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「落し物、拾い物」(2021/11/07 (日) 20:23:19) の最新版変更点
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<div class="main">
<div>さて、いきなり自分の不明を述べる、というのも<br>
なかなか気が引けるものですが。<br>
あの時の僕が油断をしていた、というのは端的な<br>
事実でしょうね。いつも通りにつつがなく<br>
不思議探索パトロールが終了して、少しばかり<br>
気が抜けていたというのは、はい、単なる言い訳です。<br></div>
<br>
<div>
僕個人としては、むしろあの時の彼の果断が傑出していた、と<br>
主張したい所なのですけれどね。ふふ。<br></div>
<br>
<br>
<br>
<div>
この日、恒例の定期パトロールを終えた我々SOS団一行は、<br>
駅への道のりを歩いていました。<br>
先頭は長門さん、その後に涼宮さんが朝比奈さんに絡みつつ続き、<br>
呆れ顔の彼と僕が最後に並んでついていく、という<br>
順番でしたね。<br>
ええ、まったく普段通りの光景でした。あの時までは。<br></div>
<br>
<div>「ん、メールだわ。母さんからかな?」<br></div>
<br>
<div>ピリリピリリと響いた音に、涼宮さんが歩きながら<br>
Gジャンの胸ポケットに手を入れました。しかし手が滑ったのか、<br>
彼女は取り出しかけた携帯を、道に落としてしまったのです。<br>
</div>
<br>
<div>「あっ、このっ…」<br></div>
<br>
<div>
当然ながら携帯を拾おうと、涼宮さんは身を屈めます。ところが<br>
間の悪い事に、横に跳ねた携帯は車道側へ転がっていき、<br>
それを追って涼宮さんは前に踏み出しました。<br>
その、次の瞬間です。<br>
僕の隣に居たはずの彼が、驚嘆すべき速さで涼宮さんを横倒しに<br>
路上に押し倒していたのは。<br></div>
<br>
<div>
それは一瞬、長門さんが例の瞬間移動を行使したのかと<br>
錯覚する程のスピードでしたね。<br>
そうして、もつれて倒れこんだ二人のすぐ横を、白のセダンが<br>
通り抜けて行きます。すぐにセダンは急停車して、<br>
サラリーマンと思しき背広の男性が、慌てて駆け寄ってきました。<br>
</div>
<br>
<div>「だ、大丈夫ですかっ!?」<br>
「ええ…すみません、こちらこそ…」<br></div>
<br>
<div>
応じながら、彼が身を起こします。涼宮さんをかばうように<br>
倒れこんだ彼がスリ傷程度で済んだのですから、<br>
もちろん涼宮さんにも大きな外傷はありません。ですが、<br>
ちょっとした放心状態のようですね。<br></div>
<br>
<div>「え…? キョン、あたし…?」<br>
「なにボーッとしてんだ! お前、車に轢かれかけたんだぞ!?」<br>
</div>
<br>
<div>
そんな彼女を、彼が大声で叱りつけます。そう、涼宮さんは<br>
後方から迫っていたセダンに気付かず、<br>
あやうく撥ねられてしまう所だったのです。<br>
朝比奈さんなど、まるで自分の事のように顔面蒼白になって<br>
震えていますね。かく言う僕も、正直肝が冷えました。<br>
長門さんは…じっと二人を見ていますが、残念ながら僕には<br>
彼女の表情の変化は測りかねます。<br></div>
<br>
<div>
と、彼はいきなり涼宮さんのGジャンの後ろ襟を引っ掴むと、<br>
自分共々、サラリーマン氏に頭を下げました。<br></div>
<br>
<div>
「すみません。このバカがいきなり車の前に飛び出したりして」<br>
「ちょっ、何よ、キョン!? このあたしをバカ呼ばわり…」<br>
「うるさい! いいから、謝れ!」<br></div>
<br>
<div>
反論しかけた涼宮さんを彼は逆に一喝し、強引に頭を下げさせます。<br>
その剣幕に、むしろサラリーマン氏の方が恐縮していました。<br>
</div>
<br>
<div>
「あのう、事故にはならなかったようですから、そうまで<br>
して頂かなくても。こっちも不注意でしたし…」<br>
「いえ、今のは完全にこちらの落ち度です。ご迷惑をお掛けして<br>
本当にすみませんでした」<br></div>
<br>
<div>
そう言って、彼は再び深々と頭を下げます。結局、双方ともに<br>
実害は無かったという事で、この場は収まりました。<br>
一応、男性の身なりと車のナンバーは記憶に控えておきましたが、<br>
おそらくは本当にただの偶然による事故未遂でしょうね。<br>
</div>
<br>
<div>
セダンが走り去ったのち、僕は足元に転がっている物体を<br>
拾い上げました。<br>
涼宮さんの携帯です。その成れの果て、と言った方が<br>
正しいでしょうか。タイヤに轢かれたそれは見事にひしゃげ、<br>
液晶画面も粉々に砕けていました。<br>
苦笑しながら、僕は涼宮さんにそれを差し出します。すると彼女は、<br>
非常に憤懣を湛えた顔でこれをつまみ上げました。<br></div>
<br>
<div>
「あーあ、もうボロボロね。古泉君、これ、データとか<br>
吸い出せないかな?」<br>
「厳しいでしょうね。ソケット部分が大丈夫なら万が一という事も<br>
ありえますが。まあ、ダメ元で試してみ…」<br></div>
<br>
<div>
そう僕が言いかけた所で。横合いから伸びてきた手が涼宮さんから<br>
携帯を奪い、そして、地面に叩きつけました。<br>
こんな事をするのは、ええ、ただ一人ですね。肩を大きく怒らせた彼は、<br>
見た事も無いような憤怒の表情を涼宮さんに向けていました。<br>
</div>
<br>
<div>
「何が、データだ…ふざけんな、バカ野郎!!」<br></div>
<br>
<div>
叫ぶなり、彼は涼宮さんの携帯に向かって、さらに片足を<br>
踏み降ろします。ふう、これはトドメの一撃という奴ですね。<br>
もはや修復など望むべくもないでしょう。<br></div>
<br>
<div>
彼のあまりの険相に、朝比奈さんは見るからに怯えた様子で<br>
長門さんの後ろに縮こまっています。涼宮さんは<br>
しばらく呆気に取られていましたが、すぐに彼の襟元を<br>
掴み上げました。<br></div>
<br>
<div>「な、何すんのよ、キョン! あたしの携帯に…」<br>
「何するの、じゃないだろうが! まだ分かってないのか、<br>
下手すればお前自身がこうなってたんだぞッ!?」<br></div>
<br>
<div>
涼宮さんの威勢を物ともせず、彼は自分の足元を指差します。<br>
そこには『残骸』としか表現しようのない物体が、<br>
無残な姿をさらしていました。<br>
そう、つい先程まで立派な携帯電話だったはずの“それ”は、<br>
いまや単なる無機物に成り果ててしまったのです。<br></div>
<br>
<div>
ごくり、と息を呑む音が聞こえます。さすがに意気消沈した様子の<br>
涼宮さんに向かって、彼はさらに畳み掛けました。<br></div>
<br>
<div>
「不注意も大概にしろ! 今日はたまたま運が良かっただけだ!<br>
こんなつまんない事でくたばりたいのかよお前は!?」<br></div>
<br>
<div>
彼の言い分はもっともです。普通の女性なら、しおらしく<br>
うつむいてしまう場面でしょうかね。<br>
しかしながらやはりというか、涼宮さんはそんなおとなしい人物では<br>
ありませんでした。<br></div>
<br>
<div>「何よ、何が『運が良かった』よ!?<br>
あたしは携帯落として、壊されて、車に撥ねられかけて、あげくに<br>
あんたに突き倒されたのよ!<br>
服だって傷だらけになっちゃったし。それの何が運が良いって!?」<br>
「つくづくバカだなお前は! 携帯や服なんざ幾らでも<br>
取り返しが利くだろ! 命よりそんな物が大事だってのか!?」<br>
「分かってるわよ、そんな事! でもだからって、なんであたしが<br>
こんなに怒鳴られなきゃなんないの!?<br>
もう少しくらい…や、優しい言葉を掛けてくれたって…」<br>
</div>
<br>
<div>
おやおや。なるほど、それが涼宮さんの本音でしたか。<br>
けれども残念ながら、女性の機微にはどうも疎い彼には、その想いが<br>
伝わりかねているようですね。急にしょんぼりしてしまった<br>
涼宮さんに、彼は怪訝そうな表情を浮かべています。<br></div>
<br>
<div>
「あのなあハルヒ、何度も言うようだが、俺はただ…」<br></div>
<br>
<div>と、説法らしき言葉を口にしかけた所で、彼の体に<br>
異変が起こりました。<br>
涼宮さんを正面から見下ろしていたはずの彼が、突然、がくりと<br>
崩れ落ちてしまったのです。<br></div>
<br>
<div>「う、あ…?」<br></div>
<br>
<div>
道路に両膝を着き、それでもバランスを保てず後ろに倒れこんだ<br>
彼は、べたりと尻餅を着いてしまいます。<br>
この事態に、朝比奈さんが大慌てで彼の元へ駆け寄りました。<br>
</div>
<br>
<div>
「だだだ、大丈夫ですか、キョンくんっ!? やっぱり、さっき<br>
どこかにぶつけてたんじゃ?」<br>
「い、いや、そんなハズないですよ。どこにも痛みは無いし。<br>
ただ、なんだか足に力が入らなくって…」<br></div>
<br>
<div>
彼自身、立ち上がろうと努力をしているようですが、小刻みに<br>
足が震えるだけで、どうにもままならない様子ですね。<br>
と、僕のシャツの肘の辺りが、くいっと後ろに引かれました。<br>
</div>
<br>
<div>「長門さん?」<br>
「…彼は一時的な心身の消耗、いわゆる『腰砕け』の状態。車を<br>
調達すべき」<br>
「ああ。はい、承知しました」<br></div>
<br>
<div>
僕だけに聞こえる声量で、彼女は簡潔に用件を伝えてきます。<br>
少々味気なくはありますが、こういう時には<br>
応対方法が明快で助かりますね。<br>
僕は早速、自分の携帯から『機関』に出動を要請しました。<br>
</div>
<br>
<br>
<br>
<div>
という訳で現在、僕と彼は新川さんの運転する車の後部座席に<br>
並んで座っています。<br>
涼宮さんはよほど同乗して来ようとしましたが、僕が<br></div>
<br>
<div>
「すみませんが、ここはご遠慮願います。親しい女性には<br>
あまり見せたくない姿でしょうから。<br>
彼の男心を、どうか察してあげてください」<br></div>
<br>
<div>と小さく耳打ちすると、彼女は渋面を作りながらも<br>
引き下がってくれました。幸いにして、涼宮さんの方には<br>
ケガらしいケガもありませんでしたし、後の事は<br>
朝比奈さんと長門さんにお任せしましょう。<br>
僕としては当座、こちらの方が対処すべき問題でしょうし。<br>
</div>
<br>
<div>
「さて、どうします? 涼宮さんにご説明した通り、<br>
まっすぐ病院に向かいますか?<br>
『機関』の支援のある施設ですから、治療費の心配なら<br>
要りませんよ」<br>
「大げさだな。長門の話じゃ、あくまで一時的な症状なんだろ、<br>
こいつは。時間を置けば治るさ」<br></div>
<br>
<div>
貧乏ゆすりのように膝をカタカタ鳴らしつつ、憮然とした表情の<br>
彼は、窓の向こうを眺めたままでそう答えます。<br>
見るからに意地を張っているその様子に、僕はついつい<br>
苦笑してしまいました。<br></div>
<br>
<div>
「まあ、そう落ち込まないでください。言うなればこれは<br>
名誉の負傷ですよ」<br>
「みっともなく腰を抜かして、何が名誉だよ」<br>
「いえいえ。先程のあなたの行動は、まさしく感嘆物でした。<br>
お世辞抜きで、常人の域を遥かに超えた動きでしたよ。あれは<br>
いわゆる火事場の馬鹿力的な爆発力だったのでしょうね」<br>
「その反動が、コレか」<br></div>
<br>
<div>
パシンと、彼は意のままにならない自分の足をはたきました。<br>
</div>
<br>
<div>
「ええ、ほんの数瞬で全力を出し切ってしまったために、一時的な<br>
脱力状態に陥っているのでしょう。<br>
いやしかし、世が世ならノーベル平和賞を差し上げたくなるような、<br>
それほど見事な行為でした」<br></div>
<br>
<div>
まったくもって偽りなく、僕は彼を賞賛したつもりだったの<br>
ですけれどね。彼は僕を一瞥すると、ふん、と再び不機嫌そうに<br>
窓の外を見やってしまいました。<br></div>
<br>
<div>
「別に、誰かに褒められたくてした事じゃねえよ」<br></div>
<br>
<div>
彼の常套句を借りるなら、やれやれ、といった所でしょうか。<br>
まあ、彼が不機嫌な理由も理解できるのですが。<br></div>
<br>
<div>「お気持ちは分かりますが、涼宮さんへの応対は<br>
もう少し考えてください。あそこまで喧嘩腰になる必要は<br>
なかったはずです。<br>
死に直面した恐怖に飲み込まれないために、涼宮さんが<br>
強がっていた事くらい、あなたにも分かっていたでしょう?」<br>
「ああ、分かってたさ。だがな、あんな物言いされて<br>
落ち着いていられるかよ!?<br>
あんな…自分の命を安売りするような物言いしやがって…。<br>
大体あいつは、くそっ、自覚が無さ過ぎるんだ!」<br></div>
<br>
<div>苛立たしげに、彼はそう吐き捨てます。彼女の身を<br>
案じるが故の彼の苦悩に、僕は図らずも微笑んでしまいました。<br>
</div>
<br>
<div>
「ふふ。まあ、あまり自覚され過ぎても困るのですけれどね」<br>
「まったく。厄介な神様モドキだよ、あいつは」<br></div>
<br>
<div>
お手上げだとばかりに両手を左右に広げて、それから彼は<br>
真顔で僕に訊ねかけてきました。<br></div>
<br>
<div>「で、今日も暴れまくってんのか、神様モドキの<br>
ストレス発散代行人は」<br></div>
<br>
<div>
言葉にこそ表しませんが、言外に申し訳なさそうな雰囲気が<br>
にじんでいます。先の僕の注意を、彼なりに<br>
反省して受け止めているのでしょう。<br>
こういう部分が、彼の憎めない所なのですよね。ふふふ。<br>
</div>
<br>
<div>「それが、ですね。実は今の所、閉鎖空間の現出は<br>
確認されていません」<br>
「は? ハルヒの奴、あんなに不機嫌そうだったのにか?」<br>
「そう見えましたか?」<br></div>
<br>
<div>
意外そうな顔をする彼に、僕は笑いながら逆に訊ねかけました。<br>
</div>
<br>
<div>
「表面上は、確かに不機嫌そうだったかもしれません。しかし<br>
それは照れ隠しというか。僕にはむしろ喜んでいるように<br>
見えましたよ、先程の涼宮さんは」<br>
「喜ぶ?」<br>
「よく週刊誌の記事にあるじゃないですか。優しい彼は<br>
好きだけどそれだけじゃ満足できない。時には<br>
わたしを乱暴に振り回してほしいの♪なんてのが」<br>
「どこのエロ雑誌だ、そいつは。そんな話を真に受けるなよ」<br>
「はてさて。新川さんはどうお考えになります?」<br></div>
<br>
<div>
こういう話題を振られるとは思っていなかったのでしょうか。<br>
運転席の新川さんはバックミラー越しに苦笑しながら、こう答えて<br>
くれました。<br></div>
<br>
<div>
「ははは、わたくしも色恋沙汰には疎うございまして、<br>
大したお話も出来そうにありませんが。<br>
そうですな、お見受けした所、涼宮様は強さと脆さの混在した、<br>
玉鋼のような少女だと感じられました」<br>
「タマハガネ?」<br>
「日本刀などの材料ですよ。彼女もいずれ、秀麗かつ鮮烈な<br>
存在になっていくのではないかと、そんな予感がいたします。<br>
なればこそ、彼女には鞘となるべき存在が<br>
必要なのではないか、というのがわたくしの私見でございますが」<br>
「ははあ。“刀”に対する“鞘”ですか」<br></div>
<br>
<div>僕が呟くと、新川さんはひとつ頷きました。<br></div>
<br>
<div>
「良かれ悪しかれ、涼宮様は周囲に多大な影響を及ぼされる<br>
お方です。それはしばしば、ご自身の意識とは全く関係なしに。<br>
まかり間違えば、彼女自身が彼女を傷つけるでしょう。<br>
そうならないために。ありのままの彼女を理解し、なおかつ<br>
時には力ずくで押さえ込んでもくれる。<br>
そういった“鞘”となるべき存在を、彼女もまた無意識に<br>
欲しているのではないでしょうか」<br>
「…だ、そうですよ?」<br></div>
<br>
<div>
そう言って僕が見つめると、彼は露骨に顔をしかめてみせました。<br>
</div>
<br>
<div>「なんで、そこで俺に振る」<br>
「おや、理由を聞きたいのですか? それとも、僕に<br>
恥ずかしい言葉を口にさせたいという趣向でしょうかね?」<br>
「…新川さん、降ろしてください、今すぐ」<br>
「すみません、冗談が過ぎました」<br></div>
<br>
<div>
僕がおどけて肩をすくめると、彼はわざと聞こえるように<br>
大きく、ちっと舌打ちします。<br>
ふふ、まるっきりコントですね。新川さん、別に<br>
笑い出しそうになるのを無理に堪えなくてもいいですよ?<br>
背中が震えているので丸分かりですし。<br></div>
<br>
<div>
「まあ、憶測の話はこのくらいにしておきましょう。事実として<br>
明らかなのは、今日、あなたが涼宮さんの命を救い、<br>
おかげで僕らは神人退治に出掛けなくても済んだ、という事です。<br>
そのお礼と言っては何ですが…」<br></div>
<br>
<div>
言いながら、僕は数枚のチケットを彼に差し出しました。新川さんに<br>
用立てて貰った品々です。<br></div>
<br>
<div>「何だ?」<br>
「大した物ではありません。ただの優待券ですよ。<br>
しかしながら僕の予想が正しければ、明日、あなたには<br>
コレが必要になる事でしょう。<br>
どうぞ拾い物だと思って、お納めください」<br>
「ふん」<br></div>
<br>
<div>
文面を見て納得したのか、彼は割と素直にそのチケットを<br>
ポケットの中にねじ込みました。<br></div>
<br>
<div>
「どうやら、明日はやたら憂鬱な日曜日になりそうだ」<br>
「ふふ、ご冗談を。僕にはあなたが素晴らしく<br>
にやけているように見えますよ?」<br>
「お前にだけは言われたくない一言だな、そいつは」<br></div>
<br>
<div>
うそぶいて、彼はまた車窓の外へ視線を向けてしまいます。<br>
そんな彼の態度に、僕はくつくつと笑わずには<br>
いられませんでした。彼も、彼女も、もう少し素直になれば<br>
よほど楽しく生きられると思うのですけれど、ねえ?<br></div>
<br>
<br>
<br>
<div>
月曜日、僕は少し遅れて部室に向かいました。ノックをして<br>
扉を開けます。<br></div>
<br>
<div>「すみません、遅くなりました」<br>
「あっ、古泉君ちょうどいい所に来たわね! ほら、これ見てよ!」<br>
</div>
<br>
<div>
僕の挨拶が終わるまでもなく、涼宮さんが喜色満面な様子で<br>
こちらに駆け寄ってきました。僕は涼宮さんに応じつつ、<br>
ちら、と彼の方へ視線を泳がせます。<br>
すると涼宮さんの背後で、彼はこっそり、やれやれと肩をすくめて<br>
みせました。ふふ、あのチケットはお役に立ったようですね。<br>
</div>
<br>
<div>「もう新しいのを購入されたのですか」<br>
「うん、やっぱり無いと不便だもの。本当は、最新型のを<br>
買おうと思ったんだけど…」<br></div>
<br>
<div>
そこで言葉を止めた涼宮さんは、じろりと彼を一睨みしました。<br>
</div>
<br>
<div>「キョンの奴、少し前の機種の方がお買い得だとか<br>
しつこく喰い下がるもんだから。仕方なく、これにしたのよね」<br>
</div>
<br>
<div>
「当然だろ。お前の事だ、どうせまたすぐにうっかり落として壊すに<br>
決まってる。最新機種なんか買うだけ宝の持ち腐れだ」<br>
「なによ、あんたの割引チケットが最新のには適用外だった<br>
せいじゃない。憎まれ口叩いちゃってさ」<br>
「けっ、悔しかったら今度は落っことしたりするなってんだ」<br>
</div>
<br>
<div>
売り言葉と買い言葉の応酬に、メイド姿の朝比奈さんが<br>
おろおろしています。長門さんは本から視線を逸らしませんね。<br>
そして僕は、微笑を浮かべながら二人のやり取りを<br>
眺めていました。言っておきますが、これは作り笑顔なんかじゃ<br>
ありませんよ。本当に心の底から湧き上がってくる笑みです。<br>
</div>
<br>
<div>だって、そうでしょう?<br>
なにしろ涼宮さんが嬉しそうに僕に見せびらかしてくれた<br>
その新品の携帯電話は、<br>
なぜだか彼の所有しているそれと色違いの同系機種で、<br>
つまりは二人お揃いだったのですから。<br></div>
<br>
<div>「ああ、なるほど」<br>
「何がなるほどなんだよ」<br></div>
<br>
<div>思わず、ポンとひとつ手を打った僕に対して、彼が<br>
不審そうに訊ねてきます。僕は彼と彼女をそれぞれ見つめて、<br>
それからゆっくりと口を開きました。<br></div>
<br>
<div>「いえいえ、ただの言葉遊びですけどね。<br>
涼宮さんは一昨日、確かに携帯を“落として”しまわれたけれど、<br>
代わりにあなたのおかげで“命拾い”をしたのだなあ、と<br>
そう思いまして」<br></div>
<br>
<div>
途端、いがみ合っていた二人が顔を見合わせ、すぐに<br>
真っ赤になって視線を逸らせます。<br>
必然的に、ご両人の矛先は僕に向けられました。<br></div>
<br>
<div>
「「な、なにつまんない事言ってんのよ(んだよ)!!」」<br>
</div>
<br>
<div>ふふ、見事なハモり具合ですね、お二人さん。<br>
そうして僕は、微笑ましい二人の突き上げを喰らいながら、<br>
今日も愉快な時間を過ごしたのでした。<br></div>
<br>
<div>
ああ、でも朝比奈さん、ニコニコと笑ってばかりいないで<br>
そろそろ助け舟を出してくれませんか? 長門さんも<br>
視線は本に向けたままですが、口元がほんの僅か<br>
ほころんでいますよね?<br></div>
<br>
<div>
はて、ひょっとしたら僕は知らない間に、個人的な幸せを<br>
どこかに落としてきてしまったのでしょうか。そして<br>
僕が不遇を負えば負うほど、周りの皆が<br>
幸せそうな表情を浮かべている気がするのは、はたして<br>
ただの思い過ごしですかね?<br>
自分の薄幸さに思わず苦笑いがこぼれる、けれども<br>
意外とそんなに悪い気分はしない、それはいつも通りの<br>
平和な放課後のひとコマなのでした。<br></div>
<br>
<br>
<br>
<div>落し物、拾い物 おわり<br></div>
</div>
<!-- ad -->
<div class="main">
<div>さて、いきなり自分の不明を述べる、というのも<br />
なかなか気が引けるものですが。<br />
あの時の僕が油断をしていた、というのは端的な<br />
事実でしょうね。いつも通りにつつがなく<br />
不思議探索パトロールが終了して、少しばかり<br />
気が抜けていたというのは、はい、単なる言い訳です。</div>
<div>僕個人としては、むしろあの時の彼の果断が傑出していた、と<br />
主張したい所なのですけれどね。ふふ。</div>
<br />
<br />
<div>この日、恒例の定期パトロールを終えた我々SOS団一行は、<br />
駅への道のりを歩いていました。<br />
先頭は長門さん、その後に涼宮さんが朝比奈さんに絡みつつ続き、<br />
呆れ顔の彼と僕が最後に並んでついていく、という<br />
順番でしたね。<br />
ええ、まったく普段通りの光景でした。あの時までは。</div>
<div>「ん、メールだわ。母さんからかな?」</div>
<div>ピリリピリリと響いた音に、涼宮さんが歩きながら<br />
Gジャンの胸ポケットに手を入れました。しかし手が滑ったのか、<br />
彼女は取り出しかけた携帯を、道に落としてしまったのです。</div>
<div>「あっ、このっ…」</div>
<div>当然ながら携帯を拾おうと、涼宮さんは身を屈めます。ところが<br />
間の悪い事に、横に跳ねた携帯は車道側へ転がっていき、<br />
それを追って涼宮さんは前に踏み出しました。<br />
その、次の瞬間です。<br />
僕の隣に居たはずの彼が、驚嘆すべき速さで涼宮さんを横倒しに<br />
路上に押し倒していたのは。</div>
<div>それは一瞬、長門さんが例の瞬間移動を行使したのかと<br />
錯覚する程のスピードでしたね。<br />
そうして、もつれて倒れこんだ二人のすぐ横を、白のセダンが<br />
通り抜けて行きます。すぐにセダンは急停車して、<br />
サラリーマンと思しき背広の男性が、慌てて駆け寄ってきました。</div>
<div>「だ、大丈夫ですかっ!?」<br />
「ええ…すみません、こちらこそ…」</div>
<div>応じながら、彼が身を起こします。涼宮さんをかばうように<br />
倒れこんだ彼がスリ傷程度で済んだのですから、<br />
もちろん涼宮さんにも大きな外傷はありません。ですが、<br />
ちょっとした放心状態のようですね。</div>
<div>「え…? キョン、あたし…?」<br />
「なにボーッとしてんだ! お前、車に轢かれかけたんだぞ!?」</div>
<div>そんな彼女を、彼が大声で叱りつけます。そう、涼宮さんは<br />
後方から迫っていたセダンに気付かず、<br />
あやうく撥ねられてしまう所だったのです。<br />
朝比奈さんなど、まるで自分の事のように顔面蒼白になって<br />
震えていますね。かく言う僕も、正直肝が冷えました。<br />
長門さんは…じっと二人を見ていますが、残念ながら僕には<br />
彼女の表情の変化は測りかねます。</div>
<div>と、彼はいきなり涼宮さんのGジャンの後ろ襟を引っ掴むと、<br />
自分共々、サラリーマン氏に頭を下げました。</div>
<div>「すみません。このバカがいきなり車の前に飛び出したりして」<br />
「ちょっ、何よ、キョン!? このあたしをバカ呼ばわり…」<br />
「うるさい! いいから、謝れ!」</div>
<div>反論しかけた涼宮さんを彼は逆に一喝し、強引に頭を下げさせます。<br />
その剣幕に、むしろサラリーマン氏の方が恐縮していました。</div>
<div>「あのう、事故にはならなかったようですから、そうまで<br />
して頂かなくても。こっちも不注意でしたし…」<br />
「いえ、今のは完全にこちらの落ち度です。ご迷惑をお掛けして<br />
本当にすみませんでした」</div>
<div>そう言って、彼は再び深々と頭を下げます。結局、双方ともに<br />
実害は無かったという事で、この場は収まりました。<br />
一応、男性の身なりと車のナンバーは記憶に控えておきましたが、<br />
おそらくは本当にただの偶然による事故未遂でしょうね。</div>
<div>セダンが走り去ったのち、僕は足元に転がっている物体を<br />
拾い上げました。<br />
涼宮さんの携帯です。その成れの果て、と言った方が<br />
正しいでしょうか。タイヤに轢かれたそれは見事にひしゃげ、<br />
液晶画面も粉々に砕けていました。<br />
苦笑しながら、僕は涼宮さんにそれを差し出します。すると彼女は、<br />
非常に憤懣を湛えた顔でこれをつまみ上げました。</div>
<div>「あーあ、もうボロボロね。古泉君、これ、データとか<br />
吸い出せないかな?」<br />
「厳しいでしょうね。ソケット部分が大丈夫なら万が一という事も<br />
ありえますが。まあ、ダメ元で試してみ…」</div>
<div>そう僕が言いかけた所で。横合いから伸びてきた手が涼宮さんから<br />
携帯を奪い、そして、地面に叩きつけました。<br />
こんな事をするのは、ええ、ただ一人ですね。肩を大きく怒らせた彼は、<br />
見た事も無いような憤怒の表情を涼宮さんに向けていました。</div>
<div>「何が、データだ…ふざけんな、バカ野郎!!」</div>
<div>叫ぶなり、彼は涼宮さんの携帯に向かって、さらに片足を<br />
踏み降ろします。ふう、これはトドメの一撃という奴ですね。<br />
もはや修復など望むべくもないでしょう。</div>
<div>彼のあまりの険相に、朝比奈さんは見るからに怯えた様子で<br />
長門さんの後ろに縮こまっています。涼宮さんは<br />
しばらく呆気に取られていましたが、すぐに彼の襟元を<br />
掴み上げました。</div>
<div>「な、何すんのよ、キョン! あたしの携帯に…」<br />
「何するの、じゃないだろうが! まだ分かってないのか、<br />
下手すればお前自身がこうなってたんだぞッ!?」</div>
<div>涼宮さんの威勢を物ともせず、彼は自分の足元を指差します。<br />
そこには『残骸』としか表現しようのない物体が、<br />
無残な姿をさらしていました。<br />
そう、つい先程まで立派な携帯電話だったはずの“それ”は、<br />
いまや単なる無機物に成り果ててしまったのです。</div>
<div>ごくり、と息を呑む音が聞こえます。さすがに意気消沈した様子の<br />
涼宮さんに向かって、彼はさらに畳み掛けました。</div>
<div>「不注意も大概にしろ! 今日はたまたま運が良かっただけだ!<br />
こんなつまんない事でくたばりたいのかよお前は!?」</div>
<div>彼の言い分はもっともです。普通の女性なら、しおらしく<br />
うつむいてしまう場面でしょうかね。<br />
しかしながらやはりというか、涼宮さんはそんなおとなしい人物では<br />
ありませんでした。</div>
<div>「何よ、何が『運が良かった』よ!?<br />
あたしは携帯落として、壊されて、車に撥ねられかけて、あげくに<br />
あんたに突き倒されたのよ!<br />
服だって傷だらけになっちゃったし。それの何が運が良いって!?」<br />
「つくづくバカだなお前は! 携帯や服なんざ幾らでも<br />
取り返しが利くだろ! 命よりそんな物が大事だってのか!?」<br />
「分かってるわよ、そんな事! でもだからって、なんであたしが<br />
こんなに怒鳴られなきゃなんないの!?<br />
もう少しくらい…や、優しい言葉を掛けてくれたって…」</div>
<div>おやおや。なるほど、それが涼宮さんの本音でしたか。<br />
けれども残念ながら、女性の機微にはどうも疎い彼には、その想いが<br />
伝わりかねているようですね。急にしょんぼりしてしまった<br />
涼宮さんに、彼は怪訝そうな表情を浮かべています。</div>
<div>「あのなあハルヒ、何度も言うようだが、俺はただ…」</div>
<div>と、説法らしき言葉を口にしかけた所で、彼の体に<br />
異変が起こりました。<br />
涼宮さんを正面から見下ろしていたはずの彼が、突然、がくりと<br />
崩れ落ちてしまったのです。</div>
<div>「う、あ…?」</div>
<div>道路に両膝を着き、それでもバランスを保てず後ろに倒れこんだ<br />
彼は、べたりと尻餅を着いてしまいます。<br />
この事態に、朝比奈さんが大慌てで彼の元へ駆け寄りました。</div>
<div>「だだだ、大丈夫ですか、キョンくんっ!? やっぱり、さっき<br />
どこかにぶつけてたんじゃ?」<br />
「い、いや、そんなハズないですよ。どこにも痛みは無いし。<br />
ただ、なんだか足に力が入らなくって…」</div>
<div>彼自身、立ち上がろうと努力をしているようですが、小刻みに<br />
足が震えるだけで、どうにもままならない様子ですね。<br />
と、僕のシャツの肘の辺りが、くいっと後ろに引かれました。</div>
<div>「長門さん?」<br />
「…彼は一時的な心身の消耗、いわゆる『腰砕け』の状態。車を<br />
調達すべき」<br />
「ああ。はい、承知しました」</div>
<div>僕だけに聞こえる声量で、彼女は簡潔に用件を伝えてきます。<br />
少々味気なくはありますが、こういう時には<br />
応対方法が明快で助かりますね。<br />
僕は早速、自分の携帯から『機関』に出動を要請しました。</div>
<br />
<br />
<div>という訳で現在、僕と彼は新川さんの運転する車の後部座席に<br />
並んで座っています。<br />
涼宮さんはよほど同乗して来ようとしましたが、僕が</div>
<div>「すみませんが、ここはご遠慮願います。親しい女性には<br />
あまり見せたくない姿でしょうから。<br />
彼の男心を、どうか察してあげてください」</div>
<div>と小さく耳打ちすると、彼女は渋面を作りながらも<br />
引き下がってくれました。幸いにして、涼宮さんの方には<br />
ケガらしいケガもありませんでしたし、後の事は<br />
朝比奈さんと長門さんにお任せしましょう。<br />
僕としては当座、こちらの方が対処すべき問題でしょうし。</div>
<div>「さて、どうします? 涼宮さんにご説明した通り、<br />
まっすぐ病院に向かいますか?<br />
『機関』の支援のある施設ですから、治療費の心配なら<br />
要りませんよ」<br />
「大げさだな。長門の話じゃ、あくまで一時的な症状なんだろ、<br />
こいつは。時間を置けば治るさ」</div>
<div>貧乏ゆすりのように膝をカタカタ鳴らしつつ、憮然とした表情の<br />
彼は、窓の向こうを眺めたままでそう答えます。<br />
見るからに意地を張っているその様子に、僕はついつい<br />
苦笑してしまいました。</div>
<div>「まあ、そう落ち込まないでください。言うなればこれは<br />
名誉の負傷ですよ」<br />
「みっともなく腰を抜かして、何が名誉だよ」<br />
「いえいえ。先程のあなたの行動は、まさしく感嘆物でした。<br />
お世辞抜きで、常人の域を遥かに超えた動きでしたよ。あれは<br />
いわゆる火事場の馬鹿力的な爆発力だったのでしょうね」<br />
「その反動が、コレか」</div>
<div>パシンと、彼は意のままにならない自分の足をはたきました。</div>
<div>「ええ、ほんの数瞬で全力を出し切ってしまったために、一時的な<br />
脱力状態に陥っているのでしょう。<br />
いやしかし、世が世ならノーベル平和賞を差し上げたくなるような、<br />
それほど見事な行為でした」</div>
<div>まったくもって偽りなく、僕は彼を賞賛したつもりだったの<br />
ですけれどね。彼は僕を一瞥すると、ふん、と再び不機嫌そうに<br />
窓の外を見やってしまいました。</div>
<div>「別に、誰かに褒められたくてした事じゃねえよ」</div>
<div>彼の常套句を借りるなら、やれやれ、といった所でしょうか。<br />
まあ、彼が不機嫌な理由も理解できるのですが。</div>
<div>「お気持ちは分かりますが、涼宮さんへの応対は<br />
もう少し考えてください。あそこまで喧嘩腰になる必要は<br />
なかったはずです。<br />
死に直面した恐怖に飲み込まれないために、涼宮さんが<br />
強がっていた事くらい、あなたにも分かっていたでしょう?」<br />
「ああ、分かってたさ。だがな、あんな物言いされて<br />
落ち着いていられるかよ!?<br />
あんな…自分の命を安売りするような物言いしやがって…。<br />
大体あいつは、くそっ、自覚が無さ過ぎるんだ!」</div>
<div>苛立たしげに、彼はそう吐き捨てます。彼女の身を<br />
案じるが故の彼の苦悩に、僕は図らずも微笑んでしまいました。</div>
<div>「ふふ。まあ、あまり自覚され過ぎても困るのですけれどね」<br />
「まったく。厄介な神様モドキだよ、あいつは」</div>
<div>お手上げだとばかりに両手を左右に広げて、それから彼は<br />
真顔で僕に訊ねかけてきました。</div>
<div>「で、今日も暴れまくってんのか、神様モドキの<br />
ストレス発散代行人は」</div>
<div>言葉にこそ表しませんが、言外に申し訳なさそうな雰囲気が<br />
にじんでいます。先の僕の注意を、彼なりに<br />
反省して受け止めているのでしょう。<br />
こういう部分が、彼の憎めない所なのですよね。ふふふ。</div>
<div>「それが、ですね。実は今の所、閉鎖空間の現出は<br />
確認されていません」<br />
「は? ハルヒの奴、あんなに不機嫌そうだったのにか?」<br />
「そう見えましたか?」</div>
<div>意外そうな顔をする彼に、僕は笑いながら逆に訊ねかけました。</div>
<div>「表面上は、確かに不機嫌そうだったかもしれません。しかし<br />
それは照れ隠しというか。僕にはむしろ喜んでいるように<br />
見えましたよ、先程の涼宮さんは」<br />
「喜ぶ?」<br />
「よく週刊誌の記事にあるじゃないですか。優しい彼は<br />
好きだけどそれだけじゃ満足できない。時には<br />
わたしを乱暴に振り回してほしいの♪なんてのが」<br />
「どこのエロ雑誌だ、そいつは。そんな話を真に受けるなよ」<br />
「はてさて。新川さんはどうお考えになります?」</div>
<div>こういう話題を振られるとは思っていなかったのでしょうか。<br />
運転席の新川さんはバックミラー越しに苦笑しながら、こう答えて<br />
くれました。</div>
<div>「ははは、わたくしも色恋沙汰には疎うございまして、<br />
大したお話も出来そうにありませんが。<br />
そうですな、お見受けした所、涼宮様は強さと脆さの混在した、<br />
玉鋼のような少女だと感じられました」<br />
「タマハガネ?」<br />
「日本刀などの材料ですよ。彼女もいずれ、秀麗かつ鮮烈な<br />
存在になっていくのではないかと、そんな予感がいたします。<br />
なればこそ、彼女には鞘となるべき存在が<br />
必要なのではないか、というのがわたくしの私見でございますが」<br />
「ははあ。“刀”に対する“鞘”ですか」</div>
<div>僕が呟くと、新川さんはひとつ頷きました。</div>
<div>「良かれ悪しかれ、涼宮様は周囲に多大な影響を及ぼされる<br />
お方です。それはしばしば、ご自身の意識とは全く関係なしに。<br />
まかり間違えば、彼女自身が彼女を傷つけるでしょう。<br />
そうならないために。ありのままの彼女を理解し、なおかつ<br />
時には力ずくで押さえ込んでもくれる。<br />
そういった“鞘”となるべき存在を、彼女もまた無意識に<br />
欲しているのではないでしょうか」<br />
「…だ、そうですよ?」</div>
<div>そう言って僕が見つめると、彼は露骨に顔をしかめてみせました。</div>
<div>「なんで、そこで俺に振る」<br />
「おや、理由を聞きたいのですか? それとも、僕に<br />
恥ずかしい言葉を口にさせたいという趣向でしょうかね?」<br />
「…新川さん、降ろしてください、今すぐ」<br />
「すみません、冗談が過ぎました」</div>
<div>僕がおどけて肩をすくめると、彼はわざと聞こえるように<br />
大きく、ちっと舌打ちします。<br />
ふふ、まるっきりコントですね。新川さん、別に<br />
笑い出しそうになるのを無理に堪えなくてもいいですよ?<br />
背中が震えているので丸分かりですし。</div>
<div>「まあ、憶測の話はこのくらいにしておきましょう。事実として<br />
明らかなのは、今日、あなたが涼宮さんの命を救い、<br />
おかげで僕らは神人退治に出掛けなくても済んだ、という事です。<br />
そのお礼と言っては何ですが…」</div>
<div>言いながら、僕は数枚のチケットを彼に差し出しました。新川さんに<br />
用立てて貰った品々です。</div>
<div>「何だ?」<br />
「大した物ではありません。ただの優待券ですよ。<br />
しかしながら僕の予想が正しければ、明日、あなたには<br />
コレが必要になる事でしょう。<br />
どうぞ拾い物だと思って、お納めください」<br />
「ふん」</div>
<div>文面を見て納得したのか、彼は割と素直にそのチケットを<br />
ポケットの中にねじ込みました。</div>
<div>「どうやら、明日はやたら憂鬱な日曜日になりそうだ」<br />
「ふふ、ご冗談を。僕にはあなたが素晴らしく<br />
にやけているように見えますよ?」<br />
「お前にだけは言われたくない一言だな、そいつは」</div>
<div>うそぶいて、彼はまた車窓の外へ視線を向けてしまいます。<br />
そんな彼の態度に、僕はくつくつと笑わずには<br />
いられませんでした。彼も、彼女も、もう少し素直になれば<br />
よほど楽しく生きられると思うのですけれど、ねえ?</div>
<br />
<br />
<div>月曜日、僕は少し遅れて部室に向かいました。ノックをして<br />
扉を開けます。</div>
<div>「すみません、遅くなりました」<br />
「あっ、古泉君ちょうどいい所に来たわね! ほら、これ見てよ!」</div>
<div>僕の挨拶が終わるまでもなく、涼宮さんが喜色満面な様子で<br />
こちらに駆け寄ってきました。僕は涼宮さんに応じつつ、<br />
ちら、と彼の方へ視線を泳がせます。<br />
すると涼宮さんの背後で、彼はこっそり、やれやれと肩をすくめて<br />
みせました。ふふ、あのチケットはお役に立ったようですね。</div>
<div>「もう新しいのを購入されたのですか」<br />
「うん、やっぱり無いと不便だもの。本当は、最新型のを<br />
買おうと思ったんだけど…」</div>
<div>そこで言葉を止めた涼宮さんは、じろりと彼を一睨みしました。</div>
<div>「キョンの奴、少し前の機種の方がお買い得だとか<br />
しつこく喰い下がるもんだから。仕方なく、これにしたのよね」</div>
<div>「当然だろ。お前の事だ、どうせまたすぐにうっかり落として壊すに<br />
決まってる。最新機種なんか買うだけ宝の持ち腐れだ」<br />
「なによ、あんたの割引チケットが最新のには適用外だった<br />
せいじゃない。憎まれ口叩いちゃってさ」<br />
「けっ、悔しかったら今度は落っことしたりするなってんだ」</div>
<div>売り言葉と買い言葉の応酬に、メイド姿の朝比奈さんが<br />
おろおろしています。長門さんは本から視線を逸らしませんね。<br />
そして僕は、微笑を浮かべながら二人のやり取りを<br />
眺めていました。言っておきますが、これは作り笑顔なんかじゃ<br />
ありませんよ。本当に心の底から湧き上がってくる笑みです。</div>
<div>だって、そうでしょう?<br />
なにしろ涼宮さんが嬉しそうに僕に見せびらかしてくれた<br />
その新品の携帯電話は、<br />
なぜだか彼の所有しているそれと色違いの同系機種で、<br />
つまりは二人お揃いだったのですから。</div>
<div>「ああ、なるほど」<br />
「何がなるほどなんだよ」</div>
<div>思わず、ポンとひとつ手を打った僕に対して、彼が<br />
不審そうに訊ねてきます。僕は彼と彼女をそれぞれ見つめて、<br />
それからゆっくりと口を開きました。</div>
<div>「いえいえ、ただの言葉遊びですけどね。<br />
涼宮さんは一昨日、確かに携帯を“落として”しまわれたけれど、<br />
代わりにあなたのおかげで“命拾い”をしたのだなあ、と<br />
そう思いまして」</div>
<div>途端、いがみ合っていた二人が顔を見合わせ、すぐに<br />
真っ赤になって視線を逸らせます。<br />
必然的に、ご両人の矛先は僕に向けられました。</div>
<div>「「な、なにつまんない事言ってんのよ(んだよ)!!」」</div>
<div>ふふ、見事なハモり具合ですね、お二人さん。<br />
そうして僕は、微笑ましい二人の突き上げを喰らいながら、<br />
今日も愉快な時間を過ごしたのでした。</div>
<div>ああ、でも朝比奈さん、ニコニコと笑ってばかりいないで<br />
そろそろ助け舟を出してくれませんか? 長門さんも<br />
視線は本に向けたままですが、口元がほんの僅か<br />
ほころんでいますよね?</div>
<div>はて、ひょっとしたら僕は知らない間に、個人的な幸せを<br />
どこかに落としてきてしまったのでしょうか。そして<br />
僕が不遇を負えば負うほど、周りの皆が<br />
幸せそうな表情を浮かべている気がするのは、はたして<br />
ただの思い過ごしですかね?<br />
自分の薄幸さに思わず苦笑いがこぼれる、けれども<br />
意外とそんなに悪い気分はしない、それはいつも通りの<br />
平和な放課後のひとコマなのでした。</div>
<br />
<br />
<div>落し物、拾い物 おわり</div>
</div>