本部以蔵率いるホームレス軍団は、かつてしけい荘に決戦を挑んだ。五対五の団体戦と
なったスペシャルマッチは大将戦までもつれ込み、本部はシコルスキーによって打ち倒さ
れた。結果、スペシャルマッチはしけい荘の勝利にて幕を閉じる。
あの日以来、本部はより過酷な鍛錬を自らに課した。技を磨き、仲間との組み手にも力
を入れ、徹底的に己を鍛え直した。敗北が、本部をさらなる高みへと押し上げたのだ。
むろん、これらの経緯を知る由もないアライJrだが、本部が生半可な半生を歩んでい
ないことは全身から感じ取っていた。
「鳥肌が立つようなオーラだ。日本の武術家(マーシャルアーティスト)とはみんなこう
なのかい。とてもホームレスだとは信じられない」
アライJrの賛辞に、本部はくすりともせずに告げた。
「わしも信じられん。貴様のようなボンクラが、あのマホメド・アライの息子とはな。血
が上手く受け継がれなかったようだ」
「なんだと? まるで私が父よりも低い、といっているように聞こえたが……」
「耳だけはあながちボンクラでもないようだな。その通りだ、貴様は父の遥か下にいる」
「──バカなッ! 私はすでに父をノックアウトしている! 父がついに実現できなかっ
た全局面的ボクシングを私は完成させ、その上で父が正しかったことを証明しようと、世
界中を旅しているのだ! この私が父より下などということはありえないッ!」
ベンチから立ち上がると、アライJrは激情に駆られるままに吐露した。誰よりも父を
尊敬しているが、父以下だとは断じて認めない。後継者としての複雑な心情が、爆発した
瞬間だった。
「ほう……だが先ほどの貴様はどうだ。血がこびりついた両の拳に震え、今にも涙しそう
だったではないか」
「……たしかに、昨日までの私は拳で人を打つという行為と、殺人とを切り離して考えて
いた。しかし、ドリアン海王との決闘を経て、ようやく私の拳に殺意が芽生えた。私は恐
怖に震えていたのではなく、克服した喜びに打ち震えていたんだッ!」
改めて拳を強く握り締めるアライJr。固まった血痕が弾け、同時に身体中から針のよ
うな殺気が発散される。
ところがこれでも、本部は彼を認めようとはしなかった。
「……足りぬ」
「え?」
「貴様には決定的に不足しているものがある。もし今度の闇討ちで、自分に足りぬものが
あると感じたなら──またここに来るがよい」
何かをいいかけたアライJrを残し、暗闇に消える本部。冷たい夜風が音も立てずに吹
き抜ける。
なったスペシャルマッチは大将戦までもつれ込み、本部はシコルスキーによって打ち倒さ
れた。結果、スペシャルマッチはしけい荘の勝利にて幕を閉じる。
あの日以来、本部はより過酷な鍛錬を自らに課した。技を磨き、仲間との組み手にも力
を入れ、徹底的に己を鍛え直した。敗北が、本部をさらなる高みへと押し上げたのだ。
むろん、これらの経緯を知る由もないアライJrだが、本部が生半可な半生を歩んでい
ないことは全身から感じ取っていた。
「鳥肌が立つようなオーラだ。日本の武術家(マーシャルアーティスト)とはみんなこう
なのかい。とてもホームレスだとは信じられない」
アライJrの賛辞に、本部はくすりともせずに告げた。
「わしも信じられん。貴様のようなボンクラが、あのマホメド・アライの息子とはな。血
が上手く受け継がれなかったようだ」
「なんだと? まるで私が父よりも低い、といっているように聞こえたが……」
「耳だけはあながちボンクラでもないようだな。その通りだ、貴様は父の遥か下にいる」
「──バカなッ! 私はすでに父をノックアウトしている! 父がついに実現できなかっ
た全局面的ボクシングを私は完成させ、その上で父が正しかったことを証明しようと、世
界中を旅しているのだ! この私が父より下などということはありえないッ!」
ベンチから立ち上がると、アライJrは激情に駆られるままに吐露した。誰よりも父を
尊敬しているが、父以下だとは断じて認めない。後継者としての複雑な心情が、爆発した
瞬間だった。
「ほう……だが先ほどの貴様はどうだ。血がこびりついた両の拳に震え、今にも涙しそう
だったではないか」
「……たしかに、昨日までの私は拳で人を打つという行為と、殺人とを切り離して考えて
いた。しかし、ドリアン海王との決闘を経て、ようやく私の拳に殺意が芽生えた。私は恐
怖に震えていたのではなく、克服した喜びに打ち震えていたんだッ!」
改めて拳を強く握り締めるアライJr。固まった血痕が弾け、同時に身体中から針のよ
うな殺気が発散される。
ところがこれでも、本部は彼を認めようとはしなかった。
「……足りぬ」
「え?」
「貴様には決定的に不足しているものがある。もし今度の闇討ちで、自分に足りぬものが
あると感じたなら──またここに来るがよい」
何かをいいかけたアライJrを残し、暗闇に消える本部。冷たい夜風が音も立てずに吹
き抜ける。
翌朝午前八時、コーポ海王の一室で前代未聞の組み手が決行されようとしていた。
部屋の中心で構える烈海王と、これを囲む五人の海王。孫海王、陳海王、除海王、楊海
王、毛海王。
「手加減無用。もう始まっている」
暖房の役割を果たしかねぬほどの闘気を放つ烈とは対照的に、仲間たちの表情はいたっ
て冷ややかだ。
陳が烈をなだめるために話しかける。
「おい烈、この短期間に海王が三人ものされちまって、苛立つ気持ちは分かる。だがよォ、
こんなことをしたって一銭の得にもならんぜ。おまえが怪我するだけだ」
裏拳が陳の鼻先に軽く触れた。流れ出る鼻血こそが、烈からの返答であった。
「もう始まっているといったはずだッ! 愚か者がッ!」
「ふざけやがって……三合拳をぶち込んでやる!」
猛る烈に、激高する陳。
決着は一瞬だった。床を踏みしめ、勢いを乗せた拳を繰り出す陳だったが、カウンター
の横蹴りをまともに喰らい壁まで吹き飛んだ。もちろん起き上がれるわけがない。
「独走はよくないぞ、烈。私の肉体で止めるしかあるまい。存分に叩き尽くしたまえッ!」
金剛拳の使い手、楊海王が突っかける。砲弾をも受け止める鋼の肉体の持ち主だが、顎
をかすめるような烈のハイキックにはひとたまりもなかった。あっさり崩れ落ちる。
すぐさま除が背後を取り、長身から鉄拳を振り下ろす。これを両腕でしっかり受け止め
ると、烈は振り向きざまに拳を連続で叩き込む。かえって不意を突かれた形となった除は、
大の字で床に沈んだ。
「おのれ、烈ッ!」
「二人がかりでやるしかないね」
孫と毛は、烈を挟むように陣形を取る。が、すかさず烈は身を屈め、二人の足元に回転
足払いをヒットさせる。たまらず転げた孫の喉を右足で踏みつけ、起き上がろうとした毛
も渾身の直突きで昏倒させた。
三分とかからずに、同格であるはずの五人を撃破してみせた烈。しかし彼の胸に去来し
たのは歓喜ではなく──あり余る失望だった。
「海王のレベルも堕ちたものだ……。コーポ海王は本日より門限を午後六時とし、一切の
夜間外出を禁ずる。この私が海王を狙っている輩を討つまではな。これ以上、海王の名が
恥を晒すことは許されぬ」
部屋の中心で構える烈海王と、これを囲む五人の海王。孫海王、陳海王、除海王、楊海
王、毛海王。
「手加減無用。もう始まっている」
暖房の役割を果たしかねぬほどの闘気を放つ烈とは対照的に、仲間たちの表情はいたっ
て冷ややかだ。
陳が烈をなだめるために話しかける。
「おい烈、この短期間に海王が三人ものされちまって、苛立つ気持ちは分かる。だがよォ、
こんなことをしたって一銭の得にもならんぜ。おまえが怪我するだけだ」
裏拳が陳の鼻先に軽く触れた。流れ出る鼻血こそが、烈からの返答であった。
「もう始まっているといったはずだッ! 愚か者がッ!」
「ふざけやがって……三合拳をぶち込んでやる!」
猛る烈に、激高する陳。
決着は一瞬だった。床を踏みしめ、勢いを乗せた拳を繰り出す陳だったが、カウンター
の横蹴りをまともに喰らい壁まで吹き飛んだ。もちろん起き上がれるわけがない。
「独走はよくないぞ、烈。私の肉体で止めるしかあるまい。存分に叩き尽くしたまえッ!」
金剛拳の使い手、楊海王が突っかける。砲弾をも受け止める鋼の肉体の持ち主だが、顎
をかすめるような烈のハイキックにはひとたまりもなかった。あっさり崩れ落ちる。
すぐさま除が背後を取り、長身から鉄拳を振り下ろす。これを両腕でしっかり受け止め
ると、烈は振り向きざまに拳を連続で叩き込む。かえって不意を突かれた形となった除は、
大の字で床に沈んだ。
「おのれ、烈ッ!」
「二人がかりでやるしかないね」
孫と毛は、烈を挟むように陣形を取る。が、すかさず烈は身を屈め、二人の足元に回転
足払いをヒットさせる。たまらず転げた孫の喉を右足で踏みつけ、起き上がろうとした毛
も渾身の直突きで昏倒させた。
三分とかからずに、同格であるはずの五人を撃破してみせた烈。しかし彼の胸に去来し
たのは歓喜ではなく──あり余る失望だった。
「海王のレベルも堕ちたものだ……。コーポ海王は本日より門限を午後六時とし、一切の
夜間外出を禁ずる。この私が海王を狙っている輩を討つまではな。これ以上、海王の名が
恥を晒すことは許されぬ」
組み手と時をほぼ同じくして、シコルスキーを訪れる客があった。
サムワン海王。高い身体能力に、中国拳法とムエタイを融合させた武術を駆使する、数
少ない中国人以外の海王である。
実力者であることは誰もが認めているのだが、サムワンは生まれながらにして理由もな
くいじめられるという才能を持っていた。コーポ海王におけるシコルスキーのような存在、
というのがもっとも分かりやすい紹介の仕方となるだろう。
彼がしけい荘にやって来た目的は、いうまでもなく闇討ちの一件についてだった。
「シコルスキー、昨夜ドリアン海王がやられたことは知っているだろう。彼は袂を分かっ
たとはいえ海王の一人、我がコーポ海王は騒然としている。今日も朝から烈がアパート中
に召集をかけてきたが、どうせ説教だろうから仮病を使って応じなかった」
「もちろん知っている。李海王や範海王と異なり、ズタボロにされていた……。手口がエ
スカレートしている、と大家さんもいっていた」
「率直にいおう、私は被害を何としてもこの手で食い止めたい。そして君に協力を仰ぎた
い」
「協力を仰ぎたい……とは?」
「コーポ海王としけい荘──つまり私と君、二人で仇を討つのだッ!」
サムワンの目には有無をいわさず迫力が宿っていた。
「海王でありながら、こんな無様な頼みを君に話したと知れたら、私は仲間の手で粛清さ
れるだろう。しかし、君だからこそ話した。私はいかなる手を使ってでも、闇討ちを終結
させるつもりだ」
目蓋を閉じるシコルスキー。病院で眠っているドリアンの姿が、彼のために奔走した仲
間の姿が、鮮明に映し出された。
──ロシアとタイの合作も悪くない。
目を開けると、シコルスキーは自らが下した結論を告げた。
「サムワン、やってやろう。我々二人で範海王、李海王、そしてドリアンの無念を晴らし
てやろう」
「……コープクン(ありがとう)」
露泰同盟、発足。
シコルスキーとサムワンはしっかりと握手を交わした。共通の敵を互いの手で滅ぼすべ
く。
薄いドア一枚を挟み、外で二人のやり取りを聞いていたルームメイト、ゲバル。
「ここで中に入って三国同盟にしないかってぇのは野暮だよなァ……やっぱり。勝ったら
ラム酒だ、シコルスキー」
ゲバルは密かに武運を祈り、203号室から離れていった。
各勢力が牙を研ぎ、これより闇討ち事件は急加速する。
サムワン海王。高い身体能力に、中国拳法とムエタイを融合させた武術を駆使する、数
少ない中国人以外の海王である。
実力者であることは誰もが認めているのだが、サムワンは生まれながらにして理由もな
くいじめられるという才能を持っていた。コーポ海王におけるシコルスキーのような存在、
というのがもっとも分かりやすい紹介の仕方となるだろう。
彼がしけい荘にやって来た目的は、いうまでもなく闇討ちの一件についてだった。
「シコルスキー、昨夜ドリアン海王がやられたことは知っているだろう。彼は袂を分かっ
たとはいえ海王の一人、我がコーポ海王は騒然としている。今日も朝から烈がアパート中
に召集をかけてきたが、どうせ説教だろうから仮病を使って応じなかった」
「もちろん知っている。李海王や範海王と異なり、ズタボロにされていた……。手口がエ
スカレートしている、と大家さんもいっていた」
「率直にいおう、私は被害を何としてもこの手で食い止めたい。そして君に協力を仰ぎた
い」
「協力を仰ぎたい……とは?」
「コーポ海王としけい荘──つまり私と君、二人で仇を討つのだッ!」
サムワンの目には有無をいわさず迫力が宿っていた。
「海王でありながら、こんな無様な頼みを君に話したと知れたら、私は仲間の手で粛清さ
れるだろう。しかし、君だからこそ話した。私はいかなる手を使ってでも、闇討ちを終結
させるつもりだ」
目蓋を閉じるシコルスキー。病院で眠っているドリアンの姿が、彼のために奔走した仲
間の姿が、鮮明に映し出された。
──ロシアとタイの合作も悪くない。
目を開けると、シコルスキーは自らが下した結論を告げた。
「サムワン、やってやろう。我々二人で範海王、李海王、そしてドリアンの無念を晴らし
てやろう」
「……コープクン(ありがとう)」
露泰同盟、発足。
シコルスキーとサムワンはしっかりと握手を交わした。共通の敵を互いの手で滅ぼすべ
く。
薄いドア一枚を挟み、外で二人のやり取りを聞いていたルームメイト、ゲバル。
「ここで中に入って三国同盟にしないかってぇのは野暮だよなァ……やっぱり。勝ったら
ラム酒だ、シコルスキー」
ゲバルは密かに武運を祈り、203号室から離れていった。
各勢力が牙を研ぎ、これより闇討ち事件は急加速する。