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「とある2月14日の断片」(2007/06/03 (日) 11:42:31) の最新版変更点
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<br>
とある2月14日の断片<br>
<br>
蚊帳の外と内。<br>
組織と個人と立ち位置。<br>
愛情と友情。<br>
敵と味方。<br>
策略と対立と協調。<br>
守りたいものと必要な犠牲。<br>
未知と既知。<br>
不確かな未来と不確かな過去。<br>
それでも、確かな決意。<br>
<br>
・<br>
・<br>
・<br>
・<br>
・<br>
<br>
<br>
キョンは、勤務先から自宅に帰る途中、長門有希に会った。<br>
(キョン)「よぉ、長門。久しぶりだな」<br>
(長門有希)「久しぶり」<br>
長門有希は、包装された小箱を差し出した。<br>
(長門有希)「これ」<br>
(キョン)「なんだ、これは?」<br>
(長門有希)「今日は2月14日」<br>
(キョン)「ああ、そうか。そうだな……」<br>
キョンはいささか複雑な表情でそう答えた。<br>
小箱の中身は、チョコレートなのだろう。<br>
(長門有希)「お返しはいらない」<br>
(キョン)「そういわけにもいかんだろ。こういうのは、形だけでも……」<br>
(長門有希)「あなたは、妻である涼宮ハルヒを尊重すべき」<br>
(キョン)「いや、確かにそうだけどな……」<br>
<br>
長門有希は、キョンの反論を聞かずに立ち去ろうとして、ふと立ち止まった。<br>
しかし、それは一瞬のことで、足早に去っていった。<br>
<br>
彼女は、彼に警告を告げようとして止めたのだった。<br>
彼を不安にはさせたくなかったから。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
キョンが自宅に帰ると、涼宮ハルヒが待ち構えていた。<br>
キョンはなんとなく後ろめたい気がして、小箱を後ろに隠す。<br>
(涼宮ハルヒ)「隠さなくてもいいわよ。有希にもらったんでしょ? さっきまでそのことについて話してたのよ」<br>
(キョン)「そうか……」<br>
(涼宮ハルヒ)「有希、なんていってた?」<br>
(キョン)「お返しはいらないとさ」<br>
(涼宮ハルヒ)「そう……やっぱり、有希は今でもあんたのことが好きなのね……」<br>
長門有希は、それが本命チョコだからこそ、お返しの拒否をはっきりと宣言したのだった。<br>
もう彼は妻がいる身であるから。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
川沿いの桜並木。<br>
朝比奈みくるがベンチに座っていると、見慣れた姿の人物が近づいてきた。<br>
<br>
(古泉一樹)「今日はどんな任務でこちらへ?」<br>
古泉一樹が単刀直入にたずねる。<br>
<br>
朝比奈みくるは、微笑んだ。見る者すべてを恋に落としそうな微笑。<br>
それは、彼女の組織における彼女の評判を彷彿とさせるものだった。<br>
<br>
朝比奈みくるの時間工作員としての唯一の欠点は、女性としての魅力がありすぎること。<br>
<br>
(朝比奈みくる)「ただの散歩ですよ」<br>
(古泉一樹)「時空を超えた散歩とは、剛毅ですね」<br>
古泉一樹は、朝比奈みくるの言葉などまるっきり信じていないような口調で、そう言い放った。<br>
朝比奈みくるは、時間工作任務でここに来ている。<br>
今も、現代の技術では傍受不可能な通信手段を用いて、部下たちを指揮統制しているに違いないのであった。<br>
<br>
(朝比奈みくる)「バレンタインデーもまもなく終わろうというのに、古泉君はお仕事ですか?」<br>
(古泉一樹)「ええ。あなたがたのせいでね。時間工作活動が行なわれているとなれば、『機関』も対抗措置をとらなければなりませんから」<br>
「機関」はあからさまに朝比奈みくるの未来組織を敵視していた。未来の操り人形になるのはごめんだという極めて自然な感情の発露として。<br>
しかし、未来組織にとっては、「機関」も工作対象の一つでしかなく、敵対しているつもりなどまるでない。<br>
未来組織のそういう態度が「機関」をますますいらだたせているというのが現状だった。<br>
<br>
古泉一樹は何とか口を割らせようといろいろと誘導尋問を試みるが、朝比奈みくるが口をすべらすことはなかった。<br>
この間にも、森園生が「機関」の人員を動員して、時間工作員たちの動きを探り出そうとしているはずだ。<br>
すべては後手後手なのだが、主導権が未来組織側にある以上、いかんともしがたいところがあった。<br>
<br>
<br>
(朝比奈みくる)「古泉君は、今年はチョコレートをもらえる当てはあるんですか?」<br>
(古泉一樹)「ないですね」<br>
(朝比奈みくる)「森さんとは全然進展してないんですか? 古泉君も案外奥手なんですね」<br>
<br>
古泉一樹は、涼宮ハルヒへの恋が破れて以降、いささか慎重になりすぎる傾向がないではなかった。<br>
そして、森園生は、生粋の「機関」員であり、恋愛については最初からあきらめているようなところがあった。<br>
朝比奈みくるは、二人の仲に干渉する必要性について検討すべきだろうかと思い始めていた。<br>
将来「機関」総帥となる女性に夫がいる場合といない場合とで、規定事項にどのような影響があるのか、一度はシミュレーションしてみる必要があるように思われた。<br>
<br>
(古泉一樹)「僕が奥手なのは否定はしませんが、相手も手ごわいんでね。僕と彼女との関係が、規定事項に何かかかわりでも?」<br>
(朝比奈みくる)「私は、友人のことを心配していっているんですよ。そういう言い方をするなんて、古泉君も随分とひねくれちゃったんじゃないですか?」<br>
(古泉一樹)「ひねくれた性格は元からです。あなたみたいな人を相手にしてると、ますます磨きがかかってしまいましてね。それに、ひねくれたといえば、あなたの方がより顕著だと思いますが。あのころの純真なあなたはどこに行ってしまわれたのか」<br>
皮肉の利いた物言いに対しても、朝比奈みくるの微笑は崩れない。<br>
(朝比奈みくる)「時間移動を繰り返すうちに、時空の狭間にでも飛んでいってしまったのでしょう」<br>
それは皮肉ではなく、紛れもない本音だった。朝比奈みくるは、時間工作の経験をつむたびに、自分が汚れていくのを自覚していた。<br>
それでも、それをやめないのは、そこまでしてでも守りたいものがあるから。<br>
(古泉一樹)「ところで、朝比奈さんこそ、チョコレートを贈るお相手はいらっしゃらないのですか?」<br>
(朝比奈みくる)「今回の任務が終わったら、部下たちにはふるまうつもりではおりますよ。日ごろから苦労をかけてますからね」<br>
(古泉一樹)「本命はなしですか」<br>
(朝比奈みくる)「そうね。初恋の終わりとともに、もうそういうことには興味がもてなくなっちゃったわ」<br>
(古泉一樹)「そうですか。長門さんといい、あなたといい、『彼』も罪な人だ」<br>
<br>
<br>
しばし、沈黙。<br>
<br>
(古泉一樹)「ああ、そうだ。忘れるところでしたが、今回の件とは別件で、あなたに確認したいことがあるんですよ」<br>
(朝比奈みくる)「何でしょうか?」<br>
(古泉一樹)「ご存知でしょうが、涼宮さんは現在妊娠中でしてね。まあ、それ自体はおめでたいことなのですが、妊娠中というのは精神状態が不安定になりやすいです。<br>
この機会に敵対勢力が干渉してくる可能性について、あなたがたの組織はどう見ているのかを確認したいのですよ。未知の敵が現れないとも限りませんし」<br>
(朝比奈みくる)「涼宮さんの妊娠期間中の時間帯については、監視体制を強化中です。今のところ、特に敵対勢力の干渉行為は観測されてません」<br>
(古泉一樹)「そうですか。ならば、一安心ですね。僕も警戒態勢はとっているのですが、未来からの干渉は厄介ですから」<br>
(朝比奈みくる)「何かあれば、古泉君と長門さんにもお知らせしますよ」<br>
<br>
<br>
「そうしてもらえるとありがたい」<br>
<br>
<br>
突然降り注いだ声に、二人は思わずそちらを向いた。<br>
そこには、長門有希がいた。少なくてもそれまでは気配が全くなかった。忽然と現れたとしかいいようがない。<br>
<br>
<br>
(朝比奈みくる)「長門さん。お久しぶりですね。涼宮さんたちのところにいたのではなかったのですか?」<br>
(長門有希)「空間移動を使用した。今の私には申請なしで空間移動を自由に使えるだけの権限が与えられている」<br>
(朝比奈みくる)「涼宮さんたちのところから離れてもいいですか?」<br>
(長門有希)「涼宮ハルヒ及び『彼』の周囲には、常に複数のインターフェースを配置して警戒に当たらせている。問題はない」<br>
(朝比奈みくる)「そうですか」<br>
(長門有希)「あなたにひとつ確認したいことがある」<br>
(朝比奈みくる)「何でしょうか?」<br>
(長門有希)「あなたの部下たちがさきほど殺害した人間たちの素性について知りたい」<br>
朝比奈みくるは、苦笑を浮かべた。<br>
(朝比奈みくる)「『機関』の方はうまくかわしたと思ったんですけどね。長門さんの目はごまかせませんでしたか」<br>
(古泉一樹)「どういうことです?」<br>
古泉一樹が怪訝そうな顔で、そう尋ねる。<br>
(朝比奈みくる)「現在、森さんの部下が追跡しているのは、すべてこちらの囮要員ですよ。本隊は、既に任務を完了して帰還してます」<br>
<br>
古泉一樹は絶句した。<br>
<br>
(朝比奈みくる)「どうしても話さなければ駄目ですか? 長門さんの情報分析能力を用いれば、それぐらいは簡単に分かると思うですが」<br>
(長門有希)「あなたに直接訊いた方がより簡便。それに、状況が不安定化する可能性がある現状では、情報を共有化した方がよいと判断した」<br>
長門有希はそういって、古泉一樹の方に視線を向けた。<br>
(古泉一樹)「ご配慮いただけるとはありがたいですね」<br>
(朝比奈みくる)「任務に関することを外部に話すのは、越権行為なんですがね」<br>
(長門有希)「あなたには、SOS団関連事項についてある程度の裁量権が付与されているはず」<br>
(朝比奈みくる)「そうですね。そういう言い訳で通してみることにしますか。上層部には理解のある知り合いもおりますから、なんとかなるでしょう」<br>
<br>
<br>
そして、朝比奈みくるは、説明を始めた。<br>
<br>
(朝比奈みくる)「結論からいえば、殺害されたのは、私たちの敵対組織の残党グループです。全く活動を停止してこの時代に潜伏していたのでこれまで全く気づかなかったのですが、最近になって活動し始めたために、こちらの監視網に引っかかりましてね。<br>
何かよからぬことをしでかす前に対処しておいた方がいいだろうというのが、上部の決定でした。未来人同士の問題ですから『機関』の横槍は避けたいということで、対『機関』工作で実績のある私に白羽の矢がたったんですよ」<br>
(古泉一樹)「そして、我々はまんまと囮に引っかかったというわけですか。長門さんがここに来なければ、真相を知らされることすらなかったというわけですね」<br>
(朝比奈みくる)「私たちは基本的に秘密主義ですから」<br>
(長門有希)「その残党は、涼宮ハルヒの妊娠状態にあわせて何らかの行動を起こす予定だったのか?」<br>
(朝比奈みくる)「さあ、それは分かりません。情報を得る前に、殺してしまいましたからね。できれば、捕縛して情報をとりたかったのですが、抵抗が激しくて、部下たちの禁則事項──殺人禁止条項──を解除せざるを得ませんでした」<br>
(長門有希)「状況は了解した。これからも、あなたには積極的な情報開示を要望する。涼宮ハルヒの保全を図るという点では、『私たち』の目的は一致しているはず」<br>
(朝比奈みくる)「私の権限内でできることについては努力いたしましょう」<br>
<br>
(古泉一樹)「情報の共有ということであれば、彼にも話しておいた方がいいのではないでしょうか?」<br>
(朝比奈みくる)「私は反対ですね。キョン君は、涼宮さん以上にイレギュラーを起こしやすい人です。不確実な情報を与えれば、かえって状況を混乱させるだけですよ。むしろ、敵対勢力に付け入る隙を与えることになります」<br>
(長門有希)「私も、その意見に同意する。それに、不確実な情報で『彼』を不安にさせることはしたくない」<br>
(古泉一樹)「仲間はずれにしていると、いざ事が起こったときに彼は怒り狂いますよ」<br>
(長門有希)「事が起こらなければ問題は発生しない。その可能性のひとつは、さきほど朝比奈みくるによって未然に防がれた。我々は、まずすべてが杞憂に終わるように努力すべき」<br>
(古泉一樹)「多数決ではかなわないようですね。まあ、いいでしょう。今回は多数意見に従うことにいたしますか」<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
キョンは、目の前の光景に思わず立ちすくんだ。<br>
(キョン)「なんだ、これは?」<br>
(涼宮ハルヒ)「見てのとおり、チョコのフルコースよ! 有希のより絶対においしいんだから! 感激のあまり涙にむせびながら食べなさい!」<br>
本来夕食が並んでいるはずのテーブルの上には、板チョコから始まって、チョコケーキ、チョコクッキー、チョコバナナ……果てはチョコ鍋(?)まで、チョコ料理がずらりと並べられていた。<br>
(キョン)「みんなおまえが作ったのか?」<br>
(涼宮ハルヒ)「そうよ! 文句ある?」<br>
(キョン)「あのなぁ。妊娠中なんだから、あんまり無理すんなよ」<br>
(涼宮ハルヒ)「……うん……」<br>
てっきり文句を言われるかと思っていた涼宮ハルヒは、悄然とした表情でうなずいた。<br>
(キョン)「まあ、せっかく作ってくれたんだから食わせてもらうか」<br>
涼宮ハルヒに笑顔が戻った。<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
長門有希は、自宅に帰ると、部下のインターフェースたちからの報告を受けた。<br>
保全対象に、異常なし。<br>
<br>
そして、間接観測を開始する。<br>
『彼』と涼宮ハルヒは、相変わらず仲のよい夫婦であるという事実を確認する。<br>
まことに結構なことだった。<br>
そこに、喜緑江美里が訪ねてきた。<br>
(喜緑江美里)「こんばんは」<br>
長門有希は黙ってうなずいてから、端的に尋ねる。<br>
(長門有希)「用件は?」<br>
(喜緑江美里)「監査役として、プレジデントに勧告をしに来ました」<br>
<br>
プレジデント。<br>
それは、地球上に存在するすべての対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースの最高統括指揮権限者を示す言葉。<br>
そして、喜緑江美里は、そのプレジデントに対する勧告権をもつ唯一のインターフェースであった。<br>
<br>
長門有希は黙って後を促した。<br>
(喜緑江美里)「観測対象に対する過剰な刺激は避けるように」<br>
数時間前の涼宮ハルヒ及びキョンに対する行為に関しての勧告だというのはすぐに分かった。<br>
「過剰」という言葉はそれこそ過剰なような気がするが、いいたいことは分からぬではない。<br>
妊娠状態にある涼宮ハルヒを刺激するのは避けた方がいいのは確かである。<br>
あの二人がいくら優しいからといって、自分はいささか甘えすぎな傾向がある。自重しなければならない。<br>
二人の幸福を保全すると決意したのは、ほかならぬ自分であるのだから。<br>
だから、ただ一言だけ返答する。<br>
<br>
(長門有希)「了解した」<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
古泉一樹は、「機関」のアジトで、不機嫌な上司の相手をしていた。<br>
(森園生)「我々は、朝比奈みくるにまんまといっぱい食わされたわけね」<br>
(古泉一樹)「結論としてはそういうことになりますね。でも、代わりに有力な情報が得られたので、差し引き0では?」<br>
(森園生)「その情報とて、あのTFEIがいなければ得られなかった。あれはあれで警戒する必要がある。彼女が本気になれば、たった一人で『機関』を意のままにすらできるんですからね」<br>
(古泉一樹)「そうですね」<br>
(森園生)「まったく、気に入らないわね」<br>
(古泉一樹)「他の二勢力に比べれば、『機関』が不利なのは昔から分かっていたことです。いまさらですよ」<br>
宇宙からも未来からも、今のこの世界を守りたい。<br>
森園生のその決意は、古泉一樹も共有するところではあるが、不利な状況はいかんともしがたかった。<br>
(森園生)「とにかく、敵対勢力が動いていたことが判明した以上は、涼宮ハルヒの周辺警備体制を強化しておきなさい」<br>
(古泉一樹)「そのように手配しておきます。長門さんの方でも警戒はしているようですが、念には念を押しておきましょう。いざ事が起こったときに、現地にこちらの手駒が少ないという事態は避けたいところですし」<br>
(森園生)「あとは、朝比奈みくる対応の方ね。抜本的に対策を練る必要があるわ」<br>
森園生は、依然として、不機嫌な表情のままであった。<br>
(古泉一樹)「少し冷静になられた方がよろしいのでは? 乱れた心ではいいアイデアも浮かびません。いささか遅くなってしまいましたが、これからディナーでもいかがですか? 今日は、僕がおごりますよ」<br>
(森園生)「新川」<br>
それまで黙って待機していた新川が答える。<br>
(新川)「はっ」<br>
(森園生)「車を出しなさい」<br>
(新川)「かしこまりました」<br>
<br>
結局のところ、三人での夕食となるのであった。<br>
それでも、古泉一樹に不満はなかった。<br>
「機関」の有力派閥のボスである森園生に最も近いポジションを確保しているのは、自分であるのだから。<br>
そのポジションはロマンチックな意味合いとは程遠いものではあったが、それでも他者よりは有利に違いない。<br>
まあ、見目麗しくても性格のきついこの女性を好きになるような物好きは、そうはいないであろうが。<br>
<br>
<br>
<br>
未来。<br>
地球衛星軌道、「機関」時空工作部第二軌道基地。<br>
<br>
任務を終えて自分の時代に帰還した朝比奈みくるは、ある老人の出迎えを受けた。<br>
「機関」時空工作部の最高権力の一端を担う長老は、淡々とした声で、こう告げてきた。<br>
<br>
「上級工作員朝比奈みくるの情報漏洩行為には、裁量権逸脱の疑いがある。よって、最高評議会において審問を行なう。1時間後に出頭せよ」<br>
<br>
朝比奈みくるは、あえて堅苦しい口調でこう答えた。<br>
<br>
「かしこまりました。長門有希最高評議員殿」<br>
<br>
<br>
自室に戻った長門有希最高評議員は、本を読み始めた。<br>
審問については全く心配していない。朝比奈みくるには、それを乗り切れるだけの力量がある。<br>
いざとなければ、自分の能力で他の評議員の精神を操ってしまうことも可能だ。<br>
「彼」と涼宮ハルヒの子孫である朝比奈みくるを守るためならば、そのぐらいの労をとることにためらいはない。<br>
それは、涼宮ハルヒの子孫の保全という自分の任務に合致する行為でもある。<br>
<br>
<br>
<br>
朝比奈みくるは、そのまま自室に戻った。<br>
審問については全く心配していない。乗り切れる自信はある。こんなことは今まで何度もあったことだ。<br>
今まで軽微事案で戒告処分を受けたことは何度もあったが、重大事案で懲罰を受けたことは皆無であった。<br>
<br>
情報通信デバイスを通じて、不在中の出来事を確認する。<br>
朝比奈みくるに関係するのは1件。地球からカカオパウダーが届いたということだけだった。<br>
審問が無事終わったら、義理チョコの作成に取りかかる予定だ。明日までかかるだろう。彼女が今いる時間は、地球標準時ではまだ2月13日であった。<br>
カカオパウダーから作るというのはかなり本格的だが、義理チョコとて手を抜くつもりはないというのは、いかにも彼女らしいとはいえた。<br>
<br>
審問までまだ時間があったので、先に帰還していた副官の古泉茂樹を呼びつける。<br>
(古泉茂樹)「何か御用ですか?」<br>
彼は、見れば見るほど、古泉一樹にそっくりだった。<br>
今回の任務では彼には本隊の直接指揮を任せていた。朝比奈みくるは、全体の統括指揮と囮部隊の直接指揮をとっていたのだった。<br>
(朝比奈みくる)「あなたの先祖、あのままだとくっつきそうにないわよ」<br>
(古泉茂樹)「おやおや、それは一大事ですね」<br>
(朝比奈みくる)「規定事項管理局にその辺も含めてシミュレーションをかけるようにねじ込んできなさい。私の要請だといってかまいません」<br>
(古泉茂樹)「かしこまりました。そこまで御配慮いただけるとはありがたいですね」<br>
(朝比奈みくる)「あなたが消えてしまったら、私の仕事が倍に増えますからね」<br>
この世界と思い出を守り続けるために、有能な副官の存在は有用なものであるから。<br>
<br>
<br>
(古泉茂樹)「では、さっそく行ってまいります」<br>
古泉茂樹は去ろうとしたが、ふと立ち止まった。<br>
(古泉茂樹)「あっ、そうそう。部下たちはみな、明日のあなたからのプレゼントを心待ちにしておりますよ。もちろん、私も」<br>
(朝比奈みくる)「いっておくけど、全部義理よ」<br>
(古泉茂樹)「分かってますよ。私は、あなたにフラれた身ですからね。でも、正直なところ、まだあきらめてはいませんが」<br>
(朝比奈みくる)「それが、上級工作員への昇級を拒否して私の副官にとどまっている理由? いくら待っても結論は同じよ」<br>
(古泉茂樹)「少なくてもあなたの夫となる幸福な男が現れるまでは、あなたに最も近いこのポジションを他人に明け渡す気はありません」<br>
古泉茂樹は、そういい残すと去っていった。<br>
<br>
<br>
<br>
いくら愛妻家であるキョンでも、さすがに、チョコのフルコースを平らげることはできなかった。<br>
残った大量のチョコは、冷蔵庫に入れられた。今後しばらくは、おやつの類はすべてチョコになりそうだ。<br>
<br>
涼宮ハルヒは、チョコを冷蔵庫に入れ終わると、しばしぼうっとしていた。<br>
<br>
(キョン)「ん、どうした、ハルヒ?」<br>
(涼宮ハルヒ)「みんな、今ごろどうしてるかなと思って……」<br>
(キョン)「元気にやってるだろ。なんだったら、適当な口実をつけて、呼びつけてやればいい。団長殿が一声かければ、みんなかけつけてくるさ」<br>
(涼宮ハルヒ)「うん、そうね」<br>
彼女の顔に笑顔が戻る。<br>
(キョン)「だけど、今はあんまり無理すんなよ。大騒ぎするのは、子供を無事に生んでからだ」<br>
(涼宮ハルヒ)「分かってるわよ」<br>
<br>
終わり<br>
<br>
<p><br />
とある2月14日の断片<br />
<br />
蚊帳の外と内。<br />
組織と個人と立ち位置。<br />
愛情と友情。<br />
敵と味方。<br />
策略と対立と協調。<br />
守りたいものと必要な犠牲。<br />
未知と既知。<br />
不確かな未来と不確かな過去。<br />
それでも、確かな決意。<br />
<br />
・<br />
・<br />
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キョンは、勤務先から自宅に帰る途中、長門有希に会った。<br />
(キョン)「よぉ、長門。久しぶりだな」<br />
(長門有希)「久しぶり」<br />
長門有希は、包装された小箱を差し出した。<br />
(長門有希)「これ」<br />
(キョン)「なんだ、これは?」<br />
(長門有希)「今日は2月14日」<br />
(キョン)「ああ、そうか。そうだな……」<br />
キョンはいささか複雑な表情でそう答えた。<br />
小箱の中身は、チョコレートなのだろう。<br />
(長門有希)「お返しはいらない」<br />
(キョン)「そういわけにもいかんだろ。こういうのは、形だけでも……」<br />
(長門有希)「あなたは、妻である涼宮ハルヒを尊重すべき」<br />
(キョン)「いや、確かにそうだけどな……」<br />
<br />
長門有希は、キョンの反論を聞かずに立ち去ろうとして、ふと立ち止まった。<br />
しかし、それは一瞬のことで、足早に去っていった。<br />
<br />
彼女は、彼に警告を告げようとして止めたのだった。<br />
彼を不安にはさせたくなかったから。<br />
<br />
<br />
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<br />
キョンが自宅に帰ると、涼宮ハルヒが待ち構えていた。<br />
キョンはなんとなく後ろめたい気がして、小箱を後ろに隠す。<br />
(涼宮ハルヒ)「隠さなくてもいいわよ。有希にもらったんでしょ? さっきまでそのことについて話してたのよ」<br />
(キョン)「そうか……」<br />
(涼宮ハルヒ)「有希、なんていってた?」<br />
(キョン)「お返しはいらないとさ」<br />
(涼宮ハルヒ)「そう……やっぱり、有希は今でもあんたのことが好きなのね……」<br />
長門有希は、それが本命チョコだからこそ、お返しの拒否をはっきりと宣言したのだった。<br />
もう彼は妻がいる身であるから。<br />
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川沿いの桜並木。<br />
朝比奈みくるがベンチに座っていると、見慣れた姿の人物が近づいてきた。<br />
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(古泉一樹)「今日はどんな任務でこちらへ?」<br />
古泉一樹が単刀直入にたずねる。<br />
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朝比奈みくるは、微笑んだ。見る者すべてを恋に落としそうな微笑。<br />
それは、彼女の組織における彼女の評判を彷彿とさせるものだった。<br />
<br />
朝比奈みくるの時間工作員としての唯一の欠点は、女性としての魅力がありすぎること。<br />
<br />
(朝比奈みくる)「ただの散歩ですよ」<br />
(古泉一樹)「時空を超えた散歩とは、剛毅ですね」<br />
古泉一樹は、朝比奈みくるの言葉などまるっきり信じていないような口調で、そう言い放った。<br />
朝比奈みくるは、時間工作任務でここに来ている。<br />
今も、現代の技術では傍受不可能な通信手段を用いて、部下たちを指揮統制しているに違いないのであった。<br />
<br />
(朝比奈みくる)「バレンタインデーもまもなく終わろうというのに、古泉君はお仕事ですか?」<br />
(古泉一樹)「ええ。あなたがたのせいでね。時間工作活動が行なわれているとなれば、『機関』も対抗措置をとらなければなりませんから」<br />
「機関」はあからさまに朝比奈みくるの未来組織を敵視していた。未来の操り人形になるのはごめんだという極めて自然な感情の発露として。<br />
しかし、未来組織にとっては、「機関」も工作対象の一つでしかなく、敵対しているつもりなどまるでない。<br />
未来組織のそういう態度が「機関」をますますいらだたせているというのが現状だった。<br />
<br />
古泉一樹は何とか口を割らせようといろいろと誘導尋問を試みるが、朝比奈みくるが口をすべらすことはなかった。<br />
この間にも、森園生が「機関」の人員を動員して、時間工作員たちの動きを探り出そうとしているはずだ。<br />
すべては後手後手なのだが、主導権が未来組織側にある以上、いかんともしがたいところがあった。<br />
<br />
<br />
(朝比奈みくる)「古泉君は、今年はチョコレートをもらえる当てはあるんですか?」<br />
(古泉一樹)「ないですね」<br />
(朝比奈みくる)「森さんとは全然進展してないんですか? 古泉君も案外奥手なんですね」<br />
<br />
古泉一樹は、涼宮ハルヒへの恋が破れて以降、いささか慎重になりすぎる傾向がないではなかった。<br />
そして、森園生は、生粋の「機関」員であり、恋愛については最初からあきらめているようなところがあった。<br />
朝比奈みくるは、二人の仲に干渉する必要性について検討すべきだろうかと思い始めていた。<br />
将来「機関」総帥となる女性に夫がいる場合といない場合とで、規定事項にどのような影響があるのか、一度はシミュレーションしてみる必要があるように思われた。<br />
<br />
(古泉一樹)「僕が奥手なのは否定はしませんが、相手も手ごわいんでね。僕と彼女との関係が、規定事項に何かかかわりでも?」<br />
(朝比奈みくる)「私は、友人のことを心配していっているんですよ。そういう言い方をするなんて、古泉君も随分とひねくれちゃったんじゃないですか?」<br />
(古泉一樹)「ひねくれた性格は元からです。あなたみたいな人を相手にしてると、ますます磨きがかかってしまいましてね。それに、ひねくれたといえば、あなたの方がより顕著だと思いますが。あのころの純真なあなたはどこに行ってしまわれたのか」<br />
皮肉の利いた物言いに対しても、朝比奈みくるの微笑は崩れない。<br />
(朝比奈みくる)「時間移動を繰り返すうちに、時空の狭間にでも飛んでいってしまったのでしょう」<br />
それは皮肉ではなく、紛れもない本音だった。朝比奈みくるは、時間工作の経験をつむたびに、自分が汚れていくのを自覚していた。<br />
それでも、それをやめないのは、そこまでしてでも守りたいものがあるから。<br />
(古泉一樹)「ところで、朝比奈さんこそ、チョコレートを贈るお相手はいらっしゃらないのですか?」<br />
(朝比奈みくる)「今回の任務が終わったら、部下たちにはふるまうつもりではおりますよ。日ごろから苦労をかけてますからね」<br />
(古泉一樹)「本命はなしですか」<br />
(朝比奈みくる)「そうね。初恋の終わりとともに、もうそういうことには興味がもてなくなっちゃったわ」<br />
(古泉一樹)「そうですか。長門さんといい、あなたといい、『彼』も罪な人だ」<br />
<br />
<br />
しばし、沈黙。<br />
<br />
(古泉一樹)「ああ、そうだ。忘れるところでしたが、今回の件とは別件で、あなたに確認したいことがあるんですよ」<br />
(朝比奈みくる)「何でしょうか?」<br />
(古泉一樹)「ご存知でしょうが、涼宮さんは現在妊娠中でしてね。まあ、それ自体はおめでたいことなのですが、妊娠中というのは精神状態が不安定になりやすいです。<br />
この機会に敵対勢力が干渉してくる可能性について、あなたがたの組織はどう見ているのかを確認したいのですよ。未知の敵が現れないとも限りませんし」<br />
(朝比奈みくる)「涼宮さんの妊娠期間中の時間帯については、監視体制を強化中です。今のところ、特に敵対勢力の干渉行為は観測されてません」<br />
(古泉一樹)「そうですか。ならば、一安心ですね。僕も警戒態勢はとっているのですが、未来からの干渉は厄介ですから」<br />
(朝比奈みくる)「何かあれば、古泉君と長門さんにもお知らせしますよ」<br />
<br />
<br />
「そうしてもらえるとありがたい」<br />
<br />
<br />
突然降り注いだ声に、二人は思わずそちらを向いた。<br />
そこには、長門有希がいた。少なくてもそれまでは気配が全くなかった。忽然と現れたとしかいいようがない。<br />
<br />
<br />
(朝比奈みくる)「長門さん。お久しぶりですね。涼宮さんたちのところにいたのではなかったのですか?」<br />
(長門有希)「空間移動を使用した。今の私には申請なしで空間移動を自由に使えるだけの権限が与えられている」<br />
(朝比奈みくる)「涼宮さんたちのところから離れてもいいですか?」<br />
(長門有希)「涼宮ハルヒ及び『彼』の周囲には、常に複数のインターフェースを配置して警戒に当たらせている。問題はない」<br />
(朝比奈みくる)「そうですか」<br />
(長門有希)「あなたにひとつ確認したいことがある」<br />
(朝比奈みくる)「何でしょうか?」<br />
(長門有希)「あなたの部下たちがさきほど殺害した人間たちの素性について知りたい」<br />
朝比奈みくるは、苦笑を浮かべた。<br />
(朝比奈みくる)「『機関』の方はうまくかわしたと思ったんですけどね。長門さんの目はごまかせませんでしたか」<br />
(古泉一樹)「どういうことです?」<br />
古泉一樹が怪訝そうな顔で、そう尋ねる。<br />
(朝比奈みくる)「現在、森さんの部下が追跡しているのは、すべてこちらの囮要員ですよ。本隊は、既に任務を完了して帰還してます」<br />
<br />
古泉一樹は絶句した。<br />
<br />
(朝比奈みくる)「どうしても話さなければ駄目ですか? 長門さんの情報分析能力を用いれば、それぐらいは簡単に分かると思うですが」<br />
(長門有希)「あなたに直接訊いた方がより簡便。それに、状況が不安定化する可能性がある現状では、情報を共有化した方がよいと判断した」<br />
長門有希はそういって、古泉一樹の方に視線を向けた。<br />
(古泉一樹)「ご配慮いただけるとはありがたいですね」<br />
(朝比奈みくる)「任務に関することを外部に話すのは、越権行為なんですがね」<br />
(長門有希)「あなたには、SOS団関連事項についてある程度の裁量権が付与されているはず」<br />
(朝比奈みくる)「そうですね。そういう言い訳で通してみることにしますか。上層部には理解のある知り合いもおりますから、なんとかなるでしょう」<br />
<br />
<br />
そして、朝比奈みくるは、説明を始めた。<br />
<br />
(朝比奈みくる)「結論からいえば、殺害されたのは、私たちの敵対組織の残党グループです。全く活動を停止してこの時代に潜伏していたのでこれまで全く気づかなかったのですが、最近になって活動し始めたために、こちらの監視網に引っかかりましてね。<br />
何かよからぬことをしでかす前に対処しておいた方がいいだろうというのが、上部の決定でした。未来人同士の問題ですから『機関』の横槍は避けたいということで、対『機関』工作で実績のある私に白羽の矢がたったんですよ」<br />
(古泉一樹)「そして、我々はまんまと囮に引っかかったというわけですか。長門さんがここに来なければ、真相を知らされることすらなかったというわけですね」<br />
(朝比奈みくる)「私たちは基本的に秘密主義ですから」<br />
(長門有希)「その残党は、涼宮ハルヒの妊娠状態にあわせて何らかの行動を起こす予定だったのか?」<br />
(朝比奈みくる)「さあ、それは分かりません。情報を得る前に、殺してしまいましたからね。できれば、捕縛して情報をとりたかったのですが、抵抗が激しくて、部下たちの禁則事項──殺人禁止条項──を解除せざるを得ませんでした」<br />
(長門有希)「状況は了解した。これからも、あなたには積極的な情報開示を要望する。涼宮ハルヒの保全を図るという点では、『私たち』の目的は一致しているはず」<br />
(朝比奈みくる)「私の権限内でできることについては努力いたしましょう」<br />
<br />
(古泉一樹)「情報の共有ということであれば、彼にも話しておいた方がいいのではないでしょうか?」<br />
(朝比奈みくる)「私は反対ですね。キョン君は、涼宮さん以上にイレギュラーを起こしやすい人です。不確実な情報を与えれば、かえって状況を混乱させるだけですよ。むしろ、敵対勢力に付け入る隙を与えることになります」<br />
(長門有希)「私も、その意見に同意する。それに、不確実な情報で『彼』を不安にさせることはしたくない」<br />
(古泉一樹)「仲間はずれにしていると、いざ事が起こったときに彼は怒り狂いますよ」<br />
(長門有希)「事が起こらなければ問題は発生しない。その可能性のひとつは、さきほど朝比奈みくるによって未然に防がれた。我々は、まずすべてが杞憂に終わるように努力すべき」<br />
(古泉一樹)「多数決ではかなわないようですね。まあ、いいでしょう。今回は多数意見に従うことにいたしますか」<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
キョンは、目の前の光景に思わず立ちすくんだ。<br />
(キョン)「なんだ、これは?」<br />
(涼宮ハルヒ)「見てのとおり、チョコのフルコースよ! 有希のより絶対においしいんだから! 感激のあまり涙にむせびながら食べなさい!」<br />
本来夕食が並んでいるはずのテーブルの上には、板チョコから始まって、チョコケーキ、チョコクッキー、チョコバナナ……果てはチョコ鍋(?)まで、チョコ料理がずらりと並べられていた。<br />
(キョン)「みんなおまえが作ったのか?」<br />
(涼宮ハルヒ)「そうよ! 文句ある?」<br />
(キョン)「あのなぁ。妊娠中なんだから、あんまり無理すんなよ」<br />
(涼宮ハルヒ)「……うん……」<br />
てっきり文句を言われるかと思っていた涼宮ハルヒは、悄然とした表情でうなずいた。<br />
(キョン)「まあ、せっかく作ってくれたんだから食わせてもらうか」<br />
涼宮ハルヒに笑顔が戻った。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
長門有希は、自宅に帰ると、部下のインターフェースたちからの報告を受けた。<br />
保全対象に、異常なし。<br />
<br />
そして、間接観測を開始する。<br />
『彼』と涼宮ハルヒは、相変わらず仲のよい夫婦であるという事実を確認する。<br />
まことに結構なことだった。<br />
そこに、喜緑江美里が訪ねてきた。<br />
(喜緑江美里)「こんばんは」<br />
長門有希は黙ってうなずいてから、端的に尋ねる。<br />
(長門有希)「用件は?」<br />
(喜緑江美里)「監査役として、プレジデントに勧告をしに来ました」<br />
<br />
プレジデント。<br />
それは、地球上に存在するすべての対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースの最高統括指揮権限者を示す言葉。<br />
そして、喜緑江美里は、そのプレジデントに対する勧告権をもつ唯一のインターフェースであった。<br />
<br />
長門有希は黙って後を促した。<br />
(喜緑江美里)「観測対象に対する過剰な刺激は避けるように」<br />
数時間前の涼宮ハルヒ及びキョンに対する行為に関しての勧告だというのはすぐに分かった。<br />
「過剰」という言葉はそれこそ過剰なような気がするが、いいたいことは分からぬではない。<br />
妊娠状態にある涼宮ハルヒを刺激するのは避けた方がいいのは確かである。<br />
あの二人がいくら優しいからといって、自分はいささか甘えすぎな傾向がある。自重しなければならない。<br />
二人の幸福を保全すると決意したのは、ほかならぬ自分であるのだから。<br />
だから、ただ一言だけ返答する。<br />
<br />
(長門有希)「了解した」<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
古泉一樹は、「機関」のアジトで、不機嫌な上司の相手をしていた。<br />
(森園生)「我々は、朝比奈みくるにまんまといっぱい食わされたわけね」<br />
(古泉一樹)「結論としてはそういうことになりますね。でも、代わりに有力な情報が得られたので、差し引き0では?」<br />
(森園生)「その情報とて、あのTFEIがいなければ得られなかった。あれはあれで警戒する必要がある。彼女が本気になれば、たった一人で『機関』を意のままにすらできるんですからね」<br />
(古泉一樹)「そうですね」<br />
(森園生)「まったく、気に入らないわね」<br />
(古泉一樹)「他の二勢力に比べれば、『機関』が不利なのは昔から分かっていたことです。いまさらですよ」<br />
宇宙からも未来からも、今のこの世界を守りたい。<br />
森園生のその決意は、古泉一樹も共有するところではあるが、不利な状況はいかんともしがたかった。<br />
(森園生)「とにかく、敵対勢力が動いていたことが判明した以上は、涼宮ハルヒの周辺警備体制を強化しておきなさい」<br />
(古泉一樹)「そのように手配しておきます。長門さんの方でも警戒はしているようですが、念には念を押しておきましょう。いざ事が起こったときに、現地にこちらの手駒が少ないという事態は避けたいところですし」<br />
(森園生)「あとは、朝比奈みくる対応の方ね。抜本的に対策を練る必要があるわ」<br />
森園生は、依然として、不機嫌な表情のままであった。<br />
(古泉一樹)「少し冷静になられた方がよろしいのでは? 乱れた心ではいいアイデアも浮かびません。いささか遅くなってしまいましたが、これからディナーでもいかがですか? 今日は、僕がおごりますよ」<br />
(森園生)「新川」<br />
それまで黙って待機していた新川が答える。<br />
(新川)「はっ」<br />
(森園生)「車を出しなさい」<br />
(新川)「かしこまりました」<br />
<br />
結局のところ、三人での夕食となるのであった。<br />
それでも、古泉一樹に不満はなかった。<br />
「機関」の有力派閥のボスである森園生に最も近いポジションを確保しているのは、自分であるのだから。<br />
そのポジションはロマンチックな意味合いとは程遠いものではあったが、それでも他者よりは有利に違いない。<br />
まあ、見目麗しくても性格のきついこの女性を好きになるような物好きは、そうはいないであろうが。<br />
<br />
<br />
<br />
未来。<br />
地球衛星軌道、「機関」時空工作部第二軌道基地。<br />
<br />
任務を終えて自分の時代に帰還した朝比奈みくるは、ある老人の出迎えを受けた。<br />
「機関」時空工作部の最高権力の一端を担う長老は、淡々とした声で、こう告げてきた。<br />
<br />
「上級工作員朝比奈みくるの情報漏洩行為には、裁量権逸脱の疑いがある。よって、最高評議会において審問を行なう。1時間後に出頭せよ」<br />
<br />
朝比奈みくるは、あえて堅苦しい口調でこう答えた。<br />
<br />
「かしこまりました。長門有希最高評議員殿」<br />
<br />
<br />
自室に戻った長門有希最高評議員は、本を読み始めた。<br />
審問については全く心配していない。朝比奈みくるには、それを乗り切れるだけの力量がある。<br />
いざとなければ、自分の能力で他の評議員の精神を操ってしまうことも可能だ。<br />
「彼」と涼宮ハルヒの子孫である朝比奈みくるを守るためならば、そのぐらいの労をとることにためらいはない。<br />
それは、涼宮ハルヒの子孫の保全という自分の任務に合致する行為でもある。<br />
<br />
<br />
<br />
朝比奈みくるは、そのまま自室に戻った。<br />
審問については全く心配していない。乗り切れる自信はある。こんなことは今まで何度もあったことだ。<br />
今まで軽微事案で戒告処分を受けたことは何度もあったが、重大事案で懲罰を受けたことは皆無であった。<br />
<br />
情報通信デバイスを通じて、不在中の出来事を確認する。<br />
朝比奈みくるに関係するのは1件。地球からカカオパウダーが届いたということだけだった。<br />
審問が無事終わったら、義理チョコの作成に取りかかる予定だ。明日までかかるだろう。彼女が今いる時間は、地球標準時ではまだ2月13日であった。<br />
カカオパウダーから作るというのはかなり本格的だが、義理チョコとて手を抜くつもりはないというのは、いかにも彼女らしいとはいえた。<br />
<br />
審問までまだ時間があったので、先に帰還していた副官の古泉茂樹を呼びつける。<br />
(古泉茂樹)「何か御用ですか?」<br />
彼は、見れば見るほど、古泉一樹にそっくりだった。<br />
今回の任務では彼には本隊の直接指揮を任せていた。朝比奈みくるは、全体の統括指揮と囮部隊の直接指揮をとっていたのだった。<br />
(朝比奈みくる)「あなたの先祖、あのままだとくっつきそうにないわよ」<br />
(古泉茂樹)「おやおや、それは一大事ですね」<br />
(朝比奈みくる)「規定事項管理局にその辺も含めてシミュレーションをかけるようにねじ込んできなさい。私の要請だといってかまいません」<br />
(古泉茂樹)「かしこまりました。そこまで御配慮いただけるとはありがたいですね」<br />
(朝比奈みくる)「あなたが消えてしまったら、私の仕事が倍に増えますからね」<br />
この世界と思い出を守り続けるために、有能な副官の存在は有用なものであるから。<br />
<br />
<br />
(古泉茂樹)「では、さっそく行ってまいります」<br />
古泉茂樹は去ろうとしたが、ふと立ち止まった。<br />
(古泉茂樹)「あっ、そうそう。部下たちはみな、明日のあなたからのプレゼントを心待ちにしておりますよ。もちろん、私も」<br />
(朝比奈みくる)「いっておくけど、全部義理よ」<br />
(古泉茂樹)「分かってますよ。私は、あなたにフラれた身ですからね。でも、正直なところ、まだあきらめてはいませんが」<br />
(朝比奈みくる)「それが、上級工作員への昇級を拒否して私の副官にとどまっている理由? いくら待っても結論は同じよ」<br />
(古泉茂樹)「少なくてもあなたの夫となる幸福な男が現れるまでは、あなたに最も近いこのポジションを他人に明け渡す気はありません」<br />
古泉茂樹は、そういい残すと去っていった。<br />
<br />
<br />
<br />
いくら愛妻家であるキョンでも、さすがに、チョコのフルコースを平らげることはできなかった。<br />
残った大量のチョコは、冷蔵庫に入れられた。今後しばらくは、おやつの類はすべてチョコになりそうだ。<br />
<br />
涼宮ハルヒは、チョコを冷蔵庫に入れ終わると、しばしぼうっとしていた。<br />
<br />
(キョン)「ん、どうした、ハルヒ?」<br />
(涼宮ハルヒ)「みんな、今ごろどうしてるかなと思って……」<br />
(キョン)「元気にやってるだろ。なんだったら、適当な口実をつけて、呼びつけてやればいい。団長殿が一声かければ、みんなかけつけてくるさ」<br />
(涼宮ハルヒ)「うん、そうね」<br />
彼女の顔に笑顔が戻る。<br />
(キョン)「だけど、今はあんまり無理すんなよ。大騒ぎするのは、子供を無事に生んでからだ」<br />
(涼宮ハルヒ)「分かってるわよ」<br />
<br />
終わり</p>