「急いで! こっちです!」
「…そんなモン置いてけ! 早くしろ!!」
「…うちの子が居ないの!! お願い、捜して!!!」
「必ず捜します! だから今は早く!!」
警備員と警官、そして幾分冷静な市民が人の波に大声で避難を促がす。
今でこそ観光地のフィブリオ市だが、古くは大国や戦乱の蹂躙を受け、それ故人災に対する危機管理能力が骨の髄まで染み付いていた。
連絡網と避難場所は完璧に確保され、平和になった今でもその為の訓練を欠かさない。
しかし――――
かなり近くからドラムロールの様な音が数回響いた。
「来たぞ!!」
警官の声に誰もが身を強張らせる。
視線の先には、瞬く間にゴーストタウンの様相となった道路の向こうからやって来る兵士達。武骨で機械的な類人猿を思わせる
戦闘服の集団は、それぞれが大仰な火器を携えていた。
ざっと見て向こうの装備は未来的なフォルムの小銃に、分隊支援用機関銃、グレネードランチャー、手榴弾、果ては火炎放射器。
比べてこちらは警棒に拳銃、有ってもショットガンやライフル、しかも数まで足りない。
……戦力差は量るまでも無いが、それでも警官達は引けなかった―――兵士達の足元に守るべき市民が、観光客が数人転がっていた。
「くそぉっ!」
一人の警官が警告無しで撃った。
だが腹部に着弾するも、兵士は足を止めただけでまるで負傷の様子が見られない。
「な……」
「……凄ぇ……こりゃ凄ぇ! 痛くも痒くも無えぞこれ! ……ターリカで欲しかったぜ」
戦闘服の凄さを仲間で体感し、彼らはこれより始まるであろう虐殺に色めき立った。
対して警官達の絶望は如何ばかりか。相手は銃が通じないのだ。
「こりゃ、正当防衛だよなぁ。サツの旦那よ」
まともな戦闘すら放棄して、小銃を掲げながら棒立ちで悠々と近寄る。
無駄だと知りつつ銃を向けるも、哀しいかな戦況は厳として動かず、その上人的物量にも負けている。
屈してはならないのが警察の常識。しかし圧倒的な暴力の前には、法も秩序もミキサーに放り込まれるトマトも同然。
だがトマトは放り込まれなかった。
横合いから飛び出した一迅の黒い風。それが先刻の兵士にぶつかったと思った瞬間、彼の首は死んだと気付く間も無くへし折れた。
全体重を乗せた飛び蹴りから鮮やかに着地して、トレイン=ハートネットは警官達に叫ぶ。
「あんた等は避難を優先しろ! こっちはオレが引き受ける!!」
「無茶言うな! 我々が……!」
「それが無理だって言ってんだよ! さっさとしろ!!」
噛み付く様な叱咤に気圧され、警官達がその場を後にするのを見届け、トレインは改めて兵士達に対峙する。
「…冗談ゴトじゃ済まねぇぞ、お前ら」
その憎悪に燃える眼差しに、彼らもまた気圧された。
「落ち着いて下さい! まず避難を…!」
「それは良いから、早く銃を寄越せと言っとるんだ!!」
禿げ上がった肥満漢が警官の銃を奪おうと詰め寄っていた。それに手を割かれるお陰で、避難は遅々として進まない。
「ですから、此処は我々に任せて…」
「貴様ワシを誰だと思っとる!! ワシは食品業界では世界七位の………!!」
訊かれてもいない自身の立場と、それに付随する自慢話をがなり立てる。この男が暴走しないよう三人もの警官が応対しているのだが、
当の本人は自分の身は自分で守るだの、逆らったら首にするだのと猫の手も借りたい彼らを更に煩わせる…と、その時、
「……ねえ、リッチなオジサマ?」
突如背中から掛けられた猫撫で声に、怒りを半分助平根性を半分で振り向いたが、彼を迎えたのは美女の艶笑では無い。
―――――拳、だった。
「ほげぁ!!」
肥満漢が無様な声を上げて地べたに転がった。
「………きっ……貴様ァ! ワシを誰だと…!!」
加減されていたらしく、即座に起き上がって襲撃者に噛み付こうとしたが…銃の力は素晴らしい。彼の罵声も無駄な横暴も、
ただ向けるだけで完全に停止させる。
「ゴチャゴチャ言ってないで避難しなさい。ブッ殺すわよ」
更に、銃口よりも雄弁な怒気を双眸に漲らせ、リンスレット=ウォーカーは矮小な暴君を睨み付けた。
「有り難う、何て言ったらいいか…」
「いいからあんた等も避難なさい! 手に負える相手じゃないわ!!」
避難し終えて礼を言う警官にも避難を促がして、リンスは次の場所へと向かおうとする―――――が、
「……チッ」
舌打ち一つで足を止め、睨んだ彼方には街中に余りにもそぐわない兵士達。間違い無く星の使徒の手勢だ。
そして彼らもリンス達を見つけたらしく、まるで無警戒に彼女達へと近寄ってくる。
「逃げなさい、大急ぎで!!」
リンスの剣幕に押されて警官達が慌てて逃げる頃には、兵士達は彼女の前に大挙していた。
……その彼らを一瞥して、内心反吐が出る思いだった。戦闘服は返り血に塗れ、その態度と来たらまるで街のチンピラの様に
緩く、彼らを睨むリンスを品定めする様に上へ下へと睨め上げる。それだけで彼等の下賎な行動と目的が明確に判り、存在そのものが
彼女の不快指数を無制限に引き上げていった。
「……星の使徒ね?」
訊きたくも無いがとりあえず訊く。すると一人が下卑た苦笑も露わに彼女を指差す。
「ほらな? やっぱり資料で見た女だろ?」
「ああそうだ、間違い無えな。写真で見るよかよっぽど美人だぜぇリンスちゃん」
圧倒的戦力に酔っているのか、そのどれにも品性は見られない。無理からぬ事だろう、彼等の戦場における常識がプラスの意味で通用
しないのだから、勇者も下衆に、下衆はより下衆に変わり果てる。正直言って、空気も共有したくないほど嫌悪を催す手合いだった。
だが彼女の心中を一切慮る事無く、彼らは勝手な事を次々と並べる。
「正直よ、殺すのは勿体無えよなあ」
「ああ云えてる」
「…こう言う気の強そうなのが堪らねえんだ、クックック…」
いよいよ忍耐はレッドゾーンに陥ったが、彼女は敢えて手を出さない。勿論それは彼らへの気遣いではなく、感情を来るべき時に
完全燃焼させる為、臨界の臨界まで自制しているのだ。
「…ま、大人しくしてたら優しくしてやっても良いぜぇ…ひひ」
一人だから、無抵抗だから、女だから、大人数だから、武装しているから―――――それらの理由が彼女の中にある巨大な地雷を
知らずに踏んでいた。
「…あらそう? 優しいのね」
しかし胸中とは真逆に、リンスは兵士達に向かって微笑む。それを見て彼らも、即座に増長した。
「そうそう、女は聞き分け良いのが一番…」
彼女に最も近い兵士が馴れ馴れしく無用心に手を伸ばす。
―――――だが、その手が彼女に触れるより早く、当の本人が消失した。
その兵士の脇をすり抜け、更に兵士達の間を疾く舞う水魚が如く潜り抜け、気付いた頃には彼らの最後尾よりなお後方に彼女は立っていた。
「……は?」
皆が予想を越える彼女の身体能力に驚くも束の間、
「うおおおおぉおお!! おっ、おっ! おぉっ!!」
聞き苦しい悲鳴が先刻の最前列から迸った。
物見高く集まった視線の先には―――――――リンスを捕まえようとした兵士が、何故か蹲っていた。
「…おおぉ、おっ、俺の………腕がぁッッ!!!」
彼の腕は、肘から先が無くなっていた。
『何ィ!?』
状況の流れで再度リンスに目を向けると、その手に有るのは懐中時計。そして其処から何か細い糸の様な乱反射が空いた手まで
橋を掛けている。
「このアマ……!」
だがそれを言わせるより早く、彼女の手から何か小さな物が数個地面に落ちて小さな金属音を奏でた。
思わず注視し、電子バイザーがそれを拡大すると………何たる事か、全て手榴弾のピンだ。
「…あ?」
疑問風の危機察知は遅過ぎた。数人の兵士がほぼ一斉に、体に括り付けたまま手榴弾を破裂させる。
破片が、爆風が、焼夷弾の炎が、誘爆した仲間の手榴弾が、零距離で最新戦闘服ごと彼らを引き裂き、吹き飛ばし、灼き尽くす。
それが済むともう一度地獄が、今度は彼らの阿鼻叫喚が幕を開ける。
辛うじて生を拾った兵士が這いつくばって周囲を見れば、死に切れない仲間達が安らかな結末を求めて苦吟の合唱を上げていた。
戦闘服のお陰で死人はそれほど居ないものの、どれだけの者が戦意を失った事だろう。
「マジかよ……あの女一人に…」
「…さっき、『大人しくしてれば優しくする』とか云ってたわよねぇ」
ドスの利いた声が聞こえるや否や、彼の頭をリンスが踏み躙った。
彼女を知覚した兵士は一様に射竦められる。睥睨する彼女の眼には、遂に殺意に達した義憤が燃え盛っていた。
―――甘かった。仮にも黒猫(ブラックキャット)の手勢の一人、単騎、物量、装備、性別、そんな物で勝ちが奪えるほど
この女は微温くない。
服に護られた腕を切断し、そして手榴弾のピンを掏り取って安全圏まで逃れる。それを一瞬で行う相手に装備など殆ど意味が無い。
その上周到この上ない。腕を切ったのは、手榴弾のレバーが落ちる音から注意を逸らさせる為だろう。
……戦闘服ごと腕を切断したのはあの糸―――――恐らくジーリ鋸だ。
元々は頭蓋骨を切断する為の医療器具だが、それ故鋭利な切れ味が要求される為、悪用すれば鋼鉄をも断つ代物だ。
リンスの装備は本来が工具、必然それは武器以上の威力を要求する。従って、彼ら自慢の戦闘服も彼女の攻撃には一切意味をなさない。
「悪いけど……アタシは目一杯痛くするわよ」
知ってか知らずか、彼女の言葉は真実だった。
街中に鳴り響く速射音と共に、銃弾は民間人・警官を問わず無慈悲に彼らを薙ぎ払った。
悲鳴も時には混じる。しかし銃弾を僕とする兵士達は耳こそ貸すが取り合わない。
「どうした! 弱ぇ、弱過ぎるぜお前ら!!」
「効かねえな、もっとデカいのを用意しなポリ公!!」
「プロ根性見せてみな! どうした、撃って来い!」
殺戮に陶酔した彼らは、まるでゲーム感覚でほぼ無抵抗に等しい人々を次々と殺意の牙に掛けて行った。
フルオートで踊る民衆に、皆笑いと銃撃を止めようとしない。血とマズルフラッシュが、悪意の彩度を高めていく。
「…お?」
その視線の先には、少年が妹と思しき少女の手を引いて全力で走っていた。
「よーしお前ら、撃つなよ。まずはオスガキからだ」
肩付けでOICWを構え、スコープが走る二人に背中を捉える。バイザーにも直結したFCS(ファイア・コントロール・システム)が
二人をロックオンし、拡大。その画像は少年のつむじが見えるほど鮮明この上ない。
それを沈黙で見守る仲間達は、まるでダーツかルーレットの結果を待つ様に興奮を押さえ込んでいた。
無論狙う彼も気持ちは同じ。その開放と達成に歓喜を宥めて銃爪に力を込める。
その彼の頭が―――――――突然爆発を伴って弾け飛んだ。
「!?」
続いてそれが倒れるより早く、数人が横一列に並ぶ形で何かに体を貫かれた。
「え? え!?」
「何だ!? どうした、一体!!」
前に進み出た兵士が背負う火炎放射器のボンベが破裂、爆炎と燃え滾るナパームオイルを友軍含む周囲に撒き散らす。
「ひっ、うわあああぁあぁぁ!!」
水でも砂でも消せない炎を纏う羽目になった兵士が幾人も狂乱した。さしもの最新装備と言えど、耐熱服でも防ぎ切れないこの炎
には成す術なく、生きたまま焼かれると言う非業の死を遂げる。
「……畜生、狙撃だ!!」
その仮定を証明する様に、彼の頭蓋骨を破壊する威力でXMスモーク弾(赤外線と光学装置を妨害する煙)が直撃した。
――――彼らから約八百メートル西の時計塔上階。
「悪く思うなよ。的確と確実が俺の流儀(スタイル)なんでな」
窓から小型の砲か巨大なライフルとでも言うべき銃を構え、スヴェン=ボルフィードはブレイクオープン式(銃自体を折る様に
薬室を開いて銃身そのものに弾丸を込める方式)の薬室を開く。同時に肩に担いだ弾薬ベルトから次弾を抜き取り、排莢機構が
空薬莢を弾き出すのとコンマ数瞬入れ違いで弾を込め、収める。素早く、確実で無駄な力が全く無い手馴れた動作だった。
スコープ越しに彼は〝右眼〟で狙いを付け、撃つ。するとまたしても彼方で狙い過たず標的に命中した。
彼が狙っているのが標的では無く、〝未来の結果〟だからだ。
……この〝右眼〟を使うたび、病む様に疼く。身体ではなく、心の何処かが。
心にも幻肢痛は有る。それもまた、罰の一つなのだろうか。
「……始めは死のうと思ってたさ、でもな…ロイド」
聞こえているのかどうかも定かでは無いのに、彼は失った友に独白する。そして手は一連の装填動作を滞らす事無く行う。
「…あいつ―――トレインに出会ってからがケチの付き初めでな…死ぬ暇なんてありゃしない」
思い出すのは、いがみ合いながらも助け合う仲間達。それでも照星は未来をぴたりと見据える。
「…だが、だからと言って俺も手をこまねいてる訳じゃ無いぜ」
ライトブルーの眼差しの終点には、全滅の憂き目に遭い愕然とする残党達。何人かは銃を撃つが、XMスモークのお陰で
射手の居場所を特定出来ていないのを尻目に、彼は銃口にロケット弾を取り付ける。
「ロイド、この眼に映った俺を……せめて俺は嘘にしない」
銃声。通常の銃器を超える反動がストックから肩に突き刺さるが、彼の膂力はそれをも完璧に押さえ込む。
必然狙いは外れる事無く、広域炸裂弾が撃ちまくる数人の中心に命中し、彼らを紅蓮の炎が飲み込んだ。
「…俺は―――――最後の最後まで、お前が見てたヒーローになってみせる」
まるで濁流の様な狂騒に巻き込まれ、その中でイヴとシンディは波間に揺られる小船の様に翻弄されていた。
遠くから響く銃声、そして悲鳴、爆音も入り混じって先刻の祭りとは全く違う激しさが二人の耳朶を打つ。
―――既にイヴは平静を失っていた。
「いや…いや……もう…いやぁ………っ」
逃げ場は無い。知覚全てが暴威と死を捉え、それが細部まで忘れる事の無い頭に次々に刻み込まれる。
完全に恐怖に囚われてへたり込む彼女の頭を、自分も恐いであろうシンディがなけなしの勇気を振り絞って抱きかかえた。
「だいじょうぶ…だいじょうぶだから……お姉ちゃん…だいじょうぶ…」
誰かに縋りたいが、縋れなかった。無力な自分より更に無力な存在が、彼女が弱者になる事を許さなかった。
「何やってんだ! 来い!!」
二人を見かねた一人の大人が、彼女達の腕を強引に引いた―――が、彼は突然殴られた様に跳ね飛ばされる。
「きゃっ!! ……え…?」
驚いたシンディが恐る恐る彼へと目を向けると、倒れる体の下から赤が広がっていく。其処から彼が動く事は無かった。
泣きたかった。耳目を閉じて、全てから逃げ出したかった。だがそれは為し得ない、自分しか縋る物が無いイヴを放っては置けなかった。
だが――――――、動かないのはもっと不味い。
「どうだ、一発だぜ」
悪意を感じないほど得意げな口調の方を見て、シンディは絶句した。二人の周囲に既に生者は無く、それに取って代わる様に
兵士達がぞろぞろとやって来た。
「ん? このガキ……」
抱き合いながら竦み合う二人を、一人が何とも訝しげに見入る。
「何だ? 殺るのか? それとも…」
「俺はパス。さっき済ませたからな」
「いや、そうじゃねえよ。見ろって」
まるで品評される様な軽さが、二人には一層恐ろしかった。
延焼した炎を光源にして照らされる通りの惨状は凄まじかった。
市民の死体も多少は有るが、それ以上にこの町を圧倒的武力で襲撃した筈の兵士達の屍が凄惨の際を引き上げていた。
顔面が潰されたもの有る。首が捻られたものも有る。首が無いものも有れば、袈裟懸けに斬られたものまで有る。
…何が暴れ回ったのか見当も付かない凄惨の中で、一人の兵士が必死の思いで饒舌を自らに課す。
「―――…それで全部だ…嘘じゃない。だから頼む、殺さ…!」
命乞いする兵士の頭を、バイザーメットごとハーディスの銃床が叩き潰した。
息も荒く、血に染まった銃を握るトレインは、何故か怒り心頭に発していた。呼吸の乱れも別に戦闘による物ではなく、それが
平常心を掻き乱すほど大きいものだからだ。
「…やっぱり……そうかよ…」
声もまた、怒りに震えていた。返り血に塗れながら、トレインは先刻までお祭り騒ぎだった通りを憤慨任せに見やる。
ひっくり返った屋台、僅かの金と散らばる菓子、割れた店舗のショウウインドウ、血、死体。そのどれもが、戦いとは無縁だった。
「ふざけてんじゃ…ねえぞ……」
――今更、人の命は大事とか言うつもりは無い。そんなものは散々奪ってきたのだから。
しかし、彼らは全く無関係だった。如何にかつての自分が暗殺者とは言え、無為の殺生を行ったりする殺人狂でも無ければ、
見て見ぬ振りをする無情の傍観者でもない。それだけに眼前の有り様が、それを起こしたもの全てが、許せなかった。
轟音。汲めども尽きぬ怒りが、居場所を悟られるのを承知でハーディスに天を咆えさせる。
撃つ、なおも撃つ。弾丸が彼の殺意の形容である様に、その咆哮は彼の怒りの象徴だった。
…やがて弾は尽きる。しかし銃は変わらず虚空を睨み付けた。
「いい加減にしろ――――――ッ!!! 手前ェら―――――――ッッツッ!!!」
銃声に代わって、トレインは猛り狂った。
「…そんなモン置いてけ! 早くしろ!!」
「…うちの子が居ないの!! お願い、捜して!!!」
「必ず捜します! だから今は早く!!」
警備員と警官、そして幾分冷静な市民が人の波に大声で避難を促がす。
今でこそ観光地のフィブリオ市だが、古くは大国や戦乱の蹂躙を受け、それ故人災に対する危機管理能力が骨の髄まで染み付いていた。
連絡網と避難場所は完璧に確保され、平和になった今でもその為の訓練を欠かさない。
しかし――――
かなり近くからドラムロールの様な音が数回響いた。
「来たぞ!!」
警官の声に誰もが身を強張らせる。
視線の先には、瞬く間にゴーストタウンの様相となった道路の向こうからやって来る兵士達。武骨で機械的な類人猿を思わせる
戦闘服の集団は、それぞれが大仰な火器を携えていた。
ざっと見て向こうの装備は未来的なフォルムの小銃に、分隊支援用機関銃、グレネードランチャー、手榴弾、果ては火炎放射器。
比べてこちらは警棒に拳銃、有ってもショットガンやライフル、しかも数まで足りない。
……戦力差は量るまでも無いが、それでも警官達は引けなかった―――兵士達の足元に守るべき市民が、観光客が数人転がっていた。
「くそぉっ!」
一人の警官が警告無しで撃った。
だが腹部に着弾するも、兵士は足を止めただけでまるで負傷の様子が見られない。
「な……」
「……凄ぇ……こりゃ凄ぇ! 痛くも痒くも無えぞこれ! ……ターリカで欲しかったぜ」
戦闘服の凄さを仲間で体感し、彼らはこれより始まるであろう虐殺に色めき立った。
対して警官達の絶望は如何ばかりか。相手は銃が通じないのだ。
「こりゃ、正当防衛だよなぁ。サツの旦那よ」
まともな戦闘すら放棄して、小銃を掲げながら棒立ちで悠々と近寄る。
無駄だと知りつつ銃を向けるも、哀しいかな戦況は厳として動かず、その上人的物量にも負けている。
屈してはならないのが警察の常識。しかし圧倒的な暴力の前には、法も秩序もミキサーに放り込まれるトマトも同然。
だがトマトは放り込まれなかった。
横合いから飛び出した一迅の黒い風。それが先刻の兵士にぶつかったと思った瞬間、彼の首は死んだと気付く間も無くへし折れた。
全体重を乗せた飛び蹴りから鮮やかに着地して、トレイン=ハートネットは警官達に叫ぶ。
「あんた等は避難を優先しろ! こっちはオレが引き受ける!!」
「無茶言うな! 我々が……!」
「それが無理だって言ってんだよ! さっさとしろ!!」
噛み付く様な叱咤に気圧され、警官達がその場を後にするのを見届け、トレインは改めて兵士達に対峙する。
「…冗談ゴトじゃ済まねぇぞ、お前ら」
その憎悪に燃える眼差しに、彼らもまた気圧された。
「落ち着いて下さい! まず避難を…!」
「それは良いから、早く銃を寄越せと言っとるんだ!!」
禿げ上がった肥満漢が警官の銃を奪おうと詰め寄っていた。それに手を割かれるお陰で、避難は遅々として進まない。
「ですから、此処は我々に任せて…」
「貴様ワシを誰だと思っとる!! ワシは食品業界では世界七位の………!!」
訊かれてもいない自身の立場と、それに付随する自慢話をがなり立てる。この男が暴走しないよう三人もの警官が応対しているのだが、
当の本人は自分の身は自分で守るだの、逆らったら首にするだのと猫の手も借りたい彼らを更に煩わせる…と、その時、
「……ねえ、リッチなオジサマ?」
突如背中から掛けられた猫撫で声に、怒りを半分助平根性を半分で振り向いたが、彼を迎えたのは美女の艶笑では無い。
―――――拳、だった。
「ほげぁ!!」
肥満漢が無様な声を上げて地べたに転がった。
「………きっ……貴様ァ! ワシを誰だと…!!」
加減されていたらしく、即座に起き上がって襲撃者に噛み付こうとしたが…銃の力は素晴らしい。彼の罵声も無駄な横暴も、
ただ向けるだけで完全に停止させる。
「ゴチャゴチャ言ってないで避難しなさい。ブッ殺すわよ」
更に、銃口よりも雄弁な怒気を双眸に漲らせ、リンスレット=ウォーカーは矮小な暴君を睨み付けた。
「有り難う、何て言ったらいいか…」
「いいからあんた等も避難なさい! 手に負える相手じゃないわ!!」
避難し終えて礼を言う警官にも避難を促がして、リンスは次の場所へと向かおうとする―――――が、
「……チッ」
舌打ち一つで足を止め、睨んだ彼方には街中に余りにもそぐわない兵士達。間違い無く星の使徒の手勢だ。
そして彼らもリンス達を見つけたらしく、まるで無警戒に彼女達へと近寄ってくる。
「逃げなさい、大急ぎで!!」
リンスの剣幕に押されて警官達が慌てて逃げる頃には、兵士達は彼女の前に大挙していた。
……その彼らを一瞥して、内心反吐が出る思いだった。戦闘服は返り血に塗れ、その態度と来たらまるで街のチンピラの様に
緩く、彼らを睨むリンスを品定めする様に上へ下へと睨め上げる。それだけで彼等の下賎な行動と目的が明確に判り、存在そのものが
彼女の不快指数を無制限に引き上げていった。
「……星の使徒ね?」
訊きたくも無いがとりあえず訊く。すると一人が下卑た苦笑も露わに彼女を指差す。
「ほらな? やっぱり資料で見た女だろ?」
「ああそうだ、間違い無えな。写真で見るよかよっぽど美人だぜぇリンスちゃん」
圧倒的戦力に酔っているのか、そのどれにも品性は見られない。無理からぬ事だろう、彼等の戦場における常識がプラスの意味で通用
しないのだから、勇者も下衆に、下衆はより下衆に変わり果てる。正直言って、空気も共有したくないほど嫌悪を催す手合いだった。
だが彼女の心中を一切慮る事無く、彼らは勝手な事を次々と並べる。
「正直よ、殺すのは勿体無えよなあ」
「ああ云えてる」
「…こう言う気の強そうなのが堪らねえんだ、クックック…」
いよいよ忍耐はレッドゾーンに陥ったが、彼女は敢えて手を出さない。勿論それは彼らへの気遣いではなく、感情を来るべき時に
完全燃焼させる為、臨界の臨界まで自制しているのだ。
「…ま、大人しくしてたら優しくしてやっても良いぜぇ…ひひ」
一人だから、無抵抗だから、女だから、大人数だから、武装しているから―――――それらの理由が彼女の中にある巨大な地雷を
知らずに踏んでいた。
「…あらそう? 優しいのね」
しかし胸中とは真逆に、リンスは兵士達に向かって微笑む。それを見て彼らも、即座に増長した。
「そうそう、女は聞き分け良いのが一番…」
彼女に最も近い兵士が馴れ馴れしく無用心に手を伸ばす。
―――――だが、その手が彼女に触れるより早く、当の本人が消失した。
その兵士の脇をすり抜け、更に兵士達の間を疾く舞う水魚が如く潜り抜け、気付いた頃には彼らの最後尾よりなお後方に彼女は立っていた。
「……は?」
皆が予想を越える彼女の身体能力に驚くも束の間、
「うおおおおぉおお!! おっ、おっ! おぉっ!!」
聞き苦しい悲鳴が先刻の最前列から迸った。
物見高く集まった視線の先には―――――――リンスを捕まえようとした兵士が、何故か蹲っていた。
「…おおぉ、おっ、俺の………腕がぁッッ!!!」
彼の腕は、肘から先が無くなっていた。
『何ィ!?』
状況の流れで再度リンスに目を向けると、その手に有るのは懐中時計。そして其処から何か細い糸の様な乱反射が空いた手まで
橋を掛けている。
「このアマ……!」
だがそれを言わせるより早く、彼女の手から何か小さな物が数個地面に落ちて小さな金属音を奏でた。
思わず注視し、電子バイザーがそれを拡大すると………何たる事か、全て手榴弾のピンだ。
「…あ?」
疑問風の危機察知は遅過ぎた。数人の兵士がほぼ一斉に、体に括り付けたまま手榴弾を破裂させる。
破片が、爆風が、焼夷弾の炎が、誘爆した仲間の手榴弾が、零距離で最新戦闘服ごと彼らを引き裂き、吹き飛ばし、灼き尽くす。
それが済むともう一度地獄が、今度は彼らの阿鼻叫喚が幕を開ける。
辛うじて生を拾った兵士が這いつくばって周囲を見れば、死に切れない仲間達が安らかな結末を求めて苦吟の合唱を上げていた。
戦闘服のお陰で死人はそれほど居ないものの、どれだけの者が戦意を失った事だろう。
「マジかよ……あの女一人に…」
「…さっき、『大人しくしてれば優しくする』とか云ってたわよねぇ」
ドスの利いた声が聞こえるや否や、彼の頭をリンスが踏み躙った。
彼女を知覚した兵士は一様に射竦められる。睥睨する彼女の眼には、遂に殺意に達した義憤が燃え盛っていた。
―――甘かった。仮にも黒猫(ブラックキャット)の手勢の一人、単騎、物量、装備、性別、そんな物で勝ちが奪えるほど
この女は微温くない。
服に護られた腕を切断し、そして手榴弾のピンを掏り取って安全圏まで逃れる。それを一瞬で行う相手に装備など殆ど意味が無い。
その上周到この上ない。腕を切ったのは、手榴弾のレバーが落ちる音から注意を逸らさせる為だろう。
……戦闘服ごと腕を切断したのはあの糸―――――恐らくジーリ鋸だ。
元々は頭蓋骨を切断する為の医療器具だが、それ故鋭利な切れ味が要求される為、悪用すれば鋼鉄をも断つ代物だ。
リンスの装備は本来が工具、必然それは武器以上の威力を要求する。従って、彼ら自慢の戦闘服も彼女の攻撃には一切意味をなさない。
「悪いけど……アタシは目一杯痛くするわよ」
知ってか知らずか、彼女の言葉は真実だった。
街中に鳴り響く速射音と共に、銃弾は民間人・警官を問わず無慈悲に彼らを薙ぎ払った。
悲鳴も時には混じる。しかし銃弾を僕とする兵士達は耳こそ貸すが取り合わない。
「どうした! 弱ぇ、弱過ぎるぜお前ら!!」
「効かねえな、もっとデカいのを用意しなポリ公!!」
「プロ根性見せてみな! どうした、撃って来い!」
殺戮に陶酔した彼らは、まるでゲーム感覚でほぼ無抵抗に等しい人々を次々と殺意の牙に掛けて行った。
フルオートで踊る民衆に、皆笑いと銃撃を止めようとしない。血とマズルフラッシュが、悪意の彩度を高めていく。
「…お?」
その視線の先には、少年が妹と思しき少女の手を引いて全力で走っていた。
「よーしお前ら、撃つなよ。まずはオスガキからだ」
肩付けでOICWを構え、スコープが走る二人に背中を捉える。バイザーにも直結したFCS(ファイア・コントロール・システム)が
二人をロックオンし、拡大。その画像は少年のつむじが見えるほど鮮明この上ない。
それを沈黙で見守る仲間達は、まるでダーツかルーレットの結果を待つ様に興奮を押さえ込んでいた。
無論狙う彼も気持ちは同じ。その開放と達成に歓喜を宥めて銃爪に力を込める。
その彼の頭が―――――――突然爆発を伴って弾け飛んだ。
「!?」
続いてそれが倒れるより早く、数人が横一列に並ぶ形で何かに体を貫かれた。
「え? え!?」
「何だ!? どうした、一体!!」
前に進み出た兵士が背負う火炎放射器のボンベが破裂、爆炎と燃え滾るナパームオイルを友軍含む周囲に撒き散らす。
「ひっ、うわあああぁあぁぁ!!」
水でも砂でも消せない炎を纏う羽目になった兵士が幾人も狂乱した。さしもの最新装備と言えど、耐熱服でも防ぎ切れないこの炎
には成す術なく、生きたまま焼かれると言う非業の死を遂げる。
「……畜生、狙撃だ!!」
その仮定を証明する様に、彼の頭蓋骨を破壊する威力でXMスモーク弾(赤外線と光学装置を妨害する煙)が直撃した。
――――彼らから約八百メートル西の時計塔上階。
「悪く思うなよ。的確と確実が俺の流儀(スタイル)なんでな」
窓から小型の砲か巨大なライフルとでも言うべき銃を構え、スヴェン=ボルフィードはブレイクオープン式(銃自体を折る様に
薬室を開いて銃身そのものに弾丸を込める方式)の薬室を開く。同時に肩に担いだ弾薬ベルトから次弾を抜き取り、排莢機構が
空薬莢を弾き出すのとコンマ数瞬入れ違いで弾を込め、収める。素早く、確実で無駄な力が全く無い手馴れた動作だった。
スコープ越しに彼は〝右眼〟で狙いを付け、撃つ。するとまたしても彼方で狙い過たず標的に命中した。
彼が狙っているのが標的では無く、〝未来の結果〟だからだ。
……この〝右眼〟を使うたび、病む様に疼く。身体ではなく、心の何処かが。
心にも幻肢痛は有る。それもまた、罰の一つなのだろうか。
「……始めは死のうと思ってたさ、でもな…ロイド」
聞こえているのかどうかも定かでは無いのに、彼は失った友に独白する。そして手は一連の装填動作を滞らす事無く行う。
「…あいつ―――トレインに出会ってからがケチの付き初めでな…死ぬ暇なんてありゃしない」
思い出すのは、いがみ合いながらも助け合う仲間達。それでも照星は未来をぴたりと見据える。
「…だが、だからと言って俺も手をこまねいてる訳じゃ無いぜ」
ライトブルーの眼差しの終点には、全滅の憂き目に遭い愕然とする残党達。何人かは銃を撃つが、XMスモークのお陰で
射手の居場所を特定出来ていないのを尻目に、彼は銃口にロケット弾を取り付ける。
「ロイド、この眼に映った俺を……せめて俺は嘘にしない」
銃声。通常の銃器を超える反動がストックから肩に突き刺さるが、彼の膂力はそれをも完璧に押さえ込む。
必然狙いは外れる事無く、広域炸裂弾が撃ちまくる数人の中心に命中し、彼らを紅蓮の炎が飲み込んだ。
「…俺は―――――最後の最後まで、お前が見てたヒーローになってみせる」
まるで濁流の様な狂騒に巻き込まれ、その中でイヴとシンディは波間に揺られる小船の様に翻弄されていた。
遠くから響く銃声、そして悲鳴、爆音も入り混じって先刻の祭りとは全く違う激しさが二人の耳朶を打つ。
―――既にイヴは平静を失っていた。
「いや…いや……もう…いやぁ………っ」
逃げ場は無い。知覚全てが暴威と死を捉え、それが細部まで忘れる事の無い頭に次々に刻み込まれる。
完全に恐怖に囚われてへたり込む彼女の頭を、自分も恐いであろうシンディがなけなしの勇気を振り絞って抱きかかえた。
「だいじょうぶ…だいじょうぶだから……お姉ちゃん…だいじょうぶ…」
誰かに縋りたいが、縋れなかった。無力な自分より更に無力な存在が、彼女が弱者になる事を許さなかった。
「何やってんだ! 来い!!」
二人を見かねた一人の大人が、彼女達の腕を強引に引いた―――が、彼は突然殴られた様に跳ね飛ばされる。
「きゃっ!! ……え…?」
驚いたシンディが恐る恐る彼へと目を向けると、倒れる体の下から赤が広がっていく。其処から彼が動く事は無かった。
泣きたかった。耳目を閉じて、全てから逃げ出したかった。だがそれは為し得ない、自分しか縋る物が無いイヴを放っては置けなかった。
だが――――――、動かないのはもっと不味い。
「どうだ、一発だぜ」
悪意を感じないほど得意げな口調の方を見て、シンディは絶句した。二人の周囲に既に生者は無く、それに取って代わる様に
兵士達がぞろぞろとやって来た。
「ん? このガキ……」
抱き合いながら竦み合う二人を、一人が何とも訝しげに見入る。
「何だ? 殺るのか? それとも…」
「俺はパス。さっき済ませたからな」
「いや、そうじゃねえよ。見ろって」
まるで品評される様な軽さが、二人には一層恐ろしかった。
延焼した炎を光源にして照らされる通りの惨状は凄まじかった。
市民の死体も多少は有るが、それ以上にこの町を圧倒的武力で襲撃した筈の兵士達の屍が凄惨の際を引き上げていた。
顔面が潰されたもの有る。首が捻られたものも有る。首が無いものも有れば、袈裟懸けに斬られたものまで有る。
…何が暴れ回ったのか見当も付かない凄惨の中で、一人の兵士が必死の思いで饒舌を自らに課す。
「―――…それで全部だ…嘘じゃない。だから頼む、殺さ…!」
命乞いする兵士の頭を、バイザーメットごとハーディスの銃床が叩き潰した。
息も荒く、血に染まった銃を握るトレインは、何故か怒り心頭に発していた。呼吸の乱れも別に戦闘による物ではなく、それが
平常心を掻き乱すほど大きいものだからだ。
「…やっぱり……そうかよ…」
声もまた、怒りに震えていた。返り血に塗れながら、トレインは先刻までお祭り騒ぎだった通りを憤慨任せに見やる。
ひっくり返った屋台、僅かの金と散らばる菓子、割れた店舗のショウウインドウ、血、死体。そのどれもが、戦いとは無縁だった。
「ふざけてんじゃ…ねえぞ……」
――今更、人の命は大事とか言うつもりは無い。そんなものは散々奪ってきたのだから。
しかし、彼らは全く無関係だった。如何にかつての自分が暗殺者とは言え、無為の殺生を行ったりする殺人狂でも無ければ、
見て見ぬ振りをする無情の傍観者でもない。それだけに眼前の有り様が、それを起こしたもの全てが、許せなかった。
轟音。汲めども尽きぬ怒りが、居場所を悟られるのを承知でハーディスに天を咆えさせる。
撃つ、なおも撃つ。弾丸が彼の殺意の形容である様に、その咆哮は彼の怒りの象徴だった。
…やがて弾は尽きる。しかし銃は変わらず虚空を睨み付けた。
「いい加減にしろ――――――ッ!!! 手前ェら―――――――ッッツッ!!!」
銃声に代わって、トレインは猛り狂った。