五指に付着させた土と血で、隈取に似た化粧を描くゲバル。眠れる力の全てが開放され、
凶暴な戦士が誕生する。もはやゲバルにとってここは路地ではなく、四方を海に囲まれた
大海原に他ならない。
日本刀は鞘から抜き、拳銃は安全装置を外し、初めて性能をフルに生かすことができる。
烈も同じである。烈海王は靴という足枷を脱いでこそ、魔拳たる性能を百パーセント発揮
することができるのだ。
「宝を逃すな野郎ども……出航ォッ!」
「全てを出しきる……来いッ!」
アライJrは生唾を飲み込む。
互いに消耗しすぎている。長期戦にはなるまい。
「次で、決まる……ッ!」
昨夜の公園でのやり取りが、アライJrの中で鮮明な映像となって蘇る──。
凶暴な戦士が誕生する。もはやゲバルにとってここは路地ではなく、四方を海に囲まれた
大海原に他ならない。
日本刀は鞘から抜き、拳銃は安全装置を外し、初めて性能をフルに生かすことができる。
烈も同じである。烈海王は靴という足枷を脱いでこそ、魔拳たる性能を百パーセント発揮
することができるのだ。
「宝を逃すな野郎ども……出航ォッ!」
「全てを出しきる……来いッ!」
アライJrは生唾を飲み込む。
互いに消耗しすぎている。長期戦にはなるまい。
「次で、決まる……ッ!」
昨夜の公園でのやり取りが、アライJrの中で鮮明な映像となって蘇る──。
刀は寸止めされていた。青ざめた表情で目を白黒させるアライJrに、本部は静かに語
りかける。
「……分かったか、小僧」
「え……?」
「どれだけ技を磨こうが、殺しを許容しようが、貴様には命を差し出す覚悟がまるでない。
ルールと審判に守られた競技スポーツならばともかく、ルール無しの闘争で通用するはず
がない」
欠点を看破され、反論もままならず目を背けるアライJr。
「貴様の父には命を獲られる覚悟があった。彼があれほどに尊敬を集めたのは、ボクシン
グに長けていたからだけではない。いかなる困難にも命を賭して立ち向かい、決して屈し
ない。あの偉大なる心根があればこそ、マホメド・アライは王者たりえたのだ」
記録上はスポーツ選手に過ぎなかったはずの父は、命を差し出せる覚悟を持っていた。
一方、あえてノールールマッチに挑んだはずの自分は、自らの命が奪われる局面など想
定すらしていなかった。
探し求めていた答えは、あまりにも信じがたく、耐えがたい現実だった。なにより正し
かった。
大きすぎるショックは、アライJrに呼吸の仕方すら忘れさせた。
「離してやれ、ジャック」
アライJrの両肩がジャックの両手から解放された。が、挫折したボクサーは立ち上が
れない。
「どうする、まだ続けるか」
「………」
「こっちの世界で生きてゆくのを止めるなら、今すぐここから去れ。まだやるというのな
ら、わしに打ち込んでこい」
「………」
虚ろな意識でアライJrは悩んだ。これまでの半生、岐路らしい岐路に立たされたこと
などなかった。資質にも環境にも恵まれ、しかも驕らず努力を欠かさなかった。こうして
いればいつか必ずナンバーワンになれると信じていた。これほど真剣に悩んだのは人生で
初めてかもしれない。
本部も、ジャックも、ガイアも、ズールも、ショウも、黙って待った。
やがてアライJrが幽鬼のように立ち上がる。
「決まったようだな」
「……えぇ」
──しなやかな右ストレート一閃。
防御に使用した本部の刀に、ひびが入った。
「これが貴様の答えか。では小僧、この公園内でわしを攻撃することがどういうことか理
解していような?」
「理解している」
「よろしい。これからわしらは五人がかりで貴様を殺す」
「覚悟している」
いつものようにステップを踏むアライJr。しかし両目に宿る炎からは、いつもの甘さ
は消え失せていた。
歯茎をむき出し、本部が笑い始める。
「ふっ……ふはははははははっ!」
きょとんとするアライJr。
「小僧、やってみるがいい! とことんまで、死ぬまでやってみるがいいッ! もし対戦
相手がいなくなっちまったら、またここに来い! わしが一対一で相手してやる!」
公園の出口を指差す本部。行って来い、という合図にアライJrは素直に頷き、公園か
ら駆け出していった。
本部の背中に、ジャックが話しかける。
「珍しいな。アンタがあれほどに目をかけるとはな」
「あの若造、生かしておけば何かやれるかもしれぬと感じた。かつてわしを打ち倒したあ
の小僧のようにな……」
りかける。
「……分かったか、小僧」
「え……?」
「どれだけ技を磨こうが、殺しを許容しようが、貴様には命を差し出す覚悟がまるでない。
ルールと審判に守られた競技スポーツならばともかく、ルール無しの闘争で通用するはず
がない」
欠点を看破され、反論もままならず目を背けるアライJr。
「貴様の父には命を獲られる覚悟があった。彼があれほどに尊敬を集めたのは、ボクシン
グに長けていたからだけではない。いかなる困難にも命を賭して立ち向かい、決して屈し
ない。あの偉大なる心根があればこそ、マホメド・アライは王者たりえたのだ」
記録上はスポーツ選手に過ぎなかったはずの父は、命を差し出せる覚悟を持っていた。
一方、あえてノールールマッチに挑んだはずの自分は、自らの命が奪われる局面など想
定すらしていなかった。
探し求めていた答えは、あまりにも信じがたく、耐えがたい現実だった。なにより正し
かった。
大きすぎるショックは、アライJrに呼吸の仕方すら忘れさせた。
「離してやれ、ジャック」
アライJrの両肩がジャックの両手から解放された。が、挫折したボクサーは立ち上が
れない。
「どうする、まだ続けるか」
「………」
「こっちの世界で生きてゆくのを止めるなら、今すぐここから去れ。まだやるというのな
ら、わしに打ち込んでこい」
「………」
虚ろな意識でアライJrは悩んだ。これまでの半生、岐路らしい岐路に立たされたこと
などなかった。資質にも環境にも恵まれ、しかも驕らず努力を欠かさなかった。こうして
いればいつか必ずナンバーワンになれると信じていた。これほど真剣に悩んだのは人生で
初めてかもしれない。
本部も、ジャックも、ガイアも、ズールも、ショウも、黙って待った。
やがてアライJrが幽鬼のように立ち上がる。
「決まったようだな」
「……えぇ」
──しなやかな右ストレート一閃。
防御に使用した本部の刀に、ひびが入った。
「これが貴様の答えか。では小僧、この公園内でわしを攻撃することがどういうことか理
解していような?」
「理解している」
「よろしい。これからわしらは五人がかりで貴様を殺す」
「覚悟している」
いつものようにステップを踏むアライJr。しかし両目に宿る炎からは、いつもの甘さ
は消え失せていた。
歯茎をむき出し、本部が笑い始める。
「ふっ……ふはははははははっ!」
きょとんとするアライJr。
「小僧、やってみるがいい! とことんまで、死ぬまでやってみるがいいッ! もし対戦
相手がいなくなっちまったら、またここに来い! わしが一対一で相手してやる!」
公園の出口を指差す本部。行って来い、という合図にアライJrは素直に頷き、公園か
ら駆け出していった。
本部の背中に、ジャックが話しかける。
「珍しいな。アンタがあれほどに目をかけるとはな」
「あの若造、生かしておけば何かやれるかもしれぬと感じた。かつてわしを打ち倒したあ
の小僧のようにな……」
──映像は遮断される。
意識を現在に引き戻すと、さっそくアライJrは格闘士としてゲバルと烈の値踏みをす
る。両名は父と同じく、すでに互いの命を闘争に溶け込ませていた。嫉妬(ジェラシー)
すら感じるアライJr。
「ヤイサホォーッ!」
雄叫びを上げ、疾走するゲバル。大統領は暴風と化した。
体を沈ませ、右拳による全開アッパーカット。地面から稲妻が噴出したような、凄まじ
い一撃だった。
これを烈は左足の裏側で受け止めるが、やはり筋力では分が悪く、骨が軋み、押し切ら
れそうになる。
ならば──。
「カアアァアァアッ!」
烈はなんと敵のアッパーを推進力に可変させ、残る右足の指先で一気にゲバルの喉に蹴
り込んだ。
意識を現在に引き戻すと、さっそくアライJrは格闘士としてゲバルと烈の値踏みをす
る。両名は父と同じく、すでに互いの命を闘争に溶け込ませていた。嫉妬(ジェラシー)
すら感じるアライJr。
「ヤイサホォーッ!」
雄叫びを上げ、疾走するゲバル。大統領は暴風と化した。
体を沈ませ、右拳による全開アッパーカット。地面から稲妻が噴出したような、凄まじ
い一撃だった。
これを烈は左足の裏側で受け止めるが、やはり筋力では分が悪く、骨が軋み、押し切ら
れそうになる。
ならば──。
「カアアァアァアッ!」
烈はなんと敵のアッパーを推進力に可変させ、残る右足の指先で一気にゲバルの喉に蹴
り込んだ。
ざくっ。
ゲバルの喉が裂けた。
血液を決壊したダムのように噴き出しながら、ゲバルは後方に傾いていく。
手応えあり。だがまだ勝負ありではない。上から叩き潰すため、烈はふわりと跳び上が
った。
鬼神の形相で上空から降りかかる烈に、ゲバルは再度右拳を握った。
決着の刻(とき)。
両足から伝わる感触に、ゲバルは神経を集中させる。
これから放つ最終兵器に不可欠な、支え。大丈夫、両足が支えてくれている。地表が支
えてくれている。地殻が支えてくれている。マントルが支えてくれている。核が支えてく
れている。
46億年前から変わらず存在し、いつしか「地球」という名を冠した惑星が、支えてく
れている。
アリガトウ。
全ての支えに感謝しつつ、ゲバルは拳を発射した。
血液を決壊したダムのように噴き出しながら、ゲバルは後方に傾いていく。
手応えあり。だがまだ勝負ありではない。上から叩き潰すため、烈はふわりと跳び上が
った。
鬼神の形相で上空から降りかかる烈に、ゲバルは再度右拳を握った。
決着の刻(とき)。
両足から伝わる感触に、ゲバルは神経を集中させる。
これから放つ最終兵器に不可欠な、支え。大丈夫、両足が支えてくれている。地表が支
えてくれている。地殻が支えてくれている。マントルが支えてくれている。核が支えてく
れている。
46億年前から変わらず存在し、いつしか「地球」という名を冠した惑星が、支えてく
れている。
アリガトウ。
全ての支えに感謝しつつ、ゲバルは拳を発射した。
『いやァ~富士山がついに噴火したのかと思いましたよ』
近隣住民は後にこう述懐する。
ゲバルの拳によって烈海王は打ち上げられ、夜空に消えた。
一部始終を見届け立ち尽くすアライJrに、目をやるゲバル。呼吸するたびに裂けた喉
から血の塊が飛び出し、墜落する。
満足げに、しかし寂しげに微笑むと、ゲバルもまた夜の闇に消えていった。
こうして長い夜は終わりを告げた。
近隣住民は後にこう述懐する。
ゲバルの拳によって烈海王は打ち上げられ、夜空に消えた。
一部始終を見届け立ち尽くすアライJrに、目をやるゲバル。呼吸するたびに裂けた喉
から血の塊が飛び出し、墜落する。
満足げに、しかし寂しげに微笑むと、ゲバルもまた夜の闇に消えていった。
こうして長い夜は終わりを告げた。