「じ、じこ?」
安藤が呆けた声を出した。
「事故だと?―――じゃあ火事は俺達関係ねえじゃねえか!主人は?女将は?中村は!」
安藤は弥子に向って声を荒げ足もとに転がっている三人を指さした。
三人とも赤い喉肉をさらしながら微動だにせず横たわっている。
どうしても見続けることができずヤコは目をそらしてしまう。
「ヤコに言うのは止めてください」
叶絵がヤコの服を掴みながら安藤を睨む。
「だっておかしいじゃねえか、火事の原因は子供たちの火遊びなんだろ?」
安藤は煙草を取り出しくわえるとポケットを探る。ライターを探しているらしい。
少しでも落ち着こうとしているのだろうが、僅かに震える手が安藤の動揺を表している。
「つまりは俺達はモノノケの逆恨みに巻き込まれ―――ひッ?」
安藤は取り出したそれで煙草に火を点けようとして直ぐに放り投げた。
それは黒焦げになったライターだった。
まるで、―――火事の現場に有ったかのような。
「これはまさか……?」
「ほう」
ヤコと叶絵に探るような眼を向けられ、安藤はたじろいだ。
おどおどと助けを求め薬売りに目をやるが、薬売りは静かに安藤を見据えている。
「待てって姉ちゃん達……これじゃ俺が火ィ点けたみたいじゃねえかよ」
「違うんですか」
「違うよ!俺はそんなことはしてないって、俺はただ」
「『俺はただ』?」
「俺はただ―――、あの餓鬼にこれをやっただけだよ!」
安藤が呆けた声を出した。
「事故だと?―――じゃあ火事は俺達関係ねえじゃねえか!主人は?女将は?中村は!」
安藤は弥子に向って声を荒げ足もとに転がっている三人を指さした。
三人とも赤い喉肉をさらしながら微動だにせず横たわっている。
どうしても見続けることができずヤコは目をそらしてしまう。
「ヤコに言うのは止めてください」
叶絵がヤコの服を掴みながら安藤を睨む。
「だっておかしいじゃねえか、火事の原因は子供たちの火遊びなんだろ?」
安藤は煙草を取り出しくわえるとポケットを探る。ライターを探しているらしい。
少しでも落ち着こうとしているのだろうが、僅かに震える手が安藤の動揺を表している。
「つまりは俺達はモノノケの逆恨みに巻き込まれ―――ひッ?」
安藤は取り出したそれで煙草に火を点けようとして直ぐに放り投げた。
それは黒焦げになったライターだった。
まるで、―――火事の現場に有ったかのような。
「これはまさか……?」
「ほう」
ヤコと叶絵に探るような眼を向けられ、安藤はたじろいだ。
おどおどと助けを求め薬売りに目をやるが、薬売りは静かに安藤を見据えている。
「待てって姉ちゃん達……これじゃ俺が火ィ点けたみたいじゃねえかよ」
「違うんですか」
「違うよ!俺はそんなことはしてないって、俺はただ」
「『俺はただ』?」
「俺はただ―――、あの餓鬼にこれをやっただけだよ!」
叫んで安藤は頭を抱えた。それを見た薬売りが目を細める。
叶絵は呆けたような顔をする。ヤコは必死に脳内の整頓を試みた。
「あの幼い子供たちにライターをあげたんですか?」
叶絵の咎めるような声に安藤は呻くような声を出す。
「俺だっていつもならあげないよ……あの餓鬼に言われたんだ」
安藤はため息をついて座り込んだ。胡坐をかいて叶絵の、ヤコの、そして薬売りの顔を順に見上げる。
「あの日俺は公園でパン食ってたんだ」
叶絵は呆けたような顔をする。ヤコは必死に脳内の整頓を試みた。
「あの幼い子供たちにライターをあげたんですか?」
叶絵の咎めるような声に安藤は呻くような声を出す。
「俺だっていつもならあげないよ……あの餓鬼に言われたんだ」
安藤はため息をついて座り込んだ。胡坐をかいて叶絵の、ヤコの、そして薬売りの顔を順に見上げる。
「あの日俺は公園でパン食ってたんだ」
「取材の帰りでさ。三つ入ってるパン、あるだろコンビニで。
ベンチで食いながらたばこ吸ってたらさ、細っこいガキがこっち見てるんだよ。
何気なく一つやったら半分残しやがってさ。弟たちにやるんだ、てさ。
あんなガキがそんなこというもんだから居たたまれなくてな。
別に高いもんでもないし、残りの一個もやるからその半分食えって言ったんだ」
焦げたライターを見ながら安藤はつづける。
「そしたら今度は母ちゃんもやりたいからやっぱり食えねえってぇじゃねえか。
いまどき一杯のかけそばでもあるまいし、もう俺は堪らなくてな。
そんなんいくらでも買ってやるからとにかく食えって言ったんだ。
……けどな、いらないからライターくれってさ。
ストーブが壊れて外から火をつけないと作動しない、家のマッチは全て無くなった、
母親が風邪で動けないから部屋を暖めないといけないのにこんな子供じゃマッチもライターも売ってくれないんだと」
一気に語りつくすと安藤は笑った。
「俺はやったよ。大人のいないとこでは使うなって言ってさ。
それが悪いってのか?ライターやるんじゃなくてストーブ買ってやりゃ良かったって?
それはあの餓鬼たちを踏みにじる行為になるんじゃないのかよ?どっちがいいのか分からなかったよ俺にはさ」
ベンチで食いながらたばこ吸ってたらさ、細っこいガキがこっち見てるんだよ。
何気なく一つやったら半分残しやがってさ。弟たちにやるんだ、てさ。
あんなガキがそんなこというもんだから居たたまれなくてな。
別に高いもんでもないし、残りの一個もやるからその半分食えって言ったんだ」
焦げたライターを見ながら安藤はつづける。
「そしたら今度は母ちゃんもやりたいからやっぱり食えねえってぇじゃねえか。
いまどき一杯のかけそばでもあるまいし、もう俺は堪らなくてな。
そんなんいくらでも買ってやるからとにかく食えって言ったんだ。
……けどな、いらないからライターくれってさ。
ストーブが壊れて外から火をつけないと作動しない、家のマッチは全て無くなった、
母親が風邪で動けないから部屋を暖めないといけないのにこんな子供じゃマッチもライターも売ってくれないんだと」
一気に語りつくすと安藤は笑った。
「俺はやったよ。大人のいないとこでは使うなって言ってさ。
それが悪いってのか?ライターやるんじゃなくてストーブ買ってやりゃ良かったって?
それはあの餓鬼たちを踏みにじる行為になるんじゃないのかよ?どっちがいいのか分からなかったよ俺にはさ」
叶絵は目を伏せていた。ヤコも何を言えばいいのか分からない。
薬売りは―――、退魔の剣に目を落としていた。
「たしかにライター渡したのは俺だよ。けど火事を起こしたのはあいつ等だろう!
それで俺が恨まれてんのか?俺のせいで死んだって?これが『理』とやらか薬売りさんよ?
……早くモノノケとやらを斬ってくれよ!」
一気にまくしたてることで何かのタガが外れたらしい安藤は、いまや薬売りに掴みかからんばかりだ。
「……出来ませんな」
「なんだとう!?」
目を剥く安藤の目の前に薬売りは退魔の剣を突き出す。
退魔の剣の狛犬は先ほどと違いかたりとも動いていなかった。
つまり。
「まだ退魔の剣は『理』を得ていないってことですか」
ヤコが呟くように言うと薬売りは少しだけ笑った。
薬売りは―――、退魔の剣に目を落としていた。
「たしかにライター渡したのは俺だよ。けど火事を起こしたのはあいつ等だろう!
それで俺が恨まれてんのか?俺のせいで死んだって?これが『理』とやらか薬売りさんよ?
……早くモノノケとやらを斬ってくれよ!」
一気にまくしたてることで何かのタガが外れたらしい安藤は、いまや薬売りに掴みかからんばかりだ。
「……出来ませんな」
「なんだとう!?」
目を剥く安藤の目の前に薬売りは退魔の剣を突き出す。
退魔の剣の狛犬は先ほどと違いかたりとも動いていなかった。
つまり。
「まだ退魔の剣は『理』を得ていないってことですか」
ヤコが呟くように言うと薬売りは少しだけ笑った。
理。コトワリとは心の有り様なのだという。
ならばカマイタチの理は一体どこにあるのだろう。
ヤコは再び考えを巡らせる。退魔の剣に理を示すには安藤の話ではまだ足りないらしい。
それとも、もう条件は揃っているのだろうか。
ならばカマイタチの理は一体どこにあるのだろう。
ヤコは再び考えを巡らせる。退魔の剣に理を示すには安藤の話ではまだ足りないらしい。
それとも、もう条件は揃っているのだろうか。
いつもヤコを事件に巻き込む魔人に心を読み解くのはヤコの領域だと言われたことがある。
たしかに魔人の言葉通り色々な事件と出会い色々な人と出会って、ヤコは様々な心に触れてきた。
それは彼らの『理』だったのだとは言えないだろうか。
だからヤコには分かるはずだ。カマイタチの―――、子供たちの心の有り様が。
たしかに魔人の言葉通り色々な事件と出会い色々な人と出会って、ヤコは様々な心に触れてきた。
それは彼らの『理』だったのだとは言えないだろうか。
だからヤコには分かるはずだ。カマイタチの―――、子供たちの心の有り様が。
「そもそも、なぜ安藤さんはあの記事を書いたのでしょう?」
ヤコは首をかしげて安藤を見た。先ほどからずっと気になっていたことだ。
なぜ本当は事故であった火事を安藤は心中と断定したのか。
「確か安藤さんの記事が最初にすっぱ抜いたんですよね?
それで生活保護などの行政問題までうまく展開してありました。
結構話題になったので私も知っています。―――けど、」
「ななんだよ何が言いたい姉ちゃん」
安藤はよろりと立ち上がり後ずさる。
「さっきの話だと安藤さんが子供にライターを渡したんですよね?
他の記者ならともかく、何故安藤さんは子供の火遊びや事故を疑わなかったんですか?」
じっと見つめるヤコの目に気おされてか、あるいは冷たい叶絵の目や静かすぎる薬売りの目にひるんだか、
安藤は後ずさりながらふすまに手をかける。
「なんでってそりゃあ」
へらりと。
ヤコの目を見て安藤は笑った。
「可哀想だろ、そっちの方がさ」
かた、と退魔の剣が小さく動いた。
ヤコは首をかしげて安藤を見た。先ほどからずっと気になっていたことだ。
なぜ本当は事故であった火事を安藤は心中と断定したのか。
「確か安藤さんの記事が最初にすっぱ抜いたんですよね?
それで生活保護などの行政問題までうまく展開してありました。
結構話題になったので私も知っています。―――けど、」
「ななんだよ何が言いたい姉ちゃん」
安藤はよろりと立ち上がり後ずさる。
「さっきの話だと安藤さんが子供にライターを渡したんですよね?
他の記者ならともかく、何故安藤さんは子供の火遊びや事故を疑わなかったんですか?」
じっと見つめるヤコの目に気おされてか、あるいは冷たい叶絵の目や静かすぎる薬売りの目にひるんだか、
安藤は後ずさりながらふすまに手をかける。
「なんでってそりゃあ」
へらりと。
ヤコの目を見て安藤は笑った。
「可哀想だろ、そっちの方がさ」
かた、と退魔の剣が小さく動いた。
「―――え?」
「貧乏な親子が死んだってことにゃ変わりがないんだ。
だったら理由は可哀想な方がいいだろ?どうせ真相なんて誰にも分からねえんだ。
母親が子供たちに覆いかぶさってたってのは間違いないし、なら心中かもしれないじゃないか。
本当は誰のせいで火事が起きたのかとかはどうでもいいんだよ。皆わからないんだから」
「あ、あなたは何を言って」
「だからちょっとくらい俺の役に立ってもらってもいいじゃないか。
現にあの記事を俺が書いたおかげで行政批判が高まって母子家庭への保護が厚くなりそうじゃないか。
評価されて俺も喜ぶ、カワイソウな記事が読めて読者も喜ぶ、
これで貧乏家庭への生活保護がましになりゃああの母子も喜ぶだろうよ。
―――皆万々歳じゃないかなにが悪い!」
叫ぶと同時にふすまを開けた安藤はそのまま崩れ落ちた。
「貧乏な親子が死んだってことにゃ変わりがないんだ。
だったら理由は可哀想な方がいいだろ?どうせ真相なんて誰にも分からねえんだ。
母親が子供たちに覆いかぶさってたってのは間違いないし、なら心中かもしれないじゃないか。
本当は誰のせいで火事が起きたのかとかはどうでもいいんだよ。皆わからないんだから」
「あ、あなたは何を言って」
「だからちょっとくらい俺の役に立ってもらってもいいじゃないか。
現にあの記事を俺が書いたおかげで行政批判が高まって母子家庭への保護が厚くなりそうじゃないか。
評価されて俺も喜ぶ、カワイソウな記事が読めて読者も喜ぶ、
これで貧乏家庭への生活保護がましになりゃああの母子も喜ぶだろうよ。
―――皆万々歳じゃないかなにが悪い!」
叫ぶと同時にふすまを開けた安藤はそのまま崩れ落ちた。
再び手をひと振りしてふすまを閉じた薬売りは、今度は印を解かずにふすまを睨みつけている。
カマイタチの力は先ほどより増しているのかもしれない。
たいしてこちらの退魔の剣はいまだに解放されていない。
ふすまに向かってじっと印を結んでいる薬売りをヤコは見る。
心持ち顔が青い気がするのは力が入っているのかそれとも押されているのか。
いずれにしても残りはヤコ達三人だった。このままでは三人とも斬られて死ぬだけだ。
怖くないといえば嘘になるが薬売りがこうして闘っている以上、
ヤコもできることをしなくてはならない。
カマイタチの力は先ほどより増しているのかもしれない。
たいしてこちらの退魔の剣はいまだに解放されていない。
ふすまに向かってじっと印を結んでいる薬売りをヤコは見る。
心持ち顔が青い気がするのは力が入っているのかそれとも押されているのか。
いずれにしても残りはヤコ達三人だった。このままでは三人とも斬られて死ぬだけだ。
怖くないといえば嘘になるが薬売りがこうして闘っている以上、
ヤコもできることをしなくてはならない。
ヤコは事件を反芻する。安藤の新聞記事くらいでしか知らないけれど、そこに何かがあるはずだ。
わずかに退魔の剣が動いているところをみると、先ほどの安藤の発言はモノノケの理の一端に触れている。
風邪で寝込んでいたという母親。
母親のためにライターを手に入れた子供たち。
きっと火遊びではないのだろう。火付きの悪いストーブに火をつけようとしてしくじったのか。
母親は動けないはずだから、子供たち―――きっと長男だ。
火事になり逃げようとしたものの煙に巻かれて母子は命を落とした。
母親は今際の際にせめて子供たちを救おうと覆いかぶさっていたという。
そして、子供たちは火をつけてしまった後悔からモノノケになった―――なんだかしっくりいかない。
わずかに退魔の剣が動いているところをみると、先ほどの安藤の発言はモノノケの理の一端に触れている。
風邪で寝込んでいたという母親。
母親のためにライターを手に入れた子供たち。
きっと火遊びではないのだろう。火付きの悪いストーブに火をつけようとしてしくじったのか。
母親は動けないはずだから、子供たち―――きっと長男だ。
火事になり逃げようとしたものの煙に巻かれて母子は命を落とした。
母親は今際の際にせめて子供たちを救おうと覆いかぶさっていたという。
そして、子供たちは火をつけてしまった後悔からモノノケになった―――なんだかしっくりいかない。
母親は動かない体を無理に動かして子供たちを庇ったという。火事場の何とかというやつだろう。
しかし己を含め子供たちは命を落とした。母親の思いも相当残っていてもおかしくなさそうだ。
なのにモノノケになったのは母親ではなく子供たち。いったい何故なのだろう。
体を引きずってまで子供たちを庇ったという母親の思いはどこに行った?子供たちの思いはなぜこんなにも強い?
しかし己を含め子供たちは命を落とした。母親の思いも相当残っていてもおかしくなさそうだ。
なのにモノノケになったのは母親ではなく子供たち。いったい何故なのだろう。
体を引きずってまで子供たちを庇ったという母親の思いはどこに行った?子供たちの思いはなぜこんなにも強い?
これでは反対だ。
そうだ。
「―――反対なんだ」
ヤコの呟きに退魔の剣は震えを増す。……間違っていないようだ。
「お母さんが子供たちを庇ったんじゃない、子供たちがお母さんを背負おうとしていたんだ」
あと少しで退魔の剣に『理』を示せると思ったその時、ふすまが開いた。
風が部屋に渦巻き、薬売りは印を変えヤコと叶絵の前に立つ。
ヤコと叶絵は互いを庇ったがしかし、それはすべてを切り裂く刃ではなく様々な記憶に満ちた風だった。
そうだ。
「―――反対なんだ」
ヤコの呟きに退魔の剣は震えを増す。……間違っていないようだ。
「お母さんが子供たちを庇ったんじゃない、子供たちがお母さんを背負おうとしていたんだ」
あと少しで退魔の剣に『理』を示せると思ったその時、ふすまが開いた。
風が部屋に渦巻き、薬売りは印を変えヤコと叶絵の前に立つ。
ヤコと叶絵は互いを庇ったがしかし、それはすべてを切り裂く刃ではなく様々な記憶に満ちた風だった。
彼は母がとても好きだった。
たとえ貧しくても母は必死に働いて彼と弟妹を養ってくれた。
明るく優しく賢い母が、彼は本当に好きだった。
だからあの日、母が高熱で寝込んだあの日、彼はとても己をふがいなく思った。
寝ていれば治るわよ、と咳きこみながら笑う母はがたがたと震えていて、
自分たちは服を着込めば暖房がなくても我慢できたけど、
母だけは、真っ蒼な顔をして震えている母にだけは暖かい部屋が必要だった。
暖かい部屋さえあれば母も治癒してまた皆幸せに暮らせるはずだった。
たとえ貧しくても母は必死に働いて彼と弟妹を養ってくれた。
明るく優しく賢い母が、彼は本当に好きだった。
だからあの日、母が高熱で寝込んだあの日、彼はとても己をふがいなく思った。
寝ていれば治るわよ、と咳きこみながら笑う母はがたがたと震えていて、
自分たちは服を着込めば暖房がなくても我慢できたけど、
母だけは、真っ蒼な顔をして震えている母にだけは暖かい部屋が必要だった。
暖かい部屋さえあれば母も治癒してまた皆幸せに暮らせるはずだった。
しかし。
彼はあまりに幼すぎた。
彼がライターを扱うのが生まれてはじめてだったとか。
弟が母を暖めるために引っ張り出してきた子供用の布団や毛布がストーブの傍に置いてあったとか。
妹が自分も何か役に立ちたくておぼつかない足で彼に近寄り、転んだ拍子に彼のライターを叩き落としたとか。
そんなことは些細な問題で、彼がもう少し大きければ容易に解決できるはずだった。
彼はあまりに幼すぎた。
彼がライターを扱うのが生まれてはじめてだったとか。
弟が母を暖めるために引っ張り出してきた子供用の布団や毛布がストーブの傍に置いてあったとか。
妹が自分も何か役に立ちたくておぼつかない足で彼に近寄り、転んだ拍子に彼のライターを叩き落としたとか。
そんなことは些細な問題で、彼がもう少し大きければ容易に解決できるはずだった。
火が床を舐めた時も彼はうろたえてしまった。
泣き出す弟と妹を、そして煙に咳きこむ母を見て彼のとった行動は「逃げる」だった。
隣近所に助けを求めてもすぐに助けてくれるか分からなかったし、自分で消火できると思えなかった。
だから、弟妹を先に逃がして彼は母を背負って逃げることにした。
―――もう少し彼が大きければそれで正解だったにちがいない。
けれど。
彼は幼かったのだ。
泣き出す弟と妹を、そして煙に咳きこむ母を見て彼のとった行動は「逃げる」だった。
隣近所に助けを求めてもすぐに助けてくれるか分からなかったし、自分で消火できると思えなかった。
だから、弟妹を先に逃がして彼は母を背負って逃げることにした。
―――もう少し彼が大きければそれで正解だったにちがいない。
けれど。
彼は幼かったのだ。
例え小柄な母といえど、大人の肉体は彼には重すぎた。
意識のない人間がより重く感じるというのもあるかもしれない。
先に逃がしたはずの弟妹が泣きながら母の手足を担ぎ出した時も、彼は再び先に行けとは言えなかった。
母を助けたいのは彼だけではないと思ったからだ。
こうして、彼は過ちをもう一つ犯した。
意識のない人間がより重く感じるというのもあるかもしれない。
先に逃がしたはずの弟妹が泣きながら母の手足を担ぎ出した時も、彼は再び先に行けとは言えなかった。
母を助けたいのは彼だけではないと思ったからだ。
こうして、彼は過ちをもう一つ犯した。
彼の記憶が、思いがヤコの脳内に流れ込んでくる。
叶絵を見ると涙を流していた。叶絵も彼の記憶を見ているらしい。
部屋に渦巻く轟々たる風が彼の記憶を見せているのだろう。
「ヤコ、この子たちどうにかならないのかなあ」
泣きながら叶絵が言った。
「薬売りさん、この子たちを本当に斬らないといけないんですか?
こんな目に逢って、こんな思いして、その上斬られないといけないんですか?」
「モノノケは、斬らねばならぬ」
縋るような叶絵に、静かに薬売りが言う。
「そんな……ヤコ!ねえ!」
叶絵は優しいのだ、とヤコは思った。
色々な事件と遭遇してきたヤコは叶絵の言葉に頷くことはできなかった。
どんなに辛くても苦しくても悲しくても酷くても、
その道を選ぶしかない場合があることをヤコは知っている。
あの歌姫や電人、その他多くの人たちのように。
叶絵を見ると涙を流していた。叶絵も彼の記憶を見ているらしい。
部屋に渦巻く轟々たる風が彼の記憶を見せているのだろう。
「ヤコ、この子たちどうにかならないのかなあ」
泣きながら叶絵が言った。
「薬売りさん、この子たちを本当に斬らないといけないんですか?
こんな目に逢って、こんな思いして、その上斬られないといけないんですか?」
「モノノケは、斬らねばならぬ」
縋るような叶絵に、静かに薬売りが言う。
「そんな……ヤコ!ねえ!」
叶絵は優しいのだ、とヤコは思った。
色々な事件と遭遇してきたヤコは叶絵の言葉に頷くことはできなかった。
どんなに辛くても苦しくても悲しくても酷くても、
その道を選ぶしかない場合があることをヤコは知っている。
あの歌姫や電人、その他多くの人たちのように。
「いい、あたしが助ける」
ヤコが答えないのを見て叶絵は立ち上がった。
「叶絵!薬売りさんから離れちゃだめだよ!」
「大丈夫。きっとわかってくれる」
「叶絵さん。モノノケは分かってくれませんよ」
印を結んだまま振り返らずに薬売りが言う。
きっと薬売りが結界を張っているおかげでヤコも叶絵も無事なのだ。その結界から出れば結果は明白だ。
「叶絵、座ろうよ」
「……ヤコ、イケメンに名前覚えてもらったわ、やったあ」
叶絵はふわりと笑うと周囲を渦巻いている風に目を向け一歩踏み出した。
「ねえ!あなたたちもうこんな―――」
ヤコが叶絵の腕を引き戻すより早く。
白い喉を一文字に斬り裂かれ、叶絵の体は崩れ落ちた。
ヤコが答えないのを見て叶絵は立ち上がった。
「叶絵!薬売りさんから離れちゃだめだよ!」
「大丈夫。きっとわかってくれる」
「叶絵さん。モノノケは分かってくれませんよ」
印を結んだまま振り返らずに薬売りが言う。
きっと薬売りが結界を張っているおかげでヤコも叶絵も無事なのだ。その結界から出れば結果は明白だ。
「叶絵、座ろうよ」
「……ヤコ、イケメンに名前覚えてもらったわ、やったあ」
叶絵はふわりと笑うと周囲を渦巻いている風に目を向け一歩踏み出した。
「ねえ!あなたたちもうこんな―――」
ヤコが叶絵の腕を引き戻すより早く。
白い喉を一文字に斬り裂かれ、叶絵の体は崩れ落ちた。
目からこぼれおちる涙が、何故出ているのかヤコにはよくわからなかった。
カマイタチの記憶を見たからか。
叶絵が斬られるのを助けられなかったからか。
モノノケへの恐怖からか。
叶絵の体を抱きしめて、ヤコは変わらず前を睨みながら印を結んでいる薬売りを見る。
「薬売りさん。カマイタチはただ後悔からモノノケになったんじゃないと思います。
きっと……、自分たちが悪いのに心中しただなんてお母さんが悪く言われるのが悲しかったんだ」
かちん。
退魔の剣の狛犬もどきが三回目の歯を鳴らした。その瞬間、剣はひかりを帯びて震えだす。
「斬ってください、モノノケを」
「―――承知」
振り返らずに少し笑った後、薬売りは退魔の剣を突き出した。
「モノノケの『形』と『真』と『理』をもって―――解き、放つ!」
カマイタチの記憶を見たからか。
叶絵が斬られるのを助けられなかったからか。
モノノケへの恐怖からか。
叶絵の体を抱きしめて、ヤコは変わらず前を睨みながら印を結んでいる薬売りを見る。
「薬売りさん。カマイタチはただ後悔からモノノケになったんじゃないと思います。
きっと……、自分たちが悪いのに心中しただなんてお母さんが悪く言われるのが悲しかったんだ」
かちん。
退魔の剣の狛犬もどきが三回目の歯を鳴らした。その瞬間、剣はひかりを帯びて震えだす。
「斬ってください、モノノケを」
「―――承知」
振り返らずに少し笑った後、薬売りは退魔の剣を突き出した。
「モノノケの『形』と『真』と『理』をもって―――解き、放つ!」
退魔の剣は抜いた瞬間にはるかに大きな光の剣になる。
そしてヤコの前に有った薬売りの背が沈み、服をのこして姿が消えた。
「く、薬売りさん?」
事態を把握できないヤコが振り返るとそこには見知らぬ青年立っていた。
褐色の肌。金の隈取り金の和装。
たなびく灰の髪と顔立ちだけが薬売りの面影を伝えている。
その青年は渦巻く風に剣を突き立てそのまま部屋を一周した。
斬られた風は端から消滅し、遂にはすべて消滅する。
最後の瞬間、確かにヤコは子供たちの声を聞いた。
そしてヤコの前に有った薬売りの背が沈み、服をのこして姿が消えた。
「く、薬売りさん?」
事態を把握できないヤコが振り返るとそこには見知らぬ青年立っていた。
褐色の肌。金の隈取り金の和装。
たなびく灰の髪と顔立ちだけが薬売りの面影を伝えている。
その青年は渦巻く風に剣を突き立てそのまま部屋を一周した。
斬られた風は端から消滅し、遂にはすべて消滅する。
最後の瞬間、確かにヤコは子供たちの声を聞いた。
―――おかあさん。
「結局イケメンと仲良くなれなかったわ」
目を覚ました叶絵たちは何も覚えていなかった。
誰も喉を切られていなかったし薬売りも金色のスーパー薬売りではなく元の通りなので、
カマイタチの存在を思い出させるものは何もない。
宿を離れる間際、叶絵はヤコに愚痴をこぼす。
「せめてアドレスくらいは聞きたいわよね―――あ、薬売りさん」
淡々と帰り支度を進めていた薬売りを目ざとく叶絵が呼び止める。
「私たちもう一度薬売りさんに会いたいねーなんて話してたんですけど」
何故かヤコの腕を掴んで叶絵が言う。
「モノノケが――――出るならば」
薬売りはふわりと笑うとそのまま立ち去った。
「や、ヤコ……相変わらず言ってることはよく解らないけれど笑った!
薬売りさんが笑ったわ脈ありよねこれ!?」
叶絵が何故かヤコの首絞めて揺さぶる。
意識が飛ぶ寸前にしかしヤコは薬売りの言葉を理解した。
目を覚ました叶絵たちは何も覚えていなかった。
誰も喉を切られていなかったし薬売りも金色のスーパー薬売りではなく元の通りなので、
カマイタチの存在を思い出させるものは何もない。
宿を離れる間際、叶絵はヤコに愚痴をこぼす。
「せめてアドレスくらいは聞きたいわよね―――あ、薬売りさん」
淡々と帰り支度を進めていた薬売りを目ざとく叶絵が呼び止める。
「私たちもう一度薬売りさんに会いたいねーなんて話してたんですけど」
何故かヤコの腕を掴んで叶絵が言う。
「モノノケが――――出るならば」
薬売りはふわりと笑うとそのまま立ち去った。
「や、ヤコ……相変わらず言ってることはよく解らないけれど笑った!
薬売りさんが笑ったわ脈ありよねこれ!?」
叶絵が何故かヤコの首絞めて揺さぶる。
意識が飛ぶ寸前にしかしヤコは薬売りの言葉を理解した。
物の怪の『形』を為すのは、人の因果と縁。
そして物の怪は斬らねばならぬ。
ならば、人の因果と縁が満ちるところに薬売りは現れるのだ。
そして物の怪は斬らねばならぬ。
ならば、人の因果と縁が満ちるところに薬売りは現れるのだ。
妙な因果と縁にやたらと恵まれていることにかけては、ヤコにはちょっと自信があった。
≪了≫