昻昇は構えたまま、静かに大きく息を吸って腹に溜め、一瞬止めてからゆっくりと吐いた。
その一呼吸だけで、眉間に寄っていた皺がなくなり、不必要に上がっていた肩が下がり、
知らず知らず浮いていた腰が落ち、全身から余分な力が抜けて構えが安定する。
動作は省いているが、流派を越えて空手に伝わる心身の整法、『息吹』である。
そんな昻昇を見たドラエは、
「昻昇様の……気が、澄んで参りましたね。ようやく本当の貴方を見せて頂けそうです」
ふっと微笑して、自らも構えを整えた。
昻昇からも、小さく笑みを返す。
「ああ、見せてやる。だが誤解しないでくれ、今までだって俺は全力だった。手加減なんか
しちゃいない。そんな俺の攻撃を、あんたは見事に弾き返し続けたんだ。失礼かもしれんが、
とてもとても強そうには見えない、そんな体でな。その技術には敬意を表する」
「恐れ入ります」
「が、」
一転、表情を引き締めた昻昇が言葉を続ける。
「ここまでだ。お望み通りに本当の俺を、本当の鎬流空手を見せてやる。そして、俺は勝つ」
「はい。本当の鎬流空手、それこそわたくしの望むところです」
「……ぃいくぞおおおおぉぉぉぉっ!」
昻昇が、風と化した。踏み込みも、突きも蹴りも、それまでとは鋭さが違う。
これまでは「全力」だったが、ここからは「本気」。ドラエを倒すのではなく、殺すつもりで
昻昇は容赦のない攻撃を仕掛けていった。
ドラエの顔に焦りが生まれる。嵐のような連続攻撃を打ち払い、いなし、回避してはいるが、
先ほどまでのように捕まえて投げることはできなくなっている。
ドラエの頭のカチューシャが弾け飛び、ドラエの肩のフリルが切り裂かれ、ドラエの腰の
エプロンが破り取られる。昻昇の、獣の爪のような刀の刃のような手足によって。
いつまでも防ぎきれはしない、とドラエも昻昇も思ったその時、
「ぅぐっ……!」
均衡が破られた。それまでのドラエはガードするにしても自ら身を引きつつ、つまり昻昇の
打撃の重さを和らげながらのことだったが、それができなくなったのだ。
昻昇の攻撃を捌ききれず、大きく右へ動いたところに、昻昇の狙い済ました左膝蹴りが
命中。ドラエはガードこそ間に合ったものの、体重移動したその正面からの打撃だった
為、蹴りの重さを殺すことができず、細い腕を貫通した重い衝撃が、鋭く深く腹に来た。
息を詰まらせて動きを止めるドラエ。すかさず昻昇が、
「もらったああああぁぁっ!」
まるで弓を射るかのように右の貫手を大きく引き、手首を捻って掌を上に向けた。
その捻りを一気に開放することで360度の回転を指に与える必殺の一撃。
首筋へと触れた瞬間に相手の視神経を寸断する、昻昇の最終奥義。新・紐切りだ。
『考えてみれば、すぐそばに兄さんがいるんだ。両目の視力を完全に奪われたにも関わらず、
薬も道具も使わずに、自分で自分の神経修復を易々とやってのけた、奇跡の天才医師が。
だったら今、俺が何をやったって問題ない。決着後、即、完治が保証されてる。……この技、
一切の遠慮も容赦も無用ッッ!』
全力本気の新・紐切りが放たれた。動けないドラエの、その細く白い首筋に向かって、
日本刀よりも鋭く鉈よりも重く銃弾よりも速い貫手が、裂帛の気合いと共に襲い掛かる。
観戦している刃牙も、紅葉も、そして昻昇自身も、勝利を確信した。が、
「……ッ!?」
昻昇の動きが止まった。いや、止められた。
突き出された昻昇の貫手、その指に、ドラエの指が絡みつき、止めている。
昻昇にとってはこの上ない悪夢である、あの渋川戦と同じように。
『ば、ば、馬鹿な! 新・紐切りどころか、紐切り自体が初見のはず! なのに……』
「はああああぁぁっ!」
ドラエの鋭い気合いが迸り、昻昇の指先から全身へと電撃が駆け抜けた。絡み取られた
指が捻られ、梃子の要領で手首から肘、肩へと連鎖的に関節を極められ、反射的に
腰が浮いたところで強く腕を引き下ろされ……見事に投げ飛ばされた。
困惑の最中のことだったので受け身もとれず、昻昇はまともに頭から落下、地面に激突する。
その衝撃に痺れる、麻痺する全身にムチ打って、昻昇はムリヤリ立ち上がるが、波打つ視界
の中にドラエはもういない。気配に気付いて左を向いた時にはもう遅く、ドラエの
矢のような拳が昻昇の顎先の急所、三日月を打ち抜いた。
この拳、『紗貫き(うすぎぬぬき)』は明道流の基本であり、ここまでの打ち合いでもほぼ
常時、ドラエが使用していたものだ。が、今は条件が違う。昻昇が判断も行動もできない
完全な無防備状態となったところで、絶好の距離から絶好の角度で打ったのだ。
刃牙がかつて斗羽を沈め、紅葉にはKO寸前まで追い詰められた、脳震盪を起こさせるに
最適の打撃。昻昇とて例外ではなく、
「……ぐ……ぁ……っ……」
力なく両膝をついた。続いて両手をつく、ことはできずにそのまま上半身全体がついた。
「し、勝負ありっ!」
紅葉の声が聞えたのと同時に、昻昇の意識は霧散していく。
その耳に最後に微かに、刃牙の呟きが届いた。
「今のドラエさんの動き……昻昇さんの拳筋を見切ったわけでも、殺気を読んだってわけでも
ないな。ってことは……」
その一呼吸だけで、眉間に寄っていた皺がなくなり、不必要に上がっていた肩が下がり、
知らず知らず浮いていた腰が落ち、全身から余分な力が抜けて構えが安定する。
動作は省いているが、流派を越えて空手に伝わる心身の整法、『息吹』である。
そんな昻昇を見たドラエは、
「昻昇様の……気が、澄んで参りましたね。ようやく本当の貴方を見せて頂けそうです」
ふっと微笑して、自らも構えを整えた。
昻昇からも、小さく笑みを返す。
「ああ、見せてやる。だが誤解しないでくれ、今までだって俺は全力だった。手加減なんか
しちゃいない。そんな俺の攻撃を、あんたは見事に弾き返し続けたんだ。失礼かもしれんが、
とてもとても強そうには見えない、そんな体でな。その技術には敬意を表する」
「恐れ入ります」
「が、」
一転、表情を引き締めた昻昇が言葉を続ける。
「ここまでだ。お望み通りに本当の俺を、本当の鎬流空手を見せてやる。そして、俺は勝つ」
「はい。本当の鎬流空手、それこそわたくしの望むところです」
「……ぃいくぞおおおおぉぉぉぉっ!」
昻昇が、風と化した。踏み込みも、突きも蹴りも、それまでとは鋭さが違う。
これまでは「全力」だったが、ここからは「本気」。ドラエを倒すのではなく、殺すつもりで
昻昇は容赦のない攻撃を仕掛けていった。
ドラエの顔に焦りが生まれる。嵐のような連続攻撃を打ち払い、いなし、回避してはいるが、
先ほどまでのように捕まえて投げることはできなくなっている。
ドラエの頭のカチューシャが弾け飛び、ドラエの肩のフリルが切り裂かれ、ドラエの腰の
エプロンが破り取られる。昻昇の、獣の爪のような刀の刃のような手足によって。
いつまでも防ぎきれはしない、とドラエも昻昇も思ったその時、
「ぅぐっ……!」
均衡が破られた。それまでのドラエはガードするにしても自ら身を引きつつ、つまり昻昇の
打撃の重さを和らげながらのことだったが、それができなくなったのだ。
昻昇の攻撃を捌ききれず、大きく右へ動いたところに、昻昇の狙い済ました左膝蹴りが
命中。ドラエはガードこそ間に合ったものの、体重移動したその正面からの打撃だった
為、蹴りの重さを殺すことができず、細い腕を貫通した重い衝撃が、鋭く深く腹に来た。
息を詰まらせて動きを止めるドラエ。すかさず昻昇が、
「もらったああああぁぁっ!」
まるで弓を射るかのように右の貫手を大きく引き、手首を捻って掌を上に向けた。
その捻りを一気に開放することで360度の回転を指に与える必殺の一撃。
首筋へと触れた瞬間に相手の視神経を寸断する、昻昇の最終奥義。新・紐切りだ。
『考えてみれば、すぐそばに兄さんがいるんだ。両目の視力を完全に奪われたにも関わらず、
薬も道具も使わずに、自分で自分の神経修復を易々とやってのけた、奇跡の天才医師が。
だったら今、俺が何をやったって問題ない。決着後、即、完治が保証されてる。……この技、
一切の遠慮も容赦も無用ッッ!』
全力本気の新・紐切りが放たれた。動けないドラエの、その細く白い首筋に向かって、
日本刀よりも鋭く鉈よりも重く銃弾よりも速い貫手が、裂帛の気合いと共に襲い掛かる。
観戦している刃牙も、紅葉も、そして昻昇自身も、勝利を確信した。が、
「……ッ!?」
昻昇の動きが止まった。いや、止められた。
突き出された昻昇の貫手、その指に、ドラエの指が絡みつき、止めている。
昻昇にとってはこの上ない悪夢である、あの渋川戦と同じように。
『ば、ば、馬鹿な! 新・紐切りどころか、紐切り自体が初見のはず! なのに……』
「はああああぁぁっ!」
ドラエの鋭い気合いが迸り、昻昇の指先から全身へと電撃が駆け抜けた。絡み取られた
指が捻られ、梃子の要領で手首から肘、肩へと連鎖的に関節を極められ、反射的に
腰が浮いたところで強く腕を引き下ろされ……見事に投げ飛ばされた。
困惑の最中のことだったので受け身もとれず、昻昇はまともに頭から落下、地面に激突する。
その衝撃に痺れる、麻痺する全身にムチ打って、昻昇はムリヤリ立ち上がるが、波打つ視界
の中にドラエはもういない。気配に気付いて左を向いた時にはもう遅く、ドラエの
矢のような拳が昻昇の顎先の急所、三日月を打ち抜いた。
この拳、『紗貫き(うすぎぬぬき)』は明道流の基本であり、ここまでの打ち合いでもほぼ
常時、ドラエが使用していたものだ。が、今は条件が違う。昻昇が判断も行動もできない
完全な無防備状態となったところで、絶好の距離から絶好の角度で打ったのだ。
刃牙がかつて斗羽を沈め、紅葉にはKO寸前まで追い詰められた、脳震盪を起こさせるに
最適の打撃。昻昇とて例外ではなく、
「……ぐ……ぁ……っ……」
力なく両膝をついた。続いて両手をつく、ことはできずにそのまま上半身全体がついた。
「し、勝負ありっ!」
紅葉の声が聞えたのと同時に、昻昇の意識は霧散していく。
その耳に最後に微かに、刃牙の呟きが届いた。
「今のドラエさんの動き……昻昇さんの拳筋を見切ったわけでも、殺気を読んだってわけでも
ないな。ってことは……」