<一日目・その10-(1) 『死から生へ―――白昼夢のススメ』>
現在時刻:午後15:30 場所:通学路脇にある草原
(暗い・・・。なんて暗いんだ・・・。)
子供の頃の自分に殴られた圭一は、冷たいものが流れ出てくるのを切に感じながら、
目の前に広がる混沌に体を委ねていた。
当然、委ねた先に待っているのは、逃れる事の出来ない絶対的な死。
そう、帰宅途中の際に起きた突発的な惨事は、最終的に自分自信が殺されるという結果になった。
しかし、今の圭一にとって、死に近づく事はある意味では喜ばしい事だった。
なぜなら、子供の頃の自分が狂った姿を見続けるくらいならば、今の自分は死んでしまった方が楽だと思ったからだ。
いや、むしろ、夢だという願いの方が多く込められていたかもしれない。
そして・・・。今、
「圭一君!!こんなところで寝たら死んじゃうよ!!」
「前原?さっさと起きないと、ここに置いて行っちゃうわよ。」
混沌のどこからか聞こえてきた声が、圭一を死という現実から、全く別の現実へと連れて行こうとしていた。
まるで圭一が受け止めなくてはいけない現実が、自分自身の死という現実では足りないと言わんばかりに・・・・。
「う・・・、う・・ん・・。」
本当に気だるそうな表情をしながら、圭一はゆっくりと目を開ける。
すると、ねむけ眼の圭一の目に映ったのは・・・、
「おっ♪やっと起きたね!!おっはよ~~☆」
「っていうか、何でこんな所に寝てるのよ・・・。アンタ・・、死んでも良い訳?」
いつも目にする通学路脇にある草原と、いつも見ている高校生の姿をしたレナ。
そして、彼女の友人である千沙であった。
「あっ・・・・、レナ!!こ、殺さないでくれ!!」
しかし、圭一はレナの顔を見た瞬間、震え上がるような思いに支配されると同時に・・・・、命乞いをしていた。
きっと、先程の惨事が脳内に再生されたからだろう。
子供の頃の自分に殺されるという矛盾に加え、その子供の頃の自分がした人とは思えない所業の数々。
しかも、その場には、子供の頃のレナも居た・・・。
これでは思い出しただけでも震え上がるのは無理も無い。
「はうっ!どうかしたした?圭一君?」
「ったく・・・、なに寝ぼけた事を言っているんだか・・・。」
「うるさい!!お前は・・・、お前は・・・・!!」
一方、そんなことは露知らず、圭一の反応を冷ややかな視線で見つめる二人。
この温度差のままでは、圭一が一人暴走し始めるのは明確であった・・・・・、
―――――――のだが!!
「てめぇぇぇら~~!!何時までそこでくっちゃべってやがる!!さっさと、あの自転車に乗れいぃぃぃぃぃ!!
特に前原!!てめえのせいで、時間を食ったんだ!!てめえは自転車の籠の中に入ってろ!!分かったな!!」
「「「は、はい!!アナタ様のおっしゃる通りでございます!!」」」
その温度差も、鬼の前では些細な事この上ない。
嵐のように現れた、腕力が地上最強の教師こと―――範馬勇次郎の一声で、この場は簡単に収まったのだった。
<一日目・その10-(2) 『捏造』>
現在時刻:午後15:30 場所:通学路
―――チリンチリン~~♪
舗装されていない田舎道を、一台の自転車が猛スピードで突っ走ていた。
鬼一匹と学生三人を乗せて。
まあ、普通は自転車に四人も乗っていたら、警察のご厄介になってもおかしくないモノなのだが、
流石は超が付いても足りない程の田舎。
自転車が進む先に民家はおろか、人っ子一人見えやしない。
高度経済成長期を終えた日本から見たら、この村はさしずめ、成長の副作用である『格差』の象徴といえよう。
それでも、この村には勇次郎を惹きつけてやまない、『何か』があるようだが・・・。
注:勿論、一台の自転車に四人乗るのは犯罪だ!!
良い子は真似しないように!!語り部お兄さんとの約束だぞ!!
「ああ・・・。それじゃあ、あの異臭騒ぎは結局、殺人事件だったのか・・・。」
「そうだよ~!!レナはトイレの中で、ちょっと元気がなくなっちゃったから、保健室に居たけど・・・。」
「私は同伴。」
一台の自転車に乗っている、学生三人の内の一人である圭一は、後の二名であるレナと千沙から、
彼女達が自分のところに居た理由を尋ねていた。
勿論、圭一がこんな野暮な事を聞くのは、先程まで体験した惨事が夢だったという自己完結が欲しい為だろう。
それを示すかのように、圭一の額からは尋常じゃない量の汗を掻いているのが見える。
そう、圭一の中で先程の惨事はまだ終わっていないのだ。
「で・・・、みんなは警察に送ってもらって・・・。俺は放置・・・・。」
「なんでだろうね~?」
「ま、寝てた上に、元から存在感が気薄だもんね~。それに、みんな警察が来た事でテンションがMAXだったし・・・。」
さらりと問題発言を残しながら、千沙は的確な意見を圭一に呈す。
だが、圭一は千沙の言葉は最後まで聞いていなかった。
なぜなら、これで自分が夢を見ていたことが―――――あくまで自分の中だけで確信されたからである。
自分が学校に一人で居た理由も。彼女達が自分をたまたま発見した理由も。
確かに圭一は寝ていた。
学校で。通学路の途中の草原で。
前者は圭一の記憶の中で証明し、後者はレナたちの記憶の中で証明している。
物的証拠が一つも無い証明。
しかし、それでも、今の圭一にとってこの証明が、何よりの安心を得たのは間違いない。
子供の頃の自分の狂気も、何もかも全てが『夢だと思えた』のだから。
「いやった~~~!!!!!」
自分が入っている籠を思いっきり揺らしながら、圭一は歓喜の雄たけびを挙げる。
心が折れるほどの不安を解消できたのは、例えそれが仮初めであったとしても心底嬉しいものだ。
しかし、歓喜の雄たけびも、周りの人たちがその理由を知らなければ、ただの騒音でしかない。
つまり・・・・、
てめえ!!当然、籠に入った状態でジタバタ暴れるんじゃねぇ!!!」
ゴォン!!
金属バットで壁を叩いたときのような音が、勇次郎の後ろに居たレナ達の鼓膜を揺さぶる。
「はう・・・・。」
「しんだ・・・かな・・・。」
突然の騒音は勇次郎の怒りの一閃を簡単に超え、惨事から生還した少年を、もう一度奈落へ突き落とすのであった。
「が・・・、はっ・・・・。あっ・・・・、おじいちゃん・・・。そんなところで何をして・・・。ガク・・・・。」
「け、圭一君~~~!!!」
「大丈夫よレナ。ただ伸びただけみたい・・・。」
鬼の居ぬ間に洗濯ではないが、少なくとも勇次郎の近くに居る時は静かにしておくものである。
<一日目・その11 『帰宅完了』>
現在時刻:午後16:00 場所:村の集落
「帰って来たぞ~♪帰って来たぞ~♪」
「その歌・・・、レナが歌う年代の歌じゃないわよね・・・。」
鬼一匹と学生三人を乗せた自転車は、圭一達が住んでいる村唯一の集落内を走っていた。
一見、集落内と聞くと家しかないように思えるが、流石に『この村唯一』という冠がつくだけあって、
簡単な商店や小さなコンビニエンスストア位はある。
「おっ!勇次郎先生。仕事ですかい?」
「・・・・、フンっ!まあな・・・・。」
「そうですかい。それでは頑張ってくださいな!」
それにしても、この村の人間は良い意味で純粋な人間が非常に多い。
確かに東京や大阪といった大都市と比べれば、店も人も全てにおいて数の面では少ないだろう。
「いらっしゃい!いらっしゃい!!そこの勇次郎先生・・・と、前原のせがれ達や譲ちゃん達か!
先生と一緒に入るってことは・・・、学校の補修か何かかい?」
「あはははは~!違うよ~☆ 魚屋のおっちゃ~ん!!」
それでも、彼らが持っている純粋さは、大都市に負ける事のない活気を生み出しているように見える。
そう、今日のような日も。
―――まるで殺人事件が起こったとは思えないほどに。
しかし、巡回している警官の数が必要以上の数が居る所を見ると、
殺人事件があったという現実は、夢でも幻でもなく―――真実であったようだ。
「ちょっと!そこの多人数乗りをしている自転車!!止まりなさい!!」
そして、勇次郎たちが乗っている自転車が、巡回中の警官の脇を通り抜けた瞬間。
その警官は、大きな声を挙げて追いかけてきた。
当たり前であるが、自転車の四人乗りは法律違反である。
それが地上最強の生物であっても・・・、例外はない。
「ちっ!めんどくせえ・・・・。お前等!!しっかりと捕まってろよ!!」
「せ、先生?確か逃げると罪が重くな・・・・、うわっ!!」
圭一の言う事も当然のように聞かず、勇次郎は思いっきりペダルを漕ぎ始める。
すると四人も乗っているはずの自転車は、正に鬼のような加速をし始めた。
普通の感覚ならば、四人乗りは漕ぐ事も困難なはずなのだが・・・・。
まあ、運転手によって自転車の性能も上がるという事で良しとしておこう。
「うおおおおおおおおーーー!!!」
「あははは~~!!早い早い~~!!」
「こ、これって、自転車が出せるスピードじゃない気が~~!!」
「お、俺が入っているかごが落ちる~~!!」
勿論、運転手が鬼の場合に限るが・・・。
「よ、よかった・・・。落ちなかった・・・。」
それから数分後。
鬼一匹と学生三人を乗せた自転車は、追い掛けて来た警官を簡単に振り払うと、
レンガ造りが一際目を引く、圭一の家の近くまで来ていた。
一般的にこういう状況の場合、レディーファーストと称して、
レナか千沙の家から順に回るのが相場というのが『男』のというモノだが、
そこは地上最強の生物――――気まぐれ勇次郎。
目の前の買い物かごの中に入っている圭一が、単に鬱陶しかったという理由だけで、
男の精神を無視してしまうのは流石である。
まあ、これも勇次郎の唯我独尊な性分が反映された。というところだろう。
それに・・・・・おっ。
「あっ、先生。その家です。」
「ああ。分かってる。」
どうやら彼らの乗っている自転車は、私が無駄なことを語っている間に、
何のアクシデントもなく圭一の家の前まで辿り着いたようだ。
「うおっし。おい、前原。さっさと降り・・・。」
「先生・・・・。その・・・、無理です・・・・。」
そして、次の瞬間。
圭一は勇次郎が喋り終わる前に、彼の一番嫌う否定の言葉を面と向かって言い放った。
例え相手の言いたいことが分かっても、その人の言葉を遮るのは止めましょうというのが良く分かる瞬間だろう。
「ぬうわに~~!」
当然だが、圭一の言葉を聞いた勇次郎の目は一瞬大きく見開かれる。
危うし!圭一。
っていうか、絶対に死ぬ!
――と、ここまで語っておいてなんだが、勇次郎がそこまで単純な人間ではないことは、読者の方々も知っていよう。
そう、彼だってちゃんと分かっている。
圭一が自転車のかごの中にハマってしまった為、出たくとも出れないことは。
たから・・・・。
「まあ、いい。これ以上そこにいられても鬱陶しいからな。今日は特別サービスだ!」
勇次郎は買い物かごにハマッている圭一の頭を鷲掴みにすると、そこから無造作に引き抜いた!
「うおっ!」
しかも、今回は勇次郎曰く特別サービス。
このままでは終わるわけがない。
「ほら!」
「じ、地面が下?今度は上に~?」
もうお分かりだろう。
なんと勇次郎は、圭一をかごから引き抜いただけでなく、家のドア前まで放り投げたのだ。
流石、特別サービスである。
「ふん!」
「げふっ・・・・。つ、着いた・・・。」
こうして、圭一は無事に帰宅できたのであった。
本当にやっと・・・。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おいっ!次は斎藤!てめえの家だ。場所がわからねえから案内しな!」
勇次郎は圭一が家の中に入っていくのを確認した後、今度は千沙の家に向かって自転車を漕ぎ出す。
「先生~。レナはお腹がすいたよ~☆」
「・・・・。家で食え。」
「ま、まあ、もう少しだから我慢してね。レナ。」
快調だと嬉しい道のり。
「あっ!新作の携帯電話だ!!先生~、少し寄っていこうよ~☆」
「れ、レナ!?」
「・・・・、竜宮・・・。少し黙れ・・・。」
いろんな意味で賑わう勇次郎達。
「斎藤、どっちに曲がればいい!」
「は、は、は、はい!右です!右!お箸を持つ方の!」
「あれ~?お箸は左手で持つんだよ~!ねえ~、先生?」
「右だな。それと竜宮。てめえは少し黙ってろ!」
たった一回の分かれ道に対して、これだけのやりとり。
果てさて・・・。
勇次郎達を乗せた自転車が、千沙の家に辿り着くのは一体何時になるのやら・・・・。
ガのなく頃に :2006/12/09(土) 02:58:04 ID:VycX7f2V0
(そういえば、先生は何で圭一君の家は知っていて、千沙ちゃんの家は知らないのかなあ~?
まさか・・・・・。ちょっと聞いてみよ!)
ちなみに・・・・。
「ねえ先生?」
「竜宮よ。『黙れ・・・。』と言ったはずだぞ。」
どんなに早くても、後一時間は・・・。
「先生って、ストーカーですか?」
「教師を教師とーーー以下略。恥をしれいィ!!!」
「ゆ、勇次郎先生の背中がーーー!!!」
――――死闘中である。
<一日目・その12-(1) 医者の性分・その1>
現在時刻:午後15:30 場所:死体安置所
殺人事件を解決する際に最も必要なこと。
それは第一発見者と会話することでも、事件現場を見ることでもない。
当然、名探偵と称される人物の出現を待つという事などは以ての外だ。
そう。
殺人事件を目の前にした際に一番必要なのは・・・・、
「これです。この焼死体を、ドクターに『見て』いただきたいのですが・・・・。」
――――死体との会話である。
「ふむ・・・。死体を私に・・・・。
依頼を聞いた時は何かと思いましたが、まさか遺体を『診ろ』とは・・・ね。
ふむ・・・、で・・・、大石さん。私は、この遺体の一体どこを『診れば』いいのですか?
そもそも、私は死体を『診る』為に医者になったワケではありません。
・・・・。まあ、確かに『手術は解剖に近いモノがある』と言われれば否定できませんが、
医者にとって手術というのは患者を生かす為にやっていること。
つまり、死体のような幾ら手術しても助からない人は対象外なんです。
ふふ、知っていましたか?」
大石という初老の警官の言葉に対して、ドクターと呼ばれる男は、肩まで伸びた髪を掻き揚げながら挑発的な口調で返す。
生かすために存在している医者が、生かしきれなかった者を解体する事など、彼の中の性分――――
医者としての性分が許せないが故の口調だろう。
しかも、検死をする場所が病院等の施設ではなく、この死体安置所だというのだから尚更だ。
「・・・・、言う事は無いようですね・・・。それでは私は失礼させてもらいます。」
大石が何も言ってこない事に、ドクターと呼ばれる男は簡単にきびすを返して出口の方へと向かう。
依頼は・・・・、破談だ。
「あっ!ちょっと待ってください!鎬さん!
・・・・いえ、確かに貴方のようなスーパードクターに、このようなことを頼むのは
重々失礼だと分かってはいるんですが・・・。」
大石は出口へ向かっているドクター ―――鎬を引きとめようと声をかける。
―――ある種の必死さを込めて。
「では、何故私を呼んだのです?
そもそも、幾らこのように小さな町の警察署でも、検死の専門家が一人は居るはず。
それなのに私をわざわざ東京から呼びつけた。ということは、その理由を説明するのが礼儀というものでしょう。
そのはずが、来た途端に遺体を『診ろ』とは・・・・。失礼な話ではありませんか?
しかも、病院ではなく!ここで!
・・・と来たものです。これでは失礼どころか・・・・。」
引きとめようとする大石の言葉に、鎬は一見冷静に・・・。
だが、言葉を紡ぐに連れて声のトーンをどんどん上げていく。
やはり、医者としての性分を傷つけたれた事に大きな憤りを感じているのだ。
そして、鎬は医者とは思えない程の筋肉を膨張させながらワナワナと拳を握りしめ・・・、
「無礼だろうが!!」
まるで勇次郎を髣髴させるかのような暴力的な拳を、手短な壁に向かって打ち付けた!
「ひっ!!」
彼の拳はこの空間――――遺体安置所を大きく揺らす。
「・・・・。失礼・・・・。」
鎬は一言そう洩らすと、驚きのあまりに尻餅をついた大石を余所に無表情で遺体安置所を後にするのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――
「ふう・・・、失敗してしまいましたね~ 。
隣村にとって、明日は本当に『大事な日』だというのに・・・・。
明日の大事に、何も起こらなければいいのですが・・・。」
鎬が去った後、大石は出すぎたお腹をさすりながら目の前にある遺体
―――『圭一の学校で発見された焼死体』を見て、残念そうにため息を吐く(つく)。
そもそも、圭一が住んでいる村には駐在所しかなく、警察署などは隣町にしかない。
だから、この遺体も隣町にあるのだが・・・。
「さて・・・、仕方がありませんが、検死の方に頼んでみましょうかな。
きっと・・・、何も分からずじまいでしょうが・・・ね。」
彼はそう言った後、焼死体から目を離して天井を見上げる。
(今年もまた・・・・・。)
見上げた天井には、まるで人の顔のようなシミがついている。
遺体安置所の名は伊達ではない。
(死人が出るでしょうな。このままでは。)
すると大石の思いをあざ笑うかのように、天井のシミが醜い笑顔になった気がした。
<一日目・その12-(2) 医者の性分・その2>
現在時刻:午後15:40 場所:隣町の公道
鎬・・・、鎬紅葉は車を運転していた。
先程の一件から、不機嫌な思いをその身に宿したまま。
――――するとどうだろうか。
医者であり、アスリートである彼でも、刹那の反応は遅れてしまう。
そう、人が歩道から飛び出した時の反応をだ。
「しまった!!」
医者である自分が、格闘家でもない一般市民を壊す。
かつては医学の進歩と称して人を壊しかけた事もある彼でも、完全に人を壊す事はしなかった。
しかし今、彼は完全に人を壊してしまった。
壊す―――殺す。
一文字違いの言葉なのに、何故にこれほど同一性のある言葉なのだろうか。
「大丈夫か!! ・・・、脈は・・・・。いや、この状態で動かしたら・・・。」
鎬は自分が轢いてしまった人間が原形を留めているを見て、若干の冷静さを取り戻す。
これがミートソースのような状態だったら、彼はその場で発狂してしまったかもしれない。
だが、幸いにも跳ねられた人間は原型を留めている。
そう、これは鎬にとって、地獄の中の唯一の救い――――ではなかった。
「どうする。病院に・・・、いや、この辺りに病院の影は・・・・。くそっ!」
鎬は周囲を見回しながら、人に聞こえるような声で悪態を吐く。
いくら圭一の『村』とは違って、『町』と称されていても、田舎は田舎。
だだっ広いだけ公道は、圭一の居る村と違いも何も無い。
しかも、このようなときに限って携帯は圏外にある。
(やはり・・・、車に乗せて病院へ直接行くしか・・・。
いや、それよりも応急処置が先か・・・。)
そして、ある程度の方針を自分の中で決めると、急いで轢いてしまった人間の治療――応急処置を始める。
(内臓は・・・。いや、当たった場所から見て、肺が一番重症・・・。ん?なんだ?)
鎬は目を疑った。いや、自分は夢を見ているのだと思った。
なぜなら・・・・。
「お兄さん・・・。医者・・・、なんだ・・・。」
跳ねてしまった人間―――――10歳にも満たない少年が、鎬の顔を凝視しながら笑顔で話しかけてきたのだから。
いくら当たり所が良かったといえど、こんな事は普通考えられない。
確かに、ギロチン処刑などは、執行の後も罪人の意識が数秒残っている話はよく聞く。
だが、今回は状況が違いすぎる。
だだっ広い公道の為に、規定速度以上で走っていた鎬の運転している車は、ゆうに150km/sは出ていただろう。
これで体の原形をとどめていてくれただけでも奇跡なのに、意識まであるとは・・・。
(ありえない・・・。ありえるはずがない・・・。)
鎬は何回も頭の中でそう考える。
何回も。何回も。
医者であるはずの自分が、こんな偶然に飲み込まれないように。
「お兄さん・・・?医者じゃないの?」
「えっ・・・、ああ・・・。医者だよ。すまない、今治療して病院へ運ぶから・・・。」
少年の言葉に対し、鎬が紡ぎだしたありったけの言葉。
しかし、それは最後まで紡がれる事は無かった。
「大丈夫だよ!それよりも、僕が『診て』欲しいのは・・・・。」
そう言って少年は立ち上がると、鎬の視界一杯に自らの顔を近づけ・・・。
「この顔だよ!!」
火傷で生じた水ぶくれが醜くなったような顔を擦り付けたのだから。
「う、うわっ!!お、お前は一体・・・。」
鎬は信じられないものを見た表情でその場に尻餅をつく。
すると、少年は心底残念そうな様子で、元気良く走り出した。
「ちぇ・・・・、医者ならば僕の顔を治してくれると思ったのに・・・。」
鎬にちゃんと聞こえるような大きさの声を上げながら。
「ちょ、ちょっと!待ってくれ!」
突然の連続に、脳が対処しきれずにフリーズしていた鎬は遂に再起動する。
だが、時は既に遅し。
「あ、あれ・・・。誰も・・・いない・・・?バカな!!」
いなくなっているのだ。自分が轢いてしまった『あの少年』が・・・。
これでは鎬は遺体遺棄の犯罪者として連行されもおかしくない。
何しろ、地面には轢いてしまった時の跡が・・・・。
「無い?それだけは無いはずだ!くそっ!あの子はどこだ!!」
そうやって、鎬はパニック状態の心のまま周囲を何度も見回す。
答えは病院を探したときと全く同じ。
―――無い。いないのだ。
何も無い。先程の出来事を示すものは何も。
では、どうすか?
このまま、罪悪感と共に一生を生きるか。
―――それとも・・・。
「確か、あの子が走り出した方向はあっちか・・・・。」
医者として、追いかけるしかないだろう。
きっと見つけて治療をする。
体・・・?
いや、少年の言ったとおりに顔か。
どちらにせよ、冷静さを失った鎬が出来る行動は・・・・、
「よし!行くぞ!」
『医者としての性分』を全うするという事で自己完結したようだ。
それにしても、これは果たして偶然なのだろうか?
『勇次郎や圭一が出会った顔に水ぶくれを持った少年』と、『鎬紅葉が出会った少年』の酷似性は。
そして、これから鎬紅葉が向かう場所は、その勇次郎と圭一達がいる村だということも。
―――全ては偶然なのだろうか?
現在時刻:午後15:30 場所:通学路脇にある草原
(暗い・・・。なんて暗いんだ・・・。)
子供の頃の自分に殴られた圭一は、冷たいものが流れ出てくるのを切に感じながら、
目の前に広がる混沌に体を委ねていた。
当然、委ねた先に待っているのは、逃れる事の出来ない絶対的な死。
そう、帰宅途中の際に起きた突発的な惨事は、最終的に自分自信が殺されるという結果になった。
しかし、今の圭一にとって、死に近づく事はある意味では喜ばしい事だった。
なぜなら、子供の頃の自分が狂った姿を見続けるくらいならば、今の自分は死んでしまった方が楽だと思ったからだ。
いや、むしろ、夢だという願いの方が多く込められていたかもしれない。
そして・・・。今、
「圭一君!!こんなところで寝たら死んじゃうよ!!」
「前原?さっさと起きないと、ここに置いて行っちゃうわよ。」
混沌のどこからか聞こえてきた声が、圭一を死という現実から、全く別の現実へと連れて行こうとしていた。
まるで圭一が受け止めなくてはいけない現実が、自分自身の死という現実では足りないと言わんばかりに・・・・。
「う・・・、う・・ん・・。」
本当に気だるそうな表情をしながら、圭一はゆっくりと目を開ける。
すると、ねむけ眼の圭一の目に映ったのは・・・、
「おっ♪やっと起きたね!!おっはよ~~☆」
「っていうか、何でこんな所に寝てるのよ・・・。アンタ・・、死んでも良い訳?」
いつも目にする通学路脇にある草原と、いつも見ている高校生の姿をしたレナ。
そして、彼女の友人である千沙であった。
「あっ・・・・、レナ!!こ、殺さないでくれ!!」
しかし、圭一はレナの顔を見た瞬間、震え上がるような思いに支配されると同時に・・・・、命乞いをしていた。
きっと、先程の惨事が脳内に再生されたからだろう。
子供の頃の自分に殺されるという矛盾に加え、その子供の頃の自分がした人とは思えない所業の数々。
しかも、その場には、子供の頃のレナも居た・・・。
これでは思い出しただけでも震え上がるのは無理も無い。
「はうっ!どうかしたした?圭一君?」
「ったく・・・、なに寝ぼけた事を言っているんだか・・・。」
「うるさい!!お前は・・・、お前は・・・・!!」
一方、そんなことは露知らず、圭一の反応を冷ややかな視線で見つめる二人。
この温度差のままでは、圭一が一人暴走し始めるのは明確であった・・・・・、
―――――――のだが!!
「てめぇぇぇら~~!!何時までそこでくっちゃべってやがる!!さっさと、あの自転車に乗れいぃぃぃぃぃ!!
特に前原!!てめえのせいで、時間を食ったんだ!!てめえは自転車の籠の中に入ってろ!!分かったな!!」
「「「は、はい!!アナタ様のおっしゃる通りでございます!!」」」
その温度差も、鬼の前では些細な事この上ない。
嵐のように現れた、腕力が地上最強の教師こと―――範馬勇次郎の一声で、この場は簡単に収まったのだった。
<一日目・その10-(2) 『捏造』>
現在時刻:午後15:30 場所:通学路
―――チリンチリン~~♪
舗装されていない田舎道を、一台の自転車が猛スピードで突っ走ていた。
鬼一匹と学生三人を乗せて。
まあ、普通は自転車に四人も乗っていたら、警察のご厄介になってもおかしくないモノなのだが、
流石は超が付いても足りない程の田舎。
自転車が進む先に民家はおろか、人っ子一人見えやしない。
高度経済成長期を終えた日本から見たら、この村はさしずめ、成長の副作用である『格差』の象徴といえよう。
それでも、この村には勇次郎を惹きつけてやまない、『何か』があるようだが・・・。
注:勿論、一台の自転車に四人乗るのは犯罪だ!!
良い子は真似しないように!!語り部お兄さんとの約束だぞ!!
「ああ・・・。それじゃあ、あの異臭騒ぎは結局、殺人事件だったのか・・・。」
「そうだよ~!!レナはトイレの中で、ちょっと元気がなくなっちゃったから、保健室に居たけど・・・。」
「私は同伴。」
一台の自転車に乗っている、学生三人の内の一人である圭一は、後の二名であるレナと千沙から、
彼女達が自分のところに居た理由を尋ねていた。
勿論、圭一がこんな野暮な事を聞くのは、先程まで体験した惨事が夢だったという自己完結が欲しい為だろう。
それを示すかのように、圭一の額からは尋常じゃない量の汗を掻いているのが見える。
そう、圭一の中で先程の惨事はまだ終わっていないのだ。
「で・・・、みんなは警察に送ってもらって・・・。俺は放置・・・・。」
「なんでだろうね~?」
「ま、寝てた上に、元から存在感が気薄だもんね~。それに、みんな警察が来た事でテンションがMAXだったし・・・。」
さらりと問題発言を残しながら、千沙は的確な意見を圭一に呈す。
だが、圭一は千沙の言葉は最後まで聞いていなかった。
なぜなら、これで自分が夢を見ていたことが―――――あくまで自分の中だけで確信されたからである。
自分が学校に一人で居た理由も。彼女達が自分をたまたま発見した理由も。
確かに圭一は寝ていた。
学校で。通学路の途中の草原で。
前者は圭一の記憶の中で証明し、後者はレナたちの記憶の中で証明している。
物的証拠が一つも無い証明。
しかし、それでも、今の圭一にとってこの証明が、何よりの安心を得たのは間違いない。
子供の頃の自分の狂気も、何もかも全てが『夢だと思えた』のだから。
「いやった~~~!!!!!」
自分が入っている籠を思いっきり揺らしながら、圭一は歓喜の雄たけびを挙げる。
心が折れるほどの不安を解消できたのは、例えそれが仮初めであったとしても心底嬉しいものだ。
しかし、歓喜の雄たけびも、周りの人たちがその理由を知らなければ、ただの騒音でしかない。
つまり・・・・、
てめえ!!当然、籠に入った状態でジタバタ暴れるんじゃねぇ!!!」
ゴォン!!
金属バットで壁を叩いたときのような音が、勇次郎の後ろに居たレナ達の鼓膜を揺さぶる。
「はう・・・・。」
「しんだ・・・かな・・・。」
突然の騒音は勇次郎の怒りの一閃を簡単に超え、惨事から生還した少年を、もう一度奈落へ突き落とすのであった。
「が・・・、はっ・・・・。あっ・・・・、おじいちゃん・・・。そんなところで何をして・・・。ガク・・・・。」
「け、圭一君~~~!!!」
「大丈夫よレナ。ただ伸びただけみたい・・・。」
鬼の居ぬ間に洗濯ではないが、少なくとも勇次郎の近くに居る時は静かにしておくものである。
<一日目・その11 『帰宅完了』>
現在時刻:午後16:00 場所:村の集落
「帰って来たぞ~♪帰って来たぞ~♪」
「その歌・・・、レナが歌う年代の歌じゃないわよね・・・。」
鬼一匹と学生三人を乗せた自転車は、圭一達が住んでいる村唯一の集落内を走っていた。
一見、集落内と聞くと家しかないように思えるが、流石に『この村唯一』という冠がつくだけあって、
簡単な商店や小さなコンビニエンスストア位はある。
「おっ!勇次郎先生。仕事ですかい?」
「・・・・、フンっ!まあな・・・・。」
「そうですかい。それでは頑張ってくださいな!」
それにしても、この村の人間は良い意味で純粋な人間が非常に多い。
確かに東京や大阪といった大都市と比べれば、店も人も全てにおいて数の面では少ないだろう。
「いらっしゃい!いらっしゃい!!そこの勇次郎先生・・・と、前原のせがれ達や譲ちゃん達か!
先生と一緒に入るってことは・・・、学校の補修か何かかい?」
「あはははは~!違うよ~☆ 魚屋のおっちゃ~ん!!」
それでも、彼らが持っている純粋さは、大都市に負ける事のない活気を生み出しているように見える。
そう、今日のような日も。
―――まるで殺人事件が起こったとは思えないほどに。
しかし、巡回している警官の数が必要以上の数が居る所を見ると、
殺人事件があったという現実は、夢でも幻でもなく―――真実であったようだ。
「ちょっと!そこの多人数乗りをしている自転車!!止まりなさい!!」
そして、勇次郎たちが乗っている自転車が、巡回中の警官の脇を通り抜けた瞬間。
その警官は、大きな声を挙げて追いかけてきた。
当たり前であるが、自転車の四人乗りは法律違反である。
それが地上最強の生物であっても・・・、例外はない。
「ちっ!めんどくせえ・・・・。お前等!!しっかりと捕まってろよ!!」
「せ、先生?確か逃げると罪が重くな・・・・、うわっ!!」
圭一の言う事も当然のように聞かず、勇次郎は思いっきりペダルを漕ぎ始める。
すると四人も乗っているはずの自転車は、正に鬼のような加速をし始めた。
普通の感覚ならば、四人乗りは漕ぐ事も困難なはずなのだが・・・・。
まあ、運転手によって自転車の性能も上がるという事で良しとしておこう。
「うおおおおおおおおーーー!!!」
「あははは~~!!早い早い~~!!」
「こ、これって、自転車が出せるスピードじゃない気が~~!!」
「お、俺が入っているかごが落ちる~~!!」
勿論、運転手が鬼の場合に限るが・・・。
「よ、よかった・・・。落ちなかった・・・。」
それから数分後。
鬼一匹と学生三人を乗せた自転車は、追い掛けて来た警官を簡単に振り払うと、
レンガ造りが一際目を引く、圭一の家の近くまで来ていた。
一般的にこういう状況の場合、レディーファーストと称して、
レナか千沙の家から順に回るのが相場というのが『男』のというモノだが、
そこは地上最強の生物――――気まぐれ勇次郎。
目の前の買い物かごの中に入っている圭一が、単に鬱陶しかったという理由だけで、
男の精神を無視してしまうのは流石である。
まあ、これも勇次郎の唯我独尊な性分が反映された。というところだろう。
それに・・・・・おっ。
「あっ、先生。その家です。」
「ああ。分かってる。」
どうやら彼らの乗っている自転車は、私が無駄なことを語っている間に、
何のアクシデントもなく圭一の家の前まで辿り着いたようだ。
「うおっし。おい、前原。さっさと降り・・・。」
「先生・・・・。その・・・、無理です・・・・。」
そして、次の瞬間。
圭一は勇次郎が喋り終わる前に、彼の一番嫌う否定の言葉を面と向かって言い放った。
例え相手の言いたいことが分かっても、その人の言葉を遮るのは止めましょうというのが良く分かる瞬間だろう。
「ぬうわに~~!」
当然だが、圭一の言葉を聞いた勇次郎の目は一瞬大きく見開かれる。
危うし!圭一。
っていうか、絶対に死ぬ!
――と、ここまで語っておいてなんだが、勇次郎がそこまで単純な人間ではないことは、読者の方々も知っていよう。
そう、彼だってちゃんと分かっている。
圭一が自転車のかごの中にハマってしまった為、出たくとも出れないことは。
たから・・・・。
「まあ、いい。これ以上そこにいられても鬱陶しいからな。今日は特別サービスだ!」
勇次郎は買い物かごにハマッている圭一の頭を鷲掴みにすると、そこから無造作に引き抜いた!
「うおっ!」
しかも、今回は勇次郎曰く特別サービス。
このままでは終わるわけがない。
「ほら!」
「じ、地面が下?今度は上に~?」
もうお分かりだろう。
なんと勇次郎は、圭一をかごから引き抜いただけでなく、家のドア前まで放り投げたのだ。
流石、特別サービスである。
「ふん!」
「げふっ・・・・。つ、着いた・・・。」
こうして、圭一は無事に帰宅できたのであった。
本当にやっと・・・。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おいっ!次は斎藤!てめえの家だ。場所がわからねえから案内しな!」
勇次郎は圭一が家の中に入っていくのを確認した後、今度は千沙の家に向かって自転車を漕ぎ出す。
「先生~。レナはお腹がすいたよ~☆」
「・・・・。家で食え。」
「ま、まあ、もう少しだから我慢してね。レナ。」
快調だと嬉しい道のり。
「あっ!新作の携帯電話だ!!先生~、少し寄っていこうよ~☆」
「れ、レナ!?」
「・・・・、竜宮・・・。少し黙れ・・・。」
いろんな意味で賑わう勇次郎達。
「斎藤、どっちに曲がればいい!」
「は、は、は、はい!右です!右!お箸を持つ方の!」
「あれ~?お箸は左手で持つんだよ~!ねえ~、先生?」
「右だな。それと竜宮。てめえは少し黙ってろ!」
たった一回の分かれ道に対して、これだけのやりとり。
果てさて・・・。
勇次郎達を乗せた自転車が、千沙の家に辿り着くのは一体何時になるのやら・・・・。
ガのなく頃に :2006/12/09(土) 02:58:04 ID:VycX7f2V0
(そういえば、先生は何で圭一君の家は知っていて、千沙ちゃんの家は知らないのかなあ~?
まさか・・・・・。ちょっと聞いてみよ!)
ちなみに・・・・。
「ねえ先生?」
「竜宮よ。『黙れ・・・。』と言ったはずだぞ。」
どんなに早くても、後一時間は・・・。
「先生って、ストーカーですか?」
「教師を教師とーーー以下略。恥をしれいィ!!!」
「ゆ、勇次郎先生の背中がーーー!!!」
――――死闘中である。
<一日目・その12-(1) 医者の性分・その1>
現在時刻:午後15:30 場所:死体安置所
殺人事件を解決する際に最も必要なこと。
それは第一発見者と会話することでも、事件現場を見ることでもない。
当然、名探偵と称される人物の出現を待つという事などは以ての外だ。
そう。
殺人事件を目の前にした際に一番必要なのは・・・・、
「これです。この焼死体を、ドクターに『見て』いただきたいのですが・・・・。」
――――死体との会話である。
「ふむ・・・。死体を私に・・・・。
依頼を聞いた時は何かと思いましたが、まさか遺体を『診ろ』とは・・・ね。
ふむ・・・、で・・・、大石さん。私は、この遺体の一体どこを『診れば』いいのですか?
そもそも、私は死体を『診る』為に医者になったワケではありません。
・・・・。まあ、確かに『手術は解剖に近いモノがある』と言われれば否定できませんが、
医者にとって手術というのは患者を生かす為にやっていること。
つまり、死体のような幾ら手術しても助からない人は対象外なんです。
ふふ、知っていましたか?」
大石という初老の警官の言葉に対して、ドクターと呼ばれる男は、肩まで伸びた髪を掻き揚げながら挑発的な口調で返す。
生かすために存在している医者が、生かしきれなかった者を解体する事など、彼の中の性分――――
医者としての性分が許せないが故の口調だろう。
しかも、検死をする場所が病院等の施設ではなく、この死体安置所だというのだから尚更だ。
「・・・・、言う事は無いようですね・・・。それでは私は失礼させてもらいます。」
大石が何も言ってこない事に、ドクターと呼ばれる男は簡単にきびすを返して出口の方へと向かう。
依頼は・・・・、破談だ。
「あっ!ちょっと待ってください!鎬さん!
・・・・いえ、確かに貴方のようなスーパードクターに、このようなことを頼むのは
重々失礼だと分かってはいるんですが・・・。」
大石は出口へ向かっているドクター ―――鎬を引きとめようと声をかける。
―――ある種の必死さを込めて。
「では、何故私を呼んだのです?
そもそも、幾らこのように小さな町の警察署でも、検死の専門家が一人は居るはず。
それなのに私をわざわざ東京から呼びつけた。ということは、その理由を説明するのが礼儀というものでしょう。
そのはずが、来た途端に遺体を『診ろ』とは・・・・。失礼な話ではありませんか?
しかも、病院ではなく!ここで!
・・・と来たものです。これでは失礼どころか・・・・。」
引きとめようとする大石の言葉に、鎬は一見冷静に・・・。
だが、言葉を紡ぐに連れて声のトーンをどんどん上げていく。
やはり、医者としての性分を傷つけたれた事に大きな憤りを感じているのだ。
そして、鎬は医者とは思えない程の筋肉を膨張させながらワナワナと拳を握りしめ・・・、
「無礼だろうが!!」
まるで勇次郎を髣髴させるかのような暴力的な拳を、手短な壁に向かって打ち付けた!
「ひっ!!」
彼の拳はこの空間――――遺体安置所を大きく揺らす。
「・・・・。失礼・・・・。」
鎬は一言そう洩らすと、驚きのあまりに尻餅をついた大石を余所に無表情で遺体安置所を後にするのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――
「ふう・・・、失敗してしまいましたね~ 。
隣村にとって、明日は本当に『大事な日』だというのに・・・・。
明日の大事に、何も起こらなければいいのですが・・・。」
鎬が去った後、大石は出すぎたお腹をさすりながら目の前にある遺体
―――『圭一の学校で発見された焼死体』を見て、残念そうにため息を吐く(つく)。
そもそも、圭一が住んでいる村には駐在所しかなく、警察署などは隣町にしかない。
だから、この遺体も隣町にあるのだが・・・。
「さて・・・、仕方がありませんが、検死の方に頼んでみましょうかな。
きっと・・・、何も分からずじまいでしょうが・・・ね。」
彼はそう言った後、焼死体から目を離して天井を見上げる。
(今年もまた・・・・・。)
見上げた天井には、まるで人の顔のようなシミがついている。
遺体安置所の名は伊達ではない。
(死人が出るでしょうな。このままでは。)
すると大石の思いをあざ笑うかのように、天井のシミが醜い笑顔になった気がした。
<一日目・その12-(2) 医者の性分・その2>
現在時刻:午後15:40 場所:隣町の公道
鎬・・・、鎬紅葉は車を運転していた。
先程の一件から、不機嫌な思いをその身に宿したまま。
――――するとどうだろうか。
医者であり、アスリートである彼でも、刹那の反応は遅れてしまう。
そう、人が歩道から飛び出した時の反応をだ。
「しまった!!」
医者である自分が、格闘家でもない一般市民を壊す。
かつては医学の進歩と称して人を壊しかけた事もある彼でも、完全に人を壊す事はしなかった。
しかし今、彼は完全に人を壊してしまった。
壊す―――殺す。
一文字違いの言葉なのに、何故にこれほど同一性のある言葉なのだろうか。
「大丈夫か!! ・・・、脈は・・・・。いや、この状態で動かしたら・・・。」
鎬は自分が轢いてしまった人間が原形を留めているを見て、若干の冷静さを取り戻す。
これがミートソースのような状態だったら、彼はその場で発狂してしまったかもしれない。
だが、幸いにも跳ねられた人間は原型を留めている。
そう、これは鎬にとって、地獄の中の唯一の救い――――ではなかった。
「どうする。病院に・・・、いや、この辺りに病院の影は・・・・。くそっ!」
鎬は周囲を見回しながら、人に聞こえるような声で悪態を吐く。
いくら圭一の『村』とは違って、『町』と称されていても、田舎は田舎。
だだっ広いだけ公道は、圭一の居る村と違いも何も無い。
しかも、このようなときに限って携帯は圏外にある。
(やはり・・・、車に乗せて病院へ直接行くしか・・・。
いや、それよりも応急処置が先か・・・。)
そして、ある程度の方針を自分の中で決めると、急いで轢いてしまった人間の治療――応急処置を始める。
(内臓は・・・。いや、当たった場所から見て、肺が一番重症・・・。ん?なんだ?)
鎬は目を疑った。いや、自分は夢を見ているのだと思った。
なぜなら・・・・。
「お兄さん・・・。医者・・・、なんだ・・・。」
跳ねてしまった人間―――――10歳にも満たない少年が、鎬の顔を凝視しながら笑顔で話しかけてきたのだから。
いくら当たり所が良かったといえど、こんな事は普通考えられない。
確かに、ギロチン処刑などは、執行の後も罪人の意識が数秒残っている話はよく聞く。
だが、今回は状況が違いすぎる。
だだっ広い公道の為に、規定速度以上で走っていた鎬の運転している車は、ゆうに150km/sは出ていただろう。
これで体の原形をとどめていてくれただけでも奇跡なのに、意識まであるとは・・・。
(ありえない・・・。ありえるはずがない・・・。)
鎬は何回も頭の中でそう考える。
何回も。何回も。
医者であるはずの自分が、こんな偶然に飲み込まれないように。
「お兄さん・・・?医者じゃないの?」
「えっ・・・、ああ・・・。医者だよ。すまない、今治療して病院へ運ぶから・・・。」
少年の言葉に対し、鎬が紡ぎだしたありったけの言葉。
しかし、それは最後まで紡がれる事は無かった。
「大丈夫だよ!それよりも、僕が『診て』欲しいのは・・・・。」
そう言って少年は立ち上がると、鎬の視界一杯に自らの顔を近づけ・・・。
「この顔だよ!!」
火傷で生じた水ぶくれが醜くなったような顔を擦り付けたのだから。
「う、うわっ!!お、お前は一体・・・。」
鎬は信じられないものを見た表情でその場に尻餅をつく。
すると、少年は心底残念そうな様子で、元気良く走り出した。
「ちぇ・・・・、医者ならば僕の顔を治してくれると思ったのに・・・。」
鎬にちゃんと聞こえるような大きさの声を上げながら。
「ちょ、ちょっと!待ってくれ!」
突然の連続に、脳が対処しきれずにフリーズしていた鎬は遂に再起動する。
だが、時は既に遅し。
「あ、あれ・・・。誰も・・・いない・・・?バカな!!」
いなくなっているのだ。自分が轢いてしまった『あの少年』が・・・。
これでは鎬は遺体遺棄の犯罪者として連行されもおかしくない。
何しろ、地面には轢いてしまった時の跡が・・・・。
「無い?それだけは無いはずだ!くそっ!あの子はどこだ!!」
そうやって、鎬はパニック状態の心のまま周囲を何度も見回す。
答えは病院を探したときと全く同じ。
―――無い。いないのだ。
何も無い。先程の出来事を示すものは何も。
では、どうすか?
このまま、罪悪感と共に一生を生きるか。
―――それとも・・・。
「確か、あの子が走り出した方向はあっちか・・・・。」
医者として、追いかけるしかないだろう。
きっと見つけて治療をする。
体・・・?
いや、少年の言ったとおりに顔か。
どちらにせよ、冷静さを失った鎬が出来る行動は・・・・、
「よし!行くぞ!」
『医者としての性分』を全うするという事で自己完結したようだ。
それにしても、これは果たして偶然なのだろうか?
『勇次郎や圭一が出会った顔に水ぶくれを持った少年』と、『鎬紅葉が出会った少年』の酷似性は。
そして、これから鎬紅葉が向かう場所は、その勇次郎と圭一達がいる村だということも。
―――全ては偶然なのだろうか?