ドイルたちの出番は番組内の『町のソムリエ』という1コーナーだ。役割自体は至って
単純で、番組側が用意した最高級のロマネコンティを試飲して一言感想を述べるだけ。知
識も経験も要求されず、はっきりいって玄人である必要はない。おそらくプロデューサー
は元々五人にソムリエとしての力量はさほど期待しておらず、人間離れした肉体を誇る男
五人がワインについて熱く語るという珍奇な絵が欲しかっただけなのだろう。
無難にこなせば大過なく終わらすことができる仕事ではある。が、彼らの辞書に『無難』
の二文字はない。
大成功か、大惨事か、二つに一つ。
そうこうするうちに本番が始まった。
「皆様お待ちかね、『町のソムリエ』のコーナーです。今日は生放送ということで、新宿
区に在住のしけい荘の方々にお越し頂きました。それではどうぞっ!」
拍手と喝采が飛び交う中、五人並んでスタジオに入るドイルたち。軍隊のような一糸乱
れぬ行進ながら、右手と右足、左手と左足が同時に出ている。
「今日はお招きできませんでしたが、しけい荘の大家さんはなんと、資格を取得している
れっきとしたソムリエなのです。そしてこの方々は普段から大家さんよりワインの講義を
受けており、本日はロマネコンティの批評を行って頂きます!」
五つのグラスに一口ずつロマネコンティが注がれる。おそらくこの一口でも単純計算す
れば数千円の価値がある。
ドイル、シコルスキー、ドリアン、スペック、柳。五者五様に表情が歪む。目蓋が痙攣
し、口元がひきつり、歯は小刻みに震える。
だがもう逃げるわけにはいかない。
司会者に呼ばれ、まず柳がグラスを手に取った。
単純で、番組側が用意した最高級のロマネコンティを試飲して一言感想を述べるだけ。知
識も経験も要求されず、はっきりいって玄人である必要はない。おそらくプロデューサー
は元々五人にソムリエとしての力量はさほど期待しておらず、人間離れした肉体を誇る男
五人がワインについて熱く語るという珍奇な絵が欲しかっただけなのだろう。
無難にこなせば大過なく終わらすことができる仕事ではある。が、彼らの辞書に『無難』
の二文字はない。
大成功か、大惨事か、二つに一つ。
そうこうするうちに本番が始まった。
「皆様お待ちかね、『町のソムリエ』のコーナーです。今日は生放送ということで、新宿
区に在住のしけい荘の方々にお越し頂きました。それではどうぞっ!」
拍手と喝采が飛び交う中、五人並んでスタジオに入るドイルたち。軍隊のような一糸乱
れぬ行進ながら、右手と右足、左手と左足が同時に出ている。
「今日はお招きできませんでしたが、しけい荘の大家さんはなんと、資格を取得している
れっきとしたソムリエなのです。そしてこの方々は普段から大家さんよりワインの講義を
受けており、本日はロマネコンティの批評を行って頂きます!」
五つのグラスに一口ずつロマネコンティが注がれる。おそらくこの一口でも単純計算す
れば数千円の価値がある。
ドイル、シコルスキー、ドリアン、スペック、柳。五者五様に表情が歪む。目蓋が痙攣
し、口元がひきつり、歯は小刻みに震える。
だがもう逃げるわけにはいかない。
司会者に呼ばれ、まず柳がグラスを手に取った。
ためらいなく世界最高峰の葡萄酒を口の中に放り込む柳。あとは『ソムリエらしく』批
評をするだけ、なのだが。
味が──緊張が舌を殺した──分からない。
噴き出す汗。いくら舌とワインを戯れさせても、舌は「無味」といいはる。圧倒的な絶
望が柳を押し潰しにかかる。
「さぁ、どうでしょうか、柳さん?」
「いや、えぇ、そうですなぁ」
「やはり普通のワインとは違うものでしょうか?」
普通のワインですらこの一週間で初めて飲んだのだから、味が感じられないのに違いな
ど分かるわけがない。絶体絶命。追い詰められた柳の思考が、サツマイモ色に変貌する。
「これは……猛毒ですな」
場が凍った。
「少し吸い込んだだけで肺胞が腐り落ちそうになる不快な刺激臭……まるで強酸をプール
に満たしたような凶悪さ。味もまた凄い。舌に触れた瞬間、強烈な苦味に襲われ、生きる
気力を根こそぎ奪います。さらに飲み込んだはいいが、これがまた私の喉と食道と胃をど
す黒く焦がし、もはや私の命は風前の灯。この酒をお造りになった方は紛れもない殺人経
験者……それも一人や二人ではない。おそらくは百を超える人間を殺傷し、屍の山に屍の
山を築き、夥しい殺戮の果てに完成したのがこのロマネコンティです」
鬼気迫る柳の表情に会場はおろか、仲間たちですら声一つ出せない。
一秒、二秒、三秒。
「あ、ありがとうございました! つまりそれだけ美味しかったということですね?」
「いえ、実は全く味はしませんでした」
「ありがとうございましたっ!」
評をするだけ、なのだが。
味が──緊張が舌を殺した──分からない。
噴き出す汗。いくら舌とワインを戯れさせても、舌は「無味」といいはる。圧倒的な絶
望が柳を押し潰しにかかる。
「さぁ、どうでしょうか、柳さん?」
「いや、えぇ、そうですなぁ」
「やはり普通のワインとは違うものでしょうか?」
普通のワインですらこの一週間で初めて飲んだのだから、味が感じられないのに違いな
ど分かるわけがない。絶体絶命。追い詰められた柳の思考が、サツマイモ色に変貌する。
「これは……猛毒ですな」
場が凍った。
「少し吸い込んだだけで肺胞が腐り落ちそうになる不快な刺激臭……まるで強酸をプール
に満たしたような凶悪さ。味もまた凄い。舌に触れた瞬間、強烈な苦味に襲われ、生きる
気力を根こそぎ奪います。さらに飲み込んだはいいが、これがまた私の喉と食道と胃をど
す黒く焦がし、もはや私の命は風前の灯。この酒をお造りになった方は紛れもない殺人経
験者……それも一人や二人ではない。おそらくは百を超える人間を殺傷し、屍の山に屍の
山を築き、夥しい殺戮の果てに完成したのがこのロマネコンティです」
鬼気迫る柳の表情に会場はおろか、仲間たちですら声一つ出せない。
一秒、二秒、三秒。
「あ、ありがとうございました! つまりそれだけ美味しかったということですね?」
「いえ、実は全く味はしませんでした」
「ありがとうございましたっ!」
『猛毒』の異名は伊達ではない。柳の毒舌によってあれだけ盛り上がっていたスタジオ
のムードが一瞬にして崩壊してしまった。
これを立て直すべく、次はシコルスキーが最高級ロマネコンティに挑む。
「ふ……ふしゅ」
独特の息づかいでワインを一息に飲み込むシコルスキー。
「ふしゅる、ふしゅ……ふしゅしゅ……ふ、ふしゅる……」
緊張の度合いが柳の比ではない。眼球の白い部分が赤を通り越して黒になっている。
「シコルスキー、落ち着け! それはウォッカだ、ワインじゃない!」
機転を利かせたドイルの呼びかけに、シコルスキーが正気を取り戻す。
「ふしゅる! そうか……これはウォッカだったのか」
「あぁ、だからいつも通りにしていればいいんだ!」
「………」
シコルスキーにとってのウォッカとは──水道水。
シコルスキーにとってのウォッカとは──塩素、カルキ。
シコルスキーにとってのウォッカとは──錆びた水道管がもたらす酸化鉄の風味。
よって、
「これはウォッカじゃないッ!」
激怒したシコルスキーがグラスを床に叩きつけた。破片が飛び散る。
すかさず柳が空掌で口を塞ぎ、ドリアンが顎を蹴り上げ、ドイルが肘の刃で頸動脈を切
り裂いた。これにて一件落着。
「……あれ、そういえばスペックがいないな」
スペックはどさくさに紛れてスタジオから消えていた。ロマネコンティのボトルと共に。
「ミギャアアアアアッ!」
のムードが一瞬にして崩壊してしまった。
これを立て直すべく、次はシコルスキーが最高級ロマネコンティに挑む。
「ふ……ふしゅ」
独特の息づかいでワインを一息に飲み込むシコルスキー。
「ふしゅる、ふしゅ……ふしゅしゅ……ふ、ふしゅる……」
緊張の度合いが柳の比ではない。眼球の白い部分が赤を通り越して黒になっている。
「シコルスキー、落ち着け! それはウォッカだ、ワインじゃない!」
機転を利かせたドイルの呼びかけに、シコルスキーが正気を取り戻す。
「ふしゅる! そうか……これはウォッカだったのか」
「あぁ、だからいつも通りにしていればいいんだ!」
「………」
シコルスキーにとってのウォッカとは──水道水。
シコルスキーにとってのウォッカとは──塩素、カルキ。
シコルスキーにとってのウォッカとは──錆びた水道管がもたらす酸化鉄の風味。
よって、
「これはウォッカじゃないッ!」
激怒したシコルスキーがグラスを床に叩きつけた。破片が飛び散る。
すかさず柳が空掌で口を塞ぎ、ドリアンが顎を蹴り上げ、ドイルが肘の刃で頸動脈を切
り裂いた。これにて一件落着。
「……あれ、そういえばスペックがいないな」
スペックはどさくさに紛れてスタジオから消えていた。ロマネコンティのボトルと共に。
「ミギャアアアアアッ!」
どうやらスペックはロマネコンティ以外の高級ワインもほとんど持ち去ったらしい。会
場は騒然。もはや番組は成り立つはずもなく、手品や売名どころではない。
糸が切れたように、がくんと膝をつくドイル。
「せっかく掴んだチャンスだったのに……もう終わりだ……」
「いや、まだ手は残されている」
「なんだと?」
「催眠術だ」
怪しげな演武を始めるドリアン。しかし、この混乱を収めるには、出演者、観客、スタ
ッフを含む大多数を術にかけねばならない。
「……アンタの実力は認めるが、この人数に催眠術をかけるのは不可能だ!」
「いや、かけるのは三人で十分だ」
「三人?」
「君と柳、そして私だ」
ドリアンが両手を叩いた。
場は騒然。もはや番組は成り立つはずもなく、手品や売名どころではない。
糸が切れたように、がくんと膝をつくドイル。
「せっかく掴んだチャンスだったのに……もう終わりだ……」
「いや、まだ手は残されている」
「なんだと?」
「催眠術だ」
怪しげな演武を始めるドリアン。しかし、この混乱を収めるには、出演者、観客、スタ
ッフを含む大多数を術にかけねばならない。
「……アンタの実力は認めるが、この人数に催眠術をかけるのは不可能だ!」
「いや、かけるのは三人で十分だ」
「三人?」
「君と柳、そして私だ」
ドリアンが両手を叩いた。
──さらば、現実。
この瞬間から、番組におけるドイルの記憶ははっきりしない。
ドリアンと柳と腕を組んで、楽しく踊ったような気がする。スペックに持ち去られなか
ったワインをたくさん飲んだような気がする。青ざめた観客が悲鳴を上げていたような気
がする。警備員がスタジオに突入してきたが、全員返り討ちにしたような気がする。シコ
ルスキーが一人寂しく救急車で運ばれていったような気がする。
催眠術に酔いが加わり、精神は更なる制御不能に陥る。
途中、怒りに満ちたオリバがどこからともなくスタジオに乱入してきたような気がする。
巨大な鉄拳が飛んできたような気がする。
以降は不明。
ドリアンと柳と腕を組んで、楽しく踊ったような気がする。スペックに持ち去られなか
ったワインをたくさん飲んだような気がする。青ざめた観客が悲鳴を上げていたような気
がする。警備員がスタジオに突入してきたが、全員返り討ちにしたような気がする。シコ
ルスキーが一人寂しく救急車で運ばれていったような気がする。
催眠術に酔いが加わり、精神は更なる制御不能に陥る。
途中、怒りに満ちたオリバがどこからともなくスタジオに乱入してきたような気がする。
巨大な鉄拳が飛んできたような気がする。
以降は不明。