『大隈伯演説集』による。

 

明治三七年十月二十三日、早稲田大学学生に由て組織せる清韓協会(現時の早稲田日清協会)に於て「東亜細亜に於ける日本の勢力」の演題の下に演説されたるものにして、我帝国が国際間に處する国是を一定されたる處、合州国の「モンロードクトリン」に似たる處あるにより、日本の大隈「ドクトリン」として稱せられたるものなり。


諸君、近来支那朝鮮と云ふ問題が餘程世間の注意を惹くことになった。殊に満韓と云ふ問題は政治家、学者は勿論、事業家の間などにも、餘程注意せらるゝことになったのは甚だ喜ぶべきことであります。吾輩は殆んど十数年以来支那の問題を研究して居る。併し今迄は社会は餘り是に耳を傾けなかった。然るに近来は全社会を通じて、此問題に餘程重きを置くと云ふことになったのは、諸君と共に最も喜ぶべき事である。抑も此問題を解釈する為めに最も必要なる事件は、目下起って居る處の我が国家の安危栄辱に関する此戦争である。此戦争の結果がどうなるかといふことが先決問題である。若し是が負ければ清韓どころではない。我が海岸線を守らなければならぬと云ふ事になる。之は実に容易ならぬ問題である。国民の頭上に臨んで居るところの最も大なる問題である。併しこの戦争には必らず勝つと信じて居る。当局者も無論信じて居る。殊に軍隊は最も大なる自信力を以て戦いつゝあるのである。日本の勇敢なる軍隊と、智勇兼備の将校の力に依って必ず勝つに違ひない。併しながら、戦争の勝利によりて総ての事は決せられぬのである。今日の世界は決して日露で支配して居る訳ではない。日露以外、世界に強国、大国が存在して居ると云ふことを忘れることはならぬ。今日世界に如何なる大国があるか、如何なる強国があるかと云へば、是非七ツ八ツ指を屈せねばならぬ。恰も支那の春秋戦国の時代、戦国七雄と云ふような有様である。欧羅巴に於ては英、仏、独、露西亜、墺太利、伊太利、此六大国がある。是に北米合衆国を加えて七大国である。戦国七雄に比しても、まさか現在戦国ではないが、殆んど戦国の有様を現はして居る。而して今将に絶東の日本帝国が此七大国に加はって、第八国にならんとする時であるから、此度の戦は日露のみで解釈は出来ない。世界の問題である。そこで私が今日議論をする問題は、先づ「世界に於ける日本の地位」と云ふ演題にしても宜いかと思ふ。併し是では餘り大き過ぎる。今少し縮めて「日本の大陸に於ける勢力」、大陸と云ふても少し漠然として居る。「亜細亜に於ける勢力」としようかとも考えたが、亜細亜と云ふても餘り大き過ぎる。そこで私は「東亜細亜に於ける日本の勢力」、斯ふ云ふ問題にした方が適当であらうと思ふ。
そこで此世界の強国に、今や日本が其一とならんとしつゝある、──まだなった訳ではない。自ら強国なりと云ふても戦いに勝つた丈で強国になるものではない。種々の強国が日本を強国なりと認識(レコグナイズ)して始めて強国となる。自分一人で豪らがっても、世界の強国が之を認めなければ強国とはなれない。言い換れば、世界の問題に発言権を持するに至って、始めて世界強国の間に立つことが出来るのである。自分一人豪らがって居ても何処からも相談をされない。世界の大なる問題を決するには、他の世界強国の間で決して仕舞って、唯通告を受けると云ふのみでは強国とはなれない。果して日本がさう云ふ地位に達するや否や。そこで此戦だ。此戦はどう云ふ有様であるかと云ふと、私は軍人でないから之を軍事上からは論じないが、先づ極く簡単に之を説明しますると、露西亜は殆んど欧羅巴の中古時代の国である。私は昨年の十一月に或る所で演説をしたが、其時に露西亜は全く蒙古と同じ事である、露西亜の武力は蒙古的武力である、露西亜の軍隊の組織は蒙古的である、露西亜の君主専制も蒙古的である、斯ふ云ふ事を言った。蒙古の勢力は最早五世紀も前になって仕舞ったのに、今日迄夫れと同じ露西亜の勢力が残って居ると云ふは如何にも不思議である。凡そ進化の理を以て論ずるも、又斯の如き中古時代のものが今日まで存在して居ると云ふことは頗る疑問である。之れは全く一種の外交的関係から来て居るのであらう。即ち国際的関係、勢力平衡の上から露西亜と云ふ国が世界に大なる勢力を現はして居るので、其実力は已に無くなって居る。実勢は既に過去って惰力的の勢力が存在して居ると云ふに過ぎぬ。所が、日本は如何なる勢力であるか、即ち新勢力である。新たに勃興した所の勢力である。世界の文明、世界の有ゆる科学を応用して、而して中古的、専制的、封建的の羈絆を脱却して遂に立憲の政治を行ひ、憲法を制定し宗教の自由を認めたと云ふ国柄である。歴史を読むでみても、仏蘭西の大革命以来専制の勢力は次第に消耗して、尠なくとも千八百四十八年以後は専制の勢力は殆んど全く消滅したのである。今日の流行語を以て云へば、頑強に立憲的運動に反抗した墺太利も普魯西も日耳曼列国も悉く敗北して立憲政治を施くに至つた。此時に露西亜と云ふ一国のみは依然として其制度を改めない。これは国が僻在して居って守旧に便利なのと、「スラーブ」民族が元来政治思想に乏しきが故であるが、其地勢が守るに易く攻むるに難く、奈波列翁の失敗なぞの為めに西欧羅巴の国々が勢力を買かぶったに原因すると思ふ。併ながら斯の如き勢力が新勢力に競争して勝つと云ふことは進化の理に戻って居る。中古の遺物として蒙古的勢力、亜細亜的勢力が欧羅巴に存在して居る。然るに亜細亜にありながら世界の最も進んだる文明を有する日本が之に打勝つ。即ち欧羅巴に国して居る處の「スラボニック」民族が亜細亜的の働きをして、亜細亜に国しながら新文明の空気を呼吸する日本に打撃されるとは如何にも不思議なる現象であるが、これ蓋し真理である。進化の原理に符合するのである。故に此戦は必ず勝つと思ふ。併し勝つと云ふことになった暁、吾輩の言ふ所の世界に於ける日本の地位は如何なる変化をなすか。吾輩をして極く露骨に自分の理想、自分の希望を言ひ現さしめば、世界の総ての問題に日本帝国が発言権を十分に占めたいと、斯う思ふのである。併し一時にさう云ふ勢力を得ると云ふことは如何であるか、之は疑はしいのである。そこで数歩を譲って、先づ日本と云ふ国が東亜細亜に対して十分なる権力を持ちたいのである。斯く謙遜したならば、諸君の中には或は大隈老いたりと云ふことを言ふかも知れぬが、私は先づそこ迄譲りたいと思ふ。御覧なさい、亜米利加合衆国が英国より独立して段々国が勃興するに付てどう云ふ地位を持つに至るか。彼国が今日世界に対してどう云ふ地位を持って居るかと云ふことを諸君に考へて貰ひたい。諸君の知らるゝ通り、米国の大統領の「モンロー」が曾て宣言書を出した。これは「モンロードクトリン」と云ふて亜米利加合衆国では殆んど神聖視して居る。これは即ち亜米利加合衆国は自分の勢力範囲に欧羅巴の干渉は断じて許さないと同時に、欧羅巴の事件に関係しないと云ふことを宣言したのである。亜米利加合衆国でさえ、尚ほ且つ斯の如きものである。日本の突然勃興した所の勢力で、世界の発言権を持ち世界の凡ての問題に権力を振ひたいと云ふことは餘り空想である。併し疑ひも無く此度の勝利に依り、東亜細亜に於ては日本政府の意に戻って如何なる強国も我儘をやることは出来ないと云ふだけの点には、必ず目的を達するに相違ない。
併しこれも漠然として居っては目的を達しないのである。歴史も教えて居る通り、自分の国の地位は既にある点に達したに拘はらず、外交が夫れに伴はなければ思ふ様に往かぬ事がある。併ながら国民が十分に進歩して、国民的勢力が常に政府の後へにあれば必ず此国の外交は成功する。国民の対外観念の発達に伴ふ外交は、着々功を奏するに相違ないと信ずるのである。そこで先づ日本の勢力が亜細亜大陸に於て、支那朝鮮若くは西比利亜に於て十分に実現されたと云ふことは、日本国民が十分知覚しなければならぬ。同時に国民の熱心が世界をして之を認めしむる、日本の勢力は如何なる強国も之を認めねばならぬと云ふ事になって始めて東洋に起った問題に付ては日本の一言一行と云ふものが世界を動かす力を持つに至るのである。
そこで日本の地位が定まると同時に、問題が諸君の常に論ずる清韓と云ふ区域に移って来る。日本は勝つ、必ず勝つ。何故に勝つかと云ふと、世界文明の潮流に乗じて世界文明に反対するものを打つからである。孔子の所謂仁者仁道を以て立つと云ふ訳である。先方は不仁を云ふに此方は仁を行ふ。仁道を以て隣国に臨む。其隣国とは如何なる国であるかと云へば、殆んど大患に罹って居る気の毒なる国民が吾人の周囲に存在して居るのである。此をどうするかと云ふに、少年客気の人は侵略論を唱へるそうである。さう云ふ人達の議論はどうかと云ふと、先づ個人の上には道徳は餘程進んだが、国際的道徳は少しも進まない。所謂権謀術数、春秋に義戦なし、何でも強い者が勝つ。日本が強くなったから隣国を侵略して引奪って仕舞ふと云ふ、これは実に驚き入った訳である。抑も国際的道義が成立たぬと云ふことは大なる間違である。或る場合に権謀術数を弄ぶものがあれば、其一二の場合を挙げて全体の国際的道義甚だ幼稚なるものと断定するのは大早計である。二十世紀の今日に於ては、もはや「マキャペリー」の権謀術数は許さぬ。又人の国を侵略すれば必らず其復讐として自分が又他から侵略されることが起る。古へより、武力を以て人の国を侵略したと云ふ国の結果は何時も宜いことはない。露西亜が無闇に侵略をする。此侵略に日本が反対をした。隣国を扶植して之を進歩せしめる、斯ふ云ふ言葉を以て戦をなすや否や、直ぐに彼の侵略を真似て自分が侵略すると云ふは何事ぞ。覇者も尚ほ此の如きことは為さぬ。況んや王者をや。実に人間の欲望は驚くべきものである。露帝は何と宣言したか。支那の現状維持、支那の保全の為めに支那の開放と云ふことを宣言された。一度ならず何度も宣言した。千九百年に露帝は宣言した。露帝の外務大臣「ラムスドルフ」は亜米利加の国務卿に向って同様の返事をやった。前の「マッキンレー」大統領が支那の開放と云ふ事について列国に廻文を発した。夫れに「ラムスドルフ」は熱心に同意を表した。然るに当時は露帝も外務大臣も内閣も、殊に参謀本部では地図へ線を引いて、之は皆露西亜の地面にして仕舞ふと云って、支那に対する侵略の計画は熟して居た。夫れでも尚ほ且つ表面は支那の現状保全を唱へて、少しも侵略と云ふことは言はない。実に畏るべき国である吾輩は此場合に於て支那問題に関する吾輩の従来の主張を繰返す必要を切に感ずるのである。明治三十一年に吾輩は東邦協会に於て一場の演説を試みた。其筆記は東邦協会の雑誌に出て、翻訳されて欧米の新聞にも出た。其議論は、国と云ふものは外部の圧力に亡さるべきものではない、外から亡されずして自滅するのであると云ふが骨子である。其時私は獅子身中の虫と云ふことを云ふた。獅子と云ふものは実に猛獣で百獣の王とも言ふ。一度咆哮すると百獣皆懼れると云ふ。それがどうして仆れるかと云ふと体に虫が出来る。すると其猛獣が自然に仆れる。これが獅子身中の虫と云ふのである。支那と云ふ世界無比の大帝国、四億万と云ふ大民族はなか〳〵亡びるものではない。那破翁さえ将来世界は支那が支配するか知らんと心配をした位の国である。さう云ふ国が容易に亡びるものではない。如何なる強国も之を亡ぼすことが出来るものでない。所が支那が地を失ふこと日に千里、斯ふ云ふ訳だ。僅かに一世紀間に地を失ふこと千里。曾て二百年前に彼得大帝と云ふ露西亜の豪傑、侵略家が遂に支那の北部の方を侵略し様とした。すると支那の康煕帝は直ぐ兵を送ってこれを追払った。露西亜は散々に失敗をした、閉口した。かの「ネルチンスク」の条約は露西亜にとっては非常に屈辱なものである。支那に取っては最も名誉なる条約で、彼得大帝は支那の国民に取って名誉ある其条約を、自分の恥を忍んで結ぶに至った。其時侵略を免れたと云ふ国が、其康煕帝の子孫に至ってどう云ふ事になったと云ふと、百年の後には「アムール」河を取られ、五十年の後には沿海洲も取られ、続いて露西亜は支那の困難に乗じて更に又彼の浦塩斯徳に近い処を取って仕舞った。さう云ふ様な訳で、別に武力を加へられたでもなければ、戦かった訳でもなくして、日に千里を失ふと云ふことになった。而して既に取られた所の地方は凡て先づ百年間に日本の二十倍位な大きさを取られた訳だ。戦て取られた訳ではない。皆外交の上で取られたので、兵を用ひずして取られたのである。なか〳〵露西亜の外交と云ふものは御偉い。斯の如く国家は皆自ら亡す。他動的でない、自動的に亡びる。亡ぼされるのでない、亡びるのである。羅馬の亡びたのも蛮族が亡ぼしたと云ふが決してそうではない。もう羅馬が腐敗した。そこで北狄が侵入したまでである。物先づ腐って虫之に生ず。是は亡されるに非ずして亡びるのである。国の亡びるのは皆さう云ふ訳であると、大体さう云ふことを吾輩は言ったのである。それから其当時、支那の分割と云ふ議論が餘程盛んであった。そこで私か支那の分割の不可能なることを信じて、支那の保全を唱へた。支那を励まして亡びぬようにしろと云ふ注意を与へた。其時に丁度勢力範囲と云ふことが唱へられ、分割と云ふことが唱へられた。其時代に私は是は世界の人達が餘程過って居る。殊に外交家が最大なる過をやって居る。全体手品師のように、人の物を勝手に紙の上に図を引いて奪ふと云ふことが出来る理屈のものではない。曾て伯林に於て列国会議を開いて亜弗利加の分割をやった事がある。其時に始めて此「スブウェア・オブ・インフリュエンス」と云ふ字が出来た。さう云ふ外交上の言葉が出来るやうになった。是は外交官達が「ビスマルク」の前に大きな「テーブル」を置いて、自分が持って居る鉛筆で地図に筋を引いて、是は英国、是は独逸、是は仏蘭西と、其取るべき所をきめた。又この所を取ると餘程面倒だから中立にして置かうなどゝ、そう云ふ様な事をした。斯ふ云ふ様に紙の上に鉛筆で引いた所の線が夫々事実の上に出
現した。是は不思議はない。亜弗利加と云ふ国は、諸君も地図で御覧の通り、白くしてある所が多い。餘り黒くなって居らぬ。黒くないのは書くことが少ないからだ。或は探検をしない所は皆白くしてある。斯ふ云ふ所を分割するには外交家達が地図の上で勝手に極められるが、支那は四千年の歴史を持って居り、四億万の大民族が住居して居る所である。最も機敏な外交家達がそれを忘れたと云ふことは餘程不思議である。亜弗利加とは大に違ふ。さう云ふ馬鹿な事が出来るものでない。そこで私は其当時、所謂各国の勢力範囲なるものは実印を押さぬ証文同様であると評した。所が其当時日本は福建省の不割譲を約束してあったのも併せて罵倒した様な訳で、各新聞などから甚だ相済まぬと云ふ批評を受けた。吾輩は其当時外務大臣で当局者であったから一層世間の攻撃が八釜しかったが、私は正直だから思った通りを述べたのである。事実其通りだ。大切な証文に捺印がしてないのに己れの権利があると、そんな馬鹿な話はない。そんならばどうするかと云ふと、支那の様なあゝいふ大国は、騒がすと蜂の巣のやうなもので面倒だ。そっとして世話をして置く。そうして支那を誘導して開発すると云ふことが必要であると、斯ふ云ふ議論を唱へたのである。而して支那を開発し支那を誘導するには如何なる国が先生となるか、或はこの大病人を診察をして之を治療する医者になるか、看護婦になるかと云ふ問題が大問題である。これは英国が古くから交際があるから宜かろう、若くは境を接して居るから露西亜が宜かろう、若くは米国が友誼的に先生となって指導した方が宜かろうかと云ふ事があったが、是亦不可能の事である。支那を文明に導き得る国は世界に無い。支那と云ふ大病人を治療して復活させる国は世界に無い。。若しさう云ふ国があれば世界に唯一ツあって二ツない。一ツのみだ。其一ツは如何なる国か。即ち日本だ。日本を除くの外には無い。是は外務大臣として予告して置いた。
昨今丁度其時が近付いて来たようである。如何となれば、日本が大なる勢力を亜細亜大陸に及す時に当って、而して世界に対して日本の働きが尊敬されると云ふ時になって、日本は始めて親切に支那の治療に取掛ることになるのである。何故に日本が支那を誘導し且つ開発し、死に瀕したる支那の病気を治療する任務に適して居るかと云ふと、我々の先祖は支那人と大なる違ひはない。或人は日本人は「アリアン」種族だと云ふ。「アリアン」は左程有難いものか我々は疑ふ。何と云ふても我々の血は「アリアン」とは違ふ。我々の血の中に多少「アリアン」の血も交って居るか知れぬが、それが為に日本民族が「アリアン」人種だと云ふのは少し乱暴な断定である。そこで支那人の口調で言えば同種同文、同種とは同民族と云ふことだ。次に我々は千五百年以来、支那の文学、美術、宗教若くは政治、学芸、殊に倫理と云ふものに於ては支那に負ふ所が餘程多いのである。平たく言って見れば、諸君の父さんは孔子様の門人であったに相違ない。そうでないならば土百姓か、無学文盲の人に違ひない。五千万と云ふ大民族は大概孔子さんの門人である。孔子さんの感化を受けて、口を開くと仁義を云ふ。此仁義と云ふことは皆これ支那の哲学から導かれた所のもので、此感化力は実に広大なるものである。近来支那を悪く言ふ者は餘程通人のようになって居るが、是は意外の事である。近来の支那は餘り宜しくは無いが、それが
為に孔子まで悪しく云ふのは不都合である。例へば中古時代の基督教に於て、羅馬法王の権力で腐敗した。これを以て基督教を悪く云ふが、決して基督教は悪るく云ふべきものではない。基督は尠くとも聖人である。人類を罪悪から救はんと企てた人である。所が羅馬の坊主共が一時権力が大になるに随て有ゆる罪悪を犯した。普通の俗人よりも余計犯すに至った。羅馬の坊主共こそ沢山地獄へ往ったであろうと思ふ。併しそれが為に基督教を非難するのは気の毒である。それと同じく孔子さんの子孫の支那人が多少堕落した為めに、孔子さんを悪く云ふのは実に勿体ない。それは兔に角として日本人は孔子さんの門人である。さうすると支那人とは同門だ。同種同文、而して御師匠さんまで同一であるから、日本に依って支那を開発させるのは至当である。日本人は支那人と同種同文にして同門、支那の哲学を学び、支那の文学を学び、支那の政治を学び、有ゆる支那の学芸を学んだ。今日諸君の家庭に行はれる風俗習慣と云ふものも、多く支那に依って居る。この国民が支那開発に最も適当だと云ふのは、何人も異論のある可らざる事柄である。そこで日本人が支那人に向って、君は仏教の中毒と儒教の中毒で大病に罹って居る、我等も同じ病気になった事があるが、西洋舶来の良い薬を服んだ為めに病気が治って、前よりも百倍増した健康になった。そこで君達にも此薬を上げるから飲むが宜しいと勧める。これは親類同志で始めて出来ることである。人種が違ひ、風俗が違ひ、文明の源が違ふ人であると、極く友誼的にもって往っても、人類の弱点として猜疑の心が起る。徂末な宣教師がやって来て毎度騙したことがあるから、又其伝だらうと云ふ疑が起る。所が日本人は同種族で、同門で、一番近い親類だから、極く真実に世話をしてやる。又支那人も信用を置くことになる。吾輩が思ふには、今日支那に欠けて居る所のものは政治の能力である。凡て政治が悪い為めに風俗が悪くなる。政治が悪くなった為めに、到頭国民を堕落さして仕舞ふ結果になる。
かの朝鮮の如き千五百年前に於ては日本よりも何かゞみな進んで居った。文学も工芸も進んで居った。例へば高麗焼と称する陶器の如き、今日残って居るのは実に宝である。斯の如き陶器を造るところの技倆と云ふものは容易でない。あれを見ても他にも巧妙なる工芸があったに相違ない。其他文学に於てもなかなか大著述がある。それが何故に今日の有様になったか。全く政治が悪い為めに堕落したのである。支那もそれと同じ事、政治が悪い為めに、文学も技芸も其他総ての物が段々衰微したのである。支那の織物、陶器、彫刻、絵画其他種々の工芸品と云ふものはなか〳〵盛んなものであったけれども、僅に二百年ばかり前から段々下って来て、今日では非常に衰へた。そこで支那を開発するに、先づ政治の改良から先に為ねばならぬ。それを誘導するのが日本の天職である。而して、今、日本が其天職を尽すのに適当な時期が来ったのである。支那を治療するに就て、支那を誘導するに就て、殆んど一の妨害を受くるを要さない時になったのである。又或意味から云へば、支那を誘導するは日本が支那に対する報恩である。斯かる時期の到達したるに拘らず、侵略的の議論を唱導して支那人をして嫉妬猜疑を起さしむるは最も不都合である。日本の政治家、学者たるものは此際言葉の上に於ても、行為の上に於ても餘程気を付けなければならぬ。既に宣戦の詔勅にある如く、日本は勿論、北米合衆国も英国も、支那の保全と云ふことを主義として発表して居る。支那の開放と云ふことは決して独り日本の主義に非ずして、世界の主義になって居る。殆んど世界の根本主義になって居る。此主義に背くと云ふことは、支那をして折角日本に頼る所の意を失はしむることになる。之を失へばどうなるかと云ふと支那の不利益、日本の不本意、平和の攪乱と云ふ結果を生ずる。即ち支那人は反く、反けば余儀なく政治上では黙って居られぬ事になる。朝鮮もさうだ。朝鮮の君臣が若し寛仁大度なる 天皇陛下の聖意に背いて、土地を奪はれるなど云ふ誤解から陰謀をやって敵に通ずる、或は野心ある国に籠絡されると云ふことがあれば、余儀なく朝鮮を取ると云ふ様なことが起らぬとも限らぬ。是は果して日本が他国を亡ぼすのであるか。決してさうではない。朝鮮が自ら亡ぶるのである。そう云ふ訳であって、支那に於ても其通りだ。日本が支那に対して充分なる友誼を尽すに拘はらず、支那の君臣が猜疑心を以て所謂野心ある国の権謀術数に掛って日本に害を与へると云ふことになれば、其時には決して許すことは出来ない。如何なる寛仁大度の君主も、姑息な事をして之を捨てゝ置く訳に往かぬ。或る場合には国を取り人を殺すと云ふことも必要である。無道を征するは必要である。併しながら侵略と云ふことを日本は主義として居る訳ではない。無論寛仁大度の 陛下に統治されたる国民は、友誼的に支那を取扱はなければならぬ。支那と日本とは同種同文、而して同先生のもとに千五百年来感化を受けた所の者である以上は、日本は友誼上何処迄も支那を文明に進めてやらなければならぬと云ふ、此精神は十分に支那に通ずるようにしなければならぬ。然らざれば大なる過が起るのである。夫故成丈猜疑を避けると云ふことが必要であらうと思ふ。
斯く論じ来れば、日本の東亜細亜に対する責任は最も重大なるものとなるのである。夫故に此度の戦争の結果に付て媾和の条件を述ぶることが最も必要なることゝ感ずる。媾和の条件を今日論ずるのは早計の如くではあるが、早晩媾和の時期が来るに相違ない。冒頭に論じた如く、此戦の結果は必ず日本が勝つ。日本は此戦の目的を充分達することが出来ると信ずるのである。然らば今日より媾和条件を攻究することは、決して無用の業ではないと信ずる。東洋の平和の目的を将来日本が保障する地位に立つ以上は、媾和の条件に最も重きを置かなければならぬ。決して此度の戦いの目的は地を略し民を奪ふと云ふ如き覇者の目的ではない。既に宣戦の詔勅にある如く、殆んど王者の師である。平和を得る為めに戦を起したならば、又たびたび此戦を繰返すと云ふ如き事を未然に防ぐのは、終局の大目的でなければならぬ。
凡そ世界の勢力が国際的に交渉する上に付いては多少の混雑はある。国際的利益の競争もある。併しながら露西亜が「ウラル」を越へて東洋に及ぼすところの勢力は、普通文明国互ひ〳〵の間の国際的競争、若くは国際的紛議とは餘程性質が違ふのである。是は数世紀以前から、力の弱い薄弱なる所に向って圧力を加へ、侵略の手段によりて得た所の勢力である。斯かる勢力は若し強い力に出遇ふと其処で止まる。恰も水が岩か山かに出遇ふと其処で屈折して流れを転ずる、西せんとするのが東に戻ると云ふことがあると同様である。露西亜の北の方は天然に限られて居る。乃ち北氷洋と云ふ所がある。そこで西の方はどうなったかと云ふと、日耳曼と云ふ強い力に出遇うて止まって仕舞った。そこで一方は黒海に向った。土耳古の勢力は弱い。薄弱なる所に向って直ぐ圧力を加えた。とう〳〵「クリミヤ」半島、黒海沿岸を皆取って仕舞った。更に転じて一方は「バルガン」に向った。「バルカン」に向ふや否や、始めは英国の力に制せられ、続いて列国の共力に依りて制せられた。爰に於て露西亜の西に向ひ南に向ふ所の膨脹力は全く止められて仕舞った。そこで此勢力は転じて中央亜細亜に向った。更らに転じて阿非汗から印度の方へ及ぼした。一方は中央亜細亜から波斯に向い波斯湾に出でんとする。何でも薄弱なる所に暴力を用ひて圧迫をした所が、是も亦た英国の反抗に出遇って中々容易に志を達することが出来ない。夫れ故に露西亜のあらゆる力は西比利亜蕃族を征服して支那の北部を圧迫し、遂に満州朝鮮を圧迫するに至った。又団匪の乱に乗じて全く満州を軍事的に占領した。斯の如く露西亜の膨脹は欧羅巴文明の国際間競争と性質が違って居る。何時も強い所を避けて弱い所に向ひ、機の乗ずべき時があれば直ちに占領する。之れ露西亜の政策である。爰に於て露西亜は東洋に勃興する所の日本と云ふ新勢力に出遇って、日露の衝突がこゝに起った。曾て「ポーランド」を亡ぼして日耳曼・墺太利・匈牙利に向った時の勢力、若くは「バルガン」に向った時の勢力、印度に向った時の勢力を、英国、独逸、其他欧羅巴列国に防ぎ止められたと同様に、露西亜の極東に於ける膨脹力は、東洋の日本と云ふ新勢力に出遇って防ぎ止められつゝある。然しこの膨脹的運動は一回二回では止まらぬ。機の乗ずべき時があれば、又再び起るのは「バルガン」の例を見ても明かである。あの「バルガン」の問題と云ふものが列国の「コンフェレンス」の上に成立って居るが、列国の利害関係が何時でも同一ではない。時勢に依ては、列国の勢力平衡の上に於て多少変更が起る。利害の衝突が起ると云ふ為めに、列国共同の力は強く見へて、其実甚だ薄弱である。是が即ち外交の乗ずべき所で、動もすれば露西亜は「バルガン」に向って往く。露西亜が西の方に向ふところの力は、全く噴火力を失って仕舞ったのであるが、「バルガン」に向ふところの力は今噴火が休んで居るので、機の乗ずべき時があれば直ぐ又燃え出るのである。何となればこれを防止するのは一国の力ではない数国の力であるから、数国の力が合一する時に於ては此働きは止まるが、是が薄弱になると直ぐ起って来るのである。東洋に於ても其通り露西亜の東洋に勢力を奮ふのは世界の商業国は喜ばぬ。英国も米国も独逸も決して喜ばない。何故に喜ばぬかと云ふと、露西亜が勢力を奮へば商業は衰へて仕舞う。露西亜の勢力が盛んになれば、世界の商業市場たる支那は殆んど露西亜の禁止的重税に苦しめられて仕舞うのである。夫れ故に之は皆反対するのである。反対がどう云ふ形式で現はれたるかと云ふと、即ち支那の保全、門戸開放。此門戸開放と云ふ議論が何故に起るかと云ふと、門戸を閉す者がなければ之を開放する必要が起らう道理はない。知るべし、露西亜の国旗の翻る所には必ず商業を閉すと云ふことがある。夫れ故に世界文明の国、世界商業の盛んな国は、東洋に於ける露西亜の侵略には皆反対である。日本が露西亜に向って戦をなすに就て、諸外国が熱心な同情を表せらるゝと云ふは此為めである。果して然らば列国協同して露西亜の力を制すと云ふが一番宜いやうであるが、「バルガン」と同じく列国協同と云ふことは其形の大きくして、実勢は夫れ程固いものではない。例へば、英仏同盟して露西亜を討った事がある。露西亜の擅に人の国を侵略すると云ふことに付て、英仏は露西亜に向って戦を開いたのである。夫れは有名なる「クリミヤ」戦争であって、前後三年の後に遂に露西亜は屈して和を媾じた。其の当時、英仏聯合して露西亜に向ったが、僅かに四十年の後は、露仏は東洋に於て同盟して日本の遼東の占領に干渉した。「クリミヤ」戦争から三十年の後には露仏は同盟した。斯ふ云ふ訳で、列国協同なるものは国際的の利害、列国間の勢力平衡の上から、時に依っては変化する。夫れ故に一番利害の密接なる関係のものが、世界の利益を代表して余儀なく一国限りの力を以て剣を取らなければならぬと云ふことになる。将来に於ても此絶東に於ては、日本が平和を保つの任に当らなければならぬ。世界の平和の保障とならなければならぬと云ふは国の地位の上から生ずる天職であって、実に已を得ぬことである。夫れ故に媾和条件は、将来の東洋に於ける災の元を絶つと云ふことが第一の主義でなければならぬ。此戦の結果はどうなるか知らぬが、長く続くに従って日本の要求は次第に大きくなる。併しながら、まだ一二の大戦はあるか知れぬが、其内に旅順も陥落する。或は浦塩斯徳も陥落する。奉天は自ら棄て北の方に走ると云ふやうな事になって、此の平和が成立つと云ふことになれば、先づ満州全部は全く露西亜の勢力から之れを区別して、露西亜に棄てさせると云ふことになる。又た将来浦塩斯徳の軍港に大軍艦を、繋ぐと云ふことは支那海、日本海の安全を保つ上に甚だ危険である。既に巴里の「コンフエレンス」に於て「ボスフォラス」海峡の通行を止め黒海艦隊を制限したと同様に、支那海、日本海に優勢の艦隊を置くと云ふ事は餘程危険である。浦塩斯徳を露西亜の手に其儘保存して置くことは餘程危険であるから。戦勝の権利として此軍港を収むる。沿海州の割譲、樺太を取る。其外は数世紀掛って露西亜の新経営をしたところの西比利亜。これは無論日本はことさらに地を侵略する目的はない。将来の平和のために危害の虞のない以上は無論日本に割譲を望む必要はないと思ふ。そうなれば無論東清鉄道は日本に収めなければならぬ。併しながら日本に、東清鉄道若くは浦塩斯徳に達するところの西比利亜鉄道を収むるにしても、之れは世界交通の道であるから、日本は決して之れを閉ざして自分のものにすると云ふ意は少しもない。其代りに露西亜も西比利亜を閉すと云ふことは甚宜くない。貿易上相互的の利益を増進するを目的とし、極端な重税を課することを止めることが必要である。同時に西比利亜の無限の富、驚くべき広漠なる不毛の土地も均しく世界に開いて、種々の法令を設けて外国の事業家を妨げると云ふことを禁ずることが必要である。さうなれば自由の空気は一般に瀰漫する次第であるから、西比利亜地方も甚だ繁栄に赴くに相違ない。商業も盛んになる。而して将来の日露と云ふものの交際は必ず親密になる。之れが最も将来の東洋平和を保つ上に有益なる手段である。日本は決して好んで国の威厳を張り、戦勝の威を奮って人を苦しめると云ふ意思はない。一度平和に復する以上は露国に成丈け文明の政治が行はるゝことを望み、其国家の繁栄、「スラブ」民族の繁栄を望むのである。此望みは所謂相互の利益である。其相互の利益は平和よりして導かれるのである。永遠の平和は支那のみならず、露西亜も亦た門戸を開放して世界の文明を入れると云ふのみによりて得らるゝ。斯くの如くにして交通が盛んになり、世界の商業が盛になれば平和を保障する力は益々増進するのである。而して斯くなった暁に満州と云ふものを、日本政府は如何に処分するかと云ふ問題が爰に起って来る。之れは露西亜に対するに非ずして、支那に対する問題である。此満州は広漠なる土地であって、殆んど日本の二倍半と云ふ大なる面積を持って居り、且つ三千年以来の歴史を持って居り、又た日本とも二千年来餘程関係のある土地であるにも拘はらず、人口は疎であって、凡て経済上の発達は餘程幼稚である。之れは何に原因するかと云ふに、前にも言った如く政治が悪い。秩序が立たぬ。彼馬賊と云ふものは今日起ったものでない。あれは殆んど支那の歴史と同時に発達したものである。所謂支那北部の旧族、所謂支那の歴史あって以来周狄の後に匈奴となり、夫れから種々の変遷を経て遼、金、又元となり、遂に愛新覚羅氏が起った。斯う云ふ訳で、常に此北部から起った勢は支那を圧迫して居る。度々支那を征服した。全く全部を征服しないでも、匈奴の盛んなることなどは実に驚くべきものであった。漢の武帝が常に匈奴に苦しめられ、始皇が六国を亡ぼしても北部の蕃族、即ち匈奴を防ぐが為に万里の長城を築くと云ふ有様であった。其時から北部の游牧の民は馬に跨って争闘を好み、中々強大なるものであった。馬に跨って侵略を擅にする時には殆んど猛火の原野を焼く如き勢である。金、元の鉄騎と云ふものは実に宋の君臣を戦慄させた。一度馬に跨って南の方へ下ると、もう決して支那人の云ふ中国の兵は之に当ることは出来なかったのである。戦が止むとどうなるかと云ふと、馬から下りて游牧の民となる。若しくは農業の民となる。饑ると直ちに馬に跨り賊となる。そこで乗れば兵、下りれば農、馬に跨ると即ち賊、馬賊は決して今日起ったものではない。支那の歴史有てより支那北部の民は常に馬に跨って奪掠をする、侵略をする。是れが盛んになったのが彼の匈奴となり、契丹となり、金、元となったものと思はれる。さう云ふ訳で、秩序が立たぬ。夫れ故に文明が進歩せぬ。人文が発達しない。之れはどうしても政治が悪いからである。王者が国を治むる術を得なかった為めに乱れたのである。其極、遂に露西亜の有とならんとしたのである。左れば今此儘で以て支那に還付してみた所が、支那の政府は之れを能く治むることが出来るや否や。若しこれを治むることが出来なければ、其の混雑からして遂に外国の圧迫を受け種々大なる災を惹起す。即ち東洋の平和に害がある。日本は何処迄も友誼を以て之れを支那に戻す。支那に戻すは度々繰返す通り、寛仁大度なる我 皇帝陛下の支那皇帝陛下に対する恩恵である。然し、それと同時に之を支那に還付するに付て、餘程多く条件が無ければならぬ。独り満州のみならず、全支那も亦た同様で、今日の如く秩序が紊れて居っては、隣国の災ひは直ちに引いて日本に及ぶのである。日本が絶東に於ける平和の保障者となる大責任を持つ以上は、凡ての平和維持の為に相当の権利を行ふと云ふことが即ち其責任から起って来るのである。之れが冒頭に日本の東亜細亜に於ける地位を論じた所以である。日本は数万の生命を犠牲にし、数十億万金を費して得た所の土地であるに拘はらず、之れを支那に還付するに躊躇しない。然し之れを還付するに付ては、満州も勿論、支那全体に充分なる秩序を保って貰はねばならぬ。之を言ひ易へれば、支那皇帝は善政を行ひて支那の秩序を確立し、同時に国の文明を進めて制度文物を世界の文明と同化せしめ、列国との生存競争場裡に立ちて適者として生存するを得るに至る迄の間は、日本は絶東に於ける平和の保護者たる責任として、支那に対し後見者たる地位に立つ必要がある。故に支那皇帝は勿論凡て支那の大官、地方の総督巡撫に至るまで、日本皇帝及び日本国民の友誼あるこの心を十分に体して、支那を文明に導き善政によりて国を盛んにすることが最も必要である。これを行ふ上に付ては、日本の力の及ぶ限り友誼的助力を与へると云ふことが日本の義務である。是が即ち満州を還付するに就て国民全体の希望である。斯くする時は世界列国の商工業者は安全に支那到る所に居住し、到る所に事業を営み、毫も危険を感ぜぬことになる。斯くする時は世界列国、殊に支那を侮り之れを苦しめた国民までも、自から支那人に相当の尊敬を与へるようになる。而して平和は期せずして来るのである。支那の尊厳は期せずして現れ来るのである。是即ち日本国民が其同種同文の国民に対し、千五百年の友誼ある国民、孔夫子の同門者たる国民に対する所の希望である。而して斯の如くにして得られたる泰平の賜物は、引いて世界に及ぶと云ふ訳である。返す〳〵も我が日本は戦勝の威を仮りて侵略を努め、又は強を頼んで弱を凌ぐといふ意志はないのである。此一事は独り支那政府、支那国民に向って宣言をするのみならず、世界に向って宣言して少しも憚らぬのである。従来欧米列国が支那朝鮮、即ち絶束に於て得たところの権利、既得の権利は国家として個人として得たる総ての権利は、日本に於て何処までも之を尊重せねばならぬ。又平和の克復と共に、世界の商業が我東洋に於て繁昌を極めんとするに当り、殊更に一国に利益を与へて他の利益は之れを妨ぐるといふが如き手段を取ることは、日本政府は必らず避くる所であろうと信ずる。又日本国民全体は何処迄も自由競争の下に、列国共同の利益の下に、此絶束の文明を開発して其富を増進することを希望するのである。国際的猜忌、民族的嫉妬、宗教的悪感が釈然として解け、世界協同の利益を増進し、平和の光明遍く我が絶東諸国民を照らすの時一日も早く到達せんこと、此結果の我が皇軍の勝利によりて来らん事、実に日本国民の希望である。我が大和民族はこの目的を達するを以て其終生の事業、本来の天職なりと信ずるのである。(拍手大喝采)