。例えば黒板消しなど、その場の行動で終わらない、机に座ってやらざるを得ない時間のかかる仕事を。<br />  他の仕事は全てあたしがやってしまえばいい。そうすれば彼は、彼という個体の行動基準を逸脱しないならば、ほぼ間違いなく残った仕事を請け負ってくれるだろう、と考えて。はたして放課後、学級日誌は彼の手にあった。<br />  後は、間に合わなくなりそうだったら手を貸せばいいだけ。いつもSOS団にかかりきりなのだ。一日位借りても、罰は当たらないだろう。<br /> 「あなたは知らないでしょうけど、感謝、してるんだから」<br />  もちろん、教えてあげないけど。<br />  『転校』から帰って、問題なく学校に溶け込めている。長門さんをはじめとするSOS団との関係も、概ね順調だ。観察対象である涼宮さんとは……もう少し。それでも、これ以上親しくなったら団に誘われるからその辺りは見極めておけよ、とは彼の言。<br />  そこまでになったのに、なれたのに理由は幾つかあるけれど。<br /> 「……ありがとう」<br />  きっとそんな事は欠片も知らない。ただ静かに寝息を立てる彼の髪を、もう一度だけ撫でつける。そして長門さんに借りた本を、再び手に取る。イヤホンの片方で、彼と繋がったまま。<br />  チラリと時計に目をやると、そろそろ日誌を提出するには遅い時間になってきた。少しだけ寝かせてあげた後、起こして一緒に日誌を片付ける事を決める。――でも、その前に一つだけ。<br />  胸ポケットに入れた音楽の出力元であるプレーヤーを取り出し、曲目からクラスの雑談で勧められた曲を選択する。有機生命体の感情はまだ少しわからないけれど、歌詞を聞いた時、彼の顔が最初に浮かんだ一曲。<br />  時間にして三分半の、少し分の悪い賭け。もし彼が起きた時にこの曲をあたしと一緒に聞いていると知ったら、一体どんな顔をするだろう。それを少しだけ楽しみに、有機生命体とヒューマノイドインターフェースの同期を開始するボタンをゆっくりと押し込んだ。</p>

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