三人は時間が過ぎるのも忘れて街を見て回った。
ダイは主従と過ごす正体を明かすまでの一時を楽しむことに決めた。
自らの存在を捨てる覚悟で守り抜いた世界は徐々に大戦の傷を癒しつつある。
これから先どんな敵が現れても、平和を守るためならば彼は幾度でも激戦に身を投じるだろう。
人々の笑顔が胸の内に火を灯したかのように、ダイも微笑を浮かべた。
イルミナは嬉しそうな少年を興味深げに見つめている。
彼女も今は地上観光を楽しむことにしたらしい。商店などにももちろん関心を示しているが、一番心を惹かれるのは太陽と太陽が照らす世界の姿のようだ。
ダイにつられたかのように満足気に笑っている。
夜になり、酒場に入った彼女は酒を注文し、運ばれて来るやいなや素晴らしい勢いで飲みはじめた。
「お酒、強いんだね」
「遺伝らしい」
ほろ酔い気分の彼女は嬉しそうに短く答えた。
周囲で飲んでいる客を観察し、酒で勢いをつけたかのように声をかける。
「世界を救った勇者が行方不明だと聞いたが、まだ見つかっていないのか?」
「ちょっと、いきなり何言って……!」
その勇者本人であるとは言えず、ダイは口をぱくぱく開閉させた。変装しているためばれてはいないが、簡単なものだからいつ露見するかわからない。
自分が話している相手が勇者だと知らない彼女は低い声で囁き返した。
「父は言っていた。苦しい時は力ある者にすがり、平和になれば掌を返すのが人間だと」
勇者が失踪した現在の状況で人々の本心を聞こうとしているらしい。
中性的な声の持ち主に視線を向けた男は嘆息を漏らした。
「ああ。ボウズくらいの年齢だってのに不憫だよな。早く帰ってきてほしいぜ」
ダイがきまり悪そうに視線を彷徨わせ、頬をかく。心配をかけて申し訳ない気持ちと、気遣ってもらえて嬉しい気持ちがまじりあい、どうにもくすぐったい。
「どうして戻ってこないんだろうな?」
疑問に答えたのは別の男だった。
「オレは……正直怖えよ。大魔王を倒したんだろ?」
気弱そうな男の視線は頼りなく彷徨い、おどおどしている。
もしその力が自分たちに向けられれば、抵抗など紙屑のようにあっけなく消し飛んでしまう。
「人間じゃないって聞いたし、このまま――」
近くにいる青年も言葉を濁している。
そこから先は聞かなくてもわかる。
ダイは唇を噛んでうつむいた。
世界が平和になれば勇者は用済みになるのか。愛する世界に居場所はなくなるのだろうか。
イルミナが予想通りと言いたげに鼻を鳴らした。誰のために戦ったかも忘れ、都合のいいことを言う人間を軽蔑している。
彼女にとって勇者は敵だが、大魔王をも超える強さを持っていることに関しては敬意を抱いていた。
少年の胸に立ち込めた暗雲をはらったのは別の声だった。
「オレたちのために命をかけて戦ったのに、何て言い草だよ」
擁護に賛同の声が上がった。
「怖いからって大事なことを忘れる人間の方がよっぽど恐ろしいぜ」
同調するように若い女が幾度も頷く。興奮に目を輝かせている。
「救世主の役割背負って、見事に果たしたのよ? あの子が味わわないで誰が平和を味わうって言うの?」
「もしまた世界が危機にさらされても――頼らなくていいようにオレたちが踏ん張らないとな」
戦士らしき風体の男はぐっと腕を曲げ、力こぶを作った。決意を秘めた眼差しで剣に触れる。
「自分は何もしないで理想押し付けて、勝ったら“信じてた”、負けたら“だまされた”なんて態度変える連中にはなりたくねえよ」
自分たちの住まう世界は、自分たちの手で守る。未来は自ら掴み取る。
そんな思いが伝わってくる。
イルミナは意外そうに彼らの姿を眺め、呟きを漏らした。
「……人間にも様々な考えの持ち主がいるようだ」
「いい人もいればいやなやつもいるよ。たぶん、人間も魔族も」
明るい笑みを浮かべたダイに向かって魔族は深く頷いた。
「かもしれん。何をもって“いいやつ”とするかは異なってくるだろうがな」
シャドーはそう語る彼女を心配そうに見つめていた。
やがてシャドーが宿泊の手続きを済ませたため彼らは宿に入った。
世をしのぶ貴族のような長身の人物とその従者と思われる男、そしてまだ幼い少年という珍しい組み合わせに主人は目を丸くした。
商売根性によって間に立ち直り、にこやかに尋ねる。
「兄さん、ご家族と旅行ですか?」
「私は女だ」
「そ、それはっ!? 大変失礼いたしました!」
目が飛び出そうな驚愕とともに平謝りする主人に対して彼女は怒らなかった。それどころか、慌てた顔を面白いと思ったらしく笑っている。
部屋へ向かう背を見送った主人は顎に手をかけ、首をかしげた。
「あの少年、どこかで見たような?」
ダイは主従と過ごす正体を明かすまでの一時を楽しむことに決めた。
自らの存在を捨てる覚悟で守り抜いた世界は徐々に大戦の傷を癒しつつある。
これから先どんな敵が現れても、平和を守るためならば彼は幾度でも激戦に身を投じるだろう。
人々の笑顔が胸の内に火を灯したかのように、ダイも微笑を浮かべた。
イルミナは嬉しそうな少年を興味深げに見つめている。
彼女も今は地上観光を楽しむことにしたらしい。商店などにももちろん関心を示しているが、一番心を惹かれるのは太陽と太陽が照らす世界の姿のようだ。
ダイにつられたかのように満足気に笑っている。
夜になり、酒場に入った彼女は酒を注文し、運ばれて来るやいなや素晴らしい勢いで飲みはじめた。
「お酒、強いんだね」
「遺伝らしい」
ほろ酔い気分の彼女は嬉しそうに短く答えた。
周囲で飲んでいる客を観察し、酒で勢いをつけたかのように声をかける。
「世界を救った勇者が行方不明だと聞いたが、まだ見つかっていないのか?」
「ちょっと、いきなり何言って……!」
その勇者本人であるとは言えず、ダイは口をぱくぱく開閉させた。変装しているためばれてはいないが、簡単なものだからいつ露見するかわからない。
自分が話している相手が勇者だと知らない彼女は低い声で囁き返した。
「父は言っていた。苦しい時は力ある者にすがり、平和になれば掌を返すのが人間だと」
勇者が失踪した現在の状況で人々の本心を聞こうとしているらしい。
中性的な声の持ち主に視線を向けた男は嘆息を漏らした。
「ああ。ボウズくらいの年齢だってのに不憫だよな。早く帰ってきてほしいぜ」
ダイがきまり悪そうに視線を彷徨わせ、頬をかく。心配をかけて申し訳ない気持ちと、気遣ってもらえて嬉しい気持ちがまじりあい、どうにもくすぐったい。
「どうして戻ってこないんだろうな?」
疑問に答えたのは別の男だった。
「オレは……正直怖えよ。大魔王を倒したんだろ?」
気弱そうな男の視線は頼りなく彷徨い、おどおどしている。
もしその力が自分たちに向けられれば、抵抗など紙屑のようにあっけなく消し飛んでしまう。
「人間じゃないって聞いたし、このまま――」
近くにいる青年も言葉を濁している。
そこから先は聞かなくてもわかる。
ダイは唇を噛んでうつむいた。
世界が平和になれば勇者は用済みになるのか。愛する世界に居場所はなくなるのだろうか。
イルミナが予想通りと言いたげに鼻を鳴らした。誰のために戦ったかも忘れ、都合のいいことを言う人間を軽蔑している。
彼女にとって勇者は敵だが、大魔王をも超える強さを持っていることに関しては敬意を抱いていた。
少年の胸に立ち込めた暗雲をはらったのは別の声だった。
「オレたちのために命をかけて戦ったのに、何て言い草だよ」
擁護に賛同の声が上がった。
「怖いからって大事なことを忘れる人間の方がよっぽど恐ろしいぜ」
同調するように若い女が幾度も頷く。興奮に目を輝かせている。
「救世主の役割背負って、見事に果たしたのよ? あの子が味わわないで誰が平和を味わうって言うの?」
「もしまた世界が危機にさらされても――頼らなくていいようにオレたちが踏ん張らないとな」
戦士らしき風体の男はぐっと腕を曲げ、力こぶを作った。決意を秘めた眼差しで剣に触れる。
「自分は何もしないで理想押し付けて、勝ったら“信じてた”、負けたら“だまされた”なんて態度変える連中にはなりたくねえよ」
自分たちの住まう世界は、自分たちの手で守る。未来は自ら掴み取る。
そんな思いが伝わってくる。
イルミナは意外そうに彼らの姿を眺め、呟きを漏らした。
「……人間にも様々な考えの持ち主がいるようだ」
「いい人もいればいやなやつもいるよ。たぶん、人間も魔族も」
明るい笑みを浮かべたダイに向かって魔族は深く頷いた。
「かもしれん。何をもって“いいやつ”とするかは異なってくるだろうがな」
シャドーはそう語る彼女を心配そうに見つめていた。
やがてシャドーが宿泊の手続きを済ませたため彼らは宿に入った。
世をしのぶ貴族のような長身の人物とその従者と思われる男、そしてまだ幼い少年という珍しい組み合わせに主人は目を丸くした。
商売根性によって間に立ち直り、にこやかに尋ねる。
「兄さん、ご家族と旅行ですか?」
「私は女だ」
「そ、それはっ!? 大変失礼いたしました!」
目が飛び出そうな驚愕とともに平謝りする主人に対して彼女は怒らなかった。それどころか、慌てた顔を面白いと思ったらしく笑っている。
部屋へ向かう背を見送った主人は顎に手をかけ、首をかしげた。
「あの少年、どこかで見たような?」
見覚えがあると思われていることも知らず、ダイは難しい顔をしていた。
いつまでも正体を隠しているわけにはいかない。
どのように話を切り出すべきか。戦いを避けることはできないか。
考えても考えても結論は出てこない。
浮かぶのは頼もしい仲間たちの顔だ。
(こんなとき、ポップやアバン先生なら――)
明日、彼らの元へ行って全てを話そう。
自分一人で正しい答えが出せなくても、皆と一緒に考えれば望ましい形が見えてくるかもしれない。
そう結論づけて早々と寝床にもぐりこんだダイを眺め、イルミナは持ち込んだ酒瓶の栓を開けた。寝息が聞こえてきたため声量を抑えて口を開く。
「鬼眼が使えないのは、相応しくないからだろうか」
黒い布に触れる彼女の顔は暗い。
鬼眼を持つ者は他の魔族に比べると魔力が高い。だが、彼女の場合、鬼眼の力が解放されていないためか一般の魔族とそう変わらない。
火炎呪文が得意だが、大魔王のように他者と圧倒的な差をつけているわけではない。
「なぜ私はこの眼をもって生まれてきた……? この力は何のためにある」
シャドーは返答に窮している。
鬼眼の力が発揮できないのも、絶大な力を手にしていないのも、時機が訪れていないだけという印象を抱いているが、悩んでいる本人に言うのはためらわれる。
魔族たちが部下になるのを選ばなかったのも、まだ若く未熟だからだ。
鍛錬を重ね、経験を積み、成長すれば違うだろうが、少々素質に恵まれている程度ではどうにもならない壁がある。
「……思い悩む前に力をつけるべきだな」
ひとまず結論を出した彼女は拳を握り締めた。
尊敬する存在の大きさゆえに苦しむ気持ちはわかるだけに、シャドーは別の言葉を返すしかなかった。
「太陽をもたらすには地上を消滅させねばなりません。しかし、あなた様は――」
「知りもしないで偉そうなことを言っていた」
当初は偉大な父が掲げた理想だから、という意識が強かった。
伴う重さを自覚しておらず、地上や人間のことを何も知らないまま口にしていた。
人間とは、神々の力によって守られていることを知りもせずきれいごとを唱える口先だけの連中、異なる存在は疎み排除しようとする狭量な輩ばかりだと思い込んでいた。
すべて消し飛ぼうと心は痛まない、と。
だが、異なる世界と住人は彼女が思い描いていた姿とはだいぶ隔たっていた。
最大の目的は変わらないが、もっとよく知る必要がある。彼女はそう思い始めている。
甘いと言えるが、シャドーは非難しなかった。
「その小僧を気に入ったのですか?」
彼女は小さく頷いた。
「種族が違うというだけで疎むつもりはない。立派な強者になるだろうからな」
強者には敬意を払うのが大魔王の信条だった。
彼女もそうありたいと思っている。
「あなた様がそうおっしゃるのならば、こ奴の名を知りたいものです。ミスト様は尊敬する者の名を決して忘れませんでしたから」
「明日改めて聞けばよかろう。わざわざ起こさずともよい」
そう呟き、少年を眺めた彼女の顔は穏やかだ。
「不思議だ。なぜか父と似た空気を感じる……」
求めていた答えを知る鍵となる――そんな予感がする。
口元にわずかに笑みが浮かんでいることに本人も気づいていなかった。
やがてイルミナも眠りに落ち、シャドーは警護のため目を光らせていた。すでに人間を解放し、本体の姿に戻っている。
静かに佇んでいる影に声が響いた。
『……シャドーよ』
「ミ、ミスト様!?」
声は、影が忠誠を誓った相手――ミストバーンのものによく似ている。
声に誘われるようにして部屋から出、宿の外に赴いた影の前に黒眼の男が現れた。
しかも、二人。ほとんど同じ顔だ。
片方は混じりけのない黒髪だが、もう一人はところどころ金が混じっている。
「貴様は……!」
「てめえらが第三勢力って呼んでるヤツさ」
黒い髪の男に続いて金髪の方が口を開いた。
「俺はその分身体。よろしくな」
シャドーはすぐさま戦おうとしたが、現在器になりそうな人間が近くに見当たらない。男に直接向かって行っても攻撃されるだろう。
警戒を解きほぐすように第三勢力と分身体は両手を上げ、歯を輝かせながら笑いかけた。
「そう怒りなさんな。てめえを誘いにきたんだぜ。俺の部下になれって」
「ふざけるなッ!」
激高したシャドーから黒い霧が立ち上る。
「私の主はミスト様とイルミナ様だけだ!」
「ミスト? ……ああ、見上げた奴隷根性持ってる奴のことか」
「尻尾振る犬みてえだよな。なんで負けっぱなしの奴なんざ尊敬してたのかね」
分身体の言葉は火に油を注ぐ結果となった。
「ミスト様を侮辱するな! あの御方の忠誠心を――敬意を――貴様らごときが卑下する資格はない!」
叫びを聞いた分身体が鼻で笑い、第三勢力が頭をぼりぼりとかいた。黒い髪をかきまわしながら口元をゆがめる。
「忠誠心? 敬意? キレエなモン抱いてりゃ自分(てめえ)は醜くないって勘違いしたんじゃねーの? 汚え存在ってこたあ変わりゃしねえのによ」
「半端な奴が寄生虫を擁護すんのか。ピッタリだな」
あまりの怒りに言葉も出ないシャドーは第三勢力へ飛びかかった。迎撃を食らう覚悟で乗っ取ろうとしたのだ。
だが、相手に黒い手が触れた瞬間、動きが止まった。
「貴様の、正体は――」
「感謝しろや。死んだ奴の言いつけでお守役やらされてるてめえを解放してやるんだからよォ」
刹那、漆黒の波動が迸り影の身体を呑みこんだ。
翌朝、シャドーの姿が見えないことに気づいて二人は周辺を捜索した。
しかし地面にでも吸い込まれたかのように姿を現さない。
「何があった……!?」
イルミナは動揺も露に唇を噛み締めている。今まで自分を支えてきた、唯一の部下が行方不明になったのだ。大魔王ほど非情ではないため身を案じるのも無理はない。
ダイはしばしためらい、言葉を発した。
「仲間に言ってみる」
「仲間?」
天涯孤独の身だと思っていた彼女は意外そうに聞き返した。力を借りる相手がいたとは初耳である。
ダイはイルミナの手をとり、呪文を唱えた。
魔法を行使したことにイルミナは驚いている。ダイも、今まで紋章が出せず不調を覚えていただけに、無事呪文を使えたことに息を吐いた。
どこへ行けば仲間に会えるか、直感に近い嗅覚が告げている。
変装を解きながら懐かしい気配のもとへ行くと、ダイの剣の前に立っている者達がいた。彼らは皆物思いに耽り、背後の気配に気づかない。
「あのカールの人はアバン先生。女の子はレオナで、バンダナを巻いているのはポップ」
声を聞き、振り向いた彼らは少年の姿に目を見開いた。
待ち望んでいた瞬間の到来に、空気が一変した。
ポップの目にみるみるうちに涙が盛り上がる。彼は大きく口を開け、心から叫んだ。
親友の名を。
「ダイ!」
イルミナが凍りついたように歩み寄る動きを止めた。
年齢に似合わぬ落ち着きや身のこなしから覚えていた、拭いきれない違和感の正体がわかった。
すべてがつながっていく。沸騰する感情とともに。
「よかった、戻ってきたんだな! おまえが生命をかけて守った地上に!」
駆け寄り、ダイに抱きついて髪をわしゃわしゃとかき回した彼は傍らの人物に目をとめて素朴な疑問を口にした。
「その人が連れ帰ってくれたのか?」
礼を言いかけたポップの顔から血の気がさっと引いた。
アバンが目を光らせ、レオナが口元に手を当てる。
フードを取った顔を見たためだ。
ローブを勢いよく脱ぎ捨てた彼女は睨み殺しそうな眼光でダイを射る。
「貴様が……竜の騎士、ダイ」
喉の奥から声が絞り出された。
激情が炎となって燃え上がっているかのような、壮絶な鬼気が迸っている。
いつまでも正体を隠しているわけにはいかない。
どのように話を切り出すべきか。戦いを避けることはできないか。
考えても考えても結論は出てこない。
浮かぶのは頼もしい仲間たちの顔だ。
(こんなとき、ポップやアバン先生なら――)
明日、彼らの元へ行って全てを話そう。
自分一人で正しい答えが出せなくても、皆と一緒に考えれば望ましい形が見えてくるかもしれない。
そう結論づけて早々と寝床にもぐりこんだダイを眺め、イルミナは持ち込んだ酒瓶の栓を開けた。寝息が聞こえてきたため声量を抑えて口を開く。
「鬼眼が使えないのは、相応しくないからだろうか」
黒い布に触れる彼女の顔は暗い。
鬼眼を持つ者は他の魔族に比べると魔力が高い。だが、彼女の場合、鬼眼の力が解放されていないためか一般の魔族とそう変わらない。
火炎呪文が得意だが、大魔王のように他者と圧倒的な差をつけているわけではない。
「なぜ私はこの眼をもって生まれてきた……? この力は何のためにある」
シャドーは返答に窮している。
鬼眼の力が発揮できないのも、絶大な力を手にしていないのも、時機が訪れていないだけという印象を抱いているが、悩んでいる本人に言うのはためらわれる。
魔族たちが部下になるのを選ばなかったのも、まだ若く未熟だからだ。
鍛錬を重ね、経験を積み、成長すれば違うだろうが、少々素質に恵まれている程度ではどうにもならない壁がある。
「……思い悩む前に力をつけるべきだな」
ひとまず結論を出した彼女は拳を握り締めた。
尊敬する存在の大きさゆえに苦しむ気持ちはわかるだけに、シャドーは別の言葉を返すしかなかった。
「太陽をもたらすには地上を消滅させねばなりません。しかし、あなた様は――」
「知りもしないで偉そうなことを言っていた」
当初は偉大な父が掲げた理想だから、という意識が強かった。
伴う重さを自覚しておらず、地上や人間のことを何も知らないまま口にしていた。
人間とは、神々の力によって守られていることを知りもせずきれいごとを唱える口先だけの連中、異なる存在は疎み排除しようとする狭量な輩ばかりだと思い込んでいた。
すべて消し飛ぼうと心は痛まない、と。
だが、異なる世界と住人は彼女が思い描いていた姿とはだいぶ隔たっていた。
最大の目的は変わらないが、もっとよく知る必要がある。彼女はそう思い始めている。
甘いと言えるが、シャドーは非難しなかった。
「その小僧を気に入ったのですか?」
彼女は小さく頷いた。
「種族が違うというだけで疎むつもりはない。立派な強者になるだろうからな」
強者には敬意を払うのが大魔王の信条だった。
彼女もそうありたいと思っている。
「あなた様がそうおっしゃるのならば、こ奴の名を知りたいものです。ミスト様は尊敬する者の名を決して忘れませんでしたから」
「明日改めて聞けばよかろう。わざわざ起こさずともよい」
そう呟き、少年を眺めた彼女の顔は穏やかだ。
「不思議だ。なぜか父と似た空気を感じる……」
求めていた答えを知る鍵となる――そんな予感がする。
口元にわずかに笑みが浮かんでいることに本人も気づいていなかった。
やがてイルミナも眠りに落ち、シャドーは警護のため目を光らせていた。すでに人間を解放し、本体の姿に戻っている。
静かに佇んでいる影に声が響いた。
『……シャドーよ』
「ミ、ミスト様!?」
声は、影が忠誠を誓った相手――ミストバーンのものによく似ている。
声に誘われるようにして部屋から出、宿の外に赴いた影の前に黒眼の男が現れた。
しかも、二人。ほとんど同じ顔だ。
片方は混じりけのない黒髪だが、もう一人はところどころ金が混じっている。
「貴様は……!」
「てめえらが第三勢力って呼んでるヤツさ」
黒い髪の男に続いて金髪の方が口を開いた。
「俺はその分身体。よろしくな」
シャドーはすぐさま戦おうとしたが、現在器になりそうな人間が近くに見当たらない。男に直接向かって行っても攻撃されるだろう。
警戒を解きほぐすように第三勢力と分身体は両手を上げ、歯を輝かせながら笑いかけた。
「そう怒りなさんな。てめえを誘いにきたんだぜ。俺の部下になれって」
「ふざけるなッ!」
激高したシャドーから黒い霧が立ち上る。
「私の主はミスト様とイルミナ様だけだ!」
「ミスト? ……ああ、見上げた奴隷根性持ってる奴のことか」
「尻尾振る犬みてえだよな。なんで負けっぱなしの奴なんざ尊敬してたのかね」
分身体の言葉は火に油を注ぐ結果となった。
「ミスト様を侮辱するな! あの御方の忠誠心を――敬意を――貴様らごときが卑下する資格はない!」
叫びを聞いた分身体が鼻で笑い、第三勢力が頭をぼりぼりとかいた。黒い髪をかきまわしながら口元をゆがめる。
「忠誠心? 敬意? キレエなモン抱いてりゃ自分(てめえ)は醜くないって勘違いしたんじゃねーの? 汚え存在ってこたあ変わりゃしねえのによ」
「半端な奴が寄生虫を擁護すんのか。ピッタリだな」
あまりの怒りに言葉も出ないシャドーは第三勢力へ飛びかかった。迎撃を食らう覚悟で乗っ取ろうとしたのだ。
だが、相手に黒い手が触れた瞬間、動きが止まった。
「貴様の、正体は――」
「感謝しろや。死んだ奴の言いつけでお守役やらされてるてめえを解放してやるんだからよォ」
刹那、漆黒の波動が迸り影の身体を呑みこんだ。
翌朝、シャドーの姿が見えないことに気づいて二人は周辺を捜索した。
しかし地面にでも吸い込まれたかのように姿を現さない。
「何があった……!?」
イルミナは動揺も露に唇を噛み締めている。今まで自分を支えてきた、唯一の部下が行方不明になったのだ。大魔王ほど非情ではないため身を案じるのも無理はない。
ダイはしばしためらい、言葉を発した。
「仲間に言ってみる」
「仲間?」
天涯孤独の身だと思っていた彼女は意外そうに聞き返した。力を借りる相手がいたとは初耳である。
ダイはイルミナの手をとり、呪文を唱えた。
魔法を行使したことにイルミナは驚いている。ダイも、今まで紋章が出せず不調を覚えていただけに、無事呪文を使えたことに息を吐いた。
どこへ行けば仲間に会えるか、直感に近い嗅覚が告げている。
変装を解きながら懐かしい気配のもとへ行くと、ダイの剣の前に立っている者達がいた。彼らは皆物思いに耽り、背後の気配に気づかない。
「あのカールの人はアバン先生。女の子はレオナで、バンダナを巻いているのはポップ」
声を聞き、振り向いた彼らは少年の姿に目を見開いた。
待ち望んでいた瞬間の到来に、空気が一変した。
ポップの目にみるみるうちに涙が盛り上がる。彼は大きく口を開け、心から叫んだ。
親友の名を。
「ダイ!」
イルミナが凍りついたように歩み寄る動きを止めた。
年齢に似合わぬ落ち着きや身のこなしから覚えていた、拭いきれない違和感の正体がわかった。
すべてがつながっていく。沸騰する感情とともに。
「よかった、戻ってきたんだな! おまえが生命をかけて守った地上に!」
駆け寄り、ダイに抱きついて髪をわしゃわしゃとかき回した彼は傍らの人物に目をとめて素朴な疑問を口にした。
「その人が連れ帰ってくれたのか?」
礼を言いかけたポップの顔から血の気がさっと引いた。
アバンが目を光らせ、レオナが口元に手を当てる。
フードを取った顔を見たためだ。
ローブを勢いよく脱ぎ捨てた彼女は睨み殺しそうな眼光でダイを射る。
「貴様が……竜の騎士、ダイ」
喉の奥から声が絞り出された。
激情が炎となって燃え上がっているかのような、壮絶な鬼気が迸っている。
「貴様が――貴様が父を殺したのか」