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空と君とのあいだには/朝倉涼子の消失 第六話」(2008/09/07 (日) 19:03:13) の最新版変更点

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<p> </p> <p> </p> <p> <br />  『プログラム起動条件・鍵をそろえよ。最終期限・二日後』<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  花柄のしおりの裏には、明朝体に似た几帳面な文字で、箇条書きのように、そう書かれている。<br />  <br />  ……さて。<br />  <br />  「長門、これお前の字か?」<br />  「……似てる。でも、私はこんなの、書いたこと」<br />  「だろうな」<br />  <br />  鍵。<br />  これまで俺が闇雲に使っていた表現が、晴れて公式に認定されたわけだ。<br />  俺は鍵を探さなければならない。<br />  ……その事を教えてくれたのは、俺が今まで『鍵』と呼んでいたものだった。<br />  ……冗談だろう?。<br />  <br />  「二日後……?」<br />  <br />  ふと。栞の文字を見つめていた長門が呟く。<br />  そうだ。この栞は、朝倉がこの本を持ち去った一月前のあの日から、ずっと本に挟まっていたとしたら。この栞の示す二日後というのは……十二月二十日か、前後があっても数日と言ったところだろう。<br />  ……時間切れにもほどがあるぞ。<br />  </p> <p> <br />  「いまさら、どうしろってんだ」<br />  </p> <p> <br />  鍵探しの果てに見つけたのは、新たな鍵探しの任務。<br />  そして、示された期限は、とうの昔に過ぎ去っている。<br />  <br />  なあ、気のせいだろうか? 俺にはこの状況が、完全なる『万事休す』であるような気がしてならないのだが。</p> <p> <br />  「あの……これ、そこのテーブルの上に」<br />  「ん?」<br />  <br />  ふと。頭を抱える俺に、長門が何かを差し出す。<br />  それは、今はすっかりお目にかかることもなくなった、黒く、古びたフロッピーディスクだった。<br />  中央に貼られたシールに、栞の字と似た筆跡で、『SELECT?』と書かれている。<br />  <br />  「長門、それは……」<br />  「……私があの日、本と一緒に、朝倉さんに渡したもの」<br />  「なんだって?」<br />  </p> <p> <br />  思わず、声のトーンが高まる。<br />  </p> <p> <br />  「私の書いた小説を、この中に入れて、朝倉さんに渡した。<br />   ……何故、今、この部屋にあるのかは、わからない。」<br />  <br />  長門はすこし恥ずかしそうに目を伏せながら、フロッピーディスクを俺に差し出して来た。<br />  薄く、軽く、小さな正方形。<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  ああ――朝倉。お前って奴は。<br />  なんでこうも紛らわしいことをしてくれるんだ?<br />  俺の前から、手がかりを隠したかと思えば、今頃になって……<br />  <br />  「長門、これを作ったのは」<br />  「……あの日、朝倉さんに頼まれた時。十二月十八日の、放課後」<br />  <br />  俺はふと、三年前の七夕の夜を思い出した。<br />  あの日、俺が長門の部屋で、眠りに付いたように。<br />  このディスクの中でも、今、何かが眠っているというのだろうか?<br />  <br />  「……長門。お前が多分、恥ずかしがるということは分かっている。<br />   無礼を承知で、頼みが有る。どうか、このディスクの中身を……」<br />  「かまわない」<br />  <br />  俺の言葉を途中で遮るようにして、長門は―――気のせいだろうか、此れまでで一番はっきりした声で―――そう言った。<br />  <br />  「……いいのか?」<br />  「構わない。……あなたになら」<br />  <br />  内側からあふれ出そうとしている恥じらいを、真顔の表皮で必死に覆い隠している。<br />  そんな複雑な表情を浮かべた長門は、俺が動き出すよりも先に、俺の手の中からフロッピーディスクを奪い取り<br />  <br />  「それがあなたにとって、必要な事なら」<br />  <br />  そう言って、コンピューターの電源を……<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  「……え?」<br />  </p> <p> ……電源を入れようとしたところで。長門はコンピューターの画面を見つめたまま、硬直してしまった。<br />  なんだ? どうした、何があった?<br />  <br />  「……パソコンが、勝手に」<br />  </p> <p> <br />  長門の返事を聞き終わらないうちに。俺は長門の傍へと駆け寄り、ダークグレイの光を放つディスプレイを凝視していた。<br />  うろたえる長門と二人、息を呑み、その光景を見つめる。<br />  しかし、ディスプレイには何一つ表示されない。ただ、真っ黒な画面が、延々と表示されているだけだ。<br />  <br />  ……長門、フロッピーだ。フロッピーを入れてくれ。<br />  俺が言うよりも早く。長門は先ほどのフロッピーを、モニタの傍らに取り付けられたドライバへと挿入していた。<br />  <br />  「……長門」<br />  「?」<br />  「もしかすると、今からお前の目の前で、色々と信じられないようなことが、起きるかもしれん。<br />   ……できるだけ、驚かないでいてくれるか?」<br />  「分かった」<br />  <br />  ドライバにフロッピーディスクが挿入されてから数秒ほどの沈黙を経て。<br />  俺たちの目の前に……音もなく、文字が表示されだした。<br />  </p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> <br />  YUKI.N>これをあなたが読んでいるとき、わたしはわたしではないだろう。<br />  </p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> <br />  ……そうだよ。その通りだよ。長門……。<br />  </p> <p> <br />  俺の隣で、長門が、「えっ」と小さく声を上げるのが聞こえた。<br />  しかし、先ほどの約束の通り。長門は声を押し殺し、驚きと真剣の入り混じったような瞳で、ディスプレイに連ねられてゆく文章を、じっと見つめている。<br />  </p> <p> 文章は、一文字一文字、ゆっくりと組み立てられてゆく。<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  YUKI.N>このメッセージが表示されたということは<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  ……文章は、そこで止まってしまう。<br />  何だ? これは、何かの演出か?<br />  それとも……まさか。<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  YUKI.N>エラーを感知。プログラム起動に必要なモジュールが不足している。<br />      システムに致命的なエラーが発生している。緊急脱出プログラムの実行は不可能。<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  ―――勘弁してくれよ、長門。<br />  いきなり起動し出したのはお前のほうじゃないか。</p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> <br />  その文面を表示したきり、ディスプレイは凍りついたように動かなくなってしまった。<br />  ずいぶんと長い間、俺と長門は、その画面を凝視していた気がする。<br />  <br />  「……駄目なの?」<br />  <br />  どれくらいの時間がたったか。やがて、沈黙を破ったのは、長門の声だった。<br />  </p> <p> 分からない。<br />  </p> <p>  そう返そうとしたのだが、いつのまにか俺の喉は、声の出し方を忘れてしまったかのように枯れはててしまっており、うまく言葉を発することが出来なかった。<br />  <br />  ……もう、打つ手はないというのか?<br />  俺がディスプレイから離れ、再び、頭を抱え込もうとした、その瞬間。<br />  </p> <p> <br />  「! キョン君、これ」<br />  </p> <p> <br />  長門が声を上げた。<br />  振り返ると、長門は眼鏡越しの瞳を大きく見開かせながら、右手の指でディスプレイを指し示している。<br />  俺は物も言わず、再び長門の傍らへと舞い戻り、モニタに噛り付いた。<br />  ……先ほど凍り付いていたカーソルが、再び点滅を始めている。<br />  そして……俺と長門の目の前で、再び文章を紡ぎ始めた。<br />  <br />  <br />  <br />  YUKI.N>     <br />  <br />  YUKI.N>システムの実行に必要なモジュールを検知しました。<br />        本プログラムは、非常用デバッグモードへと移行出来ます。<br />        実行するならば、エンターキーを。その他の場合は、その他のキーを。</p> <p>       Ready?</p> <p> </p> <p> </p> <p> <br />   <br />  「……非常用モードだって?」<br />  <br />  新たに俺たちの前に現れたその文章を見て――俺が一番に気が付いたのは、そのメッセージが、今までの長門からのメッセージとは決定的に異なる『何か』を持っていると言うことだった。<br />  何かとは、何だ。と言われても、返事に困る。言葉では説明のしようの無いものだ。ただ、文章から発せられるオーラのようなものが、まるで異なるのだ。</p> <p> </p> <p> 何なら断言してもいい。</p> <p> 新たに現れたそのメッセージは、間違いなく、長門有希が残したものではない。</p> <p> </p> <p> まるで後から付け足されたかのように現れた、俺を導かんとするそのメッセージ。<br />  そのメッセージを俺に残したのは、一体誰だ?<br />  可能性が有るのは……俺が思いつける限りでは、たった一人しか居なかった。<br />  </p> <p> <br />  「長門」<br />  </p> <p> <br />  俺が声をかけると、長門は何も言わずに俺を振り返った。<br />  先ほどまでとは何かが違う。何かを悟ったかのような、不思議に落ち着いた表情。<br />  <br />  「……もしかすると俺はこれから、この場から消えちまうかもしれない」<br />  「分かっている。なんとなく」<br />  「もしそうなったら……ごめんな。なんか、何から何まで勝手で……振り回してばかりで」<br />  「いい」<br />  <br />  俺が謝罪の言葉を述べると、長門はそれを拒否するように首を振り……<br />  </p> <p> <br />  「きっと、それは正しいこと。……あなたにとっても、私にとっても」<br />  </p> <p> <br />  どうなんだろうな。俺にはわからんよ。<br />  だが……お前がそういうのなら、そうなのかもしれん。<br />  </p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p>  <br />  最後に、長門に何かを言うべきだったのだろう。<br />  しかし、一体何を言うべきなのか、俺には分からなかった。<br />  だから俺は、無言で指を伸ばし、エンターキーを押し込んだ。</p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> <br />  <br />  ―――<br />  <br />  <br />  <br />      ◆<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  <br />  <br />  自分を含めた全てが渦を巻くかのような、強大な違和感の果てに。<br />  俺がたどり着いた先は……一切の色を奪われた、灰色の文芸部室だった。<br />  <br />  「……長門?」<br />  <br />  たった先ほどまで、俺の傍らに居たはずの長門は、跡形もなく消え去ってしまっている。<br />  窓の外には、夜の闇から更にわずかな彩りさえもを抜き取ったかのような、完全な暗闇が広がっている。<br />  ……俺はその全てに見覚えがある。<br />  灰色の空にも、色を失った文芸部室にも。<br />  俺の知るある男は、この世界を、こんなふうに読んでいた。<br />  <br />  <br />  「閉鎖空間……」<br />  <br />  <br />  そして。俺の知る限り、その世界を作り出せるのは、この世界にただ一人であったはずだ。<br />  <br />  涼宮ハルヒ。<br />  <br />  <br />  ……俺は、今度は一体、どこにやってきてしまったと言うのだろう?</p> <p> </p> <p> </p> <p> <br />  ―――いつかの春の夜に倣うならば。<br />  いずれ、窓の外に赤い光の玉がやってきて、俺に助言をしてくれるはずなのだが<br />  今、その展開への期待を募らせたところで、おそらく、俺の気持ちは盛大に泡と散るだけであろう。<br />  <br />  <br />  「……ん?」</p> <p> <br />  <br />  窓の外から視線を外し、室内を振り返った俺は<br />  パソコンの画面に、なにやら文章のようなものが表示されていることに気が付いた。<br />  近づいてよく観察してみると、画面にはテキストエディタが開かれており<br />  そこに、小さく設定された文字で、何かの物語が記されているようだ。<br />  <br />  <br />  <br />  <br />  </p> <p> </p> <p> <br />  『SELECT?』<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  <br />  <br />  <br />  <br />  <br />  それは、長門の書いた小説だった。<br />   <br />   </p> <p> </p> <p> </p> <p> <br />       ◆</p> <p> </p> <p> </p> <p> <br />  <br />  物語は、図書館のシーンから始まっていた。<br />  <br />  主人公は、生まれたときから笑うことのできない、幼い紋白蝶の少女。<br />  少女は本が好きであり、幾度も幾度も、その図書館から本を借りたいと願っている。<br />  しかし、少女は笑うことができない。<br />  そのため、誰も虫の少女が本を好きだという事を分かってはくれない。<br />  だから、少女はいつも、本を借りることが出来なかった。<br />  <br />  しかし。少女は、ある日出会った蓑虫の青年から笑顔を作りかたを教わり、必死で練習をすることで、ある日、本当にわずかだけれど、笑顔を作ることができるようになった。<br />  少女はそれを喜び、再び図書館を訪れる。<br />  しかし、少女の笑顔は本当にわずかなものでしかない。<br />  それが笑顔と分かってくれる人は少なく、やはり、少女は本を借りることができない。<br />  少女は悲しみ、そして、自分に笑顔を教えてくれた人々のことも、悲しませてしまったと嘆いた。<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  やがて。少女はついに、あふれるほどの笑顔を浮かべることの出来る魔法を、魔法使いの女王蟻のもとから盗み出してしまう。<br />  その魔法を使えば、世界中の誰もが、笑顔のない彼女を忘れ、新しい彼女を受け入れてくれる。<br />  </p> <p> 少女は、幸せになれると思った。<br />  笑顔を教えてくれようとした人々も、きっと、生まれ変わった自分を喜んでくれると思った。<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  しかし、無限の笑顔を浮かべる自分を想像し、少女は思う。<br />  笑顔を手に入れた時、自分は、自分ではなくなってしまうかもしれない。<br />  少女はそれが正しいことなのかどうか、分からなかった。<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  少女は、誰もが幸せになる世界を望んでいた。<br />  しかし、自分が自分で無くなってしまうことを望んでいるのかどうか、少女には分からなかった。</p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> <br />  <br />  考えた末に。少女の出した決断はこうだった。<br />  </p> <p> <br />  少女は、一部の人物を覗いた、世界中の全てのものに魔法をかけた。<br />  人々を悩ませる要因は全て消してしまい、そして、自分自信を、笑顔の似合う黒揚羽蝶へと変えた。そして、人々の記憶から、笑わない紋白蝶の記憶を消し去った。少女自身の記憶からもだ。<br />  </p> <p> <br />  少女が魔法をかけなかったのは、この世でたった二人だけ。<br />  </p> <p> </p> <p> 一人は、少女にわずかな笑顔を教えてくれた、蓑虫の青年。<br />  少女は、魔法によって手に入れた笑顔が、少女にとって正しいものなのか、どうなのか。それを、蓑虫の青年にその判断をしてもらおうとする。<br />  しかし……もしも、蓑虫の少年が、自分を見つけられなかったときのために。</p> <p> 蓑虫の青年に教わった笑顔に、ただ一人気づいてくれていた、雀蜂の少女にも、魔法をかけなかった。</p> <p> <br />  もしも、少女が蓑虫の青年の周りを飛んでも、青年が蓑の中から顔を出さなかったとき。<br />  その時には、雀蜂の少女の針が、彼を目覚めさせてくれる。</p> <p> </p> <p> もしも、雀蜂の少女が、知らない花畑へと迷い込んでしまったとき。</p> <p> その時には、蓑虫の青年が目印となり、少女を在るべき場所へ導いてくれる。</p> <p><br />  </p> <p> 少女が信じる二人ならば、きっと答えを出してくれる。<br />  そう考えた。</p> <p> </p> <p> <br />  </p> <p> <br />  そして。少女は二人から良く見える場所に、女王蟻の魔法のかけらを隠した。<br />  もしもこの世界が正しくないのならば、その魔法で、全てを元に戻せるように。<br />  <br />  <br />  <br />  <br />  </p> <p> </p> <p> そうして、少女は世界を作り変えた。<br />  </p> <p> </p> <p> <br />  物語は、そこで終わっている。<br />  <br />  </p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> </p> <p> つづく</p>

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