戦いが始まった。ヒューリーとF08――人造人間同士の戦いが。
ピーベリーは、二人の戦いを観察していた。戦闘の邪魔にならぬよう、建物の影に隠れて。
ああなったヒューリーは手に負えない。怒りで周りが見えなくなった彼は、見境なく敵を殺す。
憤怒の名は伊達ではない。
それに、彼がまわりが見えなくなっているが故に、彼をサポートする人間がいなくてはならない。
万が一ヒューリーが損傷した際に、その機体(からだ)を修理できるのは、彼の創造者である自分しかいないからだ。
人造人間は精密な機械のようなもので、致命傷を修理するのなら、創造者であり彼の機体の構造を熟知しているピーベリーでなければ
不可能だ。
それ以上に。ピーベリーは、興味をそそられていた。怜悧な知性の宿る瞳が、真っ直ぐに、F08に注がれていた。
「……まさか、この目で見ることになるとはな」
小さく呟く。
「……<装甲戦闘死体>」
それは暗がりに潜み、夜の眷属を滅ぼす。生前の姿をとどめた、動く死体。
選りすぐりの死体から製造された彼女らは、誰も彼もがいわくつきの人物だった。
例えば、17世紀のパリを恐怖に陥れたある毒殺魔であるとか。
例えば、霧の街ロンドンを恐怖に陥れたある殺人鬼であるとか。
共通しているのは、その全員が目が眩むような美貌の持ち主であること、吸血鬼を滅ぼすためだけに造られたということ。
そしてその製作者は、フランケンシュタイン博士であること。
(馬鹿馬鹿しい噂話だと思っていた。信じるに値しない与太だと)
フランケンシュタインは、すでにこの世にいない。人造人間製造法が記された二冊の禁書を残して、死んだ。
生命を自在に操れるとまで謳われた彼も、やはり自然の摂理には抗えなかったのだ。
と同時に、フランケンシュタイン博士の"作品"も、そのほとんどが廃棄されたと聞く。
(それが真実のはず。しかし……)
だが、だれもが噂する。誰もが囁く。フランケンシュタインは生きている、と。
実際にその姿を目にしたものはいない。そもそも生前から他人に顔を見せることを厭う人間だった。
だからフランケンシュタインの生存の証拠は何もなく、すでにフランケンシュタイン没後150年ほど経っていることから、その噂話を
立てるものは大いに馬鹿にされた。現にピーベリーも信じていなかった。先ほどまでは。
だが、いま、その"証拠"が目の前にある。
自分達を襲った吸血鬼と、ヒューリーと戦うF08。
思えば、吸血鬼という"おとぎ話"上の存在が実在する以上、そして徐々に彼らが数を減らしているという事実がある以上、
<装甲戦闘死体>の噂話もまた真実なのだろう。
とすれば、<装甲戦闘死体>の主であるフランケンシュタイン博士も、噂話のように生きているのかもしれない。
それは人造人間製造者すべてにとって福音になるだろう。
人造人間の製造技術はいまだ不完全だ。いまの人造人間は欠点だらけで、生前の人格の完全再現もできない。
だが、もし偉大なる博士が存命しているのだとしたら。命を蘇らせる叡智が、完全な形で残っているのではないか。
完全な人造人間、完全な永遠の命すらも、手に入れることが――
「くだらん」
ふん、と鼻をならす。
「あいにくと、わたしの目的は別にあるのでな」
煙草に火をつける。紫煙を吐き出し、ピーベリーは、ただ静かに戦いを見つめる。
ピーベリーは、二人の戦いを観察していた。戦闘の邪魔にならぬよう、建物の影に隠れて。
ああなったヒューリーは手に負えない。怒りで周りが見えなくなった彼は、見境なく敵を殺す。
憤怒の名は伊達ではない。
それに、彼がまわりが見えなくなっているが故に、彼をサポートする人間がいなくてはならない。
万が一ヒューリーが損傷した際に、その機体(からだ)を修理できるのは、彼の創造者である自分しかいないからだ。
人造人間は精密な機械のようなもので、致命傷を修理するのなら、創造者であり彼の機体の構造を熟知しているピーベリーでなければ
不可能だ。
それ以上に。ピーベリーは、興味をそそられていた。怜悧な知性の宿る瞳が、真っ直ぐに、F08に注がれていた。
「……まさか、この目で見ることになるとはな」
小さく呟く。
「……<装甲戦闘死体>」
それは暗がりに潜み、夜の眷属を滅ぼす。生前の姿をとどめた、動く死体。
選りすぐりの死体から製造された彼女らは、誰も彼もがいわくつきの人物だった。
例えば、17世紀のパリを恐怖に陥れたある毒殺魔であるとか。
例えば、霧の街ロンドンを恐怖に陥れたある殺人鬼であるとか。
共通しているのは、その全員が目が眩むような美貌の持ち主であること、吸血鬼を滅ぼすためだけに造られたということ。
そしてその製作者は、フランケンシュタイン博士であること。
(馬鹿馬鹿しい噂話だと思っていた。信じるに値しない与太だと)
フランケンシュタインは、すでにこの世にいない。人造人間製造法が記された二冊の禁書を残して、死んだ。
生命を自在に操れるとまで謳われた彼も、やはり自然の摂理には抗えなかったのだ。
と同時に、フランケンシュタイン博士の"作品"も、そのほとんどが廃棄されたと聞く。
(それが真実のはず。しかし……)
だが、だれもが噂する。誰もが囁く。フランケンシュタインは生きている、と。
実際にその姿を目にしたものはいない。そもそも生前から他人に顔を見せることを厭う人間だった。
だからフランケンシュタインの生存の証拠は何もなく、すでにフランケンシュタイン没後150年ほど経っていることから、その噂話を
立てるものは大いに馬鹿にされた。現にピーベリーも信じていなかった。先ほどまでは。
だが、いま、その"証拠"が目の前にある。
自分達を襲った吸血鬼と、ヒューリーと戦うF08。
思えば、吸血鬼という"おとぎ話"上の存在が実在する以上、そして徐々に彼らが数を減らしているという事実がある以上、
<装甲戦闘死体>の噂話もまた真実なのだろう。
とすれば、<装甲戦闘死体>の主であるフランケンシュタイン博士も、噂話のように生きているのかもしれない。
それは人造人間製造者すべてにとって福音になるだろう。
人造人間の製造技術はいまだ不完全だ。いまの人造人間は欠点だらけで、生前の人格の完全再現もできない。
だが、もし偉大なる博士が存命しているのだとしたら。命を蘇らせる叡智が、完全な形で残っているのではないか。
完全な人造人間、完全な永遠の命すらも、手に入れることが――
「くだらん」
ふん、と鼻をならす。
「あいにくと、わたしの目的は別にあるのでな」
煙草に火をつける。紫煙を吐き出し、ピーベリーは、ただ静かに戦いを見つめる。
「は、はは、あはははは!」
ヒューリーはF08に翻弄されていた。攻撃が、当たらないのだ。ナイフの一撃は、むなしく空を切るばかり。
反対に、ヒューリーの全身は赤で染められていた。服のそこかしこに血が滲んでいた。
「……ち」
ヒューリーは舌を打つ。
受けた傷は致命傷にまでは到らないが、それでも不利であることに変わりはない。
攻撃が当たらない以上、そしてこのまま攻撃を受け続ける以上、いつかはこちらが負けてしまうだろう。
ヒューリーが苦戦を強いられているのは、ひとえに両者の戦闘スタイルの違い故である。
大雑把な括りをするなら、ヒューリーは力で敵を圧倒するのに対し、F08は速さで敵を圧倒する。
少女ほどの体格しかないF08にとって、速さで敵を翻弄する戦いは、とても理にかなったことなのだろう。
いくら<装甲戦闘死体>の超絶な力があるとはいえ、ヒューリーもまた人造人間、その力は通じまい。
F08は、刺しては逃げ、刺しては逃げを繰り返す。
一瞬だけヒューリーの間合いに出現し、彼にナイフを突き刺し、その次の瞬間には射程外に逃れている。
その動きを捉えられない。
だが、徐々に動きに目が慣れてくる。F08の動きのわずかな癖、それは時間がたつにつれ把握できる。
傷だらけになりながらも、ヒューリーはそれを見極めた。
死に難い人造人間であるからこそ出来る芸当だ。長期戦になればなるほど、戦いは人造人間に有利に働く。いままで見えなかったナイフの軌道を、うっすらとだが、確かに視界の中に認める。
故に、ヒューリーは、迫り来るF08のナイフを見据えて。
「……ッ!」
はじく。
「あ……?」
初めて動きに反応したヒューリーに、F08は驚愕の表情を作った。そして、たまらずナイフを弾き飛ばされた。
F08の手には、武器がない。まったくの徒手空拳だ。
その隙を逃がすヒューリーではなかった。すかさず間合いをつめる。すさまじい怒号を放ちながら。
「おおおおおお!!」
「ちィ……!」
だが、速さで勝るF08には追いつけない。
ヒューリーの拳は、地面を砕き、捲れ上がらせたが、それだけだ。F08には当たらない。
彼女は依然として無傷。しかも、二人の距離は、また空いてしまった。
「たいした馬鹿力だよ、お前」
少し離れたところから、F08が言う。
「だけど、当たらなきゃ意味がない」
「だが、お前は武器を失った。体格で勝る俺に、勝ち目はないぞ」
「は……はは、はははは! 何かと思えば、そんなことかよ。そんなの、たいした問題じゃない」
ヒューリーはわずかに眉を顰めた。たしかに彼女のすばやさには手を焼いた。
だが、ナイフをもっていたからこそ、彼女は脅威といえたのだ。
彼女の細腕だけでは、ヒューリーを殺すことは出来まい。
ならば、この自信は、何なのか。
いぶかしむヒューリーをよそに、F08は、嘲笑いながら。
ぶちり、と。
自分の手首を。
噛み破った。
「な……」
突然の奇行に、ヒューリーは言葉をなくす。
おびただしい量の血が噴き出る。顔を血に染めながら、けれどまったく動じずに、F08は指を傷口に挿し入れる。
ぐちゅぐちゅと肉の中を掻きわけ、何かを掴み、引き抜く。
それは、一本のナイフ。
「わたしの身体にはね、たくさんの武器が詰まってるの。それがわたしの能力。でも、それだけじゃない……」
そして、投擲する。ヒューリーの瞳に目掛けて。
「ちッ!」
はじく。その間に、F08を見失ってしまった。いったい、どこに。
「わたしが何の考えもなしに、こんなに武器をばら撒いたと思ったかよ……」
ヒューリーの耳に声が届いた。声が聞こえてきた方向に視線を巡らす。
F08が、立っていた。
表情を禍々しく歪め、両手に新しい武器を持って。
右手には、"くの字"に曲がった特徴的な刃、グルカナイフ。
左手には、櫛の形状をした奇妙な刃、ソードブレイカー。
そして――地面に突き刺さった、たくさんの剣、槍、刃を背にして。
「武器がナイフだけだと思った? ここには、わたしのための武器が、お前を九回殺しても足るほどに、ある!」
F08の姿が掻き消えると同時に、ヒューリーの右足に、激痛が奔った。
「ぐあっ……!」
いつの間にか、F08はヒューリーに接近し、彼の右足にグルカナイフを叩きつけていた。
このグルカナイフは、先端に行くほど刀身が厚くなっている為、自分の体重を乗せ、ただ振り下ろすだけでも相当な破壊力を発揮する。
痛みの所為なのか、それとも完全に破壊されてしまったのか。右足には、足先にいたるまで、感覚がない。
「おお……ッ!」
痛みに耐え、ヒューリーはナイフを振るう。その刀身が、F08の左手の、櫛の形状をした刀に防がれた。
ソードブレイカーと呼ばれる、奇妙な刃。その恐ろしさを、ヒューリーは身をもって体験する。
ヒューリーのナイフは、その櫛の部分にからめとられ、F08が手首を返しただけで、彼の手から離れてしまう。
「さっきのお返しだよ」
「く……!」
武器を奪われたヒューリーには、拳を突き出すことしかできない。
「遅ェよ、のろま!」
鮮血が、迸る。また地面から引き抜いたのか、F08の手には新しい刃があった。
波打つような刀身を持つ、フランベルジェの短剣。この波状の刃に抉られた切断面は癒着しにくく、治りが遅い。人造人間であってもだ。
しかも利き手である右手をやられた。だらりと、右手は力なく垂れ下がる。
「あっという間に満身創痍ねえ?」
ヒューリーは、数多くの武器を使いこなすF08に戦慄を覚えていた。
F08は、武器を選ばない。近接武器は数多く、その一つとっても様々な用途がある。
そのすべてを完全に会得するには、時間と経験が必要だ。しかも地面に突き刺さっているのは、どれも一癖もふた癖もある武器ばかり。
ナイフを得意とするヒューリーには、防御手段でしかそれらは扱えまい。
それらの有用性を最大限引き出しているのは、彼女の類稀な天性の戦闘センスか、あるいは<装甲戦闘死体>として蘇る際に植えつけられ
たプログラムか。
「さーて、足も潰したし、武器も奪ったし、もう逃げられないわよね?」
動けないヒューリーに向けて、F08は、花のような笑みを浮かべて。
「じゃあ、死ね」
死刑宣告を下した。
ヒューリーは、その光景を見ていた。
たくさんの刃が、自分を刺し貫く光景を。
肩にエストックが。
脇腹にショートソードが。
腿にスティレットが。
胸にレイピアが。
他にも数え切れないほどの刃が、彼の身体を貫いて――
「ぐ……う……」
それでもなお、ヒューリーは、立っていた。
だが、徐々に前へと身体を傾斜させ、膝ががくりと落ちて。
ヒューリーは、地面に、倒れ伏した。
F08は、勝利の美酒に酔いしれる。禍々しく顔を歪めて、耳障りな声で、笑う。
「ふふ……あははは! あっけない! 吸血鬼も始末したし、あとはこいつを殺して任務はおしまいね!
さて、と、こいつの電極は……」
とどめをさすべく、F08はヒューリーの首元の電極に刺突短剣を突きつける。電極を破壊すれば、人造人間は完全に機能を停止する。
ヒューリーは、何も出来ず、復讐を果たすことも出来ず、ここで朽ちるのか。
否――
「待て」
そのとき、地面に倒れたまま動かないヒューリーをかばうように、人影が現れた。
ピーベリーだ。彼女の視線は、F08に、そしてヒューリーに向けられる。その顔からは、感情を読み取ることが出来ない。
ヒューリーがやられたことに、怒っているのか、悲しんでいるのか。彼女の冷たい瞳は、何も語らない。
「あらあら」
F08は笑う。その笑いには、嘲りの色が濃い。
「いままで物陰に隠れてがたがた震えていたあなたが、一体何の用かしら?」
「お前に聞きたいことがある。<装甲戦闘死体>」
ひゅう、とF08は口笛をふく。
「へぇ。わたしのことを知ってるってことは、あなた、こいつの"創造者"ね」
「そうだ。この男は私が造った」
「はッ、死んだ人間が生き返るなんて与太信じた馬鹿か」
「見くびるな。人間は死ぬ、そして生き返ることはない。それを曲げることは絶対に出来ない」
「ま、あなたの言うとおりね。わたしだって結局はただの死体。生前のわたしと、今のわたしは、別人」
そういうと、くすくすとF08は笑い始めた。それは徐々に大きくなって――
F08の感情が、爆発する。哄笑が迸る。
「――だからこそ、わたしはうれしい! あんなくそったれな人生、こっちから願い下げだった! わたしを蔑む奴ら! わたしに哀れみを
くれる奴ら! どいつもこいつもわたしを馬鹿にしやがって! でも、わたしは死んで、生まれ変わった。今の私には力がある。私を笑った
奴らすべてを殺せる力が!」
――これが、F08に秘められていた狂気だった。
自分以外のすべてを否定する。それは、極度に肥大したエゴ。
長い間抑圧されていたF08の自我が、この醜い怪物を生んだのだろう。
あるいは彼女も、ヒューリーやピーベリーと同じく復讐者と言えるのかもしれない。
だが、ピーベリーは、冷ややかにF08を見据えて。
ただ一言、切って捨てる。
「お前のことなどどうでもいい」
「あ……?」
「お前の苦しみなどありふれている。いやはや、あの<装甲戦闘死体>と聞いて、どんな奴なのかと思えば、こんな小物だったとは」
小物、という言葉に、F08は反応した。
自分を馬鹿にするものは、絶対に、許さない。
「……てめえ、口の利き方には気をつけろよ。今すぐバラバラにしてやってもいいんだぜ」
「ふん。ならばせいぜい、気をつけることにしよう。話は変わるが、お前に聞きたいことがある。
――お前を造ったのは、本当にフランケンシュタイン博士か?」
「なんだ、そんなことかよ。確かにわたしを人造人間にしたのは、フランケンシュタインだ。まだ顔も見たこともねえがな」
「なるほど。では、お前は――私の復讐の、最高の"前座"ということだな」
「……なんだって?」
――この女は、いったい、なんと言った?
――前座。このF08様が!?
こめかみがぴくぴくと痙攣する。怒りのあまり、言葉をうまく紡げない。
そんなF08を完全に無視して、ピーベリーは語りかける。
「いつまで寝ている。さっさと起きろ」
――倒れ伏すヒューリーに向けて。
「いつか、私は、お前に私の復讐を明かすといったな。残念だが、まだ教えられんな。だが、一つだけ確かなことがある」
F08を指差す。そして口の端を吊り上げ、不敵に笑う。
「"これ"程度に苦戦するのなら、私の復讐を教えるのは、まだまだ先のことだな。すべての人造人間を殺すなど、夢のまた夢だ」
そう言うと、ピーベリーは、あろうことかF08に背中を見せて、歩いていく。
そのあまりに無防備な姿に、怒りも忘れて、F08は呆気にとられる。
(こいつ……気が狂ったのか? まあいい、こいつは生かしておけねぇ。わたしを笑う奴は、全員殺す!)
ナイフを構え、ピーベリーに迫る。
ピーベリーは振り向かない。ただ歩くだけで、F08を一顧だにしない。
すさまじい速さでF08は、ゆっくりと歩くピーベリーに追いつく。
そして。
煌くナイフの切っ先がピーベリーに刺さる、その刹那。
倒れ伏すヒューリーをピーベリーが横切る、その刹那。
「お前は私の道具だ。私の敵の喉笛を喰いちぎる牙だ。ヒューリー・フラットライナー。だから……」
一拍置いて、静かに、そして強く告げる。
「敗北は許さん」
突然、F08の視界を、一面の黒が覆った。
何だ。これは、何だ。F08は混乱する。そしてすぐに理解する。
自分が斃したはずの男。自分に無様に敗れ去ったはずの男。
ヒューリー・フラットライナー!
彼が自分の眼前に立ちふさがったのだ。
「な……! てめえ、まだ動けて……げぶッ!?」
皆まで言わせず、ヒューリーは、F08のみぞおちに拳を叩き込んだ。
「……あんたの言うとおりだ、ピーベリー」
その言葉には、静寂が満ちていた。何かが爆発する寸前の、奇妙な静けさであった。
「こんな奴にてこずってるようじゃ、あんたの復讐も、俺の復讐も、完遂にはほど遠い」
ヒューリーの顔には、ぞっとするほど、感情というものが、まったくなかった。
無感情のまま、苦しみあえぐF08を、見下ろしている。
「げ、ぇっ……て、手前ら……さっきからよくもぬけぬけとッ!」
F08は身を翻して、ヒューリーから距離をとる。
「ずいぶんな自信じゃねえか。いいぜ、思い知らせてやるよ。<装甲戦闘死体>の、いや、わたしの恐ろしさを!」
またも地面から武器を引き抜く。そして、猛然と突進する。
先程よりも、鋭く、かつ速い動き。
――だが。
F08の頬を、ヒューリーの拳がとらえる。そして殴り飛ばす。
「がはッ!?」
たまらずF08は地面を転がる。何が起きたかわからない、そんな表情を浮かべ、F08はヒューリーを見る。
そこには――
「これからもう、お前には、何もさせない。何も出来ないまま、壊れろ」
人の形をした悪鬼が。
憎悪に凝り固まった視線で。
自分を、射抜いていた。
「壊れろ」
冷え切っていた言葉は、次第に熱を帯びていく。
今度は、憤怒を込めながら、叫ぶ。
咆哮が、轟いた。
「悲鳴をあげて、涙を流しながら、壊れろ!」
ヒューリーはF08に翻弄されていた。攻撃が、当たらないのだ。ナイフの一撃は、むなしく空を切るばかり。
反対に、ヒューリーの全身は赤で染められていた。服のそこかしこに血が滲んでいた。
「……ち」
ヒューリーは舌を打つ。
受けた傷は致命傷にまでは到らないが、それでも不利であることに変わりはない。
攻撃が当たらない以上、そしてこのまま攻撃を受け続ける以上、いつかはこちらが負けてしまうだろう。
ヒューリーが苦戦を強いられているのは、ひとえに両者の戦闘スタイルの違い故である。
大雑把な括りをするなら、ヒューリーは力で敵を圧倒するのに対し、F08は速さで敵を圧倒する。
少女ほどの体格しかないF08にとって、速さで敵を翻弄する戦いは、とても理にかなったことなのだろう。
いくら<装甲戦闘死体>の超絶な力があるとはいえ、ヒューリーもまた人造人間、その力は通じまい。
F08は、刺しては逃げ、刺しては逃げを繰り返す。
一瞬だけヒューリーの間合いに出現し、彼にナイフを突き刺し、その次の瞬間には射程外に逃れている。
その動きを捉えられない。
だが、徐々に動きに目が慣れてくる。F08の動きのわずかな癖、それは時間がたつにつれ把握できる。
傷だらけになりながらも、ヒューリーはそれを見極めた。
死に難い人造人間であるからこそ出来る芸当だ。長期戦になればなるほど、戦いは人造人間に有利に働く。いままで見えなかったナイフの軌道を、うっすらとだが、確かに視界の中に認める。
故に、ヒューリーは、迫り来るF08のナイフを見据えて。
「……ッ!」
はじく。
「あ……?」
初めて動きに反応したヒューリーに、F08は驚愕の表情を作った。そして、たまらずナイフを弾き飛ばされた。
F08の手には、武器がない。まったくの徒手空拳だ。
その隙を逃がすヒューリーではなかった。すかさず間合いをつめる。すさまじい怒号を放ちながら。
「おおおおおお!!」
「ちィ……!」
だが、速さで勝るF08には追いつけない。
ヒューリーの拳は、地面を砕き、捲れ上がらせたが、それだけだ。F08には当たらない。
彼女は依然として無傷。しかも、二人の距離は、また空いてしまった。
「たいした馬鹿力だよ、お前」
少し離れたところから、F08が言う。
「だけど、当たらなきゃ意味がない」
「だが、お前は武器を失った。体格で勝る俺に、勝ち目はないぞ」
「は……はは、はははは! 何かと思えば、そんなことかよ。そんなの、たいした問題じゃない」
ヒューリーはわずかに眉を顰めた。たしかに彼女のすばやさには手を焼いた。
だが、ナイフをもっていたからこそ、彼女は脅威といえたのだ。
彼女の細腕だけでは、ヒューリーを殺すことは出来まい。
ならば、この自信は、何なのか。
いぶかしむヒューリーをよそに、F08は、嘲笑いながら。
ぶちり、と。
自分の手首を。
噛み破った。
「な……」
突然の奇行に、ヒューリーは言葉をなくす。
おびただしい量の血が噴き出る。顔を血に染めながら、けれどまったく動じずに、F08は指を傷口に挿し入れる。
ぐちゅぐちゅと肉の中を掻きわけ、何かを掴み、引き抜く。
それは、一本のナイフ。
「わたしの身体にはね、たくさんの武器が詰まってるの。それがわたしの能力。でも、それだけじゃない……」
そして、投擲する。ヒューリーの瞳に目掛けて。
「ちッ!」
はじく。その間に、F08を見失ってしまった。いったい、どこに。
「わたしが何の考えもなしに、こんなに武器をばら撒いたと思ったかよ……」
ヒューリーの耳に声が届いた。声が聞こえてきた方向に視線を巡らす。
F08が、立っていた。
表情を禍々しく歪め、両手に新しい武器を持って。
右手には、"くの字"に曲がった特徴的な刃、グルカナイフ。
左手には、櫛の形状をした奇妙な刃、ソードブレイカー。
そして――地面に突き刺さった、たくさんの剣、槍、刃を背にして。
「武器がナイフだけだと思った? ここには、わたしのための武器が、お前を九回殺しても足るほどに、ある!」
F08の姿が掻き消えると同時に、ヒューリーの右足に、激痛が奔った。
「ぐあっ……!」
いつの間にか、F08はヒューリーに接近し、彼の右足にグルカナイフを叩きつけていた。
このグルカナイフは、先端に行くほど刀身が厚くなっている為、自分の体重を乗せ、ただ振り下ろすだけでも相当な破壊力を発揮する。
痛みの所為なのか、それとも完全に破壊されてしまったのか。右足には、足先にいたるまで、感覚がない。
「おお……ッ!」
痛みに耐え、ヒューリーはナイフを振るう。その刀身が、F08の左手の、櫛の形状をした刀に防がれた。
ソードブレイカーと呼ばれる、奇妙な刃。その恐ろしさを、ヒューリーは身をもって体験する。
ヒューリーのナイフは、その櫛の部分にからめとられ、F08が手首を返しただけで、彼の手から離れてしまう。
「さっきのお返しだよ」
「く……!」
武器を奪われたヒューリーには、拳を突き出すことしかできない。
「遅ェよ、のろま!」
鮮血が、迸る。また地面から引き抜いたのか、F08の手には新しい刃があった。
波打つような刀身を持つ、フランベルジェの短剣。この波状の刃に抉られた切断面は癒着しにくく、治りが遅い。人造人間であってもだ。
しかも利き手である右手をやられた。だらりと、右手は力なく垂れ下がる。
「あっという間に満身創痍ねえ?」
ヒューリーは、数多くの武器を使いこなすF08に戦慄を覚えていた。
F08は、武器を選ばない。近接武器は数多く、その一つとっても様々な用途がある。
そのすべてを完全に会得するには、時間と経験が必要だ。しかも地面に突き刺さっているのは、どれも一癖もふた癖もある武器ばかり。
ナイフを得意とするヒューリーには、防御手段でしかそれらは扱えまい。
それらの有用性を最大限引き出しているのは、彼女の類稀な天性の戦闘センスか、あるいは<装甲戦闘死体>として蘇る際に植えつけられ
たプログラムか。
「さーて、足も潰したし、武器も奪ったし、もう逃げられないわよね?」
動けないヒューリーに向けて、F08は、花のような笑みを浮かべて。
「じゃあ、死ね」
死刑宣告を下した。
ヒューリーは、その光景を見ていた。
たくさんの刃が、自分を刺し貫く光景を。
肩にエストックが。
脇腹にショートソードが。
腿にスティレットが。
胸にレイピアが。
他にも数え切れないほどの刃が、彼の身体を貫いて――
「ぐ……う……」
それでもなお、ヒューリーは、立っていた。
だが、徐々に前へと身体を傾斜させ、膝ががくりと落ちて。
ヒューリーは、地面に、倒れ伏した。
F08は、勝利の美酒に酔いしれる。禍々しく顔を歪めて、耳障りな声で、笑う。
「ふふ……あははは! あっけない! 吸血鬼も始末したし、あとはこいつを殺して任務はおしまいね!
さて、と、こいつの電極は……」
とどめをさすべく、F08はヒューリーの首元の電極に刺突短剣を突きつける。電極を破壊すれば、人造人間は完全に機能を停止する。
ヒューリーは、何も出来ず、復讐を果たすことも出来ず、ここで朽ちるのか。
否――
「待て」
そのとき、地面に倒れたまま動かないヒューリーをかばうように、人影が現れた。
ピーベリーだ。彼女の視線は、F08に、そしてヒューリーに向けられる。その顔からは、感情を読み取ることが出来ない。
ヒューリーがやられたことに、怒っているのか、悲しんでいるのか。彼女の冷たい瞳は、何も語らない。
「あらあら」
F08は笑う。その笑いには、嘲りの色が濃い。
「いままで物陰に隠れてがたがた震えていたあなたが、一体何の用かしら?」
「お前に聞きたいことがある。<装甲戦闘死体>」
ひゅう、とF08は口笛をふく。
「へぇ。わたしのことを知ってるってことは、あなた、こいつの"創造者"ね」
「そうだ。この男は私が造った」
「はッ、死んだ人間が生き返るなんて与太信じた馬鹿か」
「見くびるな。人間は死ぬ、そして生き返ることはない。それを曲げることは絶対に出来ない」
「ま、あなたの言うとおりね。わたしだって結局はただの死体。生前のわたしと、今のわたしは、別人」
そういうと、くすくすとF08は笑い始めた。それは徐々に大きくなって――
F08の感情が、爆発する。哄笑が迸る。
「――だからこそ、わたしはうれしい! あんなくそったれな人生、こっちから願い下げだった! わたしを蔑む奴ら! わたしに哀れみを
くれる奴ら! どいつもこいつもわたしを馬鹿にしやがって! でも、わたしは死んで、生まれ変わった。今の私には力がある。私を笑った
奴らすべてを殺せる力が!」
――これが、F08に秘められていた狂気だった。
自分以外のすべてを否定する。それは、極度に肥大したエゴ。
長い間抑圧されていたF08の自我が、この醜い怪物を生んだのだろう。
あるいは彼女も、ヒューリーやピーベリーと同じく復讐者と言えるのかもしれない。
だが、ピーベリーは、冷ややかにF08を見据えて。
ただ一言、切って捨てる。
「お前のことなどどうでもいい」
「あ……?」
「お前の苦しみなどありふれている。いやはや、あの<装甲戦闘死体>と聞いて、どんな奴なのかと思えば、こんな小物だったとは」
小物、という言葉に、F08は反応した。
自分を馬鹿にするものは、絶対に、許さない。
「……てめえ、口の利き方には気をつけろよ。今すぐバラバラにしてやってもいいんだぜ」
「ふん。ならばせいぜい、気をつけることにしよう。話は変わるが、お前に聞きたいことがある。
――お前を造ったのは、本当にフランケンシュタイン博士か?」
「なんだ、そんなことかよ。確かにわたしを人造人間にしたのは、フランケンシュタインだ。まだ顔も見たこともねえがな」
「なるほど。では、お前は――私の復讐の、最高の"前座"ということだな」
「……なんだって?」
――この女は、いったい、なんと言った?
――前座。このF08様が!?
こめかみがぴくぴくと痙攣する。怒りのあまり、言葉をうまく紡げない。
そんなF08を完全に無視して、ピーベリーは語りかける。
「いつまで寝ている。さっさと起きろ」
――倒れ伏すヒューリーに向けて。
「いつか、私は、お前に私の復讐を明かすといったな。残念だが、まだ教えられんな。だが、一つだけ確かなことがある」
F08を指差す。そして口の端を吊り上げ、不敵に笑う。
「"これ"程度に苦戦するのなら、私の復讐を教えるのは、まだまだ先のことだな。すべての人造人間を殺すなど、夢のまた夢だ」
そう言うと、ピーベリーは、あろうことかF08に背中を見せて、歩いていく。
そのあまりに無防備な姿に、怒りも忘れて、F08は呆気にとられる。
(こいつ……気が狂ったのか? まあいい、こいつは生かしておけねぇ。わたしを笑う奴は、全員殺す!)
ナイフを構え、ピーベリーに迫る。
ピーベリーは振り向かない。ただ歩くだけで、F08を一顧だにしない。
すさまじい速さでF08は、ゆっくりと歩くピーベリーに追いつく。
そして。
煌くナイフの切っ先がピーベリーに刺さる、その刹那。
倒れ伏すヒューリーをピーベリーが横切る、その刹那。
「お前は私の道具だ。私の敵の喉笛を喰いちぎる牙だ。ヒューリー・フラットライナー。だから……」
一拍置いて、静かに、そして強く告げる。
「敗北は許さん」
突然、F08の視界を、一面の黒が覆った。
何だ。これは、何だ。F08は混乱する。そしてすぐに理解する。
自分が斃したはずの男。自分に無様に敗れ去ったはずの男。
ヒューリー・フラットライナー!
彼が自分の眼前に立ちふさがったのだ。
「な……! てめえ、まだ動けて……げぶッ!?」
皆まで言わせず、ヒューリーは、F08のみぞおちに拳を叩き込んだ。
「……あんたの言うとおりだ、ピーベリー」
その言葉には、静寂が満ちていた。何かが爆発する寸前の、奇妙な静けさであった。
「こんな奴にてこずってるようじゃ、あんたの復讐も、俺の復讐も、完遂にはほど遠い」
ヒューリーの顔には、ぞっとするほど、感情というものが、まったくなかった。
無感情のまま、苦しみあえぐF08を、見下ろしている。
「げ、ぇっ……て、手前ら……さっきからよくもぬけぬけとッ!」
F08は身を翻して、ヒューリーから距離をとる。
「ずいぶんな自信じゃねえか。いいぜ、思い知らせてやるよ。<装甲戦闘死体>の、いや、わたしの恐ろしさを!」
またも地面から武器を引き抜く。そして、猛然と突進する。
先程よりも、鋭く、かつ速い動き。
――だが。
F08の頬を、ヒューリーの拳がとらえる。そして殴り飛ばす。
「がはッ!?」
たまらずF08は地面を転がる。何が起きたかわからない、そんな表情を浮かべ、F08はヒューリーを見る。
そこには――
「これからもう、お前には、何もさせない。何も出来ないまま、壊れろ」
人の形をした悪鬼が。
憎悪に凝り固まった視線で。
自分を、射抜いていた。
「壊れろ」
冷え切っていた言葉は、次第に熱を帯びていく。
今度は、憤怒を込めながら、叫ぶ。
咆哮が、轟いた。
「悲鳴をあげて、涙を流しながら、壊れろ!」