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「ある日のこいずみくん保守」(2007/08/30 (木) 11:56:06) の最新版変更点
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<div class="mes"> いつか。<br>
いつか、こんな日が来ると思っていた。<br>
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「長門っ!」<br>
宵闇は秋風を存分に含んで、他に誰もいない校舎の屋上から、見慣れた文芸部員の姿を溶かしていく。<br>
例によって言葉も表情もない。こんな時になってまで、長門有希は挨拶のひとつも言おうとしない。<br>
<br>
「長門! 行かないでくれ! 長門!」<br>
<br>
もう遅い。<br>
頭で解っていても感情がそれを全否定する。<br>
「……」<br>
青白い月光をほのかに映す小さな顔は、確実に何か言おうとしているように見えた。<br>
一年半だぜ。これで俺がこいつの内面を窺い知れてなかったら、今までが全部ウソになっちまう。<br>
<br>
「……さよなら」<br>
長門。<br>
「長門!」<br>
<br>
煌いた砂塵は、次の瞬間には無へと姿を変える。<br>
まるで何もなかったと言わんばかりに、そこには中秋を控えた冷たい月の明かりだけがあった。<br>
<br>
……さよなら。<br>
<br>
たったそれだけかよ。<br>
他にもっと言いたいことがあったんじゃないのか。浮かべたい表情があったんじゃないのか。<br>
<br>
どれだけの言葉を尽くしても伝えられないことがあるように。<br>
どれだけの時を過ごしても足りないように感じるのは、どうしてだ。 <br>
<br>
<br>
一度だけ微風が凪いで、何かが視界をかすめた。<br>
「……?」<br>
<br>
一枚の栞が落ちていた。<br>
<br>
「長、門……」<br>
拾い上げる。<br>
まるで、すべてを証明するかのように、小さな紙片は俺の手に収まっていた。<br>
<br>
「……くっそ……ちくしょう、……バカ野郎」<br>
<br>
信じられないくらい、アホかってくらい、俺はずっと泣き続けた。<br>
月も空も雲も、驚くほどに清浄で、ぞっとするほどに青かった。<br>
<br>
さよなら。<br>
<br>
俺だって言いたかった。<br>
なのに叶わなかったのは、こんなに突然いなくなるなんて思わなかったからだ。<br>
<br>
「バカ野郎……」<br>
自分に向かって悪罵を投げる。<br>
これまで、あいつはどれだけ俺を助けてくれたと思ってるんだ。<br>
命の恩人どころの騒ぎじゃない。本当なら心臓がいくつあっても足りないのに、全部あいつが救ってくれた。全部だ。<br>
なのに結局何一つそれらしい恩返しができなかったじゃねぇか。本当にバカ野郎の思い上がりもいいとこだ。<br>
「ながとぉお」<br>
殴ってやりたいくらいにだらしがなかった。 <br>
心に残ってるだとか、SOS団は永遠に不滅だとか、絆は目に見えないものだとか、そんなのどうでもいい。 <br>
<br>
あいつはもう戻ってこないんだ。<br>
その事実だけが、俺の中の堰を切ったままで、何にもできやしない。<br>
<br>
文芸部室に置物のようにしていつも座っていて、終業時刻まで読書を黙々と続ける姿。<br>
その面影を軸にして、あらゆる情景が記憶の蓋をすり抜けて浮かび上がってくる。<br>
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邂逅をもたらせた五月の日。朝倉と対峙した後ろ姿。野球大会でのインチキ。七夕での冷凍睡眠。ループサマー。<br>
孤島でトランプやってる姿に、文化祭の魔女衣装。雪山で倒れてのっぴきならなくなっちまったこと。<br>
春の一件。朝比奈さんとカレー食べてる光景。<br>
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決定的な昨年末の暴走――、<br>
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「……よかったら」<br>
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今でも夢に現れる、幻としか表現しようのない笑み。<br>
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とうとうあいつは笑顔を浮かべるようなこともなかった。<br>
間違いなく笑いたかっただろう瞬間が、いくつもいくつもあったのに。<br>
<br>
「……ちくしょう」<br>
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気づいたら栞は涙で濡れていて、ともすればその感触を失してしまいそうになる。<br>
忘れるもんかと、しっかりと、それでいて大事に握りしめる。<br>
<br>
「さよなら。長門……」<br>
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誰にも届くはずのない声を。別れの挨拶を。俺は呟いた。<br>
そうして唯一の文芸部員と、俺はさよならをした。 <br>
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<div class="mes">「……というお話を考えまして」<br>
「古泉、今すぐ窓からフルジャンプしろ。俺が許す」 <br>
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<hr></div>
</div>
<div class="mes">「喜緑……くん……?」<br>
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目に飛び込むのは鮮烈なまでに目映い夕陽。<br>
信じられない光景がブッキングして俺の網膜を焦がす。<br>
「会長。わたしからひとつ質問があります」<br>
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その時、俺はどんな顔をしていた。<br>
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「会長は宇宙人なる存在に心当たりはございますか?」<br>
そう言う書記の姿は、足許からゆっくりと、そして確実に拡散し、霧消しはじめていた。<br>
<br>
バカな。<br>
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「喜緑くん! キミは一体……」<br>
「ふふ。会長。秘密を守るのはよい書記の見本ではありませんか?」<br>
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そんなはずはない。<br>
確かにいつも通り、彼女は笑っている。<br>
まして現在進行形で消えているのに、どうしてこんな穏やかにしていられるんだ。<br>
「会長、いくつか隠していたことを謝らなければなりません」<br>
麗容に微笑む彼女の輪郭を、夕陽がシャープに浮上させる。<br>
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二度と忘れられない、と俺は思ったはずだ。<br>
こんな印象的な場面を忘却するほうがどうかしている。<br>
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「わたし、アルバイトしていたことがあるんです」<br>
彼女は上半身だけを微動させた。<br>
そこから下は、もう何も残っていなかった。夕陽に伸びる、木立の影以外に。 <br>
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「本来なら引責辞任ものだったかもしれません」<br>
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朱色に染まっていたのは夕陽による色彩効果か。<br>
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「会長? 宇宙人がいたとして。果たして彼女は誰かに<感情>と呼べる発露を得るでしょうか?」<br>
「喜緑くん。悪ふざけはよしたまえ。何のトリックかは知らないが、私をからかうのは酔狂が過ぎる」<br>
<br>
俺が言うと、喜緑江美里はまた何でもないような平素の笑みを浮かべる。<br>
どうしてだ。どうしてそんな平常心でいられる。<br>
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「一年間。……それはあまりに短く小さな時。無にも等しいかもしれません」<br>
「喜緑くん! いい加減にしたまえ! さもないと――」<br>
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どうするというのだ。<br>
得体の知れない書記職は、得体の知れない何かによって今、まさに消えようとしている。<br>
その場に立ち会っている俺に何が言える?<br>
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「ありがとうございます。会長との時間は、有機体である間、わたしに短く小さな<喜び>を与えました」<br>
「喜緑くん!」<br>
<br>
気づけば、身体が勝手に動き出していた。<br>
後から思えば、誰に動かされたのか解ったものではない。考えたくもない。<br>
<br>
「会長……?」<br>
「…………」<br>
夕陽が瞳を貫くように光を放ち、ゆえに俺は目を閉じた。<br>
彼女をとらえたと思った刹那、それは空を掻いて、現を夢に変える。 <br>
<br>
<br>
「会長…………」<br>
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聞き慣れた声だ。<br>
それは優しく鼓膜を打ち、知らぬ間に、子守唄であるかのように胸に染み渡る。<br>
<br>
「……感謝する」<br>
「わたしは――」<br>
<br>
声も空間にかき消えた。<br>
慌てて俺は閉じていた目を開けた。<br>
<br>
「喜緑くん!」<br>
「 」<br>
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微笑んだ双眸だけが、目に映る総てだった。<br>
そして、まもなくそれは夕陽に昇華され――<br>
<br>
「喜緑くん! どこだ! 帰ってきたまえ!」<br>
俺は何度も彼女の名前を呼んだ。<br>
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誰もいない生徒会室には、やはり誰もいなかった。<br>
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<br>
そうして喜緑江美里は眼前から姿を消したのだった。<br>
不確かな記憶を、俺は時折意図的に引っ張り出す。誰にも気づかれないように。<br>
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そしてあの声を聴くのだ。<br>
確かに、彼女がいた証を。 <br>
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<br>
<div class="mes">「っていうのはどうでしょうね。果てしなくオイシイですよ」<br>
「古泉、私の全権限をもって貴様を血祭りに上げる」 </div>
</div>