序
見ぐるしからぬは文車の文と兼好《かねよし》法師が書殘せしは世々のかしこき人のつくりおかれし諸《もろ》々の書物是皆人の助となれり
見ぐるしきは今の世間の歌文なれば心を付て捨つべき事ぞかし かならす其身の恥を人に二たび見さがされける一つ也
すぎし年の暮に春侍宿《やど》のすゝ拂ひに鼠の引込みし書き捨てなるを小笹の葉すゑにかけてはき集め是もすたらす求める人あり
それは高津の里のほとりにわづかの隱家《かくれが》けふをなりはひにかるい取置《とりゑき》今時花《はやる》張貫の形女《すがたをんな》を紙細工せられしに塵塚のごとくなる中に女筆もありまたは芝居子の書けるもあり
をかしき噂《うはさ》かなしき沙汰あるひは嬉しきはじめ榮華《えいぐわ》終りなが〳〵と讀みつゞけゆくに大江の橋のむかし人の心も見えわたりて是
其月其日 西鶴