…怒りのままに目に付く兵士達を殺し尽くし、それでもリンスの怒りは収まらなかった。
「ふざけんじゃないわよ…何が星の使徒よ。通り魔もどきのチンピラじゃない」
幾ら裏の世界とは言え暗黙のルールがある。それは『表の世界に極力干渉しない』と言う事だ。
その棲み分けが出来て初めて悪党は成立し、社会の秩序は保たれる――――…のだが、星の使徒はそれを盛大に破ったのだ。
所詮悪党も社会に依存する生き物だ、その境界が破壊されると社会は崩壊し、果てには節度も礼儀も法も金も無い混沌が待っている。
それも含め、単純に彼らの一山幾らの殺意と根性が、リンスにはどうしようもなく見苦しかった。
「……?」
妙な気配を感じ、彼女は背後を肩越しに覗いた。しかし、其処には戦場の一風景以外見える物は無い。
「……気の…所為か」
思い直し、そのまま一歩踏み出そうとしたが……
突然、何も無い後方へ背中越しに銃弾を放った。
「…なぁんて、ね。気付かないと思ったら大間違いよ」
弾丸は、照星の先にある店舗のガラスを砕くと思いきやそうではない。その前の空間に何故かめり込んでいた。
其処を中心に電気のスパークが走り、空間と見えた部分は人型の実像を現す。それは、あの怪物に率いられた異形の兵士だった。
「…何故…判った? 音響ステルスも施していたのに…」
「アンタ、気配くらい隠しなさいよ。姿隠したから一緒に消えると思ってんの?
――と、言う訳で他の連中も出て来なさい。眼を凝らせば結構見えるわよ」
それに従う様に、周囲の空間に次々とスパークが湧き上がり、それが治まる頃には総勢十数人の兵士達がリンスを取り囲んでいた。
「………呆れたわね、こいつら殺したアタシに随分景気の悪い数じゃない」
そう言って手で示す周囲には、彼等に倍する数の兵士が無残な屍を晒していた。
「こんな雑兵共と我等『コンツェルト』を一緒にしてもらっては困る。仕事とプライベートの区別が付かない奴とも、
ビジネスライクな連中とも思わん事だ」
声に微妙な機械的ノイズを混じらせて、兵士達は何も持っていない両手を前に差し出す。
「?」
一瞬降伏かと思ったが……しかし、当然それは降伏などではなく立派な戦闘態勢だった。
――――――――全員の腕が複数のパーツに爆ぜ割れて、その中に仕込んだ武器を露わにしたのだから。
展開した装甲が閉じるや、幾人かの銃口が彼女へと速射を放った。
しかし……体は彼女の意識の外で鮮やかに宙を舞う。そして一人を月面宙返りで飛び越すと、彼女の着地に合わせる様にその首が落ちた。
「!?」「え……?」
彼らもその身体能力に驚いたが、反応で回避し一瞬で首を切断したリンスも驚いた。
首の断面から跳ねるのは血ではなく、黒いオイルとスパークだったからだ。更に、体躯は固い金属音を響かせて倒れた。
「ちょっと……何これ…?」
驚く彼女を尻目に、兵士の一人が憎々しげに場の全員に通信した。
『…総員、全アクチュエーターのリミッターを解除しろ! 本気で掛かるぞ!』
「成る程…サイボーグ部隊って訳か。あの野郎も何処まで行く気なのか判んねえな」
目の前に集う兵士達を眼に据えて、トレインは此処には居ない元相棒に毒づいた。
「…お止し下さい、貴方がその様な事を仰ってはあの方が悲しみます」
―――サイボーグの技術そのものは既にクロノスも着手しているが、それが理論の域を出た事は未だに無い。
どうしても機械と生身の完全な接続が成功しないからだ。
…日常生活程度は兎も角として、最新型のアクチュエーター(動力機構)でさえ出力不足で使い物にならない。
…更に、神経接続を行ってもレスポンスの悪さがどうしても改善出来ない。
と、数々の問題がクロノス開発部ですら形にさせないと言うのに、異形の天才が急造したテロ組織は完全な実用化に成功したのだ。
………数多くのSFに於いてサイボーグは今や定番だが、実際の戦場にこれ以上都合の良い兵士は実は居ない。
通常の歩兵の装備も可能な上、複数人数を必要とする重機関銃や対戦車砲をも単独で使いこなし、生身には不可能な強行軍にも
仔細無く耐え、人間なら戦闘不能であろう手足の負傷もパーツを換えれば事足りる。しかもそれが武器内蔵型なら言う事は無い。
それは或る意味、権力者にとって実に望ましい兵器と言えるだろう。極端に言えば、兵士と兵器は同義なのだ。
「クリード様は此処には居られませんが、我々が案内致します。さ…」
「その前に聞かせろ、何でお前等この町を攻めた? 内容次第じゃタダじゃおかねえ」
サイボーグ部隊の恭しい態度を一切突き放して、トレインは滾る溶鉄にも似た怒りで彼らに詰問する。
「さっき殺した奴に訊いたんだが……お前等、オレ達が居るから大部隊に編成し直したんだってな」
この惨状に少なからず関わっている事に、彼の胸は理不尽に対する怒りと悲しみで埋め尽くされていた。
不快だった、クリードの凶行に付き合わされた事が。
だがその怒りを知らない様に、兵士の返答は素っ気無かった。
「……仕方なかった事です、我々の隊長とクリード様が、本来の人数で行くのは至極危険と判断し検討の結果此度の事と
相成りました。この状況も、クリード様と同行しておられる幹部の皆様のご意向でして、我々には何とも……」
「―――ふざけんじゃねえ!!!」
淡々とした説明を、トレインの怒号が吹き飛ばした。
「…オレには何処から情報仕入れたのかも判ってる! ………クロノスからだろうが!!!」
……如何に星の使徒が情報戦に優れているとは言え、クロノスの監視が有る中観光地に消えたトレイン達を追う事は困難極まる。
だが、それでも星の使徒がその情報を得るルートが有るのをトレインは知っている。それは、クロノスが調べ上げて情報を
リークする事だ。何故か? トレイン達を強制的に星の使徒との戦闘に参加させる為だ。となると、デュラムがトレイン達の前に
現れたのも、その前のギャンザの一件も、相当疑わしくなってくる。
となればクリードも、何もかも知った上でこの事態を招いたのは想像するまでも無い。彼は元相棒の異常性を知悉しているのだ。
そして全ての糸を引いているのは……最早考ずる事すら馬鹿馬鹿しい。
「お前等屑だ!! セフィリアもクリードも、それに少しも異を唱えねえお前等も長老会も! 皆クズだ!!!
そんなに殺し合いがしたきゃ、お前等だけでやってろ!! このカス共が!!!」
息を切らせてトレインは吠え尽くした。怒りが止まらなかった、何もかもが許せなくて。しかし、
「……それがかつてクロノスに於いて最強にして最凶を誇るイレギュラーナンバー、No13黒猫(ブラックキャット)のお言葉とは、
時は残酷な物ですな。
貴方が殺した数に比べれば微々たるものでしょうに」
彼等は完全に呆れ返って、トレインの怒りを受け流した。
「そんな事より我々に同行するか否か、それだけをお聞かせ戴きたい。
―――――こちらとしては、来ない方が有り難いんだが」
それを皮切りに、一同がトレインに対する殺気を漲らせた。
「…理由は判るだろう? 判らんとは言わせんぞ。
我等はあの方の理想の礎となる為、体を二度と戻れぬ兵器としてまで忠を尽くすと決めた。
―――しかし貴様は、あの御方の友愛の情を一身に受ける立場に在りながら弓を引く……これが、許さずにおれるか!!」
彼の怒りを無視しておきながら、手前勝手な激情を一つに彼等はトレインを糾弾した。
クリードは彼等にとって現人神にも等しい存在だ。それ故に体を消耗品としてまで、彼の理想に答えようとするほど深い忠誠を
抱いている。しかしそれが、彼の頭脳とカリスマによる錯覚だと気付く者は居ないが。
「………そうか、そうだよなあ……お前等にはどうだって良いんだよな……誰が死んでも、何が燃えても、自分の大切な物じゃなけりゃ、
どうでも良いんだよなあ……それに何言ったって、判る訳無えよなあ…」
両手を力無く垂らし、彼は力無く笑っていた。なのに―――――
『………ッッツッ!?!』
光学、視覚、赤外線、聴覚、アクティヴソナー、誰のどのセンサーにも異常は全く無い。
だが何故か、それでも目の前の銃一挺しか武器を持たない生身の男が巨大且ついびつに膨れ上がって行く様に感じる。
「いいぜ、殺ってやる。殺す覚悟はちゃんと持ってるんだ、なら……」
死も恐れないと誓った筈の誰かの足が、僅かに後退する。それをさせたのは何なのか、彼自身も知らない。
「……殺される覚悟も……有るんだろうな?」
「…シンディ!!」
呼ばれるままに振り向くと、通りの向こうから駆けて来る馴染み深い人影が見える。
「ママ!!」
―――しかし、酷く馴染みの薄い物を違和感無く普段着の上から全身に巻き付けていた。銃器類だ。
「……マ…ママ? 何それ?」
「説明は後! 急いで家に帰るわよ! ほら、貴方も!!」
困惑する彼女と店主の手を強引に引き、マリアは無理矢理家路に急ぐ―――…と、通りの反対側から数人の兵士達が見えた。
「邪魔よ!!」
有無を言わさず彼女は背に担いだ機関銃を鮮やかに構え、吠えさせた。
如何に最新戦闘服と言えど、現時点の技術で7.62ミリライフル弾の咆哮を布地のみで食い止める手立ては無く、
彼らは一瞬で薙ぎ倒された。
無論二人は絶句、しかしそれを全く意に介さず彼女は安全を確保した道を突き進む。
「まだこの辺は危険よ、早く!」
「…マ、ママ……何で……こんな…」
…犯罪の巧妙化が進むにつれ、諜報機関や司法機関も変容を余儀無くされた昨今、ISPOもその例外とは成り得なかった。
今や最前線などと言う行儀の宜しい物は存在せず、本部で現場に情報を提供するオペレーターにすら銃弾の脅威は及んでいた。
その為彼女も現場の捜査官に劣らぬ修羅場を経験する羽目になり、それを潜り抜けた彼女は見事情報官以外の才能を開花させたのだ。
或る時は――――本部に爆弾を仕掛けに来たテロリストを射殺した。
或る時は――――銃撃戦の真っ只中、応戦しながら敵のアジトで情報を探した。
また或る時は―――――長官を単身殺しに来た、体重が倍以上の殺し屋を絞め殺した。
出来れば娘には晒したくない貌だったが、この状況ではそんな事は言っていられない。
「どっちを訊きたいのシンディ? 殺す方? それとも銃が使える方?」
やたらと捌けているのが自分自身気に入らなかったが、彼女の精神テンションは既に捜査官時代へと戻っている。
其処に母親は僅かしかなく、歴戦の女戦士の様な凄みがシンディに次句をなかなか詠わせない。なので焦れたマリアは警戒しながら
勝手に口を衝くままに流させる。
「……ママはね、スヴェンやパパ達とこんな事をして生きて来たのよ。勿論人を撃ったのもこれが初めてじゃないわ」
………初めて人を撃った時は眠れぬ日々が続き、食事もすぐに戻した。その苦痛が、僅かに甦る。
「――――…でもねシンディ、私達は殺したくて殺した事なんて一度も無い。出来る事なら撃たずに済ましたい、出来る事なら
撃たれたくない、そして出来る事なら誰一人死んで欲しくない――――――…そう思って撃って来たわ」
母親の背中越しの言葉に、シンディの肩が僅かに揺らいだ。
「…どうしてって? だって私は、皆が好きだもの。パパや、スヴェンや、あなたや、知り合った人とか、そう言う私の掛け替えの無い
日常が、何もかもを向こうに回して良い位大事なんだもの。
だけど…撃つ度に悲しいのだけは―――――…どうしても慣れないわ」
ほんの少しだけ見せた、刃毀れの様に小さなマリアの弱さ。しかしそれが、シンディの心に突き刺さる。
『……怖くして…ごめんね』
そう言って彼女に背を向けたイヴも、隠し切れない弱さをそれでもなお隠そうとしていた。それに彼女は、拒絶を示したのだ。
〝好きって言ったのに…酷い事……しちゃった…〟
なかなかどうして残酷だった。本当は泣きたかった筈なのに、辛かった筈なのに、イヴはそれを責める事無く血に塗れたと言うのに。
改めて自責に苛まれる。…マリアが気付くと、彼女は足を止めていた。
「…ママ………ごめんあたし…お姉ちゃんを探しに行かなくちゃ」
「……イヴちゃんの事はスヴェンから聞いているわ。でも今は一人にしてあげなさい、あの子を救ってくれるのは時間だけよ」
まだ子供にこの現実は辛すぎるだろう、それゆえの混乱だ、とマリアは思っていた。しかし、
「行かなくちゃ」
声も、眼差しも、安い自棄などではなく冷静な意志だった。
「……お前なら、きっと生きてると思ってた」
戦火の中、噴水広場の噴水がいつもと変わらず優美な水の芸術を飾るシュールレアリズムを背景に、リオンは何処か安心した様に
息を切らせた少女へと微笑んだ。
「判ったろ? これが大人だ、ちょっと言い方工夫しただけでそれを理由に此処までやりやがる。オレはこんな事しろなんて
一言も言ってないのにな。
奴等は自分勝手な解釈でどんな事もやってのける。例えばそう……宗教戦争なんか…」
「…命令したのは、あなたの意志でしょう?」
リオンの演説を、イヴの静かな怒りが遮った。
「確かにあの人たちは、酷い事をした………でも、あなたが彼らの背中を押した」
「オレは『程度は任せる』って言ったんだ。そしたら命令圏外じゃ思う存分好き勝手だ。
奴等に良心って物が少しでも有ったら、此処まで酷くはならなかったと思うけどな。
………この辺で止めにしないか? 水掛け論でこれっぽっちも進まない」
彼女の怒りを感じながらも、リオンは動揺の類とは無縁だった。
それに毒気を抜かれた訳では無いが、イヴも些か冷静さを取り戻して彼がそうした様にしっかと眼を据えた。
「……じゃあ、一つ教えて。あなたは私とシンディを誘ったけど、それは一体どうして? 何が目的なの?」
「オレの望む世界を作りたい。星の使徒をクリードから奪って」
―――予想だにせぬ即答、だった。一瞬認識が吹き飛んだ彼女だったが、改めて見るその面差しに嘘や誇張は欠片も無い。
そのまま唖然とする彼女を置いたまま、リオンの身の丈を上回る大望が吐露される。
「…概要はこうだ、まず今の大人と言う大人を一匹残らず根絶やしにする。そしたら、ナノマシンでテロメアを保護する方法を
見つけ出し、ヘイフリック限界を無くした上で全ての子供を十五歳までしか成長しないようにする」
イヴは軽い眩暈を覚えた。驚いた事に、彼はその突拍子も無い目的を真剣に考えているからだ。
「そしてそこからだ、オレ達子供の社会を作るのは。
だから今、目下の問題としてクリードを殺す事とテロメアの保護を…」
「………ッ…?」
壮大で遠大、そして緻密にして幼稚な計画に彼女の足が崩れそうなバランスを取り直す。
およそ信じられなかった。話の真贋ではなく、外見年齢がさして違わない少年のひたむきな狂気が。
社会とは飽くまで先人の手によるもの。それをこの少年は、歴史からもぎ取ろうと画策しているのだ。しかもその道程を
血の斑に染める覚悟で。
もしそれを普通の少年が言えば笑う所だが、彼は道士であり世界のクロノスにも実態を掴ませない超攻性テロ組織の一員なのだ。
紡ぐ言葉は真実であり、実際起こり得る可能性だった。
「…オレはデュラムみたいな考え無しのマヌケと違う、計画の為ならどんな汚辱にだって耐えてみせる。
でもその為には仲間が要るんだ……クリードは無意味に強いし、おまけにやたらと頭が回る。だから、お前みたく腕が立つ仲間
がオレには必要なんだ。判るだろ?」
その猫撫で声は、既に常軌を逸したものを孕んでいた。
「……あなたは……おかしい…。
私達は、別にその辺から生えて来た訳でも自分一人の力で生きて来た訳でもないのに…なんで其処まで憎めるの?
大人の人達だって昔は子供だったし、あの人たちみたいなのばっかりじゃないのに」
「笑わせんな、物に釣られたくらいであいつらを肯定するのか。
大人なんて一皮剥けばどいつも同じだ、子供は殺すか骨までしゃぶるかの二つに一つしか無えよ。
もしお前やオレみたいに強い子供が居ても、頭ひねってどっちかにしようって考えるだけだ。
だから―――――――…根絶やしにするしか道は無えんだよ」
既に異論を取り入れる気など微塵も無く、彼の方針は鋭く一直線に固まっていた。
「だけど……!」
「だけど、なんて言ってる時点で終わりなんだよ。オレが妥協を考えなかったとでも思ってんのか?
それをやった時、オレもお前もとっ捕まって何されるか判ったモンじゃない」
反論はしたい、だが出来なかった。一体何を経験すれば此処まで饒舌になるのか判らないが、イヴに彼を言い負かす事は不可能だった。
彼女は知識に於いて無限の広がりを持ってはいるが、リオンは人の世の闇と狡猾さを何故か知り尽くしている。
こうまで盤の種類が違えば、初めから勝敗は決まり切っている。しかしそれでも、彼女は引けなかった。
「でもあなたは間違ってる! 皆死ななくちゃいけないなんて、どう考えたって間違ってる!!
世界はきっと、そればっかりじゃない!!!」
力一杯の否定と、髪が徐々に形を成して行くのに、リオンは呆れ気味の溜息をついた。
「…結局腕ずくか。悪いけど…………お前じゃオレに勝てないぜ」
……市庁舎内部は、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
銃弾に穿たれた壁はその上から血に染まり、床には人であった肉片が書類や薬莢と共に散乱し、今宵この町の中でも特に
酸鼻を極めていた。
その中に、黒服の怪物が一人彫像の如く立ち尽くしていた。
しかし呆けている訳ではない。その視界には無数の表示が入り乱れ、または明滅する。
市街に出た幾つかの部下の視界を共有し、その視点から性能と実戦データを確保しているのだが、トレイン・リンス両名に半ば部隊は
壊滅に追い込まれていた。
「……やはり、もう少し改良が必要か」
対ナンバーズ戦を想定した武装なのだが、装備は兎も角彼ら自身が体のフィードバックやレスポンスの具合に着いて行っていない。
無理も無い事だろう、彼等が肉の体を棄てたのはほんの半年ほど前だ。生卵をようやく割らずに掴める様になった者も全体の三割弱、
彼等が一流と対峙する際にはやはり〝慣らし〟の要らないボディが必要なのだろう。技術がクロノスを凌駕するとは言え、
戦闘には微細な挙が不可欠であり、昨日今日取り替えたばかりの兵ではとてもナンバーズには使えない。
如何にナノマシンと生体チップで現時点で出来うる限りの神経のズレを埋めた所で、この怪物の様な領域に到るのは極少数だろう。
「……?」
その時、視界に荒れ狂う表示の一つに、少々奇妙な物を見咎めた。
―――ノー・チューン(無改造)隊、全滅―――
改造を施していない兵士達が、全滅していたのだ。
疑問符に誘われるまま彼等の生体反応をチェックするが、其処にはやはり反応が無い。
成る程トレイン一行に見つかったならそれも有るだろう、しかし彼ら四人ではどうしても取りこぼしが生じる筈だ。
だが表示には、悉く全滅と有るのだ。せめて逃走した一ケタ台が居てもおかしくは無いと言うのに、これは果たして如何なる事か。
そしてそれを畳み掛ける様に、またも異変が彼の視界に通達される。
………市庁舎内部で作業に当たっていた部下の反応が、次々消え失せた。
「何………?」
ワイヤーフレームのみの三次元透視地図が回転し部下達をモニタリングするが、その中で動く彼らが一人また一人と見えぬ何かに
薙ぎ倒され、その反応を死亡状態へと移行する。彼らの視界に潜ろうとしたが、既に接続していた分隊長クラスは戦死していた。
ならばと慌てず赤外線モードに移行すると、彼らとは違う小勢が的確に進路と安全を確保しつつかなりの速度で怪物の居る
此処へと迫ってくる。
〝ナンバーズ…? いや違う、この数は…〟
クロノナンバーズは現時点で十三人。しかし彼らは二十人近く居て、皆が概ね等しい戦闘力を持っている。
だが、何にせよこれがクロノスの罠だと言う事に違いは無い。
〝まあ……流石に馬鹿では無いか〟
部下が死ぬ事にも追い詰められていく事にもまるで感慨無く、怪物はコートの中からあの巨大な砲を取り出した。
「…あんた、エキドナ=バラスか…?」
スヴェンは、眼前に立ちはだかる美女を見るや即刻その名を言い当てた。
「へえ、上手く隠したつもりだったんだけどねえ」
「ああ、俺はあんたのファンだったんでな」
―――エキドナ=バラス、またの名を『妖女エキドナ』。数年前世界中の銀幕を席巻した有名な女優だった。
その二つ名には訳がある。その迫真の演技力が開花する役は、決まって悪女だからだ。
ある作品では三つのマフィアを手玉に取る女詐欺師、またある作品では独裁者を裏で操る淫蕩な愛人、そしてまたある作品では
私欲と野望が為に周辺各国に争乱の火種を撒き散らす非道の女帝―――…と、その末路は多々あれ、間違い無く其処に到るまで彼女は
誰をも寄せ付けぬ野心と聡明にして狡猾な頭脳、そして全てを篭絡する美貌を持つ最高の悪女だった。
無論その真に迫る演技力は世界中に絶賛され、ある世界的なニュース紙面に『如何な主役も彼女の悪役には色褪せる』と一面
すっぱ抜いて報じられるほど、かつての彼女は映画界の寵児だった。―――しかし、
「…あんたが、自分を育ててくれたプロデューサーと尊敬してた先輩女優のローザ=マクネリを殺すまでは…な。
まさか星の使徒に入って道士やってるとはな」
よもや彼女の泰然が逃亡中の殺人犯だからと言う事は有るまい。およそ戦闘員とは言い難い元女優が単独で戦場に居るのは、彼女が
星の使徒の一員である上常人以上の戦闘を期待出来るからだ。
その証拠に、彼女にとっては人生の転機とも言うべき事件を突き付けられても、その妖艶な笑みは揺らがなかった。
「ま、そんな過去の話はどうだって良いさ。今重要なのは私とアンタが敵同士で戦場にいる、それだけなんじゃないかい?」
相も変わらず銀幕の内外を魅了し続けた笑みが、覆しようも無いリアルで彼の命を欲した。
「……正直気が引けるぜ、あんたに銃を向けるのは」
「気にする事は無いさ。私だってアンタを殺すんだ、遠慮無く思いっきり来れば良いさ」
「だから、だよ」
…こう言う場合、彼の掲げる紳士道は枷に成る。しかし彼にそれを曲げるつもりは微塵も無い。
『弱きに尽くす』は、彼が自らに課したせめてもの償いだった。
「そう言えば…アンタの過去話、私も聞かせてもらったんだけど……傑作だったねえなかなか」
語感と唇に悪意を注ぎ、エキドナはスヴェンを嘲弄する。
「死んだ親友の為に改心して四角四面の正義の味方に成った…か。ふ…笑い話にもなりゃしない。
悪党に成る根性も無いくせに悪党やるからそんな半端モンになっちまうのさ」
猫が鼠を弄る様に、彼女の悪罵が遠巻きにスヴェンを責め立てる。
「…大体、遺族に金を入れたり心を入れ替えたりで罪が消えるとでも思ってんのかい?
甘いねぇ、甘過ぎる。アンタは罪を犯した時点で罪人なのさ、それを贖いたいなら命しかないんだよ。
それとも私みたく、いっそ吹っ切れてみるのも良いかもねぇ…無理だろうけど」
死ぬ事が出来ない、まともに向き合う事が出来ない、ばかりか罪を理解し開き直る事さえ出来ないスヴェンの弱さを、彼女は
ここぞとばかりに抉り尽くした。彼の沈黙がそのまま嗜虐的な快感となって、彼女の心を昏い愉悦に満たす。
どうやら口舌の徒であったらしいが、それが何も言えず苦悶を噛み殺すのは何とも良い気分だった。
「…あそこに居たのは、あんただったのか」
その一言が、彼女の柳眉に不快を刻ませた。
「ま、そう意外な貌するなよ。仕方ないだろ、昔話の最中ずっと妙な視線を感じてたんだ。嫌でも出歯亀を疑うさ。
二人は聞き入ってたから気付かなかったろうが、俺は知ってる。あんた、気配消すのは下手だな」
逆に言葉に詰まった。彼女は確かにトレイン達を発見していたが、スヴェンにも発見されていたのだ。
「………あんた、少し無理があるな。
妖女とか言う割りには、随分見え見えの責めをするからな。それとも悪女はスクリーンの中だけで、本当は結構お行儀良いのかな?」
先刻エキドナがそうした様に、彼もまた冷笑で言葉を飾った。
「だとしたら甘いねぇ、甘過ぎる。台本通りの悪女が本物の悪党に説教なんて。
だから、俺みたいになってから出直すんだな…ま、無理だろうが」
いよいよ六年前に戻った様な悪意を満たし、スヴェンは怒りに震えるエキドナを笑った。しかも彼女の悪言の決め台詞を奪い取って。
「……死にたいのかい…アンタ…」
「それは『だったら止めとけ』を付けて返してやる。
愚弄(なめ)るなよ、ちょっと変わった手品仕込んだ程度で」
――――相手が未知数の力を持つ道士とやらなのは知っている。これまでの捕り物と訳が違うのも重々知っている。
だからこそ、彼女を自分に集中させるしかなかった。そうでなければその道とやらで好き勝手に暴れて及ぼす被害は想像も付かない。
本当は逃げ出したかった。彼にはトレインの様な神業級の銃技も無ければ、リンスの様な身体能力も無い。ましてイヴの様な
変幻自在の戦闘が可能なナノマシンも無い。有るのはせいぜい幾つかの武器と未来を見る眼、そして人より少々出来の良い頭だけ。
しかし彼は逃げない。死の恐怖をも踏破した友の命が、その中に息衝いているからだ。
とうとう憎悪が渦巻くエキドナを前に、彼はケースの鍵を開いた。
「ふざけんじゃないわよ…何が星の使徒よ。通り魔もどきのチンピラじゃない」
幾ら裏の世界とは言え暗黙のルールがある。それは『表の世界に極力干渉しない』と言う事だ。
その棲み分けが出来て初めて悪党は成立し、社会の秩序は保たれる――――…のだが、星の使徒はそれを盛大に破ったのだ。
所詮悪党も社会に依存する生き物だ、その境界が破壊されると社会は崩壊し、果てには節度も礼儀も法も金も無い混沌が待っている。
それも含め、単純に彼らの一山幾らの殺意と根性が、リンスにはどうしようもなく見苦しかった。
「……?」
妙な気配を感じ、彼女は背後を肩越しに覗いた。しかし、其処には戦場の一風景以外見える物は無い。
「……気の…所為か」
思い直し、そのまま一歩踏み出そうとしたが……
突然、何も無い後方へ背中越しに銃弾を放った。
「…なぁんて、ね。気付かないと思ったら大間違いよ」
弾丸は、照星の先にある店舗のガラスを砕くと思いきやそうではない。その前の空間に何故かめり込んでいた。
其処を中心に電気のスパークが走り、空間と見えた部分は人型の実像を現す。それは、あの怪物に率いられた異形の兵士だった。
「…何故…判った? 音響ステルスも施していたのに…」
「アンタ、気配くらい隠しなさいよ。姿隠したから一緒に消えると思ってんの?
――と、言う訳で他の連中も出て来なさい。眼を凝らせば結構見えるわよ」
それに従う様に、周囲の空間に次々とスパークが湧き上がり、それが治まる頃には総勢十数人の兵士達がリンスを取り囲んでいた。
「………呆れたわね、こいつら殺したアタシに随分景気の悪い数じゃない」
そう言って手で示す周囲には、彼等に倍する数の兵士が無残な屍を晒していた。
「こんな雑兵共と我等『コンツェルト』を一緒にしてもらっては困る。仕事とプライベートの区別が付かない奴とも、
ビジネスライクな連中とも思わん事だ」
声に微妙な機械的ノイズを混じらせて、兵士達は何も持っていない両手を前に差し出す。
「?」
一瞬降伏かと思ったが……しかし、当然それは降伏などではなく立派な戦闘態勢だった。
――――――――全員の腕が複数のパーツに爆ぜ割れて、その中に仕込んだ武器を露わにしたのだから。
展開した装甲が閉じるや、幾人かの銃口が彼女へと速射を放った。
しかし……体は彼女の意識の外で鮮やかに宙を舞う。そして一人を月面宙返りで飛び越すと、彼女の着地に合わせる様にその首が落ちた。
「!?」「え……?」
彼らもその身体能力に驚いたが、反応で回避し一瞬で首を切断したリンスも驚いた。
首の断面から跳ねるのは血ではなく、黒いオイルとスパークだったからだ。更に、体躯は固い金属音を響かせて倒れた。
「ちょっと……何これ…?」
驚く彼女を尻目に、兵士の一人が憎々しげに場の全員に通信した。
『…総員、全アクチュエーターのリミッターを解除しろ! 本気で掛かるぞ!』
「成る程…サイボーグ部隊って訳か。あの野郎も何処まで行く気なのか判んねえな」
目の前に集う兵士達を眼に据えて、トレインは此処には居ない元相棒に毒づいた。
「…お止し下さい、貴方がその様な事を仰ってはあの方が悲しみます」
―――サイボーグの技術そのものは既にクロノスも着手しているが、それが理論の域を出た事は未だに無い。
どうしても機械と生身の完全な接続が成功しないからだ。
…日常生活程度は兎も角として、最新型のアクチュエーター(動力機構)でさえ出力不足で使い物にならない。
…更に、神経接続を行ってもレスポンスの悪さがどうしても改善出来ない。
と、数々の問題がクロノス開発部ですら形にさせないと言うのに、異形の天才が急造したテロ組織は完全な実用化に成功したのだ。
………数多くのSFに於いてサイボーグは今や定番だが、実際の戦場にこれ以上都合の良い兵士は実は居ない。
通常の歩兵の装備も可能な上、複数人数を必要とする重機関銃や対戦車砲をも単独で使いこなし、生身には不可能な強行軍にも
仔細無く耐え、人間なら戦闘不能であろう手足の負傷もパーツを換えれば事足りる。しかもそれが武器内蔵型なら言う事は無い。
それは或る意味、権力者にとって実に望ましい兵器と言えるだろう。極端に言えば、兵士と兵器は同義なのだ。
「クリード様は此処には居られませんが、我々が案内致します。さ…」
「その前に聞かせろ、何でお前等この町を攻めた? 内容次第じゃタダじゃおかねえ」
サイボーグ部隊の恭しい態度を一切突き放して、トレインは滾る溶鉄にも似た怒りで彼らに詰問する。
「さっき殺した奴に訊いたんだが……お前等、オレ達が居るから大部隊に編成し直したんだってな」
この惨状に少なからず関わっている事に、彼の胸は理不尽に対する怒りと悲しみで埋め尽くされていた。
不快だった、クリードの凶行に付き合わされた事が。
だがその怒りを知らない様に、兵士の返答は素っ気無かった。
「……仕方なかった事です、我々の隊長とクリード様が、本来の人数で行くのは至極危険と判断し検討の結果此度の事と
相成りました。この状況も、クリード様と同行しておられる幹部の皆様のご意向でして、我々には何とも……」
「―――ふざけんじゃねえ!!!」
淡々とした説明を、トレインの怒号が吹き飛ばした。
「…オレには何処から情報仕入れたのかも判ってる! ………クロノスからだろうが!!!」
……如何に星の使徒が情報戦に優れているとは言え、クロノスの監視が有る中観光地に消えたトレイン達を追う事は困難極まる。
だが、それでも星の使徒がその情報を得るルートが有るのをトレインは知っている。それは、クロノスが調べ上げて情報を
リークする事だ。何故か? トレイン達を強制的に星の使徒との戦闘に参加させる為だ。となると、デュラムがトレイン達の前に
現れたのも、その前のギャンザの一件も、相当疑わしくなってくる。
となればクリードも、何もかも知った上でこの事態を招いたのは想像するまでも無い。彼は元相棒の異常性を知悉しているのだ。
そして全ての糸を引いているのは……最早考ずる事すら馬鹿馬鹿しい。
「お前等屑だ!! セフィリアもクリードも、それに少しも異を唱えねえお前等も長老会も! 皆クズだ!!!
そんなに殺し合いがしたきゃ、お前等だけでやってろ!! このカス共が!!!」
息を切らせてトレインは吠え尽くした。怒りが止まらなかった、何もかもが許せなくて。しかし、
「……それがかつてクロノスに於いて最強にして最凶を誇るイレギュラーナンバー、No13黒猫(ブラックキャット)のお言葉とは、
時は残酷な物ですな。
貴方が殺した数に比べれば微々たるものでしょうに」
彼等は完全に呆れ返って、トレインの怒りを受け流した。
「そんな事より我々に同行するか否か、それだけをお聞かせ戴きたい。
―――――こちらとしては、来ない方が有り難いんだが」
それを皮切りに、一同がトレインに対する殺気を漲らせた。
「…理由は判るだろう? 判らんとは言わせんぞ。
我等はあの方の理想の礎となる為、体を二度と戻れぬ兵器としてまで忠を尽くすと決めた。
―――しかし貴様は、あの御方の友愛の情を一身に受ける立場に在りながら弓を引く……これが、許さずにおれるか!!」
彼の怒りを無視しておきながら、手前勝手な激情を一つに彼等はトレインを糾弾した。
クリードは彼等にとって現人神にも等しい存在だ。それ故に体を消耗品としてまで、彼の理想に答えようとするほど深い忠誠を
抱いている。しかしそれが、彼の頭脳とカリスマによる錯覚だと気付く者は居ないが。
「………そうか、そうだよなあ……お前等にはどうだって良いんだよな……誰が死んでも、何が燃えても、自分の大切な物じゃなけりゃ、
どうでも良いんだよなあ……それに何言ったって、判る訳無えよなあ…」
両手を力無く垂らし、彼は力無く笑っていた。なのに―――――
『………ッッツッ!?!』
光学、視覚、赤外線、聴覚、アクティヴソナー、誰のどのセンサーにも異常は全く無い。
だが何故か、それでも目の前の銃一挺しか武器を持たない生身の男が巨大且ついびつに膨れ上がって行く様に感じる。
「いいぜ、殺ってやる。殺す覚悟はちゃんと持ってるんだ、なら……」
死も恐れないと誓った筈の誰かの足が、僅かに後退する。それをさせたのは何なのか、彼自身も知らない。
「……殺される覚悟も……有るんだろうな?」
「…シンディ!!」
呼ばれるままに振り向くと、通りの向こうから駆けて来る馴染み深い人影が見える。
「ママ!!」
―――しかし、酷く馴染みの薄い物を違和感無く普段着の上から全身に巻き付けていた。銃器類だ。
「……マ…ママ? 何それ?」
「説明は後! 急いで家に帰るわよ! ほら、貴方も!!」
困惑する彼女と店主の手を強引に引き、マリアは無理矢理家路に急ぐ―――…と、通りの反対側から数人の兵士達が見えた。
「邪魔よ!!」
有無を言わさず彼女は背に担いだ機関銃を鮮やかに構え、吠えさせた。
如何に最新戦闘服と言えど、現時点の技術で7.62ミリライフル弾の咆哮を布地のみで食い止める手立ては無く、
彼らは一瞬で薙ぎ倒された。
無論二人は絶句、しかしそれを全く意に介さず彼女は安全を確保した道を突き進む。
「まだこの辺は危険よ、早く!」
「…マ、ママ……何で……こんな…」
…犯罪の巧妙化が進むにつれ、諜報機関や司法機関も変容を余儀無くされた昨今、ISPOもその例外とは成り得なかった。
今や最前線などと言う行儀の宜しい物は存在せず、本部で現場に情報を提供するオペレーターにすら銃弾の脅威は及んでいた。
その為彼女も現場の捜査官に劣らぬ修羅場を経験する羽目になり、それを潜り抜けた彼女は見事情報官以外の才能を開花させたのだ。
或る時は――――本部に爆弾を仕掛けに来たテロリストを射殺した。
或る時は――――銃撃戦の真っ只中、応戦しながら敵のアジトで情報を探した。
また或る時は―――――長官を単身殺しに来た、体重が倍以上の殺し屋を絞め殺した。
出来れば娘には晒したくない貌だったが、この状況ではそんな事は言っていられない。
「どっちを訊きたいのシンディ? 殺す方? それとも銃が使える方?」
やたらと捌けているのが自分自身気に入らなかったが、彼女の精神テンションは既に捜査官時代へと戻っている。
其処に母親は僅かしかなく、歴戦の女戦士の様な凄みがシンディに次句をなかなか詠わせない。なので焦れたマリアは警戒しながら
勝手に口を衝くままに流させる。
「……ママはね、スヴェンやパパ達とこんな事をして生きて来たのよ。勿論人を撃ったのもこれが初めてじゃないわ」
………初めて人を撃った時は眠れぬ日々が続き、食事もすぐに戻した。その苦痛が、僅かに甦る。
「――――…でもねシンディ、私達は殺したくて殺した事なんて一度も無い。出来る事なら撃たずに済ましたい、出来る事なら
撃たれたくない、そして出来る事なら誰一人死んで欲しくない――――――…そう思って撃って来たわ」
母親の背中越しの言葉に、シンディの肩が僅かに揺らいだ。
「…どうしてって? だって私は、皆が好きだもの。パパや、スヴェンや、あなたや、知り合った人とか、そう言う私の掛け替えの無い
日常が、何もかもを向こうに回して良い位大事なんだもの。
だけど…撃つ度に悲しいのだけは―――――…どうしても慣れないわ」
ほんの少しだけ見せた、刃毀れの様に小さなマリアの弱さ。しかしそれが、シンディの心に突き刺さる。
『……怖くして…ごめんね』
そう言って彼女に背を向けたイヴも、隠し切れない弱さをそれでもなお隠そうとしていた。それに彼女は、拒絶を示したのだ。
〝好きって言ったのに…酷い事……しちゃった…〟
なかなかどうして残酷だった。本当は泣きたかった筈なのに、辛かった筈なのに、イヴはそれを責める事無く血に塗れたと言うのに。
改めて自責に苛まれる。…マリアが気付くと、彼女は足を止めていた。
「…ママ………ごめんあたし…お姉ちゃんを探しに行かなくちゃ」
「……イヴちゃんの事はスヴェンから聞いているわ。でも今は一人にしてあげなさい、あの子を救ってくれるのは時間だけよ」
まだ子供にこの現実は辛すぎるだろう、それゆえの混乱だ、とマリアは思っていた。しかし、
「行かなくちゃ」
声も、眼差しも、安い自棄などではなく冷静な意志だった。
「……お前なら、きっと生きてると思ってた」
戦火の中、噴水広場の噴水がいつもと変わらず優美な水の芸術を飾るシュールレアリズムを背景に、リオンは何処か安心した様に
息を切らせた少女へと微笑んだ。
「判ったろ? これが大人だ、ちょっと言い方工夫しただけでそれを理由に此処までやりやがる。オレはこんな事しろなんて
一言も言ってないのにな。
奴等は自分勝手な解釈でどんな事もやってのける。例えばそう……宗教戦争なんか…」
「…命令したのは、あなたの意志でしょう?」
リオンの演説を、イヴの静かな怒りが遮った。
「確かにあの人たちは、酷い事をした………でも、あなたが彼らの背中を押した」
「オレは『程度は任せる』って言ったんだ。そしたら命令圏外じゃ思う存分好き勝手だ。
奴等に良心って物が少しでも有ったら、此処まで酷くはならなかったと思うけどな。
………この辺で止めにしないか? 水掛け論でこれっぽっちも進まない」
彼女の怒りを感じながらも、リオンは動揺の類とは無縁だった。
それに毒気を抜かれた訳では無いが、イヴも些か冷静さを取り戻して彼がそうした様にしっかと眼を据えた。
「……じゃあ、一つ教えて。あなたは私とシンディを誘ったけど、それは一体どうして? 何が目的なの?」
「オレの望む世界を作りたい。星の使徒をクリードから奪って」
―――予想だにせぬ即答、だった。一瞬認識が吹き飛んだ彼女だったが、改めて見るその面差しに嘘や誇張は欠片も無い。
そのまま唖然とする彼女を置いたまま、リオンの身の丈を上回る大望が吐露される。
「…概要はこうだ、まず今の大人と言う大人を一匹残らず根絶やしにする。そしたら、ナノマシンでテロメアを保護する方法を
見つけ出し、ヘイフリック限界を無くした上で全ての子供を十五歳までしか成長しないようにする」
イヴは軽い眩暈を覚えた。驚いた事に、彼はその突拍子も無い目的を真剣に考えているからだ。
「そしてそこからだ、オレ達子供の社会を作るのは。
だから今、目下の問題としてクリードを殺す事とテロメアの保護を…」
「………ッ…?」
壮大で遠大、そして緻密にして幼稚な計画に彼女の足が崩れそうなバランスを取り直す。
およそ信じられなかった。話の真贋ではなく、外見年齢がさして違わない少年のひたむきな狂気が。
社会とは飽くまで先人の手によるもの。それをこの少年は、歴史からもぎ取ろうと画策しているのだ。しかもその道程を
血の斑に染める覚悟で。
もしそれを普通の少年が言えば笑う所だが、彼は道士であり世界のクロノスにも実態を掴ませない超攻性テロ組織の一員なのだ。
紡ぐ言葉は真実であり、実際起こり得る可能性だった。
「…オレはデュラムみたいな考え無しのマヌケと違う、計画の為ならどんな汚辱にだって耐えてみせる。
でもその為には仲間が要るんだ……クリードは無意味に強いし、おまけにやたらと頭が回る。だから、お前みたく腕が立つ仲間
がオレには必要なんだ。判るだろ?」
その猫撫で声は、既に常軌を逸したものを孕んでいた。
「……あなたは……おかしい…。
私達は、別にその辺から生えて来た訳でも自分一人の力で生きて来た訳でもないのに…なんで其処まで憎めるの?
大人の人達だって昔は子供だったし、あの人たちみたいなのばっかりじゃないのに」
「笑わせんな、物に釣られたくらいであいつらを肯定するのか。
大人なんて一皮剥けばどいつも同じだ、子供は殺すか骨までしゃぶるかの二つに一つしか無えよ。
もしお前やオレみたいに強い子供が居ても、頭ひねってどっちかにしようって考えるだけだ。
だから―――――――…根絶やしにするしか道は無えんだよ」
既に異論を取り入れる気など微塵も無く、彼の方針は鋭く一直線に固まっていた。
「だけど……!」
「だけど、なんて言ってる時点で終わりなんだよ。オレが妥協を考えなかったとでも思ってんのか?
それをやった時、オレもお前もとっ捕まって何されるか判ったモンじゃない」
反論はしたい、だが出来なかった。一体何を経験すれば此処まで饒舌になるのか判らないが、イヴに彼を言い負かす事は不可能だった。
彼女は知識に於いて無限の広がりを持ってはいるが、リオンは人の世の闇と狡猾さを何故か知り尽くしている。
こうまで盤の種類が違えば、初めから勝敗は決まり切っている。しかしそれでも、彼女は引けなかった。
「でもあなたは間違ってる! 皆死ななくちゃいけないなんて、どう考えたって間違ってる!!
世界はきっと、そればっかりじゃない!!!」
力一杯の否定と、髪が徐々に形を成して行くのに、リオンは呆れ気味の溜息をついた。
「…結局腕ずくか。悪いけど…………お前じゃオレに勝てないぜ」
……市庁舎内部は、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
銃弾に穿たれた壁はその上から血に染まり、床には人であった肉片が書類や薬莢と共に散乱し、今宵この町の中でも特に
酸鼻を極めていた。
その中に、黒服の怪物が一人彫像の如く立ち尽くしていた。
しかし呆けている訳ではない。その視界には無数の表示が入り乱れ、または明滅する。
市街に出た幾つかの部下の視界を共有し、その視点から性能と実戦データを確保しているのだが、トレイン・リンス両名に半ば部隊は
壊滅に追い込まれていた。
「……やはり、もう少し改良が必要か」
対ナンバーズ戦を想定した武装なのだが、装備は兎も角彼ら自身が体のフィードバックやレスポンスの具合に着いて行っていない。
無理も無い事だろう、彼等が肉の体を棄てたのはほんの半年ほど前だ。生卵をようやく割らずに掴める様になった者も全体の三割弱、
彼等が一流と対峙する際にはやはり〝慣らし〟の要らないボディが必要なのだろう。技術がクロノスを凌駕するとは言え、
戦闘には微細な挙が不可欠であり、昨日今日取り替えたばかりの兵ではとてもナンバーズには使えない。
如何にナノマシンと生体チップで現時点で出来うる限りの神経のズレを埋めた所で、この怪物の様な領域に到るのは極少数だろう。
「……?」
その時、視界に荒れ狂う表示の一つに、少々奇妙な物を見咎めた。
―――ノー・チューン(無改造)隊、全滅―――
改造を施していない兵士達が、全滅していたのだ。
疑問符に誘われるまま彼等の生体反応をチェックするが、其処にはやはり反応が無い。
成る程トレイン一行に見つかったならそれも有るだろう、しかし彼ら四人ではどうしても取りこぼしが生じる筈だ。
だが表示には、悉く全滅と有るのだ。せめて逃走した一ケタ台が居てもおかしくは無いと言うのに、これは果たして如何なる事か。
そしてそれを畳み掛ける様に、またも異変が彼の視界に通達される。
………市庁舎内部で作業に当たっていた部下の反応が、次々消え失せた。
「何………?」
ワイヤーフレームのみの三次元透視地図が回転し部下達をモニタリングするが、その中で動く彼らが一人また一人と見えぬ何かに
薙ぎ倒され、その反応を死亡状態へと移行する。彼らの視界に潜ろうとしたが、既に接続していた分隊長クラスは戦死していた。
ならばと慌てず赤外線モードに移行すると、彼らとは違う小勢が的確に進路と安全を確保しつつかなりの速度で怪物の居る
此処へと迫ってくる。
〝ナンバーズ…? いや違う、この数は…〟
クロノナンバーズは現時点で十三人。しかし彼らは二十人近く居て、皆が概ね等しい戦闘力を持っている。
だが、何にせよこれがクロノスの罠だと言う事に違いは無い。
〝まあ……流石に馬鹿では無いか〟
部下が死ぬ事にも追い詰められていく事にもまるで感慨無く、怪物はコートの中からあの巨大な砲を取り出した。
「…あんた、エキドナ=バラスか…?」
スヴェンは、眼前に立ちはだかる美女を見るや即刻その名を言い当てた。
「へえ、上手く隠したつもりだったんだけどねえ」
「ああ、俺はあんたのファンだったんでな」
―――エキドナ=バラス、またの名を『妖女エキドナ』。数年前世界中の銀幕を席巻した有名な女優だった。
その二つ名には訳がある。その迫真の演技力が開花する役は、決まって悪女だからだ。
ある作品では三つのマフィアを手玉に取る女詐欺師、またある作品では独裁者を裏で操る淫蕩な愛人、そしてまたある作品では
私欲と野望が為に周辺各国に争乱の火種を撒き散らす非道の女帝―――…と、その末路は多々あれ、間違い無く其処に到るまで彼女は
誰をも寄せ付けぬ野心と聡明にして狡猾な頭脳、そして全てを篭絡する美貌を持つ最高の悪女だった。
無論その真に迫る演技力は世界中に絶賛され、ある世界的なニュース紙面に『如何な主役も彼女の悪役には色褪せる』と一面
すっぱ抜いて報じられるほど、かつての彼女は映画界の寵児だった。―――しかし、
「…あんたが、自分を育ててくれたプロデューサーと尊敬してた先輩女優のローザ=マクネリを殺すまでは…な。
まさか星の使徒に入って道士やってるとはな」
よもや彼女の泰然が逃亡中の殺人犯だからと言う事は有るまい。およそ戦闘員とは言い難い元女優が単独で戦場に居るのは、彼女が
星の使徒の一員である上常人以上の戦闘を期待出来るからだ。
その証拠に、彼女にとっては人生の転機とも言うべき事件を突き付けられても、その妖艶な笑みは揺らがなかった。
「ま、そんな過去の話はどうだって良いさ。今重要なのは私とアンタが敵同士で戦場にいる、それだけなんじゃないかい?」
相も変わらず銀幕の内外を魅了し続けた笑みが、覆しようも無いリアルで彼の命を欲した。
「……正直気が引けるぜ、あんたに銃を向けるのは」
「気にする事は無いさ。私だってアンタを殺すんだ、遠慮無く思いっきり来れば良いさ」
「だから、だよ」
…こう言う場合、彼の掲げる紳士道は枷に成る。しかし彼にそれを曲げるつもりは微塵も無い。
『弱きに尽くす』は、彼が自らに課したせめてもの償いだった。
「そう言えば…アンタの過去話、私も聞かせてもらったんだけど……傑作だったねえなかなか」
語感と唇に悪意を注ぎ、エキドナはスヴェンを嘲弄する。
「死んだ親友の為に改心して四角四面の正義の味方に成った…か。ふ…笑い話にもなりゃしない。
悪党に成る根性も無いくせに悪党やるからそんな半端モンになっちまうのさ」
猫が鼠を弄る様に、彼女の悪罵が遠巻きにスヴェンを責め立てる。
「…大体、遺族に金を入れたり心を入れ替えたりで罪が消えるとでも思ってんのかい?
甘いねぇ、甘過ぎる。アンタは罪を犯した時点で罪人なのさ、それを贖いたいなら命しかないんだよ。
それとも私みたく、いっそ吹っ切れてみるのも良いかもねぇ…無理だろうけど」
死ぬ事が出来ない、まともに向き合う事が出来ない、ばかりか罪を理解し開き直る事さえ出来ないスヴェンの弱さを、彼女は
ここぞとばかりに抉り尽くした。彼の沈黙がそのまま嗜虐的な快感となって、彼女の心を昏い愉悦に満たす。
どうやら口舌の徒であったらしいが、それが何も言えず苦悶を噛み殺すのは何とも良い気分だった。
「…あそこに居たのは、あんただったのか」
その一言が、彼女の柳眉に不快を刻ませた。
「ま、そう意外な貌するなよ。仕方ないだろ、昔話の最中ずっと妙な視線を感じてたんだ。嫌でも出歯亀を疑うさ。
二人は聞き入ってたから気付かなかったろうが、俺は知ってる。あんた、気配消すのは下手だな」
逆に言葉に詰まった。彼女は確かにトレイン達を発見していたが、スヴェンにも発見されていたのだ。
「………あんた、少し無理があるな。
妖女とか言う割りには、随分見え見えの責めをするからな。それとも悪女はスクリーンの中だけで、本当は結構お行儀良いのかな?」
先刻エキドナがそうした様に、彼もまた冷笑で言葉を飾った。
「だとしたら甘いねぇ、甘過ぎる。台本通りの悪女が本物の悪党に説教なんて。
だから、俺みたいになってから出直すんだな…ま、無理だろうが」
いよいよ六年前に戻った様な悪意を満たし、スヴェンは怒りに震えるエキドナを笑った。しかも彼女の悪言の決め台詞を奪い取って。
「……死にたいのかい…アンタ…」
「それは『だったら止めとけ』を付けて返してやる。
愚弄(なめ)るなよ、ちょっと変わった手品仕込んだ程度で」
――――相手が未知数の力を持つ道士とやらなのは知っている。これまでの捕り物と訳が違うのも重々知っている。
だからこそ、彼女を自分に集中させるしかなかった。そうでなければその道とやらで好き勝手に暴れて及ぼす被害は想像も付かない。
本当は逃げ出したかった。彼にはトレインの様な神業級の銃技も無ければ、リンスの様な身体能力も無い。ましてイヴの様な
変幻自在の戦闘が可能なナノマシンも無い。有るのはせいぜい幾つかの武器と未来を見る眼、そして人より少々出来の良い頭だけ。
しかし彼は逃げない。死の恐怖をも踏破した友の命が、その中に息衝いているからだ。
とうとう憎悪が渦巻くエキドナを前に、彼はケースの鍵を開いた。