手品の種はナトリウムだ。
水と激しく反応することで、水酸化ナトリウムと水素を生成する。反応熱により水素は発火し、
結果、火を制するはずの水によって燃え上がるという一見矛盾した現象を引き起こす。
無論、それのみでこれほどの炎は生じない。各種薬品を配合し威力を飛躍的に向上させているのは、
かすかに鼻をつく刺激臭からも明らかだった。
「火火ッ」
乾いた下草を踏むガサリという音に、サイは視線を走らせる。
三メートルほど離れた位置に、葛西善二郎が立っていた。
通信機の要らない至近距離。
放火魔は揺れる炎の波を受けながら、豊齢線の浮きかけた口元を歪ませ笑った。
「葛西」
サイの全身が軋む。押し潰された上半身が急ピッチで再生していく。
かふっ、と喉の奥から咳が漏れた。こぼれた血は他の体液と入り混じり、苦味とも酸味とも
つかない味が舌を刺した。
口に溜まった血を吐き捨て、赤く染まった顔を拭う。
殺気の余熱を生々しく残した目で葛西を見た。
「……タイミングいいじゃん。今のはちょっと助かったよ、やっぱりあんたは俺が見込んだ通りの……」
「火火火」
「ちょっと、葛西?」
「火火ッ、火火火火火」
「葛西、葛西ったら」
「火火火、火火火火、火ャーーーーーーーーッハッハハハハハハハ! ……グハァッ!?」
テンションMAXの高笑いは、サイの無言の膝蹴りで中断した。
腹にもろに一撃を食らった葛西は、形容しがたい表情で体を折って痙攣する。
「ハイになるのは勝手だけど、人が話しかけてるときはちゃんと返事しようね葛西」
「へ、へぇ、すみません、いっぺん火がつくとつい……い、痛ぇ……」
「そうそう、それから」
身悶える放火魔にサイは更に付け加えた。
「今すぐ退いて。まだ終わってない」
「は?」
「援護できるギリギリの位置に下がって。早くして。蹴り潰されたいの?」
言い放ったそのときだった。
火の海と化したプールから、激しい火柱が噴き上がった。
眼球からも口からも炎を迸らせ、≪我鬼≫は巨大な火の球と化していた。髭も毛皮も何もかも
業火に呑まれながら、それでも倒れることなくサイめがけて突進した。
水と激しく反応することで、水酸化ナトリウムと水素を生成する。反応熱により水素は発火し、
結果、火を制するはずの水によって燃え上がるという一見矛盾した現象を引き起こす。
無論、それのみでこれほどの炎は生じない。各種薬品を配合し威力を飛躍的に向上させているのは、
かすかに鼻をつく刺激臭からも明らかだった。
「火火ッ」
乾いた下草を踏むガサリという音に、サイは視線を走らせる。
三メートルほど離れた位置に、葛西善二郎が立っていた。
通信機の要らない至近距離。
放火魔は揺れる炎の波を受けながら、豊齢線の浮きかけた口元を歪ませ笑った。
「葛西」
サイの全身が軋む。押し潰された上半身が急ピッチで再生していく。
かふっ、と喉の奥から咳が漏れた。こぼれた血は他の体液と入り混じり、苦味とも酸味とも
つかない味が舌を刺した。
口に溜まった血を吐き捨て、赤く染まった顔を拭う。
殺気の余熱を生々しく残した目で葛西を見た。
「……タイミングいいじゃん。今のはちょっと助かったよ、やっぱりあんたは俺が見込んだ通りの……」
「火火火」
「ちょっと、葛西?」
「火火ッ、火火火火火」
「葛西、葛西ったら」
「火火火、火火火火、火ャーーーーーーーーッハッハハハハハハハ! ……グハァッ!?」
テンションMAXの高笑いは、サイの無言の膝蹴りで中断した。
腹にもろに一撃を食らった葛西は、形容しがたい表情で体を折って痙攣する。
「ハイになるのは勝手だけど、人が話しかけてるときはちゃんと返事しようね葛西」
「へ、へぇ、すみません、いっぺん火がつくとつい……い、痛ぇ……」
「そうそう、それから」
身悶える放火魔にサイは更に付け加えた。
「今すぐ退いて。まだ終わってない」
「は?」
「援護できるギリギリの位置に下がって。早くして。蹴り潰されたいの?」
言い放ったそのときだった。
火の海と化したプールから、激しい火柱が噴き上がった。
眼球からも口からも炎を迸らせ、≪我鬼≫は巨大な火の球と化していた。髭も毛皮も何もかも
業火に呑まれながら、それでも倒れることなくサイめがけて突進した。
「おいおい……」
葛西の手から煙草が落ちた。
葛西の手から煙草が落ちた。
「しぶといじゃん、クソ猫」
サイは白い歯を剥いて笑った。
そちらがそのつもりなら構わない。最後まで付き合ってやるだけだ。
抗うことすら敵わぬ肉塊となるその瞬間まで。
「さあ……来いよっ!」
走り来る異形に、サイは全身の細胞で咆哮した。
サイは白い歯を剥いて笑った。
そちらがそのつもりなら構わない。最後まで付き合ってやるだけだ。
抗うことすら敵わぬ肉塊となるその瞬間まで。
「さあ……来いよっ!」
走り来る異形に、サイは全身の細胞で咆哮した。
アイはヘリの窓から外を見下ろす。
地上数百メートル。眼下にぽつぽつと散る小さな光は、民家ではなく街灯のそれ。周囲に住宅や
店は殆どなく、あっても既に寝静まっている。
テールローターの代わりに、圧搾空気の吹き出しで機体を制御する低騒音ヘリ。これなら住人たちの眠りを
覚ますおそれもない。とはいえ夜明けはすぐ傍まで迫っており、彼らが起き出してくるまでそう長くはかかるまい。
冷たい夜の底に、大地はひっそりと横たわっている。
その一角に息づくひときわ広大なエリア。首長竜のようなウォータースライダーがそびえる、
打ち捨てられたテーマパーク。
電気の供給もなく闇に閉ざされているはずのそこは、今は鮮やかなオレンジの光を灯している。
「始まっている……と考えてもいいものかな」
「恐らくは」
早坂久宜の言葉に短く答えた。葛西の炎であることは明らかだった。
音は聞こえない。地上からの距離が邪魔をする。この高さから状況を把握できるほど視力がいいわけでもない。
「高度を下げてください。対地高度百フィートまで」
「人遣いの荒ぇ女だ」
ユキこと幸宜がぼやいた。
スティックを緩やかに倒していく。エレベーターで降りるときのそれを数十倍に濃縮したかの
ような、重力のひずむ感覚。
「あっさり食い殺されて骨になってたりしてな」
「それはあり得ません」
軽口をぴしゃりとはねつけると、ユキは鼻を鳴らした。
「いい信頼関係をお持ちのこって。その信頼が裏切られなきゃいいがな」
「あなたに心配していただく必要などありません」
「……百フィート行く前に空から突き落としてやろうかクソアマ」
毒づくユキをアイはあくまで無視した。
膝の上に置かれているのはノートPC。
ショパンでも弾くような優雅さで、アイは指を躍らせる。流れ出るのはノクターンでもエチュードでも
ない、カタカタという無粋な打ち込み音。無数のウインドウが画面に現れては消えていく。
「何を見ている?」
早坂の目がサングラスの奥で光った。
「いえ。そろそろ限界のようなので」
「何がだ」
「警察が≪我鬼≫事件の捜査経過を発表しようと動いています。恐らくは――夜が明ける頃には
公共の電波に乗るでしょう」
「それがどうした」
早坂が組んだ脚を組み替える。
「どの道これだけ派手にやっていれば、夜明けまでには誰かが気づく。時間がないことには
変わりあるまい」
「……そうですね」
東の空にアイは目をやる。視線の先にはまだ濃紺とも紫黒ともつかぬ闇。
ヘリが降下する。
地上で燃え盛る炎がぐんぐん近づいていく。
地上数百メートル。眼下にぽつぽつと散る小さな光は、民家ではなく街灯のそれ。周囲に住宅や
店は殆どなく、あっても既に寝静まっている。
テールローターの代わりに、圧搾空気の吹き出しで機体を制御する低騒音ヘリ。これなら住人たちの眠りを
覚ますおそれもない。とはいえ夜明けはすぐ傍まで迫っており、彼らが起き出してくるまでそう長くはかかるまい。
冷たい夜の底に、大地はひっそりと横たわっている。
その一角に息づくひときわ広大なエリア。首長竜のようなウォータースライダーがそびえる、
打ち捨てられたテーマパーク。
電気の供給もなく闇に閉ざされているはずのそこは、今は鮮やかなオレンジの光を灯している。
「始まっている……と考えてもいいものかな」
「恐らくは」
早坂久宜の言葉に短く答えた。葛西の炎であることは明らかだった。
音は聞こえない。地上からの距離が邪魔をする。この高さから状況を把握できるほど視力がいいわけでもない。
「高度を下げてください。対地高度百フィートまで」
「人遣いの荒ぇ女だ」
ユキこと幸宜がぼやいた。
スティックを緩やかに倒していく。エレベーターで降りるときのそれを数十倍に濃縮したかの
ような、重力のひずむ感覚。
「あっさり食い殺されて骨になってたりしてな」
「それはあり得ません」
軽口をぴしゃりとはねつけると、ユキは鼻を鳴らした。
「いい信頼関係をお持ちのこって。その信頼が裏切られなきゃいいがな」
「あなたに心配していただく必要などありません」
「……百フィート行く前に空から突き落としてやろうかクソアマ」
毒づくユキをアイはあくまで無視した。
膝の上に置かれているのはノートPC。
ショパンでも弾くような優雅さで、アイは指を躍らせる。流れ出るのはノクターンでもエチュードでも
ない、カタカタという無粋な打ち込み音。無数のウインドウが画面に現れては消えていく。
「何を見ている?」
早坂の目がサングラスの奥で光った。
「いえ。そろそろ限界のようなので」
「何がだ」
「警察が≪我鬼≫事件の捜査経過を発表しようと動いています。恐らくは――夜が明ける頃には
公共の電波に乗るでしょう」
「それがどうした」
早坂が組んだ脚を組み替える。
「どの道これだけ派手にやっていれば、夜明けまでには誰かが気づく。時間がないことには
変わりあるまい」
「……そうですね」
東の空にアイは目をやる。視線の先にはまだ濃紺とも紫黒ともつかぬ闇。
ヘリが降下する。
地上で燃え盛る炎がぐんぐん近づいていく。
真一文字に閃いたサイの爪が、巨獣の前脚を引き裂いた。
だが虎の勢いはその程度では止まらなかった。火達磨のまま突っ込んできた≪我鬼≫を、サイは
真正面から迎え撃つ。
体重差は百倍以上。華奢な肢体はなすすべもなく吹っ飛ばされる、あるいは引きちぎられるかと思われた。
だが五十キロにも見たぬはずのサイの体は、五トン超の≪我鬼≫の突撃に耐え抜いた。鋼鉄のごとく
変化した左腕が顎を受け止め、足先はハーケンのように変異しタイルにめり込んで自らを支えていた。
炎が服に燃え移る。少年の柔らかい肌を焼いていく。
自分の肉がローストになっていく匂い。
「手負いの虎は手がつけられないっていうけど……」
左腕が軋みを上げる。変異ではなく硬いものが捻り潰されていく音。
受け止める硬度と食いちぎる顎の力の戦い。
「こっちだって負けちゃいないってこと、教えてやるよ!」
空いた右手が風を切る。
ハンマーと化した拳が≪我鬼≫の脳天を割った瞬間、サイの左腕が粉々に砕け散った。
≪我鬼≫が後ろに跳ぶのと同時に、サイも足を変化させてタイルを蹴った。
「葛西!」
『言われねぇでも』
声は通信を介して響いた。
オレンジ色の火が照らす空間に、迸ったのは青い炎だった。
放火魔の袖の火炎放射器から放たれた焔は、建物ならば軽く天井を抜く勢い。変異細胞を焼き切り、
再生を阻む高温の火。
だが通常なら炭と化すはずの巨体は、倒れるどころかなお強く足元のタイルを踏みしめた。
太い四つ足に力を込めて跳ぶ。
ひと跳びで葛西へと肉薄する。
だが虎の牙が放火魔を屠る前に、怪物の強盗がそこに割り込んだ。
「あんたの相手はこの俺だろ?」
さっき砕け散った右腕がミシリと再生する。
腕は鞭となってしなり、虎の太い首に絡みついた。
首だけではない。筋繊維の鞭は何十本にも枝分かれし、≪我鬼≫の四肢を残らず拘束した。
皮やゴムとは訳が違う。下手をすれば鎖よりも更に、引きちぎることの難しい代物。
≪我鬼≫の体が地から浮いた。
変異細胞で形成された肉の鞭は、五トンの肉体を縛めたまま持ち上げた。
もがく巨体が抱え上げられていく。燃え盛る青い炎に鞭が焼け焦げ、肉の焼ける匂いを撒き散らし
一本また一本とちぎれ落ちても、構わず天を目指して高く高く。
地上七、八メートルに達したかと思われるところで、最後の鞭が焼き切れる。
体重のぶんだけ落下の衝撃も大きい。巨大な体が地に叩きつけられ、衝撃が辺りを揺るがす。
明らかに骨が潰れたと分かる凄まじい音が響く。
上がった吼え声は明らかに悲鳴だった。
悲痛な声は、すぐに憎悪のこもった唸り声に変化した。
「痛いだろ? 俺が憎いだろ? だったらよそ見せず真っ直ぐ俺に向かって来いよっ!」
≪我鬼≫の体が再生していく。
高温の炎に焼かれているにも関わらず、その回復力は留まる所を知らない。
弱肉強食に生きる獣であるが故なのか、単純に変異細胞の性能がサイのそれを凌いでいるためか。
虎の限界は分からないが、自分の限界ならある程度推測できる。細胞変異による再生はそろそろ、
扱いに思慮を要する域に踏み込もうとしていた。≪我鬼≫との戦闘もさることながら、直前にあの
兄弟から受けた傷の回復が、思いもよらない形で負担となっているのだ。
再生に使用するエネルギーが蓄積したエネルギーを超える場合、別の体組織を燃焼させてそれに
換えなければならない。畢竟どうしても効率は落ち、肉体への負荷も蓄積分を使うより遥かに大きく
跳ね上がる。
慎重に利用し持久戦に持ち込むか、一気に畳み掛けて短期で決着をつけるか、二つに一つ。
「葛西」
『はっ』
「壁作って。奴が逃げづらいように」
『了解』
高い火柱が上がる。柱は瞬く間に広がり、青白く燃える炎のリングを作り出す。
中心には、かつて目玉アトラクションとして人気を集めたウォータースライダー。半径三十メートル
ほどの空間を業火が囲む。
鼻腔を刺す燃料の匂いがいっそう濃くなった。
だが虎の勢いはその程度では止まらなかった。火達磨のまま突っ込んできた≪我鬼≫を、サイは
真正面から迎え撃つ。
体重差は百倍以上。華奢な肢体はなすすべもなく吹っ飛ばされる、あるいは引きちぎられるかと思われた。
だが五十キロにも見たぬはずのサイの体は、五トン超の≪我鬼≫の突撃に耐え抜いた。鋼鉄のごとく
変化した左腕が顎を受け止め、足先はハーケンのように変異しタイルにめり込んで自らを支えていた。
炎が服に燃え移る。少年の柔らかい肌を焼いていく。
自分の肉がローストになっていく匂い。
「手負いの虎は手がつけられないっていうけど……」
左腕が軋みを上げる。変異ではなく硬いものが捻り潰されていく音。
受け止める硬度と食いちぎる顎の力の戦い。
「こっちだって負けちゃいないってこと、教えてやるよ!」
空いた右手が風を切る。
ハンマーと化した拳が≪我鬼≫の脳天を割った瞬間、サイの左腕が粉々に砕け散った。
≪我鬼≫が後ろに跳ぶのと同時に、サイも足を変化させてタイルを蹴った。
「葛西!」
『言われねぇでも』
声は通信を介して響いた。
オレンジ色の火が照らす空間に、迸ったのは青い炎だった。
放火魔の袖の火炎放射器から放たれた焔は、建物ならば軽く天井を抜く勢い。変異細胞を焼き切り、
再生を阻む高温の火。
だが通常なら炭と化すはずの巨体は、倒れるどころかなお強く足元のタイルを踏みしめた。
太い四つ足に力を込めて跳ぶ。
ひと跳びで葛西へと肉薄する。
だが虎の牙が放火魔を屠る前に、怪物の強盗がそこに割り込んだ。
「あんたの相手はこの俺だろ?」
さっき砕け散った右腕がミシリと再生する。
腕は鞭となってしなり、虎の太い首に絡みついた。
首だけではない。筋繊維の鞭は何十本にも枝分かれし、≪我鬼≫の四肢を残らず拘束した。
皮やゴムとは訳が違う。下手をすれば鎖よりも更に、引きちぎることの難しい代物。
≪我鬼≫の体が地から浮いた。
変異細胞で形成された肉の鞭は、五トンの肉体を縛めたまま持ち上げた。
もがく巨体が抱え上げられていく。燃え盛る青い炎に鞭が焼け焦げ、肉の焼ける匂いを撒き散らし
一本また一本とちぎれ落ちても、構わず天を目指して高く高く。
地上七、八メートルに達したかと思われるところで、最後の鞭が焼き切れる。
体重のぶんだけ落下の衝撃も大きい。巨大な体が地に叩きつけられ、衝撃が辺りを揺るがす。
明らかに骨が潰れたと分かる凄まじい音が響く。
上がった吼え声は明らかに悲鳴だった。
悲痛な声は、すぐに憎悪のこもった唸り声に変化した。
「痛いだろ? 俺が憎いだろ? だったらよそ見せず真っ直ぐ俺に向かって来いよっ!」
≪我鬼≫の体が再生していく。
高温の炎に焼かれているにも関わらず、その回復力は留まる所を知らない。
弱肉強食に生きる獣であるが故なのか、単純に変異細胞の性能がサイのそれを凌いでいるためか。
虎の限界は分からないが、自分の限界ならある程度推測できる。細胞変異による再生はそろそろ、
扱いに思慮を要する域に踏み込もうとしていた。≪我鬼≫との戦闘もさることながら、直前にあの
兄弟から受けた傷の回復が、思いもよらない形で負担となっているのだ。
再生に使用するエネルギーが蓄積したエネルギーを超える場合、別の体組織を燃焼させてそれに
換えなければならない。畢竟どうしても効率は落ち、肉体への負荷も蓄積分を使うより遥かに大きく
跳ね上がる。
慎重に利用し持久戦に持ち込むか、一気に畳み掛けて短期で決着をつけるか、二つに一つ。
「葛西」
『はっ』
「壁作って。奴が逃げづらいように」
『了解』
高い火柱が上がる。柱は瞬く間に広がり、青白く燃える炎のリングを作り出す。
中心には、かつて目玉アトラクションとして人気を集めたウォータースライダー。半径三十メートル
ほどの空間を業火が囲む。
鼻腔を刺す燃料の匂いがいっそう濃くなった。
再生の軋みを上げながら≪我鬼≫が身を低める。跳躍の反動をつけんと前脚を折り曲げる。
サイは深く息を吸った。
気温だけなら夏と勘違いしかねない、熱せられた空気が肺を満たしていく。
叩きつけるようにタイルに手をつく。四足歩行の獣のように、両手足で体を支える体勢になる。
サイは深く息を吸った。
気温だけなら夏と勘違いしかねない、熱せられた空気が肺を満たしていく。
叩きつけるようにタイルに手をつく。四足歩行の獣のように、両手足で体を支える体勢になる。
ドクン、と心臓が鳴った。
変異は手指の先から始まった。
五本の指は退化するように縮こまり、表面を覆いはじめた厚い毛皮に飲み込まれる。筆で描き殴った
ような荒々しい縞模様が全身へと広がっていく。
しなやかな腕と脚は、見違えるほど太く逞しく。
腰から伸びて垂れ下がるのは尾、ヒトがサルとの分化に際し失ったもの。
細やかな動きに長けたホモ・サピエンスから、狩猟に特化したパンテラ・チグリスへ。
盛り上がった筋肉に衣服がはち切れた。ボタンが爆ぜ、生地は裂け、用をなさぬ数枚の布切れと
なって、炎が起こす熱風に巻き上げられていった。
体に続いて次は顔。あどけない面立ちの鼻先が軋みを上げて隆起する。顔の横から生えた耳朶が、
頭蓋を割り進むように頭の上へと動いていく。
五本の指は退化するように縮こまり、表面を覆いはじめた厚い毛皮に飲み込まれる。筆で描き殴った
ような荒々しい縞模様が全身へと広がっていく。
しなやかな腕と脚は、見違えるほど太く逞しく。
腰から伸びて垂れ下がるのは尾、ヒトがサルとの分化に際し失ったもの。
細やかな動きに長けたホモ・サピエンスから、狩猟に特化したパンテラ・チグリスへ。
盛り上がった筋肉に衣服がはち切れた。ボタンが爆ぜ、生地は裂け、用をなさぬ数枚の布切れと
なって、炎が起こす熱風に巻き上げられていった。
体に続いて次は顔。あどけない面立ちの鼻先が軋みを上げて隆起する。顔の横から生えた耳朶が、
頭蓋を割り進むように頭の上へと動いていく。
怪盗"X"は白銀の虎と化した。
筋肉の変異が終わりきる前に、サイは高く跳躍した。
人間時の実に数十倍のジャンプ力で≪我鬼≫に迫った。
人間時の実に数十倍のジャンプ力で≪我鬼≫に迫った。
持久戦など彼の性には合わない。
ただ全力を尽くすのみ。
ただ全力を尽くすのみ。
黄金と白銀の光が中空で交錯した。