太陽に支配されていた世界は、夕暮れと共に闇に支配される。
また、その世界に存在する動物というのは、闇に興味を持つのと同時に畏怖する。
しかし、そんな動物の本能から生まれる好奇心も、俺にとっては一日の終わりを知らせる術でしかない。
(だから・・・、こういう状況も自然なのかもしれないな・・・。)
一人そんなことを考えながら、俺は手持ちのタバコにゆっくりと火をつける。
「ふう・・・・。」
俺の口から出た白いドーナッツは、ゆっくりと頭上にある電灯を覆うように上昇していく。
これが、今の俺に唯一出来る、この場に生きている証の提示。
まあ、今日も一日中、ソファー上で寝転んでいるだけなんだけどな・・・。
そして俺は、指先近くまで消耗されたタバコを憂鬱な表情で見つめると、左手に持っていたウーロン茶を一口飲んでこう呟いた。
「あ~、暇だな・・・・。」
「けっ!!全くだ。こんなどこだか分からない空間に、お前とたった二人きりだなんてよ。」
俺の嘆きが辺りに響き終わるのと同時に、真後ろにある自動ドアが勢い良く開く。
どうやら、俺が今乗っている宇宙船の所持者。
スキンヘッドのおっさん――――ジェットが帰って来たようだ。
「ったく・・・。あれだよ、スパイク。前門の虎に、後門のチータって奴だ。」
「はっ、狼だろ。で、孔子さん。外の様子はどうだ?」
返ってくる答えは決まっちゃいるが、一応は聞いておく。
こうでもしないと、俺のデリケートな心臓は、今の状況に耐え切れそうにないからだ。
「あ~。そうだな・・・。結論を先に言うと・・・。暫くは出られん。何しろ『ここがどこだか』も分からないんだからな。」
「やっぱりそうか・・・。聞くんじゃなかったな・・。」
「けっ!知ってて聞いたくせによ。一日中、暇そうにしている御大臣は。これじゃあ、本当に嫌になってくるよ!」
全くジェットの言う通りだ。
何しろ、賞金首の乗っている宇宙船を追い込んだと思ったら、何時の間にやら訳の分からない空間に閉じ込められたんだしな。
(ジェットがここまで愚痴をこぼすのも無理は無いか・・・・。)
そう考えながら、俺はジェットの顔からゆっくりと視線を外すと、ぼんやりと宇宙船の窓の外を見る。
これは、この状況に陥ってからのいつもの行動。
いくら外を見た所で、状況が代わるはずが無いのだが、居ても経ってもいられないのが追い詰められた人間の性である。
しかし、そんな一握りの希望をあざ笑うかのように、俺の眼に映し出されるのは永遠に続く―――永久の闇。
そう、これは決して宇宙にいる間には見ることの出来ない光景。
常に輪廻転生している星々に埋め尽くされた宇宙では見れない光景だ。
(ったく・・・、訳分からないな・・・。本当に・・・・。)
しかし、俺には『こんな訳のわからない状況』にもかかわらず、実は三つ程分かっていることがあった。
なあに、簡単な事だ。
一つ。ここは俺等が賞金首を追い詰めた場所ではない。
二つ。窓の外から星が見えないことから、ここは俺等が賞金首を追い詰めた宇宙でなく、別のどこか。
三つ。外に出たくても、何故か宇宙船の扉は開かない―――つまり、これ以上は分からない。
これらの事から分かる事は唯一つ。
この状況は正に・・・・。
「あれだな。正に一寸先は闇って奴だな。ったく・・・、昔の人もよく言ったものだぜ。」
俺の思考を遮るように、ジョットは左右に頭を振りながらポツリと愚痴をこぼす。
「ジェット・・・?」
「ああ?なんだ?」
「お前って、ジャパニーズだっけ?」
「違うが・・・。どうした?やぶからぼうに・・・。」
「いや・・・。最近、妙に諺を口にするものだからさ。」
前から細かい奴だったが、最近は口を開くたびに諺とかいう古代日本が作った格言を織り交ぜてきやがる。
まあ・・・、この状況が状況じゃ・・・な。
星一つ無い空間に閉じ込められた、むさ苦しい男二人。
これで滅入らない方が、神経を疑っちまう。
まあ、趣味が趣味の場合は関係ないかもしれないが・・・。
とまあ、それにしても、ここまで外の状況に変化が無いとなると、さすがにそろそろ・・・・。
「なあに。こういう状態が続くと、自然と気が滅入ってくるからな。ここは一つ、頭の体操をしつつ・・・・。」
また俺が一人物思いにふけっていると、先ほどの俺の言葉を受けたジェットが雄弁に薀蓄を語り始めた。
こういう状態に入ったジェットは暫くは止まらないだろう。
バカもおだてりゃ木に登る。―――猿もまた同様。
しかし、そんな猿でも動く場所がなければ、おだてられてもリアクションが取れないだろう。
俺はジェットの話を聞きながらそんなことを考えつつ、吸い終えたタバコを左手に持っていたグラスに放り入れた。
ゆっくりと消えていくタバコの煙。
「あっ・・・・。ウーロン茶・・・・。飲みかけだった・・・・。」
訳の分からない空間に閉じ込められて、今日で一週間。
終わる事の無い暇の連鎖。底を尽きかけている食料。
で・・・、無限の闇が広がる窓の外。
こちらに被害は無いが、状況の変化も無い。
―――――いわゆる八方塞という奴だ。
「なあ、ジェット・・・。知ってるか?革靴って食えるんだぜ。」
状況の変化――――――限度があるが、今はこの程度の冗談も許されるだろう。
まあ、とりあえずの話題づくりだ。
「ああ・・・。昔のカーボーイは、本当に困った時は革で出来ているブーツを食ったらしいな。」
「そうそう!で・・・、食うか?」
断っておくが、これは冗談だ。
さっき言った通り、これは暇から来る話題づくり――――俺なりの気遣いと生きる希望の提示だ。
「そうだな・・・・。」
「はっはっは!!ジェット~。冗談だよ、冗談!!って、流石に分かっているだろうがな。」
もう少し引っ張っても見たいが、ここらで冗談は仕舞にしておく。
何しろ、ジェットは頭が固いんだか柔らかいんだか分からない奴だからな。
でも、これで少しは・・・・、
「食うか・・・・。」
「はあ?冗談だろ?はっはっは、お前も結構こういう冗談もいけるんだな。」
「いや・・・・、今日で食料も尽きる・・・。そうなると食えるものは今のうちに確保しておかないと・・・・。」
・・・・目がマジだ。
どうするスパイク?
奴を止めるか?それとも暇つぶしに放っておくか?
「ソース・・・。確か、冷蔵庫の奥の方に・・・・・。いや、やはりここは中華風か・・・。」
いやいや、ここはやはり人として止めるべきだな。
これで食中毒で逝っちまったら夢見悪いし、それにアイツには世話に・・・・・、
「いや、中華より生で醤油ソースだな・・・。よし、後は革靴の調達・・・。確か・・・・、おい!スパイク!!」
「あ、ああ・・・。な、なんだ?」
「お前のはいている靴。俺にくれ!!今すぐに。」
―――――前言撤回。
ああ、これはあれだ。あれだよ。
どんなに普段まともな人でも、少しばかり不可思議な場所に閉じ込められれば、
「くれ!!くれ!!!くれよ~!!!スパイク~~~!!」
ほら、この通りってやつ。
って、天は我を見放したのか!!
「ちょ、ちょっと待て!!いくら腹が減ったとしても限度があるだろ!考え直すんだジェット!!」
「う~ん・・・・。やっぱりダメ。オレ、ソレタベタイ。」
「突然片言になりやがって!!お前は原始人か~~~!!!」
ジェットの言葉にそう返すと同時に、俺はリビングルームを飛び出る。
そして、俺はジェットから急いで身を隠す為に、なるべく虚をつけそうな隠れ場所を探し始めた。
「ったく!!幾ら状況が状況だって、ジェットの奴!!」
俺は大声で愚痴をこぼしながらも、必死に宇宙船内を駆けずり回って隠れられる場所を探し続ける。
機関室―――バスルーム――――俺の部屋―――ジェットの部屋・・・・。
ダメだ。どれもこれも隠れるのには適していない。
となると、かくなる上は天井裏か・・・?
「確か、あそこのダストポットの天井のタイルは簡単に外れるはず・・・・。」
服が多少臭くなるかもしれないが、この際は仕方が無い。
俺はすぐさま意を決すると、ダストポットがある部屋に駆け足で入った。
「うえっ・・・。くっせ~!!」
入ったと同時に、生ゴミの匂いが俺の嗅覚を過剰に刺激する。
しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。
(ともかく天井裏に隠れなければ・・・。)
この思い一つで、俺は慌しくこの部屋にあるはずの梯子を探し始める。
すると、前に使って放置していたであろう、汚らしい梯子が運良く視界の隅に映った。
―――これは運が良い。きっと逃げ切れるに違いない――――――
訳の分からない空間に閉じ込められていたせいか、俺は目の前の幸運に単純な感想しか抱く事が出来なかった。
今考えれば、この宇宙船は元々ジェット本人のもの。
船内のメンテナンスをいつもしている彼にとって、俺が考え付く逃げ場などお見通しも同然だろう。
だから・・・・。
「よ、よし・・・。後は、この梯子を使って・・・。」
俺は早速見つけた梯子をその場で設置すると、勢い良く梯子に足をかけて登り始める。
そして、たどり着いた天井に敷き詰められたタイルの隙間に手を掛けた瞬間。
力も入れていないのに、目の前のタイルは大きな音をたてて地面に落下していった。
「スパイク君。み~つけた~♪」
そう、天井に敷き詰められていたタイルを外したのは、俺ではなく目が完全に逝ってしまったジェット。
あらかじめ俺の行動パターンを予測して、天井裏を移動していたのだろう。
それにしても、相方にこんな目付きで追い詰められるとは。
正に、この世は・・・・。
「ス~パイク君~~!!君の履いている靴をくれないかな~?ねっ?」
俺が一人この世を呪う暇もなく、ジェットはさっさと本題を切り出してくる。
まあ、本題というよりかは命題かもしれないが。
しかし幾ら命題とはいえ、ここでジェットの言う事を聞くわけにはいかない。
なんせ、こんな逝っちゃった目をしている奴のいうことを聞いたらば、それこそ最後だからだ。
次は服を食わせろとか要求してきたりするかもしれないし、最終的には発狂して自害するかもしれない。
別に信がつくほどの間柄ではないが、一応は俺の相方である。
だから俺は、身振り手振りを混ぜながら説得・・・、もとい時間稼ぎを始めることにした。
「じぇ、ジェット!!落ち着け!!話し合おう。こういう時こそ、ラブ&ピースだ。なっ?」
自分でも歯がゆくなる台詞・・・。
でも、今は文句を言っている場合ではない。
ともかく、次に行動する指針をさっさと決めなくては。
「そ、そうだ、ジェット。流石に俺にも、この靴に対しては愛着というのがある。
だから、片方の靴だけやろう。な?どうだジェット。」
「カタホウ?カタホウ?」
「そうだ、これで平和的に解決の道を作ろう。ジェット。いつものお前ならば分かるはずだ。」
『いつものジェット』・・・。
自分でその言葉を発した瞬間、俺は本当に長い間、正気のジェットを見ていない気がした。
――――人の精神はもろく壊れやすい。
(だから・・・か・・・。)
これが普段の彼が物凄く懐かしく思えた理由。
(そうだな・・・。俺は全く・・・。)
そして、俺は未だに「カタホウ?カタホウ?」といい続けているジェットを見て、もう一度意を決する。
いや、これは『意を決する』という言葉は適切ではない。
むしろ、極限状況に追い込まれたせいで壊れたジェットに対して、逃げる一手しかしなかった自分への・・・。
――――ケジメだ。
「ジェット・・・・。これをやる。俺の靴だ。だから、お前はこれで元に戻ってくれ・・・。って、おわっ!!」
しかし、梯子の上に居た事をすっかり忘れていた俺は、自らの靴を脱ごうとし為にバランスを崩してしまい、
靴底に手がかかっている状態でゆっくりと生ゴミの中に落下していく。
(ひたすらついてないな・・・。ああ・・・、そうか。何がケジメだ・・・。結局俺は・・・。)
一瞬でブラックアウトする俺の意識。
その時、俺が考えていた事は、ケジメという名の自己陶酔への後悔であった。
・・・・・。
意識を失ってからどれくらい経ったのだろうか?
俺が次に目を覚ました時は―――――
「おう、スパイク!やっと起きたか。いつも寝てばっかりいないで、すこしはソードフィッシュの整備でもしたらどうだ?」
―――――何もかもいつも通りのジェットと―――――
「あっ・・・、火星・・・。」
「何言ってんだスパイク?当たり前であろうが、賞金首を換金しにいくだからよ!まったく・・・。」
――――いつも通り、俺らが居た宇宙に戻っていた。
「ジェット・・・・、元に戻った・・・。はは・・・。」
眠い頭を左右に振りながら、俺は今の状況に幸運を感じていた。
いつも通りのジェット、いつも通りの窓の外の光景。
今はこれ以上の幸運は無い。
「どうした?まだ眠いのか御大臣は!!まあ、もうすぐ飯が出来るから、さっさと顔でも洗ってきな!!」
そして、俺が目の前にある幸運をかみ締めていると、いつも通りのジェットはいつも通りに俺の世話を焼いてきた。
「ああ・・・、わかったよ。」
一時はどうなる事かと思ったが、本当に良かった。
ここ最近、自分の中に募っていた世に対する恨み辛みは無かった事にしよう。
そうだ、世の中は『一寸先は闇』なんかではない。
むしろ世の中は光と闇の繰り返し。
良い出来事もあれば、その分だけ悪い出来事もあるのだ。
そうさ。そうだ・・・。
「よっこらせ!・・・っと!」
顔を洗い終わった俺は、いつもよりも上機嫌にリビングルームにあるソファーに座ると、
胸ポケットに入っているタバコの箱とジッポを取り出した。
「最後の一本か・・・・。」
個人的には、タバコをきらすのは大変きついことだが、ジェットが元に戻ったのと、
元の宇宙に戻った分を考えればイーブン以上の価値がある。
そう、タバコの代わりにジェットが戻ったと考えれば・・・。
(相棒を元に戻してくれてありがとな・・・・。はは・・・、そんな訳ないのにな・・・。)
そう思いながら、俺はタバコと一緒に取り出したジッポの表面を感慨深く見やる。
すると、ジッポは妖しい光を放ちながら、俺の顔を湾曲させた状態で映し出した。
「よ~し!スパイク。さっさと、飯を頂いちまおうぜ!」
そして、ジッポに俺の湾曲した顔が映った頃、ジェットはテーブルの上に出来上がった食事を並べ終えていた。
「おっ!今日はステーキか。これは上手そうだ。」
「だろ?牛の特製ステーキだ。じっくり味わって食えよ!まあ、生でも食えるちゃあ、食えるんだがな。」
「ほー、新鮮なんだな。」
ジェットの言葉に、俺は素直に感心しながら、ナイフを使ってステーキに切込みを入れる。
「ん?ちょっと肉が固いな・・・。」
「何言ってんだ?これはさっき取れたての新鮮ピチピチだぞ。」
「ああ、そうだったな。全く俺は・・・、はは・・・・。さ・・っき?」
俺はとんだ思い違いをしていた。
確か俺達は、今の今まで訳の分からない空間に閉じ込められていた上に、食料の補給すらおろか、食事さえ苦しかったはず・・・。
「ま、まさか・・・。これは!!」
思い浮かべる最悪の結果に心底慄きながら、俺は勢い良くその場に立ち上がる。
――――ひんやりと冷たいリビングルームの床・・・・。
さっきは起床直後だったのと、ジェットが元に戻ったような言動を取っていた為に、気に止める事も無かった。
少し気を巡らせれば、簡単に分かる事なのに・・・・。
「どうした、スパイク?美味しいぞ。渾身の自信作だからな。」
戦慄の表情で固まった俺を尻目に、ジェットは本当に上手そうだといった表情で『ステーキ』を食い続ける。
「じぇ、ジェット・・・・。おまえ・・、まだ・・・・。」
自分の声が震えるのを肌で感じながら、俺は恐る恐るジェットに声をかける。
「ああ・・・、そうだな・・・。『靴』は美味かったから・・・、今度は・・・。」
すると、ジェットはステーキに刺さっていたフォークを徐にテーブルの上に置くと、
目の焦点の合っていない顔でこちらを見上げた。
「オマエノツケテイル『ベルト』ッテ、カワセイダヨネ~?ア~、タベタイナ~!!ネエ~~~、スパイク君♪」
ジェットがそう言った瞬間、窓の外の光景は、元の永久の闇に逆戻りした。
世の中を呪う言葉として、一寸先は闇というのがある。
「クレヨ!クレヨ!ソノベルト、クレヨ~~!!」
「くっそー!!またこれかよ!!」
しかし、本当の闇は、こういった状況の連続をいうのかもしれない。
「はあ・・・。はあ・・・。はあ・・・。どこか隠れる場所・・・。そうだ、ダストポットがある部屋の天井裏ならば。」
そうなると、一寸先というのは、あくまで人の希望を反映したものな気がしてならない。
つまり本当の闇は、一度入ると抜け出せない、果てなく続く永久の闇・・・。
「よし・・・。後は天井のタイルを剥がせば・・・。」
「マタ、ココニイタ♪スパイク君~♪」
「うわっ!! ったく・・・、世の中は本当に先もクソも見えたもんじゃないな・・・。」
そう考えると、諺も案外楽観的である。
<一寸先は・・・・。・了>
また、その世界に存在する動物というのは、闇に興味を持つのと同時に畏怖する。
しかし、そんな動物の本能から生まれる好奇心も、俺にとっては一日の終わりを知らせる術でしかない。
(だから・・・、こういう状況も自然なのかもしれないな・・・。)
一人そんなことを考えながら、俺は手持ちのタバコにゆっくりと火をつける。
「ふう・・・・。」
俺の口から出た白いドーナッツは、ゆっくりと頭上にある電灯を覆うように上昇していく。
これが、今の俺に唯一出来る、この場に生きている証の提示。
まあ、今日も一日中、ソファー上で寝転んでいるだけなんだけどな・・・。
そして俺は、指先近くまで消耗されたタバコを憂鬱な表情で見つめると、左手に持っていたウーロン茶を一口飲んでこう呟いた。
「あ~、暇だな・・・・。」
「けっ!!全くだ。こんなどこだか分からない空間に、お前とたった二人きりだなんてよ。」
俺の嘆きが辺りに響き終わるのと同時に、真後ろにある自動ドアが勢い良く開く。
どうやら、俺が今乗っている宇宙船の所持者。
スキンヘッドのおっさん――――ジェットが帰って来たようだ。
「ったく・・・。あれだよ、スパイク。前門の虎に、後門のチータって奴だ。」
「はっ、狼だろ。で、孔子さん。外の様子はどうだ?」
返ってくる答えは決まっちゃいるが、一応は聞いておく。
こうでもしないと、俺のデリケートな心臓は、今の状況に耐え切れそうにないからだ。
「あ~。そうだな・・・。結論を先に言うと・・・。暫くは出られん。何しろ『ここがどこだか』も分からないんだからな。」
「やっぱりそうか・・・。聞くんじゃなかったな・・。」
「けっ!知ってて聞いたくせによ。一日中、暇そうにしている御大臣は。これじゃあ、本当に嫌になってくるよ!」
全くジェットの言う通りだ。
何しろ、賞金首の乗っている宇宙船を追い込んだと思ったら、何時の間にやら訳の分からない空間に閉じ込められたんだしな。
(ジェットがここまで愚痴をこぼすのも無理は無いか・・・・。)
そう考えながら、俺はジェットの顔からゆっくりと視線を外すと、ぼんやりと宇宙船の窓の外を見る。
これは、この状況に陥ってからのいつもの行動。
いくら外を見た所で、状況が代わるはずが無いのだが、居ても経ってもいられないのが追い詰められた人間の性である。
しかし、そんな一握りの希望をあざ笑うかのように、俺の眼に映し出されるのは永遠に続く―――永久の闇。
そう、これは決して宇宙にいる間には見ることの出来ない光景。
常に輪廻転生している星々に埋め尽くされた宇宙では見れない光景だ。
(ったく・・・、訳分からないな・・・。本当に・・・・。)
しかし、俺には『こんな訳のわからない状況』にもかかわらず、実は三つ程分かっていることがあった。
なあに、簡単な事だ。
一つ。ここは俺等が賞金首を追い詰めた場所ではない。
二つ。窓の外から星が見えないことから、ここは俺等が賞金首を追い詰めた宇宙でなく、別のどこか。
三つ。外に出たくても、何故か宇宙船の扉は開かない―――つまり、これ以上は分からない。
これらの事から分かる事は唯一つ。
この状況は正に・・・・。
「あれだな。正に一寸先は闇って奴だな。ったく・・・、昔の人もよく言ったものだぜ。」
俺の思考を遮るように、ジョットは左右に頭を振りながらポツリと愚痴をこぼす。
「ジェット・・・?」
「ああ?なんだ?」
「お前って、ジャパニーズだっけ?」
「違うが・・・。どうした?やぶからぼうに・・・。」
「いや・・・。最近、妙に諺を口にするものだからさ。」
前から細かい奴だったが、最近は口を開くたびに諺とかいう古代日本が作った格言を織り交ぜてきやがる。
まあ・・・、この状況が状況じゃ・・・な。
星一つ無い空間に閉じ込められた、むさ苦しい男二人。
これで滅入らない方が、神経を疑っちまう。
まあ、趣味が趣味の場合は関係ないかもしれないが・・・。
とまあ、それにしても、ここまで外の状況に変化が無いとなると、さすがにそろそろ・・・・。
「なあに。こういう状態が続くと、自然と気が滅入ってくるからな。ここは一つ、頭の体操をしつつ・・・・。」
また俺が一人物思いにふけっていると、先ほどの俺の言葉を受けたジェットが雄弁に薀蓄を語り始めた。
こういう状態に入ったジェットは暫くは止まらないだろう。
バカもおだてりゃ木に登る。―――猿もまた同様。
しかし、そんな猿でも動く場所がなければ、おだてられてもリアクションが取れないだろう。
俺はジェットの話を聞きながらそんなことを考えつつ、吸い終えたタバコを左手に持っていたグラスに放り入れた。
ゆっくりと消えていくタバコの煙。
「あっ・・・・。ウーロン茶・・・・。飲みかけだった・・・・。」
訳の分からない空間に閉じ込められて、今日で一週間。
終わる事の無い暇の連鎖。底を尽きかけている食料。
で・・・、無限の闇が広がる窓の外。
こちらに被害は無いが、状況の変化も無い。
―――――いわゆる八方塞という奴だ。
「なあ、ジェット・・・。知ってるか?革靴って食えるんだぜ。」
状況の変化――――――限度があるが、今はこの程度の冗談も許されるだろう。
まあ、とりあえずの話題づくりだ。
「ああ・・・。昔のカーボーイは、本当に困った時は革で出来ているブーツを食ったらしいな。」
「そうそう!で・・・、食うか?」
断っておくが、これは冗談だ。
さっき言った通り、これは暇から来る話題づくり――――俺なりの気遣いと生きる希望の提示だ。
「そうだな・・・・。」
「はっはっは!!ジェット~。冗談だよ、冗談!!って、流石に分かっているだろうがな。」
もう少し引っ張っても見たいが、ここらで冗談は仕舞にしておく。
何しろ、ジェットは頭が固いんだか柔らかいんだか分からない奴だからな。
でも、これで少しは・・・・、
「食うか・・・・。」
「はあ?冗談だろ?はっはっは、お前も結構こういう冗談もいけるんだな。」
「いや・・・・、今日で食料も尽きる・・・。そうなると食えるものは今のうちに確保しておかないと・・・・。」
・・・・目がマジだ。
どうするスパイク?
奴を止めるか?それとも暇つぶしに放っておくか?
「ソース・・・。確か、冷蔵庫の奥の方に・・・・・。いや、やはりここは中華風か・・・。」
いやいや、ここはやはり人として止めるべきだな。
これで食中毒で逝っちまったら夢見悪いし、それにアイツには世話に・・・・・、
「いや、中華より生で醤油ソースだな・・・。よし、後は革靴の調達・・・。確か・・・・、おい!スパイク!!」
「あ、ああ・・・。な、なんだ?」
「お前のはいている靴。俺にくれ!!今すぐに。」
―――――前言撤回。
ああ、これはあれだ。あれだよ。
どんなに普段まともな人でも、少しばかり不可思議な場所に閉じ込められれば、
「くれ!!くれ!!!くれよ~!!!スパイク~~~!!」
ほら、この通りってやつ。
って、天は我を見放したのか!!
「ちょ、ちょっと待て!!いくら腹が減ったとしても限度があるだろ!考え直すんだジェット!!」
「う~ん・・・・。やっぱりダメ。オレ、ソレタベタイ。」
「突然片言になりやがって!!お前は原始人か~~~!!!」
ジェットの言葉にそう返すと同時に、俺はリビングルームを飛び出る。
そして、俺はジェットから急いで身を隠す為に、なるべく虚をつけそうな隠れ場所を探し始めた。
「ったく!!幾ら状況が状況だって、ジェットの奴!!」
俺は大声で愚痴をこぼしながらも、必死に宇宙船内を駆けずり回って隠れられる場所を探し続ける。
機関室―――バスルーム――――俺の部屋―――ジェットの部屋・・・・。
ダメだ。どれもこれも隠れるのには適していない。
となると、かくなる上は天井裏か・・・?
「確か、あそこのダストポットの天井のタイルは簡単に外れるはず・・・・。」
服が多少臭くなるかもしれないが、この際は仕方が無い。
俺はすぐさま意を決すると、ダストポットがある部屋に駆け足で入った。
「うえっ・・・。くっせ~!!」
入ったと同時に、生ゴミの匂いが俺の嗅覚を過剰に刺激する。
しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。
(ともかく天井裏に隠れなければ・・・。)
この思い一つで、俺は慌しくこの部屋にあるはずの梯子を探し始める。
すると、前に使って放置していたであろう、汚らしい梯子が運良く視界の隅に映った。
―――これは運が良い。きっと逃げ切れるに違いない――――――
訳の分からない空間に閉じ込められていたせいか、俺は目の前の幸運に単純な感想しか抱く事が出来なかった。
今考えれば、この宇宙船は元々ジェット本人のもの。
船内のメンテナンスをいつもしている彼にとって、俺が考え付く逃げ場などお見通しも同然だろう。
だから・・・・。
「よ、よし・・・。後は、この梯子を使って・・・。」
俺は早速見つけた梯子をその場で設置すると、勢い良く梯子に足をかけて登り始める。
そして、たどり着いた天井に敷き詰められたタイルの隙間に手を掛けた瞬間。
力も入れていないのに、目の前のタイルは大きな音をたてて地面に落下していった。
「スパイク君。み~つけた~♪」
そう、天井に敷き詰められていたタイルを外したのは、俺ではなく目が完全に逝ってしまったジェット。
あらかじめ俺の行動パターンを予測して、天井裏を移動していたのだろう。
それにしても、相方にこんな目付きで追い詰められるとは。
正に、この世は・・・・。
「ス~パイク君~~!!君の履いている靴をくれないかな~?ねっ?」
俺が一人この世を呪う暇もなく、ジェットはさっさと本題を切り出してくる。
まあ、本題というよりかは命題かもしれないが。
しかし幾ら命題とはいえ、ここでジェットの言う事を聞くわけにはいかない。
なんせ、こんな逝っちゃった目をしている奴のいうことを聞いたらば、それこそ最後だからだ。
次は服を食わせろとか要求してきたりするかもしれないし、最終的には発狂して自害するかもしれない。
別に信がつくほどの間柄ではないが、一応は俺の相方である。
だから俺は、身振り手振りを混ぜながら説得・・・、もとい時間稼ぎを始めることにした。
「じぇ、ジェット!!落ち着け!!話し合おう。こういう時こそ、ラブ&ピースだ。なっ?」
自分でも歯がゆくなる台詞・・・。
でも、今は文句を言っている場合ではない。
ともかく、次に行動する指針をさっさと決めなくては。
「そ、そうだ、ジェット。流石に俺にも、この靴に対しては愛着というのがある。
だから、片方の靴だけやろう。な?どうだジェット。」
「カタホウ?カタホウ?」
「そうだ、これで平和的に解決の道を作ろう。ジェット。いつものお前ならば分かるはずだ。」
『いつものジェット』・・・。
自分でその言葉を発した瞬間、俺は本当に長い間、正気のジェットを見ていない気がした。
――――人の精神はもろく壊れやすい。
(だから・・・か・・・。)
これが普段の彼が物凄く懐かしく思えた理由。
(そうだな・・・。俺は全く・・・。)
そして、俺は未だに「カタホウ?カタホウ?」といい続けているジェットを見て、もう一度意を決する。
いや、これは『意を決する』という言葉は適切ではない。
むしろ、極限状況に追い込まれたせいで壊れたジェットに対して、逃げる一手しかしなかった自分への・・・。
――――ケジメだ。
「ジェット・・・・。これをやる。俺の靴だ。だから、お前はこれで元に戻ってくれ・・・。って、おわっ!!」
しかし、梯子の上に居た事をすっかり忘れていた俺は、自らの靴を脱ごうとし為にバランスを崩してしまい、
靴底に手がかかっている状態でゆっくりと生ゴミの中に落下していく。
(ひたすらついてないな・・・。ああ・・・、そうか。何がケジメだ・・・。結局俺は・・・。)
一瞬でブラックアウトする俺の意識。
その時、俺が考えていた事は、ケジメという名の自己陶酔への後悔であった。
・・・・・。
意識を失ってからどれくらい経ったのだろうか?
俺が次に目を覚ました時は―――――
「おう、スパイク!やっと起きたか。いつも寝てばっかりいないで、すこしはソードフィッシュの整備でもしたらどうだ?」
―――――何もかもいつも通りのジェットと―――――
「あっ・・・、火星・・・。」
「何言ってんだスパイク?当たり前であろうが、賞金首を換金しにいくだからよ!まったく・・・。」
――――いつも通り、俺らが居た宇宙に戻っていた。
「ジェット・・・・、元に戻った・・・。はは・・・。」
眠い頭を左右に振りながら、俺は今の状況に幸運を感じていた。
いつも通りのジェット、いつも通りの窓の外の光景。
今はこれ以上の幸運は無い。
「どうした?まだ眠いのか御大臣は!!まあ、もうすぐ飯が出来るから、さっさと顔でも洗ってきな!!」
そして、俺が目の前にある幸運をかみ締めていると、いつも通りのジェットはいつも通りに俺の世話を焼いてきた。
「ああ・・・、わかったよ。」
一時はどうなる事かと思ったが、本当に良かった。
ここ最近、自分の中に募っていた世に対する恨み辛みは無かった事にしよう。
そうだ、世の中は『一寸先は闇』なんかではない。
むしろ世の中は光と闇の繰り返し。
良い出来事もあれば、その分だけ悪い出来事もあるのだ。
そうさ。そうだ・・・。
「よっこらせ!・・・っと!」
顔を洗い終わった俺は、いつもよりも上機嫌にリビングルームにあるソファーに座ると、
胸ポケットに入っているタバコの箱とジッポを取り出した。
「最後の一本か・・・・。」
個人的には、タバコをきらすのは大変きついことだが、ジェットが元に戻ったのと、
元の宇宙に戻った分を考えればイーブン以上の価値がある。
そう、タバコの代わりにジェットが戻ったと考えれば・・・。
(相棒を元に戻してくれてありがとな・・・・。はは・・・、そんな訳ないのにな・・・。)
そう思いながら、俺はタバコと一緒に取り出したジッポの表面を感慨深く見やる。
すると、ジッポは妖しい光を放ちながら、俺の顔を湾曲させた状態で映し出した。
「よ~し!スパイク。さっさと、飯を頂いちまおうぜ!」
そして、ジッポに俺の湾曲した顔が映った頃、ジェットはテーブルの上に出来上がった食事を並べ終えていた。
「おっ!今日はステーキか。これは上手そうだ。」
「だろ?牛の特製ステーキだ。じっくり味わって食えよ!まあ、生でも食えるちゃあ、食えるんだがな。」
「ほー、新鮮なんだな。」
ジェットの言葉に、俺は素直に感心しながら、ナイフを使ってステーキに切込みを入れる。
「ん?ちょっと肉が固いな・・・。」
「何言ってんだ?これはさっき取れたての新鮮ピチピチだぞ。」
「ああ、そうだったな。全く俺は・・・、はは・・・・。さ・・っき?」
俺はとんだ思い違いをしていた。
確か俺達は、今の今まで訳の分からない空間に閉じ込められていた上に、食料の補給すらおろか、食事さえ苦しかったはず・・・。
「ま、まさか・・・。これは!!」
思い浮かべる最悪の結果に心底慄きながら、俺は勢い良くその場に立ち上がる。
――――ひんやりと冷たいリビングルームの床・・・・。
さっきは起床直後だったのと、ジェットが元に戻ったような言動を取っていた為に、気に止める事も無かった。
少し気を巡らせれば、簡単に分かる事なのに・・・・。
「どうした、スパイク?美味しいぞ。渾身の自信作だからな。」
戦慄の表情で固まった俺を尻目に、ジェットは本当に上手そうだといった表情で『ステーキ』を食い続ける。
「じぇ、ジェット・・・・。おまえ・・、まだ・・・・。」
自分の声が震えるのを肌で感じながら、俺は恐る恐るジェットに声をかける。
「ああ・・・、そうだな・・・。『靴』は美味かったから・・・、今度は・・・。」
すると、ジェットはステーキに刺さっていたフォークを徐にテーブルの上に置くと、
目の焦点の合っていない顔でこちらを見上げた。
「オマエノツケテイル『ベルト』ッテ、カワセイダヨネ~?ア~、タベタイナ~!!ネエ~~~、スパイク君♪」
ジェットがそう言った瞬間、窓の外の光景は、元の永久の闇に逆戻りした。
世の中を呪う言葉として、一寸先は闇というのがある。
「クレヨ!クレヨ!ソノベルト、クレヨ~~!!」
「くっそー!!またこれかよ!!」
しかし、本当の闇は、こういった状況の連続をいうのかもしれない。
「はあ・・・。はあ・・・。はあ・・・。どこか隠れる場所・・・。そうだ、ダストポットがある部屋の天井裏ならば。」
そうなると、一寸先というのは、あくまで人の希望を反映したものな気がしてならない。
つまり本当の闇は、一度入ると抜け出せない、果てなく続く永久の闇・・・。
「よし・・・。後は天井のタイルを剥がせば・・・。」
「マタ、ココニイタ♪スパイク君~♪」
「うわっ!! ったく・・・、世の中は本当に先もクソも見えたもんじゃないな・・・。」
そう考えると、諺も案外楽観的である。
<一寸先は・・・・。・了>