トレヴィ広場は声と光に溢れていた。
イタリアの首都ローマ有数の観光地であるこの広場は、いつも多くの人で賑わっている。
観光客、家族連れ、恋人達。
その笑顔の海の中にその男はいた。
法衣の上に丈の長い外套を着込み、首からは十字架(クルス)を下げている。
百人中百人が「彼の職業は?」と聞かれれば「神父」と答えるだろう。
市内にカトリックの総本山“ヴァチカン市国”があるローマにおいては、街の中で神父を
見かける事など珍しくはない。
むしろよくある事だ。
その“珍しくない”存在である、一人の神父はベンチに座り泉を眺めていた。
彼の前を幾人もの人が通り過ぎていく。
多くは無関心に通り過ぎるだけであるが、十人に一人は顔をやや伏せて十字を切っていく。
敬虔なカトリック信徒なのだろう。
神父はその度に柔らかく微笑み、軽く片手を上げる。
たったそれだけのやり取りで心救われる者もこの世にはいるのだ。
そんな“弱き民”の為なら、笑顔や往来での対話など労のひとつにも入らない。
信仰に生き信仰に死ぬ覚悟のこの神父にとっては。
だが、その神父も今日はあまり心穏やかではない。
北の地に待ち受ける職務を思い浮かべれば、人々に見せてはならない筈の表情も自然に顔に張り付く。
だがそれではいけないのだ。
神父は心中で神に許しを乞い、神罰を望み、悔い改める。
他者には知られざる、神父の心の“死”と心の“再生”だ。
そして神父はまた一人穏やかな表情で、観光客が泉に向かって投げるコインの輝きを見つめる。
「隣、空いてますか?」
英語でそんな声を掛けてくる者がいた。
見上げると、人の良さそうな笑顔をこちらに向けた、スーツ姿の東洋人の男が立っていた。
見た目“だけ”は三十過ぎの神父と、さして変わらなく見える風貌だ。
「ええ、ええ。空いてますよ。さあ、どうぞ」
信徒に向けるものと同種の微笑みを男に向け、神父は答える。
2m近い巨躯の神父は精一杯ベンチの端に寄り、男が座るスペースを空けた。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げ、男はベンチに座る。
東洋人のようだが、日本人だろうか? 中国人だろうか?
「失礼ですが日本の方ですか?」
神父は無礼にならない程度に、遠慮なく声を掛ける。
「え!? 何故、わかったのですか?」
男はまるで小動物のように眼を丸くしている。よほど驚いたのだろう。
母音を強調した区切りの強い英語の発音は日本人によくあるので何となく言ってみただけなのだが。
それに日本人は「英語は“万国共通語”」と勘違いしがちだ。
「ハハハ、何となくですよ。それで、イタリアにはお仕事で?」
「はい! そうです! いやあ、よくわかりますねえ。さすが神に仕える方だ」
男はしきりに感心している。
これも、身形から察して問い掛けただけの事だ。スーツ姿で観光する者もいなくはないのだろうが。
「どうも海外出張の多い職場でして。こう海外生活ばかりだと本当に日本が恋しくなります」
男はあまり上手くない英語で、聞かれてもいない事を語りだした。
「子供達が私の顔を忘れてしまうのではないかと心配ですよ。あ、息子と娘なんですが――」
これは困った。信徒との対話なら良いのだが、暇を持て余した日本人とのお喋りに興じる程の
時間も余裕も、実のところ今は無い。
あと数分程で北へ旅立つ為の迎えが来てしまう。
神父は笑顔を絶やさないが、内心では(どうしたものか……)と頭を掻きたい気分だ。
ある一部の“もの”に対しては遠慮も優しさも慈悲も持ち合わせないこの神父だが、それ以外のものには
人の良さと押しの弱さが露呈されてしまい、どうにも強く出られない。
男は神父の心中などまるで解せず、すっかりマイペースで話を続けている。
「息子は十歳で、娘は八歳なんです。いやあ、本当に可愛いものですよ。あ、そうだ、写真があったんだ。
ホラ、見てください神父様」
ついに写真まで飛び出した。
神父は困り果てているが、外面にそれをまったく出さないというのも、この場合考え物である。
「ほほう、活発そうな坊やだ。子供は元気が一番です。お嬢ちゃんも優しそうですし、可愛らしいですな」
これは神父の本音だ。
ローマ近郊で孤児院を任されているだけあって、神父は子供が大好きであったし、どんな人種・境遇の
子供にも等しく愛情を注げる自信があった。
「アハハ、自慢の子供達ですよ。私の宝物です」
いわゆる親バカというものだろう。神父に我が子を褒められ、男はすっかり相好を崩している。
「しかし、二人ともまだまだ子供でしてね。まあ、実際子供なんですが……。『将来の夢は?』と聞いても、
息子は『ボクは正義の味方になるんだ!』とか、娘は『私はお兄ちゃんのお嫁さんになる!』なんて。
本当に夢のような事ばかり言って……。アハハハ」
男は上機嫌で話を続けているが、その男の延長線上の遊歩道に年老いた神父がお供を連れて
立っているのが、神父の眼に確認できた。
どうやら、時間のようだ。
神父の顔は一瞬だけ聖職者とは思えない程に荒々しく歪んだが、悟られる間も無く元の柔和な
表情に戻っていた。
「申し訳ありません。迎えが来たようなので、これで失礼しなくては……」
神父は立ち上がり、日本人式に“礼”をする。
「あ、いえいえ、こちらこそ。つまらない話につき合わせちゃって……」
男も慌てて立ち上がり、深々と頭を下げ返す。
神父は少し考え込んだが、やがて意を決したように男に向かって話し出した。説教だ。
「これは坊やにお伝え下さい。
“正義の味方”とは物語にあるような華々しい存在ではありません。
愛する人と別れ、苦痛に耐え、死すら恐れない、そんな覚悟が要ります。
敵の命を散らせ、味方の命を散らせ、自分の命を散らせ、ただ前へ進まなくてはいけない。
たとえ勝機が那由他の彼方でも、ただ前へ進まなくてはいけない。
四肢が千切れようとも、胴に風穴が開こうとも、頭を吹き飛ばされようとも、行き着く先が辺獄(リンボ)だとても。
そして自身は何を望んでもいけません。何を惜しんでもいけません。
ただの嵐、ただの脅威、ただの炸薬でなければいけないのです。
心無く、涙も無く、ただの恐ろしい暴風でなければいけないのです。
それだけの強い覚悟が無ければ、自身の信じる正義は守れないのです。
坊やが“正義の味方”になる事を望んで止まないのであれば、これだけはお伝え下さい」
「は、はあ……」
男は神父の言葉に秘められた異常な迫力に押されて頷くだけである。
神父はニッコリと笑い、言葉を続ける。
「それと……。娘さんには、こうお伝え下さい。『近親婚は神様がお許しにならない』と」
こちらは神父の下手なジョークなのであろう。多少の真実は込められているのだろうが。
「アハハハ、わかりました。娘には涙を飲んで諦めてもらいます」
男は神父より幾分かはウィットに富んだジョークで返す。
「フフフ……。それが賢明です」
神父は男に右手を差し出した。
男は神父の手を握りながら、一番重要な事に今更ながら気がついた。
「ああ、いけない。まだ名乗ってもいませんでした。いや、すみません。
私は武藤という者です」
「私はアンデルセンです。縁があれば、またいつか……」
イタリアの首都ローマ有数の観光地であるこの広場は、いつも多くの人で賑わっている。
観光客、家族連れ、恋人達。
その笑顔の海の中にその男はいた。
法衣の上に丈の長い外套を着込み、首からは十字架(クルス)を下げている。
百人中百人が「彼の職業は?」と聞かれれば「神父」と答えるだろう。
市内にカトリックの総本山“ヴァチカン市国”があるローマにおいては、街の中で神父を
見かける事など珍しくはない。
むしろよくある事だ。
その“珍しくない”存在である、一人の神父はベンチに座り泉を眺めていた。
彼の前を幾人もの人が通り過ぎていく。
多くは無関心に通り過ぎるだけであるが、十人に一人は顔をやや伏せて十字を切っていく。
敬虔なカトリック信徒なのだろう。
神父はその度に柔らかく微笑み、軽く片手を上げる。
たったそれだけのやり取りで心救われる者もこの世にはいるのだ。
そんな“弱き民”の為なら、笑顔や往来での対話など労のひとつにも入らない。
信仰に生き信仰に死ぬ覚悟のこの神父にとっては。
だが、その神父も今日はあまり心穏やかではない。
北の地に待ち受ける職務を思い浮かべれば、人々に見せてはならない筈の表情も自然に顔に張り付く。
だがそれではいけないのだ。
神父は心中で神に許しを乞い、神罰を望み、悔い改める。
他者には知られざる、神父の心の“死”と心の“再生”だ。
そして神父はまた一人穏やかな表情で、観光客が泉に向かって投げるコインの輝きを見つめる。
「隣、空いてますか?」
英語でそんな声を掛けてくる者がいた。
見上げると、人の良さそうな笑顔をこちらに向けた、スーツ姿の東洋人の男が立っていた。
見た目“だけ”は三十過ぎの神父と、さして変わらなく見える風貌だ。
「ええ、ええ。空いてますよ。さあ、どうぞ」
信徒に向けるものと同種の微笑みを男に向け、神父は答える。
2m近い巨躯の神父は精一杯ベンチの端に寄り、男が座るスペースを空けた。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げ、男はベンチに座る。
東洋人のようだが、日本人だろうか? 中国人だろうか?
「失礼ですが日本の方ですか?」
神父は無礼にならない程度に、遠慮なく声を掛ける。
「え!? 何故、わかったのですか?」
男はまるで小動物のように眼を丸くしている。よほど驚いたのだろう。
母音を強調した区切りの強い英語の発音は日本人によくあるので何となく言ってみただけなのだが。
それに日本人は「英語は“万国共通語”」と勘違いしがちだ。
「ハハハ、何となくですよ。それで、イタリアにはお仕事で?」
「はい! そうです! いやあ、よくわかりますねえ。さすが神に仕える方だ」
男はしきりに感心している。
これも、身形から察して問い掛けただけの事だ。スーツ姿で観光する者もいなくはないのだろうが。
「どうも海外出張の多い職場でして。こう海外生活ばかりだと本当に日本が恋しくなります」
男はあまり上手くない英語で、聞かれてもいない事を語りだした。
「子供達が私の顔を忘れてしまうのではないかと心配ですよ。あ、息子と娘なんですが――」
これは困った。信徒との対話なら良いのだが、暇を持て余した日本人とのお喋りに興じる程の
時間も余裕も、実のところ今は無い。
あと数分程で北へ旅立つ為の迎えが来てしまう。
神父は笑顔を絶やさないが、内心では(どうしたものか……)と頭を掻きたい気分だ。
ある一部の“もの”に対しては遠慮も優しさも慈悲も持ち合わせないこの神父だが、それ以外のものには
人の良さと押しの弱さが露呈されてしまい、どうにも強く出られない。
男は神父の心中などまるで解せず、すっかりマイペースで話を続けている。
「息子は十歳で、娘は八歳なんです。いやあ、本当に可愛いものですよ。あ、そうだ、写真があったんだ。
ホラ、見てください神父様」
ついに写真まで飛び出した。
神父は困り果てているが、外面にそれをまったく出さないというのも、この場合考え物である。
「ほほう、活発そうな坊やだ。子供は元気が一番です。お嬢ちゃんも優しそうですし、可愛らしいですな」
これは神父の本音だ。
ローマ近郊で孤児院を任されているだけあって、神父は子供が大好きであったし、どんな人種・境遇の
子供にも等しく愛情を注げる自信があった。
「アハハ、自慢の子供達ですよ。私の宝物です」
いわゆる親バカというものだろう。神父に我が子を褒められ、男はすっかり相好を崩している。
「しかし、二人ともまだまだ子供でしてね。まあ、実際子供なんですが……。『将来の夢は?』と聞いても、
息子は『ボクは正義の味方になるんだ!』とか、娘は『私はお兄ちゃんのお嫁さんになる!』なんて。
本当に夢のような事ばかり言って……。アハハハ」
男は上機嫌で話を続けているが、その男の延長線上の遊歩道に年老いた神父がお供を連れて
立っているのが、神父の眼に確認できた。
どうやら、時間のようだ。
神父の顔は一瞬だけ聖職者とは思えない程に荒々しく歪んだが、悟られる間も無く元の柔和な
表情に戻っていた。
「申し訳ありません。迎えが来たようなので、これで失礼しなくては……」
神父は立ち上がり、日本人式に“礼”をする。
「あ、いえいえ、こちらこそ。つまらない話につき合わせちゃって……」
男も慌てて立ち上がり、深々と頭を下げ返す。
神父は少し考え込んだが、やがて意を決したように男に向かって話し出した。説教だ。
「これは坊やにお伝え下さい。
“正義の味方”とは物語にあるような華々しい存在ではありません。
愛する人と別れ、苦痛に耐え、死すら恐れない、そんな覚悟が要ります。
敵の命を散らせ、味方の命を散らせ、自分の命を散らせ、ただ前へ進まなくてはいけない。
たとえ勝機が那由他の彼方でも、ただ前へ進まなくてはいけない。
四肢が千切れようとも、胴に風穴が開こうとも、頭を吹き飛ばされようとも、行き着く先が辺獄(リンボ)だとても。
そして自身は何を望んでもいけません。何を惜しんでもいけません。
ただの嵐、ただの脅威、ただの炸薬でなければいけないのです。
心無く、涙も無く、ただの恐ろしい暴風でなければいけないのです。
それだけの強い覚悟が無ければ、自身の信じる正義は守れないのです。
坊やが“正義の味方”になる事を望んで止まないのであれば、これだけはお伝え下さい」
「は、はあ……」
男は神父の言葉に秘められた異常な迫力に押されて頷くだけである。
神父はニッコリと笑い、言葉を続ける。
「それと……。娘さんには、こうお伝え下さい。『近親婚は神様がお許しにならない』と」
こちらは神父の下手なジョークなのであろう。多少の真実は込められているのだろうが。
「アハハハ、わかりました。娘には涙を飲んで諦めてもらいます」
男は神父より幾分かはウィットに富んだジョークで返す。
「フフフ……。それが賢明です」
神父は男に右手を差し出した。
男は神父の手を握りながら、一番重要な事に今更ながら気がついた。
「ああ、いけない。まだ名乗ってもいませんでした。いや、すみません。
私は武藤という者です」
「私はアンデルセンです。縁があれば、またいつか……」