ボッシュがホテルに入ってから一時間余り。いまだに襲撃が起こる気配はない。徳川ホ
テルは昨日までと同じように時を刻んでいた。
ボッシュ殺害を予告したテロ組織は、自由、平等、博愛を掲げ、これまでも地球上あら
ゆる場所で予告テロを成功させている。一方で規模や人員は一切が謎に包まれており、首
謀者ですら明らかではない。分かっていることは、予告が決して脅しではないということ
だけ。爆破するといったら必ず爆破し、拉致するといったら必ず拉致し、殺害するといっ
たら必ず殺害する。
ホテル内に緊急設置されたモニター室。ホテルの要所に仕込まれた監視カメラから映し
出される、無数の壁一面のモニターを、飽きもせず眺める二人。徳川光成と園田盛男。
「なかなか始まらんのう。つまらん」
「つまらなくていいんですよ、徳川さん」
「しかし、格闘士とテロリストのガチンコの闘争なんてめったに観戦できるもんじゃない
ぞ。これほど興奮するのはいつ以来かのう」
「徳川さんッ! もしホテルが戦場になれば、あなたの命だって危険なんですよ!」
あくまでも個人的な好奇心を優先させ、マイペースを貫く光成に、園田はつい声を荒げ
てしまう。すると園田の背後から声がかかった。
「ご心配には及びません」
「……いっ、いつの間にッ!」
徳川家親衛隊隊長、加納秀明が気配を殺して園田の後ろに立っていた。
「徳川老には私がついています。あなたがたは職務以外のことに気を回さず、大統領と己
の地位の死守に専念することですな」
自信と皮肉に満ちた笑みの加納に、園田は返す言葉もなかった。
「……分かりました。しかし油断だけはしないで下さいよ」
テルは昨日までと同じように時を刻んでいた。
ボッシュ殺害を予告したテロ組織は、自由、平等、博愛を掲げ、これまでも地球上あら
ゆる場所で予告テロを成功させている。一方で規模や人員は一切が謎に包まれており、首
謀者ですら明らかではない。分かっていることは、予告が決して脅しではないということ
だけ。爆破するといったら必ず爆破し、拉致するといったら必ず拉致し、殺害するといっ
たら必ず殺害する。
ホテル内に緊急設置されたモニター室。ホテルの要所に仕込まれた監視カメラから映し
出される、無数の壁一面のモニターを、飽きもせず眺める二人。徳川光成と園田盛男。
「なかなか始まらんのう。つまらん」
「つまらなくていいんですよ、徳川さん」
「しかし、格闘士とテロリストのガチンコの闘争なんてめったに観戦できるもんじゃない
ぞ。これほど興奮するのはいつ以来かのう」
「徳川さんッ! もしホテルが戦場になれば、あなたの命だって危険なんですよ!」
あくまでも個人的な好奇心を優先させ、マイペースを貫く光成に、園田はつい声を荒げ
てしまう。すると園田の背後から声がかかった。
「ご心配には及びません」
「……いっ、いつの間にッ!」
徳川家親衛隊隊長、加納秀明が気配を殺して園田の後ろに立っていた。
「徳川老には私がついています。あなたがたは職務以外のことに気を回さず、大統領と己
の地位の死守に専念することですな」
自信と皮肉に満ちた笑みの加納に、園田は返す言葉もなかった。
「……分かりました。しかし油断だけはしないで下さいよ」
最上階。天内がくれた水を一気に飲み干すシコルスキー。人心地がつき、大きく息を吐
く。
「助かったよ、えぇと……天内。ところでさっきから訊きたかったんだが──」
「なぜ私が、大統領やあなたが望むことを、計ったようなタイミングで遂行できたのか、
でしょうか?」
「───!」
シコルスキーが問おうとしたことを、天内は一寸の狂いもなく当ててみせた。
「……その通りだ」
「答えは単純(シンプル)です。これは手品でもなんでもなく、愛の作用によるものです」
「え、ハァ? あ、愛って……アンタが俺を?!」
「大統領も同様です。他者がもっとも望むことを瞬時に察知し、実行する。これは愛があ
るからこそ可能なのです」
「な、なるほど……」
「そしてもうひとつ。もっとも望むことが分かったなら、同時にもっとも望まないことも
分かる。もっとも望まないことを瞬時に選択し続けること、これが闘争に勝利するコツだ
というのが私の持論です。
例えば、先ほどあなたは緊張で水分を欲していました。それを満たすために私は水を手
渡したわけですが──逆に、私が意地悪く暖房の温度を上げるなどすればあなたはもっと
渇きに苦しんだはずです」
「勉強になるな……」
天内の講義(レクチャー)にすっかり夢中になるシコルスキー。
「これを闘争に利用するなら、もしあの時私が唐辛子入りの水でも渡していれば、あなた
は辛さでとても戦える状態ではなくなるでしょう。もっと手段を問わないのであれば、無
味無臭の毒を入れていたら今頃あなたは──」
天内の殺気をはらんだ眼差しに、シコルスキーは反射的に身構えた。
「おまえ、まさか毒を……ッ!」
「ハハ、冗談ですよ。そんなことをするはずがないでしょう」
いきなり温和な笑顔に変わる天内。毒を飲まされていないと知り、ほっと胸を撫で下ろ
すシコルスキー。
「冗談はさておき、私は愛と闘争は対極なのではなく、表裏一体であると考えます。私の
戦力もこの考えに起因しているところが大きい。……これであなたの知りたいことへの答
えになったでしょうか?」
「ありがとう、ロシアの喧嘩が遅れてることがよく分かったよ」
互いに丁寧に頭を下げると、天内はボッシュの傍らに戻っていった。
ちょうど入れ違いに、ゲバルが話しかけてきた。
「ずいぶん熱心だったが、ミスター天内の話は参考になったか?」
「いやァ、いきなり天内に愛の告白を受けたんだ」
「え?」
「戦う時は相手を愛さなければいけないってことがよく分かった」
「そ、そうか……よかったな」
シコルスキーには馬の耳に念仏だったようだ。
く。
「助かったよ、えぇと……天内。ところでさっきから訊きたかったんだが──」
「なぜ私が、大統領やあなたが望むことを、計ったようなタイミングで遂行できたのか、
でしょうか?」
「───!」
シコルスキーが問おうとしたことを、天内は一寸の狂いもなく当ててみせた。
「……その通りだ」
「答えは単純(シンプル)です。これは手品でもなんでもなく、愛の作用によるものです」
「え、ハァ? あ、愛って……アンタが俺を?!」
「大統領も同様です。他者がもっとも望むことを瞬時に察知し、実行する。これは愛があ
るからこそ可能なのです」
「な、なるほど……」
「そしてもうひとつ。もっとも望むことが分かったなら、同時にもっとも望まないことも
分かる。もっとも望まないことを瞬時に選択し続けること、これが闘争に勝利するコツだ
というのが私の持論です。
例えば、先ほどあなたは緊張で水分を欲していました。それを満たすために私は水を手
渡したわけですが──逆に、私が意地悪く暖房の温度を上げるなどすればあなたはもっと
渇きに苦しんだはずです」
「勉強になるな……」
天内の講義(レクチャー)にすっかり夢中になるシコルスキー。
「これを闘争に利用するなら、もしあの時私が唐辛子入りの水でも渡していれば、あなた
は辛さでとても戦える状態ではなくなるでしょう。もっと手段を問わないのであれば、無
味無臭の毒を入れていたら今頃あなたは──」
天内の殺気をはらんだ眼差しに、シコルスキーは反射的に身構えた。
「おまえ、まさか毒を……ッ!」
「ハハ、冗談ですよ。そんなことをするはずがないでしょう」
いきなり温和な笑顔に変わる天内。毒を飲まされていないと知り、ほっと胸を撫で下ろ
すシコルスキー。
「冗談はさておき、私は愛と闘争は対極なのではなく、表裏一体であると考えます。私の
戦力もこの考えに起因しているところが大きい。……これであなたの知りたいことへの答
えになったでしょうか?」
「ありがとう、ロシアの喧嘩が遅れてることがよく分かったよ」
互いに丁寧に頭を下げると、天内はボッシュの傍らに戻っていった。
ちょうど入れ違いに、ゲバルが話しかけてきた。
「ずいぶん熱心だったが、ミスター天内の話は参考になったか?」
「いやァ、いきなり天内に愛の告白を受けたんだ」
「え?」
「戦う時は相手を愛さなければいけないってことがよく分かった」
「そ、そうか……よかったな」
シコルスキーには馬の耳に念仏だったようだ。
一方、ホテル外は騒然としていた。
徳川ホテル周辺を固めていた機動隊がテロリスト部隊に突破され、今まさに東門に大軍
勢が迫りつつあった。
「あ、あれは……北沢軍団! 奴らも加わっていたのかッ!」
「いよいよ来よったか!」
監視カメラを通じてモニターに映し出された勇敢なる国家権力が敗走する姿に、青ざめ
る園田とときめく光成。
東門担当の警備が浮き足立つ中、似合わないタキシード姿で呑気に煙草を嗜む武術家。
柳龍光。
「ようやくお出ましか。ノンビリしたものだ」
「どっ、どうしましょう! 一度退却して応援を呼んだ方が……」
「ざっと一千人といったところか。つまらん相手だが、新技を試すには丁度いい素材だ」
「えぇっ、チョッ、あの……」
「君たちは下がって茶でも飲んでいたまえ」
柳は吸い殻を指で弾くと、朝の散歩のような足取りで大軍に近づいていく。
しけい荘対テロリスト、ついに開幕戦が火蓋を切った。
徳川ホテル周辺を固めていた機動隊がテロリスト部隊に突破され、今まさに東門に大軍
勢が迫りつつあった。
「あ、あれは……北沢軍団! 奴らも加わっていたのかッ!」
「いよいよ来よったか!」
監視カメラを通じてモニターに映し出された勇敢なる国家権力が敗走する姿に、青ざめ
る園田とときめく光成。
東門担当の警備が浮き足立つ中、似合わないタキシード姿で呑気に煙草を嗜む武術家。
柳龍光。
「ようやくお出ましか。ノンビリしたものだ」
「どっ、どうしましょう! 一度退却して応援を呼んだ方が……」
「ざっと一千人といったところか。つまらん相手だが、新技を試すには丁度いい素材だ」
「えぇっ、チョッ、あの……」
「君たちは下がって茶でも飲んでいたまえ」
柳は吸い殻を指で弾くと、朝の散歩のような足取りで大軍に近づいていく。
しけい荘対テロリスト、ついに開幕戦が火蓋を切った。