俺は歩く悪夢。俺は破滅の武器庫。俺は登院厳重命令。俺は禁止政策物。俺は歩く天災。
――俺は破壊者だ。
第六話 『GANGSTER NUMBER 1』
――東京都 新宿区 某所
深夜。
眠らない街の一角。とあるレストラン。
優雅に流れているのはJ.S.バッハの『ゴルトベルク変奏曲』。
店内には欧州の風情を感じさせる絵画や彫刻が主張し過ぎない程度に配置され、それを照らす照明も
比較的シンプルなデザインのシャンデリアが発する大人しげな光であった。
主役である客達はレストランの雰囲気とBGMの調和を崩さぬよう、誰もが物静かな声で上品に語らっている。
ミシュラン・ガイドのお忍び調査員が店内を一目見たならば、感嘆とまではいかなくても「気が利いている」と
賛辞の呟きを洩らすかもしれない。
しかし、星の対象とはならないだろう。
何故ならば、このレストランにはあまりにも奇妙な点があったからだ。
それは純白のクロスに覆われたテーブル。
どのテーブルの上にも料理はひとつとして見当たらず、赤い液体を満たしたデカンタとワイングラスしか
置かれていない。
談笑する客達は気品に満ちた仕草でグラスを傾け、その度に唇の奥からは異常に発達した犬歯が
見え隠れしていた。
眠らない街の一角。とあるレストラン。
優雅に流れているのはJ.S.バッハの『ゴルトベルク変奏曲』。
店内には欧州の風情を感じさせる絵画や彫刻が主張し過ぎない程度に配置され、それを照らす照明も
比較的シンプルなデザインのシャンデリアが発する大人しげな光であった。
主役である客達はレストランの雰囲気とBGMの調和を崩さぬよう、誰もが物静かな声で上品に語らっている。
ミシュラン・ガイドのお忍び調査員が店内を一目見たならば、感嘆とまではいかなくても「気が利いている」と
賛辞の呟きを洩らすかもしれない。
しかし、星の対象とはならないだろう。
何故ならば、このレストランにはあまりにも奇妙な点があったからだ。
それは純白のクロスに覆われたテーブル。
どのテーブルの上にも料理はひとつとして見当たらず、赤い液体を満たしたデカンタとワイングラスしか
置かれていない。
談笑する客達は気品に満ちた仕草でグラスを傾け、その度に唇の奥からは異常に発達した犬歯が
見え隠れしていた。
店内の奥にはVIPルームが一室だけ用意されている。
ただでさえ高級感に溢れた店内で、セレブリティのバーゲンセールのような客層だというのに、
一体どこの御大尽がこの扉の向こうの部屋を使うのだろう。
扉を開けた先、室内のテーブルを囲んでいたのはそんな質問の回答に足る、錚々たる顔ぶれだった。
もし日本に吸血鬼退治を生業にする者がおり、この場に出くわしたとしたら、吸血鬼一掃の好機とばかりに
襲いかかるか、関わり合いは御免だと震え上がるかのどちらかだろう。
九割九分九厘は後者と思われるが。
ただでさえ高級感に溢れた店内で、セレブリティのバーゲンセールのような客層だというのに、
一体どこの御大尽がこの扉の向こうの部屋を使うのだろう。
扉を開けた先、室内のテーブルを囲んでいたのはそんな質問の回答に足る、錚々たる顔ぶれだった。
もし日本に吸血鬼退治を生業にする者がおり、この場に出くわしたとしたら、吸血鬼一掃の好機とばかりに
襲いかかるか、関わり合いは御免だと震え上がるかのどちらかだろう。
九割九分九厘は後者と思われるが。
上座に座る白髪頭を七三分けにした恰幅の良い老人は葉巻をくゆらせながら、笑顔を湛えて会話の
中心を担っていた。
ただし、色薄いサングラスの下に光る眼は少しの油断も無く、己以外の人物を見据えている。
日本国内最大の任侠吸血鬼組織である“関西寅吉会”会長、佐山寅雄である。
その佐山の左手側には、軽薄なニヤケ面を振りまきながら他の者の弁に相槌を打っている寅吉会若頭兼
前田組組長の前田裕。
更に注目すべきは前田の真向かい、佐山の右手側に並んでいる三人の男達――
中心を担っていた。
ただし、色薄いサングラスの下に光る眼は少しの油断も無く、己以外の人物を見据えている。
日本国内最大の任侠吸血鬼組織である“関西寅吉会”会長、佐山寅雄である。
その佐山の左手側には、軽薄なニヤケ面を振りまきながら他の者の弁に相槌を打っている寅吉会若頭兼
前田組組長の前田裕。
更に注目すべきは前田の真向かい、佐山の右手側に並んでいる三人の男達――
チャイニーズヴァンパイア、黄元甲。尸鬼三合会首領。
ロシアンヴァンパイア、ウラジミール・パコージン。元ソビエト連邦軍第1親衛科学強化歩兵連隊長。
コリアンヴァンパイア、チェ・ドンシク。大手金融企業会長。
黄元甲とパコージンはユーラシア大陸全土に展開する強力な犯罪組織を有しており、チェ・ドンシクは数多くの
同胞と共に日本のあらゆる機関機構を裏側より牛耳っている。
いずれにしても三人が三人共、本国及び日本での影響力が計り知れない吸血鬼達であった。
同胞と共に日本のあらゆる機関機構を裏側より牛耳っている。
いずれにしても三人が三人共、本国及び日本での影響力が計り知れない吸血鬼達であった。
日本の頂点に立つ吸血鬼(ヤクザ)と世界を股に掛ける吸血鬼(マフィア)。
誰にも知られる事は無い、しかし確実に現代社会に致命傷を与えられる者達の会合に、一人の給仕(ウェイター)が
おそるおそる扉を開けて近づいてきた。
給仕は佐山の脇に身を寄せると、極々小さな声で彼に耳打つ。
「佐山様、桐敷千鶴様がご到着されました」
彼の言葉を聞いた瞬間、にこやかだった老人の顔に怒りの色が浮かんだ。
「連れてこんかい」
ドスの利いた低い声でそう命令されると、給仕は冷や汗混じりの小走りで(とは言っても店の格調高さを
損なわない程度にだが)VIPルームを後にする。
そして然程の間も無く、一人の女性が部屋に入ってきた。
年の頃は二十代半ばであろうか。漆黒のストレートロングが赤のフォーマルスーツに映える日本的な美女だ。
その女、桐敷千鶴はテーブルの下座に近づくと、佐山の方へ深々と丁寧に頭を下げた。
「親分、若頭。ご無沙汰しておりました」
外国吸血鬼勢にも挨拶は向けられる。
「黄大人、パコージン大佐、チェ会長。皆様もご機嫌麗しく存じます」
一通りの礼儀が終わった千鶴は、前田に手で促されてそのまま着座した。
座ってすぐに脚を組む辺り、先程の挨拶に敬意が込められていたのかは甚だ疑問である。
前田は佐山と他の三人に一礼すると、千鶴に話し始めた。
「桐敷の姐さん、何で呼ばれたかはアンタも承知だと思います」
彼女の顔色は変わらない。前田もお構い無しに話を続ける。
誰にも知られる事は無い、しかし確実に現代社会に致命傷を与えられる者達の会合に、一人の給仕(ウェイター)が
おそるおそる扉を開けて近づいてきた。
給仕は佐山の脇に身を寄せると、極々小さな声で彼に耳打つ。
「佐山様、桐敷千鶴様がご到着されました」
彼の言葉を聞いた瞬間、にこやかだった老人の顔に怒りの色が浮かんだ。
「連れてこんかい」
ドスの利いた低い声でそう命令されると、給仕は冷や汗混じりの小走りで(とは言っても店の格調高さを
損なわない程度にだが)VIPルームを後にする。
そして然程の間も無く、一人の女性が部屋に入ってきた。
年の頃は二十代半ばであろうか。漆黒のストレートロングが赤のフォーマルスーツに映える日本的な美女だ。
その女、桐敷千鶴はテーブルの下座に近づくと、佐山の方へ深々と丁寧に頭を下げた。
「親分、若頭。ご無沙汰しておりました」
外国吸血鬼勢にも挨拶は向けられる。
「黄大人、パコージン大佐、チェ会長。皆様もご機嫌麗しく存じます」
一通りの礼儀が終わった千鶴は、前田に手で促されてそのまま着座した。
座ってすぐに脚を組む辺り、先程の挨拶に敬意が込められていたのかは甚だ疑問である。
前田は佐山と他の三人に一礼すると、千鶴に話し始めた。
「桐敷の姐さん、何で呼ばれたかはアンタも承知だと思います」
彼女の顔色は変わらない。前田もお構い無しに話を続ける。
「ロシア人、中国人、韓国人、タイ人、フィリピン人、ヴェトナム人、カンボジア人……――
アタシが報告を受けているのはごく一部でしょうが、これだけの吸血鬼をアンタは人間なんぞに
売りつけている。しかも牙ァ抜いて、手足ちょん切ってダルマにしてね。一体、何を考えてんだか……
どの吸血鬼もこちらの御三方の御同胞や、仕切ってるシマの吸血鬼だ。アンタは御三方の信頼を裏切り、
親分に可愛がられた恩を忘れ、アタシの顔に泥を塗ったんですよ。これをどう申し開きするつもりですか?」
アタシが報告を受けているのはごく一部でしょうが、これだけの吸血鬼をアンタは人間なんぞに
売りつけている。しかも牙ァ抜いて、手足ちょん切ってダルマにしてね。一体、何を考えてんだか……
どの吸血鬼もこちらの御三方の御同胞や、仕切ってるシマの吸血鬼だ。アンタは御三方の信頼を裏切り、
親分に可愛がられた恩を忘れ、アタシの顔に泥を塗ったんですよ。これをどう申し開きするつもりですか?」
愚かしさ溢れる罪状を一息に並び立てて釈明を迫る。
問われた千鶴は人差し指を片頬に当てて首を傾げ、困ったように眉尻を下げた。
謝意や反省の色は微塵も感じられない。
「申し開きも何も…… んー、ただの資金稼ぎだったんだけどねー」
前田は彼女の能天気な態度と返答に只々呆気に取られてしまった。まるで白痴か何かを相手にしている
錯覚さえ覚えた。
黄元甲とパコージンは少しも表情を変えず不動の構えだが、佐山とチェ・ドンシクの眉間の皺は
深さと数を増す一方だ。
事の重大さをまるでわかっていない呑気な“釈明”は続く。
「私ね、これからちょっと大きな事業をやろうと思ってるの。でもさ、何か事業を起こそうとしたら
資金が必要なのは当然でしょ? それにホラ、吸血鬼に人間を売るより、人間に吸血鬼を売った方が
全然お金になるじゃない。ウフフッ」
千鶴がここまで話すと、チェ・ドンシクは突如テーブルを音高く叩いて立ち上がり、母国の言葉で
彼女を口汚く罵った。
前田もすぐに立ち上がると平身低頭の勢いで彼をなだめる。
「チェ会長、ここはひとつ穏便に……」
頭を下げた姿勢のまま千鶴の方へ顔を向けた前田は、それまでとは打って変わった形相で彼女を睨みつけた。
「ここがどこか、誰の前でモノ喋ってんのか、その辺をよく考えた方が身の為ですぜ」
「はいはぁ~い」
帰って来るのはふざけきった調子の不真面目極まりない返事のみ。凄味を利かせた脅しも然したる
効果は無かったようだ。
堪忍袋の緒が切れるのはまだまだ先なのか、前田は苦り切った顔で席に座り、辛抱強く尋ねた。
問われた千鶴は人差し指を片頬に当てて首を傾げ、困ったように眉尻を下げた。
謝意や反省の色は微塵も感じられない。
「申し開きも何も…… んー、ただの資金稼ぎだったんだけどねー」
前田は彼女の能天気な態度と返答に只々呆気に取られてしまった。まるで白痴か何かを相手にしている
錯覚さえ覚えた。
黄元甲とパコージンは少しも表情を変えず不動の構えだが、佐山とチェ・ドンシクの眉間の皺は
深さと数を増す一方だ。
事の重大さをまるでわかっていない呑気な“釈明”は続く。
「私ね、これからちょっと大きな事業をやろうと思ってるの。でもさ、何か事業を起こそうとしたら
資金が必要なのは当然でしょ? それにホラ、吸血鬼に人間を売るより、人間に吸血鬼を売った方が
全然お金になるじゃない。ウフフッ」
千鶴がここまで話すと、チェ・ドンシクは突如テーブルを音高く叩いて立ち上がり、母国の言葉で
彼女を口汚く罵った。
前田もすぐに立ち上がると平身低頭の勢いで彼をなだめる。
「チェ会長、ここはひとつ穏便に……」
頭を下げた姿勢のまま千鶴の方へ顔を向けた前田は、それまでとは打って変わった形相で彼女を睨みつけた。
「ここがどこか、誰の前でモノ喋ってんのか、その辺をよく考えた方が身の為ですぜ」
「はいはぁ~い」
帰って来るのはふざけきった調子の不真面目極まりない返事のみ。凄味を利かせた脅しも然したる
効果は無かったようだ。
堪忍袋の緒が切れるのはまだまだ先なのか、前田は苦り切った顔で席に座り、辛抱強く尋ねた。
「それともうひとつ。アンタ最近、仲間を連れて“緑青町”に入ったそうですね。あそこら辺を含めた、
銀成市とその周辺地域は人間政府と合意の上の吸血鬼不干渉地帯ですよ」
銀成市とその周辺地域は人間政府と合意の上の吸血鬼不干渉地帯ですよ」
「え? そうなの? 知らなかったー。私も自分の組を作るから、新しいシマに丁度良いなって思ったんだけど。
でもー、別にいいじゃない。小さな住宅地なんだし」
でもー、別にいいじゃない。小さな住宅地なんだし」
ふざけるか、白を切るか、開き直るか。あくまで真剣な話をするつもりは無いらしい。
前田にしてみれば怒りに任せて今すぐにでも殺してしまいたいところだが、腐っても親分の女(イロ)だ。
それにこの場には各国の頭目が顔を揃えている。佐山の跡目を自負する者としてはあまり器の小さいところは
見せたくない。
なるべくならば筋道立てて論理的に彼女を承伏させたい。組の参謀としての、新世代の日本吸血鬼としての
己が機知をこの機会に他国の要人へ知らしめておきたい。
目の前に座る世間知らずのせいで波立つ心を懸命に抑えながら、前田は噛んで含めるように千歳に
言い聞かせ始めた。
「姐さん、アンタね。関西から進出してきたウチの組がこの新宿(ジュク)に食い込む為に、親分やアタシが
どれだけの苦労をしたと思ってるんです? 何人の若え衆が血を流したか知ってますか? 誰もいない、
いちゃいけないとこに勝手に旗立てて、それで『私のシマよ』って…… そんなの通りませんよ」
正論である。あまりに正論過ぎて違和感を覚えるくらいだ。
前田にしてみれば怒りに任せて今すぐにでも殺してしまいたいところだが、腐っても親分の女(イロ)だ。
それにこの場には各国の頭目が顔を揃えている。佐山の跡目を自負する者としてはあまり器の小さいところは
見せたくない。
なるべくならば筋道立てて論理的に彼女を承伏させたい。組の参謀としての、新世代の日本吸血鬼としての
己が機知をこの機会に他国の要人へ知らしめておきたい。
目の前に座る世間知らずのせいで波立つ心を懸命に抑えながら、前田は噛んで含めるように千歳に
言い聞かせ始めた。
「姐さん、アンタね。関西から進出してきたウチの組がこの新宿(ジュク)に食い込む為に、親分やアタシが
どれだけの苦労をしたと思ってるんです? 何人の若え衆が血を流したか知ってますか? 誰もいない、
いちゃいけないとこに勝手に旗立てて、それで『私のシマよ』って…… そんなの通りませんよ」
正論である。あまりに正論過ぎて違和感を覚えるくらいだ。
すると、ここで初めて佐山が口を挟んだ。
「お前のやってるこたァな、そこいらのチンピラ吸血鬼と同じこっちゃ」
節くれ立ってゴツゴツした指を千鶴に向けたまま、そう吐き捨てる。
若い前田と違い、前時代的なヤクザの象徴とも言うべきこの老人は細か過ぎる思慮はあまり必要としていない。
部下や外部の者がいるにも関わらず、自分が飼っていた元の愛人を徹底的にこき下ろす。
「おい、この女狐をよう見んかい。コイツにゃ吸血鬼としての仁義も名誉も誇りも何にもあらへんがな」
これ程の面罵を受けているにも関わらず、千鶴の表情はいささかも怒りや恥辱を感じさせない。
それどころか、前方へ身を乗り出して両掌で頬杖を突くと、一際甘えた声で何の脈絡も無くこう言い放った。
「ねぇ、親分。私はね、他の組長さん達ととっくの立場になりたいの。すっごく強い部下をたくさん持ってー、
あなたの息がかかってない埼玉とかに自分のシマを持ってー、“吸血鬼らしく”好きなように暴れさせてくれたら、
なぁーんにも文句は無いのよ」
ヤクザどころではない、まるで子供の言い分だ。
つい先程も佐山が口にした所謂“仁義”というものを鑑みれば、彼女の要求は常識外れも甚だしい。
当然の如く、文字通りの一笑に付される。
「そんなもんワレ、日本中の親分衆が許すと思とんのか?」
「親分、ここはアタシが」
前田は如才無く話の流れを引き継ぐと、お得意の理路整然とした論調で千鶴を諭した。
「アンタも日本中に幾つの組(コミュニティ)があるか、知らない訳じゃないでしょう? それぞれの組の親分衆と、
周辺諸国の吸血鬼、人間のお偉方。これらが話し合いに話し合いを重ねた結果、微妙なバランスの下に
共存関係が築かれている。アンタはそれを全部ブチ壊して無法社会を作ろうと言ってるんですよ。
そんなもの、誰が得をします?」
今度は千鶴がフンと鼻を鳴らして嘲笑を浮かべる。
「話し合い? 共存関係? さっすが、インテリ吸血鬼(ヤクザ)は言う事が違うわねー」
「どういう意味ですかい」
募る苛立ちが前田の口を反射的に開かせた。そろそろ腹に据えかねる頃なのか、簡単に冷静の仮面が
剥がれてしまっている。
一方の千鶴は片方の掌を腰に、もう片方の掌をテーブルに置いたまま立ち上がった。
「お前のやってるこたァな、そこいらのチンピラ吸血鬼と同じこっちゃ」
節くれ立ってゴツゴツした指を千鶴に向けたまま、そう吐き捨てる。
若い前田と違い、前時代的なヤクザの象徴とも言うべきこの老人は細か過ぎる思慮はあまり必要としていない。
部下や外部の者がいるにも関わらず、自分が飼っていた元の愛人を徹底的にこき下ろす。
「おい、この女狐をよう見んかい。コイツにゃ吸血鬼としての仁義も名誉も誇りも何にもあらへんがな」
これ程の面罵を受けているにも関わらず、千鶴の表情はいささかも怒りや恥辱を感じさせない。
それどころか、前方へ身を乗り出して両掌で頬杖を突くと、一際甘えた声で何の脈絡も無くこう言い放った。
「ねぇ、親分。私はね、他の組長さん達ととっくの立場になりたいの。すっごく強い部下をたくさん持ってー、
あなたの息がかかってない埼玉とかに自分のシマを持ってー、“吸血鬼らしく”好きなように暴れさせてくれたら、
なぁーんにも文句は無いのよ」
ヤクザどころではない、まるで子供の言い分だ。
つい先程も佐山が口にした所謂“仁義”というものを鑑みれば、彼女の要求は常識外れも甚だしい。
当然の如く、文字通りの一笑に付される。
「そんなもんワレ、日本中の親分衆が許すと思とんのか?」
「親分、ここはアタシが」
前田は如才無く話の流れを引き継ぐと、お得意の理路整然とした論調で千鶴を諭した。
「アンタも日本中に幾つの組(コミュニティ)があるか、知らない訳じゃないでしょう? それぞれの組の親分衆と、
周辺諸国の吸血鬼、人間のお偉方。これらが話し合いに話し合いを重ねた結果、微妙なバランスの下に
共存関係が築かれている。アンタはそれを全部ブチ壊して無法社会を作ろうと言ってるんですよ。
そんなもの、誰が得をします?」
今度は千鶴がフンと鼻を鳴らして嘲笑を浮かべる。
「話し合い? 共存関係? さっすが、インテリ吸血鬼(ヤクザ)は言う事が違うわねー」
「どういう意味ですかい」
募る苛立ちが前田の口を反射的に開かせた。そろそろ腹に据えかねる頃なのか、簡単に冷静の仮面が
剥がれてしまっている。
一方の千鶴は片方の掌を腰に、もう片方の掌をテーブルに置いたまま立ち上がった。
「いい? 人間なんてね、吸血鬼の“餌”なのよ? “家畜”なのよ? ところが今の日本は家畜が
その辺に放し飼いにされてブヒブヒブヒブヒやりたい放題。それなのに私達、吸血鬼は好きな時に
好きな場所で好きなだけ血も飲めないときてるわ。おまけに住む場所すら自分の好きに出来ない。
何それ、バッカみたい。そんなのおかしくない?」
その辺に放し飼いにされてブヒブヒブヒブヒやりたい放題。それなのに私達、吸血鬼は好きな時に
好きな場所で好きなだけ血も飲めないときてるわ。おまけに住む場所すら自分の好きに出来ない。
何それ、バッカみたい。そんなのおかしくない?」
突然の剣幕に前田は誰にも悟られぬよう密かに息を呑んだ。
子供っぽい口調こそ変わらないが、彼女の声の質が獅子の唸りにも似た獰猛さを帯び始めている。
それに内容にも問題があった。
言い方に違いはあれど、“住居”や“食事”への不平不満は組内や他組織の強硬派から常に噴出している
懸案事項であり、前田の頭痛の種だ。
佐山の威光と寅吉会の代紋で何とか押さえつけてはいるものの、程度の低い末端構成員の中には
凶行に走る者もそろそろ出てきている。
「ね、姐さんはそう言いますけどね」
気圧されつつある今の状況を打破しなければ、と内心滝の汗で頭を絞る。これでは千鶴の喚問ではなく、
己の弁明だ。
「“食事”に関しては改善されつつありますよ。老人、病人、重犯罪者、ホームレス、孤児等は優先的に
“餌”へ回すように人間政府と交渉中です。それにもうすぐアメリカの肝煎りで血液銀行も導入に――」
「私はね! ヨボヨボに萎びたジジイの血も! 原産地不明で賞味期限切れのパック詰め血液も!
真っ平御免なのよ!!」
前田の言葉を遮り、千鶴はヒステリックな怒鳴り声を上げた。
それまでの愛らしい表情と甘え声は最早完全に消え去ってしまった。代わりに現れたのは爛々と光る
真紅の瞳と剥き出された鋭い牙である。
子供っぽい口調こそ変わらないが、彼女の声の質が獅子の唸りにも似た獰猛さを帯び始めている。
それに内容にも問題があった。
言い方に違いはあれど、“住居”や“食事”への不平不満は組内や他組織の強硬派から常に噴出している
懸案事項であり、前田の頭痛の種だ。
佐山の威光と寅吉会の代紋で何とか押さえつけてはいるものの、程度の低い末端構成員の中には
凶行に走る者もそろそろ出てきている。
「ね、姐さんはそう言いますけどね」
気圧されつつある今の状況を打破しなければ、と内心滝の汗で頭を絞る。これでは千鶴の喚問ではなく、
己の弁明だ。
「“食事”に関しては改善されつつありますよ。老人、病人、重犯罪者、ホームレス、孤児等は優先的に
“餌”へ回すように人間政府と交渉中です。それにもうすぐアメリカの肝煎りで血液銀行も導入に――」
「私はね! ヨボヨボに萎びたジジイの血も! 原産地不明で賞味期限切れのパック詰め血液も!
真っ平御免なのよ!!」
前田の言葉を遮り、千鶴はヒステリックな怒鳴り声を上げた。
それまでの愛らしい表情と甘え声は最早完全に消え去ってしまった。代わりに現れたのは爛々と光る
真紅の瞳と剥き出された鋭い牙である。
吸血鬼界の重鎮達を向こうに回した逆ギレを見せつけられるに至り、佐山はようやく自分の愚かな選択を恥じた。
事の次第を報告された時に、釈明や謝罪の間など与えず拉致して殺してしまえば良かったのだ。
“元は囲った女”という事実にいらぬ温情を湧かせた結果、諸外国の吸血鬼の前で己の醜態を晒す事と
なってしまった。
「もうええ、前田。時間の無駄や。このボケに今までしてきた事の落とし前つけさせろや」
「へ、へい」
親分の不興を買ったと勘違いしているこの若頭は慌てて懐から携帯電話を取り出し、ボタンをプッシュして
耳に当てた。
おそらくは“落とし前”の段取りであろう。
佐山の方はというと、三人の外国吸血鬼の方へ改めて向き直り、両膝に手を突いて深々と頭を下げている。
「御三方、えらいすんませんでした。今回の件はワシが命懸けでお詫びさせて頂きますよってに」
パコージンとチェ・ドンシクは沈黙を守ったまま。
しかし、黄元甲だけがフウと溜息を吐き、少しも笑わずに口を開いた。
「そう気にしてくれなくてもいい、オヤブン。我々とて君達との友情は大切にしたい。ただ、こんな事を
繰り返されてしまってはその限りではないがね」
「そらもう……」
下げた頭の裏側で奥歯が砕けん程に歯噛みする佐山。激怒の矛先が誰に向かうかは言うまでも無い。
そして、その千鶴が緊張感の欠片も無い大アクビをひとつすると、それが合図であるかのように――
事の次第を報告された時に、釈明や謝罪の間など与えず拉致して殺してしまえば良かったのだ。
“元は囲った女”という事実にいらぬ温情を湧かせた結果、諸外国の吸血鬼の前で己の醜態を晒す事と
なってしまった。
「もうええ、前田。時間の無駄や。このボケに今までしてきた事の落とし前つけさせろや」
「へ、へい」
親分の不興を買ったと勘違いしているこの若頭は慌てて懐から携帯電話を取り出し、ボタンをプッシュして
耳に当てた。
おそらくは“落とし前”の段取りであろう。
佐山の方はというと、三人の外国吸血鬼の方へ改めて向き直り、両膝に手を突いて深々と頭を下げている。
「御三方、えらいすんませんでした。今回の件はワシが命懸けでお詫びさせて頂きますよってに」
パコージンとチェ・ドンシクは沈黙を守ったまま。
しかし、黄元甲だけがフウと溜息を吐き、少しも笑わずに口を開いた。
「そう気にしてくれなくてもいい、オヤブン。我々とて君達との友情は大切にしたい。ただ、こんな事を
繰り返されてしまってはその限りではないがね」
「そらもう……」
下げた頭の裏側で奥歯が砕けん程に歯噛みする佐山。激怒の矛先が誰に向かうかは言うまでも無い。
そして、その千鶴が緊張感の欠片も無い大アクビをひとつすると、それが合図であるかのように――
VIPルームが別世界へと変わった。
いや、室内の様子やそこにいる者達に変化があった訳では無い。彼らが入室した時とまったく同じである。
レストランの中を優雅に彩っていたBGMに変化が起きていたのだ。
「You ain’t nothin’ but hound dog. Cryin’ all the time…」
それまで流れていた『ゴルトベルク変奏曲』とは打って変わった、軽快なリズムのロックンロール。
これはエルヴィス・プレスリーの『Hound Dog』だ。
店側の不可解極まる選曲に、千鶴以外の五人は眉をひそめている。
レストランの中を優雅に彩っていたBGMに変化が起きていたのだ。
「You ain’t nothin’ but hound dog. Cryin’ all the time…」
それまで流れていた『ゴルトベルク変奏曲』とは打って変わった、軽快なリズムのロックンロール。
これはエルヴィス・プレスリーの『Hound Dog』だ。
店側の不可解極まる選曲に、千鶴以外の五人は眉をひそめている。
「神はたったひとつだけ間違いを犯したァ!!」
突如響き渡った蛮声に驚いた男達は、一斉に扉の方へと眼を向ける。
視線の先には一人の男が大きく開け放たれた扉を背にして佇んでいた。
その風貌は“異様”の一言。
軽く2mはあろう長身の割に体躯は幽鬼の如く痩せ細り、落ち窪んだ眼はギョロギョロと室内を見回している。
禿げ上がり気味の髪は鶏冠を思わせるリーゼントに固められ、身を包んでいるのは漆黒のライダース
ジャケットとレザーパンツ。
視線の先には一人の男が大きく開け放たれた扉を背にして佇んでいた。
その風貌は“異様”の一言。
軽く2mはあろう長身の割に体躯は幽鬼の如く痩せ細り、落ち窪んだ眼はギョロギョロと室内を見回している。
禿げ上がり気味の髪は鶏冠を思わせるリーゼントに固められ、身を包んでいるのは漆黒のライダース
ジャケットとレザーパンツ。
「それは俺達のキングを! 俺達のビッグ・エルヴィスを! 天国へ連れて行き、自分だけのものに
しちまった事だァ……」
しちまった事だァ……」
訳のわからぬ弁舌を打つ男の後ろには、更に二人の人物が付き従っていた。
一人は陽気な笑顔のヒスパニック系。先頭の男程ではないが彼もまた大男で、手にはこれまた大きな
ギターケースを提げている。
もう一人は一見女性と見紛うばかりに端麗な容姿の白人少年。親指の爪を噛みながら、どういう訳か千鶴を
憎々しげに睨みつけていた。
一人は陽気な笑顔のヒスパニック系。先頭の男程ではないが彼もまた大男で、手にはこれまた大きな
ギターケースを提げている。
もう一人は一見女性と見紛うばかりに端麗な容姿の白人少年。親指の爪を噛みながら、どういう訳か千鶴を
憎々しげに睨みつけていた。
「神のケツにカマしたチ○ポを、ジーザスにしゃぶらせてやるぜェ…… ヘヘヘヘヘヘ!」
下卑た哄笑を撒き散らす男に、千鶴以外の誰もが不審者を見る視線を送っていたが、一人だけ顔面蒼白で
震え上がっている者がいた。
前田裕である。
「ジェ、ジェ、ジェイブリード……」
名前らしき単語を呟いた前田に、佐山が怪訝そうな面持ちで尋ねた。
「何や。あのアメ公、知っとるんか」
だが、カチカチと歯が噛み鳴らされる口からはいつまで待っても答えが出て来そうにない。
その様子を見ていた黄元甲が不承不承、男の素性を教える。
震え上がっている者がいた。
前田裕である。
「ジェ、ジェ、ジェイブリード……」
名前らしき単語を呟いた前田に、佐山が怪訝そうな面持ちで尋ねた。
「何や。あのアメ公、知っとるんか」
だが、カチカチと歯が噛み鳴らされる口からはいつまで待っても答えが出て来そうにない。
その様子を見ていた黄元甲が不承不承、男の素性を教える。
「“ジャックの血統” “アメリカン・バッド・アス” “大病原菌”。大層な二つ名を持ってはいるが……――」
パコージンが嫌悪と侮蔑を込めてその続きを吐き捨てた。
「――西側諸国が生んだどうしようもないクズだ」