荘内方音攷
    氏家剛太夫天爵著
方音とは一方の音韻の事を云ふなり。天下の正音に対して是を方音と云へるなり。此考は即ち我荘内の音声の説なり。此方の音、もとより士太夫の上には有ること無し。只庶人の訛音の事と知るべし。

○方音、ユヨの音に別なく、皆ヨと唱ふ。露をツヨ、雪をヨキ、春風をションフウ、冬風をフヨカゼと言ふの類なり。
訛はいくらも有れど、皆五音を出でざるは倭語の妙なり。されば古言にも五音相通言多けれど、言ひ馴れたるは耳にも立たず、古き物語等には多くあるなり。
是より及ぼして、チウ ジウ キウ等いふ音をテウ ゼウ ケウなど呼ぶなり。例へば忠臣寵臣に別なく、一重一丈を混じ、灸治経師の分ち無きが如し。
往々物知りなる民は、チョウ キョウなど言ふべきを、却ってチウ キウなど呼ぶ者ありて、茗荷をミウガと言ひ、挑灯をチウチンと言ふの類なり。固より論ずるに足らず。
無学文盲なる民のみ然るやと思へば、歌の片端をも学び、神書儒書をも少しは窺ひたると云へる者も、右のユヨの混同はまぬがれず、剩へ只口に唱ふるのみならず、文字に書くにすら別無きものあり。これ例へば、イ ヰ、ヲ オ、エ ヱ、古昔は自ら呼び別けたりしを、後世混同して、京師の人と雖も呼び別くること無きが如く、今に至りては家々に教へ、戸々に説くとも、庶人のユヨの音を分ち唱ふる事は成り難き事なるべし。

○或人の説にユヨの音混同するは奥羽の人皆然りと云へり。余他国の事は知らざれ共、荘内にて士以上の人は何ほど不学文盲なる者もユヨを混じて呼ぶ者一人も無し。然れば奥羽の人といふは少ト漫然たるやうに思ゆるなり。


○方音のパは合音のみにして開音に呼ぶ事甚だ少し。母をハハ(合合)と言ひ、
母の仮名ハハなれ共、声に呼ぶ時はハワと言ふべし。江戸の人はハハと二字共に開音に呼ぶ。是も訛なれ共、正音のハワ、田舎人の口にはあまり耳立つやうなれば、児孫等にはハハと江戸音に言はしむるなり。され共謡にてもうたふ時は必ずハワと唱ふべしと教ふることなり。

木葉を木のハ(合)、刃物をハ(合)物と言ふ類なり。是等のハは一切に開音なり。然るに方音皆合音に呼ぶ故、士君子も皆合音に呼ぶ人あり。謹むべし。又ピペセ等も方音は合音ばかりにて開音無し。され共是等は呼へ分かず共、さてありなんと思へば、京師の人に糾したる事は無きなり。謡等うたふ人は必ず正音に呼ぶべき事なり。

江戸莊内ともに人に応ずる詞ハイ(莊内は合・江戸は開)と言ふに、在郷者は少し黠なる奴は開音にハと対ふるあり。是も方音なり。

○荘内の土人は音便連声と云ふ事を知らずして訛る言語多し。是誰も知りたる事なれ共、児孫の為に其例を言はゞ上の音ンとはねたる下の音アイウエヲはナニヌネノに転じ、ハヒフヘホは半濁に転ずるなり。例すれば


○又 上の音ツと詰まりたる下の音アイウエヲはタチツテトに転ず。ハヒフヘホは半濁に転じ、ヤヰユエヨは拗音に転じ、ワヰウヱオはタチツテトに転ずるなり。例すれば、


以上唯一例を挙げて示す。千言万語皆かくの如し。此事京師の人などは、平日の言語皆此通りなれば、誰書き記して説き示す人も無く、其外の人も知れたる事故、是まで論じ置かぬと見えたり。
太宰徳夫和読声の事を載せたれ共、五十音を以て正したるに非ず、只一端を言ひ置きたるなり。

○右の連声、江戸の人などは守らぬもの多く、殊更に唱へにして呼ぶ人あり。例へば文右衛門と云へる人を、江戸の人はブンエモンと字の通りに唱へ、莊内にてはブンニモンと唱ふ。何も訛にて、ブンネモンと唱ふが音便にて口にたまらず、故実にも叶ひ言ひよし。江戸人の如くにては声滞りて唱へ憎きを、彼も知るべきをいかで斯くは唱ふるにや。莊内のブンニモンは口にはたまらざれ共、ヱの音のニに転ずべきやう無し。是は末に論ずる如く、方音はヱとイと混ずる事多ければブンイモンと訛りて夫れよりブンニモンに転じたるなるべし。此類の事枚挙するに暇あらず。

○方言にイヱとヌノを混ずるのみならず却って彼是に訛る。例えば案をツクイと言ひ、囲をカコヱと言ふ。塗師をノリシと言ひ、行れぬ 立れぬなど言ふべきを、行れの 立れのなど言ふなり。いかなる事にて斯く彼と是とを互に訛れるや最も不審多き事なり。

○方音 カキクケコ タチツテトの十音には必ず清音と濁音との間の一種の音あり。仮に中濁と名く。此方音は士太夫と雖も免れず。例へば、鷹をタカ△、柿をカキ△、行くをユク△、酒をサケ△、章魚をタコ△、勝をカツ△、待ちをマチ△、的をマト△、と云へるが如き、△点の文字皆中濁なり。是上方に無き音なる故、鷹と云えば箍と思ひ、柿は鎰に混じ、行くは湯具にまぎれ、酒は下(さげ)とまがひ、章魚は田子、又は未、市は意地、勝は数、待ては迄、的は窓に聞きなさるゝなり。源の義経と云えば、皆戻りの芦簀寐にやと云ひ、

○右の中濁音にて、歌などよみたらんには殊に聞きぐるしかるべし。

此中濁は、荘内にては謡などうたふ人は殊の外に吟味するなり。吾藩の重田鳥嶽は荘内生れにて猿樂を好みたる人なり。謡うたふ人には必ず五十音を数辺云はせて此中濁の穿鑿甚だ強かりしなり。余が岳父堀少公は平家をよく語りたる人なりしが、常の言語も中濁は努めて言ふまじき事なりと、著述の書中にも論じ置きたり。謹しむべき事なり。

○前に論ぜし連声の類に連濁と云ふ事あり。本は濁らざる音なれ共、上の字音につれて濁る事あるを云ふなり。南山 東方の如きも サン ホウ 二字共清音なれ共、南東の二字につれてナンザン トウボウと読むなり。此類枚挙するに暇あらず。

○方音にユの音無きが如く、江戸音にクヮの音無し。クヮと唱ふる分は皆カと唱ふるなり。又サの音をシャと唱ふる事多し。これ江戸の人も謡などよくうたふ人には決して無し。藩の五十嵐又平は江戸生れにて謡を善くする人なり。廻国(クハイコク)の僧にて候、観音(クワンヲン)薩埵などうたへ共、カイコク カンノンとは言はず。されば是も方音ユの如くにて、江戸にても心ある人は、本音に唱ふと見えたり。されど怪しむべきは渡辺伯秀の話に江戸の子供は句読を授くるに、関々雎鳩を幾度教へてもクヮン/\タルとは言ひ得ず、カン/\タルショキウとばかり言ふには困りたりと語れり。されば方音のユも今庶人には教へ難きとは知れるなり。

 

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