十九年前―――
レオンティウスは、泣いていた。
悲しくて、悔しくて、ただ泣いていた。
「母上…どうして?どうしてあの子たちはすてられたの!?ぼくのおとうとといもうとなのに!」
イサドラは、悲しげに俯いて首を振った。
「泣かないで、レオンティウス…どれだけ残酷な仕打ちだろうと、それが運命の女神の思召しならば、人はただそれ
に従う他はないのです」
「なんで…神様は、なんでそんなことをするの?」
イサドラは答えられない。ただ、静かに語る。
「…運命は残酷です。されど、彼女を恐れてはなりません。女神(ミラ)が戦わぬ者に微笑むことなど、決してない
のですから」
だから、レオンティウス。どんな苦難にも、勇敢に立ち向かいなさい。
「離れた者が再び繋がる時も、いつか訪れるでしょう―――きっと」
レオンティウスは、泣いていた。
悲しくて、悔しくて、ただ泣いていた。
「母上…どうして?どうしてあの子たちはすてられたの!?ぼくのおとうとといもうとなのに!」
イサドラは、悲しげに俯いて首を振った。
「泣かないで、レオンティウス…どれだけ残酷な仕打ちだろうと、それが運命の女神の思召しならば、人はただそれ
に従う他はないのです」
「なんで…神様は、なんでそんなことをするの?」
イサドラは答えられない。ただ、静かに語る。
「…運命は残酷です。されど、彼女を恐れてはなりません。女神(ミラ)が戦わぬ者に微笑むことなど、決してない
のですから」
だから、レオンティウス。どんな苦難にも、勇敢に立ち向かいなさい。
「離れた者が再び繋がる時も、いつか訪れるでしょう―――きっと」
―――予言の忌み仔として、双子の兄妹は産まれ、そして捨てられた。
親の庇護もなしに放り出された以上は生きていけるはずもない。
かくして忌み仔はこの世から消え去り。全てはこのまま終わるはずだった―――
親の庇護もなしに放り出された以上は生きていけるはずもない。
かくして忌み仔はこの世から消え去り。全てはこのまま終わるはずだった―――
「…ならば、それが私やミーシャと何の関係がある?その双子はもう死んだのだろう…それともなんだ?我らこそが
その捨てられた双子だというのか?」
エレフは苛立たしく吐き捨てた。
「バカめ!我が父はポリュデウケス、母はその妻デルフィナだ!」
「エレウセウス…」
「その名で呼ぶな!何の証拠があって、そのような世迷言を!」
「―――エレウセウス様。全て本当のことです」
そう言って歩み寄る男の姿に、エレフは目を見開いた。
「…まさか…カストル叔父さん?」
「お久しぶりです…最後にお会いしたのは、まだあなたが子供の頃でしたな」
「―――何なんですか、その喋り方は。あなたは、我が父の弟で、私の叔父上でしょう。何故そんな…」
「そう。あなたとアルテミシア様は我が兄上ポリュデウケスの仔…そういうことになった」
カストルは天を仰ぎ、遠い昔に想いを馳せて目を閉じた。
「そうとでもしなければ…あなた達は、本当に打ち捨てられるしかなかったのです…」
その捨てられた双子だというのか?」
エレフは苛立たしく吐き捨てた。
「バカめ!我が父はポリュデウケス、母はその妻デルフィナだ!」
「エレウセウス…」
「その名で呼ぶな!何の証拠があって、そのような世迷言を!」
「―――エレウセウス様。全て本当のことです」
そう言って歩み寄る男の姿に、エレフは目を見開いた。
「…まさか…カストル叔父さん?」
「お久しぶりです…最後にお会いしたのは、まだあなたが子供の頃でしたな」
「―――何なんですか、その喋り方は。あなたは、我が父の弟で、私の叔父上でしょう。何故そんな…」
「そう。あなたとアルテミシア様は我が兄上ポリュデウケスの仔…そういうことになった」
カストルは天を仰ぎ、遠い昔に想いを馳せて目を閉じた。
「そうとでもしなければ…あなた達は、本当に打ち捨てられるしかなかったのです…」
「―――後のことは頼んだぞ、カストル」
その腕に双子を抱き、ポリュデウケスはカストルに背を向けた。
「兄上…本当に、これでよろしいのですか」
カストルはやり切れなさそうに俯いていた。
「アルカディア一の英雄と呼ばれたあなたが、その若さで隠遁生活に入るなど…」
「カストル」
ポリュデウケスは弟に向けて笑いかけた。その顔には、後悔の色はまるでない。
「私は父としてこの子達を育て、守る―――そう誓ったのだ」
「…分かりました。もう何も言いますまい」
カストルは、静かに寝息を立てる子供達に語りかける。
「エレウセウス様。アルテミシア様。どうか…どうか、幸せに生きてくだされ…」
その腕に双子を抱き、ポリュデウケスはカストルに背を向けた。
「兄上…本当に、これでよろしいのですか」
カストルはやり切れなさそうに俯いていた。
「アルカディア一の英雄と呼ばれたあなたが、その若さで隠遁生活に入るなど…」
「カストル」
ポリュデウケスは弟に向けて笑いかけた。その顔には、後悔の色はまるでない。
「私は父としてこの子達を育て、守る―――そう誓ったのだ」
「…分かりました。もう何も言いますまい」
カストルは、静かに寝息を立てる子供達に語りかける。
「エレウセウス様。アルテミシア様。どうか…どうか、幸せに生きてくだされ…」
―――こうして、無情に命を落とす筈だった双子は、ポリュデウケスの元で育つことになった。
兄・エレウセウス。
妹・アルテミシア。
数奇な人生を送る二人の、それが始まりだった―――
兄・エレウセウス。
妹・アルテミシア。
数奇な人生を送る二人の、それが始まりだった―――
「―――嘘だッ!嘘だ嘘だ嘘だ―――みんな嘘っぱちだ!」
エレフは声を荒げ、イサドラとカストルに向けて剣を突き付ける。
「そんな出任せで剣を引かせようという魂胆だろう!それ以上下らんことを抜かすなら、女だろうと叔父上だろうと
容赦しない!貴様らから殺してやっても―――」
「もうやめて、エレフ!」
その声が、エレフの激昂を鎮めた。毒気を抜かれ、エレフはどこか呆けたような顔で振り返る。
彼の眼に映ったのは、大粒の涙を零すミーシャの姿だった。
「もうやめて…私はもう見たくない…そんなエレフ、見たくないよ…」
「ミーシャ…」
エレフの紫の瞳が、迷いを宿して揺れる。怒りと憎しみ。それに相反する愛と慈しみ。二つの天秤はどちらに傾くか
を決めかねていた。
重い静寂の中、レオンティウスが最初に言葉を発した。
「…カストル。母上とミーシャを連れて、少し下がっていてくれ」
「陛下…」
「彼と、話がしたい…」
三人が言葉通りに下がったのを見届け、レオンティウスとエレフ―――兄と弟は再び向い合う。
「アメジストス―――いや、エレウセウス」
「…………」
「何も、答えてはくれぬか…」
「何も、言うことなどない。私は貴様を殺すためにここにいるのだからな」
「そうか」
レオンティウスは、ただ寂しげに笑った。
「構わない…それでお前の気が済むならば、私の命など好きにすればよい」
「―――!」
「確かにお前が私の弟だという完全な証拠はない…だが、私には分かる。お前は確かに、我が兄弟だ」
「貴様…」
「私はどうしようもない兄だったよ。お前に、何もしてやれなかった」
だから、せめて。
「最期くらい、弟の我儘を叶えてやるさ―――私は、お前の兄だからな」
「くっ…黙れ!さっきから聞いていれば、つまらない戯言ばかり繰り返しおって!よかろう―――
ならば御望み通り、その首を落としてやる!」
剣を強く握りしめたその時、風を斬る音と共に何かが飛来する。それはエレフの手に突き刺さり、彼は呻きながら剣
を取り落とした。
「もうよせ―――エレフ」
カードをまるで手裏剣のように投擲した体勢のまま、海馬は静かにエレフを諌める。
「―――オレ達は勝ったのだ…ならばその男は殺さずとも、捕虜にでもすればいい。その解放と引き換えに、この場
にいる奴隷の独立を約束させる。それで決着だ…それでよかろう」
「海馬…」
「何があろうとも…兄弟で殺し合うな。それだけは、してはならん」
その言葉に、エレフは沈黙して顔を伏せる。再び誰かが口を開くまでの僅かな時間が、永遠にすら等しく永い。
「―――ぼくはね。別に何かをしたかったわけじゃなかったんだ」
エレフは不意に、子供のような口調で語り始めた。そのまま何気ない仕種で、剣を拾い上げる。
「ただ静かに、幸せに暮らしたかった…父さんと母さん、ミーシャと一緒に、いつまでもいたかった」
そう。それだけで、満たされていた。それだけで、幸せだった。
「それだけでよかったのに、お前達が奪ったんだ…家族も…幸せも…ささやかな未来さえも…」
エレフは微笑する。背筋が凍りつくような凄絶な笑顔だった。
「それなのに、また奪うのか―――お前達はぼくから…怒りと憎しみさえも奪うつもりか!」
その身から狂おしいほどの怒気が噴出する。剣を握る腕に、更なる力を与えた。
「奪わせない!これだけは誰にも渡さない!もうお前達には…何一つ奪わせるものかぁーーーーーっ!」
振り上げられた刃は、もはや止まらない。
彼自身をも破滅させるまで、止まらない―――
エレフは声を荒げ、イサドラとカストルに向けて剣を突き付ける。
「そんな出任せで剣を引かせようという魂胆だろう!それ以上下らんことを抜かすなら、女だろうと叔父上だろうと
容赦しない!貴様らから殺してやっても―――」
「もうやめて、エレフ!」
その声が、エレフの激昂を鎮めた。毒気を抜かれ、エレフはどこか呆けたような顔で振り返る。
彼の眼に映ったのは、大粒の涙を零すミーシャの姿だった。
「もうやめて…私はもう見たくない…そんなエレフ、見たくないよ…」
「ミーシャ…」
エレフの紫の瞳が、迷いを宿して揺れる。怒りと憎しみ。それに相反する愛と慈しみ。二つの天秤はどちらに傾くか
を決めかねていた。
重い静寂の中、レオンティウスが最初に言葉を発した。
「…カストル。母上とミーシャを連れて、少し下がっていてくれ」
「陛下…」
「彼と、話がしたい…」
三人が言葉通りに下がったのを見届け、レオンティウスとエレフ―――兄と弟は再び向い合う。
「アメジストス―――いや、エレウセウス」
「…………」
「何も、答えてはくれぬか…」
「何も、言うことなどない。私は貴様を殺すためにここにいるのだからな」
「そうか」
レオンティウスは、ただ寂しげに笑った。
「構わない…それでお前の気が済むならば、私の命など好きにすればよい」
「―――!」
「確かにお前が私の弟だという完全な証拠はない…だが、私には分かる。お前は確かに、我が兄弟だ」
「貴様…」
「私はどうしようもない兄だったよ。お前に、何もしてやれなかった」
だから、せめて。
「最期くらい、弟の我儘を叶えてやるさ―――私は、お前の兄だからな」
「くっ…黙れ!さっきから聞いていれば、つまらない戯言ばかり繰り返しおって!よかろう―――
ならば御望み通り、その首を落としてやる!」
剣を強く握りしめたその時、風を斬る音と共に何かが飛来する。それはエレフの手に突き刺さり、彼は呻きながら剣
を取り落とした。
「もうよせ―――エレフ」
カードをまるで手裏剣のように投擲した体勢のまま、海馬は静かにエレフを諌める。
「―――オレ達は勝ったのだ…ならばその男は殺さずとも、捕虜にでもすればいい。その解放と引き換えに、この場
にいる奴隷の独立を約束させる。それで決着だ…それでよかろう」
「海馬…」
「何があろうとも…兄弟で殺し合うな。それだけは、してはならん」
その言葉に、エレフは沈黙して顔を伏せる。再び誰かが口を開くまでの僅かな時間が、永遠にすら等しく永い。
「―――ぼくはね。別に何かをしたかったわけじゃなかったんだ」
エレフは不意に、子供のような口調で語り始めた。そのまま何気ない仕種で、剣を拾い上げる。
「ただ静かに、幸せに暮らしたかった…父さんと母さん、ミーシャと一緒に、いつまでもいたかった」
そう。それだけで、満たされていた。それだけで、幸せだった。
「それだけでよかったのに、お前達が奪ったんだ…家族も…幸せも…ささやかな未来さえも…」
エレフは微笑する。背筋が凍りつくような凄絶な笑顔だった。
「それなのに、また奪うのか―――お前達はぼくから…怒りと憎しみさえも奪うつもりか!」
その身から狂おしいほどの怒気が噴出する。剣を握る腕に、更なる力を与えた。
「奪わせない!これだけは誰にも渡さない!もうお前達には…何一つ奪わせるものかぁーーーーーっ!」
振り上げられた刃は、もはや止まらない。
彼自身をも破滅させるまで、止まらない―――
「おやめなさい!」
だから―――止まらなかった。
「イサドラ様!」
カストルの制止も無視して。
「お母様!」
ミーシャの声も振り切り。
「母上…!」
イサドラが大きく手を広げて、レオンティウスの前に飛び出してきても。
その刃は、止まらなかった。
「…あ…」
エレフは茫然と、血に染まった剣と自らの手を見つめ。
そして、地に崩れ落ちるイサドラの姿を見た。
その瞬間、気付いた。今になって、理解してしまった。理屈ではなく、本能で悟った。
彼女こそが―――自分の母であるという事実を。
「くっ…そこをどけ、エレフ!」
誰もが愕然とする中で真っ先に動いたのは海馬だった。エレフを押し退けながら、イサドラの元に駆け寄る。
「魔法カード発動―――<ホーリーエルフの祝福>!」
海馬の背後に召喚されたのは、聖なる力を持ったエルフ。彼女がその手を掲げた瞬間、イサドラの身体を癒しの光が
包み込む。
「海馬!」
闇遊戯、少し遅れてオリオンを背負った城之内も、海馬の後を追うように息を切らせながらその場に駆けつけた。
「城之内くん!回復系のカードはあるか!?オレ達も…」
「―――無駄だ」
海馬は無慈悲なほど静かに、事実だけを告げる。
「傷は塞がらんし、血も止まらん…完全に致命傷だ。もはや回復効果を受け付ける生命力自体が、この女に残されて
いないのだ…」
「何だと…おい!どうにかなんねえのかよ、海馬!」
海馬の肩を掴んで城之内が唾を飛ばすが、海馬はただ首を振った。
「何か手があるならとっくにやっている―――もうどうにもならん」
「そんな…お母様!」
ミーシャがイサドラの身体を抱き起こし、必死に呼びかける。
「…ミー…シャ…」
やっとのことでイサドラは言葉を発する。死相が色濃く表れたその顔に、ミーシャの涙が落ちた。
「泣かないで…おくれ…ミーシャ…」
「お母様ぁ…!」
「…ごめんね…もっとお話ししたかったけど…もう…時間がないわ…」
イサドラは苦しげに息を吐く。一呼吸ごとに、命の灯が消えていくように顔から精気が失われていく。
「カストル…皆のことを…お願いね…」
「イサドラ様…いけません!どうかお気を確かに!」
カストルは必死に言い募るが、彼も既に気付いていた。イサドラは最期の時を前にして、自分の想いを遺される者達
に伝えようとしているのだと。
「あなたたち…ミーシャと、エレウセウスのお友達…どうか、ずっと、仲良く…」
「イサドラさん…ダメだ、気をしっかり持て!」
闇遊戯の励ましにも、彼女はただ首を振った。
「報い…かしらね…あの日、子供達を捨ててしまった…最低の母親だもの…」
「確かにそうかもしれねえよ。だけどよ…死んじまったら、親子としてやり直すこともできねえだろうが!」
城之内は泣きそうになるのを堪えながら、イサドラに向けて喋り続ける。
「死ぬな…死ぬなよ、イサドラ様!あんたもエレフも、それにミーシャもまだ始まってもいねえだろ!もっともっと
生きて―――何すりゃいいとか、俺は頭わりいから分かんねえけど、とにかく何かやることあるだろ!」
オリオンもまた、自身の傷の痛みも忘れてそう叫んだ。
「…いい子ね。あなた達は、本当に…」
「クソババアが…!」
海馬は吐き捨てるように言った。
「そんなに子が大事なら、何故エレフ達を捨てた!貴様がその時に身を挺してでも庇っていれば、このような事には
なっていなかった!今さら母親面をして、さぞいい気分だろうさ―――クソッタレめ!」
「…あなたは、とても厳しい人ね…」
けれど、優しい人。イサドラはそう付け加えた。
「不器用なだけで…本当は暖かい人…優しいからこそ、私を赦すことができない…赦す方が、よほど残酷だから…」
「…………」
「レオンティウス…」
「母上…死なないでください!あなたがいなくなったら、私は…!」
「レオン…私はもうすぐ、あなたの世界から…消えてしまう…けど…どうか…何も恐れず…凛と往きなさい」
イサドラは、優しく微笑んだ。
「エレウセウスと…ミーシャ…兄弟力を合わせて…生きて…」
「母上…」
イサドラの手を握り、レオンティウスは恥も外聞もなく、ただ泣いた。
「エレウセウス…」
魂が抜けたように立ち尽くしていたエレフは、その声で我が返ったようにイサドラを見つめる。
「どうか聞いて…愚かな母の…最期の…願い…」
エレフは茫然と、血に染まった剣と自らの手を見つめ。
そして、地に崩れ落ちるイサドラの姿を見た。
その瞬間、気付いた。今になって、理解してしまった。理屈ではなく、本能で悟った。
彼女こそが―――自分の母であるという事実を。
「くっ…そこをどけ、エレフ!」
誰もが愕然とする中で真っ先に動いたのは海馬だった。エレフを押し退けながら、イサドラの元に駆け寄る。
「魔法カード発動―――<ホーリーエルフの祝福>!」
海馬の背後に召喚されたのは、聖なる力を持ったエルフ。彼女がその手を掲げた瞬間、イサドラの身体を癒しの光が
包み込む。
「海馬!」
闇遊戯、少し遅れてオリオンを背負った城之内も、海馬の後を追うように息を切らせながらその場に駆けつけた。
「城之内くん!回復系のカードはあるか!?オレ達も…」
「―――無駄だ」
海馬は無慈悲なほど静かに、事実だけを告げる。
「傷は塞がらんし、血も止まらん…完全に致命傷だ。もはや回復効果を受け付ける生命力自体が、この女に残されて
いないのだ…」
「何だと…おい!どうにかなんねえのかよ、海馬!」
海馬の肩を掴んで城之内が唾を飛ばすが、海馬はただ首を振った。
「何か手があるならとっくにやっている―――もうどうにもならん」
「そんな…お母様!」
ミーシャがイサドラの身体を抱き起こし、必死に呼びかける。
「…ミー…シャ…」
やっとのことでイサドラは言葉を発する。死相が色濃く表れたその顔に、ミーシャの涙が落ちた。
「泣かないで…おくれ…ミーシャ…」
「お母様ぁ…!」
「…ごめんね…もっとお話ししたかったけど…もう…時間がないわ…」
イサドラは苦しげに息を吐く。一呼吸ごとに、命の灯が消えていくように顔から精気が失われていく。
「カストル…皆のことを…お願いね…」
「イサドラ様…いけません!どうかお気を確かに!」
カストルは必死に言い募るが、彼も既に気付いていた。イサドラは最期の時を前にして、自分の想いを遺される者達
に伝えようとしているのだと。
「あなたたち…ミーシャと、エレウセウスのお友達…どうか、ずっと、仲良く…」
「イサドラさん…ダメだ、気をしっかり持て!」
闇遊戯の励ましにも、彼女はただ首を振った。
「報い…かしらね…あの日、子供達を捨ててしまった…最低の母親だもの…」
「確かにそうかもしれねえよ。だけどよ…死んじまったら、親子としてやり直すこともできねえだろうが!」
城之内は泣きそうになるのを堪えながら、イサドラに向けて喋り続ける。
「死ぬな…死ぬなよ、イサドラ様!あんたもエレフも、それにミーシャもまだ始まってもいねえだろ!もっともっと
生きて―――何すりゃいいとか、俺は頭わりいから分かんねえけど、とにかく何かやることあるだろ!」
オリオンもまた、自身の傷の痛みも忘れてそう叫んだ。
「…いい子ね。あなた達は、本当に…」
「クソババアが…!」
海馬は吐き捨てるように言った。
「そんなに子が大事なら、何故エレフ達を捨てた!貴様がその時に身を挺してでも庇っていれば、このような事には
なっていなかった!今さら母親面をして、さぞいい気分だろうさ―――クソッタレめ!」
「…あなたは、とても厳しい人ね…」
けれど、優しい人。イサドラはそう付け加えた。
「不器用なだけで…本当は暖かい人…優しいからこそ、私を赦すことができない…赦す方が、よほど残酷だから…」
「…………」
「レオンティウス…」
「母上…死なないでください!あなたがいなくなったら、私は…!」
「レオン…私はもうすぐ、あなたの世界から…消えてしまう…けど…どうか…何も恐れず…凛と往きなさい」
イサドラは、優しく微笑んだ。
「エレウセウスと…ミーシャ…兄弟力を合わせて…生きて…」
「母上…」
イサドラの手を握り、レオンティウスは恥も外聞もなく、ただ泣いた。
「エレウセウス…」
魂が抜けたように立ち尽くしていたエレフは、その声で我が返ったようにイサドラを見つめる。
「どうか聞いて…愚かな母の…最期の…願い…」
そして。
「あなたは…」
彼女は。
「しあわせに…おなりなさい…」
微笑んだままで逝く―――
「さよなら…私の可愛い…王子様…」
「うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!」
絶叫。
「ああああああああああああっ!」
形容しがたいほどの感情の渦が、エレフの心をずたずたに引き裂く。
「これが…こんなものが…」
こんなものが―――運命か。
「女神(ミラ)よ…これが…貴柱(あなた)の望んだ世界なのか!!!」
その場に突っ伏して、地面を引っ掻き回す。爪がバリバリと剥がれても、その痛みさえ感じない。
そして。エレフは聴いた。
絶叫。
「ああああああああああああっ!」
形容しがたいほどの感情の渦が、エレフの心をずたずたに引き裂く。
「これが…こんなものが…」
こんなものが―――運命か。
「女神(ミラ)よ…これが…貴柱(あなた)の望んだ世界なのか!!!」
その場に突っ伏して、地面を引っ掻き回す。爪がバリバリと剥がれても、その痛みさえ感じない。
そして。エレフは聴いた。
(可哀想ニ…悲シィカィ?苦シィカィ?痛ィカィ?)
あの声が、また。
(サァ、モゥィィダロゥ?ソンナニ必死ニ生キテキタォ前ヲ、母上(ミラ)ハァッサリト踏ミ躙ッタ―――)
だから、もう。
(コンナ世界ハ捨テヨゥ…ソシテ)
我ト一ツニ。双ツハ―――ヒトツニ。
(ああ、いいともさ)
くれてやるよ、こんな痛いだけの身体も、心も。
(この悲しみが…苦しみが…痛みがなくなるのならば)
もう、いいんだ。
声が笑った。
(冥府ヘヨゥコソ―――我ノ器ヨ)
そして―――
θは、解き放たれた。
θは、解き放たれた。
誰もがイサドラの遺骸に縋り付き、涙する中で。
―――その変化に最初に気付いたのは、闇遊戯だった。
「エレフ…?」
先程までの狂態が嘘のように、彼は落ち着き払った様子で静かに佇んでいた。
それが逆に、あまりにも不自然だった。
指先からは血が滴り落ちている。当然だ。十本の指は悉く爪が剥げ落ちているのだから。
爪を剥がす苦痛は大の男でも悲鳴を上げるほどだというのに、エレフは笑みすら浮かべているのだ。
(―――違う!こいつはエレフじゃない!)
「お前は誰だ…!」
思わず漏れた言葉に、城之内達もようやく異変に気付いた。
「エレフをどこにやったんだ…お前は何者だ!」
エレフ…否。エレフの姿をした何者かは体を動かさず、首だけを不気味に回して闇遊戯を見た。
―――その変化に最初に気付いたのは、闇遊戯だった。
「エレフ…?」
先程までの狂態が嘘のように、彼は落ち着き払った様子で静かに佇んでいた。
それが逆に、あまりにも不自然だった。
指先からは血が滴り落ちている。当然だ。十本の指は悉く爪が剥げ落ちているのだから。
爪を剥がす苦痛は大の男でも悲鳴を上げるほどだというのに、エレフは笑みすら浮かべているのだ。
(―――違う!こいつはエレフじゃない!)
「お前は誰だ…!」
思わず漏れた言葉に、城之内達もようやく異変に気付いた。
「エレフをどこにやったんだ…お前は何者だ!」
エレフ…否。エレフの姿をした何者かは体を動かさず、首だけを不気味に回して闇遊戯を見た。
「―――我ノコトカィ?名乗ル程ジャナィケレド、ソレモ失礼ナ話ダネ」
その声は、確かにエレフの声でありながら、何かが決定的に変わっていた。
形容し難いその<異質>―――そう。
彼はもはや、人間ですらなかった。
「我ハ冥府ノ王ニシテ、君達人間ガ死神ト呼ブ存在―――」
形容し難いその<異質>―――そう。
彼はもはや、人間ですらなかった。
「我ハ冥府ノ王ニシテ、君達人間ガ死神ト呼ブ存在―――」
「ソゥ―――我コソガθ(タナトス)」
そう―――彼こそが冥王。
「我コソガ―――死ダ」
そう―――彼こそが冥王。
「我コソガ―――死ダ」