聖少女風流記 慶次編 第二話 「終わりの始まり」
ジャンヌ・ダルクの人生において、その絶頂期ともいえる3ヶ月が始まっている。
オルレアンの奇跡的な解放に始まり、パテーの会戦を始めとする破竹の快進撃。
そして、ランスにおけるシャルル七世の戴冠式……。
それまで、フランス軍は戦うと必ず負けていた弱軍であった。
イングランドより兵数で上回っていても、戦略の緻密性や武器の差、そして何より
士気の差において、明らかにフランス軍は下回っていた。
士気の差とは、大雑把に断言すれば彼我の王の正当性の差から来る。
フランスの王太子のシャルルは俗物、いや愚物であった。
猜疑心が強く、嫉妬深く、劣等感に常に苛まれ、その憂さを晴らす為に
日々享楽に更け、現実から目を逸らそうとしていた。
その現実とは、母・イザボウの言葉である。
「あの子は不倫の末に出来た子供。王の血を引いてはおりません」
実の母自らが、半ば公然と宣言していたのである。自信が出る訳は無かった。
それに元々、自分は王位継承者ではない、という僻みもある。
上の兄が2人、立て続けに無くなった為、継承権が廻ってきた、というだけである。
王妃・イザボオは権力者を愛人とし、または愛人を自らの手で権力者して作り上げ、
宮廷の権謀術数の中を泳いで生きてきた。
前王・シャルル6世は発狂した後に死んだが、発狂の一因は妻のイザボオの多情にあった。
そして上記の実の息子に対する心無い言葉は、愛人の地位を息子が王に成った後、
脅かす事が無いよう、保険として発した言葉でもある。
だがその愛人が没した後は、掌を返したようにシャルルの側に付く。
イザボオ…。正式名、イザベル・ドゥ・バヴィエールは強かな毒婦であった。
こんな王妃と王太子を戴くフランス軍の兵士に、士気など沸く訳は無かった。
故に、ジャンヌ・ダルクが現れるまで、フランス軍は負け続けていたのである。
フランスの言い伝えには、古くからこんな言葉があるらしい。
『この国は一人の女によって滅び、一人の処女によって救われる』
当時のフランスの人々は、この『一人の女』をイザボオと信じて疑わなかった。
そして、言葉の後半のもう一人。フランスを救う処女。
「宣言します。私は一命を賭けて、シャルル様をランスにお連れします。
そして、ノートル・ダム大聖堂の聖別式でシャルル様に戴冠してもらい、
この地に、正当なフランス王が戻られる事を!」
ジャンヌが小さな体を震わせながら、ありったけのソプラノの声を響かせる。
一瞬、静寂が吹き抜けた後、兵たちの声から次々と歓声が沸き上がる。
「おおお!ラ・ピュセル万歳!!シャルル王太子…、いやシャルル王万歳!!」
「やっとだ、やっとフランスが俺たちの手に帰ってくる!!」
「そうだ、フランスはフランスの王様のもんだ。あいつらのもんじゃねえ!!」
今、フランスには王が2人居る。
イングランドと、それに追するフランスブルゴーニュ派が立てたパリの幼王と、
ジャンヌが正当な王と信じる王太子・シャルル7世である。
ジャンヌは、シャルルこそが王であると宣言した。
神の遣いの言葉は何よりも強く、兵たちの心に響いた。
まして、オルレアンを奪回した翌日である。興奮状態は依然として続いている。
ジャンヌの傍らのジル・ドレも、少し離れたジヤンも、ラ・イールも、兵と同じように
顔を紅潮させ、熱に煽られるように恍惚とした面持ちでジャンヌを見ている。
だが慶次は不安を覚える。
神々しいまでに凛々しいジャンヌの中に、焦りを感じるのだ。
それに何故か、少しずつジャンヌがジャンヌで無くなっていく恐さも感じていた。
慶次は兵たちからやや離れた、全体を見渡せる最後尾にいた。
異人である自分が公式にジャンヌの横にいては不味いと、気を配ったのである。
兵たちは今だ狂躁状態に居る。
それを見据えながら慶次の隣の偉丈夫が、ポツリと呟いた。
「生き急いでおられるようだな、神子殿は…」
慶次はこの男を覚えていた。
先のオルレアンでの戦いで、数百の私兵を見事に率いていたからである。
慶次やジャンヌの陰になり目立ちはしなかったが、明らかにその操兵は、寄せ集めの
フランス軍の中で群を抜いていた。
合戦には必ずある均衡状態や、呂布の圧倒的な圧力。
もし、この男がその手腕を発揮していなかったら、どうなっていたかも分からない。
地味なれど、確実にオルレアンの勝利を演出した一人であった。
「貴殿、ラ・ピュセル殿の騎士だな。 ……身近にいて、どう思われる」
不意に、その男が慶次に問い掛けた。慶次はニコニコとしながらも油断はしない。
男は慶次より少し背は低いが、長い手足と頑健な肉を持ち、歴戦の力強さを感じさせる。
「どうもこうもありませんな。本当に、天下一のいい女です」
慶次はごく自然にその言葉を発した。男が吹き出しそうになる。
「貴殿、いまやフランス中に名を馳せる聖女を、ただいい女と見るか」
「惚れてますからな。救国の聖女のジャンヌ殿で無い、ただの女のジャンヌ殿に」
男が、必死に笑いを堪えている。剛直な武人に見えたが、どうやら根は明るいらしい。
「成程。そうだな、神の遣いとは言え生身の女だ。貴殿は正しい。だが」
男が厳しい顔になる。慶次は静かに次の言葉を待った。
「世の中には、その正しさを疎むものもいる。ラ・ピュセル殿の美しさも」
慶次は黙っている。男の言葉が続く。
「先のオルレアンの戦い。あれはもう人の戦いでは無い。何故なら美し過ぎる。
その美しさと偉業ゆえに、多くの人を惹きつけて止まぬ。
それはそれでいい。勝たねば、この国は滅びるだけだからな。
……が、勝ち方が美し過ぎる」
淡々とその男は譚った。
自身もその戦に加わったというのに、あくまで外から物事を見ている。
そしてその見方は、寸分違わず慶次と同じ見方だった。男は続ける。
「神子は美しく勝ち過ぎた。人が導いたと思えぬほどの圧勝であった。
……それが危ない。神子の名が輝けば輝くほど、その名に凡愚が怯える」
2人の視線の先では、ジル・ドレがジャンヌに代わり演説を打っている。
仕切りに、ラ・ピュセルが、ジャンヌ・ラ・ピュセルが、と言葉を振るっている。
「あの男も変われば変わるものだ。己の、財にしか興味が無かった男が」
偉丈夫が楽しそうに笑った。慶次も釣られて笑う。
その男の、心底愉快そうな笑みに気分を良くしたのである。
「この国と、神子にとっての不幸は…。その凡愚が、次期フランス王位継承者である事だ」
男の笑みが消え、陽気で剛直な武人から、折り目正しい為政者の顔になっている。
「そして、それでも最後には、俺はあの凡愚を護らなくてはいけない事も。
たとえ、神子と袂を分かつ事になっても、な」
瞬間、慶次と男の間に殺気が走る。
この2人は予測しているのだ。
近い将来、ジャンヌとシャルルの間で決定的な亀裂が走るであろう事を。
そして、お互いの立場から、敵同士に分かれるかも知れない事も。
「名前を聞いておきたい、聖女の騎士殿。他でもなく、あなた自身の口から」
「……前田 慶次朗利益と申す。貴殿の名は?」
「アルチュール・ドゥ・リッシュモンと申す。慶次殿、出来るものならお互い…。
ずっと同じものを護り、旨い酒を酌み交わしたいものだな」
「酒を酌み交わすも、槍を交えるも…。貴殿が相手なら、楽しいひと時になりそうだ」
「全くだ。親友と宿敵の両方を一度に得たような、良い気分だ」
男らしい、爽やかな笑みを残しアルチュールは場を辞した。
ジル・ドレの演説が終わり、ジャンヌたちが講壇から姿を消した。
が、まだ熱気に満ちている。兵たちの高揚と興奮が覚めやらない。
無理も無い。
彼らたちは、奇跡とも呼べるような歴史の転換点に参加しているのだ。
ラ・ピュセルは既に兵たちの心の中で、神の代理として存在している。
穢れず、破れず、滅びる事も知らずに自分たちを栄光へと導くと信じている。
が、ジャンヌは一介の乙女である。
怒り、泣き、笑い、戦の恐怖に怯え、兵の死に涙し、腹を空かせた子供たちの姿に
心を痛める、優しい処女(おとめ)である。
しかし、時代は彼女を一介の女である事を赦さない。
同じ人物でありながら、ジャンヌと、ラ・ピュセルがどんどん離れていく。
時代の流れの中で、主役を演じざるを得なくなってしまっている。
俺は、この時代という巨大な流れから、ジャンヌ殿を護り切れるだろうか。
慶次の中に、彼らしく無い『怯え』のような感情が目覚める。
業火の中で焼かれるジャンヌ。それに届かない己の手。
そんな悪夢が彼の中で甦る。 ……いや、必ず護る。俺の命と引き換えにしてでも。
「慶次、お前、あの方と知り合いだったのか」
葛藤をジヤンの声が破った。慶次は穏やかな顔のまま、動揺を隠しながら聞いた。
「いや、初めてお目に掛かったよ。涼やかな、見事な人物だな」
ジヤンが首を振った。
「当たり前だ。あの方こそ、フランス一の武人。数々の武功を若くから立て、
王国筆頭元帥に史上最年少でなったお方だ。
だが、王宮の権力争いに巻き込まれ、王太子とその取り巻きから追放されたがな」
慶次はジヤンの言葉に、またも不吉なものを感じた。
あの男は私心を持つものではあるまい。
おそらく、シャルルとフランスの未来の為に、あえて憎まれ役を買って出て、
厳しい事を具申したはずだ。
が、最終的には疎まれ、無能な提灯持ち連中に追放された。
権力という魔物が、そしてそれに魅入られた愚物どもが、
アルチュールを中央から遠ざけていく。
彼が人物であればあるほど、有能であればあるほど、だ。
(何もかも、腐っているな)
反吐が出そうな気分だ。
が、それでも自分は、この世界を愛している。命の限り護りたいと思う。
ジャンヌがいる、この世界を。
たとえ、既に終わりが始まっているとしても。
ジャンヌ・ダルクの人生において、その絶頂期ともいえる3ヶ月が始まっている。
オルレアンの奇跡的な解放に始まり、パテーの会戦を始めとする破竹の快進撃。
そして、ランスにおけるシャルル七世の戴冠式……。
それまで、フランス軍は戦うと必ず負けていた弱軍であった。
イングランドより兵数で上回っていても、戦略の緻密性や武器の差、そして何より
士気の差において、明らかにフランス軍は下回っていた。
士気の差とは、大雑把に断言すれば彼我の王の正当性の差から来る。
フランスの王太子のシャルルは俗物、いや愚物であった。
猜疑心が強く、嫉妬深く、劣等感に常に苛まれ、その憂さを晴らす為に
日々享楽に更け、現実から目を逸らそうとしていた。
その現実とは、母・イザボウの言葉である。
「あの子は不倫の末に出来た子供。王の血を引いてはおりません」
実の母自らが、半ば公然と宣言していたのである。自信が出る訳は無かった。
それに元々、自分は王位継承者ではない、という僻みもある。
上の兄が2人、立て続けに無くなった為、継承権が廻ってきた、というだけである。
王妃・イザボオは権力者を愛人とし、または愛人を自らの手で権力者して作り上げ、
宮廷の権謀術数の中を泳いで生きてきた。
前王・シャルル6世は発狂した後に死んだが、発狂の一因は妻のイザボオの多情にあった。
そして上記の実の息子に対する心無い言葉は、愛人の地位を息子が王に成った後、
脅かす事が無いよう、保険として発した言葉でもある。
だがその愛人が没した後は、掌を返したようにシャルルの側に付く。
イザボオ…。正式名、イザベル・ドゥ・バヴィエールは強かな毒婦であった。
こんな王妃と王太子を戴くフランス軍の兵士に、士気など沸く訳は無かった。
故に、ジャンヌ・ダルクが現れるまで、フランス軍は負け続けていたのである。
フランスの言い伝えには、古くからこんな言葉があるらしい。
『この国は一人の女によって滅び、一人の処女によって救われる』
当時のフランスの人々は、この『一人の女』をイザボオと信じて疑わなかった。
そして、言葉の後半のもう一人。フランスを救う処女。
「宣言します。私は一命を賭けて、シャルル様をランスにお連れします。
そして、ノートル・ダム大聖堂の聖別式でシャルル様に戴冠してもらい、
この地に、正当なフランス王が戻られる事を!」
ジャンヌが小さな体を震わせながら、ありったけのソプラノの声を響かせる。
一瞬、静寂が吹き抜けた後、兵たちの声から次々と歓声が沸き上がる。
「おおお!ラ・ピュセル万歳!!シャルル王太子…、いやシャルル王万歳!!」
「やっとだ、やっとフランスが俺たちの手に帰ってくる!!」
「そうだ、フランスはフランスの王様のもんだ。あいつらのもんじゃねえ!!」
今、フランスには王が2人居る。
イングランドと、それに追するフランスブルゴーニュ派が立てたパリの幼王と、
ジャンヌが正当な王と信じる王太子・シャルル7世である。
ジャンヌは、シャルルこそが王であると宣言した。
神の遣いの言葉は何よりも強く、兵たちの心に響いた。
まして、オルレアンを奪回した翌日である。興奮状態は依然として続いている。
ジャンヌの傍らのジル・ドレも、少し離れたジヤンも、ラ・イールも、兵と同じように
顔を紅潮させ、熱に煽られるように恍惚とした面持ちでジャンヌを見ている。
だが慶次は不安を覚える。
神々しいまでに凛々しいジャンヌの中に、焦りを感じるのだ。
それに何故か、少しずつジャンヌがジャンヌで無くなっていく恐さも感じていた。
慶次は兵たちからやや離れた、全体を見渡せる最後尾にいた。
異人である自分が公式にジャンヌの横にいては不味いと、気を配ったのである。
兵たちは今だ狂躁状態に居る。
それを見据えながら慶次の隣の偉丈夫が、ポツリと呟いた。
「生き急いでおられるようだな、神子殿は…」
慶次はこの男を覚えていた。
先のオルレアンでの戦いで、数百の私兵を見事に率いていたからである。
慶次やジャンヌの陰になり目立ちはしなかったが、明らかにその操兵は、寄せ集めの
フランス軍の中で群を抜いていた。
合戦には必ずある均衡状態や、呂布の圧倒的な圧力。
もし、この男がその手腕を発揮していなかったら、どうなっていたかも分からない。
地味なれど、確実にオルレアンの勝利を演出した一人であった。
「貴殿、ラ・ピュセル殿の騎士だな。 ……身近にいて、どう思われる」
不意に、その男が慶次に問い掛けた。慶次はニコニコとしながらも油断はしない。
男は慶次より少し背は低いが、長い手足と頑健な肉を持ち、歴戦の力強さを感じさせる。
「どうもこうもありませんな。本当に、天下一のいい女です」
慶次はごく自然にその言葉を発した。男が吹き出しそうになる。
「貴殿、いまやフランス中に名を馳せる聖女を、ただいい女と見るか」
「惚れてますからな。救国の聖女のジャンヌ殿で無い、ただの女のジャンヌ殿に」
男が、必死に笑いを堪えている。剛直な武人に見えたが、どうやら根は明るいらしい。
「成程。そうだな、神の遣いとは言え生身の女だ。貴殿は正しい。だが」
男が厳しい顔になる。慶次は静かに次の言葉を待った。
「世の中には、その正しさを疎むものもいる。ラ・ピュセル殿の美しさも」
慶次は黙っている。男の言葉が続く。
「先のオルレアンの戦い。あれはもう人の戦いでは無い。何故なら美し過ぎる。
その美しさと偉業ゆえに、多くの人を惹きつけて止まぬ。
それはそれでいい。勝たねば、この国は滅びるだけだからな。
……が、勝ち方が美し過ぎる」
淡々とその男は譚った。
自身もその戦に加わったというのに、あくまで外から物事を見ている。
そしてその見方は、寸分違わず慶次と同じ見方だった。男は続ける。
「神子は美しく勝ち過ぎた。人が導いたと思えぬほどの圧勝であった。
……それが危ない。神子の名が輝けば輝くほど、その名に凡愚が怯える」
2人の視線の先では、ジル・ドレがジャンヌに代わり演説を打っている。
仕切りに、ラ・ピュセルが、ジャンヌ・ラ・ピュセルが、と言葉を振るっている。
「あの男も変われば変わるものだ。己の、財にしか興味が無かった男が」
偉丈夫が楽しそうに笑った。慶次も釣られて笑う。
その男の、心底愉快そうな笑みに気分を良くしたのである。
「この国と、神子にとっての不幸は…。その凡愚が、次期フランス王位継承者である事だ」
男の笑みが消え、陽気で剛直な武人から、折り目正しい為政者の顔になっている。
「そして、それでも最後には、俺はあの凡愚を護らなくてはいけない事も。
たとえ、神子と袂を分かつ事になっても、な」
瞬間、慶次と男の間に殺気が走る。
この2人は予測しているのだ。
近い将来、ジャンヌとシャルルの間で決定的な亀裂が走るであろう事を。
そして、お互いの立場から、敵同士に分かれるかも知れない事も。
「名前を聞いておきたい、聖女の騎士殿。他でもなく、あなた自身の口から」
「……前田 慶次朗利益と申す。貴殿の名は?」
「アルチュール・ドゥ・リッシュモンと申す。慶次殿、出来るものならお互い…。
ずっと同じものを護り、旨い酒を酌み交わしたいものだな」
「酒を酌み交わすも、槍を交えるも…。貴殿が相手なら、楽しいひと時になりそうだ」
「全くだ。親友と宿敵の両方を一度に得たような、良い気分だ」
男らしい、爽やかな笑みを残しアルチュールは場を辞した。
ジル・ドレの演説が終わり、ジャンヌたちが講壇から姿を消した。
が、まだ熱気に満ちている。兵たちの高揚と興奮が覚めやらない。
無理も無い。
彼らたちは、奇跡とも呼べるような歴史の転換点に参加しているのだ。
ラ・ピュセルは既に兵たちの心の中で、神の代理として存在している。
穢れず、破れず、滅びる事も知らずに自分たちを栄光へと導くと信じている。
が、ジャンヌは一介の乙女である。
怒り、泣き、笑い、戦の恐怖に怯え、兵の死に涙し、腹を空かせた子供たちの姿に
心を痛める、優しい処女(おとめ)である。
しかし、時代は彼女を一介の女である事を赦さない。
同じ人物でありながら、ジャンヌと、ラ・ピュセルがどんどん離れていく。
時代の流れの中で、主役を演じざるを得なくなってしまっている。
俺は、この時代という巨大な流れから、ジャンヌ殿を護り切れるだろうか。
慶次の中に、彼らしく無い『怯え』のような感情が目覚める。
業火の中で焼かれるジャンヌ。それに届かない己の手。
そんな悪夢が彼の中で甦る。 ……いや、必ず護る。俺の命と引き換えにしてでも。
「慶次、お前、あの方と知り合いだったのか」
葛藤をジヤンの声が破った。慶次は穏やかな顔のまま、動揺を隠しながら聞いた。
「いや、初めてお目に掛かったよ。涼やかな、見事な人物だな」
ジヤンが首を振った。
「当たり前だ。あの方こそ、フランス一の武人。数々の武功を若くから立て、
王国筆頭元帥に史上最年少でなったお方だ。
だが、王宮の権力争いに巻き込まれ、王太子とその取り巻きから追放されたがな」
慶次はジヤンの言葉に、またも不吉なものを感じた。
あの男は私心を持つものではあるまい。
おそらく、シャルルとフランスの未来の為に、あえて憎まれ役を買って出て、
厳しい事を具申したはずだ。
が、最終的には疎まれ、無能な提灯持ち連中に追放された。
権力という魔物が、そしてそれに魅入られた愚物どもが、
アルチュールを中央から遠ざけていく。
彼が人物であればあるほど、有能であればあるほど、だ。
(何もかも、腐っているな)
反吐が出そうな気分だ。
が、それでも自分は、この世界を愛している。命の限り護りたいと思う。
ジャンヌがいる、この世界を。
たとえ、既に終わりが始まっているとしても。