そこはもはや、スキマ妖怪こと八雲紫の支配する領域だった。
右に式の藍、左にそのまた式である橙を従え、紫は自らの開いたスキマに腰掛けた。
「さて、有象無象の皆さま方……今宵もいい晩になりそうですわ」
いきなりアクセル全開の挨拶に、まず守矢の二柱が噛みつく。
「ちょっとぉ! 神様をつかまえて有象無象ってどーゆーことよぉ!」
「そうだそうだ! 古参カエレ!」
「ちょっと、恥ずかしいからやめてくださいよお二方とも!」
早苗の制止など聞く耳持っちゃいない神々の野次に、紫は莞爾と微笑んだ。
その笑顔には恫喝や嫌味など少しも込められていない、心からの笑顔に見えて、
逆に気勢を削がれた二柱はもごもごと野次を引っ込めてしまう。
「それは見解の違いというもの……この幻想郷に於いては、あらゆるいっさいが幻想なのです。
故に、あらゆるいっさいは平等に──下らない、子供騙しの──紙切れ一片ほどの価値も持たない有象無象である。
貴女も、私も……つまりそういうことです」
そこでふと言葉を切り、地平線が微かに紅く染まる程度の夕闇空を眺め上げる。
「そう言えば……ついさっき星屑を見たわ。流星の洪水。砂糖菓子のようなキラキラ星」
「え、そんなのあったっけ?」と紫に倣って空を見た者が三割ほど、
「なにが『そう言えば』なんだ?」と顔をしかめる者が二割ほど、
残りの五割は特に反応せず、言葉の続きを待っていた。
「そう、キラキラ星……」
右に式の藍、左にそのまた式である橙を従え、紫は自らの開いたスキマに腰掛けた。
「さて、有象無象の皆さま方……今宵もいい晩になりそうですわ」
いきなりアクセル全開の挨拶に、まず守矢の二柱が噛みつく。
「ちょっとぉ! 神様をつかまえて有象無象ってどーゆーことよぉ!」
「そうだそうだ! 古参カエレ!」
「ちょっと、恥ずかしいからやめてくださいよお二方とも!」
早苗の制止など聞く耳持っちゃいない神々の野次に、紫は莞爾と微笑んだ。
その笑顔には恫喝や嫌味など少しも込められていない、心からの笑顔に見えて、
逆に気勢を削がれた二柱はもごもごと野次を引っ込めてしまう。
「それは見解の違いというもの……この幻想郷に於いては、あらゆるいっさいが幻想なのです。
故に、あらゆるいっさいは平等に──下らない、子供騙しの──紙切れ一片ほどの価値も持たない有象無象である。
貴女も、私も……つまりそういうことです」
そこでふと言葉を切り、地平線が微かに紅く染まる程度の夕闇空を眺め上げる。
「そう言えば……ついさっき星屑を見たわ。流星の洪水。砂糖菓子のようなキラキラ星」
「え、そんなのあったっけ?」と紫に倣って空を見た者が三割ほど、
「なにが『そう言えば』なんだ?」と顔をしかめる者が二割ほど、
残りの五割は特に反応せず、言葉の続きを待っていた。
「そう、キラキラ星……」
──それから日が沈みきり、辺りが闇に包まれる程度の時間の経過のあと。
「……ってオイ! そんだけかよ!」
酒が抜けたことで属性がボケからツッコミに傾いた萃香が、スパーンと裏拳の平手を振った。
「終わりならそう言えよ! じっと沈黙十五分とか、こんな気まずいノリツッコミ初めてだわ!」
「はい? なにかしら、萃香」
「お星さまキラキラがなんだっちゅーの!」
「綺麗ね。蝶々みたい」
「それがなにさ!」
噛み合わない会話に悶える萃香と、あっけらかんを通り越して乾ききった態度の紫の、
その両者間を往復する世にも恐ろしい言葉のドッジボールをなんとはなしに眺めながら、霊夢は心の中で肩をすくめる。
(紫の会話のテンポがおかしいのは相変わらずだけど、『ついさっき流星を見た』ってのはなんなのかしら……?)
「ああ、ごめんなさいな霊夢。すっかり失念していたわ。貴女の尺度で考えないといけないわね」
急にこちらを振り向き、ずばりとそんなことを言う。
(──人の心を読んで先回りする悪癖も相変わらずね)
こういうやつだと分かっていたが、前振りもなくやられると気持ちが悪い。
心の奥底まで見透かされているのだと、実感させられるから。
「ごめんなさいな。……あらあら、これもいけないのね。いいわ、待ちましょう。ではどうぞ」
「どうぞって……もう読んだんでしょう? なにを今さら」
「そういうことではないと思うのよ、霊夢。他者の心の中身まで犯したいなどと、私は微塵も思っていないのだから。
ついうっかり目先の利便に走ってしまうけれど、動く口があるのならそれを聞きましょう。……貴女の声も聴きたいし、ね」
「……それでも私の心を読んでるんでしょ?」
「そうだと言えばいいのかしら? ごめんなさいな、私、どう答えれば貴女が喜ぶのか、良く分からなくって」
その言い方、その声音、その眼差し、すべてが人間とは遠くかけ離れた、異質なもの。
「さ、言って頂戴、霊夢。貴女が言いたいことを、私に聴かせて?」
(なんでそういうことを言うのよ……)
胸の内に沸き起こる疑心と不快感が拭えない。
境界を操るスキマ妖怪──その力は精神や夢などの概念的なものにも及ぶ。
自分がなにを言いたいかなんて、最初から分かっているくせに。
そう、分からない……こちらだけが、一方的に分からない。
しかし、それはどうしようもないことだ。霊夢はそう腹を括り(それがどういう類の腹かは自分でも分からなかったが)、先ほどの思いを口にした。
「──ついさっきどころか、今日は流星なんてなかったわ。よしんばあったとしても、見えるわけがない。
なぜなら、それこそついさっき夜になったばかりだから」
「ああ、ごめんなさいな霊夢。すっかり失念していたわ。貴女の尺度で考えないといけないわね」
「……それはさっき聞いたわよ」
「そうね。ごめんなさいな」
なんの悪びれもなく、しゃあしゃあと言ってのけた。
──そう、こいつはこういうやつなのだ。
「ついさっき、というのは失言だったわ。あれは、そう……いつだったかしら、藍?」
「秒数に換算して──」
「いけないわ、藍。もっと曖昧な指標を使いなさい」
「およそ一ヶ月前です」
「そう、ちょうどそのくらいが心地良いわね。私は星屑を視た。あれはなんだったのかしら」
幻想郷一の情報通を自認する文が、それに答える。
「あれは魔法の森に住む人間、霧雨魔理沙による大規模魔法の痕跡です」
「その目的は?」
「あやややや、それはちょっと調査不足でございますが、どうやらヴァン・アレン帯と関係のある模様で」
傍らで聞いていた天子が、ちょいちょいと衣玖の袖を引く。
「ねえ、ヴァレンタインって、なに?」
完璧なまでに鉄面皮の無表情少女からの回答。
「貴女さまは実に質問するしか能のないつるぺたジャム野郎にあらせられますね天子さま。
しかもヴァン・アレン帯をどう聞き間違えたらヴァレンタインになるのですかお耳くそをおほじりあそばせますよう衣玖はご忠告いたします」
「ひどっ」
「なあ衣玖、ばれんたいんってなんだ?」
「ヴァレンタインではなくヴァン・アレン帯だと衣玖は思います萃香さま。
ちなみにヴァン・アレン帯とは大地の力に封印された光の帯であると衣玖は存じ上げております」
「ひどぉっ」
そんな天子の小さな悲鳴など、空気の読める妖怪である衣玖が取り合うはずもない。
「さあ紫さまその先を拝聴したいと衣玖は思います」
だがしかし、八雲紫は空気を読まない。
境界を操ることで世界を改変できる彼女に、そうした普遍的な迎合志向などあるはずがない。
ために、衣玖はその先を拝聴することは叶わなかった。
「『奇跡の条件』とは、なんだと思う?」
今までの話の筋をあっさり無視して、いきなりそんな質問を投げかけてきた。
「あの、それは……生命の神秘とかそういうもののことでしょうか、紫さま」
妖夢の答えに、紫は心底悲しそうに首を振った。
「嘘は良くないわ。貴女がそんな嘘を吐く子に育ったなんて知ったら、貴女のお爺さまである妖忌(ようき)どのはさぞ悲しむでしょう」
「いえ、別にを嘘を吐いているわけでは」
「本当にそうなのかしら?」
今見せたばかりの悲しさなどもはや一欠片も残っていない空っぽの瞳で、静かに妖夢を見つめる。
「え、いや、あのその……」
疚しいことはなにもないはずが、その空虚な視線に当てられたことで不安の膨れ上がった妖夢が、そわそわと幽々子へ助けを求める。
幽々子は大仰に肩をすくめ、こんなふうなことを語って聞かせた。
「妖夢、紫はね、『生命は奇跡だ』とかいうミーハーな態度を責めているのよ。
生命のあるものなら誰もが本当は知っている──生命などこの世に腐るほど満ち溢れたもので、
奇跡でもなんでもない、せいぜいが『ようなもの』に過ぎないと。
生命賛歌などという戯言は、人間が種の保存のために編み出した欺瞞なのよ。
いやしくも白玉楼に仕え、幽霊の管理に携わる者が、そういう薄っぺらいまやかしに汚染されるのは好ましくない、とね」
背筋をしゃんと伸ばして得々とした幽々子の講釈に聞き惚れ、主の垣間見せる知的な面に妖夢はほうっと溜息をつく。うっとり。
「──そうでしょ、ゆかりん?」
「違うわ、ゆうゆう」
だが紫はあっさりそれを斬って捨てた。
「あら?」
こけっ、と首を傾げる幽々子に、妖夢の涙声。
「ちょっと、幽々子さま……感心してた私の心の持っていき場はどうなるんですか……」
「あら、あれれ?」
「私が嘘だというのはね……西行寺幽々子という真の奇跡の傍にありながら、別の事柄を挙げてみせたことよ。
貴女の主人が『そう』でないというなれば、いったいあの世の真実はどこにあるの?」
「はい! なんか良く分かんないけど敬服しそうなお言葉です、紫さま! 幽々子さまったら奇跡ののんびり屋ですよね!」
そんな妖夢の返答に、幽々子が半眼でぼそり。
「……貴女もあれね、相当に無責任な子よね」
しばらく躊躇ってから、早苗がおずおずと手を挙げる。
「話の腰を折って恐縮ですけど、『奇跡の条件』について──」
「素敵な答えだわ。さすがは……ああ、まだなにも言っていないのね。
こんなことだから霊夢に怒られるのでしょうね、私。ごめんなさいな、霊夢」
「私に謝ったってしょうがないでしょ」
「どうして? 他の誰に謝ればいいのかしら」
「……いいからもう。早苗、なにを言おうとしたのよ」
「はい、お姉さま」
にっこり笑うと、早苗は指を一つずつ折りながら三つの事柄を挙げた。
「ひとつ、外的要因によること。ふたつ、類型のないこと、みっつ、反復不可能であること」
そう言い終わるのを待って、紫は口を開いた。
「素敵な答だわ。さすがは守矢の奇跡の体現者ね」
「はい、畏れ入ります、八雲さま」
ぺこりとお辞儀するその陰で、霊夢へVサインでアピールする早苗。
しかしそれに応ずる気にはなんとなくなれず、見なかったことに。
「神奈子ちゃん、早苗が褒められてるよぉ」
「そうだね諏訪子。賢い巫女を持って私たちも鼻が高いな。今夜はハンバーグだ」
お前らは授業参観で子供の晴れ舞台に舞い上がった親か。
「そんで、私らを呼び集めた理由はなによ、紫」
なかなか進展しない話にいい加減で業を煮やした霊夢がそう切り込むと、
「──ええっ!?」
紫はのけぞるくらいに驚いて霊夢を凝視した。
「なによ、そのリアクション」
「だって、だって……ええ、ちょっと待ってもらえるかしら、霊夢。今考えをまとめているから」
困ったように額に手を当て、ぽつり呟く。
「……どうして伝わらないのかしら?」
なんだそりゃ、と霊夢のほうこそ頭痛がしてくる。
(ホント、こいつは言うこと為すこと支離滅裂だわ……)
こういうときに、自分と彼女とに存在する、巨大な壁の存在を実感する。
「妖怪」と「人間」という種族の壁などではない。
同じ妖怪でも文や萃香とは普通に会話が成立しており、こんなコミュニケーションが破綻した関係を強要されるのは紫との間だけである。
スキマ妖怪なんてものを千年以上もやっていると、こういう訳の分からん生き物になってしまうのだろうか。多分そうなのだろう。
向こうからこちらに歩み寄る気がないのなら、それはそれでいい。
ならば、なぜ自分の視界に入ってくるのか、そして事あるごとに干渉してくるのか、霊夢にはそれがさっぱり理解できなかった。
(鳥と魚はきちんと棲み分けてんのに、どうしてあんたはスキマの中から這い出てくんのかしらね──)
しかし、ここでそれを言っても始まらない。
こいつはそういうやつ実に傍迷惑なやつであり、そしてタチの悪いことに、その傍迷惑を極限まで押し通すことのできる強大な能力を持っているのだ。
「……分かったわよ」
「あら、分かってくれたのね!?」
顔をぱぁっと輝かせる紫へ、霊夢は慌てて手を振る。
「あ、いや、分かったってのはそういう意味じゃないから。つまり、あれよ、なにをさせたいのかはともかく、あんたはなにがしたいのか、それを教えてよ」
そう言うと、
「あ──」
紫はぴたと硬直した。しかも、マイコンがシステムエラーでフリーズするときのように、微妙に動いては止まり、を断続的に繰り返している。
つくづく常識離れしたやつだと霊夢が呆れるのへ、
「あ、ああ──ああ、そういうこと」
再起動した。
「ああ、うん、そういうことね……非常に良く理解したわ。そうね、まず私の希望を明らかにしなかったから、なにも伝わらなかったのね」
実際問題としてはそういうことでは全然ないのだが、そこは言わないでおく。
とりあえずなんでもいいから状況を前進させたかった。
「つまるところ、私は仕返しがしたいのよ」
「……誰に?」
「それはもちろん、あの星屑を降らせた人物……おそらくは、あの流星なんかよりも『大変なもの』を盗んでいった少女……霧雨魔理沙によ。
こういう場合は意趣返しと言ったほうがいいのかしら?」
霊夢は頭の中で整理する。
紫の意図が読めないのなら、現出した事柄だけでそれを再構築しなければならない。
今までの会話に出てきた要素を一直線上に並べ、無理やり繋げる。
だが……それらが一つの絵として浮かび上がるには、まだ足りない。
(なにか、あともう一つ……)
「──あ、そういうことですね!」
ぽんと手を打って底抜けに明るい声を出したのは早苗だった。
「ほら、洩矢さま、八坂さま、『アレ』ですよ『アレ』」
「んん? なんのことだい早苗──って、ああ、『アレ』か!」
「そっかー、なるほどねぇ! なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだろぉ!」
お互いに顔を見合せてきゃっきゃっと騒ぐ守矢の神たち。
なにが分かったのかと、霊夢が胸倉つかんで問い詰めようとしたそのとき、
「──え」
霊夢の脳裏にも閃いた。『外の世界』の元住人が真っ先に気付いたという事実が、最後のピースになった。
「まさか、『アレ』なの?」
「そうですよお姉さま! きっとそうです!」
「なになに? どったの?」
「隠してないで教えて下さいよ風の神さま!」
まだ分からない畑の連中に向って、早苗が種明かしをする。
「お返しですよ! 外の世界にはそういう風習があるんです!
紫さまは魔理沙さんの起こした魔法を、私たちの能力を総動員して再現なさろうとしているんです!」
やっと事の全体像が見えたことで、その場の空気がわっと盛り上がった。
「うそー! なにそれ面白そう!」
「なるほど、それは凄い! これはいい特ダネになりますよ! 存分に協力しますので、ぜひ密着取材の許可を!」
「でも、そんなことが可能なのでしょうか、幽々子さま。魔法などというよく分からない技術を再現するなんて」
「それこそやってみないと良く分からないんじゃない? ……でもまあ、その場合には私や貴女の能力は必要ないけどね、妖夢」
「じゃあ、なんのために呼ばれたのですか?」
「あら、私は夕食にお呼ばれするつもりできたのよ? 参加したいなら口出しだけでもしてみたら?」
もともとこういうお祭りじみた騒ぎが大好きな連中ばかりなので、そうと決まれば話はとんとん拍子に進んでゆく。
そうした賑々しい空気の中で、霊夢一人だけ、どこか釈然としない面持ちをしていた。
ちらりと紫を盗み見る。
幻想郷の永遠の観察者たる少女は、ひたすらに呆けたような、あるいは思索を張り巡しているような、
どちらとも取れない不気味な表情で一同の相談を眺めている。
そのことが、霊夢にはどうにも不気味で、薄気味悪く、そして腹立たしかった。
(あんた、いったいなにを考えているの……?)
自分と紫との間に隔たる、たかだか三歩の距離が、どれだけ手を伸ばしても届かない遠いものに感じて仕方がない。
それは、悪名高きスキマ妖怪がこんな乙女チックなイベントを発案したことへに対する違和感かも知れない。
或いは、その意図をとうとう自力で解き明かすことのできなかった悔しさかも知れない。
(つーか、そのためだけにこんな魑魅魍魎のトップランカーたちを大集合させたっていうの?
傍迷惑で無駄遣いな『仕返し』もあったものね──ねえ紫)
すると紫はこちらに視線を合わせ、微笑んだ。にたぁっと口の裂けるように。
本当に、どこまでも気味の悪い行動しか取らない。
しかし──仕方のないことだ。
こいつはそういうやつなのだから。
そのように結論付けると、霊夢は気を取り直して相談の輪の中へ入っていった。
酒が抜けたことで属性がボケからツッコミに傾いた萃香が、スパーンと裏拳の平手を振った。
「終わりならそう言えよ! じっと沈黙十五分とか、こんな気まずいノリツッコミ初めてだわ!」
「はい? なにかしら、萃香」
「お星さまキラキラがなんだっちゅーの!」
「綺麗ね。蝶々みたい」
「それがなにさ!」
噛み合わない会話に悶える萃香と、あっけらかんを通り越して乾ききった態度の紫の、
その両者間を往復する世にも恐ろしい言葉のドッジボールをなんとはなしに眺めながら、霊夢は心の中で肩をすくめる。
(紫の会話のテンポがおかしいのは相変わらずだけど、『ついさっき流星を見た』ってのはなんなのかしら……?)
「ああ、ごめんなさいな霊夢。すっかり失念していたわ。貴女の尺度で考えないといけないわね」
急にこちらを振り向き、ずばりとそんなことを言う。
(──人の心を読んで先回りする悪癖も相変わらずね)
こういうやつだと分かっていたが、前振りもなくやられると気持ちが悪い。
心の奥底まで見透かされているのだと、実感させられるから。
「ごめんなさいな。……あらあら、これもいけないのね。いいわ、待ちましょう。ではどうぞ」
「どうぞって……もう読んだんでしょう? なにを今さら」
「そういうことではないと思うのよ、霊夢。他者の心の中身まで犯したいなどと、私は微塵も思っていないのだから。
ついうっかり目先の利便に走ってしまうけれど、動く口があるのならそれを聞きましょう。……貴女の声も聴きたいし、ね」
「……それでも私の心を読んでるんでしょ?」
「そうだと言えばいいのかしら? ごめんなさいな、私、どう答えれば貴女が喜ぶのか、良く分からなくって」
その言い方、その声音、その眼差し、すべてが人間とは遠くかけ離れた、異質なもの。
「さ、言って頂戴、霊夢。貴女が言いたいことを、私に聴かせて?」
(なんでそういうことを言うのよ……)
胸の内に沸き起こる疑心と不快感が拭えない。
境界を操るスキマ妖怪──その力は精神や夢などの概念的なものにも及ぶ。
自分がなにを言いたいかなんて、最初から分かっているくせに。
そう、分からない……こちらだけが、一方的に分からない。
しかし、それはどうしようもないことだ。霊夢はそう腹を括り(それがどういう類の腹かは自分でも分からなかったが)、先ほどの思いを口にした。
「──ついさっきどころか、今日は流星なんてなかったわ。よしんばあったとしても、見えるわけがない。
なぜなら、それこそついさっき夜になったばかりだから」
「ああ、ごめんなさいな霊夢。すっかり失念していたわ。貴女の尺度で考えないといけないわね」
「……それはさっき聞いたわよ」
「そうね。ごめんなさいな」
なんの悪びれもなく、しゃあしゃあと言ってのけた。
──そう、こいつはこういうやつなのだ。
「ついさっき、というのは失言だったわ。あれは、そう……いつだったかしら、藍?」
「秒数に換算して──」
「いけないわ、藍。もっと曖昧な指標を使いなさい」
「およそ一ヶ月前です」
「そう、ちょうどそのくらいが心地良いわね。私は星屑を視た。あれはなんだったのかしら」
幻想郷一の情報通を自認する文が、それに答える。
「あれは魔法の森に住む人間、霧雨魔理沙による大規模魔法の痕跡です」
「その目的は?」
「あやややや、それはちょっと調査不足でございますが、どうやらヴァン・アレン帯と関係のある模様で」
傍らで聞いていた天子が、ちょいちょいと衣玖の袖を引く。
「ねえ、ヴァレンタインって、なに?」
完璧なまでに鉄面皮の無表情少女からの回答。
「貴女さまは実に質問するしか能のないつるぺたジャム野郎にあらせられますね天子さま。
しかもヴァン・アレン帯をどう聞き間違えたらヴァレンタインになるのですかお耳くそをおほじりあそばせますよう衣玖はご忠告いたします」
「ひどっ」
「なあ衣玖、ばれんたいんってなんだ?」
「ヴァレンタインではなくヴァン・アレン帯だと衣玖は思います萃香さま。
ちなみにヴァン・アレン帯とは大地の力に封印された光の帯であると衣玖は存じ上げております」
「ひどぉっ」
そんな天子の小さな悲鳴など、空気の読める妖怪である衣玖が取り合うはずもない。
「さあ紫さまその先を拝聴したいと衣玖は思います」
だがしかし、八雲紫は空気を読まない。
境界を操ることで世界を改変できる彼女に、そうした普遍的な迎合志向などあるはずがない。
ために、衣玖はその先を拝聴することは叶わなかった。
「『奇跡の条件』とは、なんだと思う?」
今までの話の筋をあっさり無視して、いきなりそんな質問を投げかけてきた。
「あの、それは……生命の神秘とかそういうもののことでしょうか、紫さま」
妖夢の答えに、紫は心底悲しそうに首を振った。
「嘘は良くないわ。貴女がそんな嘘を吐く子に育ったなんて知ったら、貴女のお爺さまである妖忌(ようき)どのはさぞ悲しむでしょう」
「いえ、別にを嘘を吐いているわけでは」
「本当にそうなのかしら?」
今見せたばかりの悲しさなどもはや一欠片も残っていない空っぽの瞳で、静かに妖夢を見つめる。
「え、いや、あのその……」
疚しいことはなにもないはずが、その空虚な視線に当てられたことで不安の膨れ上がった妖夢が、そわそわと幽々子へ助けを求める。
幽々子は大仰に肩をすくめ、こんなふうなことを語って聞かせた。
「妖夢、紫はね、『生命は奇跡だ』とかいうミーハーな態度を責めているのよ。
生命のあるものなら誰もが本当は知っている──生命などこの世に腐るほど満ち溢れたもので、
奇跡でもなんでもない、せいぜいが『ようなもの』に過ぎないと。
生命賛歌などという戯言は、人間が種の保存のために編み出した欺瞞なのよ。
いやしくも白玉楼に仕え、幽霊の管理に携わる者が、そういう薄っぺらいまやかしに汚染されるのは好ましくない、とね」
背筋をしゃんと伸ばして得々とした幽々子の講釈に聞き惚れ、主の垣間見せる知的な面に妖夢はほうっと溜息をつく。うっとり。
「──そうでしょ、ゆかりん?」
「違うわ、ゆうゆう」
だが紫はあっさりそれを斬って捨てた。
「あら?」
こけっ、と首を傾げる幽々子に、妖夢の涙声。
「ちょっと、幽々子さま……感心してた私の心の持っていき場はどうなるんですか……」
「あら、あれれ?」
「私が嘘だというのはね……西行寺幽々子という真の奇跡の傍にありながら、別の事柄を挙げてみせたことよ。
貴女の主人が『そう』でないというなれば、いったいあの世の真実はどこにあるの?」
「はい! なんか良く分かんないけど敬服しそうなお言葉です、紫さま! 幽々子さまったら奇跡ののんびり屋ですよね!」
そんな妖夢の返答に、幽々子が半眼でぼそり。
「……貴女もあれね、相当に無責任な子よね」
しばらく躊躇ってから、早苗がおずおずと手を挙げる。
「話の腰を折って恐縮ですけど、『奇跡の条件』について──」
「素敵な答えだわ。さすがは……ああ、まだなにも言っていないのね。
こんなことだから霊夢に怒られるのでしょうね、私。ごめんなさいな、霊夢」
「私に謝ったってしょうがないでしょ」
「どうして? 他の誰に謝ればいいのかしら」
「……いいからもう。早苗、なにを言おうとしたのよ」
「はい、お姉さま」
にっこり笑うと、早苗は指を一つずつ折りながら三つの事柄を挙げた。
「ひとつ、外的要因によること。ふたつ、類型のないこと、みっつ、反復不可能であること」
そう言い終わるのを待って、紫は口を開いた。
「素敵な答だわ。さすがは守矢の奇跡の体現者ね」
「はい、畏れ入ります、八雲さま」
ぺこりとお辞儀するその陰で、霊夢へVサインでアピールする早苗。
しかしそれに応ずる気にはなんとなくなれず、見なかったことに。
「神奈子ちゃん、早苗が褒められてるよぉ」
「そうだね諏訪子。賢い巫女を持って私たちも鼻が高いな。今夜はハンバーグだ」
お前らは授業参観で子供の晴れ舞台に舞い上がった親か。
「そんで、私らを呼び集めた理由はなによ、紫」
なかなか進展しない話にいい加減で業を煮やした霊夢がそう切り込むと、
「──ええっ!?」
紫はのけぞるくらいに驚いて霊夢を凝視した。
「なによ、そのリアクション」
「だって、だって……ええ、ちょっと待ってもらえるかしら、霊夢。今考えをまとめているから」
困ったように額に手を当て、ぽつり呟く。
「……どうして伝わらないのかしら?」
なんだそりゃ、と霊夢のほうこそ頭痛がしてくる。
(ホント、こいつは言うこと為すこと支離滅裂だわ……)
こういうときに、自分と彼女とに存在する、巨大な壁の存在を実感する。
「妖怪」と「人間」という種族の壁などではない。
同じ妖怪でも文や萃香とは普通に会話が成立しており、こんなコミュニケーションが破綻した関係を強要されるのは紫との間だけである。
スキマ妖怪なんてものを千年以上もやっていると、こういう訳の分からん生き物になってしまうのだろうか。多分そうなのだろう。
向こうからこちらに歩み寄る気がないのなら、それはそれでいい。
ならば、なぜ自分の視界に入ってくるのか、そして事あるごとに干渉してくるのか、霊夢にはそれがさっぱり理解できなかった。
(鳥と魚はきちんと棲み分けてんのに、どうしてあんたはスキマの中から這い出てくんのかしらね──)
しかし、ここでそれを言っても始まらない。
こいつはそういうやつ実に傍迷惑なやつであり、そしてタチの悪いことに、その傍迷惑を極限まで押し通すことのできる強大な能力を持っているのだ。
「……分かったわよ」
「あら、分かってくれたのね!?」
顔をぱぁっと輝かせる紫へ、霊夢は慌てて手を振る。
「あ、いや、分かったってのはそういう意味じゃないから。つまり、あれよ、なにをさせたいのかはともかく、あんたはなにがしたいのか、それを教えてよ」
そう言うと、
「あ──」
紫はぴたと硬直した。しかも、マイコンがシステムエラーでフリーズするときのように、微妙に動いては止まり、を断続的に繰り返している。
つくづく常識離れしたやつだと霊夢が呆れるのへ、
「あ、ああ──ああ、そういうこと」
再起動した。
「ああ、うん、そういうことね……非常に良く理解したわ。そうね、まず私の希望を明らかにしなかったから、なにも伝わらなかったのね」
実際問題としてはそういうことでは全然ないのだが、そこは言わないでおく。
とりあえずなんでもいいから状況を前進させたかった。
「つまるところ、私は仕返しがしたいのよ」
「……誰に?」
「それはもちろん、あの星屑を降らせた人物……おそらくは、あの流星なんかよりも『大変なもの』を盗んでいった少女……霧雨魔理沙によ。
こういう場合は意趣返しと言ったほうがいいのかしら?」
霊夢は頭の中で整理する。
紫の意図が読めないのなら、現出した事柄だけでそれを再構築しなければならない。
今までの会話に出てきた要素を一直線上に並べ、無理やり繋げる。
だが……それらが一つの絵として浮かび上がるには、まだ足りない。
(なにか、あともう一つ……)
「──あ、そういうことですね!」
ぽんと手を打って底抜けに明るい声を出したのは早苗だった。
「ほら、洩矢さま、八坂さま、『アレ』ですよ『アレ』」
「んん? なんのことだい早苗──って、ああ、『アレ』か!」
「そっかー、なるほどねぇ! なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだろぉ!」
お互いに顔を見合せてきゃっきゃっと騒ぐ守矢の神たち。
なにが分かったのかと、霊夢が胸倉つかんで問い詰めようとしたそのとき、
「──え」
霊夢の脳裏にも閃いた。『外の世界』の元住人が真っ先に気付いたという事実が、最後のピースになった。
「まさか、『アレ』なの?」
「そうですよお姉さま! きっとそうです!」
「なになに? どったの?」
「隠してないで教えて下さいよ風の神さま!」
まだ分からない畑の連中に向って、早苗が種明かしをする。
「お返しですよ! 外の世界にはそういう風習があるんです!
紫さまは魔理沙さんの起こした魔法を、私たちの能力を総動員して再現なさろうとしているんです!」
やっと事の全体像が見えたことで、その場の空気がわっと盛り上がった。
「うそー! なにそれ面白そう!」
「なるほど、それは凄い! これはいい特ダネになりますよ! 存分に協力しますので、ぜひ密着取材の許可を!」
「でも、そんなことが可能なのでしょうか、幽々子さま。魔法などというよく分からない技術を再現するなんて」
「それこそやってみないと良く分からないんじゃない? ……でもまあ、その場合には私や貴女の能力は必要ないけどね、妖夢」
「じゃあ、なんのために呼ばれたのですか?」
「あら、私は夕食にお呼ばれするつもりできたのよ? 参加したいなら口出しだけでもしてみたら?」
もともとこういうお祭りじみた騒ぎが大好きな連中ばかりなので、そうと決まれば話はとんとん拍子に進んでゆく。
そうした賑々しい空気の中で、霊夢一人だけ、どこか釈然としない面持ちをしていた。
ちらりと紫を盗み見る。
幻想郷の永遠の観察者たる少女は、ひたすらに呆けたような、あるいは思索を張り巡しているような、
どちらとも取れない不気味な表情で一同の相談を眺めている。
そのことが、霊夢にはどうにも不気味で、薄気味悪く、そして腹立たしかった。
(あんた、いったいなにを考えているの……?)
自分と紫との間に隔たる、たかだか三歩の距離が、どれだけ手を伸ばしても届かない遠いものに感じて仕方がない。
それは、悪名高きスキマ妖怪がこんな乙女チックなイベントを発案したことへに対する違和感かも知れない。
或いは、その意図をとうとう自力で解き明かすことのできなかった悔しさかも知れない。
(つーか、そのためだけにこんな魑魅魍魎のトップランカーたちを大集合させたっていうの?
傍迷惑で無駄遣いな『仕返し』もあったものね──ねえ紫)
すると紫はこちらに視線を合わせ、微笑んだ。にたぁっと口の裂けるように。
本当に、どこまでも気味の悪い行動しか取らない。
しかし──仕方のないことだ。
こいつはそういうやつなのだから。
そのように結論付けると、霊夢は気を取り直して相談の輪の中へ入っていった。