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あたしのアンチテーゼ」(2007/09/08 (土) 02:13:58) の最新版変更点

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<p>「あーっもう、ゴチャゴチャうっさい! 出てけって言ったら出てけっ! 古泉くんも!」<br> <br> 慌てて閉められた部室の扉に、あたしが投げつけた団長印の三角錐がぶつかって、ポカンと<br> 間の抜けた音がする。床に転がったそれを拾い上げて困った笑顔のみくるちゃんに、<br> あたしは余勢を駆って、ビシッと人差し指の先を突きつけた。<br> <br> 「ほら、みくるちゃんも! わざわざ男どもを追っ払ったんだから、<br>  ボケッとしてないでさっさと着替える!」<br> 「ひゃ、ひゃいっ!?」<br> <br> 恐る恐る三角錐を元通り机の上に戻したみくるちゃんは、黒を基調とした衣装を手に<br> 部屋の隅っこに引っ込む。わたわたとボタンやらホックやらを外し始めるその様子を横目に、<br> あたしは不機嫌さ全開で、荒っぽく団長専用椅子に座り直した。<br> 相変わらずでっかい上に形も良いわね。むしろさらにボリューム増してんじゃないかしら。<br> それはまあ別にいいんだけど。<br> <br> 「そうよ、度し難いのはあいつのヒネクレっぷりなのよ!<br>  せっかくあたしがみくるちゃんのために新作ゴスロリメイド服を用意してあげたって<br>  いうのにさ、『そういうのは本人の了承を得てからにしろ』だの<br>  『また部費でこんな無駄遣いを』だの、堅ッ苦しい事ばっか言っちゃって!<br>  ホントはみくるちゃんのミニスカ衣装を見たくて仕方ないくせに、どうして素直に<br>  賛同するって事が出来ないのかしらねあのムッツリエロキョンは!?」<br> <br> 椅子の上であぐらをかき、腕組みをしたあたしがそう憤慨の声を上げても、<br> 半裸のみくるちゃんはやっぱり困ったように引きつった笑みを浮かべるばかりだった。<br> ま、しょうがないか。みくるちゃんは心根が優し過ぎるから、向こうが悪くっても<br> なかなか糾弾とか出来ないでしょうし。<br> 自然、あたしの視線は窓際でいつも通りに本を読んでいる文学少女へと向けられた。<br> <br> 「ねっ、有希もそう思わない!?」<br> <br> 問われて、有希はいま初めて事態に気が付いたように顔を上げる。そうして、ゆっくりと<br> 静謐の瞳をあたしに向けた。<br> <br> 「………指摘の通り彼の発言には、多少わずらわしい一面がある。言うなれば<br>  過保護な親のような。思春期のあなたがそれに反発を覚えるのは、無理からぬこと」<br> <br> その返答に、あたしはちょっと驚いた。なんとなく、有希はキョンの弁護に<br> 回るんじゃないかって気がしてたから。でも本当に驚くのは、そこから先だったのだ。<br> <br> 「けれどもわたしは、そんなあなたをうらやましく思う」<br> 「うらやましい? あたしが?」<br> <br> 問い返すあたしの前で、有希は真顔でこくんと頷いた。<br> <br> 「彼が常に口にするのは、あなたのテーゼに対する、いわゆるアンチテーゼ」<br> 「ああ、ヘーゲルの弁証法? あたしも前に読んだ事はあるけど」<br> 「ふえっ? テーゼとアンチ…?」<br> <br> あたしと有希の会話に、目を真ん丸にしたみくるちゃんの声が挟まる。<br> っていうか早く着替えなさい。そんな中途半端に下着を露出させた萌え~な格好じゃ<br> 襲われたって文句は言えないわよ。<br> <br> 「ままままま、まさか涼宮さん、そっちの趣味も…?」<br> 「冗談に決まってんでしょ、もう!<br>  いい? テーゼってのは要するにある種の定義なの。で、アンチテーゼっていうのは<br>  その定義に対して否定的な命題の事を言うのよ」<br> 「はあ…」<br> <br> 背中のジッパーを上げるのにくねくねと悩ましく苦労しながら、みくるちゃんは<br> あいまいな相槌を打っていた。あー、理解できてないわねこれは。<br> <br> 「そうね、たとえば『日本の硬貨で穴の空いている物は2種類だけ』っていう<br>  定義があるとするでしょ。まずこれが“テーゼ”ね」<br> 「あっ、はい。それなら分かりますぅ」<br> 「それに対して『和同開珎なんかはどうなる? あれも日本の硬貨には<br>  違いないだろ?』という意見が出たとするわ。これがつまり“アンチテーゼ”。<br>  そうしてテーゼとアンチテーゼをぶつけ合って、双方に矛盾しない<br>  発展的な定義である“ジンテーゼ”を求めるのが、いわゆる弁証法なのよ」<br> 「ジンテーゼ? 発展的な?」<br> 「この場合だと『現在、一般に流通している日本の硬貨で穴の空いている物は<br>  2種類だけ』ってな所かしらね。これなら矛盾しないでしょ」<br> <br> なんとなく先生気分であたしがそう説明すると、みくるちゃんはいかにもな<br> 明るい笑顔で、ぱちんと手を叩いた。<br> <br> 「なるほどぉ、なんとなく分かったような気がします! うん、でも…」<br> 「まだ何か疑問?」<br> 「ああいえ、そうじゃないんですけど。<br>  ただアンチテーゼってなんだか考えるのが面倒っていうか、どこか<br>  言いがかりっぽいなあって思って」<br> <br> 思わず拍手したくなるほど率直なみくるちゃんの感想に、あたしはそれまでの<br> 不機嫌さも忘れて、ぷっと吹き出しちゃったわ。<br> <br> 「あはははっ、それ正しいわよみくるちゃん。弁証法ってのは要するに、矛盾を<br>  しらみつぶしに探してくって方法だもの。<br>  実際、そんなのいちいち目くじら立ててんじゃないわよ!って言いたくなるような<br>  アンチテーゼもあるわよね。有名な所だと、<br> <br>  『双子っていうのは、同じ両親から同年同月同日に生まれた兄弟の事よ』<br>  『それじゃ三つ子はどうなるんだ?』<br> <br>  とか。確かに厳密には『双子』と『三つ子』はイコールじゃあ無いけどさ、<br>  それくらい察しなさいっての。<br>  ま、テーゼに無理が有ると逆にアンチテーゼの方が正論っぽくなってくる訳だけど。<br>  どっちにしろ面倒な話よねー」<br> <br> そんな風にあたしがみくるちゃんと朗らかに苦笑いを交わしていると、不意に有希の<br> 淡々とした呟きが、部室に響いたの。<br> <br> 「そう、あなたの言う通り。弁証法は面倒。だから大概の人間は物事をそこまで<br>  突き詰めて考えたりはせず、なあなあで済ませてしまう。<br>  けれども彼は、いつもあなたに対するアンチテーゼの提示を怠らない。<br>  それが、わたしがあなたをうらやましく思う理由」<br> <br> あ、そうだった。弁証法やら何やらって、元々は有希がテーゼとアンチテーゼが<br> どうのこうの言い始めたのがきっかけだったわね。<br> でも…キョンがいつもあたしにアンチテーゼを示すから、それがうらやましいって?<br> 冗談でしょ。あいつはただ単に口やかましいだけで――。<br> <br> 「ああ、分かりますよ長門さん! わたしもそういう風に思う時がありますもん」<br> <br> は、はいっ? いきなり何を言い出すのよみくるちゃんまで!?<br> <br> 「わたしがお茶を差し出すと、キョンくんはいつも美味しいですよって<br>  褒めてくれます。それは嘘じゃないと思うんですけど、でも<br>  やっぱりちょっと物足りないっていうか、もっと真剣にわたしのお茶と<br>  向き合ってくれたらいいなって思う部分があって…。<br>  そういう時、つい涼宮さんがうらやましいなって考えちゃったりしますよねえ」<br> 「同意。わたしが推挙した本の内容に関しても、彼はそこまで踏み込んではくれない。<br>  わたしはそれが不満」<br> <br> ほんのわずか唇を尖らせてみせる有希の仕草に、みくるちゃんはそれをなだめるように、<br> うふふと微笑みかけていた。<br> って、何よこれ! 何なのよこの流れは!?<br> これじゃまるで、あたしがキョンに大切にされてて…それがうらやましいみたいな<br> 話の展開になっちゃってんじゃないの!<br> <br> 全然違うわよ、そうじゃないでしょ!? キョンがあたしにいつも難癖を付けてくるのは、<br> あいつが底意地が悪くて心配性で、とにかくあたしの邪魔をしたいだけの事なの!<br> それはまあ確かに…時たまあいつの言う事にハッとする部分があって、あたしが考えを<br> 改めたりするような事も無きにしも非ずなんだけど…。それはあくまでごく稀な、<br> まぐれ当たりみたいな物なんだから!<br> <br> …ああ、でも古泉くんに「その通りかと」って首肯されるよりは、キョンの奴に<br> あれこれイチャモン付けられた方が妙に納得できるかな。その時は不愉快に感じても、<br> 後でつらつら思い返してみるに、あいつはあいつなりにきちんとあたしの意見を<br> 受け止めてくれてたんだって気付いたりとか。<br> キョンはただの雑用係だけど、そこいらの奴とはやっぱりどこか違うのかも。有希も<br> 言ってた通り、普通なら面倒がって適当に流したり見放したりするような場面でも、<br> あいつはちゃんと意見を返してくれるし――。<br> <br> じゃあやっぱりそれは、あいつのアンチテーゼのおかげであたしはジンテーゼを<br> 導き出せてるって事になるのかな。あたしにとって、あいつはそんなに<br> 重要な存在なのかな…?<br> むー、とあたしは唇を噛んで、それから大声で扉の向こうに呼び掛けた。<br> <br> 「キョン! 古泉くん! もう入ってきていいわよ、みくるちゃん着替え終わったから!」<br> 「ふええっ!?」<br> <br> 真新しいスカートの裏地の白いヒラヒラを物珍しそうにいじっていたみくるちゃんは、<br> あたしの急な呼び声に驚いたようで、ぴょこんと小さく後ろへ跳ねたわ。そこへ<br> 扉が開いて、古泉くんと、そしてキョンが顔を覗かせる。<br> さあ、どうよ。どうなのよ、あたしがあつらえたみくるちゃんの新メイド服は!<br> <br> 「ははあ、これはまた。いや、実にお見事ですね。<br>  上級生にこんな事を申し上げては失礼かもしれませんが…ことのほか可愛らしい。<br>  以前のメイド服にも清楚かつ控えめな魅力がありましたが、今回の衣装には<br>  朝比奈さんの小動物的愛らしさを、いやが上にも強調するものがあるように思います。<br>  まるで奄美の黒ウサギのようだ」<br> 「やい古泉、俺のセリフを全て先取りするな。これじゃ褒めようが無いだろうが。<br>  あー、朝比奈さん」<br> 「はい?」<br> 「その、よくお似合いですよ」<br> 「うふふ、二人ともありがとう。じゃあさっそくお茶を淹れますね♪」<br> <br> はにかんだ笑顔でいそいそとコンロに向かうみくるちゃんを、だらしなく頬の弛んだ<br> 間抜け面で見送るキョン。そうして、あいつは不意にこちらを向いたわ。<br> ふん、ようやく来るつもりね。みくるちゃんの事は褒めそやしても、どうせあたしには<br> また難癖付けてくるんでしょうけど。いいわよ、受けて立ってやろうじゃない。<br> <br> 「ハルヒ」<br> 「………何よ」<br> <br> 何なのよ、言うならさっさと言いなさいっての。<br> こんな風に間を持たされたら、変に意識して、ドギマギしちゃうじゃないのよ。<br> <br> 「まあその、何だ。さっきはアレコレ言っちまったが、実際こうして<br>  目の当たりにすると、ぐうの音も出ねえな。<br>  お前の見立ては確かだよ。朝比奈さんの魅力を、完璧に引き出してる。<br>  当の朝比奈さんも気に入ってるみたいだし、さすがは団長様!って所だな」<br> <br> そう言ってこっちに歩み寄ってきたキョンは、でかした!とばかりに、<br> きょとんとしているあたしの肩をパンパンと叩いたのだった。<br> ………ちょっと。ちょっと何よ、その爽やか笑顔は。<br> 言うだけ言ったらさっさと自分の席に戻って、お茶の用意をしてるみくるちゃんの<br> 後ろ姿を眺めたりしてるし。一体何なのよキョン、あんたって奴は!<br> <br> あたしがこうして身構えてる時に限って、普通に褒めてくるなんて。あたしの手腕を<br> きちんと認めてくれるだなんて。<br> まさか本当に、あたしがテーゼならあんたがアンチテーゼだっての? あたしが納得できる<br> ジンテーゼを見つけ出すために、あんたが必要不可欠な存在だって言うの!?<br> 認めないわよ、そんなの! こんな、こんな胸の高鳴りなんて…あたしは<br> ぜーったい認めないんだからッ!<br> <br> 「フン、何よキョン! 分かった風な口利いちゃって!<br>  どうせあんたの事だから、このフリフリミニスカートとみくるちゃんの生足コラボに<br>  悩殺されちゃっただけなんじゃないの?」<br> 「なっ!? バカお前、俺は別にそんなやましい気持ちは…」<br> 「どうだか。でもまあいいわ、このアホが引っ掛かるんならホームページのトップに<br>  みくるちゃんのNEWコス写真を置けば、アクセス百倍増は間違いないものね。<br>  って事で、さっそく撮影会を開始するわ! ほらみくるちゃん、お茶なんてあとあと!」<br> 「ひょええええ!?」<br> 「フフ、まことに結構なアイデアかと」<br> 「あ、有希もスターリングインフェルノと、それから壁の仮面持って付いてらっしゃい。<br>  うーん、なんだか次の映画のインスピレーションまで湧いて来ちゃったかも!」<br> 「………ユニーク」<br> <br> 唖然とするキョンを尻目に、片手にデジカメ、片手にみくるちゃんの肩を抱いて<br> 古泉くんと有希を引き連れたあたしは、意気揚々と扉の方へと向かったわ。<br> <br> 「さてさて、撮影場所はどこが良いかしらね? ゴスロリメイドだからやっぱ食堂?<br>  ううん、それよりも茶道部室で畳とのミスマッチなんてのも…」<br> 「おいハルヒ、少しは落ち着けよ。まったく、お茶の一杯くらい楽しんでから<br>  行動したってバチは当たらないだろうに」<br> <br> いかにもやれやれと言いたげな態度でこめかみの辺りに手を添えながら、それでも<br> なんだかんだで後を追うように椅子から立ち上がるキョン。<br> そんなあいつの胸元に、振り返ったあたしは人差し指の先をビシッと突きつけて、<br> 快活にこう命令してやったのだった。<br> <br> 「もっともらしい理屈こねてんじゃないわよ、このバカキョン。昔の人も言ってんでしょ、<br>  思い立ったが吉日だって!<br>  それでもまだ文句があるんだったら…まあ、聞くだけは聞いてあげるわ。団長様の<br>  度量の大きさに感謝すんのね」<br> 「へいへい」<br> 「分かったらほら、そこのレフ板持って<br>  ど こ ま で も あ た し に 付 い て 来 な さ い っ !!」<br> <br> <br> <br> あたしのアンチテーゼ   おわり</p>
<p>「あーっもう、ゴチャゴチャうっさい! 出てけって言ったら出てけっ! 古泉くんも!」<br> <br>  慌てて閉められた部室の扉に、あたしが投げつけた団長印の三角錐がぶつかって、ポカンと間の抜けた音がする。床に転がったそれを拾い上げて困った笑顔のみくるちゃんに、あたしは余勢を駆って、ビシッと人差し指の先を突きつけた。<br> <br> 「ほら、みくるちゃんも! わざわざ男どもを追っ払ったんだから、ボケッとしてないでさっさと着替える!」<br> 「ひゃ、ひゃいっ!?」<br> <br>  恐る恐る三角錐を元通り机の上に戻したみくるちゃんは、黒を基調とした衣装を手に部屋の隅っこに引っ込む。わたわたとボタンやらホックやらを外し始めるその様子を横目に、あたしは不機嫌さ全開で、荒っぽく団長専用椅子に座り直した。<br>  相変わらずでっかい上に形も良いわね。むしろさらにボリューム増してんじゃないかしら。それはまあ別にいいんだけど。<br> <br> 「そうよ、度し難いのはあいつのヒネクレっぷりなのよ!<br>  せっかくあたしがみくるちゃんのために新作ゴスロリメイド服を用意してあげたっていうのにさ、『そういうのは本人の了承を得てからにしろ』だの『また部費でこんな無駄遣いを』だの、堅ッ苦しい事ばっか言っちゃって!<br>  ホントはみくるちゃんのミニスカ衣装を見たくて仕方ないくせに、どうして素直に賛同するって事が出来ないのかしらねあのムッツリエロキョンは!?」<br> <br>  椅子の上であぐらをかき、腕組みをしたあたしがそう憤慨の声を上げても、半裸のみくるちゃんはやっぱり困ったように引きつった笑みを浮かべるばかりだった。ま、しょうがないか。みくるちゃんは心根が優し過ぎるから、向こうが悪くってもなかなか糾弾とか出来ないでしょうし。<br>  自然、あたしの視線は窓際でいつも通りに本を読んでいる文学少女へと向けられた。<br> <br> 「ねっ、有希もそう思わない!?」<br> <br>  問われて、有希はいま初めて事態に気が付いたように顔を上げる。そうして、ゆっくりと静謐の瞳をあたしに向けた。<br> <br> 「………指摘の通り彼の発言には、多少わずらわしい一面がある。言うなれば過保護な親のような。思春期のあなたがそれに反発を覚えるのは、無理からぬこと」<br> <br>  その返答に、あたしはちょっと驚いた。なんとなく、有希はキョンの弁護に回るんじゃないかって気がしてたから。でも本当に驚くのは、そこから先だったのだ。<br> <br> 「けれどもわたしは、そんなあなたをうらやましく思う」<br> 「うらやましい? あたしが?」<br> <br>  問い返すあたしの前で、有希は真顔でこくんと頷いた。<br> <br> 「彼が常に口にするのは、あなたのテーゼに対する、いわゆるアンチテーゼ」<br> 「ああ、ヘーゲルの弁証法? あたしも前に読んだ事はあるけど」<br> 「ふえっ? テーゼとアンチ…?」<br> <br>  あたしと有希の会話に、目を真ん丸にしたみくるちゃんの声が挟まる。っていうか早く着替えなさい。そんな中途半端に下着を露出させた萌え~な格好じゃ、襲われたって文句は言えないわよ。<br> <br> 「ままままま、まさか涼宮さん、そっちの趣味も…?」<br> 「冗談に決まってんでしょ、もう!<br>  いい? テーゼってのは要するにある種の定義なの。で、アンチテーゼっていうのはその定義に対して否定的な命題の事を言うのよ」<br> 「はあ…」<br> <br>  背中のジッパーを上げるのにくねくねと悩ましく苦労しながら、みくるちゃんはあいまいな相槌を打っていた。あー、理解できてないわねこれは。<br> <br> 「そうね、たとえば『日本の硬貨で穴の空いている物は2種類だけ』っていう定義があるとするでしょ。まずこれが“テーゼ”ね」<br> 「あっ、はい。それなら分かりますぅ」<br> 「それに対して『和同開珎なんかはどうなる? あれも日本の硬貨には違いないだろ?』という意見が出たとするわ。これがつまり“アンチテーゼ”。<br>  そうしてテーゼとアンチテーゼをぶつけ合って、双方に矛盾しない発展的な定義である“ジンテーゼ”を求めるのが、いわゆる弁証法なのよ」<br> 「ジンテーゼ? 発展的な?」<br> 「この場合だと『現在、一般に流通している日本の硬貨で穴の空いている物は2種類だけ』ってな所かしらね。これなら矛盾しないでしょ」<br> <br>  なんとなく先生気分であたしがそう説明すると、みくるちゃんはいかにもな明るい笑顔で、ぱちんと手を叩いた。<br> <br> 「なるほどぉ、なんとなく分かったような気がします! うん、でも…」<br> 「まだ何か疑問?」<br> 「ああいえ、そうじゃないんですけど。<br>  ただアンチテーゼってなんだか考えるのが面倒っていうか、どこか言いがかりっぽいなあって思って」<br> <br>  思わず拍手したくなるほど率直なみくるちゃんの感想に、あたしはそれまでの不機嫌さも忘れて、ぷっと吹き出しちゃったわ。<br> <br> 「あはははっ、それ正しいわよみくるちゃん。弁証法ってのは要するに、矛盾をしらみつぶしに探してくって方法だもの。<br>  実際、そんなのいちいち目くじら立ててんじゃないわよ!って言いたくなるようなアンチテーゼもあるわよね。有名な所だと、<br> <br>  『双子っていうのは、同じ両親から同年同月同日に生まれた兄弟の事よ』<br>  『それじゃ三つ子はどうなるんだ?』<br> <br>  とか。確かに厳密には『双子』と『三つ子』はイコールじゃあ無いけどさ、それくらい察しなさいっての。<br>  ま、テーゼに無理が有ると逆にアンチテーゼの方が正論っぽくなってくる訳だけど。どっちにしろ面倒な話よねー」<br> <br>  そんな風にあたしがみくるちゃんと朗らかに苦笑いを交わしていると、不意に有希の淡々とした呟きが、部室に響いたの。<br> <br> 「そう、あなたの言う通り。弁証法は面倒。だから大概の人間は物事をそこまで突き詰めて考えたりはせず、なあなあで済ませてしまう。<br>  けれども彼は、いつもあなたに対するアンチテーゼの提示を怠らない。それが、わたしがあなたをうらやましく思う理由」<br> <br>  あ、そうだった。弁証法やら何やらって、元々は有希がテーゼとアンチテーゼがどうのこうの言い始めたのがきっかけだったわね。<br>  でも…キョンがいつもあたしにアンチテーゼを示すから、それがうらやましいって? 冗談でしょ。あいつはただ単に口やかましいだけで――。<br> <br> 「ああ、分かりますよ長門さん! わたしもそういう風に思う時がありますもん」<br> <br>  は、はいっ? いきなり何を言い出すのよみくるちゃんまで!?<br> <br> 「わたしがお茶を差し出すと、キョンくんはいつも美味しいですよって褒めてくれます。それは嘘じゃないと思うんですけど、でもやっぱりちょっと物足りないっていうか、もっと真剣にわたしのお茶と向き合ってくれたらいいなって思う部分があって…。<br>  そういう時、つい涼宮さんがうらやましいなって考えちゃったりしますよねえ」<br> 「同意。わたしが推挙した本の内容に関しても、彼はそこまで踏み込んではくれない。わたしはそれが不満」<br> <br>  ほんのわずか唇を尖らせてみせる有希の仕草に、みくるちゃんはそれをなだめるように、うふふと微笑みかけていた。<br>  って、何よこれ! 何なのよこの流れは!? これじゃまるで、あたしがキョンに大切にされてて…それがうらやましいみたいな話の展開になっちゃってんじゃないの!<br> <br>  全然違うわよ、そうじゃないでしょ!? キョンがあたしにいつも難癖を付けてくるのは、あいつが底意地が悪くて心配性で、とにかくあたしの邪魔をしたいだけの事なの!<br>  それはまあ確かに…時たまあいつの言う事にハッとする部分があって、あたしが考えを改めたりするような事も無きにしも非ずなんだけど…。それはあくまでごく稀な、まぐれ当たりみたいな物なんだから!<br> <br>  …ああ、でも古泉くんに「その通りかと」って首肯されるよりは、キョンの奴にあれこれイチャモン付けられた方が妙に納得できるかな。その時は不愉快に感じても、後でつらつら思い返してみるに、あいつはあいつなりにきちんとあたしの意見を受け止めてくれてたんだって気付いたりとか。<br>  キョンはただの雑用係だけど、そこいらの奴とはやっぱりどこか違うのかも。有希も言ってた通り、普通なら面倒がって適当に流したり見放したりするような場面でも、あいつはちゃんと意見を返してくれるし――。<br> <br>  じゃあやっぱりそれは、あいつのアンチテーゼのおかげであたしはジンテーゼを導き出せてるって事になるのかな。あたしにとって、あいつはそんなに重要な存在なのかな…?<br>  むー、とあたしは唇を噛んで、それから大声で扉の向こうに呼び掛けた。<br> <br> 「キョン! 古泉くん! もう入ってきていいわよ、みくるちゃん着替え終わったから!」<br> 「ふええっ!?」<br> <br>  真新しいスカートの裏地の白いヒラヒラを物珍しそうにいじっていたみくるちゃんは、あたしの急な呼び声に驚いたようで、ぴょこんと小さく後ろへ跳ねたわ。そこへ扉が開いて、古泉くんと、そしてキョンが顔を覗かせる。<br>  さあ、どうよ。どうなのよ、あたしがあつらえたみくるちゃんの新メイド服は!<br> <br> 「ははあ、これはまた。いや、実にお見事ですね。上級生にこんな事を申し上げては失礼かもしれませんが…ことのほか可愛らしい。<br>  以前のメイド服にも清楚かつ控えめな魅力がありましたが、今回の衣装には朝比奈さんの小動物的愛らしさを、いやが上にも強調するものがあるように思います。まるで奄美の黒ウサギのようだ」<br> 「やい古泉、俺のセリフを全て先取りするな。これじゃ褒めようが無いだろうが。あー、朝比奈さん」<br> 「はい?」<br> 「その、よくお似合いですよ」<br> 「うふふ、二人ともありがとう。じゃあさっそくお茶を淹れますね♪」<br> <br>  はにかんだ笑顔でいそいそとコンロに向かうみくるちゃんを、だらしなく頬の弛んだ間抜け面で見送るキョン。そうして、あいつは不意にこちらを向いたわ。<br>  ふん、ようやく来るつもりね。みくるちゃんの事は褒めそやしても、どうせあたしにはまた難癖付けてくるんでしょうけど。いいわよ、受けて立ってやろうじゃない。<br> <br> 「ハルヒ」<br> 「………何よ」<br> <br>  何なのよ、言うならさっさと言いなさいっての。こんな風に間を持たされたら、変に意識して、ドギマギしちゃうじゃないのよ。<br> <br> 「まあその、何だ。さっきはアレコレ言っちまったが、実際こうして目の当たりにすると、ぐうの音も出ねえな。<br>  お前の見立ては確かだよ。朝比奈さんの魅力を、完璧に引き出してる。当の朝比奈さんも気に入ってるみたいだし、さすがは団長様!って所だな」<br> <br>  そう言ってこっちに歩み寄ってきたキョンは、でかした!とばかりに、きょとんとしているあたしの肩をパンパンと叩いたのだった。<br>  ………ちょっと。ちょっと何よ、その爽やか笑顔は。言うだけ言ったらさっさと自分の席に戻って、お茶の用意をしてるみくるちゃんの後ろ姿を眺めたりしてるし。一体何なのよキョン、あんたって奴は!<br> <br>  あたしがこうして身構えてる時に限って、普通に褒めてくるなんて。あたしの手腕をきちんと認めてくれるだなんて。<br>  まさか本当に、あたしがテーゼならあんたがアンチテーゼだっての? あたしが納得できるジンテーゼを見つけ出すために、あんたが必要不可欠な存在だって言うの!?<br>  認めないわよ、そんなの! こんな、こんな胸の高鳴りなんて…あたしはぜーったい認めないんだからッ!<br> <br> 「フン、何よキョン! 分かった風な口利いちゃって! どうせあんたの事だから、このフリフリミニスカートとみくるちゃんの生足コラボに悩殺されちゃっただけなんじゃないの?」<br> 「なっ!? バカお前、俺は別にそんなやましい気持ちは…」<br> 「どうだか。でもまあいいわ、このアホが引っ掛かるんならホームページのトップにみくるちゃんのNEWコス写真を置けば、アクセス百倍増は間違いないものね。<br>  って事で、さっそく撮影会を開始するわ! ほらみくるちゃん、お茶なんてあとあと!」<br> 「ひょええええ!?」<br> 「フフ、まことに結構なアイデアかと」<br> 「あ、有希もスターリングインフェルノと、それから壁の仮面持って付いてらっしゃい。うーん、なんだか次の映画のインスピレーションまで湧いて来ちゃったかも!」<br> 「………ユニーク」<br> <br>  唖然とするキョンを尻目に、片手にデジカメ、片手にみくるちゃんの肩を抱いて古泉くんと有希を引き連れたあたしは、意気揚々と扉の方へと向かったわ。<br> <br> 「さてさて、撮影場所はどこが良いかしらね? ゴスロリメイドだからやっぱ食堂? ううん、それよりも茶道部室で畳とのミスマッチなんてのも…」<br> 「おいハルヒ、少しは落ち着けよ。まったく、お茶の一杯くらい楽しんでから行動したってバチは当たらないだろうに」<br> <br>  いかにもやれやれと言いたげな態度でこめかみの辺りに手を添えながら、それでもなんだかんだで後を追うように椅子から立ち上がるキョン。<br>  そんなあいつの胸元に、振り返ったあたしは人差し指の先をビシッと突きつけて、快活にこう命令してやったのだった。<br> <br> 「もっともらしい理屈こねてんじゃないわよ、このバカキョン。昔の人も言ってんでしょ、思い立ったが吉日だって!<br>  それでもまだ文句があるんだったら…まあ、聞くだけは聞いてあげるわ。団長様の度量の大きさに感謝すんのね」<br> 「へいへい」<br> 「分かったらほら、そこのレフ板持って<br>  ど こ ま で も あ た し に 付 い て 来 な さ い っ !!」<br> <br> <br> <br> あたしのアンチテーゼ   おわり</p>

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