株式会社クードー。日本最大手の暗器メーカー。
元々は「空道」という闇武術の使い手が副業として暗器の精製、販売を行っていたこと
に由来する。それを現取締役社長である国松が本格的に企業として立ち上げ、事業所を海
外にも展開し、近年では年商百億円を超えるほど。彼自身が空道の達人であることはいう
までもない。
しかし、今クードーには国松をも上回る猛者があった。
製品開発部統括部長、柳龍光。国松の部下であり弟子でもある柳は、入社するなり社長
との立ち合いを切望し、国松の右腕を奪った。その後は優秀なアイディアマンとして次々
に暗器を企画・開発し、今ではクードーになくてはならない人物となっている。
相手を一瞬で失神させる大ヒット商品『6%未満酸素』、毒の塗られた手袋『毒手グロ
ーブ』、鞭打と同じ機能を持つ『鞭打ロープ』、絞殺専用黒帯『セイケン』、銃を所持す
る相手を騙すための声が録音されている『安全装置は外して』、鉄骨以外ならば何でも斬
れる『名刀』など、彼が携わった製品全てを挙げることは到底できない。
元々は「空道」という闇武術の使い手が副業として暗器の精製、販売を行っていたこと
に由来する。それを現取締役社長である国松が本格的に企業として立ち上げ、事業所を海
外にも展開し、近年では年商百億円を超えるほど。彼自身が空道の達人であることはいう
までもない。
しかし、今クードーには国松をも上回る猛者があった。
製品開発部統括部長、柳龍光。国松の部下であり弟子でもある柳は、入社するなり社長
との立ち合いを切望し、国松の右腕を奪った。その後は優秀なアイディアマンとして次々
に暗器を企画・開発し、今ではクードーになくてはならない人物となっている。
相手を一瞬で失神させる大ヒット商品『6%未満酸素』、毒の塗られた手袋『毒手グロ
ーブ』、鞭打と同じ機能を持つ『鞭打ロープ』、絞殺専用黒帯『セイケン』、銃を所持す
る相手を騙すための声が録音されている『安全装置は外して』、鉄骨以外ならば何でも斬
れる『名刀』など、彼が携わった製品全てを挙げることは到底できない。
広々とした会議室にずらりと並ぶ重役たち。中には国松もいる。
柳による新製品のプレゼンテーション。ここでの成否によって、今日柳が持ち込んだ製
品が世に出るかお蔵入りになるかが決定される。
「ヒァヒァヒァ、柳ィ。さっそくだが始めてもらおうか」
「はい」
柳は風呂敷包みを机の上に置いた。
「本日私が考案する製品はこちらです」
ほどかれた風呂敷から出てきたのはヤカン。口からは湯気まで出ている。ざわつく重役
たち。
柳による新製品のプレゼンテーション。ここでの成否によって、今日柳が持ち込んだ製
品が世に出るかお蔵入りになるかが決定される。
「ヒァヒァヒァ、柳ィ。さっそくだが始めてもらおうか」
「はい」
柳は風呂敷包みを机の上に置いた。
「本日私が考案する製品はこちらです」
ほどかれた風呂敷から出てきたのはヤカン。口からは湯気まで出ている。ざわつく重役
たち。
「ヤカン……?」
「なんだこれは、ただのヤカンじゃないか!」
「柳君、ふざけているのかね」
社の長老連中が猜疑の眼差しを一斉に向ける。だが柳は怯むことなく、この反応は予想
通りだったのか、非常に落ち着いていた。
「あなた方のおっしゃられた通り、これはヤカンです。中にはたっぷりと熱湯が入ってお
り、今すぐにでもお茶を振舞うことだって可能です」
柳がヤカンを手に取って揺らすと、チャポチャポと音がした。
「さて本題に入りましょうか。むろんこれは暗器としての性能を備えております。使い方
は、こうです」
その刹那、柳はヤカンを宙に放り投げた。ヤカンは緩やかに空中で傾きながら、湯をば
ら撒き、そして落ちた。
呆気に取られる面々。
「この瞬間──殺(と)る!」
目を見開き、柳が鋭い突きを空中に放った。拳が空を切る音が会議室中に響く。熱湯が
床に広がる。
「熱湯の入ったヤカン。普通ならば中のお湯を浴びせるとか、あるいは高速で投げつける
などといった使い方を取るでしょう。ですが、そんな使い方では敵も当然予測をしている
でしょうし、容易に対処されてしまいます。
そこで今私が行ったように無造作に相手に放り投げる、すなわちヤカンを“パス”して
やれば敵はまちがいなくほんの一瞬混乱します。ヤカンという日用品を利用して敵の精神
に空白を作り、叩く。これが私が今回新製品として考案する、名づけて“パスヤカン”で
す」
「なんだこれは、ただのヤカンじゃないか!」
「柳君、ふざけているのかね」
社の長老連中が猜疑の眼差しを一斉に向ける。だが柳は怯むことなく、この反応は予想
通りだったのか、非常に落ち着いていた。
「あなた方のおっしゃられた通り、これはヤカンです。中にはたっぷりと熱湯が入ってお
り、今すぐにでもお茶を振舞うことだって可能です」
柳がヤカンを手に取って揺らすと、チャポチャポと音がした。
「さて本題に入りましょうか。むろんこれは暗器としての性能を備えております。使い方
は、こうです」
その刹那、柳はヤカンを宙に放り投げた。ヤカンは緩やかに空中で傾きながら、湯をば
ら撒き、そして落ちた。
呆気に取られる面々。
「この瞬間──殺(と)る!」
目を見開き、柳が鋭い突きを空中に放った。拳が空を切る音が会議室中に響く。熱湯が
床に広がる。
「熱湯の入ったヤカン。普通ならば中のお湯を浴びせるとか、あるいは高速で投げつける
などといった使い方を取るでしょう。ですが、そんな使い方では敵も当然予測をしている
でしょうし、容易に対処されてしまいます。
そこで今私が行ったように無造作に相手に放り投げる、すなわちヤカンを“パス”して
やれば敵はまちがいなくほんの一瞬混乱します。ヤカンという日用品を利用して敵の精神
に空白を作り、叩く。これが私が今回新製品として考案する、名づけて“パスヤカン”で
す」
喚声が上がり、にわかに室内が騒がしくなる。まだ全員、半信半疑といったところ。天
秤を自分側に沈めるには、もう一押し必要だ。
「暗器使いが二度同じ相手と戦うことは殆どありませんが、たとえ再戦することになった
としても、例えば中にお湯ではなく水を入れるなどのフェイントも可能です。
ヤカンはどこの家庭にもある日用品。常日頃から持ち歩いていてもまったく不自然では
ありません。しかも中身を熱湯や冷水、あるいは空にすることで戦略の幅を無限に広げる
ことができます。平時には普通のヤカンとして使えるというのもポイントです。今や携帯
電話ですら多機能多機能と持てはやされる時代、我々のような暗器業界もそうした時流に
乗らなければ生き残ることはできないでしょう。
パスヤカンは必ずや二十一世紀の暗器として、武術史に革命をもたらすことができる!」
最後は敬語を使わず、ストレートに熱意を訴えた。
天秤が傾く。
「ふむ、たしかにな。なかなかに優れた武器かもしれん」
「パスという発想が面白いな」
「私もこれはヒットすると思いますな。社長……どうですかな?」
国松は大麻を丸めただけの煙草をくゆらせながら、焦点が合わぬ目で笑いながらゴーサ
インを出した。
「ヒァッヒァッヒァッ、柳ィ、やってみい」
「ありがとうございます!」
一ヵ月後──。
大量のヤカンが積み上げられた社の倉庫を見て、柳は生娘のように目から涙をこぼして
いた。
秤を自分側に沈めるには、もう一押し必要だ。
「暗器使いが二度同じ相手と戦うことは殆どありませんが、たとえ再戦することになった
としても、例えば中にお湯ではなく水を入れるなどのフェイントも可能です。
ヤカンはどこの家庭にもある日用品。常日頃から持ち歩いていてもまったく不自然では
ありません。しかも中身を熱湯や冷水、あるいは空にすることで戦略の幅を無限に広げる
ことができます。平時には普通のヤカンとして使えるというのもポイントです。今や携帯
電話ですら多機能多機能と持てはやされる時代、我々のような暗器業界もそうした時流に
乗らなければ生き残ることはできないでしょう。
パスヤカンは必ずや二十一世紀の暗器として、武術史に革命をもたらすことができる!」
最後は敬語を使わず、ストレートに熱意を訴えた。
天秤が傾く。
「ふむ、たしかにな。なかなかに優れた武器かもしれん」
「パスという発想が面白いな」
「私もこれはヒットすると思いますな。社長……どうですかな?」
国松は大麻を丸めただけの煙草をくゆらせながら、焦点が合わぬ目で笑いながらゴーサ
インを出した。
「ヒァッヒァッヒァッ、柳ィ、やってみい」
「ありがとうございます!」
一ヵ月後──。
大量のヤカンが積み上げられた社の倉庫を見て、柳は生娘のように目から涙をこぼして
いた。