《EPISODE4:There's a man going around taking names》
――イングランド南部 ウィルトシャー州 ソールズベリーの北西13km地点
「着きましたよ。ここが我が錬金戦団大英帝国支部です」
ジュリアンがにこやかに指し示す光景を前に、三人は驚きのあまり呆然と立ち尽くしている。
「ここがって……。おい、こりゃあ……アレじゃねえか……。何て言ったっけ」
なかなかその名称が出て来ない火渡に代わって、千歳がそれを引き受けるように呟く。
「ストーンヘンジ……」
眼前に展開された荘厳かつ奇妙な風景に、三人は圧倒されたままでいた。
円を描くように配置された4、5m程の立石の群れ。
その中心に築かれた巨大な門を思わせる五つの組石。
そして、それ以外には何も無く、只々草原が広がるばかりだ。
“ストーンヘンジ”
紀元前3000年から2500年辺りに造られたという、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。
しかし、誰が、何の為に、どうやって造ったかは未だに解明されていない。
「こんな所に戦団の本拠地が……? だが見たところ何も無いようだが……」
意外というにはあまりにも意外な場所に連れてこられ、しかも建物らしき物も入り口らしき物も無い。
防人はただ困惑しながら周りを見回している。
「ていうか、何でこんな目立つ所にあるんだよ。秘密結社も糞もあったもんじゃねえ」
驚きからいち早く立ち直った火渡の無粋なツッコミが入った。
小さい頃は、戦隊ヒーロー物を見ても「変身してアホみたいな決めポーズしてる間に襲っちゃえば
いいじゃん、怪人」と嫌なツッコミを入れるガキだったに違いない。
ジュリアンはまたか、とばかりに眉間に皺を寄せて火渡の方を向いた。
何故この日本人は自分を目の仇にするのだろう?
自分は何か失礼な振る舞いを彼にしただろうか?
「僕に言わないでくださいよ。作られたのは何百年も前なんですから……。
でも、おそらくですけど、当時はこんなとこに人なんて来なかったんじゃないでしょうか。
今は観光地ですけど……」
そう言いながら、ジュリアンはストーンヘンジの中へどんどん入っていく。
「ちょ、ちょっとジュリアン君……!」
千歳は慌てて声を掛ける。それも当然だ。
観光地とはいえ、本来ストーンヘンジ内は絶対に立ち入り禁止であり、少し離れた監視所では
警備員が眼を光らせている。
「大丈夫、大丈夫。僕達、戦団関係者は“王立古代遺跡研究機関”のスタッフって事になってますから」
ジュリアンは中央の祭壇状の巨岩の側にしゃがみ込むと、懐から一枚のカードを取り出した。
そしてそのカードを岩のひび割れに近づけると、カードは一瞬吸い込まれ、また出て来た。
どうやらひび割れを模したカードリーダーが巧妙に設置してあるようだ。
地響きのような音を立てて祭壇石の真下の地面が割れ、ひどく古びた階段が姿を現した。
ジュリアンがカードを懐にしまいながら、背後の三人に声を掛ける。
「ここが入り口になっています。さあ、中へどうぞ」
階段を下り切るとそこにはエレベーターがある。
四人がエレベーターに乗り込むと、地面の入り口も自然に閉じていった。
エレベーターのドアが開くと、そこには清潔かつ近代的な作りの戦団基地があった。
ざっと見ても、かなりの広さだ。
「へえ、これはすごいな……」
防人も思わず感嘆の声を上げる。
白とグレーを基調としており、一見、病院やラボラトリーを思わせる雰囲気である。
「ここは地下六階57mまでの深さで、広さは約47000平方mあります。広いでしょ?」
まるで自分の手柄のように鼻高々と説明するジュリアン。
「人手不足なんだろ? 無駄に広いってだけじゃねえか」
またもや無粋なツッコミを入れる火渡。
確かに今のところ、ごくたまに白衣やブラックスーツの戦団員が駆け足で通るくらいだ。
その彼らの表情にも『動く歩道くらい用意せえや』と言わんばかりの疲労の色が見え隠れしている。
「ぐっ……。だ、大戦士長の執務室にご案内します」
防人と千歳に両サイドから肩を殴られている火渡を尻目に、ふくれっ面のジュリアンが
さっさと歩き出した。
ややしばらく基地内を歩いた後、四人は“COMMANDER ROOM”と刻印された
大きめのドアの前に辿り着いた。
ジュリアンはドアを控えめにノックした。
「おう、入んな!」
中からひどく乱暴な口調の蛮声が響く。
「失礼します」
四人全員が室内に入るとジュリアンは背筋を伸ばし、声の調子を改めて報告した。
「ウィンストン大戦士長! ジュリアン・パウエル、只今帰還しました!」
「よう! おかえり、ジュード。お使いご苦労さん、ハハハッ!」
広い室内の、ドアからだいぶ離れたソファに座る大戦士長と思しき人物がひらひらと手を振っている。
親愛の情いっぱいの呼び方に、ジュリアンは拗ねたように頬を膨らませる。
とても最高司令官と末端戦団員のやり取りには見えない。
「その呼び方はやめてください。子供じゃないんですから……。
あっ、お客様がいらっしゃいましたか。す、すみません」
見ると、ウィンストンの真向かいにあるソファに、金髪に褐色の肌の女性が座っていた。
落ち着いた雰囲気や知的な丸眼鏡、それに“男装の麗人”という言葉が浮かんできそうな
スーツ姿のせいか、年齢の想像がつかない。まだ十代後半くらいであろうか。
そして彼女が座るソファの後ろには二人の男が立っていた。まるで護衛(ガード)だと言わんばかりに。
一人は左の眼窩に片眼鏡(モノクル)を掛け、仕立ての良いワイシャツとベストに身を包んだ老紳士。
もう一人は長身痩躯に、まるで静脈血のようにくすんだ赤のコートと帽子を纏った不気味な男。
どちらもソファの女性に仕える身なのだろう。
女性はジュリアンらをチラリと振り返ると、すぐにウィンストンの方に向き直り、丁寧な物腰で言った。
「私達はそろそろ失礼致します……。それでは、ウィンストン卿」
「ああ。気をつけて帰れよ、インテグラ。まあ……お前さんら二人がいりゃあ安心か」
ウィンストンはインテグラと呼んだ女性の背後にいる二人に、悪戯っぽく笑いながら声を掛けた。
老紳士は胸に片手をやりながら深々と頭を下げたが、コートの男は異常に研ぎ澄まされた
鋭い犬歯を見せながら不敵に笑うだけだ。
そして、コートの男は主人であるインテグラを置いたまま踵を返すと、ゆっくりとドアの方に向かった。
しかし、防人が立っているせいで開いたままのドアは30㎝程度の余裕しかない。
「あっ……と、失礼」
だが防人が謝り、道を空けようとした時には、もう男は廊下に出ていた。
「何も、問題無い」
ボソリとした、しかしよく通る低い声。
男の背中を見送りながら、防人はふと違和感を覚えた。
今、自分は確かに身体を退けるタイミングが遅かった。
入り口には人が通る程の余裕は無かった筈だ。
にも関わらずあの男は……。自分にもドアにもぶつからず……。
防人が首を捻っていると不意に声を掛けてくる者がいた。
「失礼。道を空けてほしいのだが……」
我に返ると防人の目の前にはインテグラと従者の老紳士が立っていた。
別段、気分を害している風もない。
「あ……。す、すみません!」
防人は慌てて飛び退いたが“今度は”二人ともたっぷりと余裕のあるドアを通って、
部屋から出て行った。
「さあ、皆さん、中の方へ……。大戦士長、こちらが日本の戦士の方々です」
防人達三人はジュリアンに促されるままに執務室の中央へと歩み寄った。
ウィンストンは三人を迎えるように立ち上がり、両手を広げる。
「ようこそ、錬金戦団大英帝国支部に! 俺が大戦士長のジョン・ウィンストンだ。よろしくな!」
こちらに歩いてくるウィンストンの風貌に三人は開いた口が塞がらない。
明らかにオシャレではなく惰性で伸ばした肩までのロングヘア、鼻に引っ掛けたズリ落ちそうな丸眼鏡、
サイケデリックな模様のよれよれシャツ、あちこち破れたジーンズ。
どう見ても英国紳士というより、アメリカのヒッピーだ。
上級幹部しか着る事を許されない戦団支給の外套も、彼が羽織っていると安物の古着に見えてしまう。
「ホントよく来たなぁ! まあ、まずはゆっくり座ってくれ! 日本の話を聞かせてくれよ!」
ウィンストンはにこやかに笑いながら防人の肩に腕を回したり、火渡の背中をバンバン叩く。
手厚い歓待を受けながら、防人は照星やその他の自分が知る戦団員を思い出し、こう考えていた。
(フ、フツーの人はこの組織にいないのだろうか……)
“いません”という天の声がどこからともなく聞こえてきた。
――北アイルランド ダウン州バンガー モーテル・アクトンベイビー
安モーテルの一室に六人の男がいた。
一人は携帯電話で何やら熱心に喋っていたが、他の五人は咳払い一つ発しようとはしない。
携帯を持った男の低い話し声以外には、テレビのスピーカーからひどく陽気なナレーションが
聴こえるばかりだ。
テレビ画面にはベルファスト市内の高級ホテルが、自信を持ってオススメするディナーが
映し出されている。
しかし、他の五人の男はテレビを観ている訳でも、電話に聞き耳を立てている訳でもない。
五人には首が無かった。
首の無い男達は皆一様に銃を握ったまま、床に倒れ伏している。
切断された頭部はその持ち主の傍に転がっている物もあれば、部屋の入り口付近まで
吹っ飛んでいる物もあった。
そして、部屋の中央には右手に携帯電話を持ち、左手に異様に刀身の長い銃剣を持った“神父”が一人。
銃剣の切っ先からは鮮血が滴り落ち、法衣にも返り血を浴びているが、本人は息を切らすどころか
声の調子も変えずに淡々と話している。
電話口からは通話相手の、物静かで理知的だが癇癖が強そうな響きを持った声が聞こえてきた。
「――ええ、ここも同じでした。“知らない”の一点張りです。やはりマクスウェル、あなたの睨んだ通り……」
『ああ。“化物(フリークス)テロ”を企てているのは、分派したReal IRAから更に分派した集団、と
考えていいだろう』
「となると厄介ですな。あの情報管理局第2課“ヨハネ”でも奴らの居場所を特定出来ないようでは、
あとどれ程の時間がかかるか……。手詰まり、ですかな」
『そうとも限らんぞ、アンデルセン』
「……と言うと」
『ここはひとつ、“呉越同舟”といこうじゃないか』
「ほう」
『ただし、ただの呉越同舟じゃあない。力尽くで無理矢理船を奪い取り、乗員を皆殺しにして、
こちらの欲しい物を頂くんだ』
「ほほう、それはそれは……。で、どうします?」
『ヨハネが錬金戦団のエージェントを何名か特定した。さすがに錬金の戦士までは無理だったようだが……。
それで、だ。その内の一名の電話を傍受したところ、そいつが錬金の戦士を連れて
北アイルランド入りする事が分かった』
「ククク、何とまあ……間抜けなエージェントだ。それで? そいつの名は?」
『ジュリアン・パウエル、錬金戦団情報部門のエージェントだ。詳しい資料はヨハネの機関員に
既に送らせた。追っ付けそちらに届くだろう。フフ……まあ、お前の好きにしろ』
「ええ、そうしますよ……」
『では――』
「ああ、言い遅れましたが……。次期第13課局長就任内定おめでとうございます、
エンリコ・マクスウェル司教」
『ほう、早耳だな。ありがとう、アレクサンド・アンデルセン神父』
「我々、第13課機関員は皆、あなたに期待していますよ。ハインケルや由美子も喜んでいる。
同じ孤児院出身のあなたが要職に就くと知ってね」
『そうか……。現在のヴァチカンの“人道・平和主義”は、カトリックを弱体化させてしまった。
それどころか異教・異端の愚者共を調子付かせる格好の餌にすらなっている。
我々、第13課はもっと攻性の集団であるべきだ。
逆らう者には、微塵の躊躇も無く極大の暴力を持ってして、神の大鉄槌を振り下ろすが如くな』
「……」
『今回の任務でヴァチカン中に知らしめてやる。たとえカトリックに身を置いていようとも、
異端の力を行使し、化物を使役するような背信の徒には苦痛に満ちた神罰が下ると。
それは信徒だろうが、司祭だろうが、司教だろうが、大司教だろうが、法皇猊下だろうが関係無い。
そしてそれを執行するのは神罰の地上代行“イスカリオテ”だという事をな。
お前はその第13課(イスカリオテ)の鬼札(ジョーカー)だ、アンデルセン。この任務、完璧に遂行しろ』
「わかりました」
『聖霊と子の御名において。AMEN――』
「――AMEN」
神父アンデルセンはしばらくの間、無表情で携帯電話を見つめていたが、やがて懐に仕舞い込んだ。
と、同時に、テレビ画面から先程の陽気な声とは正反対の切迫した、ある種ヒステリックさを
感じさせる女性キャスターの声が響いた。
『番組の途中ですが、ここで臨時ニュースです。つい先程、アーマー州アーマー市の警察署内において
襲撃事件が発生した模様です。さっそく現場の様子を伝えてもらいましょう。
現場のリチャード、そちらの様子はどう?』
スタジオの女性キャスターの呼びかけを受けて、精力的な狐を思わせる風貌の現場担当アナウンサーが
映し出された。
彼の背後には警官隊に遠巻きに包囲された警察署が見える。
『はい、こちら現場のリチャード・ソーンバーグです。
我々がここに到着した時には、まだ市民が無秩序に逃げ回っている状態でした。現在はご覧の通り、
警官隊が警察署を包囲しています。警察署内にいた人の話を総合すると、どうやら二人組みの男が
警察署内で突如発砲を始め、警察官や市民を射殺していった模様です。
そして幸運な事に、我々は被害者の単独インタビューにいち早く成功しました。
では、こちらのVTRをどうぞ』
大勢の人間が死んでいるにも関わらず“幸運”という言葉を使うこのアナウンサーも非常識だが、
次に画面に現れた被害女性の喚きたてる内容はその非常識を吹き飛ばす程の“非常識”だった。
頭から血を流し、涙でマスカラが落ちてパンダのような顔になった小太りの女性は
ろれつの回らない口調でこう言った。
『わ、私は留置所の弟に会いに行ってたの。そしたら……そしたら急に二人の男が暴れ出した!
一人は見た事も無いゴツイ銃を撃ちまくってた。警官もそいつらを撃ったわ。でも二人とも銃で
撃たれているのに全然平気な顔をしてたの! ホントよ!』
アンデルセンはテレビの方に振り返ると、眼を剥いて被害女性のパンダ顔を凝視する。
『それにもう一人は警官の身体を紙みたいに引き千切ってたわ! 素手でよ! 嘘じゃないわ!!
この眼で見たのよ! ホントよ! 信じて!!』
VTRは終わり、画面には再びアナウンサーが映し出される。
『――とこのように、この女性を含めた何人かはあまりのショックで強い錯乱状態にあるようです。
未だ署内に立てこもっている犯人からは何の要求もありません。これに対し当局は――』
画面を見つめていたアンデルセンは薄気味悪い笑顔を浮かべ、もう今は映っていない先程の被害女性に諭した。
「あなたの訴えを信じよう。天なる父は真を訴え、縋る者のみを愛する」
そこへ突然、ドスを効かせた怒鳴り声が響いた。
「な、何なんだテメエはァ!」
一人の男が銃を構えて、入り口に立っている。おそらく皆殺しにされたこの部屋のテロリストの仲間だろう。
食料の調達にでも出ていたのだろうか、足元には缶詰やパンの入った紙袋が落ちている。
アンデルセンはテレビから眼を離さず、男の方を見向きもしない。
「こ、これはッ……! テメエがやったのか!? テメエ、何者だあ!?」
ここで初めてアンデルセンが男の方へ振り返った。しかし、見ているのは部屋の入り口であり、
男そのものの事はさして意識していない。
アンデルセンはゆっくりと歩を進め始めた。
「クソッ! くたばりやがれ!」
男は銃の引き金を引き、銃口からは轟音と火花が撒き散らされた。二度、三度、四度と。
だがアンデルセンは涼しい顔をして歩いている。銃弾は何発も彼に命中しているというのに。
「な、な……な……」
既に銃弾は尽きたというのに男は引き金を引き続けていた。
驚愕の表情を顔に貼り付けたまま震える手で銃を構える男に、歩みを止めないアンデルセンが迫る。
視線は入り口の方へ注がれたままで。
「邪魔だ」
アンデルセンが銃剣を横薙ぎに一閃させると、くぐもった短い悲鳴と共に男の頭部が床に転がった。
「せいぜい派手に踊るがいい、化物共(フリークス)。私がそこに征くまでの短い余生を存分に楽しむ事だ。
クククッ……。パンにはパンを(フレブ・ザ・フレブ)。血には血を(クロフ・ザ・クロフ)。
生と死を弄ぶ貴様らには、この私が地獄の死を与えてやる」
――イングランド南部 ウィルトシャー州 ソールズベリーの北西13km地点
「着きましたよ。ここが我が錬金戦団大英帝国支部です」
ジュリアンがにこやかに指し示す光景を前に、三人は驚きのあまり呆然と立ち尽くしている。
「ここがって……。おい、こりゃあ……アレじゃねえか……。何て言ったっけ」
なかなかその名称が出て来ない火渡に代わって、千歳がそれを引き受けるように呟く。
「ストーンヘンジ……」
眼前に展開された荘厳かつ奇妙な風景に、三人は圧倒されたままでいた。
円を描くように配置された4、5m程の立石の群れ。
その中心に築かれた巨大な門を思わせる五つの組石。
そして、それ以外には何も無く、只々草原が広がるばかりだ。
“ストーンヘンジ”
紀元前3000年から2500年辺りに造られたという、世界で最も有名な先史時代の遺跡である。
しかし、誰が、何の為に、どうやって造ったかは未だに解明されていない。
「こんな所に戦団の本拠地が……? だが見たところ何も無いようだが……」
意外というにはあまりにも意外な場所に連れてこられ、しかも建物らしき物も入り口らしき物も無い。
防人はただ困惑しながら周りを見回している。
「ていうか、何でこんな目立つ所にあるんだよ。秘密結社も糞もあったもんじゃねえ」
驚きからいち早く立ち直った火渡の無粋なツッコミが入った。
小さい頃は、戦隊ヒーロー物を見ても「変身してアホみたいな決めポーズしてる間に襲っちゃえば
いいじゃん、怪人」と嫌なツッコミを入れるガキだったに違いない。
ジュリアンはまたか、とばかりに眉間に皺を寄せて火渡の方を向いた。
何故この日本人は自分を目の仇にするのだろう?
自分は何か失礼な振る舞いを彼にしただろうか?
「僕に言わないでくださいよ。作られたのは何百年も前なんですから……。
でも、おそらくですけど、当時はこんなとこに人なんて来なかったんじゃないでしょうか。
今は観光地ですけど……」
そう言いながら、ジュリアンはストーンヘンジの中へどんどん入っていく。
「ちょ、ちょっとジュリアン君……!」
千歳は慌てて声を掛ける。それも当然だ。
観光地とはいえ、本来ストーンヘンジ内は絶対に立ち入り禁止であり、少し離れた監視所では
警備員が眼を光らせている。
「大丈夫、大丈夫。僕達、戦団関係者は“王立古代遺跡研究機関”のスタッフって事になってますから」
ジュリアンは中央の祭壇状の巨岩の側にしゃがみ込むと、懐から一枚のカードを取り出した。
そしてそのカードを岩のひび割れに近づけると、カードは一瞬吸い込まれ、また出て来た。
どうやらひび割れを模したカードリーダーが巧妙に設置してあるようだ。
地響きのような音を立てて祭壇石の真下の地面が割れ、ひどく古びた階段が姿を現した。
ジュリアンがカードを懐にしまいながら、背後の三人に声を掛ける。
「ここが入り口になっています。さあ、中へどうぞ」
階段を下り切るとそこにはエレベーターがある。
四人がエレベーターに乗り込むと、地面の入り口も自然に閉じていった。
エレベーターのドアが開くと、そこには清潔かつ近代的な作りの戦団基地があった。
ざっと見ても、かなりの広さだ。
「へえ、これはすごいな……」
防人も思わず感嘆の声を上げる。
白とグレーを基調としており、一見、病院やラボラトリーを思わせる雰囲気である。
「ここは地下六階57mまでの深さで、広さは約47000平方mあります。広いでしょ?」
まるで自分の手柄のように鼻高々と説明するジュリアン。
「人手不足なんだろ? 無駄に広いってだけじゃねえか」
またもや無粋なツッコミを入れる火渡。
確かに今のところ、ごくたまに白衣やブラックスーツの戦団員が駆け足で通るくらいだ。
その彼らの表情にも『動く歩道くらい用意せえや』と言わんばかりの疲労の色が見え隠れしている。
「ぐっ……。だ、大戦士長の執務室にご案内します」
防人と千歳に両サイドから肩を殴られている火渡を尻目に、ふくれっ面のジュリアンが
さっさと歩き出した。
ややしばらく基地内を歩いた後、四人は“COMMANDER ROOM”と刻印された
大きめのドアの前に辿り着いた。
ジュリアンはドアを控えめにノックした。
「おう、入んな!」
中からひどく乱暴な口調の蛮声が響く。
「失礼します」
四人全員が室内に入るとジュリアンは背筋を伸ばし、声の調子を改めて報告した。
「ウィンストン大戦士長! ジュリアン・パウエル、只今帰還しました!」
「よう! おかえり、ジュード。お使いご苦労さん、ハハハッ!」
広い室内の、ドアからだいぶ離れたソファに座る大戦士長と思しき人物がひらひらと手を振っている。
親愛の情いっぱいの呼び方に、ジュリアンは拗ねたように頬を膨らませる。
とても最高司令官と末端戦団員のやり取りには見えない。
「その呼び方はやめてください。子供じゃないんですから……。
あっ、お客様がいらっしゃいましたか。す、すみません」
見ると、ウィンストンの真向かいにあるソファに、金髪に褐色の肌の女性が座っていた。
落ち着いた雰囲気や知的な丸眼鏡、それに“男装の麗人”という言葉が浮かんできそうな
スーツ姿のせいか、年齢の想像がつかない。まだ十代後半くらいであろうか。
そして彼女が座るソファの後ろには二人の男が立っていた。まるで護衛(ガード)だと言わんばかりに。
一人は左の眼窩に片眼鏡(モノクル)を掛け、仕立ての良いワイシャツとベストに身を包んだ老紳士。
もう一人は長身痩躯に、まるで静脈血のようにくすんだ赤のコートと帽子を纏った不気味な男。
どちらもソファの女性に仕える身なのだろう。
女性はジュリアンらをチラリと振り返ると、すぐにウィンストンの方に向き直り、丁寧な物腰で言った。
「私達はそろそろ失礼致します……。それでは、ウィンストン卿」
「ああ。気をつけて帰れよ、インテグラ。まあ……お前さんら二人がいりゃあ安心か」
ウィンストンはインテグラと呼んだ女性の背後にいる二人に、悪戯っぽく笑いながら声を掛けた。
老紳士は胸に片手をやりながら深々と頭を下げたが、コートの男は異常に研ぎ澄まされた
鋭い犬歯を見せながら不敵に笑うだけだ。
そして、コートの男は主人であるインテグラを置いたまま踵を返すと、ゆっくりとドアの方に向かった。
しかし、防人が立っているせいで開いたままのドアは30㎝程度の余裕しかない。
「あっ……と、失礼」
だが防人が謝り、道を空けようとした時には、もう男は廊下に出ていた。
「何も、問題無い」
ボソリとした、しかしよく通る低い声。
男の背中を見送りながら、防人はふと違和感を覚えた。
今、自分は確かに身体を退けるタイミングが遅かった。
入り口には人が通る程の余裕は無かった筈だ。
にも関わらずあの男は……。自分にもドアにもぶつからず……。
防人が首を捻っていると不意に声を掛けてくる者がいた。
「失礼。道を空けてほしいのだが……」
我に返ると防人の目の前にはインテグラと従者の老紳士が立っていた。
別段、気分を害している風もない。
「あ……。す、すみません!」
防人は慌てて飛び退いたが“今度は”二人ともたっぷりと余裕のあるドアを通って、
部屋から出て行った。
「さあ、皆さん、中の方へ……。大戦士長、こちらが日本の戦士の方々です」
防人達三人はジュリアンに促されるままに執務室の中央へと歩み寄った。
ウィンストンは三人を迎えるように立ち上がり、両手を広げる。
「ようこそ、錬金戦団大英帝国支部に! 俺が大戦士長のジョン・ウィンストンだ。よろしくな!」
こちらに歩いてくるウィンストンの風貌に三人は開いた口が塞がらない。
明らかにオシャレではなく惰性で伸ばした肩までのロングヘア、鼻に引っ掛けたズリ落ちそうな丸眼鏡、
サイケデリックな模様のよれよれシャツ、あちこち破れたジーンズ。
どう見ても英国紳士というより、アメリカのヒッピーだ。
上級幹部しか着る事を許されない戦団支給の外套も、彼が羽織っていると安物の古着に見えてしまう。
「ホントよく来たなぁ! まあ、まずはゆっくり座ってくれ! 日本の話を聞かせてくれよ!」
ウィンストンはにこやかに笑いながら防人の肩に腕を回したり、火渡の背中をバンバン叩く。
手厚い歓待を受けながら、防人は照星やその他の自分が知る戦団員を思い出し、こう考えていた。
(フ、フツーの人はこの組織にいないのだろうか……)
“いません”という天の声がどこからともなく聞こえてきた。
――北アイルランド ダウン州バンガー モーテル・アクトンベイビー
安モーテルの一室に六人の男がいた。
一人は携帯電話で何やら熱心に喋っていたが、他の五人は咳払い一つ発しようとはしない。
携帯を持った男の低い話し声以外には、テレビのスピーカーからひどく陽気なナレーションが
聴こえるばかりだ。
テレビ画面にはベルファスト市内の高級ホテルが、自信を持ってオススメするディナーが
映し出されている。
しかし、他の五人の男はテレビを観ている訳でも、電話に聞き耳を立てている訳でもない。
五人には首が無かった。
首の無い男達は皆一様に銃を握ったまま、床に倒れ伏している。
切断された頭部はその持ち主の傍に転がっている物もあれば、部屋の入り口付近まで
吹っ飛んでいる物もあった。
そして、部屋の中央には右手に携帯電話を持ち、左手に異様に刀身の長い銃剣を持った“神父”が一人。
銃剣の切っ先からは鮮血が滴り落ち、法衣にも返り血を浴びているが、本人は息を切らすどころか
声の調子も変えずに淡々と話している。
電話口からは通話相手の、物静かで理知的だが癇癖が強そうな響きを持った声が聞こえてきた。
「――ええ、ここも同じでした。“知らない”の一点張りです。やはりマクスウェル、あなたの睨んだ通り……」
『ああ。“化物(フリークス)テロ”を企てているのは、分派したReal IRAから更に分派した集団、と
考えていいだろう』
「となると厄介ですな。あの情報管理局第2課“ヨハネ”でも奴らの居場所を特定出来ないようでは、
あとどれ程の時間がかかるか……。手詰まり、ですかな」
『そうとも限らんぞ、アンデルセン』
「……と言うと」
『ここはひとつ、“呉越同舟”といこうじゃないか』
「ほう」
『ただし、ただの呉越同舟じゃあない。力尽くで無理矢理船を奪い取り、乗員を皆殺しにして、
こちらの欲しい物を頂くんだ』
「ほほう、それはそれは……。で、どうします?」
『ヨハネが錬金戦団のエージェントを何名か特定した。さすがに錬金の戦士までは無理だったようだが……。
それで、だ。その内の一名の電話を傍受したところ、そいつが錬金の戦士を連れて
北アイルランド入りする事が分かった』
「ククク、何とまあ……間抜けなエージェントだ。それで? そいつの名は?」
『ジュリアン・パウエル、錬金戦団情報部門のエージェントだ。詳しい資料はヨハネの機関員に
既に送らせた。追っ付けそちらに届くだろう。フフ……まあ、お前の好きにしろ』
「ええ、そうしますよ……」
『では――』
「ああ、言い遅れましたが……。次期第13課局長就任内定おめでとうございます、
エンリコ・マクスウェル司教」
『ほう、早耳だな。ありがとう、アレクサンド・アンデルセン神父』
「我々、第13課機関員は皆、あなたに期待していますよ。ハインケルや由美子も喜んでいる。
同じ孤児院出身のあなたが要職に就くと知ってね」
『そうか……。現在のヴァチカンの“人道・平和主義”は、カトリックを弱体化させてしまった。
それどころか異教・異端の愚者共を調子付かせる格好の餌にすらなっている。
我々、第13課はもっと攻性の集団であるべきだ。
逆らう者には、微塵の躊躇も無く極大の暴力を持ってして、神の大鉄槌を振り下ろすが如くな』
「……」
『今回の任務でヴァチカン中に知らしめてやる。たとえカトリックに身を置いていようとも、
異端の力を行使し、化物を使役するような背信の徒には苦痛に満ちた神罰が下ると。
それは信徒だろうが、司祭だろうが、司教だろうが、大司教だろうが、法皇猊下だろうが関係無い。
そしてそれを執行するのは神罰の地上代行“イスカリオテ”だという事をな。
お前はその第13課(イスカリオテ)の鬼札(ジョーカー)だ、アンデルセン。この任務、完璧に遂行しろ』
「わかりました」
『聖霊と子の御名において。AMEN――』
「――AMEN」
神父アンデルセンはしばらくの間、無表情で携帯電話を見つめていたが、やがて懐に仕舞い込んだ。
と、同時に、テレビ画面から先程の陽気な声とは正反対の切迫した、ある種ヒステリックさを
感じさせる女性キャスターの声が響いた。
『番組の途中ですが、ここで臨時ニュースです。つい先程、アーマー州アーマー市の警察署内において
襲撃事件が発生した模様です。さっそく現場の様子を伝えてもらいましょう。
現場のリチャード、そちらの様子はどう?』
スタジオの女性キャスターの呼びかけを受けて、精力的な狐を思わせる風貌の現場担当アナウンサーが
映し出された。
彼の背後には警官隊に遠巻きに包囲された警察署が見える。
『はい、こちら現場のリチャード・ソーンバーグです。
我々がここに到着した時には、まだ市民が無秩序に逃げ回っている状態でした。現在はご覧の通り、
警官隊が警察署を包囲しています。警察署内にいた人の話を総合すると、どうやら二人組みの男が
警察署内で突如発砲を始め、警察官や市民を射殺していった模様です。
そして幸運な事に、我々は被害者の単独インタビューにいち早く成功しました。
では、こちらのVTRをどうぞ』
大勢の人間が死んでいるにも関わらず“幸運”という言葉を使うこのアナウンサーも非常識だが、
次に画面に現れた被害女性の喚きたてる内容はその非常識を吹き飛ばす程の“非常識”だった。
頭から血を流し、涙でマスカラが落ちてパンダのような顔になった小太りの女性は
ろれつの回らない口調でこう言った。
『わ、私は留置所の弟に会いに行ってたの。そしたら……そしたら急に二人の男が暴れ出した!
一人は見た事も無いゴツイ銃を撃ちまくってた。警官もそいつらを撃ったわ。でも二人とも銃で
撃たれているのに全然平気な顔をしてたの! ホントよ!』
アンデルセンはテレビの方に振り返ると、眼を剥いて被害女性のパンダ顔を凝視する。
『それにもう一人は警官の身体を紙みたいに引き千切ってたわ! 素手でよ! 嘘じゃないわ!!
この眼で見たのよ! ホントよ! 信じて!!』
VTRは終わり、画面には再びアナウンサーが映し出される。
『――とこのように、この女性を含めた何人かはあまりのショックで強い錯乱状態にあるようです。
未だ署内に立てこもっている犯人からは何の要求もありません。これに対し当局は――』
画面を見つめていたアンデルセンは薄気味悪い笑顔を浮かべ、もう今は映っていない先程の被害女性に諭した。
「あなたの訴えを信じよう。天なる父は真を訴え、縋る者のみを愛する」
そこへ突然、ドスを効かせた怒鳴り声が響いた。
「な、何なんだテメエはァ!」
一人の男が銃を構えて、入り口に立っている。おそらく皆殺しにされたこの部屋のテロリストの仲間だろう。
食料の調達にでも出ていたのだろうか、足元には缶詰やパンの入った紙袋が落ちている。
アンデルセンはテレビから眼を離さず、男の方を見向きもしない。
「こ、これはッ……! テメエがやったのか!? テメエ、何者だあ!?」
ここで初めてアンデルセンが男の方へ振り返った。しかし、見ているのは部屋の入り口であり、
男そのものの事はさして意識していない。
アンデルセンはゆっくりと歩を進め始めた。
「クソッ! くたばりやがれ!」
男は銃の引き金を引き、銃口からは轟音と火花が撒き散らされた。二度、三度、四度と。
だがアンデルセンは涼しい顔をして歩いている。銃弾は何発も彼に命中しているというのに。
「な、な……な……」
既に銃弾は尽きたというのに男は引き金を引き続けていた。
驚愕の表情を顔に貼り付けたまま震える手で銃を構える男に、歩みを止めないアンデルセンが迫る。
視線は入り口の方へ注がれたままで。
「邪魔だ」
アンデルセンが銃剣を横薙ぎに一閃させると、くぐもった短い悲鳴と共に男の頭部が床に転がった。
「せいぜい派手に踊るがいい、化物共(フリークス)。私がそこに征くまでの短い余生を存分に楽しむ事だ。
クククッ……。パンにはパンを(フレブ・ザ・フレブ)。血には血を(クロフ・ザ・クロフ)。
生と死を弄ぶ貴様らには、この私が地獄の死を与えてやる」