―――夜も更けた、深い山奥。その中をひた走る男は、野盗だった。道行く人を襲い、身包み剥いだ挙句に殺す。
そんな最低な商売に愉悦すら感じる、最低の人種―――しかし。
「はっ…はっ…はぁっ…ひィィっ…!」
男は今、心底怯えていた。彼は、狩りを愉しむ側から、完全に逆の立場へと叩き落されてしまったのだ。
「なんだ…なんなんだ、あいつは!」
いつも通りの仕事のはずだった。仲間たちで周りを囲み、怯える獲物をゆっくりといたぶる―――はずだった。
誤算は、ただ一つ。あの男は―――紫の瞳を持つ、あの男は、とてつもない怪物だった。
まるで草刈でもするかのように、奴は、仲間たちの首を次々に狩っていった。助けようなんて思わなかった。
とにかく今は、逃げなくては…逃げなくては!それだけで頭がパンクしそうだった。
しかし、どうする?どうやって逃げる?このままでは、確実に追いつかれる…!
「ん…!」
と―――行く手に、一人の男が見えた。先回りされたか、と一瞬肝を冷やしたが、そうではない。あの怪物では
なかった。
(大方、迷い込んだ旅人ってとこか…!よし、いちかばちかだ!)
あの男を人質に取り、その隙に逃げよう…野盗はそう考えた。そりゃあ、見ず知らずの他人なんて、人質の役に
立たないかもしれないが、一瞬くらい怯ませることはできるかもしれない、そうすればどうにか逃げ出せるかも
しれない…。
かもしれない、かもしれない。仮定に仮定を重ねた穴だらけの思考だったが、彼にはそれ以外の道は残されては
いなかった。素早くその男に駆け寄り、背後から羽交い絞めにして、首筋に右手に持った短刀を押し当てる。
「オラ、命が惜しけりゃ、大人しくしてろ!」
凄みをきかせて威圧する。これで相手は怯え、言うなりになる―――そのはずだった。
「く…くっくっく…ワハハハハハハハ!」
だが、返ってきたのは高らかな笑い声。恐怖のあまりの苦し紛れの笑いなどではなく、心の底から愉快で仕方が
ない―――そんな風情だった。
「なっ…何がおかしい、テメエ!」
「貴様がおかしいに決まっているだろう、ゲテモノめ。そのような薄汚い刃物などで、このオレを脅そうとは…
よほど自殺願望が旺盛のようだな」
「―――っ!単なる脅しだと思ってんのか!?上等だ!そのオキレイな顔を傷物にしてやるぜ!」
あまりといえばあまりな言い草に、かっと頭に血が昇った。身なりや仕草からして、どうせお高くとまった貴族
のお坊ちゃんというところだろう。鼻の一つでも削ぎ落としてやれば、泣いて赦しを乞うに決まっている。
野盗は短刀を振り上げて―――凄まじい痛みが脳天を貫き、その右腕を振り下ろすことができなかった。
「ぐっ…え…?」
思考が停止した。何が起こったのか。今自分の腕がどうなっているのか―――
分かっていた。分かってはいたが、認めたくなかった。あまりにも、恐ろしい事実だったから。
右腕の肘から先が、なくなっていた。何か、物凄い力で、乱暴に引き千切られた…そんな有様だった。
「あ、あ、あ、あ、お、お、お、おでの、うで、うで、腕が腕がウデウデうでがァァアァァアアッ!」
みっともなく泣き叫び、地面を転げ回る。そして涙でぐしゃぐしゃになった視界。
―――そいつは、いた。
「りゅ…龍…?青い眼の…白龍…」
そこにいたのは眩い程に神々しい、白き龍の姿だった。神秘的な青い瞳に魅入られ、野盗は失った右腕のことも
忘れて、呆然としていた。股間を、生暖かい液体が濡らしていくのも気にならない。
だって、そうだろう?その白龍は、口をモゴモゴさせて何かを咀嚼していたのだ。何を、なんて―――
考えたくもない。
「ハァ~ハッハッハッハッハ!光栄に思うがいい!貴様の如きゲテモノが、この至高にして究極の偉大なる白龍
―――ブルーアイズ・ホワイトドラゴンの晩餐になれることをな!」
「ぎゃァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーッッッ!!!」
野盗は獣のような声を上げて、必死に地を這いずる。ここから逃げるために。どこでもいい。どこでもいいんだ。
ここじゃないどこかなら、地獄だって大歓迎だ。だから―――助けて―――
「…あ…」
ピタリ、と野盗は動きを止めた。見上げればそこに、いた。
―――くすんだ色の銀髪に、紫のメッシュ。印象的な紫の瞳。その眼光は鋭く、見据える者を震わせる。顔立ち
は端正で彫りの深い美丈夫だが、どこか荒んだ雰囲気を漂わせている。
そして、両の手に持つ、黒い刀身の双剣。それはまるで死神の鎌を思わせる、不気味な輝きを放っていた。
「影が見えるな、お前には―――死神の影だ。それに憑かれた者は皆…近い内に死んでいく」
「な、何、言って…」
「…見えるんだよ、私には。黒い影が…」
不可思議なことを口にする紫眼の男。野盗は口を開きかけたが―――
「…どけ。邪魔だ」
男が短く告げると共に、黒き双剣が一瞬煌いた―――けれど、何も起こらない。なんともない―――
「な、なんだ…」
ほっとして、自分が無事なことを確かめようと、残された左手を持ち上げた野盗は―――その瞬間、全身隈なく
サイコロの如く細切れになり、血や体液、臓物と汚物の混じった肉塊と化して地面にばら撒かれた。
男の剣は、恐るべき速さで野盗を斬り殺していた。あまりにも速すぎて…斬った後もしばらく、断面がくっついた
ままだったのだ。
かくしてこの場に残されたのは、白龍の主と黒き剣士。
白龍を従えた男―――海馬は細切れにされた野盗になどは一瞥も向けない。彼の目は、黒い剣を持つ男の瞳を
見ていた。それはまるで、死を宿したかのように暗い、紫(し)の瞳。
(クク…いい目をしている。まるで、牙を剥く狼だ)
男は、静かな口調で海馬に問う。
「白き龍を従える者…か。貴様、何者だ」
「フ…人にモノを尋ねるならば、先に名乗るのが礼儀というものだろう?それとも獣は人間の礼儀を知らんのか?
なあ、黒き剣を携えし狼よ」
嘲るような海馬の言葉。男がそれに対し何を思うのか、表情からは窺い知れない。しばしの沈黙。そして。
「エレウセウス…」
「なに?」
海馬は、ぴくりと眉を持ち上げた。
「私の名だ。大概はエレフと呼ばれていたが…今はもう、そう呼んでくれる者もいない」
男―――エレフの言葉に、表にこそ出さないものの、海馬は内心動揺する。
「…エレウセウス…エレフ…エレフセイア…あの胡散臭いジジイの言っていたアレか…?クク…なるほどなあ…
そういうことか。実に面白くない。オレの大嫌いな非ィ現実的な事態というわけか」
「貴様…何をわけの分からぬことを言っている?」
「フン。つまらんことを気にするな…時にエレフ―――貴様、まさかミーシャとかいう名の妹を探しているなどと
言わんだろうな?」
その瞬間だった。それまで泰然としていたエレフが一瞬にして形相を変える。目を血走らせ、海馬に掴みかかった。
「お前―――何故妹のことを、ミーシャのことを!?何か知っているのか!?言え!隠すとためにならんぞ!」
「グッ…!お、落ち着け、話はしてやるから、まず手を離せ」
その豹変に、流石の海馬も冷や汗をかきながら男を必死に宥める。男は海馬から手を離しながらも、その瞳からは
未だ妄念じみた光が消えていない。海馬は襟を正しながら、心の中で毒づく。
(ちっ…とんだシスコンだ。たった一人の肉親とはいえ、そんなに大事か?全く、こうはなりたくないものだな)
―――自分のことは、完全に棚に上げているようだった。
彼は彼で、ブラコンである。
そんな最低な商売に愉悦すら感じる、最低の人種―――しかし。
「はっ…はっ…はぁっ…ひィィっ…!」
男は今、心底怯えていた。彼は、狩りを愉しむ側から、完全に逆の立場へと叩き落されてしまったのだ。
「なんだ…なんなんだ、あいつは!」
いつも通りの仕事のはずだった。仲間たちで周りを囲み、怯える獲物をゆっくりといたぶる―――はずだった。
誤算は、ただ一つ。あの男は―――紫の瞳を持つ、あの男は、とてつもない怪物だった。
まるで草刈でもするかのように、奴は、仲間たちの首を次々に狩っていった。助けようなんて思わなかった。
とにかく今は、逃げなくては…逃げなくては!それだけで頭がパンクしそうだった。
しかし、どうする?どうやって逃げる?このままでは、確実に追いつかれる…!
「ん…!」
と―――行く手に、一人の男が見えた。先回りされたか、と一瞬肝を冷やしたが、そうではない。あの怪物では
なかった。
(大方、迷い込んだ旅人ってとこか…!よし、いちかばちかだ!)
あの男を人質に取り、その隙に逃げよう…野盗はそう考えた。そりゃあ、見ず知らずの他人なんて、人質の役に
立たないかもしれないが、一瞬くらい怯ませることはできるかもしれない、そうすればどうにか逃げ出せるかも
しれない…。
かもしれない、かもしれない。仮定に仮定を重ねた穴だらけの思考だったが、彼にはそれ以外の道は残されては
いなかった。素早くその男に駆け寄り、背後から羽交い絞めにして、首筋に右手に持った短刀を押し当てる。
「オラ、命が惜しけりゃ、大人しくしてろ!」
凄みをきかせて威圧する。これで相手は怯え、言うなりになる―――そのはずだった。
「く…くっくっく…ワハハハハハハハ!」
だが、返ってきたのは高らかな笑い声。恐怖のあまりの苦し紛れの笑いなどではなく、心の底から愉快で仕方が
ない―――そんな風情だった。
「なっ…何がおかしい、テメエ!」
「貴様がおかしいに決まっているだろう、ゲテモノめ。そのような薄汚い刃物などで、このオレを脅そうとは…
よほど自殺願望が旺盛のようだな」
「―――っ!単なる脅しだと思ってんのか!?上等だ!そのオキレイな顔を傷物にしてやるぜ!」
あまりといえばあまりな言い草に、かっと頭に血が昇った。身なりや仕草からして、どうせお高くとまった貴族
のお坊ちゃんというところだろう。鼻の一つでも削ぎ落としてやれば、泣いて赦しを乞うに決まっている。
野盗は短刀を振り上げて―――凄まじい痛みが脳天を貫き、その右腕を振り下ろすことができなかった。
「ぐっ…え…?」
思考が停止した。何が起こったのか。今自分の腕がどうなっているのか―――
分かっていた。分かってはいたが、認めたくなかった。あまりにも、恐ろしい事実だったから。
右腕の肘から先が、なくなっていた。何か、物凄い力で、乱暴に引き千切られた…そんな有様だった。
「あ、あ、あ、あ、お、お、お、おでの、うで、うで、腕が腕がウデウデうでがァァアァァアアッ!」
みっともなく泣き叫び、地面を転げ回る。そして涙でぐしゃぐしゃになった視界。
―――そいつは、いた。
「りゅ…龍…?青い眼の…白龍…」
そこにいたのは眩い程に神々しい、白き龍の姿だった。神秘的な青い瞳に魅入られ、野盗は失った右腕のことも
忘れて、呆然としていた。股間を、生暖かい液体が濡らしていくのも気にならない。
だって、そうだろう?その白龍は、口をモゴモゴさせて何かを咀嚼していたのだ。何を、なんて―――
考えたくもない。
「ハァ~ハッハッハッハッハ!光栄に思うがいい!貴様の如きゲテモノが、この至高にして究極の偉大なる白龍
―――ブルーアイズ・ホワイトドラゴンの晩餐になれることをな!」
「ぎゃァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーッッッ!!!」
野盗は獣のような声を上げて、必死に地を這いずる。ここから逃げるために。どこでもいい。どこでもいいんだ。
ここじゃないどこかなら、地獄だって大歓迎だ。だから―――助けて―――
「…あ…」
ピタリ、と野盗は動きを止めた。見上げればそこに、いた。
―――くすんだ色の銀髪に、紫のメッシュ。印象的な紫の瞳。その眼光は鋭く、見据える者を震わせる。顔立ち
は端正で彫りの深い美丈夫だが、どこか荒んだ雰囲気を漂わせている。
そして、両の手に持つ、黒い刀身の双剣。それはまるで死神の鎌を思わせる、不気味な輝きを放っていた。
「影が見えるな、お前には―――死神の影だ。それに憑かれた者は皆…近い内に死んでいく」
「な、何、言って…」
「…見えるんだよ、私には。黒い影が…」
不可思議なことを口にする紫眼の男。野盗は口を開きかけたが―――
「…どけ。邪魔だ」
男が短く告げると共に、黒き双剣が一瞬煌いた―――けれど、何も起こらない。なんともない―――
「な、なんだ…」
ほっとして、自分が無事なことを確かめようと、残された左手を持ち上げた野盗は―――その瞬間、全身隈なく
サイコロの如く細切れになり、血や体液、臓物と汚物の混じった肉塊と化して地面にばら撒かれた。
男の剣は、恐るべき速さで野盗を斬り殺していた。あまりにも速すぎて…斬った後もしばらく、断面がくっついた
ままだったのだ。
かくしてこの場に残されたのは、白龍の主と黒き剣士。
白龍を従えた男―――海馬は細切れにされた野盗になどは一瞥も向けない。彼の目は、黒い剣を持つ男の瞳を
見ていた。それはまるで、死を宿したかのように暗い、紫(し)の瞳。
(クク…いい目をしている。まるで、牙を剥く狼だ)
男は、静かな口調で海馬に問う。
「白き龍を従える者…か。貴様、何者だ」
「フ…人にモノを尋ねるならば、先に名乗るのが礼儀というものだろう?それとも獣は人間の礼儀を知らんのか?
なあ、黒き剣を携えし狼よ」
嘲るような海馬の言葉。男がそれに対し何を思うのか、表情からは窺い知れない。しばしの沈黙。そして。
「エレウセウス…」
「なに?」
海馬は、ぴくりと眉を持ち上げた。
「私の名だ。大概はエレフと呼ばれていたが…今はもう、そう呼んでくれる者もいない」
男―――エレフの言葉に、表にこそ出さないものの、海馬は内心動揺する。
「…エレウセウス…エレフ…エレフセイア…あの胡散臭いジジイの言っていたアレか…?クク…なるほどなあ…
そういうことか。実に面白くない。オレの大嫌いな非ィ現実的な事態というわけか」
「貴様…何をわけの分からぬことを言っている?」
「フン。つまらんことを気にするな…時にエレフ―――貴様、まさかミーシャとかいう名の妹を探しているなどと
言わんだろうな?」
その瞬間だった。それまで泰然としていたエレフが一瞬にして形相を変える。目を血走らせ、海馬に掴みかかった。
「お前―――何故妹のことを、ミーシャのことを!?何か知っているのか!?言え!隠すとためにならんぞ!」
「グッ…!お、落ち着け、話はしてやるから、まず手を離せ」
その豹変に、流石の海馬も冷や汗をかきながら男を必死に宥める。男は海馬から手を離しながらも、その瞳からは
未だ妄念じみた光が消えていない。海馬は襟を正しながら、心の中で毒づく。
(ちっ…とんだシスコンだ。たった一人の肉親とはいえ、そんなに大事か?全く、こうはなりたくないものだな)
―――自分のことは、完全に棚に上げているようだった。
彼は彼で、ブラコンである。
こうして、海馬とエレフ―――心に獣を宿す二人が、出会った。