この時代において、ギリシャ随一の大国にして雷神の加護を受けし雷神域・アルカディア。
その城下町で、戦場から帰還したアルカディア軍の凱旋が行われていた。その先頭、逞しい軍馬に跨った青年が
民衆に手を振る。
「おお…レオンティウス様だ!」
「レオンティウス様…!」
「ありがたや、ありがたや…」
―――金のメッシュの入った、緩やかなウェーブの茶色い髪を風が靡かせる。精悍な顔立ちの若獅子を思わせる
その青年の名はレオンティウス。
アルカディアの第一王子にして次期王位継承者。青銅の甲冑に身を包み、赤いマントを翻らせる姿は、まさしく
威風堂々。生まれながらの王者―――彼を見れば、誰もがそう思うだろう。
「―――雷を制す者…世界を統べる王となる…まさにあの御方のための神託じゃ…」
「何でも、レオンティウス様の雷槍(らいそう)の一撃で、千の軍勢が一瞬にして消し飛んだとか…」
「アルカディア王家が雷神ブロンディス様の血を引く神の眷属だという噂は、やっぱり本当だったんだな…」
「おお、気高き雷の獅子―――レオンティウス!」
レオンティウス!レオンティウス!レオンティウス―――!誰かの叫びが伝染し、盛大な歓声となる。
偉大なる王子を、誰もが祝福していた―――その陰で。
「ふん…いい気なものだ、レオンティウスめ…」
残忍に唇を歪め、蠍の尻尾のような奇抜な髪型をした壮年の男が、射抜くような目でレオンティウスを睨む。
強く勇敢な、誰からも敬われ慕われる、理想的な王子。
「それに引き換え、私は現王の弟とはいえ、所詮は妾腹の仔か…くくく、蔑むならば蔑むがよい…」
<蠍>と呼ばれし男―――スコルピオスは、全てを呪うような暗い瞳で嘯いた。
「精々粋がっていろ…いずれ、貴様も消してくれる…そして、世界の王になるのは、この私だ…!」
その城下町で、戦場から帰還したアルカディア軍の凱旋が行われていた。その先頭、逞しい軍馬に跨った青年が
民衆に手を振る。
「おお…レオンティウス様だ!」
「レオンティウス様…!」
「ありがたや、ありがたや…」
―――金のメッシュの入った、緩やかなウェーブの茶色い髪を風が靡かせる。精悍な顔立ちの若獅子を思わせる
その青年の名はレオンティウス。
アルカディアの第一王子にして次期王位継承者。青銅の甲冑に身を包み、赤いマントを翻らせる姿は、まさしく
威風堂々。生まれながらの王者―――彼を見れば、誰もがそう思うだろう。
「―――雷を制す者…世界を統べる王となる…まさにあの御方のための神託じゃ…」
「何でも、レオンティウス様の雷槍(らいそう)の一撃で、千の軍勢が一瞬にして消し飛んだとか…」
「アルカディア王家が雷神ブロンディス様の血を引く神の眷属だという噂は、やっぱり本当だったんだな…」
「おお、気高き雷の獅子―――レオンティウス!」
レオンティウス!レオンティウス!レオンティウス―――!誰かの叫びが伝染し、盛大な歓声となる。
偉大なる王子を、誰もが祝福していた―――その陰で。
「ふん…いい気なものだ、レオンティウスめ…」
残忍に唇を歪め、蠍の尻尾のような奇抜な髪型をした壮年の男が、射抜くような目でレオンティウスを睨む。
強く勇敢な、誰からも敬われ慕われる、理想的な王子。
「それに引き換え、私は現王の弟とはいえ、所詮は妾腹の仔か…くくく、蔑むならば蔑むがよい…」
<蠍>と呼ばれし男―――スコルピオスは、全てを呪うような暗い瞳で嘯いた。
「精々粋がっていろ…いずれ、貴様も消してくれる…そして、世界の王になるのは、この私だ…!」
―――アルカディア宮殿。スコルピオスは兄王・デメトリウスに対して進言を行っていた。
「兄上。あなたも知っての通り、我が国は戦乱の渦中にあります…東方や北方からの異民族、そして同胞ですら
互いに殺し合う、まさに混沌の時代と言えましょう」
「うむ、分かっておる」
本当に分かっているものやら、デメトリウスはどこか虚ろな目で答えた。
(これがかつては無双の武勇を誇ったアルカディアの王・デメトリウスか…くくく、今では耄碌(もうろく)
しきった、哀れな傀儡だがな…)
内心の嘲笑をおくびにも出さず、スコルピオスは真面目くさった口調で続けた。
「我らには、更なる力が必要です。雷神様の加護のみならず、外の国の神にも目を向けては如何でしょう?」
「ふむ。というと?」
「はっ。具体的に言いますと…」
スコルピオスは続けようとしたが、デメトリウスは「よい」と遮った。
「アルカディアのため尽力してくれたお前の言うことだ、間違いはあるまい―――ワシはお前を信頼しておる。
我が国のためというなら、全て任せよう」
「御意―――」
スコルピオスは込み上げる笑いを必死に堪えつつ、玉座の間を後にした。
「兄上。あなたも知っての通り、我が国は戦乱の渦中にあります…東方や北方からの異民族、そして同胞ですら
互いに殺し合う、まさに混沌の時代と言えましょう」
「うむ、分かっておる」
本当に分かっているものやら、デメトリウスはどこか虚ろな目で答えた。
(これがかつては無双の武勇を誇ったアルカディアの王・デメトリウスか…くくく、今では耄碌(もうろく)
しきった、哀れな傀儡だがな…)
内心の嘲笑をおくびにも出さず、スコルピオスは真面目くさった口調で続けた。
「我らには、更なる力が必要です。雷神様の加護のみならず、外の国の神にも目を向けては如何でしょう?」
「ふむ。というと?」
「はっ。具体的に言いますと…」
スコルピオスは続けようとしたが、デメトリウスは「よい」と遮った。
「アルカディアのため尽力してくれたお前の言うことだ、間違いはあるまい―――ワシはお前を信頼しておる。
我が国のためというなら、全て任せよう」
「御意―――」
スコルピオスは込み上げる笑いを必死に堪えつつ、玉座の間を後にした。
「叔父上!」
廊下に出ると同時に、厳しく引き締められた声が飛んだ。そこにいたのは、勇猛なる若獅子―――
「ふん、レオンティウスか。どうしたのかね、怖い顔をして。私は忙しいし、お前も戦場から戻ったばかりで
疲れているだろう。後にしてくれぬかな?」
「そんなことよりも…あの噂は本当なのですか!?」
「噂?はて、なんのことかな?」
「とぼけないでください!」
レオンティウスは、思わず怒鳴り声を上げた。
「水神ヒュドラの力を得るために、星女神の神域へ押し入り、巫女を生贄に捧げようとしている―――まさか、
それが本当ならば、赦されることではありません!星女神の加護篤き神域を穢そうなど…そんなことをすれば、
神罰が我が国に下りましょうぞ!」
「おやおや…これは酷いな。よくもまあそんな出鱈目が流れるものだ。はっはっは」
スコルピオスは、悪びれることなく言ってみせた。
「叔父上…!」
「うるさいんだよ―――男漁りだけが楽しみの、肛門愛好家が」
「なっ―――!」
叔父とはいえ、余りにも無礼な言い草に、レオンティウスは顔を真っ赤に染める。
「わ…私が男色だという事実と、叔父上の企みは、まるで関係ないでしょう!」
「ふん。証拠でもあるのか?私がそんな物騒なことをしでかそうという証拠は?」
「う…!」
それに、とスコルピオスは口の端を歪めて、嫌な笑いを浮かべる。
「気付いていないとでも思ったのか?貴様が私の尻を物欲しそうに眺め回していることを」
「―――っ!」
「なあ、愛する男のやることだ…黙っていては、くれんかね?最も、王は私に全権を委ねてくださったが故、
例えお前でも私を止めることはできんがね…では、失礼する。先も言ったが私は忙しいのでな」
そして―――レオンティウスは、去っていくスコルピオスを止められなかった。
「くそっ…!」
血が吹き出す程の勢いで、壁を殴りつける。噛み締めた唇からも、血が滴る。
「叔父上…何故だ…昔はもっと、優しい男だった…そんなあなたを、お慕いしていたというのに…」
「―――レオン?どうしたのですか」
背後から声をかけられ、思わずびくりとして振り向く。そこに、齢四十前後の女性が立っていた。年齢による
容貌の衰えは流石に隠せないが、それでもその顔立ちや仕草は、今なお美しく、上品と言えた。
「母上…いえ、大丈夫です。何事もありません」
母―――王妃イサドラに向けて、レオンティウスは努めて何でもない風を装った。だが、そこは母親である。
いくら立派な大人になったとはいえ、自分の子供の嘘など軽く見抜ける。
「辛いことがあったのね…さあ、おいで。私の可愛いレオン…」
慈しみの表情を浮かべ、イサドラは両手を広げる。レオンティウスも慣れた動作でしゃがみ込み、母の胸元
に頭を寄せる。イサドラはそれをそっと両手で包み込んだ。
「本当に、私は心配ですよ…お前は強く見えても、本当は甘えん坊だから」
「―――母上。どうか心配なさらないでください」
レオンティウスは、母親を安心させるため殊更に優しく微笑んだ。
「私は、強く生き抜く―――そう決めたのです。死んでしまった、我が弟妹のためにも…」
びくっと、イサドラが身を震わせた。レオンティウスは失言だったか、と自分を責める。
―――彼にもかつて、兄弟がいた。男女の双子だった。レオンティウスは当時物心つくかつかないかという幼さ
だったが、兄になった嬉しさと誇らしさは、不思議と覚えている。けれど。
あの子たちが生まれたのは―――<太陽蝕まれし日>。そして、下された神託。
―――太陽…闇…蝕まれし日…生まれ墜つる者…破滅を紡ぐ―――
それに従い、双子は忌み子として捨てられた。もう―――生きてはいないだろう。
(嗚呼、我が弟妹よ…私は、お前たちが誇れる立派な男になれるだろうか…)
レオンティウスは自分を抱きしめる母にも聴こえない程に小さく呟く。答えは、誰も教えてはくれない。
廊下に出ると同時に、厳しく引き締められた声が飛んだ。そこにいたのは、勇猛なる若獅子―――
「ふん、レオンティウスか。どうしたのかね、怖い顔をして。私は忙しいし、お前も戦場から戻ったばかりで
疲れているだろう。後にしてくれぬかな?」
「そんなことよりも…あの噂は本当なのですか!?」
「噂?はて、なんのことかな?」
「とぼけないでください!」
レオンティウスは、思わず怒鳴り声を上げた。
「水神ヒュドラの力を得るために、星女神の神域へ押し入り、巫女を生贄に捧げようとしている―――まさか、
それが本当ならば、赦されることではありません!星女神の加護篤き神域を穢そうなど…そんなことをすれば、
神罰が我が国に下りましょうぞ!」
「おやおや…これは酷いな。よくもまあそんな出鱈目が流れるものだ。はっはっは」
スコルピオスは、悪びれることなく言ってみせた。
「叔父上…!」
「うるさいんだよ―――男漁りだけが楽しみの、肛門愛好家が」
「なっ―――!」
叔父とはいえ、余りにも無礼な言い草に、レオンティウスは顔を真っ赤に染める。
「わ…私が男色だという事実と、叔父上の企みは、まるで関係ないでしょう!」
「ふん。証拠でもあるのか?私がそんな物騒なことをしでかそうという証拠は?」
「う…!」
それに、とスコルピオスは口の端を歪めて、嫌な笑いを浮かべる。
「気付いていないとでも思ったのか?貴様が私の尻を物欲しそうに眺め回していることを」
「―――っ!」
「なあ、愛する男のやることだ…黙っていては、くれんかね?最も、王は私に全権を委ねてくださったが故、
例えお前でも私を止めることはできんがね…では、失礼する。先も言ったが私は忙しいのでな」
そして―――レオンティウスは、去っていくスコルピオスを止められなかった。
「くそっ…!」
血が吹き出す程の勢いで、壁を殴りつける。噛み締めた唇からも、血が滴る。
「叔父上…何故だ…昔はもっと、優しい男だった…そんなあなたを、お慕いしていたというのに…」
「―――レオン?どうしたのですか」
背後から声をかけられ、思わずびくりとして振り向く。そこに、齢四十前後の女性が立っていた。年齢による
容貌の衰えは流石に隠せないが、それでもその顔立ちや仕草は、今なお美しく、上品と言えた。
「母上…いえ、大丈夫です。何事もありません」
母―――王妃イサドラに向けて、レオンティウスは努めて何でもない風を装った。だが、そこは母親である。
いくら立派な大人になったとはいえ、自分の子供の嘘など軽く見抜ける。
「辛いことがあったのね…さあ、おいで。私の可愛いレオン…」
慈しみの表情を浮かべ、イサドラは両手を広げる。レオンティウスも慣れた動作でしゃがみ込み、母の胸元
に頭を寄せる。イサドラはそれをそっと両手で包み込んだ。
「本当に、私は心配ですよ…お前は強く見えても、本当は甘えん坊だから」
「―――母上。どうか心配なさらないでください」
レオンティウスは、母親を安心させるため殊更に優しく微笑んだ。
「私は、強く生き抜く―――そう決めたのです。死んでしまった、我が弟妹のためにも…」
びくっと、イサドラが身を震わせた。レオンティウスは失言だったか、と自分を責める。
―――彼にもかつて、兄弟がいた。男女の双子だった。レオンティウスは当時物心つくかつかないかという幼さ
だったが、兄になった嬉しさと誇らしさは、不思議と覚えている。けれど。
あの子たちが生まれたのは―――<太陽蝕まれし日>。そして、下された神託。
―――太陽…闇…蝕まれし日…生まれ墜つる者…破滅を紡ぐ―――
それに従い、双子は忌み子として捨てられた。もう―――生きてはいないだろう。
(嗚呼、我が弟妹よ…私は、お前たちが誇れる立派な男になれるだろうか…)
レオンティウスは自分を抱きしめる母にも聴こえない程に小さく呟く。答えは、誰も教えてはくれない。
スコルピオスは兵を集め、アルカディアを既に出立していた。
集まった兵士は全て、自分の息のかかった者達ばかり―――何も問題はない。
後は余計な邪魔が入らぬことを、神に祈るばかりだ。
「くっくっく…神域を侵そうというものが、神頼みとは、笑えぬ喜劇だ…」
自嘲の笑みを浮かべつつ、スコルピオスは遥か地平線の彼方を目指す。邪悪なる野望に向けて―――
「さあ、行くぞ。星女神の神域・レスボス島へ―――」
集まった兵士は全て、自分の息のかかった者達ばかり―――何も問題はない。
後は余計な邪魔が入らぬことを、神に祈るばかりだ。
「くっくっく…神域を侵そうというものが、神頼みとは、笑えぬ喜劇だ…」
自嘲の笑みを浮かべつつ、スコルピオスは遥か地平線の彼方を目指す。邪悪なる野望に向けて―――
「さあ、行くぞ。星女神の神域・レスボス島へ―――」