スーパーで購入した焼き鳥の盛り合わせを挟み、缶ビールで乾杯するシコルスキーとゲ
バル。
シコルスキーが指だけで飲み終えた缶をパチンコ玉の大きさに丸めてみせると、ゲバル
は指の力で缶を紙のように平らにしてみせた。ピンチ(指でつまむ)力に自信がある者同
士、どうでもいい局面でも張り合うことを忘れない。
シェイクした缶ビールを手渡しながら、話を振るゲバル。
「アンチェインもいっていた闇討ちの話だが、狙われてる海王ってのはそれほどに強いの
か?」
気づかずに開けてしまい、ビールをもろに浴びるシコルスキー。
「あいつらは中国拳法のエリート集団だからな。強くないはずがない。特にずば抜けてい
るのが、烈海王と寂先生だ」
お返しにと缶ビールをシェイクし、そっとゲバルの近くに置くシコルスキー。
「寂海王はたしかアンタの師匠だったな。烈海王は初耳だが……」
罠を察知し、素早くシコルスキーの膝元にある缶とすり替えるゲバル。
「烈海王はまちがいなくコーポ海王で最強の使い手だ。ゲバル、いくらアンタでも楽に勝
てる相手じゃないぞ」
またも気づかずにビールの噴射を両目に受けるシコルスキー。
「中国拳法か、一度手合わせしたいものだ」
指で目をこするシコルスキーに、青いバンダナをパスするゲバル。
「そういえばすっかり忘れていたが、ドリアンも海王の一人だったんだ。ペテン師になる
ために海王たちと縁を切ったらしいが」
バンダナで目を拭き、ついでに鼻をかむシコルスキー。
「へぇ、海王というのは中国人でなくともなれるのか」
鼻水まみれになった愛用のバンダナを、悲しげな瞳で見つめるゲバル。
「寂先生は日本人だし、親友のサムワンもタイ人だ。要は、公式(オフィシャル)な試験
に合格すれば誰でもなれるらしい」
酔いが回ったのか、缶をシェイクしてそれを自分で開けてしまうシコルスキー。
「ならば、俺がゲバル海王になったり、シコルスキー海王が誕生することも不可能ではな
いってことか。……いや待て、ドリアンが海王というのなら、今回ターゲットにされる危
険があるんじゃないか?」
畳にこぼれたビールをおちょぼ口でじゅるじゅる吸い取るシコルスキー。ショックのあ
まりバンダナをビールで洗い始めるゲバル。
「大丈夫だろう。今のドリアンはしけい荘住人であって、海王ではないからな」
蒸気と化したビールが、部屋中を麦の香りで満たす。しかし、空気の入れ替えは不意に
行われた。
スプリングパンチでドアを粉砕し、ドイルが血相を変えて飛び込んできたのだ。
「──大変だッ!」
驚いて振り返る二人にかまわず、ドイルはいった。
「ついさっきドリアンがやられた。……今、大家さんとスペックが二人で病院に運び込ん
で……重傷らしい」
バル。
シコルスキーが指だけで飲み終えた缶をパチンコ玉の大きさに丸めてみせると、ゲバル
は指の力で缶を紙のように平らにしてみせた。ピンチ(指でつまむ)力に自信がある者同
士、どうでもいい局面でも張り合うことを忘れない。
シェイクした缶ビールを手渡しながら、話を振るゲバル。
「アンチェインもいっていた闇討ちの話だが、狙われてる海王ってのはそれほどに強いの
か?」
気づかずに開けてしまい、ビールをもろに浴びるシコルスキー。
「あいつらは中国拳法のエリート集団だからな。強くないはずがない。特にずば抜けてい
るのが、烈海王と寂先生だ」
お返しにと缶ビールをシェイクし、そっとゲバルの近くに置くシコルスキー。
「寂海王はたしかアンタの師匠だったな。烈海王は初耳だが……」
罠を察知し、素早くシコルスキーの膝元にある缶とすり替えるゲバル。
「烈海王はまちがいなくコーポ海王で最強の使い手だ。ゲバル、いくらアンタでも楽に勝
てる相手じゃないぞ」
またも気づかずにビールの噴射を両目に受けるシコルスキー。
「中国拳法か、一度手合わせしたいものだ」
指で目をこするシコルスキーに、青いバンダナをパスするゲバル。
「そういえばすっかり忘れていたが、ドリアンも海王の一人だったんだ。ペテン師になる
ために海王たちと縁を切ったらしいが」
バンダナで目を拭き、ついでに鼻をかむシコルスキー。
「へぇ、海王というのは中国人でなくともなれるのか」
鼻水まみれになった愛用のバンダナを、悲しげな瞳で見つめるゲバル。
「寂先生は日本人だし、親友のサムワンもタイ人だ。要は、公式(オフィシャル)な試験
に合格すれば誰でもなれるらしい」
酔いが回ったのか、缶をシェイクしてそれを自分で開けてしまうシコルスキー。
「ならば、俺がゲバル海王になったり、シコルスキー海王が誕生することも不可能ではな
いってことか。……いや待て、ドリアンが海王というのなら、今回ターゲットにされる危
険があるんじゃないか?」
畳にこぼれたビールをおちょぼ口でじゅるじゅる吸い取るシコルスキー。ショックのあ
まりバンダナをビールで洗い始めるゲバル。
「大丈夫だろう。今のドリアンはしけい荘住人であって、海王ではないからな」
蒸気と化したビールが、部屋中を麦の香りで満たす。しかし、空気の入れ替えは不意に
行われた。
スプリングパンチでドアを粉砕し、ドイルが血相を変えて飛び込んできたのだ。
「──大変だッ!」
驚いて振り返る二人にかまわず、ドイルはいった。
「ついさっきドリアンがやられた。……今、大家さんとスペックが二人で病院に運び込ん
で……重傷らしい」
夜の公園で、アライJrは打ちひしがれたようにベンチに腰かけていた。電灯がほのか
に、激闘を終えたばかりの戦士を映し出す。同じく戦士だった父が勝利のたびに浴びてい
たスポットライトが、彼に向けられることはない。
アライJrは固形化した血がこびりついた両の拳を一瞥し、深いため息をついた。
「……今まででもっとも手強い相手だった。あれくらいしなければ、まちがいなくやられ
ていた」
一時間ほど前、彼はドリアンと死闘を演じていた。
タックルをアッパーで切り返した瞬間、アライJrは右拳にたしかな手応えを感じてい
た。恐竜であろうと轟沈できただろう感触であった。
ところがドリアンは、亡者のような足取りでなおも抵抗を続けてきた。溺れた子供のよ
うにふわふわと手足を空中に突き出すだけだが、アライJrはこれまでの格闘人生であれ
ほどに恐怖した場面はなかった。
しかも、少しずつではあるが攻撃はアライJrを捉え始めていた。あれだけ打ち込まれ
ながら、さすがの回復力である。
──これ以上時間を与えれば、逆転される。
今までアライJrはノールールのストリートマッチでありながら、必要以上に相手を傷
つけなかった。たとえ倒した相手に意識が残っていても、追撃するような真似はしない。
あくまでも自分は戦士であり、人殺しにはなりたくなかったからだ。
もう手を出したくない。戸惑うアライJrを、ドリアンはあざける。
「神の子よ……。この期に及んで、腰が引けているぞ……? 君では父親のようにはなれ
ぬ……君は単なるチキンだ……!」
「わ、私はチキンではない!」
パンチを打つための拳に、生まれて初めて殺意が宿った。
この老人が明日からどのような不自由を強いられようと関係ない。否、この老人に明日
が来なくとも関係ない。
「チキンなんて呼ばせないッ!」
らしくないテレフォン気味の右ストレート。ドリアンの顎が砕けた。
あとは平時の調子を取り戻し、華麗なフットワークから変幻自在の高速コンビネーショ
ンでドリアンを滅多打ちにした。
三分は繰り返しただろうか──我に返ると、血に染まった拳と、道路と一体化するよう
に打ち伏せられた無残な巨躯が、視界に入った。
アライJrは逃げ出した。敵からも、己からも。
「血の臭いがするぞ、小僧……。殺人でもやらかして、ここに逃げ込んできたのか?」
煙草の煙としわがれた声が、アライJrを現在へと回帰させた。
ベンチの前には小柄な中年が立っていた。一般成人男性の平均値にも満たない体格なが
ら、猛獣を連想させるほどの絶大な殺気を帯びている。
「殺人などしていない! 私は正々堂々と決闘を──」
「どうでもよい。貴様の弁解なんぞ聞いておらん。しかしなるほど──巷で話題になって
いる闇討ち拳法家とは貴様か」
「あなたは何者だ……?」
「先に名乗れ、バカ」
「……私はマホメド・アライJrだ」
太平洋を横断し、日本にも伝わる偉大なるチャンプ、マホメド・アライの武名。むろん
男も知っていた。
「わしは本部以蔵だ。この公園で暮らすホームレスたちの元締めをしておる」
に、激闘を終えたばかりの戦士を映し出す。同じく戦士だった父が勝利のたびに浴びてい
たスポットライトが、彼に向けられることはない。
アライJrは固形化した血がこびりついた両の拳を一瞥し、深いため息をついた。
「……今まででもっとも手強い相手だった。あれくらいしなければ、まちがいなくやられ
ていた」
一時間ほど前、彼はドリアンと死闘を演じていた。
タックルをアッパーで切り返した瞬間、アライJrは右拳にたしかな手応えを感じてい
た。恐竜であろうと轟沈できただろう感触であった。
ところがドリアンは、亡者のような足取りでなおも抵抗を続けてきた。溺れた子供のよ
うにふわふわと手足を空中に突き出すだけだが、アライJrはこれまでの格闘人生であれ
ほどに恐怖した場面はなかった。
しかも、少しずつではあるが攻撃はアライJrを捉え始めていた。あれだけ打ち込まれ
ながら、さすがの回復力である。
──これ以上時間を与えれば、逆転される。
今までアライJrはノールールのストリートマッチでありながら、必要以上に相手を傷
つけなかった。たとえ倒した相手に意識が残っていても、追撃するような真似はしない。
あくまでも自分は戦士であり、人殺しにはなりたくなかったからだ。
もう手を出したくない。戸惑うアライJrを、ドリアンはあざける。
「神の子よ……。この期に及んで、腰が引けているぞ……? 君では父親のようにはなれ
ぬ……君は単なるチキンだ……!」
「わ、私はチキンではない!」
パンチを打つための拳に、生まれて初めて殺意が宿った。
この老人が明日からどのような不自由を強いられようと関係ない。否、この老人に明日
が来なくとも関係ない。
「チキンなんて呼ばせないッ!」
らしくないテレフォン気味の右ストレート。ドリアンの顎が砕けた。
あとは平時の調子を取り戻し、華麗なフットワークから変幻自在の高速コンビネーショ
ンでドリアンを滅多打ちにした。
三分は繰り返しただろうか──我に返ると、血に染まった拳と、道路と一体化するよう
に打ち伏せられた無残な巨躯が、視界に入った。
アライJrは逃げ出した。敵からも、己からも。
「血の臭いがするぞ、小僧……。殺人でもやらかして、ここに逃げ込んできたのか?」
煙草の煙としわがれた声が、アライJrを現在へと回帰させた。
ベンチの前には小柄な中年が立っていた。一般成人男性の平均値にも満たない体格なが
ら、猛獣を連想させるほどの絶大な殺気を帯びている。
「殺人などしていない! 私は正々堂々と決闘を──」
「どうでもよい。貴様の弁解なんぞ聞いておらん。しかしなるほど──巷で話題になって
いる闇討ち拳法家とは貴様か」
「あなたは何者だ……?」
「先に名乗れ、バカ」
「……私はマホメド・アライJrだ」
太平洋を横断し、日本にも伝わる偉大なるチャンプ、マホメド・アライの武名。むろん
男も知っていた。
「わしは本部以蔵だ。この公園で暮らすホームレスたちの元締めをしておる」