アルカディア城の客間。遊戯は自分の胸元に手を当て、落胆する。そこにあるべきものが、ない。その喪失感が遊戯
の心を責め立てる。
「千年パズル…もう一人の、ボク」
あの闘いから、既に数日が経過していた。あれからどうなったのかは分からない。目が覚めた時には、自分はここで
寝かされていた。城之内に訊いた話では、オリオンが抱えて運んできてくれたそうだ。
「オレも一緒にな。あいつが一番大怪我してたってのに、無茶するぜ」
そう言って城之内は力なく笑った。
「海馬くんは…どうなったのかな」
「さあな。オリオンが言うには、エレフ…いや、タナトスは千年パズルを持ってそのまま消えてっちまったらしい。
後はもうオレ達を連れてその場から逃げるだけで精一杯で、海馬のことまでは分からないってさ」
ま、あいつのことだから生きてるだろ。その言葉には遊戯も迷うことなく同意した。
「だけど…もう一人のボクは、あいつに連れていかれた」
壁に拳を打ちつけ、遊戯は唇を噛み締める。その時、ドアがやや強めにノックされた。
「入るぞ、遊戯」
「オリオン…怪我は、もういいの?」
「なーに。あんなもん、肉を食えば治ったよ。お前もそんな暗い顔してないで肉食え、肉」
お前は某ゴム人間かと遊戯は思ったが、ツッコミをかませる気分でもなかった。
「…もう一人のお前のこと、考えてたのか?」
「うん…」
「すまなかった。俺がもっと強けりゃ、取り戻せたかもしれねえのに」
「それは違うよ、オリオン。彼は…ボクが守らなくちゃいけなかったんだ」
遊戯は悔しさで目を伏せる。オリオンはそんな彼に言った。
「…取り戻す方法、あるかもしれねえぜ。相当きつい道だけどよ」
顔を上げる遊戯に、オリオンは続けた。
「その事でカストルさんから話があるそうだ…行こうぜ」
の心を責め立てる。
「千年パズル…もう一人の、ボク」
あの闘いから、既に数日が経過していた。あれからどうなったのかは分からない。目が覚めた時には、自分はここで
寝かされていた。城之内に訊いた話では、オリオンが抱えて運んできてくれたそうだ。
「オレも一緒にな。あいつが一番大怪我してたってのに、無茶するぜ」
そう言って城之内は力なく笑った。
「海馬くんは…どうなったのかな」
「さあな。オリオンが言うには、エレフ…いや、タナトスは千年パズルを持ってそのまま消えてっちまったらしい。
後はもうオレ達を連れてその場から逃げるだけで精一杯で、海馬のことまでは分からないってさ」
ま、あいつのことだから生きてるだろ。その言葉には遊戯も迷うことなく同意した。
「だけど…もう一人のボクは、あいつに連れていかれた」
壁に拳を打ちつけ、遊戯は唇を噛み締める。その時、ドアがやや強めにノックされた。
「入るぞ、遊戯」
「オリオン…怪我は、もういいの?」
「なーに。あんなもん、肉を食えば治ったよ。お前もそんな暗い顔してないで肉食え、肉」
お前は某ゴム人間かと遊戯は思ったが、ツッコミをかませる気分でもなかった。
「…もう一人のお前のこと、考えてたのか?」
「うん…」
「すまなかった。俺がもっと強けりゃ、取り戻せたかもしれねえのに」
「それは違うよ、オリオン。彼は…ボクが守らなくちゃいけなかったんだ」
遊戯は悔しさで目を伏せる。オリオンはそんな彼に言った。
「…取り戻す方法、あるかもしれねえぜ。相当きつい道だけどよ」
顔を上げる遊戯に、オリオンは続けた。
「その事でカストルさんから話があるそうだ…行こうぜ」
―――普段は会議に使われているのであろう、椅子が並んだ大部屋。
今そこにいるのは遊戯、城之内、オリオン、ミーシャ。そしてカストルだ。
「…………」
ミーシャは何かに耐えるように口元を引き結び、じっと黙りこくっている。カストルもまた重苦しい表情で、じっと
宙を睨んでいた。
「あ…あの、レオンさんは?」
「…陛下は城に戻られてから、部屋に籠りきりになってしまわれた。御顔さえ見せようとなさらぬ」
「そうですか…」
生き別れた弟と殺し合ってしまったという事実。最愛の母との悲劇的な死別。そしてあの惨劇。それらは果たして彼の
心にどれほどの翳を落したのか。
所詮は傍観者でしかない自分達には、計り知れない程の苦悩と悲しみなのだろう。
「それで…カストルさん。話っていうのは?」
「<冥王タナトス>―――<彼>は、そう名乗っていたな」
その名前に、ぎょっと身体を強張らせる一同。
「タナトス…それは即ち、冥府の王。数多の神々の中でも我ら人間が最も畏れる存在―――死神」
だが。
「彼は決して、悪ではない…そう。悪ではないのだ…」
「悪くない…だと?バカ言うな!じゃあ何であんなことをするんだよ!?」
激昂する城之内に対し、カストルはただ静かに首を振った。
「私にも分からぬ。だが、そんなことは問題ではない―――我々の眼前に現れたあの方が本当に神であるなら、その
行為はまさに神意なのだ」
カストルは溜息をつき、目を伏せた。
「…あの日以来、各地から報告があった。曰く、大勢の人間が変死しているとな」
「変死…どういうことですか?」
「さあな。原因も何もまるで分らん。彼らは例外なく、ただ眠るように安らかな顔で、静かに息絶えていたそうだ」
「タナトスがそれをやったってのか?なら早くどうにかしねえと、どんどん人が死んじまうってことじゃねえか!」
「どうにかする?どうするというのだ?」
「決まってんだろ!冥府ってとこに行って…」
と、城之内は言葉を切って遊戯を見る。
「なあ、遊戯。冥府ってどこにあるんだ?」
「いや、ボクに訊かれても…」
「だよな…オリオン」
「俺に訊かれたって知らねえよ、バカ」
「…だよな」
そんな城之内を横目に、カストルは嘆息する。
「ここアルカディアの辺境地帯に広がる大森林…<ラフレンツェの森>と呼ばれる禁断の地がある」
「おお、何だかRPGっぽい話に!」
「茶化しちゃダメだよ、城之内くん」
「すんません…で、その森がどうかしたんすか?」
「かつてその森には、冥府の門を護る魔女・ラフレンツェがいた…銀色の髪に緋色の瞳。雪のように白い肌。背筋が
凍るほどに美しい少女だったという。彼女は己の純潔を以て冥府の扉を封印していたが、森に迷い込んできた一人
の男に恋をしてしまい…そして、純潔を捧げてしまった」
だが。
「その男はラフレンツェの想いに応えたわけではない。ただ、冥府への扉を開きたかっただけだったのだ―――彼は
最愛の妻エウリデュケと死に別れていた。彼女を冥府から連れ戻すために、その扉を開くためだけに、ラフレンツェ
を利用しただけだった」
「…それで?」
「その後どうなったかは分からぬ。無事に妻を連れ帰ったとも言われるし、魔女の呪いで冥府に閉じ込められ、暗く
冷たい冥府の河に鎖されたと語る者もいる。ただ、いずれにせよ共通しているのは、彼が開いた冥府への門は未だ
に開かれたままだということだ」
そこまで聞いて、城之内はパチンと指を鳴らし―――たかったのだが、失敗してスカっと音がしただけだった。
「つまり、そこから冥府に行けるかもしれねえってことだな!?おっしゃあ!なら早速―――」
「行ってどうする」
カストルはにべもなく言う。
「あの凄まじいまでの力…人間とは神の前に、かくも無力なのだ。それはキミ達も身を以て知っておろう」
「…………」
遊戯達は答えられない。確かにそれは、動かし難い事実だった。
「何より、タナトスは仮にも神々の一柱。どれだけ残酷に思える行いであろうとも、神の御心とあらば、我ら人間は
それを受け入れるしかないのだ…」
「―――ふざけんな」
そう言い放ったのは城之内だった。
「オレ達は何のために生きてるのかなんて…そんなのは分からねえ。だけどよ。いくら神様だろうが、勝手な理屈で
生きるか死ぬかを決める権利なんざあるか!」
「な…何という畏れ多いことを!キミは神をなんと心得ておるのだ!?」
「何が神様だ…神なんかより、生きてるオレ達の方が、よっぽど大事だぜ!」
血相を変えるカストルに対し、城之内は堂々と胸を張る。その揺るぎない姿に、カストルは黙るしかなかった。
「全く、バチ当たりが…ま、俺も人の事は言えねーか」
オリオンは呆れたように苦笑しつつ、城之内の肩を叩く。
「俺もお前と同意見だよ。神様に何でもかんでも決められてたまるかっつーの」
「ボクだって」
決意を露わにして、遊戯も立ち上がる。
「ボクだって…取り戻さなければならないものがある。相手が誰でも、逃げるわけにはいかないよ」
「な、なんという不信心な連中か…!」
カストルは頭痛を堪えるように頭を抱える。
「そうね…どうかしてるわ、皆」
「全くです!一体どんな育ち方をしたのやら…」
「けど、ごめんなさい。カストル叔父様…私も、どうかしてる側の人間よ」
は、と思わず間の抜けた声を上げたカストルに向かって、ミーシャは笑う。悲しみと失意が滲んだ、されどそれ以上
に真っすぐな想いを秘めた笑顔だ。
「私も、決めたの。精一杯頑張って生きるって」
「あ…アルテミシア様…」
「だから、私も皆と一緒に往く―――運命(かみさま)なんか、知ったこっちゃないわ」
恐れず、揺るがず。ミーシャはそう言ってのけたのだった。カストルはもはや顔面蒼白である。
そこへ、ドアが乱雑にノックされた。
「ええい、今取り込み中だ!少し待て―――」
「待たん」
簡素かつ力強い返事と共に、ドアが吹っ飛んだ。すわ敵襲かと身構えた一同の前に姿を現したのは。
「あ、あ、あ、アンタはぁぁぁぁぁっ!」
盛大に後ずさりながら、城之内は口を金魚のようにパクパクさせた。
「おや、城之内。何を人の顔を見るなり部屋の隅でガタガタ震えて小便チビりながら命乞いをしている?」
そう―――女傑部隊を統べる女王・アレクサンドラ。ちなみに城之内は彼女の存在がトラウマになっている。
「違う!オレは城之内じゃねえ!凡骨馬之骨乃介負犬佐衛門だ!しかも小便チビってねえし命乞いもしてねえ!」
部屋の隅でガタガタ震えているのは否定しない城之内であった。
「何でアンタがここにいるんだよ!?」
「そうつれないことを言うな。話は大体聞かせてもらったぞ!…しかし、小難しくてさっぱり分からんかった!」
「だったら何しに来たんだよ!?」
「いや、暇で暇でしょうがなかったから遊びに来たのだ」
「アンタ本当に敵国の女王なのか!?そんなんでどうやって成り立ってんだよ、アンタの国!」
「案外ノリと勢いだけでどうにかなるものだぞ?私が言うのだ間違いない」
「いくらフィクションでも納得いかねー!」
「いやあ、本当にお前は楽しい男だな。その反応を見れただけでここに来た甲斐があったというもの…おや?」
アレクサンドラは言葉を切り、ミーシャを見つめた。
「娘…お前、私とどっかで会わなかったか?なんか馬で蹴飛ばされたような気が」
「き、気のせいですよ!私、馬なんて乗ったことがないもの!」
「…そうか?何かが引っ掛かるが、まあいいか」
どう考えてもいいわけはないのだが、彼女はそんなことを気にしない大雑把…もとい、大物だった。
「アレクサンドラ…一体ここまでどうやって来た!?衛兵は何をしている!」
「ん?お前は確かレオンティウスの傍にいつもくっ付いている男だったな。衛兵だったら殺してはいないから安心
しろ。今日は先も言った通り、暇だから遊びに来ただけなのでな」
そう言ってからから笑うアレクサンドラ。もはやカストルは文句を言う気力も失くしたようで、怒りもしない。
「ところで、先の戦争の時から気になっておったのだが…そこの色男」
「へ?俺?」
オリオンは呆気に取られた様子で自分の顔を指差す。
「うむ、お前だ。何というか、そう…お前、私の肉奴隷になる気はないか?」
「遠慮します」
即答である。いい女に弱いオリオンではあったが、流石にホイホイついてかなかった。
「そうか。残念だ…八割方いけると踏んでいたんだがなぁ」
「その計算式、どっから出たんだよ…」
「あのー…ちょっといいですか?」
遠慮がちに声をかけた遊戯を、アレクサンドラは少し戸惑ったように見つめる。
「お前、確かあの時の…しかし、どうも印象が違うな…ふむ。しかしこれはこれで悪くないな。どうだ。お姉さんと甘く
危険な夜を過ごしてみないか?」
「遠慮します」
「またも即答か…おかしいな。私は自分の容姿にはそれなりに自信があるのだが…」
どうやら問題はまるで別の所にあるのだということを理解していないようだった。
「そ、そういうことじゃなくてですね…ボク達はその、重大かつシリアスな話をしてるわけでして。出来ればここは退席
していただければと思ったりなんかしたりして…」
「む?まるで私が邪魔者のような言い方ではないか。まあ…いきなり押しかけて迷惑をかけたのは事実か。この場
はそろそろ退散するとしよう―――そう言えば、レオンティウスはおらんのか」
「あ…レオンさんは、今はちょっと…」
「そうなのか。では<次こそはお前を私のものにしてやるぞ>と伝えておいてくれ…いや、折角ここまで来たのだ。
自分で挨拶してくるとしよう」
そう言って、アレクサンドラは悠々と風通しのよくなった部屋から出ていく。遊戯達はその後を慌てて追いかけた。
「ま、待って下さい!」
「ん?案内ならいらんぞ。私は一度会った人間なら匂いを辿れるからな。クンクン…そろそろ近いな」
「アンタは犬か!いや、そうじゃなくて、今はそっとしておいてやれよ!」
「そっとしておけ?…もしやあの日か?お、この部屋だな」
「男にあの日なんてない!ああもう!」
遊戯と城之内は、ドアの前に立ちはだかる。その様子に、アレクサンドラは怒るというより困惑した。
「…そこまでしてレオンティウスに会わせたくないのか?」
「頼むよ…静かにしておいてやってくれ。あいつは今…本当に、きつい所にいるんだ」
「…………」
アレクサンドラは、ここに来て初めて沈黙する。分かってくれたか、と一同が胸を撫で下ろしたその時。
「この―――大馬鹿者めがァァァァァァァァァァっ!」
鼓膜が破れるかと思うほどの大音響で、彼女は怒鳴った。耳を押さえて蹲る遊戯達にはもはや目もくれず、ガシガシ
とドアを揺する。
「私にはお前がどんなことで悩み苦しんでいるのかは分からん…だが、これだけは言ってやるぞ!お前は今逃げて
いる!辛い現実から目を背けて、逃げだそうとしているのだ!」
その声は、レオンティウスにも聴こえているはずだ。だが、返事はない。
「そう…お前はきっと、何か大事なものを失ったのだろう。それこそ、命に匹敵するものなのかもしれん。その苦悩が
如何なるものかは、私には想像しかできぬ」
「おい!もうやめろよ!」
城之内がたまらず叫んだ。
「本当に辛くて、へこんでる奴に、そんな言葉なんて何の意味もねえだろうが!そんなの―――」
「ああ、そうとも!こんなもの、レオンティウスの為でも何でもない!私が言いたいだけだ!私の我儘だ!」
アレクサンドラは叫び返す。
「ただ単に、私が見たくないだけだ―――運命に屈して怯える負け犬の姿などな!それがレオンティウスならば尚更
だ!私の知るレオンティウスという男は、真に王者として生まれついた男だ!はっきり言って、世界最強だ!そんな
お前と出会い、刃を交えたことがどれだけの歓びか、余すことなく全て伝えたいくらいだ!だから赦さん…赦さんぞ、
レオンティウス!他の誰かならどうでもいい、捨て置けばいいが、お前だけは駄目だ!お前だけはそんな惨めな姿を
晒してはならん!お前は気高い―――お前は美しい―――お前は強い―――お前は誰もがこうありたいと願う全て
を手にして生まれた男だ!そのお前がそこいらの凡俗と同じように堕落してはならん!お前は運命を呪うより、苦しく
とも闘い続ける道を選ぶ!そんな―――最高にかっこいい男だろう!私はそんなお前が大好きなんだ!お前に会えた
ことは間違いなく人生最高の幸運だと断言できる!お前は本当に素晴らしい…お前以上の男などいない!いや、例え
いたとしても、私にとってはお前が最高だ!ナンバーワンで、オンリーワンだ!だから、お願いだ―――
そんな最高のお前が、たかだか運命如きに、負けないでくれ。どんな苦難であろうが、勇敢に立ち向かえ」
そして彼女は最後に、これまでの烈しさが嘘のように静かな声で、唄うように言葉を紡いだ。
「運命は残酷だ。されど彼女を恐れるな。女神(ミラ)が戦わぬ者に微笑むことなど、決してないのだから―――
お前の言葉だろう、レオンティウス」
アレクサンドラは踵を返し、背を向ける。
「私の言いたいことはそれだけだ―――邪魔をしたな、レオンティウス」
遊戯達はただそれを見送るしかできない。
今そこにいるのは遊戯、城之内、オリオン、ミーシャ。そしてカストルだ。
「…………」
ミーシャは何かに耐えるように口元を引き結び、じっと黙りこくっている。カストルもまた重苦しい表情で、じっと
宙を睨んでいた。
「あ…あの、レオンさんは?」
「…陛下は城に戻られてから、部屋に籠りきりになってしまわれた。御顔さえ見せようとなさらぬ」
「そうですか…」
生き別れた弟と殺し合ってしまったという事実。最愛の母との悲劇的な死別。そしてあの惨劇。それらは果たして彼の
心にどれほどの翳を落したのか。
所詮は傍観者でしかない自分達には、計り知れない程の苦悩と悲しみなのだろう。
「それで…カストルさん。話っていうのは?」
「<冥王タナトス>―――<彼>は、そう名乗っていたな」
その名前に、ぎょっと身体を強張らせる一同。
「タナトス…それは即ち、冥府の王。数多の神々の中でも我ら人間が最も畏れる存在―――死神」
だが。
「彼は決して、悪ではない…そう。悪ではないのだ…」
「悪くない…だと?バカ言うな!じゃあ何であんなことをするんだよ!?」
激昂する城之内に対し、カストルはただ静かに首を振った。
「私にも分からぬ。だが、そんなことは問題ではない―――我々の眼前に現れたあの方が本当に神であるなら、その
行為はまさに神意なのだ」
カストルは溜息をつき、目を伏せた。
「…あの日以来、各地から報告があった。曰く、大勢の人間が変死しているとな」
「変死…どういうことですか?」
「さあな。原因も何もまるで分らん。彼らは例外なく、ただ眠るように安らかな顔で、静かに息絶えていたそうだ」
「タナトスがそれをやったってのか?なら早くどうにかしねえと、どんどん人が死んじまうってことじゃねえか!」
「どうにかする?どうするというのだ?」
「決まってんだろ!冥府ってとこに行って…」
と、城之内は言葉を切って遊戯を見る。
「なあ、遊戯。冥府ってどこにあるんだ?」
「いや、ボクに訊かれても…」
「だよな…オリオン」
「俺に訊かれたって知らねえよ、バカ」
「…だよな」
そんな城之内を横目に、カストルは嘆息する。
「ここアルカディアの辺境地帯に広がる大森林…<ラフレンツェの森>と呼ばれる禁断の地がある」
「おお、何だかRPGっぽい話に!」
「茶化しちゃダメだよ、城之内くん」
「すんません…で、その森がどうかしたんすか?」
「かつてその森には、冥府の門を護る魔女・ラフレンツェがいた…銀色の髪に緋色の瞳。雪のように白い肌。背筋が
凍るほどに美しい少女だったという。彼女は己の純潔を以て冥府の扉を封印していたが、森に迷い込んできた一人
の男に恋をしてしまい…そして、純潔を捧げてしまった」
だが。
「その男はラフレンツェの想いに応えたわけではない。ただ、冥府への扉を開きたかっただけだったのだ―――彼は
最愛の妻エウリデュケと死に別れていた。彼女を冥府から連れ戻すために、その扉を開くためだけに、ラフレンツェ
を利用しただけだった」
「…それで?」
「その後どうなったかは分からぬ。無事に妻を連れ帰ったとも言われるし、魔女の呪いで冥府に閉じ込められ、暗く
冷たい冥府の河に鎖されたと語る者もいる。ただ、いずれにせよ共通しているのは、彼が開いた冥府への門は未だ
に開かれたままだということだ」
そこまで聞いて、城之内はパチンと指を鳴らし―――たかったのだが、失敗してスカっと音がしただけだった。
「つまり、そこから冥府に行けるかもしれねえってことだな!?おっしゃあ!なら早速―――」
「行ってどうする」
カストルはにべもなく言う。
「あの凄まじいまでの力…人間とは神の前に、かくも無力なのだ。それはキミ達も身を以て知っておろう」
「…………」
遊戯達は答えられない。確かにそれは、動かし難い事実だった。
「何より、タナトスは仮にも神々の一柱。どれだけ残酷に思える行いであろうとも、神の御心とあらば、我ら人間は
それを受け入れるしかないのだ…」
「―――ふざけんな」
そう言い放ったのは城之内だった。
「オレ達は何のために生きてるのかなんて…そんなのは分からねえ。だけどよ。いくら神様だろうが、勝手な理屈で
生きるか死ぬかを決める権利なんざあるか!」
「な…何という畏れ多いことを!キミは神をなんと心得ておるのだ!?」
「何が神様だ…神なんかより、生きてるオレ達の方が、よっぽど大事だぜ!」
血相を変えるカストルに対し、城之内は堂々と胸を張る。その揺るぎない姿に、カストルは黙るしかなかった。
「全く、バチ当たりが…ま、俺も人の事は言えねーか」
オリオンは呆れたように苦笑しつつ、城之内の肩を叩く。
「俺もお前と同意見だよ。神様に何でもかんでも決められてたまるかっつーの」
「ボクだって」
決意を露わにして、遊戯も立ち上がる。
「ボクだって…取り戻さなければならないものがある。相手が誰でも、逃げるわけにはいかないよ」
「な、なんという不信心な連中か…!」
カストルは頭痛を堪えるように頭を抱える。
「そうね…どうかしてるわ、皆」
「全くです!一体どんな育ち方をしたのやら…」
「けど、ごめんなさい。カストル叔父様…私も、どうかしてる側の人間よ」
は、と思わず間の抜けた声を上げたカストルに向かって、ミーシャは笑う。悲しみと失意が滲んだ、されどそれ以上
に真っすぐな想いを秘めた笑顔だ。
「私も、決めたの。精一杯頑張って生きるって」
「あ…アルテミシア様…」
「だから、私も皆と一緒に往く―――運命(かみさま)なんか、知ったこっちゃないわ」
恐れず、揺るがず。ミーシャはそう言ってのけたのだった。カストルはもはや顔面蒼白である。
そこへ、ドアが乱雑にノックされた。
「ええい、今取り込み中だ!少し待て―――」
「待たん」
簡素かつ力強い返事と共に、ドアが吹っ飛んだ。すわ敵襲かと身構えた一同の前に姿を現したのは。
「あ、あ、あ、アンタはぁぁぁぁぁっ!」
盛大に後ずさりながら、城之内は口を金魚のようにパクパクさせた。
「おや、城之内。何を人の顔を見るなり部屋の隅でガタガタ震えて小便チビりながら命乞いをしている?」
そう―――女傑部隊を統べる女王・アレクサンドラ。ちなみに城之内は彼女の存在がトラウマになっている。
「違う!オレは城之内じゃねえ!凡骨馬之骨乃介負犬佐衛門だ!しかも小便チビってねえし命乞いもしてねえ!」
部屋の隅でガタガタ震えているのは否定しない城之内であった。
「何でアンタがここにいるんだよ!?」
「そうつれないことを言うな。話は大体聞かせてもらったぞ!…しかし、小難しくてさっぱり分からんかった!」
「だったら何しに来たんだよ!?」
「いや、暇で暇でしょうがなかったから遊びに来たのだ」
「アンタ本当に敵国の女王なのか!?そんなんでどうやって成り立ってんだよ、アンタの国!」
「案外ノリと勢いだけでどうにかなるものだぞ?私が言うのだ間違いない」
「いくらフィクションでも納得いかねー!」
「いやあ、本当にお前は楽しい男だな。その反応を見れただけでここに来た甲斐があったというもの…おや?」
アレクサンドラは言葉を切り、ミーシャを見つめた。
「娘…お前、私とどっかで会わなかったか?なんか馬で蹴飛ばされたような気が」
「き、気のせいですよ!私、馬なんて乗ったことがないもの!」
「…そうか?何かが引っ掛かるが、まあいいか」
どう考えてもいいわけはないのだが、彼女はそんなことを気にしない大雑把…もとい、大物だった。
「アレクサンドラ…一体ここまでどうやって来た!?衛兵は何をしている!」
「ん?お前は確かレオンティウスの傍にいつもくっ付いている男だったな。衛兵だったら殺してはいないから安心
しろ。今日は先も言った通り、暇だから遊びに来ただけなのでな」
そう言ってからから笑うアレクサンドラ。もはやカストルは文句を言う気力も失くしたようで、怒りもしない。
「ところで、先の戦争の時から気になっておったのだが…そこの色男」
「へ?俺?」
オリオンは呆気に取られた様子で自分の顔を指差す。
「うむ、お前だ。何というか、そう…お前、私の肉奴隷になる気はないか?」
「遠慮します」
即答である。いい女に弱いオリオンではあったが、流石にホイホイついてかなかった。
「そうか。残念だ…八割方いけると踏んでいたんだがなぁ」
「その計算式、どっから出たんだよ…」
「あのー…ちょっといいですか?」
遠慮がちに声をかけた遊戯を、アレクサンドラは少し戸惑ったように見つめる。
「お前、確かあの時の…しかし、どうも印象が違うな…ふむ。しかしこれはこれで悪くないな。どうだ。お姉さんと甘く
危険な夜を過ごしてみないか?」
「遠慮します」
「またも即答か…おかしいな。私は自分の容姿にはそれなりに自信があるのだが…」
どうやら問題はまるで別の所にあるのだということを理解していないようだった。
「そ、そういうことじゃなくてですね…ボク達はその、重大かつシリアスな話をしてるわけでして。出来ればここは退席
していただければと思ったりなんかしたりして…」
「む?まるで私が邪魔者のような言い方ではないか。まあ…いきなり押しかけて迷惑をかけたのは事実か。この場
はそろそろ退散するとしよう―――そう言えば、レオンティウスはおらんのか」
「あ…レオンさんは、今はちょっと…」
「そうなのか。では<次こそはお前を私のものにしてやるぞ>と伝えておいてくれ…いや、折角ここまで来たのだ。
自分で挨拶してくるとしよう」
そう言って、アレクサンドラは悠々と風通しのよくなった部屋から出ていく。遊戯達はその後を慌てて追いかけた。
「ま、待って下さい!」
「ん?案内ならいらんぞ。私は一度会った人間なら匂いを辿れるからな。クンクン…そろそろ近いな」
「アンタは犬か!いや、そうじゃなくて、今はそっとしておいてやれよ!」
「そっとしておけ?…もしやあの日か?お、この部屋だな」
「男にあの日なんてない!ああもう!」
遊戯と城之内は、ドアの前に立ちはだかる。その様子に、アレクサンドラは怒るというより困惑した。
「…そこまでしてレオンティウスに会わせたくないのか?」
「頼むよ…静かにしておいてやってくれ。あいつは今…本当に、きつい所にいるんだ」
「…………」
アレクサンドラは、ここに来て初めて沈黙する。分かってくれたか、と一同が胸を撫で下ろしたその時。
「この―――大馬鹿者めがァァァァァァァァァァっ!」
鼓膜が破れるかと思うほどの大音響で、彼女は怒鳴った。耳を押さえて蹲る遊戯達にはもはや目もくれず、ガシガシ
とドアを揺する。
「私にはお前がどんなことで悩み苦しんでいるのかは分からん…だが、これだけは言ってやるぞ!お前は今逃げて
いる!辛い現実から目を背けて、逃げだそうとしているのだ!」
その声は、レオンティウスにも聴こえているはずだ。だが、返事はない。
「そう…お前はきっと、何か大事なものを失ったのだろう。それこそ、命に匹敵するものなのかもしれん。その苦悩が
如何なるものかは、私には想像しかできぬ」
「おい!もうやめろよ!」
城之内がたまらず叫んだ。
「本当に辛くて、へこんでる奴に、そんな言葉なんて何の意味もねえだろうが!そんなの―――」
「ああ、そうとも!こんなもの、レオンティウスの為でも何でもない!私が言いたいだけだ!私の我儘だ!」
アレクサンドラは叫び返す。
「ただ単に、私が見たくないだけだ―――運命に屈して怯える負け犬の姿などな!それがレオンティウスならば尚更
だ!私の知るレオンティウスという男は、真に王者として生まれついた男だ!はっきり言って、世界最強だ!そんな
お前と出会い、刃を交えたことがどれだけの歓びか、余すことなく全て伝えたいくらいだ!だから赦さん…赦さんぞ、
レオンティウス!他の誰かならどうでもいい、捨て置けばいいが、お前だけは駄目だ!お前だけはそんな惨めな姿を
晒してはならん!お前は気高い―――お前は美しい―――お前は強い―――お前は誰もがこうありたいと願う全て
を手にして生まれた男だ!そのお前がそこいらの凡俗と同じように堕落してはならん!お前は運命を呪うより、苦しく
とも闘い続ける道を選ぶ!そんな―――最高にかっこいい男だろう!私はそんなお前が大好きなんだ!お前に会えた
ことは間違いなく人生最高の幸運だと断言できる!お前は本当に素晴らしい…お前以上の男などいない!いや、例え
いたとしても、私にとってはお前が最高だ!ナンバーワンで、オンリーワンだ!だから、お願いだ―――
そんな最高のお前が、たかだか運命如きに、負けないでくれ。どんな苦難であろうが、勇敢に立ち向かえ」
そして彼女は最後に、これまでの烈しさが嘘のように静かな声で、唄うように言葉を紡いだ。
「運命は残酷だ。されど彼女を恐れるな。女神(ミラ)が戦わぬ者に微笑むことなど、決してないのだから―――
お前の言葉だろう、レオンティウス」
アレクサンドラは踵を返し、背を向ける。
「私の言いたいことはそれだけだ―――邪魔をしたな、レオンティウス」
遊戯達はただそれを見送るしかできない。
「…本当に…お前は、最悪な女だ」
その背中に、ドア越しに声がかけられた。掠れてはいたが、それは確かにレオンティウスの声だった。
「無礼で女らしさの欠片もなく、がさつで口も悪い。我が母とは大違いだ…なのに、どうしてだろうな…」
ドアが開かれた。そこに立つレオンティウスは、見るに堪えない程に痛々しく憔悴していた。だが―――その瞳には
強い光を宿していた。その輝きは遊戯や城之内―――或いはオリオンや海馬、そしてエレフ―――に共通する、過酷
な運命を恐れずに突き進む者だけが持ちうるものだった。
「先程のお前から、少しだけ…母を思い出した」
「…そうか。さぞ、立派な母君だったのだろうな」
「ああ、素晴らしい方だった―――ならばこそ」
レオンティウスは姿勢を正し、精一杯に胸を張った。
「ならばこそ私は―――彼女の仔として恥じぬ男でなければなるまい」
「レオンさん」
遊戯は、レオンティウスに手を差し出した。
「ボク達は今から、大事なものを取り返しに行こうと思ってるんだけど…一緒にどうかな」
レオンティウスは、その手を力強く握り返した。
「地獄の果てまで、御伴しよう」
「おう!死神ヤローの顔面に、一発キツいのくれてやろうぜ!」
城之内とオリオン、ミーシャもその上から自らの手を次々に重ねていく。アレクサンドラはその光景を誇らしげに、
そして少しだけ羨ましそうに見つめていた。
―――カストルはもはや卒倒せんばかりだったが、可哀想なことに誰も気にしちゃいなかった。
「無礼で女らしさの欠片もなく、がさつで口も悪い。我が母とは大違いだ…なのに、どうしてだろうな…」
ドアが開かれた。そこに立つレオンティウスは、見るに堪えない程に痛々しく憔悴していた。だが―――その瞳には
強い光を宿していた。その輝きは遊戯や城之内―――或いはオリオンや海馬、そしてエレフ―――に共通する、過酷
な運命を恐れずに突き進む者だけが持ちうるものだった。
「先程のお前から、少しだけ…母を思い出した」
「…そうか。さぞ、立派な母君だったのだろうな」
「ああ、素晴らしい方だった―――ならばこそ」
レオンティウスは姿勢を正し、精一杯に胸を張った。
「ならばこそ私は―――彼女の仔として恥じぬ男でなければなるまい」
「レオンさん」
遊戯は、レオンティウスに手を差し出した。
「ボク達は今から、大事なものを取り返しに行こうと思ってるんだけど…一緒にどうかな」
レオンティウスは、その手を力強く握り返した。
「地獄の果てまで、御伴しよう」
「おう!死神ヤローの顔面に、一発キツいのくれてやろうぜ!」
城之内とオリオン、ミーシャもその上から自らの手を次々に重ねていく。アレクサンドラはその光景を誇らしげに、
そして少しだけ羨ましそうに見つめていた。
―――カストルはもはや卒倒せんばかりだったが、可哀想なことに誰も気にしちゃいなかった。
人間と、冥王<タナトス>との、熾烈なる闘い。
後世に<死人戦争(ネクロマキア)>として伝えられる、最終戦争の幕開けであった―――
後世に<死人戦争(ネクロマキア)>として伝えられる、最終戦争の幕開けであった―――