流星、空を切り裂いて──。
などという詩美性の欠片もなく、博麗霊夢の小さな身体は猛スピードで地面に正面衝突した。
「いたた……」
もうもうと立ち込める土埃の中から、腰をさすり立ちあがる霊夢。
見ると、着地点が綺麗な半球上に抉れている。それはまるで、隕石が降ってきた痕のように。
逆Vの字軌跡を描いた急上昇・急降下の終わりのころにはすっかり恐怖心が麻痺していたはずだが、
そのペンペン草一本も生えない円形を目の当たりにすると、さすがに背筋に嫌な汗が垂れる。
「これで『いたた……』で済むってのもアレな話ね。あんたの能力なの、文」
と訊きながら、隣で密着してる烏天狗の少女を押しのける。
「もちろんそうですよ、霊夢さん。この射命丸文の『風を操る程度の能力』で気圧差のクッションを作って霊夢さんを保護したのです。
もっと感謝してくれてもいいんですよ?」
「するわけないでしょう。あんたのせいで私、この一刻で四回くらいは死を覚悟したんだから」
「しくしく……霊夢さんのつれない態度に私のハートはプリズンブレイク寸前です」
「意味わからんわ。ていうかいつまで私の腰を掴んでるのよ。離しなさい」
「霊夢さんの腰って細くて素敵ぃ。もっと触ってたいですぅ」
人差し指で腰回りをなぞられ、猛烈な悪寒が身体中を駆け巡ってついには体表から噴出する。
「きみのそういう冗談が嫌いだっ!」
「あややや。そんな怒らなくてもいいじゃないですか、霊夢大先生」
「あんたが言うと冗談に聞こえないのよ、このセクハラ記者。見てよこの鳥肌」
「烏に触られて鳥肌とはこれ如何に?」
「うるさい黙れしまいにゃ焼くわよ」
「うへ、焼かれるのは勘弁。申し訳ない霊夢さん。わっちが悪うござんした」
「……あんま謝ってるようには聞こえないんだけど」
「そんなことないですよ全然そんなことないですよ。もホント見てコレ見てこのしおらしい態度。
このうつむきつつの上目づかい、これこそ土下座したくても背中の羽が邪魔で出来ない烏天狗の悲しみです」
「はいはいはいはい、もういいわ」
「反省しろよ☆」
「お前だよ! 二度もやらすな! 天丼か!」
分かっていてもノリで最後までツッコんでしまう付き合いの良さが、霊夢は自分でも恨めしかった。
「あー、どっと疲れたわ」
精神的疲労で凝った肩をもみもみしようとする──と思ったら、
物理的に肩の凝る原因がそこにちょこんと乗っかっていることを思い出した。
「もういいか、霊夢。私は『平和主義のためのドットイート入門』の手引には興味がない」
そう言うのは、霊夢の肩にしがみつく一匹の狐だった。
しかし、それがただの狐でないことは一目で見て取れる。
人語を解するはもとより、その白い面(おもて)、金色(こんじき)の毛並み、九つに分かれた尾──。
『白面金毛九尾』の異名をとる、伝説級の妖狐に他ならない。
「あんたのギャグはシュールを通り越してハイブロウ過ぎるわ、藍。もっと漫才の勉強をしなさい。
──で、ここ、どこよ」
「最初に伝えただろう。妖怪の山だ。もう少し精度の高い言い方をするなら、その頂上にあたる」
妖狐──藍は身を一捩りするとたちまちに人の形を取り、二本の足で立って、怜悧な視線を霊夢に向けた。
「我が主上の思し召しにより、お前をここに連れてきたのだ。
光栄に思え。紫さまの式であるこの私が直々に迎えるという、通常ありえない礼をもってお前は遇されているのだから」
「式、ねえ。式神と言えば聞こえはいいけど、あんたは文字通りの『式』じゃない。
数式化した霊力を憑かせだけの、ただの数列(マトリクス)。
そんなもんを差し向けられて、なにを光栄に思えってのかしらね」
「いやいや霊夢さん、藍さんのことを『そんなもん』と言いますけど、考えてみると凄いことだと思いますよ。
白面の御方という格の高い妖怪の、その存在を上書きして使役なさってるのですから」
文の横からの注釈に、藍は我が意を得たとばかりに深く頷く。
「そうだ。紫さまの偉大さを素直に理解しているあたり、なかなかお前は見込みがある」
「えへへっ。弱い者には高圧的に、強い者には媚びへつらうのが天狗流ですから♪」
キラッ☆ってな感じでキメキメポーズのウィンクをかます文へ、半眼の霊夢の白けた呻き。
「なーに爽やかな顔して腹黒いこと言ってるのよ」
「こりゃ失敬。……ところで貴女のご主人さまはいずこに? 御尊顔を拝謁がてらぜひお世辞の一つでも申し上げなければ」
「我が主上がお見えになるのは、役者が揃ってからだ」
「なによ、私の他にも誰か呼び寄せたの?」
藍はそれには直接に答えず、黙ってある方向を指さした。
雨はすでにあがっており晴れやかな蒼穹が広がり、天と地の境目が明確に引かれた山の、その頂に坐する一つの小さな姿。
それは幼き少女の姿であり、二本の角を生やした鬼の姿であり、そしてべろんべろんになった酔いどれ天使の姿。
「萃香じゃないの! あんた、神社にも帰らないでどこほっつき歩いてたのよ?」
「んんぅ? ……あ、れいむぅ! ぐへへ、すいかちゃんはぁ、このたびぃ、てんかいにおひっこししましたぁ!
ただいまぁ、そのおひっこしいわいのまっさいちゅーなのれぇす」
「引っ越しってあんた、勝手に天界へ移り住めるもんなの?」
「んぁ、だいじょーぶだいじょぶ、てんしがいいっていったもぉん」
ぐふふのうへへ、とご機嫌で身体を上下に揺する萃香のお尻の下では、ボロ雑巾のようになった天子がべそをかいている。
「ううう……あんまりです……腕力にモノを言わせて居座ってるだけのなのに……こんなことお父さまにバレたら、わたくし叱られちゃう……」
「ご心配ありません天子さまこの衣玖がすでに御父君にチクッておきました」
いつの間に沸いたのか、紅い羽衣をひらひらと風にたなびかせる衣玖がしれっと告げる。
「な、なんで!? なんでそういうことするの!?」
「空気を読んだ結果だと衣玖は思います天子さま。
ドMの天子さまはこれくらい追い込まないと悦びを感じないとんだ変態天人だと衣玖は存じ上げております」
「ひどいわ、ひどいわよ衣玖! そんなこと言わないで、そんなこと言いわないでっ!」
首を小さく振っていやいやをする貴人の態度に、『空気を読む程度の能力』を持つ妖怪はしばしの黙考、
そして立て板に水を流すのごとく澱みないあまり逆に聞き取り辛い発言。
「大事なことなので二回言ったのですね分かりかねます然らば僭越ながら空気の読めるこの衣玖が
全身全霊全語彙全知識をもって天子さまを罵倒して忠誠心の証とさせていただきたく衣玖は思います」
「ああ、ダメぇっ……!」
なんか二人だけの世界に突入してる気持ち悪い雰囲気を遠巻きに見守る、その他一同。
「……頬を赤らめるのはともかく、目を潤ませるってのは流石に引くわ」
「これ、写真に取って私のトコの文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)に載せたら発行部数上がりますかね?」
「しかし待って欲しい。不良天人の爛れた実態など、誰も興味を示さないのではないか?」
「うはは、ほうちぷれい~。ぐびぐびぐびぐび……ぷはぁ。ういぃぃぃぃ」
「──む」
ふと、藍がキツネ耳をぴくりとさせて上空を仰ぐ。
「どうしました、藍さん」
文が訊くよりわずかに早く、「それ」は起こった。
なんの前触れもなく辺りが陰る。しかし風は吹いておらず、陽を遮るような雲はひとつもない。
さもあらん、何故ならこれこそが前触れであり、怪異は今から始まるのだから。
にわかに清浄な微風が流れ、瑞雲立ちこめて日を隠す。
おぉん、と地が鳴動し、天に反響して輻輳する。
空から形なき威圧が落ちてくる。その色は無く、匂いも無く、しかし重い。
「このプレッシャー……!」
「まさか、赤い彗星!?」
「違う(ネガティヴ)。『神降ろし』だ……守矢の二柱が降臨する」
厚く膨らむ瑞雲の切れ目から、神々しい光が射す。
その神光を背負い、一人の少女が天空に顕れる。
肩口の露出した奇妙な仕立ての巫女装束を身に纏い、若草色の髪には蛇を模った髪留め、そして蛙を模った髪飾り。
発する後光は二重の輪となり、それぞれ右と左に廻る。
右は乾、左は坤。すなわち天と地と、全と一と、無限と回帰と。
「『現人神』……東風谷早苗!」
水面に落ちる水のように、するりと真っ直ぐに降りる翠の巫女──早苗。
地面からちょうど五寸の宙にふわりと止まり、眠るように閉じていた眼をわずかに開ける。
その夢半ばのような眼差しは、ここではないどこかに意識を飛ばしているかのごとく。
物思いに耽るように首を微かに傾げ、真一文字に結んだ口を薄くほころばせ、痴れたような無心の笑み(アルカイク・スマイル)。
瑪瑙のように移ろい変わる後光の輝きはいよいよ激しさを増し、それが頂を極めた刹那、神の足音がごろごろと──雷鳴が轟く。
一瞬の金光、それに目を奪われた後に視えるものは──、
鳳、凰、尾長雉、五色鷹を侍らせ、雲の上にて結跏趺坐を組む蒼い髪(神)の少女──八坂神奈子。
咲き狂う蓮の香り、乱れ舞う花弁、葉の上に立ち、うてなを食む黄の髪(神)の少女──洩矢諏訪子。
「赤さんの釣り動画を作りたい!」
「ネウ×ササのBL同人読みたい!」
──これぞ神掛けた出落ちである。
「おいおいおい、なんだい? せっかく神が降りてきたのに何故皆ズッコけてるんだい? まったく不遜だねぇ」
「んふふぅ、違うよぉ神奈子ちゃん、みんなあたしたちのゴッドパワーに畏れをなして平伏してるんだよぉ」
「なるほど、そうなのかい。さすが諏訪子は慧眼だね」
「そうでしょぉ? もっと褒めてぇ」
すぱーん。
頭に怒りマークを浮かべる霊夢と、とりあえずそれに合わせてみた文のWツッコミ。
「な、なによぉ紅白巫女! 神の頭をはたくとはそれでも神に仕える者なのぉ!?」
「お生憎さま、私が祀ってるのはあんたらみたいな腐女神じゃないのよ」
「こら! 天狗の分際でなんてことするんだい! しかもマジでグーで殴っただろ!?」
「あややや、日頃から山でデカいツラされてる怨みがつい」
「な、なんだとう! お前たちには神を敬う気持ちがないのかい!? ああ、嘆かわしいねえ!!」
「祟っちゃうぞぉー!」
いきり立つ二柱の神の剣幕にたじろいだ文を背後に庇い、傍若無人の体現たる霊夢の突き放した言い草が叩きつけられる。
「俗ズレした神の癖に、崇めてもらおうってのがお門違いなのよ!
信仰を集めたかったらもっと身を清めなさい! 雲から落ちた神は神じゃないのよ! バーカ!」
「うぐ……」
「うわ、神に正論吐いてますわ。さすが霊夢さん、わたくしたちに出来ないことを平然とやってのけるっ」
「そこに痺れる憧れると衣玖は思います天子さま」
事もあろうに人間に面罵されるという屈辱に耐えきれず、二柱の神の肩がわなわなと震える。
「い、いい度胸してるじゃないか。賽銭箱すっからかんの貧乏巫女が……」
「ぐうぅ……しかも最後に馬鹿って言ったなぁ……」
「なによ、だったらなんだっての? 信仰の無い神が怒ったところでなんにも怖くないわ」
「その言葉、後悔するんじゃないよ……神の怖ろしさ、味あわせてやる!」
怒りに燃える神がひらりと舞い、
「うわーん、早苗ー!」
「助けてさなえー!」
ぴょんと早苗のところへ飛んで行った。それでいいのか?
未だ無我の瞑想状態にある早苗をがくがく揺さ振り、強制的に現世に意識を呼び戻す。
実際に降神や降霊の儀式を執り行う場合、こうした行為は非常に危険なので良い子は絶対に真似しないように!
「ん……?」
半眼からぱっちりと目を見開いた早苗は、まず胸元にむしゃぶりつく神二柱に気づく。
「早苗ぇー! また博麗神社の貧乏巫女にイジめられたよぉー!」
「洩矢さま……?」
「しかも天狗が私の頭をドツいたんだ! 下賤な妖怪のくせに!」
「八坂さま……」
「早苗、あたし悔しいよぉ!」
「早苗の『奇跡を起こす程度の能力』であいつら懲らしめてやってくれないか!」
早苗はやおら顔をあげ、霊夢を見る。
じいいいいぃぃぃぃ、と粘っこい視線が霊夢に注ぐ。
その瞳にこもったある種の異様な雰囲気に、さすがの霊夢も後ずさった。
「そうですか、悲しいですね……八坂さま……洩矢さま……」
菩薩のような微笑みで神の頭を優しくなでなでする早苗。
「つーかぁ……」
ぴたりと手が止まった。
「人間に頼んな!」
守矢神社の風祝(かぜはふり)である早苗の家系に伝わる秘術が炸裂し、神はぶっ飛びあそばされた。
「へぶっ!」
「ぴゃっ!」
威厳ごとすっ飛んでいった神になど目もくれず、早苗は霊夢へ駆け寄る。
「お姉さまーっ!」
「うげ」
あからさまに嫌な顔をする霊夢へ、早苗のボディタックル紛いの抱きつき。
「お久しぶりです! 本当はもっと毎日お姉さまと遊びたいんですけど、洩矢さまと八坂さまの世話で忙しくて」
「ちょっと、顔近いから。それに私、貴女のお姉さんじゃないし」
「いいえ、私とお姉さまは魂で繋がった姉妹です!」
「変な声を出してすがりつかないで。あと、私の喉にあんたの息がかかってこそばゆいのよ。こら、そんなに身体をくっつけるんじゃない!」
「いいじゃないですか、女の子同士なんだから」
「あんたのそういう言い草の裏にはなんか桃色の感情が見え隠れしてんのよ!」
「気のせいですよっ」
「気のせいなもんですか! とにかく離れてよ! ほら、神奈子と諏訪子がめっちゃ見てる!
あれ、あんたんとこでお祀りしてる大事な神でしょーがっ」
嫉み嫉みの混じったジト目が背中に痛く、霊夢はなんとか早苗を引きはがそうとするも、
がっちり背中に回された早苗の腕は一向に外れる気配がない。ホントにない。
しかも神々をチラ見するや、つーんってソッポ向きやがった。
「あ、そうだ聞いてくださいよお姉さま! 八坂さまと洩矢さま、また悪巧みしようとしてるんです!
衣玖さんの操る雷を利用して、快適なオタクライフを幻想郷に興そうとしてるんですよ!」
「ああっ! 密告してるよ神奈子ちゃん! 早苗が友達を裏切って先生にチクる生徒のように霊夢に密告してポイントを稼いでる!」
「なんてことだ! 信仰が死んでしまった! こうなったらもう、世界を核の炎に包むしかない!」
「ちょっと! あの神ども、なんか物騒なこと言ってるわよ!?」
「あらお姉さま、この幻想郷では常識に捉われてはいけないのですよ。世紀末でもなんでも来いってなもんです!」
「ああ、もういいから離れなさい! つーか文! あんたさっきからカメラのフラッシュ眩しいのよ!
激写してる暇があったら助けなさいよ!」
「それはできない相談ですよ霊夢さん。こんな美味しいネタを見逃したら天狗の名折れ! レッツ・パパラッチ!
あーほらほら藍さん、貴女も手伝ってください。写真は何枚あっても足りませんからね。リロード時間が惜しいんです」
「むう……このポッチを押せばいいのか? 魂は抜けないのか?」
「ら、藍! あんたまでっ!? なに考えてんのよ!」
「霊夢、この烏天狗は見込みがあるぞ。カメラを操る程度の能力を持っているのも、実にハイカラだ」
「そんなことは聞いてないって!」
──そんな騒ぎを肴とし、瓢箪から湧く酒をぐびぐび呑む萃香は今日もへべれけ絶好調だった。
「あー、おしゃけうめぇ」
などという詩美性の欠片もなく、博麗霊夢の小さな身体は猛スピードで地面に正面衝突した。
「いたた……」
もうもうと立ち込める土埃の中から、腰をさすり立ちあがる霊夢。
見ると、着地点が綺麗な半球上に抉れている。それはまるで、隕石が降ってきた痕のように。
逆Vの字軌跡を描いた急上昇・急降下の終わりのころにはすっかり恐怖心が麻痺していたはずだが、
そのペンペン草一本も生えない円形を目の当たりにすると、さすがに背筋に嫌な汗が垂れる。
「これで『いたた……』で済むってのもアレな話ね。あんたの能力なの、文」
と訊きながら、隣で密着してる烏天狗の少女を押しのける。
「もちろんそうですよ、霊夢さん。この射命丸文の『風を操る程度の能力』で気圧差のクッションを作って霊夢さんを保護したのです。
もっと感謝してくれてもいいんですよ?」
「するわけないでしょう。あんたのせいで私、この一刻で四回くらいは死を覚悟したんだから」
「しくしく……霊夢さんのつれない態度に私のハートはプリズンブレイク寸前です」
「意味わからんわ。ていうかいつまで私の腰を掴んでるのよ。離しなさい」
「霊夢さんの腰って細くて素敵ぃ。もっと触ってたいですぅ」
人差し指で腰回りをなぞられ、猛烈な悪寒が身体中を駆け巡ってついには体表から噴出する。
「きみのそういう冗談が嫌いだっ!」
「あややや。そんな怒らなくてもいいじゃないですか、霊夢大先生」
「あんたが言うと冗談に聞こえないのよ、このセクハラ記者。見てよこの鳥肌」
「烏に触られて鳥肌とはこれ如何に?」
「うるさい黙れしまいにゃ焼くわよ」
「うへ、焼かれるのは勘弁。申し訳ない霊夢さん。わっちが悪うござんした」
「……あんま謝ってるようには聞こえないんだけど」
「そんなことないですよ全然そんなことないですよ。もホント見てコレ見てこのしおらしい態度。
このうつむきつつの上目づかい、これこそ土下座したくても背中の羽が邪魔で出来ない烏天狗の悲しみです」
「はいはいはいはい、もういいわ」
「反省しろよ☆」
「お前だよ! 二度もやらすな! 天丼か!」
分かっていてもノリで最後までツッコんでしまう付き合いの良さが、霊夢は自分でも恨めしかった。
「あー、どっと疲れたわ」
精神的疲労で凝った肩をもみもみしようとする──と思ったら、
物理的に肩の凝る原因がそこにちょこんと乗っかっていることを思い出した。
「もういいか、霊夢。私は『平和主義のためのドットイート入門』の手引には興味がない」
そう言うのは、霊夢の肩にしがみつく一匹の狐だった。
しかし、それがただの狐でないことは一目で見て取れる。
人語を解するはもとより、その白い面(おもて)、金色(こんじき)の毛並み、九つに分かれた尾──。
『白面金毛九尾』の異名をとる、伝説級の妖狐に他ならない。
「あんたのギャグはシュールを通り越してハイブロウ過ぎるわ、藍。もっと漫才の勉強をしなさい。
──で、ここ、どこよ」
「最初に伝えただろう。妖怪の山だ。もう少し精度の高い言い方をするなら、その頂上にあたる」
妖狐──藍は身を一捩りするとたちまちに人の形を取り、二本の足で立って、怜悧な視線を霊夢に向けた。
「我が主上の思し召しにより、お前をここに連れてきたのだ。
光栄に思え。紫さまの式であるこの私が直々に迎えるという、通常ありえない礼をもってお前は遇されているのだから」
「式、ねえ。式神と言えば聞こえはいいけど、あんたは文字通りの『式』じゃない。
数式化した霊力を憑かせだけの、ただの数列(マトリクス)。
そんなもんを差し向けられて、なにを光栄に思えってのかしらね」
「いやいや霊夢さん、藍さんのことを『そんなもん』と言いますけど、考えてみると凄いことだと思いますよ。
白面の御方という格の高い妖怪の、その存在を上書きして使役なさってるのですから」
文の横からの注釈に、藍は我が意を得たとばかりに深く頷く。
「そうだ。紫さまの偉大さを素直に理解しているあたり、なかなかお前は見込みがある」
「えへへっ。弱い者には高圧的に、強い者には媚びへつらうのが天狗流ですから♪」
キラッ☆ってな感じでキメキメポーズのウィンクをかます文へ、半眼の霊夢の白けた呻き。
「なーに爽やかな顔して腹黒いこと言ってるのよ」
「こりゃ失敬。……ところで貴女のご主人さまはいずこに? 御尊顔を拝謁がてらぜひお世辞の一つでも申し上げなければ」
「我が主上がお見えになるのは、役者が揃ってからだ」
「なによ、私の他にも誰か呼び寄せたの?」
藍はそれには直接に答えず、黙ってある方向を指さした。
雨はすでにあがっており晴れやかな蒼穹が広がり、天と地の境目が明確に引かれた山の、その頂に坐する一つの小さな姿。
それは幼き少女の姿であり、二本の角を生やした鬼の姿であり、そしてべろんべろんになった酔いどれ天使の姿。
「萃香じゃないの! あんた、神社にも帰らないでどこほっつき歩いてたのよ?」
「んんぅ? ……あ、れいむぅ! ぐへへ、すいかちゃんはぁ、このたびぃ、てんかいにおひっこししましたぁ!
ただいまぁ、そのおひっこしいわいのまっさいちゅーなのれぇす」
「引っ越しってあんた、勝手に天界へ移り住めるもんなの?」
「んぁ、だいじょーぶだいじょぶ、てんしがいいっていったもぉん」
ぐふふのうへへ、とご機嫌で身体を上下に揺する萃香のお尻の下では、ボロ雑巾のようになった天子がべそをかいている。
「ううう……あんまりです……腕力にモノを言わせて居座ってるだけのなのに……こんなことお父さまにバレたら、わたくし叱られちゃう……」
「ご心配ありません天子さまこの衣玖がすでに御父君にチクッておきました」
いつの間に沸いたのか、紅い羽衣をひらひらと風にたなびかせる衣玖がしれっと告げる。
「な、なんで!? なんでそういうことするの!?」
「空気を読んだ結果だと衣玖は思います天子さま。
ドMの天子さまはこれくらい追い込まないと悦びを感じないとんだ変態天人だと衣玖は存じ上げております」
「ひどいわ、ひどいわよ衣玖! そんなこと言わないで、そんなこと言いわないでっ!」
首を小さく振っていやいやをする貴人の態度に、『空気を読む程度の能力』を持つ妖怪はしばしの黙考、
そして立て板に水を流すのごとく澱みないあまり逆に聞き取り辛い発言。
「大事なことなので二回言ったのですね分かりかねます然らば僭越ながら空気の読めるこの衣玖が
全身全霊全語彙全知識をもって天子さまを罵倒して忠誠心の証とさせていただきたく衣玖は思います」
「ああ、ダメぇっ……!」
なんか二人だけの世界に突入してる気持ち悪い雰囲気を遠巻きに見守る、その他一同。
「……頬を赤らめるのはともかく、目を潤ませるってのは流石に引くわ」
「これ、写真に取って私のトコの文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)に載せたら発行部数上がりますかね?」
「しかし待って欲しい。不良天人の爛れた実態など、誰も興味を示さないのではないか?」
「うはは、ほうちぷれい~。ぐびぐびぐびぐび……ぷはぁ。ういぃぃぃぃ」
「──む」
ふと、藍がキツネ耳をぴくりとさせて上空を仰ぐ。
「どうしました、藍さん」
文が訊くよりわずかに早く、「それ」は起こった。
なんの前触れもなく辺りが陰る。しかし風は吹いておらず、陽を遮るような雲はひとつもない。
さもあらん、何故ならこれこそが前触れであり、怪異は今から始まるのだから。
にわかに清浄な微風が流れ、瑞雲立ちこめて日を隠す。
おぉん、と地が鳴動し、天に反響して輻輳する。
空から形なき威圧が落ちてくる。その色は無く、匂いも無く、しかし重い。
「このプレッシャー……!」
「まさか、赤い彗星!?」
「違う(ネガティヴ)。『神降ろし』だ……守矢の二柱が降臨する」
厚く膨らむ瑞雲の切れ目から、神々しい光が射す。
その神光を背負い、一人の少女が天空に顕れる。
肩口の露出した奇妙な仕立ての巫女装束を身に纏い、若草色の髪には蛇を模った髪留め、そして蛙を模った髪飾り。
発する後光は二重の輪となり、それぞれ右と左に廻る。
右は乾、左は坤。すなわち天と地と、全と一と、無限と回帰と。
「『現人神』……東風谷早苗!」
水面に落ちる水のように、するりと真っ直ぐに降りる翠の巫女──早苗。
地面からちょうど五寸の宙にふわりと止まり、眠るように閉じていた眼をわずかに開ける。
その夢半ばのような眼差しは、ここではないどこかに意識を飛ばしているかのごとく。
物思いに耽るように首を微かに傾げ、真一文字に結んだ口を薄くほころばせ、痴れたような無心の笑み(アルカイク・スマイル)。
瑪瑙のように移ろい変わる後光の輝きはいよいよ激しさを増し、それが頂を極めた刹那、神の足音がごろごろと──雷鳴が轟く。
一瞬の金光、それに目を奪われた後に視えるものは──、
鳳、凰、尾長雉、五色鷹を侍らせ、雲の上にて結跏趺坐を組む蒼い髪(神)の少女──八坂神奈子。
咲き狂う蓮の香り、乱れ舞う花弁、葉の上に立ち、うてなを食む黄の髪(神)の少女──洩矢諏訪子。
「赤さんの釣り動画を作りたい!」
「ネウ×ササのBL同人読みたい!」
──これぞ神掛けた出落ちである。
「おいおいおい、なんだい? せっかく神が降りてきたのに何故皆ズッコけてるんだい? まったく不遜だねぇ」
「んふふぅ、違うよぉ神奈子ちゃん、みんなあたしたちのゴッドパワーに畏れをなして平伏してるんだよぉ」
「なるほど、そうなのかい。さすが諏訪子は慧眼だね」
「そうでしょぉ? もっと褒めてぇ」
すぱーん。
頭に怒りマークを浮かべる霊夢と、とりあえずそれに合わせてみた文のWツッコミ。
「な、なによぉ紅白巫女! 神の頭をはたくとはそれでも神に仕える者なのぉ!?」
「お生憎さま、私が祀ってるのはあんたらみたいな腐女神じゃないのよ」
「こら! 天狗の分際でなんてことするんだい! しかもマジでグーで殴っただろ!?」
「あややや、日頃から山でデカいツラされてる怨みがつい」
「な、なんだとう! お前たちには神を敬う気持ちがないのかい!? ああ、嘆かわしいねえ!!」
「祟っちゃうぞぉー!」
いきり立つ二柱の神の剣幕にたじろいだ文を背後に庇い、傍若無人の体現たる霊夢の突き放した言い草が叩きつけられる。
「俗ズレした神の癖に、崇めてもらおうってのがお門違いなのよ!
信仰を集めたかったらもっと身を清めなさい! 雲から落ちた神は神じゃないのよ! バーカ!」
「うぐ……」
「うわ、神に正論吐いてますわ。さすが霊夢さん、わたくしたちに出来ないことを平然とやってのけるっ」
「そこに痺れる憧れると衣玖は思います天子さま」
事もあろうに人間に面罵されるという屈辱に耐えきれず、二柱の神の肩がわなわなと震える。
「い、いい度胸してるじゃないか。賽銭箱すっからかんの貧乏巫女が……」
「ぐうぅ……しかも最後に馬鹿って言ったなぁ……」
「なによ、だったらなんだっての? 信仰の無い神が怒ったところでなんにも怖くないわ」
「その言葉、後悔するんじゃないよ……神の怖ろしさ、味あわせてやる!」
怒りに燃える神がひらりと舞い、
「うわーん、早苗ー!」
「助けてさなえー!」
ぴょんと早苗のところへ飛んで行った。それでいいのか?
未だ無我の瞑想状態にある早苗をがくがく揺さ振り、強制的に現世に意識を呼び戻す。
実際に降神や降霊の儀式を執り行う場合、こうした行為は非常に危険なので良い子は絶対に真似しないように!
「ん……?」
半眼からぱっちりと目を見開いた早苗は、まず胸元にむしゃぶりつく神二柱に気づく。
「早苗ぇー! また博麗神社の貧乏巫女にイジめられたよぉー!」
「洩矢さま……?」
「しかも天狗が私の頭をドツいたんだ! 下賤な妖怪のくせに!」
「八坂さま……」
「早苗、あたし悔しいよぉ!」
「早苗の『奇跡を起こす程度の能力』であいつら懲らしめてやってくれないか!」
早苗はやおら顔をあげ、霊夢を見る。
じいいいいぃぃぃぃ、と粘っこい視線が霊夢に注ぐ。
その瞳にこもったある種の異様な雰囲気に、さすがの霊夢も後ずさった。
「そうですか、悲しいですね……八坂さま……洩矢さま……」
菩薩のような微笑みで神の頭を優しくなでなでする早苗。
「つーかぁ……」
ぴたりと手が止まった。
「人間に頼んな!」
守矢神社の風祝(かぜはふり)である早苗の家系に伝わる秘術が炸裂し、神はぶっ飛びあそばされた。
「へぶっ!」
「ぴゃっ!」
威厳ごとすっ飛んでいった神になど目もくれず、早苗は霊夢へ駆け寄る。
「お姉さまーっ!」
「うげ」
あからさまに嫌な顔をする霊夢へ、早苗のボディタックル紛いの抱きつき。
「お久しぶりです! 本当はもっと毎日お姉さまと遊びたいんですけど、洩矢さまと八坂さまの世話で忙しくて」
「ちょっと、顔近いから。それに私、貴女のお姉さんじゃないし」
「いいえ、私とお姉さまは魂で繋がった姉妹です!」
「変な声を出してすがりつかないで。あと、私の喉にあんたの息がかかってこそばゆいのよ。こら、そんなに身体をくっつけるんじゃない!」
「いいじゃないですか、女の子同士なんだから」
「あんたのそういう言い草の裏にはなんか桃色の感情が見え隠れしてんのよ!」
「気のせいですよっ」
「気のせいなもんですか! とにかく離れてよ! ほら、神奈子と諏訪子がめっちゃ見てる!
あれ、あんたんとこでお祀りしてる大事な神でしょーがっ」
嫉み嫉みの混じったジト目が背中に痛く、霊夢はなんとか早苗を引きはがそうとするも、
がっちり背中に回された早苗の腕は一向に外れる気配がない。ホントにない。
しかも神々をチラ見するや、つーんってソッポ向きやがった。
「あ、そうだ聞いてくださいよお姉さま! 八坂さまと洩矢さま、また悪巧みしようとしてるんです!
衣玖さんの操る雷を利用して、快適なオタクライフを幻想郷に興そうとしてるんですよ!」
「ああっ! 密告してるよ神奈子ちゃん! 早苗が友達を裏切って先生にチクる生徒のように霊夢に密告してポイントを稼いでる!」
「なんてことだ! 信仰が死んでしまった! こうなったらもう、世界を核の炎に包むしかない!」
「ちょっと! あの神ども、なんか物騒なこと言ってるわよ!?」
「あらお姉さま、この幻想郷では常識に捉われてはいけないのですよ。世紀末でもなんでも来いってなもんです!」
「ああ、もういいから離れなさい! つーか文! あんたさっきからカメラのフラッシュ眩しいのよ!
激写してる暇があったら助けなさいよ!」
「それはできない相談ですよ霊夢さん。こんな美味しいネタを見逃したら天狗の名折れ! レッツ・パパラッチ!
あーほらほら藍さん、貴女も手伝ってください。写真は何枚あっても足りませんからね。リロード時間が惜しいんです」
「むう……このポッチを押せばいいのか? 魂は抜けないのか?」
「ら、藍! あんたまでっ!? なに考えてんのよ!」
「霊夢、この烏天狗は見込みがあるぞ。カメラを操る程度の能力を持っているのも、実にハイカラだ」
「そんなことは聞いてないって!」
──そんな騒ぎを肴とし、瓢箪から湧く酒をぐびぐび呑む萃香は今日もへべれけ絶好調だった。
「あー、おしゃけうめぇ」
しばらくたってもまだぎゃーぎゃーやってる一同の、その渦中ど真ん中の霊夢の懐から、一匹の黒猫が這い出た。
すたっと地面に降り、鼻をひくひくさせて嬉しそうににゃーんと一鳴きする。
いい加減でうんざりしてた霊夢がそれにいち早く気づき、声をかける。
「……どうしたの、燐。ここらへんにはあんたの好きな死体はどこにもないわよ。
作れっていうなら、やぶさかでもないけど?」
ぎろり、と周囲を睥睨しつつ、ドスの効いた声でうそぶく。
しかし燐は霊夢に構うことなくすたすた歩きまわり、また嬉しそうに息を嗅いで鳴く。
次いで反応したのは、『空気を読む程度の能力』の持ち主である、リュウグウノツカイの妖怪、永江衣玖だった。
「ご一同さまこれは死臭にございます」
「どういうことなの、衣玖」
「貴女さまは実に質問するしか能のないゲス野郎にあらせられますね天子さま。死臭が漂うのならば答は一つ」
らき☆すたのキャラソンCDのジャケットイラストみたいにビシッと天を指す、無駄にカッコよくて時代遅れのポーズ。
「死体がやってくるのだと衣玖は思います」
──急に気温が下がり、霜が降りた。
「まさか……『幽雅な心霊写真』、白玉楼の亡霊姫ですかっ!?」
反射的に構えた文のカメラが、いきなりガタガタと踊り始める。パチンパチンと弾ける謎の音。
それはポルターガイストとも呼ばれる現象──亡霊の反不在証明(アンチ・アリバイ)。
やがてその音は一定のリズムをとり、複雑なメロディーを奏で、虹の川のごとき旋律を伴う。
賑やかだが虚ろに響く、幽明の境を彷徨う妖しの調べ。
辺りに立ち込める伽羅、白檀、杉の葉の馨り……すなわちお線香。
守矢の二柱の光臨の折りの、数々の神鳥がぼたぼたと地面に墜ちる。
そして同様に、狂おしいまでに咲き誇っていた蓮の花たちも瞬く間に萎れ、枯れ、塵芥と化して散っていく。
奏でられる弦楽器の音色はより鬱々と、響く管楽器の音色はより躁々と、鳴る電子の音色はより幻々と。
それこそは幽殺の調べ、見事に融和するあまり逆に不協和を紡ぎだす、紛うことない凶音。
そうしたもろもろの不吉さに包まれて、桜色の雪が降る。
それは幻、淡雪よりもさらに儚く、触れる前に溶けて消える。
深々と降り積もる幻のなか、全ての者の視界が薄闇に覆われた。
しゃらん。
涼しげに鳴る風鈴の音。
まず顕れたのは、見事な白髪を肩で切りそろえた小柄な少女。
腰に長短二振りの刀を指し、背後に魂魄を纏わせている。
威風払ってその場を見渡し、目礼する。
しゃらん。
涼しげに鳴る風鈴の音。
湿った風が吹く。
肌にしっとりこびりつく、冷たくて、恐ろしくて、心地の良い空気。
常人ならば吸っただけであの世逝きは間違いないほどに、息の詰まる甘く腐った死臭。
しゃらん。
三度、風鈴が鳴った。
そして最後にすべての凶兆の根源が姿を見せる。
「皆さま、ご機嫌麗しゅう」
死装束に身を包み、死相を顔に浮かべ、生けるものには決してる触れることのない幻のはずの、
肩に積もった桜色の雪を優雅に扇子で払う少女。
「西行寺家当代──幽々子にございます」
すたっと地面に降り、鼻をひくひくさせて嬉しそうににゃーんと一鳴きする。
いい加減でうんざりしてた霊夢がそれにいち早く気づき、声をかける。
「……どうしたの、燐。ここらへんにはあんたの好きな死体はどこにもないわよ。
作れっていうなら、やぶさかでもないけど?」
ぎろり、と周囲を睥睨しつつ、ドスの効いた声でうそぶく。
しかし燐は霊夢に構うことなくすたすた歩きまわり、また嬉しそうに息を嗅いで鳴く。
次いで反応したのは、『空気を読む程度の能力』の持ち主である、リュウグウノツカイの妖怪、永江衣玖だった。
「ご一同さまこれは死臭にございます」
「どういうことなの、衣玖」
「貴女さまは実に質問するしか能のないゲス野郎にあらせられますね天子さま。死臭が漂うのならば答は一つ」
らき☆すたのキャラソンCDのジャケットイラストみたいにビシッと天を指す、無駄にカッコよくて時代遅れのポーズ。
「死体がやってくるのだと衣玖は思います」
──急に気温が下がり、霜が降りた。
「まさか……『幽雅な心霊写真』、白玉楼の亡霊姫ですかっ!?」
反射的に構えた文のカメラが、いきなりガタガタと踊り始める。パチンパチンと弾ける謎の音。
それはポルターガイストとも呼ばれる現象──亡霊の反不在証明(アンチ・アリバイ)。
やがてその音は一定のリズムをとり、複雑なメロディーを奏で、虹の川のごとき旋律を伴う。
賑やかだが虚ろに響く、幽明の境を彷徨う妖しの調べ。
辺りに立ち込める伽羅、白檀、杉の葉の馨り……すなわちお線香。
守矢の二柱の光臨の折りの、数々の神鳥がぼたぼたと地面に墜ちる。
そして同様に、狂おしいまでに咲き誇っていた蓮の花たちも瞬く間に萎れ、枯れ、塵芥と化して散っていく。
奏でられる弦楽器の音色はより鬱々と、響く管楽器の音色はより躁々と、鳴る電子の音色はより幻々と。
それこそは幽殺の調べ、見事に融和するあまり逆に不協和を紡ぎだす、紛うことない凶音。
そうしたもろもろの不吉さに包まれて、桜色の雪が降る。
それは幻、淡雪よりもさらに儚く、触れる前に溶けて消える。
深々と降り積もる幻のなか、全ての者の視界が薄闇に覆われた。
しゃらん。
涼しげに鳴る風鈴の音。
まず顕れたのは、見事な白髪を肩で切りそろえた小柄な少女。
腰に長短二振りの刀を指し、背後に魂魄を纏わせている。
威風払ってその場を見渡し、目礼する。
しゃらん。
涼しげに鳴る風鈴の音。
湿った風が吹く。
肌にしっとりこびりつく、冷たくて、恐ろしくて、心地の良い空気。
常人ならば吸っただけであの世逝きは間違いないほどに、息の詰まる甘く腐った死臭。
しゃらん。
三度、風鈴が鳴った。
そして最後にすべての凶兆の根源が姿を見せる。
「皆さま、ご機嫌麗しゅう」
死装束に身を包み、死相を顔に浮かべ、生けるものには決してる触れることのない幻のはずの、
肩に積もった桜色の雪を優雅に扇子で払う少女。
「西行寺家当代──幽々子にございます」