戦闘時、スペックは両の拳を天に捧げる構えを取る。脇腹をがら空きにしてでもパンチ
に体重を乗せることを優先する、いわば攻撃特化のスタイル。息継ぎを伴わない不断の高
速連撃が、この構えを支えていた。
かつてスペックはある女性をめぐってドリアンと戦った。あのドリアンでさえ、無呼吸
連打に対しては防御を固めるしかなかった。
しかし、今彼が対峙している敵は次元がちがう。人間など及びもつかぬ攻撃性能と防御
性能で、スペックのラッシュなどお構いなしに反撃してくる。
──ならば。
体全体を回転させてのフルパワー右フック。自らの血で飛沫を巻き上げながらの初弾も、
効力は薄い。すかさずカマキリが両前脚を振り下ろす。
スペック、これをバックステップでかわし、間を置かず左ストレート、左ミドルキック。
カマキリの右前脚によるフック。当たれば集中治療室行きの一撃も、スペックはしゃが
んでやり過ごすと、真下から頭部に右アッパーを突き上げる。
「──イケルッ!」
肺活量にモノをいわせたごり押しが通じぬなら、肺活量にモノをいわせた間合いの支配
で勝負。
休憩ゼロの無呼吸ヒットアンドアウェイ──。
手を休めながらの打撃が通用する相手ではないし、呼吸をすればその隙を必ず突いてく
る。絶えず打ってかわして叩きのめす。土壇場で、スペックは最良の選択をしてみせた。
効いている。しかし、一分、二分、そして三分が経ってもカマキリの勢いは衰えてくれ
ない。
焦りは厳禁。焦りは体と判断力を鈍らせ、ミスを生む。ミス、すなわち被弾。闘志はあ
れど、もうスペックの肉体にカマキリの近代兵器級パワーを喰らえる余裕はない。
「チッ……ダガ七分マデナラ……!」
特訓を積んだ現在のスペックならば、およそ七分間の無呼吸運動が可能だ。が、もしリ
ミットまでにカマキリが沈まなければ──
「終ワリダナ」
──死ぬ。
五分経過。どれだけ叩き込んだだろうか。
六分経過。少しずつカマキリが弱ってきているのが分かる。
六分半が経過。スペックの全体重を加えた左ストレートが、カマキリからダウンを奪う。
あと少し。
一撃必殺の鎌と牙をかすりつつ、生傷と痣を増やしつつ、ようやく光明が差し込んだ。
残り酸素から割り出される、スペックに許された行動回数は三回。右前脚フックをかわ
すのに一回、続く左前脚の振り下ろしをもう一回分使って紙一重でやり過ごす。
あと一回で、仕留めてみせる。
「ヌオリャァッ!」
乾坤一擲、右拳がカマキリの左複眼を粉砕した。
に体重を乗せることを優先する、いわば攻撃特化のスタイル。息継ぎを伴わない不断の高
速連撃が、この構えを支えていた。
かつてスペックはある女性をめぐってドリアンと戦った。あのドリアンでさえ、無呼吸
連打に対しては防御を固めるしかなかった。
しかし、今彼が対峙している敵は次元がちがう。人間など及びもつかぬ攻撃性能と防御
性能で、スペックのラッシュなどお構いなしに反撃してくる。
──ならば。
体全体を回転させてのフルパワー右フック。自らの血で飛沫を巻き上げながらの初弾も、
効力は薄い。すかさずカマキリが両前脚を振り下ろす。
スペック、これをバックステップでかわし、間を置かず左ストレート、左ミドルキック。
カマキリの右前脚によるフック。当たれば集中治療室行きの一撃も、スペックはしゃが
んでやり過ごすと、真下から頭部に右アッパーを突き上げる。
「──イケルッ!」
肺活量にモノをいわせたごり押しが通じぬなら、肺活量にモノをいわせた間合いの支配
で勝負。
休憩ゼロの無呼吸ヒットアンドアウェイ──。
手を休めながらの打撃が通用する相手ではないし、呼吸をすればその隙を必ず突いてく
る。絶えず打ってかわして叩きのめす。土壇場で、スペックは最良の選択をしてみせた。
効いている。しかし、一分、二分、そして三分が経ってもカマキリの勢いは衰えてくれ
ない。
焦りは厳禁。焦りは体と判断力を鈍らせ、ミスを生む。ミス、すなわち被弾。闘志はあ
れど、もうスペックの肉体にカマキリの近代兵器級パワーを喰らえる余裕はない。
「チッ……ダガ七分マデナラ……!」
特訓を積んだ現在のスペックならば、およそ七分間の無呼吸運動が可能だ。が、もしリ
ミットまでにカマキリが沈まなければ──
「終ワリダナ」
──死ぬ。
五分経過。どれだけ叩き込んだだろうか。
六分経過。少しずつカマキリが弱ってきているのが分かる。
六分半が経過。スペックの全体重を加えた左ストレートが、カマキリからダウンを奪う。
あと少し。
一撃必殺の鎌と牙をかすりつつ、生傷と痣を増やしつつ、ようやく光明が差し込んだ。
残り酸素から割り出される、スペックに許された行動回数は三回。右前脚フックをかわ
すのに一回、続く左前脚の振り下ろしをもう一回分使って紙一重でやり過ごす。
あと一回で、仕留めてみせる。
「ヌオリャァッ!」
乾坤一擲、右拳がカマキリの左複眼を粉砕した。
──が。
カマキリは立っていた。
正真正銘空っぽになったスペックは悔しさと諦めから引きつった笑いを浮かべる。人間
離れした肺機能を生まれつき備える自分が、まさか酸欠に陥るはめになろうとは。
目がかすむ。吐き気がする。意識が歪む。
呼吸という人体に絶対不可欠な生命維持活動を捨てることによって、スペックはカマキ
リを追い詰めることができた。それでも、打ち倒すことはかなわなかった。
「チクショウ……」
勢いを取り戻し、猛スピードで襲いかかるカマキリに、せめてもの抵抗としてスペック
は拳を突き出す。
ゆるゆると向かっていく右拳は、カマキリの胸部にくっつき、
「───ッ?!」
なぜか大ダメージを与えていた。
鋼鉄の外皮に拳型の凹みができるほどの一撃。体液を口から吐き出し、無表情とはいえ
カマキリの狼狽は明白だった。
さらにスペックは、追撃の右前脚を朦朧とした意識で掴むと、力をカマキリに委ねた。
すると、カマキリはくるりと半回転し、頭部から地面に到達した。
「今ノハ……」スペックはすぐさま二人の老人を思い返した。「郭ジジィノ消力(シャオ
リー)ト、渋川ノ合気!?」
左足の甲で土を掘り返し、カマキリの壊れた複眼に蹴り飛ばす。Sirに教わった裏技。
目をやられたカマキリが露骨に嫌がっている。
掌底、直突き、足先蹴りを、連続でカマキリの中心部に叩き込む。中国拳法が大好きな
老人に教わった秘術。
ボディガードに任命されてから今日までの十日間。少しずつおすそ分けしてもらってい
た老人会の仲間たちの奥義の数々が、全酸素を使い果たした空白の境地にて、突如芽吹き、
花を咲かせた。
修練の辛さに耐えかね途中で放り出してしまったが、97年間衰えを知らない人類史上
稀有な肉体と才能は、インスタント奥義でも十二分に生かし尽くす。
カマキリが攻めあぐねている隙に瀕死だった息を整えると、スペックが驚異的な攻めに
転ずる。
正真正銘空っぽになったスペックは悔しさと諦めから引きつった笑いを浮かべる。人間
離れした肺機能を生まれつき備える自分が、まさか酸欠に陥るはめになろうとは。
目がかすむ。吐き気がする。意識が歪む。
呼吸という人体に絶対不可欠な生命維持活動を捨てることによって、スペックはカマキ
リを追い詰めることができた。それでも、打ち倒すことはかなわなかった。
「チクショウ……」
勢いを取り戻し、猛スピードで襲いかかるカマキリに、せめてもの抵抗としてスペック
は拳を突き出す。
ゆるゆると向かっていく右拳は、カマキリの胸部にくっつき、
「───ッ?!」
なぜか大ダメージを与えていた。
鋼鉄の外皮に拳型の凹みができるほどの一撃。体液を口から吐き出し、無表情とはいえ
カマキリの狼狽は明白だった。
さらにスペックは、追撃の右前脚を朦朧とした意識で掴むと、力をカマキリに委ねた。
すると、カマキリはくるりと半回転し、頭部から地面に到達した。
「今ノハ……」スペックはすぐさま二人の老人を思い返した。「郭ジジィノ消力(シャオ
リー)ト、渋川ノ合気!?」
左足の甲で土を掘り返し、カマキリの壊れた複眼に蹴り飛ばす。Sirに教わった裏技。
目をやられたカマキリが露骨に嫌がっている。
掌底、直突き、足先蹴りを、連続でカマキリの中心部に叩き込む。中国拳法が大好きな
老人に教わった秘術。
ボディガードに任命されてから今日までの十日間。少しずつおすそ分けしてもらってい
た老人会の仲間たちの奥義の数々が、全酸素を使い果たした空白の境地にて、突如芽吹き、
花を咲かせた。
修練の辛さに耐えかね途中で放り出してしまったが、97年間衰えを知らない人類史上
稀有な肉体と才能は、インスタント奥義でも十二分に生かし尽くす。
カマキリが攻めあぐねている隙に瀕死だった息を整えると、スペックが驚異的な攻めに
転ずる。
再び左前脚を振りかざすカマキリの懐に、あえて飛び込むスペック。左前脚の根っこを
脇でがっちり固め、力ではなく消力で逆方向にへし折る。Sirの軍隊格闘技と郭の消力
の複合技。
「ギッ……キシィィィィッ!」
下顎を噛み合わせ、奇怪な悲鳴を奏でるカマキリ。
次は右前脚を奪い、カマキリの力を利用して投げ飛ばす。さらに宙に浮いたカマキリの
顎に手を添え──頭から叩きつける。合気の炸裂である。
なお続く猛攻を太極拳を彷彿とさせる舞踊でかわし切り、攻めの消力による打拳をバッ
チリ決める。100キロの巨虫が舞った。
今カマキリの複眼には、スペックを含め五人の老人が映像化されていることだろう。
「終ワラセルゼ」
大きく、深く、肺に空気を取り込むスペック。
打って打って打って打って打って打って打って打って打って打って、打ちまくる。
呼吸を捨て、防御と回避を捨て、技術をも捨て、己の両手両足をフル動員してスペック
は最後の無呼吸連打に打って出た。
互いに残り体力はわずか──ここを押し切らねば絶対に勝てない。
「OHHHHHHHHHHHッ!」
──自分のこれまでの人生、そしてこれからの人生のために。
──敗北寸前で力を貸してくれた老人たちのために。
──誕生日を祝ってくれたしけい荘の仲間のために。
身勝手で野放図な性分ながら、通すべき筋くらいはわきまえている。
敗けられない。ここは通さない。たとえ不死身の化け物であろうとも──勝つ。
戦闘に関連する性能を単純比較するならば、カマキリはスペックを完全に上回っている。
が、全てを賭したスペックには性能という数値以上の味付けが成されていた。
精神力。ヒトにはあって、ムシにはない特別な力。
しかし、カマキリも狩人としての意地か、折られた左前脚でスペックの頭をかち割った。
「ギィィィィッ!」
「オアァァァッ!」
怪物と怪人。もはやどっちがどっちの声か判別すらできない。
頭突き。スペックが血の湧き出す頭を、カマキリの下顎にめり込ませる。さらに両手を
組んだ、凄まじいハンマーパンチが頭部を叩き割る。
頭から地面に突っ込んだカマキリは、その強靭すぎる肉体の活動を停止した。
ほっと一息。スペックもまた、スイッチが切れたように大地に背中から横たわった。
スペック対巨大カマキリ。究極の異色対決、決着。
脇でがっちり固め、力ではなく消力で逆方向にへし折る。Sirの軍隊格闘技と郭の消力
の複合技。
「ギッ……キシィィィィッ!」
下顎を噛み合わせ、奇怪な悲鳴を奏でるカマキリ。
次は右前脚を奪い、カマキリの力を利用して投げ飛ばす。さらに宙に浮いたカマキリの
顎に手を添え──頭から叩きつける。合気の炸裂である。
なお続く猛攻を太極拳を彷彿とさせる舞踊でかわし切り、攻めの消力による打拳をバッ
チリ決める。100キロの巨虫が舞った。
今カマキリの複眼には、スペックを含め五人の老人が映像化されていることだろう。
「終ワラセルゼ」
大きく、深く、肺に空気を取り込むスペック。
打って打って打って打って打って打って打って打って打って打って、打ちまくる。
呼吸を捨て、防御と回避を捨て、技術をも捨て、己の両手両足をフル動員してスペック
は最後の無呼吸連打に打って出た。
互いに残り体力はわずか──ここを押し切らねば絶対に勝てない。
「OHHHHHHHHHHHッ!」
──自分のこれまでの人生、そしてこれからの人生のために。
──敗北寸前で力を貸してくれた老人たちのために。
──誕生日を祝ってくれたしけい荘の仲間のために。
身勝手で野放図な性分ながら、通すべき筋くらいはわきまえている。
敗けられない。ここは通さない。たとえ不死身の化け物であろうとも──勝つ。
戦闘に関連する性能を単純比較するならば、カマキリはスペックを完全に上回っている。
が、全てを賭したスペックには性能という数値以上の味付けが成されていた。
精神力。ヒトにはあって、ムシにはない特別な力。
しかし、カマキリも狩人としての意地か、折られた左前脚でスペックの頭をかち割った。
「ギィィィィッ!」
「オアァァァッ!」
怪物と怪人。もはやどっちがどっちの声か判別すらできない。
頭突き。スペックが血の湧き出す頭を、カマキリの下顎にめり込ませる。さらに両手を
組んだ、凄まじいハンマーパンチが頭部を叩き割る。
頭から地面に突っ込んだカマキリは、その強靭すぎる肉体の活動を停止した。
ほっと一息。スペックもまた、スイッチが切れたように大地に背中から横たわった。
スペック対巨大カマキリ。究極の異色対決、決着。