高級ホテルにて、ウォームアップに余念がないアライJr。壁一面の鏡に映る己と向き
合い、実戦さながらにシャドーボクシングを繰り返す。
しかしいくら汗を流しても、昨夜の公園でのやり取りが忘れられない。
父より格下だと、戦士として不足していると、断ぜられた。ホームレスのたわごとだと
割り切ろうとしても、心の底では本部の言葉を肯定している部分がある。
迷いが戦士を蝕む。無尽蔵のスタミナを持ちながら、なぜか息が上がる。
「私は父よりも強い。完成させた全局面的ボクシングに穴はない。相手を殺す覚悟だって
できた。なのになぜ、私は惑わされているんだッ!」
苛立ちが頂点に達し、アライJrは右ストレートで鏡を叩き割った。
「行くしかない……。今日も彼らは私の挑戦を待ち受けているはずだ。戦って、私が正し
いことを私自身に証明するしかない!」
夜に溶け込むため黒いジャージに着替え、アライJrはホテルを出た。狙うはむろん海
王。次こそ自分自身が納得できるような勝利を手に入れてみせる。
コーポ海王の近辺をロードワークしていると、まもなく二人組を発見した。
一人はサムワン海王。ムエタイを使うと聞いている。
もう一人の名前は分からない。ヘヴィ級の体格を持つ、ロシア系の白人である。
もっとも付き添いがいようがいまいが挑むことに変わりはない。中国拳法を超えるため
には、海王を全員倒さねばならないのだから。
アライJrは気配を殺し、背後からそっと声をかけた。
「サムワン海王だね。……君と対決したい」
合い、実戦さながらにシャドーボクシングを繰り返す。
しかしいくら汗を流しても、昨夜の公園でのやり取りが忘れられない。
父より格下だと、戦士として不足していると、断ぜられた。ホームレスのたわごとだと
割り切ろうとしても、心の底では本部の言葉を肯定している部分がある。
迷いが戦士を蝕む。無尽蔵のスタミナを持ちながら、なぜか息が上がる。
「私は父よりも強い。完成させた全局面的ボクシングに穴はない。相手を殺す覚悟だって
できた。なのになぜ、私は惑わされているんだッ!」
苛立ちが頂点に達し、アライJrは右ストレートで鏡を叩き割った。
「行くしかない……。今日も彼らは私の挑戦を待ち受けているはずだ。戦って、私が正し
いことを私自身に証明するしかない!」
夜に溶け込むため黒いジャージに着替え、アライJrはホテルを出た。狙うはむろん海
王。次こそ自分自身が納得できるような勝利を手に入れてみせる。
コーポ海王の近辺をロードワークしていると、まもなく二人組を発見した。
一人はサムワン海王。ムエタイを使うと聞いている。
もう一人の名前は分からない。ヘヴィ級の体格を持つ、ロシア系の白人である。
もっとも付き添いがいようがいまいが挑むことに変わりはない。中国拳法を超えるため
には、海王を全員倒さねばならないのだから。
アライJrは気配を殺し、背後からそっと声をかけた。
「サムワン海王だね。……君と対決したい」
サムワンとシコルスキーは驚きのあまり、飛び上がりそうになってしまった。あわてて
仲良く振り返る。
ボクシングに詳しくないシコルスキーがアライJrに抱いた印象は、ずいぶんとさわや
かそうな青年だということだった。闇討ちを企てるような人間にはとても見えない。
アライJrがシコルスキーに視線を投げる。
「君はサムワン海王の友人かい? これから彼とファイトになるので、できれば立ち去っ
てもらいたいが……」
「いや、俺はサムワンとともにアンタと戦わせてもらう。同じアパートの人間をやられち
まってるからな」
「なるほど……二人同時に来るというわけか。いいだろう」
今日は二人相手と知り、ステップを踏み始めるアライJr。
「いや、おまえの相手は私一人だ」
ファイティングポーズを取るサムワン。
「おい、サムワン」
「すまん。だが名指しで、しかもこうまで正々堂々と挑まれては、こちらも連携するわけ
にはいかないだろう。それに──本来ムエタイにタッグマッチはない」
「……分かったよ」
サムワンとアライJrが形成する領域(エリア)から、一歩後ずさるシコルスキー。
リラックスした表情のアライJrに対し、サムワンは攻撃的な気を前面に出し、筋肉を
緊張させている。どちらが先に動くか、素人でも分かるほどだ。
精神を集中させ、己の肉体に語りかけるサムワン。
骨格を信じる。筋肉を信じる。反射神経を信じる。運動能力を信じ切る。
──今。
ターゲットは下半身。サムワンの初手はローキック。弧線を描き、岩をも砕く超高速で
迫る。
しかしアライJrの桁外れの動体視力は、海王としての意地を賭した初撃をまるでスロ
ーモーションのように見透かしていた。
アライJrが三十センチほど後退するだけで蹴り足は外れ、返しの左ストレートがサム
ワンの右頬を完璧に捉えた。
ダウンこそ免れたが、サムワンの目は虚ろだ。容赦なく、アライJrがトドメの体勢に
入る。
「サムワン、コブラがいるぞッ!」
気つけ薬はシコルスキーの咄嗟の叫びだった。
幼い頃、最愛の父をコブラの毒によって失ったサムワン。父が存命だったならば、危険
を冒してムエタイを生業とすることもなかっただろう。サムワンにとって、コブラとはき
っかけであり、仇敵であり、修業相手であった。
海王と成った今こそ、コブラを倒す時間(とき)。
「──クゥアァァッ!」
ローギアから一気にトップギアへ。
左ローがまともに入った。激痛に動きを止めるアライJr。さらに右ローを二連打、左
ローをもう一撃加える。
足をかばうように、よろよろとアライJrが後退する。
「効いてるぞ、いけるぞっ、サムワン!」
「応ッ!」
機動力は封じた。あとは十八番のハイキックさえ叩き込めば──。
仲良く振り返る。
ボクシングに詳しくないシコルスキーがアライJrに抱いた印象は、ずいぶんとさわや
かそうな青年だということだった。闇討ちを企てるような人間にはとても見えない。
アライJrがシコルスキーに視線を投げる。
「君はサムワン海王の友人かい? これから彼とファイトになるので、できれば立ち去っ
てもらいたいが……」
「いや、俺はサムワンとともにアンタと戦わせてもらう。同じアパートの人間をやられち
まってるからな」
「なるほど……二人同時に来るというわけか。いいだろう」
今日は二人相手と知り、ステップを踏み始めるアライJr。
「いや、おまえの相手は私一人だ」
ファイティングポーズを取るサムワン。
「おい、サムワン」
「すまん。だが名指しで、しかもこうまで正々堂々と挑まれては、こちらも連携するわけ
にはいかないだろう。それに──本来ムエタイにタッグマッチはない」
「……分かったよ」
サムワンとアライJrが形成する領域(エリア)から、一歩後ずさるシコルスキー。
リラックスした表情のアライJrに対し、サムワンは攻撃的な気を前面に出し、筋肉を
緊張させている。どちらが先に動くか、素人でも分かるほどだ。
精神を集中させ、己の肉体に語りかけるサムワン。
骨格を信じる。筋肉を信じる。反射神経を信じる。運動能力を信じ切る。
──今。
ターゲットは下半身。サムワンの初手はローキック。弧線を描き、岩をも砕く超高速で
迫る。
しかしアライJrの桁外れの動体視力は、海王としての意地を賭した初撃をまるでスロ
ーモーションのように見透かしていた。
アライJrが三十センチほど後退するだけで蹴り足は外れ、返しの左ストレートがサム
ワンの右頬を完璧に捉えた。
ダウンこそ免れたが、サムワンの目は虚ろだ。容赦なく、アライJrがトドメの体勢に
入る。
「サムワン、コブラがいるぞッ!」
気つけ薬はシコルスキーの咄嗟の叫びだった。
幼い頃、最愛の父をコブラの毒によって失ったサムワン。父が存命だったならば、危険
を冒してムエタイを生業とすることもなかっただろう。サムワンにとって、コブラとはき
っかけであり、仇敵であり、修業相手であった。
海王と成った今こそ、コブラを倒す時間(とき)。
「──クゥアァァッ!」
ローギアから一気にトップギアへ。
左ローがまともに入った。激痛に動きを止めるアライJr。さらに右ローを二連打、左
ローをもう一撃加える。
足をかばうように、よろよろとアライJrが後退する。
「効いてるぞ、いけるぞっ、サムワン!」
「応ッ!」
機動力は封じた。あとは十八番のハイキックさえ叩き込めば──。
ずん。
必殺のハイキックを掻い潜り、アライJrは、がら空きの股間にアッパーをめり込ませ
ていた。
白目をむき、サムワン海王は勢いよく崩れ落ちた。
「本気で打ったから、一個くらいは潰れたかもしれないな」
悪びれず鼻歌を鳴らすアライJr。シコルスキーが初めに抱いた印象がまるで正反対だ
ったことを悟った。
「効いてるふりをして、ハイを誘って金的への一撃、か……。まるでドリアンみたいな駆
け引きをしやがる……!」
「彼に学んだんだよ。そしてもう一つ、彼は私に学ばせてくれた」
「もう一つ……?」
「殺さねば倒せぬ相手もいるということだ。打たせずではなく殺されず、打つではなく殺
す……。父が到達できなかった高み“殺られずに殺る”──もし君が、私が苦戦するほど
に強ければ、私の拳に初めての体験をさせることができるかもしれない」
冷笑を浮かべるアライJr。殺す覚悟どころか、生命を奪い合う血みどろの野試合を期
待しているようだ。
『殺られずに殺る』を迎え撃つは、『殺られまくる』がスローガンのシコルスキー。
「ダヴァイッ!」
両手を広げ、シコルスキーが吼える。
ていた。
白目をむき、サムワン海王は勢いよく崩れ落ちた。
「本気で打ったから、一個くらいは潰れたかもしれないな」
悪びれず鼻歌を鳴らすアライJr。シコルスキーが初めに抱いた印象がまるで正反対だ
ったことを悟った。
「効いてるふりをして、ハイを誘って金的への一撃、か……。まるでドリアンみたいな駆
け引きをしやがる……!」
「彼に学んだんだよ。そしてもう一つ、彼は私に学ばせてくれた」
「もう一つ……?」
「殺さねば倒せぬ相手もいるということだ。打たせずではなく殺されず、打つではなく殺
す……。父が到達できなかった高み“殺られずに殺る”──もし君が、私が苦戦するほど
に強ければ、私の拳に初めての体験をさせることができるかもしれない」
冷笑を浮かべるアライJr。殺す覚悟どころか、生命を奪い合う血みどろの野試合を期
待しているようだ。
『殺られずに殺る』を迎え撃つは、『殺られまくる』がスローガンのシコルスキー。
「ダヴァイッ!」
両手を広げ、シコルスキーが吼える。