冥府の底のそのまた底―――其処は冥王の間。彼は一人、玉座に佇む。
銀の髪に、紫の瞳。携えしは一対の双剣。
かつて<紫眼の狼>と呼ばれた男―――エレフ。
その肉体はもはや冥王の器と化し、精神は闇深く眠りについた。
今の彼は冥王タナトス。それ以上でもそれ以下でもそれ以外の何物でもない。
彼はただ心静かに、座して待っている。その退屈など、彼には欠片ほどにも苦痛ではない。
彼は生まれ堕ちたその時から、ずっと待ち続けていたのだから。
何故、自分は存在しているのか。自分は、何をすべきなのか。
その答えを問い続け、待ち続けていたのだから。
そして今、彼はその問いに己なりの解を見出していた。
タナトスは顔を伏せ、一人呟く。
「母上(ミラ)…貴柱ガ命ヲ運ビ、仔等ニ残酷ナ運命ト痛ミヲ与ェルノナラバ―――我ハ其ノ命ヲ奪ィ続ケ、殺メル事
デ救ィ続ケヨゥ」
銀の髪に、紫の瞳。携えしは一対の双剣。
かつて<紫眼の狼>と呼ばれた男―――エレフ。
その肉体はもはや冥王の器と化し、精神は闇深く眠りについた。
今の彼は冥王タナトス。それ以上でもそれ以下でもそれ以外の何物でもない。
彼はただ心静かに、座して待っている。その退屈など、彼には欠片ほどにも苦痛ではない。
彼は生まれ堕ちたその時から、ずっと待ち続けていたのだから。
何故、自分は存在しているのか。自分は、何をすべきなのか。
その答えを問い続け、待ち続けていたのだから。
そして今、彼はその問いに己なりの解を見出していた。
タナトスは顔を伏せ、一人呟く。
「母上(ミラ)…貴柱ガ命ヲ運ビ、仔等ニ残酷ナ運命ト痛ミヲ与ェルノナラバ―――我ハ其ノ命ヲ奪ィ続ケ、殺メル事
デ救ィ続ケヨゥ」
「問に惑い」「解を違え」「累の海に堕つる」
「愛を求め」「生を奪い」「灰が宙に舞う」
「愛を求め」「生を奪い」「灰が宙に舞う」
突如響いた声―――タナトスが顔を上げると、そこにいたのは白いドレスを纏う六人の美しき娘達。長いブロンドの
髪が、冥府の闇の中でも煌くほどに麗しい。だが、彼女達がただの娘であるならば、こんな所にいるはずがない。
「第六の地平<運命>」「其の語り手は誰ぞ」「語り手は我等」
「第六の地平<神話>」「其の謡い手は誰ぞ」「謡い手は我等」
髪が、冥府の闇の中でも煌くほどに麗しい。だが、彼女達がただの娘であるならば、こんな所にいるはずがない。
「第六の地平<運命>」「其の語り手は誰ぞ」「語り手は我等」
「第六の地平<神話>」「其の謡い手は誰ぞ」「謡い手は我等」
『―――我等<詩女神六姉妹(ハルモニアス)>』
詩女神六姉妹―――それは人間達を見守り、その営みを詩として語り継ぎ、謡う事を使命とする女神。
時には人間達の前に自ら姿を現し、天上の鐘の如きその歌声を披露すると伝えられる六柱神。
創世神が一柱・詩女神(ハルモニア)の直系、高貴なる歌姫。
六柱の女神は恭しく片膝を着き、タナトスに頭を垂れる。
「貴柱(あなた)こそは冥王タナトス」「偉大なる冥府の支配者」「死を司る慈悲深き父」
「我等は未だ若き柱」「されど、何卒」「我等の声に、耳を傾けて頂きたく」
タナトスは鼻を鳴らし、彼らしからぬぞんざいな態度で玉座に踏ん反り返る。
「…ヤァ、久シブリダネ。百年クラィ振リカナ?我ハ貴柱達ヲ歓迎スルヨ、ユックリシティッテネ!」
言葉だけなら親しげだが、その口調と表情は棘だらけだ。不機嫌を隠そうともしていない。六姉妹にしても、和やか
な会話など端から期待してはいないだろう。
「其レデ?何ヲシニ来タノカナ、六姉妹ヨ。貴柱達ノ使命ハ人間達ノ物語ヲ謡ィ、語リ継グ事―――冥府ヘ用事ナド
ナィダロ?」
「貴柱の企みが」「露見していないなどとは」「貴柱も思ってはいないでしょう」
「己が使命を忘れ」「母なる者に抗い」「人間達に介入するなど、赦されません」
「使命…忘レテナドィナィ。怯ェル子等ニ死ヲ以テ救ィトスル。其レガ我ノ使命ダ」
タナトスの答えに、六姉妹は全く同時に、全く同じ仕草で首を横に振った。
「母なる者が与えた」「人間の天命を無視し」「自らの手で命を奪う」
「貴柱の其れは」「愛ではない」「唯の自己満足です」
ハッ、とタナトスは嘲笑する。同時に今まで抑えていた自らの気配を解放し、六姉妹を威圧する。まるで寝そべって
いた大蛇が鎌首を持ち上げたような剣呑な空気が、室内を満たした。
「我ノ半分ノ半分ノ其ノ更ニ半分モ生キティナィ小娘共ガ、大口ヲ叩ィテクレルネ。其レデ?我ニドゥシロト?」
六姉妹はタナトスの威嚇に怯えることなく答えた。
「その人間を解放し」「今まで通りに」「冥府の支配者として生きるのです」
「そうでなくば」「我等とて」「黙っているわけにはいきません」
クックック、とタナトスは肩を震わせて笑う―――その目は全く笑っていなかったが。
「ソゥ来ルトハ思ッティタンダ。我ノヤッティル事ハ神々ノ定メタ掟ニ反シテ―――否、ソンナ話ジャナィカ。足蹴ニ
シタ上デ唾ヲ吐キ捨テティルモ同然ダモノネ。刺客ガ送ラレルノモ必然ニシテ当然…シカシ、貴柱達ガ来ルトハ
思ワナカッタ。モットマシニ闘ェルヨゥナ奴ハィナカッタノカィ?来ルノナラ、雷神辺リダト予想シティタガ」
「貴柱も知っておいでの筈」「雷神は邪神との闘いの折」「片腕を失い」
「今は残された腕で」「邪神を封印しています」「故に、動くことはできません」
「ァァ、ソゥダッタネ…デハ炎ノ悪魔ナンテドゥダィ?彼ナラバ我ヲ殺セルカモシレナィヨ。貴柱達ニスレバ共倒レナラ
厄介者ガ同時ニ消ェテ願ッタリ叶ッタリ。悪ィ目ガ出テモ片方ハ確実ニ死ヌ」
「バカなことを」「如何に奴めが貴柱に匹敵する力を持とうと」「あれは、神と人に仇為す存在」
「その力を借りるなど」「それこそ禁忌」「冗談でも口にしないで頂きたい」
「嫌ワレ者ダネェ、彼モ…デハヤハリ、貴柱達ガ我ト闘ゥノカィ?悪ィケレド、詩女神六姉妹ガ武闘派ダナンテ噂ハ
マルデ聞ィタ事ガナィヨ―――其レニ、モゥスグ此処ニハ来客ガァルンダ。衣服ガ乱レテシマゥヨゥナ事ハナルベク
ナラバシタクナィンダケドネ」
「あくまでも」「自らの非を認めないと仰るのなら」「致し方ありません」
「我等が手で」「貴柱には、御隠れ頂く」「御覚悟を」
ゆらり、とタナトスが立ち上がった。
「ヨカロゥ…小娘共。冥王ノ力、其ノ目ニ焼キ付ケルガ良ィ」
言うが早いか、先頭に立っていた六姉妹の長女がタナトスに肉薄する。予想を上回るその速度に、タナトスは反応
が遅れた。その一瞬の隙を突いて、長女が右手を天に翳す。
「第九の地平―――マーベラス・スーパーディメンション!」
膨れ上がった魔力が超重力と化し、タナトスに容赦なく叩きつけられた。常人ならば一瞬で粉々になるほどの圧力
に耐え切れず、たまらずタナトスも膝を折る。
「下がってください、お姉様…彼の四肢を潰します」
瞬時に飛び退く。同時に発動される、神々の秘術。
「歪んだ乙女―――バロック・メイデン!」
無数の十字架がタナトスの頭上に顕現し、一気呵成に落下する。先の宣言通りに手足の骨―――どころか全身の
骨が砕け、完全に身動きを封じられた。
「私達もいくわよ!」
「はい!」
三女と四女がタナトスを挟んで向き合い、相反する魔術を織り成す。
「煉獄の魔女―――クリムゾン・オルドローズ!」
「白き幻影―――ホワイト・イリュージョン!」
刹那で全てを灰に帰す業火と、万物を否定する絶対零度。真逆の力が混ざり合い、更なる破壊の渦がタナトスを
呑み込んだ。
続くは、五女。
「雷神の右腕―――トール・ハンマー!」
虚空より産み出された、雷光を纏う巨大な右腕―――破壊そのものを目的としたその一撃は、一欠け程の遠慮も
躊躇も慈悲もなく、タナトスへと振り下ろされた。
「さあて…姉ちゃん達が目立った所で、最後はあたいが行かせてもらうよ」
末の妹が懐から取り出したのは、黒光りする金属で造られた、重厚感溢れる物体だ。長方形の箱に握りを付けた
ような奇妙なそれは、この時代の人間が見ても何に使用するのか理解できないだろう―――だが。
例えば未来から来たような人間―――遊戯や城之内、それに海馬―――なら、一目で分かる。
「あたいの鉄砲が火を噴くよぉ―――ライト・オブ・スターダスト!」
その銃口から放たれるのは、勿論単なる火薬のはずがない。神の加護が込められたその弾丸の破壊力は、一発
一発がミサイルにも匹敵する。そんな物騒な代物を、彼女はタナトスに向けて全弾ブチ込んだ。
冥府の天井をぶち抜く勢いで吹き上がるキノコ雲。六姉妹はそれを、静かに見つめる。
「油断してはいけません」「解っています」「タナトスの神気は」
「未だ健在」「恐らくはすぐにでも」「立ち上がってくるでしょう」
その言葉を証明するかのように、爆炎と砂塵の向こうから彼は悠々とこちらに向かって歩いてくる。あれほど散々
に痛め付けられたというのに、まるで意に介していない。吹き飛んだ肉も粉々に砕けた骨も、既に再生されている。
「フゥ…意外ニヤルジャナィカ。今ノ攻撃ヲ、ソゥダネ…一万回繰リ返セバ、流石ニ我モ死ヌカモシレナィネ」
「いいでしょう」「ならば」「一万回でも」
「一億回でも」「無限でも」「繰り返すまで」
「其レハゴメンダ。悪ィガ、ソンナニ永クハ付キ合ェナィ―――此処ハ、貴柱達ニ退ィテモラォゥ」
「ありえません」「我等は、貴柱と刺し違える覚悟で」「此処へと参りました」
「貴柱が何をしようと」「決して」「我等の意志を挫くことはできません」
「否―――ソンナ生意気ナ口モ、直ニ利ケナクナル」
女神達が反論を試みようとしたその時だった。
破滅的なまでの鼓動が、全てを一瞬にして支配する。時間さえも凍りつくような、絶対感。
それは、未だ姿を見せていない。感じるのはただの気配。
ただ、それだけで。人智を超越した力を誇る六姉妹は、身動きすら封じられた。
「え…」「これは」「まさか」
「そんな」「嘘です」「ありえない」
「嘘ジャナィ…<黒キ唯一神>ハ、我ガ手ニ」
<それ>は、いつの間にかタナトスの手に納まっていた。古ぼけた、一冊の書物。黒い表紙が印象的だが、それ
以外に特筆するようなことは何もない。
だが、それを目の当たりにした六姉妹は顔を雪よりも白くして叫んだ。
「<滅亡と再生の年代記>!」「<黒の歴史>!」「<冒涜者の聖典>!」
「<世界の道標>!」「<全てを識る者>!」「<終焉の魔獣>!」
タナトスは、嗤った。
「サァ、ヒヨッ仔共メ。真ノ神々ノ闘ィヲ教ェテアゲヨゥジャナィカ」
「―――!」「何ということ…!」「この場は…!」
「退くしか…!」「ありません…!」「くっ…!」
現れた時と同じく、六姉妹は全てが幻だったかのように消え去った。後に残るはタナトスと、そして彼の手にした
黒い表紙の書物。
「クス…今回ダケハ、去ル者ハ逃ガシテァゲヨゥ」
パチンと指を鳴らすと、先の戦闘で荒れ放題の部屋が、一瞬にして元通りに修復された。タナトスは再び玉座
に身体を委ねて、目を閉じた。
「シカシ…コゥナルト、他ノ神々モヤッテ来ルカナ。我ヲ殺シニ…」
それならそれでいいと、タナトスは自嘲した。どうせ自分は、神々の嫌われ者ではぐれ者だった。
全てを敵に回した所で―――何を今さら。
時には人間達の前に自ら姿を現し、天上の鐘の如きその歌声を披露すると伝えられる六柱神。
創世神が一柱・詩女神(ハルモニア)の直系、高貴なる歌姫。
六柱の女神は恭しく片膝を着き、タナトスに頭を垂れる。
「貴柱(あなた)こそは冥王タナトス」「偉大なる冥府の支配者」「死を司る慈悲深き父」
「我等は未だ若き柱」「されど、何卒」「我等の声に、耳を傾けて頂きたく」
タナトスは鼻を鳴らし、彼らしからぬぞんざいな態度で玉座に踏ん反り返る。
「…ヤァ、久シブリダネ。百年クラィ振リカナ?我ハ貴柱達ヲ歓迎スルヨ、ユックリシティッテネ!」
言葉だけなら親しげだが、その口調と表情は棘だらけだ。不機嫌を隠そうともしていない。六姉妹にしても、和やか
な会話など端から期待してはいないだろう。
「其レデ?何ヲシニ来タノカナ、六姉妹ヨ。貴柱達ノ使命ハ人間達ノ物語ヲ謡ィ、語リ継グ事―――冥府ヘ用事ナド
ナィダロ?」
「貴柱の企みが」「露見していないなどとは」「貴柱も思ってはいないでしょう」
「己が使命を忘れ」「母なる者に抗い」「人間達に介入するなど、赦されません」
「使命…忘レテナドィナィ。怯ェル子等ニ死ヲ以テ救ィトスル。其レガ我ノ使命ダ」
タナトスの答えに、六姉妹は全く同時に、全く同じ仕草で首を横に振った。
「母なる者が与えた」「人間の天命を無視し」「自らの手で命を奪う」
「貴柱の其れは」「愛ではない」「唯の自己満足です」
ハッ、とタナトスは嘲笑する。同時に今まで抑えていた自らの気配を解放し、六姉妹を威圧する。まるで寝そべって
いた大蛇が鎌首を持ち上げたような剣呑な空気が、室内を満たした。
「我ノ半分ノ半分ノ其ノ更ニ半分モ生キティナィ小娘共ガ、大口ヲ叩ィテクレルネ。其レデ?我ニドゥシロト?」
六姉妹はタナトスの威嚇に怯えることなく答えた。
「その人間を解放し」「今まで通りに」「冥府の支配者として生きるのです」
「そうでなくば」「我等とて」「黙っているわけにはいきません」
クックック、とタナトスは肩を震わせて笑う―――その目は全く笑っていなかったが。
「ソゥ来ルトハ思ッティタンダ。我ノヤッティル事ハ神々ノ定メタ掟ニ反シテ―――否、ソンナ話ジャナィカ。足蹴ニ
シタ上デ唾ヲ吐キ捨テティルモ同然ダモノネ。刺客ガ送ラレルノモ必然ニシテ当然…シカシ、貴柱達ガ来ルトハ
思ワナカッタ。モットマシニ闘ェルヨゥナ奴ハィナカッタノカィ?来ルノナラ、雷神辺リダト予想シティタガ」
「貴柱も知っておいでの筈」「雷神は邪神との闘いの折」「片腕を失い」
「今は残された腕で」「邪神を封印しています」「故に、動くことはできません」
「ァァ、ソゥダッタネ…デハ炎ノ悪魔ナンテドゥダィ?彼ナラバ我ヲ殺セルカモシレナィヨ。貴柱達ニスレバ共倒レナラ
厄介者ガ同時ニ消ェテ願ッタリ叶ッタリ。悪ィ目ガ出テモ片方ハ確実ニ死ヌ」
「バカなことを」「如何に奴めが貴柱に匹敵する力を持とうと」「あれは、神と人に仇為す存在」
「その力を借りるなど」「それこそ禁忌」「冗談でも口にしないで頂きたい」
「嫌ワレ者ダネェ、彼モ…デハヤハリ、貴柱達ガ我ト闘ゥノカィ?悪ィケレド、詩女神六姉妹ガ武闘派ダナンテ噂ハ
マルデ聞ィタ事ガナィヨ―――其レニ、モゥスグ此処ニハ来客ガァルンダ。衣服ガ乱レテシマゥヨゥナ事ハナルベク
ナラバシタクナィンダケドネ」
「あくまでも」「自らの非を認めないと仰るのなら」「致し方ありません」
「我等が手で」「貴柱には、御隠れ頂く」「御覚悟を」
ゆらり、とタナトスが立ち上がった。
「ヨカロゥ…小娘共。冥王ノ力、其ノ目ニ焼キ付ケルガ良ィ」
言うが早いか、先頭に立っていた六姉妹の長女がタナトスに肉薄する。予想を上回るその速度に、タナトスは反応
が遅れた。その一瞬の隙を突いて、長女が右手を天に翳す。
「第九の地平―――マーベラス・スーパーディメンション!」
膨れ上がった魔力が超重力と化し、タナトスに容赦なく叩きつけられた。常人ならば一瞬で粉々になるほどの圧力
に耐え切れず、たまらずタナトスも膝を折る。
「下がってください、お姉様…彼の四肢を潰します」
瞬時に飛び退く。同時に発動される、神々の秘術。
「歪んだ乙女―――バロック・メイデン!」
無数の十字架がタナトスの頭上に顕現し、一気呵成に落下する。先の宣言通りに手足の骨―――どころか全身の
骨が砕け、完全に身動きを封じられた。
「私達もいくわよ!」
「はい!」
三女と四女がタナトスを挟んで向き合い、相反する魔術を織り成す。
「煉獄の魔女―――クリムゾン・オルドローズ!」
「白き幻影―――ホワイト・イリュージョン!」
刹那で全てを灰に帰す業火と、万物を否定する絶対零度。真逆の力が混ざり合い、更なる破壊の渦がタナトスを
呑み込んだ。
続くは、五女。
「雷神の右腕―――トール・ハンマー!」
虚空より産み出された、雷光を纏う巨大な右腕―――破壊そのものを目的としたその一撃は、一欠け程の遠慮も
躊躇も慈悲もなく、タナトスへと振り下ろされた。
「さあて…姉ちゃん達が目立った所で、最後はあたいが行かせてもらうよ」
末の妹が懐から取り出したのは、黒光りする金属で造られた、重厚感溢れる物体だ。長方形の箱に握りを付けた
ような奇妙なそれは、この時代の人間が見ても何に使用するのか理解できないだろう―――だが。
例えば未来から来たような人間―――遊戯や城之内、それに海馬―――なら、一目で分かる。
「あたいの鉄砲が火を噴くよぉ―――ライト・オブ・スターダスト!」
その銃口から放たれるのは、勿論単なる火薬のはずがない。神の加護が込められたその弾丸の破壊力は、一発
一発がミサイルにも匹敵する。そんな物騒な代物を、彼女はタナトスに向けて全弾ブチ込んだ。
冥府の天井をぶち抜く勢いで吹き上がるキノコ雲。六姉妹はそれを、静かに見つめる。
「油断してはいけません」「解っています」「タナトスの神気は」
「未だ健在」「恐らくはすぐにでも」「立ち上がってくるでしょう」
その言葉を証明するかのように、爆炎と砂塵の向こうから彼は悠々とこちらに向かって歩いてくる。あれほど散々
に痛め付けられたというのに、まるで意に介していない。吹き飛んだ肉も粉々に砕けた骨も、既に再生されている。
「フゥ…意外ニヤルジャナィカ。今ノ攻撃ヲ、ソゥダネ…一万回繰リ返セバ、流石ニ我モ死ヌカモシレナィネ」
「いいでしょう」「ならば」「一万回でも」
「一億回でも」「無限でも」「繰り返すまで」
「其レハゴメンダ。悪ィガ、ソンナニ永クハ付キ合ェナィ―――此処ハ、貴柱達ニ退ィテモラォゥ」
「ありえません」「我等は、貴柱と刺し違える覚悟で」「此処へと参りました」
「貴柱が何をしようと」「決して」「我等の意志を挫くことはできません」
「否―――ソンナ生意気ナ口モ、直ニ利ケナクナル」
女神達が反論を試みようとしたその時だった。
破滅的なまでの鼓動が、全てを一瞬にして支配する。時間さえも凍りつくような、絶対感。
それは、未だ姿を見せていない。感じるのはただの気配。
ただ、それだけで。人智を超越した力を誇る六姉妹は、身動きすら封じられた。
「え…」「これは」「まさか」
「そんな」「嘘です」「ありえない」
「嘘ジャナィ…<黒キ唯一神>ハ、我ガ手ニ」
<それ>は、いつの間にかタナトスの手に納まっていた。古ぼけた、一冊の書物。黒い表紙が印象的だが、それ
以外に特筆するようなことは何もない。
だが、それを目の当たりにした六姉妹は顔を雪よりも白くして叫んだ。
「<滅亡と再生の年代記>!」「<黒の歴史>!」「<冒涜者の聖典>!」
「<世界の道標>!」「<全てを識る者>!」「<終焉の魔獣>!」
タナトスは、嗤った。
「サァ、ヒヨッ仔共メ。真ノ神々ノ闘ィヲ教ェテアゲヨゥジャナィカ」
「―――!」「何ということ…!」「この場は…!」
「退くしか…!」「ありません…!」「くっ…!」
現れた時と同じく、六姉妹は全てが幻だったかのように消え去った。後に残るはタナトスと、そして彼の手にした
黒い表紙の書物。
「クス…今回ダケハ、去ル者ハ逃ガシテァゲヨゥ」
パチンと指を鳴らすと、先の戦闘で荒れ放題の部屋が、一瞬にして元通りに修復された。タナトスは再び玉座
に身体を委ねて、目を閉じた。
「シカシ…コゥナルト、他ノ神々モヤッテ来ルカナ。我ヲ殺シニ…」
それならそれでいいと、タナトスは自嘲した。どうせ自分は、神々の嫌われ者ではぐれ者だった。
全てを敵に回した所で―――何を今さら。
「友…仲間…要ラナィヨ、ソンナモノ」
不意に、もうじきやって来るであろう人間達のことを思った。
「嗚呼…ダケド」
決して断ち切れぬ絆で結ばれた、友情と結束を胸に生きる彼等を。
「ァンナ友達ガ我ニモィタナラ…素敵ダロゥネ」
―――それは、偽りなく。冥王タナトスの本音だった。