俺もお前も半生状態にされて落ちていくとこさ。馬鹿になる為に成長し、「何もするな」と教育される。
俺はドラッグが好きな訳じゃない。ドラッグが俺を好きなんだ。
第七話 『DOGVILLE』
放課後の銀成学園高校。生徒玄関からは一日の授業を終えた生徒達が次々に出てくる。
それら帰宅の途につく人の流れの中、校門前では柴田瑠架が携帯電話を片手に佇んでいた。
彼女の指が繰る携帯電話の液晶画面には――
それら帰宅の途につく人の流れの中、校門前では柴田瑠架が携帯電話を片手に佇んでいた。
彼女の指が繰る携帯電話の液晶画面には――
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――等の文字列が現れては消えていく。
外出先で暇な時に見るのは大抵2ちゃんねるの“ニュース速報+”だった。
常駐スレに携帯から書き込むのは嫌だし、アップされた画像もほとんどがサイズオーバーで表示されない。
それならば、見出しと1レス目だけで大体を把握出来て(その後に続く999レスに然したる価値は無い、
と彼女は考えていた)、テレビや新聞が報道しない世の流れも手軽に知る事が出来るニュー速+がちょっとした
暇潰しには一番相応しい、との結論に至ったのだ。
ニコニコモバイルから携帯電話でニコニコ動画を観られない事も無いのだが、画質や音質の悪さ、
それとボタン連打に辟易してしまい、すぐに利用しなくなってしまった。
外出先で暇な時に見るのは大抵2ちゃんねるの“ニュース速報+”だった。
常駐スレに携帯から書き込むのは嫌だし、アップされた画像もほとんどがサイズオーバーで表示されない。
それならば、見出しと1レス目だけで大体を把握出来て(その後に続く999レスに然したる価値は無い、
と彼女は考えていた)、テレビや新聞が報道しない世の流れも手軽に知る事が出来るニュー速+がちょっとした
暇潰しには一番相応しい、との結論に至ったのだ。
ニコニコモバイルから携帯電話でニコニコ動画を観られない事も無いのだが、画質や音質の悪さ、
それとボタン連打に辟易してしまい、すぐに利用しなくなってしまった。
ふと画面の右上に表示されている時刻をチェックすると、この場所で待ち始めてから約三十分が経過していた。
生徒玄関の方に眼を遣るも待ち人は来ず。
粗方のスレを見尽くしてしまい、今度はファイルシークからwikipedia巡りを始める。
自分の好きな事柄についてwikipediaで検索して、文章中のリンクを次々に辿っていく。
思いもよらない繋がりが楽しいし、時間も潰せる。これも外出時の携帯電話いじりの中ではお気に入りである。
生徒玄関の方に眼を遣るも待ち人は来ず。
粗方のスレを見尽くしてしまい、今度はファイルシークからwikipedia巡りを始める。
自分の好きな事柄についてwikipediaで検索して、文章中のリンクを次々に辿っていく。
思いもよらない繋がりが楽しいし、時間も潰せる。これも外出時の携帯電話いじりの中ではお気に入りである。
「おまたせー! ごめんね、遅くなっちゃって」
そんな声が掛かったのは、『最遊記シリーズ』の項目から声優巡りでも始めようか、と思案していた時だった。
顔を上げて振り返ると、いつの間にか“待ち人”は現れていた。しかも、息を切らせた満面の笑みで。
1年A組の同級生、武藤まひろ。
入学から一年が経過しようとする二月に、この高校で初めて作った友人だ。
瑠架はいそいそと携帯電話を仕舞い、自然と浮かんでしまう慣れない笑顔を持て余しながら答える。
「そ、そんなに待ってないから、大丈夫…… でも、何してたの……? 今日は掃除当番じゃないよね……?」
何の気無しに瑠架が尋ねたのと同時に、二人は並んで歩き始めた。
「あのね、東風谷さんと一緒に知得留先生のカレー菜園作りを手伝ってたの」
「東風谷さん……?」
実のところ、瑠架はクラスメイトの名前を九割方憶えていなかったし、憶えようともしていなかった。
最初から憶えるつもりなど無いのだ。それは小学校高学年時のクラス替えから変わっていない。
いつまでも口に手を当てたまま首を捻っている瑠架を不思議に思ったのか、まひろが付け足す。
「え? ほら、クラス委員で。ヘビさんとカエルさんの髪飾りをしてて。よく『常識に囚われてはいけません!』って」
脳裏に不鮮明な映像が浮かぶ。礼儀正しくて丁寧な言葉遣いだが、少し騒がしい少女だったような。
余程の特徴がある生徒ですら完全には憶えていない。いわんや自分と似た、目立たない性質のクラスメイトなどは
制服の静止画くらいしか頭に浮かばない。
それは、学校にいる間は数式や英単語にしか記憶力を使いたくない、と願い続けた結果だった。
しかし、そんな事をいちいち説明する程、瑠架は馬鹿ではない。当たり障り無く答えるのがベストと知っている。
「あ、ああ…… うん、思い出した……」
厳密な意味では“思い出した”という言葉は嘘になる。
ただ単に名前と脳内の情報が合致しただけであり、最初からその女子生徒を憶えていた訳ではないのだから。
そんな隣の友人の内心など知る由も無いまひろは、鞄を大きく振り、幸せそうに声を張り上げる。
顔を上げて振り返ると、いつの間にか“待ち人”は現れていた。しかも、息を切らせた満面の笑みで。
1年A組の同級生、武藤まひろ。
入学から一年が経過しようとする二月に、この高校で初めて作った友人だ。
瑠架はいそいそと携帯電話を仕舞い、自然と浮かんでしまう慣れない笑顔を持て余しながら答える。
「そ、そんなに待ってないから、大丈夫…… でも、何してたの……? 今日は掃除当番じゃないよね……?」
何の気無しに瑠架が尋ねたのと同時に、二人は並んで歩き始めた。
「あのね、東風谷さんと一緒に知得留先生のカレー菜園作りを手伝ってたの」
「東風谷さん……?」
実のところ、瑠架はクラスメイトの名前を九割方憶えていなかったし、憶えようともしていなかった。
最初から憶えるつもりなど無いのだ。それは小学校高学年時のクラス替えから変わっていない。
いつまでも口に手を当てたまま首を捻っている瑠架を不思議に思ったのか、まひろが付け足す。
「え? ほら、クラス委員で。ヘビさんとカエルさんの髪飾りをしてて。よく『常識に囚われてはいけません!』って」
脳裏に不鮮明な映像が浮かぶ。礼儀正しくて丁寧な言葉遣いだが、少し騒がしい少女だったような。
余程の特徴がある生徒ですら完全には憶えていない。いわんや自分と似た、目立たない性質のクラスメイトなどは
制服の静止画くらいしか頭に浮かばない。
それは、学校にいる間は数式や英単語にしか記憶力を使いたくない、と願い続けた結果だった。
しかし、そんな事をいちいち説明する程、瑠架は馬鹿ではない。当たり障り無く答えるのがベストと知っている。
「あ、ああ…… うん、思い出した……」
厳密な意味では“思い出した”という言葉は嘘になる。
ただ単に名前と脳内の情報が合致しただけであり、最初からその女子生徒を憶えていた訳ではないのだから。
そんな隣の友人の内心など知る由も無いまひろは、鞄を大きく振り、幸せそうに声を張り上げる。
「柴田さんのお家に行くの初めて! 楽しみだなー!」
子供っぽく浮かれるまひろに苦笑気味の瑠架であったが、やがてハッと眼を見張った。
眼の前の光景に、過去の記憶がオーバーラップしていく。
まただ。彼女と知り合ってから何度と無く経験させられた、この現象。
浮かび上がる過去の記憶とは――
眼の前の光景に、過去の記憶がオーバーラップしていく。
まただ。彼女と知り合ってから何度と無く経験させられた、この現象。
浮かび上がる過去の記憶とは――
それは、まだ少しは楽しかった小学校低中学年。いつも横にいた活発で友達思いな少女。
いろんな遊び場所に連れて行ってもらった。自分の知らない知識をたくさん知っていた。いじめられていた
ところを何度も助けてもらった。
どんな男の子よりも元気で、どんな女の子も敵わない愛らしさの、彼女。
いろんな遊び場所に連れて行ってもらった。自分の知らない知識をたくさん知っていた。いじめられていた
ところを何度も助けてもらった。
どんな男の子よりも元気で、どんな女の子も敵わない愛らしさの、彼女。
彼女が道を誤る事無く成長していれば、この友人のようになっていたのだろうか。
もしそうだったら、中学生時代はもっと楽しく、高校に入ってからも彼女とこの友人と三人で――
いつも繰り返してしまう詮無き思いは、バス停に到着してまひろに路線を尋ねられるまで続いた。
もしそうだったら、中学生時代はもっと楽しく、高校に入ってからも彼女とこの友人と三人で――
いつも繰り返してしまう詮無き思いは、バス停に到着してまひろに路線を尋ねられるまで続いた。
埼玉県、緑青町。
人口5024人の小さな小さな町。取り立てて観光名所も特産物も無い、只の住宅都市。
銀成市やさいたま市、もしくは東京都内へ通勤している者の住む住宅がほとんどの、所謂ベッドタウンである。
隣接する街は銀成市のみで、それ以外の方向は山や林に囲まれている。
そして、不幸な事にJRも私鉄も通っておらず、バスと自家用車のみが交通手段だ。それにも関わらず、
国道は一本のみ。バスも決して本数が多いとは言えない。
大半の住人の通勤先は銀成市で、さいたま市や東京都内に向かう者も一度銀成市を通過・経由しなければならない。
まさに“行き止まり”の町と言って良いだろう。
人口5024人の小さな小さな町。取り立てて観光名所も特産物も無い、只の住宅都市。
銀成市やさいたま市、もしくは東京都内へ通勤している者の住む住宅がほとんどの、所謂ベッドタウンである。
隣接する街は銀成市のみで、それ以外の方向は山や林に囲まれている。
そして、不幸な事にJRも私鉄も通っておらず、バスと自家用車のみが交通手段だ。それにも関わらず、
国道は一本のみ。バスも決して本数が多いとは言えない。
大半の住人の通勤先は銀成市で、さいたま市や東京都内に向かう者も一度銀成市を通過・経由しなければならない。
まさに“行き止まり”の町と言って良いだろう。
商業の面でも、充実しているとはお世辞にも言い難い。
昔からあるいくつかの個人商店の他はコンビニが二軒と、ショッピングモールですらない中規模の
スーパーマーケットが一軒。
家庭の食卓を賄うだけならばそれらだけでもあるいは充分かもしれないが、服飾・書籍・音楽・玩具・その他諸々の
二次的な生活関連物を手に入れようと思えば、やはり銀成市に出向く必要がある。
更には映画館を始めとした娯楽施設も存在しない。
上記の“ベッドタウン”という言葉も頷ける。本当に語源通りの“寝に帰る場所”だ。
昔からあるいくつかの個人商店の他はコンビニが二軒と、ショッピングモールですらない中規模の
スーパーマーケットが一軒。
家庭の食卓を賄うだけならばそれらだけでもあるいは充分かもしれないが、服飾・書籍・音楽・玩具・その他諸々の
二次的な生活関連物を手に入れようと思えば、やはり銀成市に出向く必要がある。
更には映画館を始めとした娯楽施設も存在しない。
上記の“ベッドタウン”という言葉も頷ける。本当に語源通りの“寝に帰る場所”だ。
人口や住人の平均年齢を考慮すればある程度は仕方の無い事なのかもしれないが、それでもこの状況では
学生等の若者や、延いては青年層の社会人に「この町にいるな」と言っているようなものである。
町のセールスポイントが安価な土地代や賃貸物件だけでは、住みたいと思う人間もなかなか増えない。
おそらく近い将来には銀成市との合併が待っているのだろうが、肝心の“交通機関の改善”や“企業の誘致”が
期待出来ない以上、当地区の活性化が促されるとは正直考えづらい。
学生等の若者や、延いては青年層の社会人に「この町にいるな」と言っているようなものである。
町のセールスポイントが安価な土地代や賃貸物件だけでは、住みたいと思う人間もなかなか増えない。
おそらく近い将来には銀成市との合併が待っているのだろうが、肝心の“交通機関の改善”や“企業の誘致”が
期待出来ない以上、当地区の活性化が促されるとは正直考えづらい。
さて、停車したバスから降り、緑青町の地に立ったまひろと瑠架の二人。
と書くといささか大袈裟なのだが、住人の瑠架はともかくとして、初めての土地に訪れたまひろにしてみれば
外国に来たようなものだ(あくまでも“まひろにしてみれば”なので誤解の無きよう)。
何の変哲も無い住宅地だというのに、まひろはまるで観光客のようにキョロキョロと周りの風景を見渡している。
彼女の反応を最大限好意的に解釈するならば、新しめの賃貸アパートや似たような建売の一軒家の中に
古めかしい旧家屋が点在している異質な風景に興味を惹かれる、といったところか。
「へぇ~、ここが柴田さんが住んでる町かぁ。いいところだねっ!」
「そ、そうかな…… ありがとう……」
何を以ってして“いいところ”なのかはわからないが、自分の生まれ育った町を褒められて悪い気はしない。
と書くといささか大袈裟なのだが、住人の瑠架はともかくとして、初めての土地に訪れたまひろにしてみれば
外国に来たようなものだ(あくまでも“まひろにしてみれば”なので誤解の無きよう)。
何の変哲も無い住宅地だというのに、まひろはまるで観光客のようにキョロキョロと周りの風景を見渡している。
彼女の反応を最大限好意的に解釈するならば、新しめの賃貸アパートや似たような建売の一軒家の中に
古めかしい旧家屋が点在している異質な風景に興味を惹かれる、といったところか。
「へぇ~、ここが柴田さんが住んでる町かぁ。いいところだねっ!」
「そ、そうかな…… ありがとう……」
何を以ってして“いいところ”なのかはわからないが、自分の生まれ育った町を褒められて悪い気はしない。
二人は瑠架の自宅へと歩き続けた。
町内を走るバスの路線はたった一本の為、バス停から離れた場所に住む者にとっては徒歩の時間も
通勤通学に大きく影響する。
瑠架の自宅はまさにその代表格である。家からバス停までの距離に要する時間は大体三十分弱と、
かなりの不便を感じるものだ。
延々と変化の無い風景が続く道を歩きつつ、まひろは飽きもせずにそれらを眺め続け、何か自分なりの
発見がある度に感想を述べる。
充分楽しそうに見えるのだが、瑠架としては性格上、どうしても気を遣ってしまう。
「い、いっぱい歩かせちゃってごめんね…… もうすぐ着くから……」
「へーきへーき! 初めての町だからいろんな発見があって面白いよ。あっ、猫さんだ。おーい!」
おそらく、それは本心なのだろう。理解はし難いが。
まひろの能天気な返事は、瑠架の忙しく押し寄せる不安な心を幾分和らがせてくれる。
町内を走るバスの路線はたった一本の為、バス停から離れた場所に住む者にとっては徒歩の時間も
通勤通学に大きく影響する。
瑠架の自宅はまさにその代表格である。家からバス停までの距離に要する時間は大体三十分弱と、
かなりの不便を感じるものだ。
延々と変化の無い風景が続く道を歩きつつ、まひろは飽きもせずにそれらを眺め続け、何か自分なりの
発見がある度に感想を述べる。
充分楽しそうに見えるのだが、瑠架としては性格上、どうしても気を遣ってしまう。
「い、いっぱい歩かせちゃってごめんね…… もうすぐ着くから……」
「へーきへーき! 初めての町だからいろんな発見があって面白いよ。あっ、猫さんだ。おーい!」
おそらく、それは本心なのだろう。理解はし難いが。
まひろの能天気な返事は、瑠架の忙しく押し寄せる不安な心を幾分和らがせてくれる。
そうこうしているうちに、ある一軒の古びた家の玄関先から不意に声が掛けられた。
「おや、瑠架ちゃん。おかえりなさい」
見ると、“木戸房江”と書かれた粗末な表札が掛かった玄関の前で、一人の老女がホウキを両手にこちらへ
微笑みかけていた。
老人特有の地味な装いではあるが、背中はシャンと伸び、決して田舎臭さを感じさせない涼やかな雰囲気がある。
どうやら瑠架の顔見知りのようだ。
見かけて気軽に声を掛けられるという事は、町民同士の近所付き合いも割と親密なのだろう。
住宅地と田舎町が混合したこの町ならではといったところか。
「あっ…… こんにちは、木戸さん……」
気づいた瑠架が慌てて頭を下げると、まひろもそれに倣い、大きな声の挨拶と共にお辞儀をする。
「こんにちは!」
今時の若者には珍しいしっかりとした挨拶を受け、房江は嬉しそうに眼を細める。
「おやおや、元気がいいねえ。お友達かい?」
「は、はい……」
もじもじと照れながら俯く瑠架の横で、まひろは挨拶の時より少し丁寧に自己紹介をする。
「はじめまして、武藤まひろです」
「はい、はじめまして。まひろちゃん、瑠架ちゃんと仲良くしてあげてね」
その言葉を聞くや、まひろは突如として隣の瑠架に抱きつき、笑顔で答えた。
「はーい! すっごく仲良しです!」
顔を真っ赤にしながら振りほどこうとする瑠架。
離すものかと抱きつく力を強めるまひろ。
ややズレ気味の仲良しっぷりに、房江は相好を崩す。
クラスメイトであれば、まひろのこういった奇行には“笑う(悪い意味で)”か“呆れる”か“眉をひそめる”
といったところだ。
しかし、そこは年の功。目の前の大分変わった女の子を、“子供らしくて良い”と受け止める度量がある。
「あははは、良かった良かった。 ……でも、遊ぶのはいいけど、あまり遅くなっちゃいけないよ。
最近はこの緑青町も物騒だからね」
「そうなんですか?」
まひろの言葉に頷いたのは房江だったが、それについての説明は同じく頷いている瑠架の口から為された。
「ここしばらく、立て続けに人が“いなくなる”の…… 中学生や高校生くらいの子が突然いなくなったり、
夜中のうちに一家全員が突然いなくなったり…… 町の大人や警察は、家出とか急な引越しだって思ってるけど……
でも……」
瑠架は不安げな表情を見せる。
この老女から“町の言い伝え”を聞き、多少アレンジを施して授業中に発表した彼女でも、
それが現実味を帯びてくると少しは怖くなるらしい。
「おや、瑠架ちゃん。おかえりなさい」
見ると、“木戸房江”と書かれた粗末な表札が掛かった玄関の前で、一人の老女がホウキを両手にこちらへ
微笑みかけていた。
老人特有の地味な装いではあるが、背中はシャンと伸び、決して田舎臭さを感じさせない涼やかな雰囲気がある。
どうやら瑠架の顔見知りのようだ。
見かけて気軽に声を掛けられるという事は、町民同士の近所付き合いも割と親密なのだろう。
住宅地と田舎町が混合したこの町ならではといったところか。
「あっ…… こんにちは、木戸さん……」
気づいた瑠架が慌てて頭を下げると、まひろもそれに倣い、大きな声の挨拶と共にお辞儀をする。
「こんにちは!」
今時の若者には珍しいしっかりとした挨拶を受け、房江は嬉しそうに眼を細める。
「おやおや、元気がいいねえ。お友達かい?」
「は、はい……」
もじもじと照れながら俯く瑠架の横で、まひろは挨拶の時より少し丁寧に自己紹介をする。
「はじめまして、武藤まひろです」
「はい、はじめまして。まひろちゃん、瑠架ちゃんと仲良くしてあげてね」
その言葉を聞くや、まひろは突如として隣の瑠架に抱きつき、笑顔で答えた。
「はーい! すっごく仲良しです!」
顔を真っ赤にしながら振りほどこうとする瑠架。
離すものかと抱きつく力を強めるまひろ。
ややズレ気味の仲良しっぷりに、房江は相好を崩す。
クラスメイトであれば、まひろのこういった奇行には“笑う(悪い意味で)”か“呆れる”か“眉をひそめる”
といったところだ。
しかし、そこは年の功。目の前の大分変わった女の子を、“子供らしくて良い”と受け止める度量がある。
「あははは、良かった良かった。 ……でも、遊ぶのはいいけど、あまり遅くなっちゃいけないよ。
最近はこの緑青町も物騒だからね」
「そうなんですか?」
まひろの言葉に頷いたのは房江だったが、それについての説明は同じく頷いている瑠架の口から為された。
「ここしばらく、立て続けに人が“いなくなる”の…… 中学生や高校生くらいの子が突然いなくなったり、
夜中のうちに一家全員が突然いなくなったり…… 町の大人や警察は、家出とか急な引越しだって思ってるけど……
でも……」
瑠架は不安げな表情を見せる。
この老女から“町の言い伝え”を聞き、多少アレンジを施して授業中に発表した彼女でも、
それが現実味を帯びてくると少しは怖くなるらしい。
「この町は呪われているんだよ……」
まひろと瑠架がギョッとする程の暗い声が傍から聞こえてきた。
声は勿論房江のものだが、同一人物とはまるで思えない。
さっきまでの朗らかな表情は影を潜め、死人のように無表情な顔貌で俯いている。視線は地面の辺りに
置かれているのだろうが、虚ろでまったく定まっていなかった。
“不気味”と言っても良いくらいの低音の、ゆっくりとした口調で言葉を続ける。
声は勿論房江のものだが、同一人物とはまるで思えない。
さっきまでの朗らかな表情は影を潜め、死人のように無表情な顔貌で俯いている。視線は地面の辺りに
置かれているのだろうが、虚ろでまったく定まっていなかった。
“不気味”と言っても良いくらいの低音の、ゆっくりとした口調で言葉を続ける。
「いや、町じゃない。この“土地”そのものが呪われてるんだ。呪いが悪霊を呼び、この土地の人間を喰らい、
喰われた人間もまた悪霊となって災いを起こす…… 三十年に、一度……」
喰われた人間もまた悪霊となって災いを起こす…… 三十年に、一度……」
「あの一家…… “兼正館”に引っ越してきた、“桐敷”とかいう一家…… あいつらが来てから
おかしな事ばかり起きる……」
おかしな事ばかり起きる……」
「今度はあいつらが悪霊を呼び寄せているんだよ…… いや、悪霊そのものだ……」
ついにはホウキを握る両手がブルブルと震え出し、言葉が終わっても半開きの口からはヨダレが垂れ落ちる。
どう見てもまともではない。異常者の振る舞いだ。
「木戸さん、私達そろそろ…… 行こう、武藤さん……」
瑠架は房江と眼を合わせないように頭を下げると、まひろの腕を掴んで促す。
「う、うん」
流石のまひろも房江の急激な変貌に薄ら寒さを覚え、余計な事も言わず瑠架に付き従った。
ある程度の距離を歩いてから二人が振り返ると、老女は尚も同じ姿勢のまま玄関先に立ち尽くしていた。
「ご、ごめんね…… 木戸さんのお婆ちゃん、いい人だけど少し変わってるから……」
「ううん、平気だよ。でも、あのお婆ちゃんが言ってた“兼正館”とか“桐敷さん”とかって……?」
瑠架は立ち止まると、宙空に人差し指を伸ばし、ある場所を指した。
どう見てもまともではない。異常者の振る舞いだ。
「木戸さん、私達そろそろ…… 行こう、武藤さん……」
瑠架は房江と眼を合わせないように頭を下げると、まひろの腕を掴んで促す。
「う、うん」
流石のまひろも房江の急激な変貌に薄ら寒さを覚え、余計な事も言わず瑠架に付き従った。
ある程度の距離を歩いてから二人が振り返ると、老女は尚も同じ姿勢のまま玄関先に立ち尽くしていた。
「ご、ごめんね…… 木戸さんのお婆ちゃん、いい人だけど少し変わってるから……」
「ううん、平気だよ。でも、あのお婆ちゃんが言ってた“兼正館”とか“桐敷さん”とかって……?」
瑠架は立ち止まると、宙空に人差し指を伸ばし、ある場所を指した。
「あれ…… あの洋館……」
彼女の指の向こうは草木が生い茂る小高い丘となっており、そこには木々の葉に覆い隠されるようにして
一軒の古めかしい洋館がひっそりと佇んでいた。
全体像は樹木のせいで少々見えづらいが、三階分の窓の数やワンフロアの高さから推して相当な大きさと窺える。
町の一番奥の、町で一番高い場所に建てられた洋館は、まるで緑青町全てを見下ろしているかのようだ。
まひろは元々丸くて大きな眼を更にまん丸くして洋館に見入り、感嘆の声を上げる。
「わっ、すごーい。立派なお屋敷だね」
「あれが“兼正館”…… 百年以上前からあの丘の上に建ってるんだけど、三ヶ月くらい前に“桐敷”って言う一家が
あそこに引っ越してきたの…… 旦那様と奥様とお嬢様と、それに使用人さんの四人……」
視線を兼正館の方へ向けたまま、瑠架は町の新たな住人について、更に詳しく語り続ける。
「奥様とお嬢様は“SLE”っていう難病なんだって…… 使用人の辰巳さんがご挨拶の時に話してた……
自分でもネットで調べてみたんだけど、正しくは“全身性エリテマトーデス”と言って、皮膚炎に関節炎、
あとは多臓器機能低下が主な症状の自己免疫疾患で、関節リウマチと同じ膠原病の一種なの……」
まひろの知らない、難しげな医学的な用語が瑠架の口から次々に飛び出してくる。
わざわざ会話の中に出てきた単語を憶えてまで、隣人の病気をインターネットで検索とは、ある意味
感心するべきなのかもしれない。
いくら娯楽の少ない町とはいえ、よくもまあ只の転居者にそれ程の興味を持てるものだ。
それとも、興味を持たせるだけの何かが“桐敷家”にはあるのか。
「それと光線過敏症もあるから、日光には当たれない身体なんだって…… だから夕方や夜にしか
外出できないみたい…… 私も二人にはまだ会った事が無いし…… 旦那様と辰巳さんはよく見かけるけどね……」
「そうなんだ、大変だね。何だかかわいそう……」
まひろの口調には、真剣みを含んだ同情の響きがあった。瞳は若干潤んでいるようでもある。
面識の無い、話の上での他者の不幸にさえ、心の底から“かわいそう”と思えるのは彼女の美点と言ってもいい。
しかし、一方の瑠架にはそういった感情はあまり見受けられない。
件の病気に関しても、“桐敷家そのもの”への興味から発生した知的好奇心の範囲を出ないのではないか。
その証拠に、“桐敷家の夫人と令嬢を襲った病魔”を語ったのと同じ口から、次のような言葉が飛び出した。
一軒の古めかしい洋館がひっそりと佇んでいた。
全体像は樹木のせいで少々見えづらいが、三階分の窓の数やワンフロアの高さから推して相当な大きさと窺える。
町の一番奥の、町で一番高い場所に建てられた洋館は、まるで緑青町全てを見下ろしているかのようだ。
まひろは元々丸くて大きな眼を更にまん丸くして洋館に見入り、感嘆の声を上げる。
「わっ、すごーい。立派なお屋敷だね」
「あれが“兼正館”…… 百年以上前からあの丘の上に建ってるんだけど、三ヶ月くらい前に“桐敷”って言う一家が
あそこに引っ越してきたの…… 旦那様と奥様とお嬢様と、それに使用人さんの四人……」
視線を兼正館の方へ向けたまま、瑠架は町の新たな住人について、更に詳しく語り続ける。
「奥様とお嬢様は“SLE”っていう難病なんだって…… 使用人の辰巳さんがご挨拶の時に話してた……
自分でもネットで調べてみたんだけど、正しくは“全身性エリテマトーデス”と言って、皮膚炎に関節炎、
あとは多臓器機能低下が主な症状の自己免疫疾患で、関節リウマチと同じ膠原病の一種なの……」
まひろの知らない、難しげな医学的な用語が瑠架の口から次々に飛び出してくる。
わざわざ会話の中に出てきた単語を憶えてまで、隣人の病気をインターネットで検索とは、ある意味
感心するべきなのかもしれない。
いくら娯楽の少ない町とはいえ、よくもまあ只の転居者にそれ程の興味を持てるものだ。
それとも、興味を持たせるだけの何かが“桐敷家”にはあるのか。
「それと光線過敏症もあるから、日光には当たれない身体なんだって…… だから夕方や夜にしか
外出できないみたい…… 私も二人にはまだ会った事が無いし…… 旦那様と辰巳さんはよく見かけるけどね……」
「そうなんだ、大変だね。何だかかわいそう……」
まひろの口調には、真剣みを含んだ同情の響きがあった。瞳は若干潤んでいるようでもある。
面識の無い、話の上での他者の不幸にさえ、心の底から“かわいそう”と思えるのは彼女の美点と言ってもいい。
しかし、一方の瑠架にはそういった感情はあまり見受けられない。
件の病気に関しても、“桐敷家そのもの”への興味から発生した知的好奇心の範囲を出ないのではないか。
その証拠に、“桐敷家の夫人と令嬢を襲った病魔”を語ったのと同じ口から、次のような言葉が飛び出した。
「夜中に突然引っ越してきて、あまり町の人と触れ合わないから、皆は『あやしい連中だ』とか
『お高くとまってる』とか悪口ばかり言うけど…… でも、私は……――」
『お高くとまってる』とか悪口ばかり言うけど…… でも、私は……――」
多くの羨望と少しの嫉妬に満ちた眼差しが兼正館を捉える。
「――羨ましいな…… あんなに立派なお屋敷に住んで、丘の上から私達を見下ろして…… 上流階級っていうか、
セレブっていうか、すごく憧れちゃう……」
セレブっていうか、すごく憧れちゃう……」