ドリアンは我が目を疑った。対決を申し込んできたのは、かつて祖国アメリカで英雄と
謳われた人物であった。
「君はまさか、あのマホメド・アライなのか?」
元プロボクシング世界ヘヴィ級王者、マホメド・アライ。一切ガードをせず、打たせず
に打つを体現したファイトスタイルは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と全世界に畏
怖された。
リングを降りても彼は戦士であり続けた。ベトナム戦争の徴兵を拒否しタイトルを剥奪
され、根深かった黒人差別とも懸命に戦った。いかなる相手にも屈しない彼のハートを称
え、いつしか人々はマホメド・アライを史上もっとも偉大(グレーテスト)なチャンピオ
ンと呼んだ。
アメリカで暮らしていた頃、ドリアンも彼の活躍に熱狂していた一人であった。自分が
使い古したシューズをアライが練習で使用したシューズと偽って、ファンに十万ドルで売
りさばいた時の興奮は未だに忘れられない。
しかし、すでにマホメド・アライは還暦を過ぎているはず──目の前に立つ彼は、肌の
つやといい、筋肉の張りといい、いくらなんでも若すぎる。
「マホメド・アライは私の父です」
若者は自ら正体を明かした。
「息子(ジュニア)か。道理で瓜二つなわけだ。かなり鍛え込んでいるようだが、プロボ
クサーを目指さなかったのかね?」
「私は父とちがい、光を求めてはいない。私はただ、地球上でナンバーワンの男になりた
いだけです」
「なるほど……海王を狙ったのもそのためか」
「はい。世界各地でストリートファイトを重ねるうち、東京には猛者が集っていると聞き
及びました」
「若いのに感心なことだ」
ドリアンは両足でアスファルトを踏み鳴らし、構えを取った。
「君との対決──受けよう。来たまえ」
「サンクス」
保たれた間合い。縮まらぬ間合い。
殺気を全身にまとわせ微動だにせぬドリアン。
アライJrは父と同じくガードを上げず、小刻みにステップを踏みながら、ドリアンを
眺めている。
均衡は突如破られた。
初速からマックス。真っ向から飛び込むアライJrに、ドリアンは冷静に防御を固める。
が、ハンドスピードはさらに速い。
芸術的なしなやかさで、拳は顎を打ち抜いていた。
たった一発で、巨体とタフネスを兼ね備えたドリアンが膝と手を地面につけた。開始早
々の出来事であった。
「父に似て優秀な戦士(ウォーリア)のようだな」揺れた脳にかまわず、ドリアンは反撃
に出る。「──噴ッ!」
右崩拳はバックスウェーにかわされ、研いだ爪を利用した左貫き手も空を切る。ローで
機動力を封じようと目論むが、素早いフットワークには届かない。
回復しきってなかった顎へのダメージがドリアンの足をもつれさせる。
「……くっ!」
アライJrの時間である。左ジャブを鼻にぶつけられ、続く右フックが耳を打ち、強烈
な左ストレートが顔面に炸裂した。鼻血が舞い、前歯が散る。受け身を取ることなくドリ
アンはノックダウンを喫した。
「これでまた一つ、私はナンバーワンに近づいた」
立ち去ろうとするアライJrに、先ほどまでとは異質な殺気が叩き込まれる。
振り返ると、ワン、ツー、スリー、をまともに受けたドリアンが立っていた。
「まだ私は敗北を認めてはいないぞ……神の子よ」
謳われた人物であった。
「君はまさか、あのマホメド・アライなのか?」
元プロボクシング世界ヘヴィ級王者、マホメド・アライ。一切ガードをせず、打たせず
に打つを体現したファイトスタイルは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と全世界に畏
怖された。
リングを降りても彼は戦士であり続けた。ベトナム戦争の徴兵を拒否しタイトルを剥奪
され、根深かった黒人差別とも懸命に戦った。いかなる相手にも屈しない彼のハートを称
え、いつしか人々はマホメド・アライを史上もっとも偉大(グレーテスト)なチャンピオ
ンと呼んだ。
アメリカで暮らしていた頃、ドリアンも彼の活躍に熱狂していた一人であった。自分が
使い古したシューズをアライが練習で使用したシューズと偽って、ファンに十万ドルで売
りさばいた時の興奮は未だに忘れられない。
しかし、すでにマホメド・アライは還暦を過ぎているはず──目の前に立つ彼は、肌の
つやといい、筋肉の張りといい、いくらなんでも若すぎる。
「マホメド・アライは私の父です」
若者は自ら正体を明かした。
「息子(ジュニア)か。道理で瓜二つなわけだ。かなり鍛え込んでいるようだが、プロボ
クサーを目指さなかったのかね?」
「私は父とちがい、光を求めてはいない。私はただ、地球上でナンバーワンの男になりた
いだけです」
「なるほど……海王を狙ったのもそのためか」
「はい。世界各地でストリートファイトを重ねるうち、東京には猛者が集っていると聞き
及びました」
「若いのに感心なことだ」
ドリアンは両足でアスファルトを踏み鳴らし、構えを取った。
「君との対決──受けよう。来たまえ」
「サンクス」
保たれた間合い。縮まらぬ間合い。
殺気を全身にまとわせ微動だにせぬドリアン。
アライJrは父と同じくガードを上げず、小刻みにステップを踏みながら、ドリアンを
眺めている。
均衡は突如破られた。
初速からマックス。真っ向から飛び込むアライJrに、ドリアンは冷静に防御を固める。
が、ハンドスピードはさらに速い。
芸術的なしなやかさで、拳は顎を打ち抜いていた。
たった一発で、巨体とタフネスを兼ね備えたドリアンが膝と手を地面につけた。開始早
々の出来事であった。
「父に似て優秀な戦士(ウォーリア)のようだな」揺れた脳にかまわず、ドリアンは反撃
に出る。「──噴ッ!」
右崩拳はバックスウェーにかわされ、研いだ爪を利用した左貫き手も空を切る。ローで
機動力を封じようと目論むが、素早いフットワークには届かない。
回復しきってなかった顎へのダメージがドリアンの足をもつれさせる。
「……くっ!」
アライJrの時間である。左ジャブを鼻にぶつけられ、続く右フックが耳を打ち、強烈
な左ストレートが顔面に炸裂した。鼻血が舞い、前歯が散る。受け身を取ることなくドリ
アンはノックダウンを喫した。
「これでまた一つ、私はナンバーワンに近づいた」
立ち去ろうとするアライJrに、先ほどまでとは異質な殺気が叩き込まれる。
振り返ると、ワン、ツー、スリー、をまともに受けたドリアンが立っていた。
「まだ私は敗北を認めてはいないぞ……神の子よ」
信じられないといった風に首をすくめるアライJr。
「まさか立ち上がれるとは、まるで怪物だ……」
「この私が怪物だと? うぅっ、ひどい、人を化け物扱いするなんてぇっ!」
目から涙を迸らせ、ドリアンは大きな体を丸めて泣き始めた。理解しがたい現象に、ア
ライJrの精神は瞬く間に困惑の極みに達した。
──直後、心臓に押し寄せる重厚な圧力。
アライJrの胸部には、掌底がめり込んでいた。ペテンと中国拳法の融合が、最高の一
打を生み出した。
「フェイク、か……ッ!」
「破ァッ!」
正中拳への三連打。狙いは正確だったが、アライJrは反射的に急所を外しており、決
定打には至らない。
「ずいぶん、クレバーな、戦い方をするん、だな……。勉強になった……」
乱れた呼吸を整えもせず、再びステップを刻むアライJr。
「それでもなお、敗ける気がしない……!」
両者が互いの射程(エリア)に入る。
ドリアンが振り落とす手刀を紙一重で見切り、アライJrのジャブが顎にヒット。
ダメージをごまかすように、傾きかけた己の体をあえて猛攻に使うドリアン。海王とし
ての技量と速度を存分に備えた拳足が幾度もアライJrに襲いかかる。なのに、全く当た
らない。アライJrのパンチは全てドリアンを捉えているというのに。
打たせずに打つ──ドリアンはかつてブラウン管の中にいた英雄を思い返していた。
「君ならあるいは……父を超えるヒーローになれるかもしれん……」
執拗な顎へのラッシュで、意識を削り取られるドリアン。
「──しかしッ! 私に勝つには若すぎる!」
渾身の勢いを込めたタックル。ボクサーに対応できるはずがない、完璧なタイミングで
あった。
ところがアライJrは、なんとドリアンのタックルと同速度で後ろに下がると、スペー
スシャトルのようなアッパーカットで顎を打ち上げてみせた。
ドリアンから急激に力が抜けていき、代わりに足元から這い上がる黒い塊。
百万匹の蟻の群れ──。
「まさか立ち上がれるとは、まるで怪物だ……」
「この私が怪物だと? うぅっ、ひどい、人を化け物扱いするなんてぇっ!」
目から涙を迸らせ、ドリアンは大きな体を丸めて泣き始めた。理解しがたい現象に、ア
ライJrの精神は瞬く間に困惑の極みに達した。
──直後、心臓に押し寄せる重厚な圧力。
アライJrの胸部には、掌底がめり込んでいた。ペテンと中国拳法の融合が、最高の一
打を生み出した。
「フェイク、か……ッ!」
「破ァッ!」
正中拳への三連打。狙いは正確だったが、アライJrは反射的に急所を外しており、決
定打には至らない。
「ずいぶん、クレバーな、戦い方をするん、だな……。勉強になった……」
乱れた呼吸を整えもせず、再びステップを刻むアライJr。
「それでもなお、敗ける気がしない……!」
両者が互いの射程(エリア)に入る。
ドリアンが振り落とす手刀を紙一重で見切り、アライJrのジャブが顎にヒット。
ダメージをごまかすように、傾きかけた己の体をあえて猛攻に使うドリアン。海王とし
ての技量と速度を存分に備えた拳足が幾度もアライJrに襲いかかる。なのに、全く当た
らない。アライJrのパンチは全てドリアンを捉えているというのに。
打たせずに打つ──ドリアンはかつてブラウン管の中にいた英雄を思い返していた。
「君ならあるいは……父を超えるヒーローになれるかもしれん……」
執拗な顎へのラッシュで、意識を削り取られるドリアン。
「──しかしッ! 私に勝つには若すぎる!」
渾身の勢いを込めたタックル。ボクサーに対応できるはずがない、完璧なタイミングで
あった。
ところがアライJrは、なんとドリアンのタックルと同速度で後ろに下がると、スペー
スシャトルのようなアッパーカットで顎を打ち上げてみせた。
ドリアンから急激に力が抜けていき、代わりに足元から這い上がる黒い塊。
百万匹の蟻の群れ──。