郭春成が嗤(わら)う。
これから味わえる殺しという美酒を予感するだけで、彼の唇周辺を構成する筋肉が快楽
に歪む。
身体中の全細胞が「殺させろ」と叫んでいる。
狂える獣が、その異名に恥じぬ速度と狂気を帯びて、駆け出す。
ドリアンは百戦錬磨である。が、それゆえに、数十年間で初めて体感する猛烈な殺気に、
体を一瞬硬直させてしまった。反応が遅れる。
ダッシュの勢いをそのままに、まともに鳩尾に突き刺さる崩拳。
しけい荘においてスペックに次ぐ巨躯が、拳の一撃で吹き飛ぶ。
──が、春成はすかさずドリアンの足の甲を足刀で潰した。これでドリアンの体は吹き
飛ぶことなく、停止した。
「ぶん殴るたびに間合いが開いてちゃあ、面倒だからなァ」
正中線──喉、鳩尾、ヘソを貫き手が抉る。
さらに折れやすい鎖骨めがけ、放物線を描く変則ハイキック。ぶ厚い筋肉に包まれたド
リアンの右鎖骨がたやすく砕かれた。
「これでもう右腕は使えねェな」
「くっ……強いな、感動的なほどに」
「結局、武術なんてぇのは殺しの技術だ。より多く敵を殺傷した奴が一番強くなれる。ご
く単純な理屈さ。海王なんてお飾りに目を奪われてる時点で、てめぇは道から外れてるん
だよ」
春成の肘が鼻にヒット。鼻血をまき散らし、ドリアンが後退する。
「……君は分かっていないな」
「なんだと?」
「海王とは──否。拳法家とは、君が思うよりずっと──」ドリアンは残る左掌で顎を狙
うが、簡単にガードされる。「ファンタスティックなのだッ!」
すぐさま次弾。折れた鎖骨に鞭打ち、使えぬはずの右拳が春成を直撃する。
「ごっ……ガハァッ!」
七メートル。背中から墜落した春成が記録した飛距離である。
「立ちたまえ……。君は学習する必要がある」
これから味わえる殺しという美酒を予感するだけで、彼の唇周辺を構成する筋肉が快楽
に歪む。
身体中の全細胞が「殺させろ」と叫んでいる。
狂える獣が、その異名に恥じぬ速度と狂気を帯びて、駆け出す。
ドリアンは百戦錬磨である。が、それゆえに、数十年間で初めて体感する猛烈な殺気に、
体を一瞬硬直させてしまった。反応が遅れる。
ダッシュの勢いをそのままに、まともに鳩尾に突き刺さる崩拳。
しけい荘においてスペックに次ぐ巨躯が、拳の一撃で吹き飛ぶ。
──が、春成はすかさずドリアンの足の甲を足刀で潰した。これでドリアンの体は吹き
飛ぶことなく、停止した。
「ぶん殴るたびに間合いが開いてちゃあ、面倒だからなァ」
正中線──喉、鳩尾、ヘソを貫き手が抉る。
さらに折れやすい鎖骨めがけ、放物線を描く変則ハイキック。ぶ厚い筋肉に包まれたド
リアンの右鎖骨がたやすく砕かれた。
「これでもう右腕は使えねェな」
「くっ……強いな、感動的なほどに」
「結局、武術なんてぇのは殺しの技術だ。より多く敵を殺傷した奴が一番強くなれる。ご
く単純な理屈さ。海王なんてお飾りに目を奪われてる時点で、てめぇは道から外れてるん
だよ」
春成の肘が鼻にヒット。鼻血をまき散らし、ドリアンが後退する。
「……君は分かっていないな」
「なんだと?」
「海王とは──否。拳法家とは、君が思うよりずっと──」ドリアンは残る左掌で顎を狙
うが、簡単にガードされる。「ファンタスティックなのだッ!」
すぐさま次弾。折れた鎖骨に鞭打ち、使えぬはずの右拳が春成を直撃する。
「ごっ……ガハァッ!」
七メートル。背中から墜落した春成が記録した飛距離である。
「立ちたまえ……。君は学習する必要がある」
タキシードを華麗に脱ぎ捨て、上半身を晒すドリアン。中華の英知を詰め込んだ、西洋
の肉体があらわとなる。折れた鎖骨部が黒に近い紫色に腫れ上がっている。
立ち上がった春成が血を吐き捨て、より凶悪となった殺気を発露する。
「強がりやがって。今の強引な一撃でてめぇの右腕は完全に使用不能になったはずだ。殴
られた感触で分かる」
「君のような未熟なハネッ返りを教育するには、左腕だけで十分ということだ」
「ほざきやがれァッ!」
余裕のドリアン、怒る春成。打撃戦が幕を開ける。
中国拳法独特の、ビデオの早送りを彷彿とさせる攻防が、より速く、より重く、より精
密に展開される。
右腕を早々に痛めたハンディは大きく、徐々にドリアンの被弾率が上昇する。
強烈な左廻し蹴りが、ドリアンの右腕を穿つ。
「グウゥ……ッ!」
呻き声を合図に、春成の攻撃が露骨に右腕に集中し出す。ドリアンには攻撃はおろか防
御する手段すらない。
脂汗まみれのドリアンに、叩き込まれる手刀。むろん右腕にクリーンヒット。
「弱点がこうまで分かりやすいとよォ……やりやすいったらねェぜ」
「なるほど……」ドリアンは口元をわずかに緩めた。「やはり、君はクレバーではない」
己の右腕にぶつからんとする春成の一本拳をゆるりとかわし、ドリアンはカウンターの
裏拳を顔面に浴びせる。
次いで前蹴り。胃袋を抉る一撃が、春成の胃液を強引に押し上げる。
「……うげぇぇっ!」
「あれだけ分かりやすく弱点を突いてくれると、やりやすくて助かるよ」
春成の変質的攻撃癖(サディスティック)な性質を逆に利用したドリアン。逆襲の効果
は軽くない。
ならば、と春成は右腕を攻撃するフェイントを織り交ぜ、無事な左腕に的を絞る。が、
ドリアンに焦りの色はなかった。
「やはりな……」
渾身の廻し蹴りは空を切り、体勢を立て直す寸前の春成の背骨に、ドリアンの拳がめり
込む。激痛に身をよじる春成。
「心理戦では私に勝てぬと分かっただろう。君に残された手段は一つしかない」
腰を落とし、左拳を構えるドリアン。
遅れて、同じく拳を装備する春成。
思想は違えど、やはり拳法家。ドリアン海王対郭春成、最後の最後、両雄が選んだのは
拳による激突であった。
の肉体があらわとなる。折れた鎖骨部が黒に近い紫色に腫れ上がっている。
立ち上がった春成が血を吐き捨て、より凶悪となった殺気を発露する。
「強がりやがって。今の強引な一撃でてめぇの右腕は完全に使用不能になったはずだ。殴
られた感触で分かる」
「君のような未熟なハネッ返りを教育するには、左腕だけで十分ということだ」
「ほざきやがれァッ!」
余裕のドリアン、怒る春成。打撃戦が幕を開ける。
中国拳法独特の、ビデオの早送りを彷彿とさせる攻防が、より速く、より重く、より精
密に展開される。
右腕を早々に痛めたハンディは大きく、徐々にドリアンの被弾率が上昇する。
強烈な左廻し蹴りが、ドリアンの右腕を穿つ。
「グウゥ……ッ!」
呻き声を合図に、春成の攻撃が露骨に右腕に集中し出す。ドリアンには攻撃はおろか防
御する手段すらない。
脂汗まみれのドリアンに、叩き込まれる手刀。むろん右腕にクリーンヒット。
「弱点がこうまで分かりやすいとよォ……やりやすいったらねェぜ」
「なるほど……」ドリアンは口元をわずかに緩めた。「やはり、君はクレバーではない」
己の右腕にぶつからんとする春成の一本拳をゆるりとかわし、ドリアンはカウンターの
裏拳を顔面に浴びせる。
次いで前蹴り。胃袋を抉る一撃が、春成の胃液を強引に押し上げる。
「……うげぇぇっ!」
「あれだけ分かりやすく弱点を突いてくれると、やりやすくて助かるよ」
春成の変質的攻撃癖(サディスティック)な性質を逆に利用したドリアン。逆襲の効果
は軽くない。
ならば、と春成は右腕を攻撃するフェイントを織り交ぜ、無事な左腕に的を絞る。が、
ドリアンに焦りの色はなかった。
「やはりな……」
渾身の廻し蹴りは空を切り、体勢を立て直す寸前の春成の背骨に、ドリアンの拳がめり
込む。激痛に身をよじる春成。
「心理戦では私に勝てぬと分かっただろう。君に残された手段は一つしかない」
腰を落とし、左拳を構えるドリアン。
遅れて、同じく拳を装備する春成。
思想は違えど、やはり拳法家。ドリアン海王対郭春成、最後の最後、両雄が選んだのは
拳による激突であった。
互いの鍛え抜かれた拳が、いつ打ち出されても構わぬよう疼いている。ひとたび力を解
放されれば、最短距離で敵を討つことだろう。
ただしそれは相手が無抵抗であればの話だ。一流同士の睨み合い。放つタイミングを誤
れば、敗北は免れない。
二人の身体能力を分析すると、今のところ力ではドリアンに、速度では春成に分がある。
春成が勝利するには、先手での一撃必殺、あるいは後手でのカウンターを確実に決める
必要がある。
一方、ドリアンが勝ちを得るには、速さで勝る相手の一撃を堪え、拳を叩き込まねばな
らない。
張りつめた空気が臨界点を迎えようとする寸前、ドリアンは唐突に口を開いた。
「さて……と。君は私がこの残された左拳に、なにかを握り込んでいると考えてはいない
かね?」
「握り……込む?」
「君は警戒しているはずだ。よもや小細工を弄する余地などないこの最終局面においてな
お、私が拳以外の手札を切ることをね」
春成を凝視するドリアン。
「口八丁で惑わそうったって、無駄なんだよ」
強気な語調とは裏腹に、春成の中でドリアンの左拳はこの世でもっとも疑わしい物体と
化していた。もし一掬いの砂でも握り込まれていようものなら、強力な武器となる。
放されれば、最短距離で敵を討つことだろう。
ただしそれは相手が無抵抗であればの話だ。一流同士の睨み合い。放つタイミングを誤
れば、敗北は免れない。
二人の身体能力を分析すると、今のところ力ではドリアンに、速度では春成に分がある。
春成が勝利するには、先手での一撃必殺、あるいは後手でのカウンターを確実に決める
必要がある。
一方、ドリアンが勝ちを得るには、速さで勝る相手の一撃を堪え、拳を叩き込まねばな
らない。
張りつめた空気が臨界点を迎えようとする寸前、ドリアンは唐突に口を開いた。
「さて……と。君は私がこの残された左拳に、なにかを握り込んでいると考えてはいない
かね?」
「握り……込む?」
「君は警戒しているはずだ。よもや小細工を弄する余地などないこの最終局面においてな
お、私が拳以外の手札を切ることをね」
春成を凝視するドリアン。
「口八丁で惑わそうったって、無駄なんだよ」
強気な語調とは裏腹に、春成の中でドリアンの左拳はこの世でもっとも疑わしい物体と
化していた。もし一掬いの砂でも握り込まれていようものなら、強力な武器となる。
──しかし!
春成は思考する。ドリアンがいかなる策を講じようと、スピードで有利な己の拳は策の
発動後に動いたとしても十分刺さる。疑念はあれど、迷いなし。
後手を取る決断を下した春成に呼応するように、ドリアンが動く。
拳を発射した瞬間、ドリアンの脳細胞は彼の烈海王との修業の一場面を映していた。
「すごい技だな、今のは……」
「演武であればこれくらいは可能です、が、私とて実戦での使用経験はありません」
「技の難易度はもちろんだが、使いどころが難しい、ということか」
「はい。しかしドリアン海王、あなたは戦いにおける駆け引きという点においては、我々
の中でも群を抜いている。あなたならばあるいは──この技をもっとも効果的に駆使する
時機を、戦いの中で知ることができるはず」
「……ふむ。ありがたく頂戴するとしよう」
烈ですら乗りこなせぬじゃじゃ馬を伝授されたドリアンは、ふと思った。
発動後に動いたとしても十分刺さる。疑念はあれど、迷いなし。
後手を取る決断を下した春成に呼応するように、ドリアンが動く。
拳を発射した瞬間、ドリアンの脳細胞は彼の烈海王との修業の一場面を映していた。
「すごい技だな、今のは……」
「演武であればこれくらいは可能です、が、私とて実戦での使用経験はありません」
「技の難易度はもちろんだが、使いどころが難しい、ということか」
「はい。しかしドリアン海王、あなたは戦いにおける駆け引きという点においては、我々
の中でも群を抜いている。あなたならばあるいは──この技をもっとも効果的に駆使する
時機を、戦いの中で知ることができるはず」
「……ふむ。ありがたく頂戴するとしよう」
烈ですら乗りこなせぬじゃじゃ馬を伝授されたドリアンは、ふと思った。
──少し、失敗(ミス)ったかな。
突きに使用する関節を同時加速させることによって、拳を音の領域へと運ぶ絶技、音速
拳。
残念ながら今回は関節連動で一ミリ以下の誤差が生じ、音速に達することはなかった。
それでもなお、ドリアンの放った疑似音速崩拳は、先手を譲っても先に刺せると「思い
込んでいた」春成を打ち砕くには十分な代物だった。
中国拳法とペテンの融合術士、ドリアン海王はめざましい進化を遂げた。
「……おかげで海王の名を守れたよ、烈君」
拳。
残念ながら今回は関節連動で一ミリ以下の誤差が生じ、音速に達することはなかった。
それでもなお、ドリアンの放った疑似音速崩拳は、先手を譲っても先に刺せると「思い
込んでいた」春成を打ち砕くには十分な代物だった。
中国拳法とペテンの融合術士、ドリアン海王はめざましい進化を遂げた。
「……おかげで海王の名を守れたよ、烈君」