SS暫定まとめwiki~みんなでSSを作ろうぜ~バキスレ ヴィクティム・レッド 55-3


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 ニューヨークの地下に張り巡らされた地下トンネル――その中でも、地図には示されていない区間の一画。
 かつて大規模な地下鉄路線として建設されながら、『構造上の問題』によって開通直前に廃棄され、
今となっては関係者の大半が存在すら忘れつつある――だが実際はエグリゴリ専用の秘密経路として管理下に置かれた、内緒の穴ぐら。
 複雑怪奇な模様を描いて広がる地下空間を、なにかに追われるようにひた走る二人の少年少女。
 少年――キース・レッド。
 脚と肩に重傷を負った満身創痍の体で、出血をものともせず走り続けている。
 少女――キース・セピア。
 覚束ない手足のせいでときおり大幅に遅れるも、必死になって速度を維持。
 いつまで逃げればいいのか、どこまで逃げればいいのか――そもそも、どこへ向かって走っているのか――
 そうした『先行き』をまるで感じさせない、ただ圧迫と閉塞が募るばかりの、闇雲さに満ちた――虚無へ向かう行進だった。
 やがてセピアに限界が訪れる。
 がく、と膝が崩れたのに引きずられ、体勢を立て直す努力を放棄した虚脱さでそのまま地面に落ち込む。
 それに気付いたレッドが引き返してきて二言三言、気を引き立てようとするも、セピアの気力が回復する気配はない。
 否定的に首を振りながら「もう走れない」だの「わたしのことは置いていって」だの
弱音を吐くセピアにうんざりしたレッドは、ささくれ立つ気分を落ち着かせようと周囲を眺め渡す。
 等間隔に並ぶ非常灯の明かりに照らされるトンネル内には、二人以外に動くものは見当たらない。
 呼吸音すら響くような静けさの中、世界に存在するのはたった二人だけのような錯覚に陥る。
 ――それがくだらない錯誤だと分かっていても。
 レッドは半ば以上、確信していた。
 自分たちがこのまま無事に地上へ逃げおおせるのは不可能で、必ず、あのニンジャ野郎と再度遭遇するであろうことを。
 逃げ場なんてどこにもない。
 これが『不思議の国のアリス』だったら、ハートの女王の処刑宣告を受けてもなお『夢オチ』という逃げ道が残されていたが。
「あ――あれ?」
 その声にレッドが視線を落とすと、ぺたりと尻を地面につけたままのセピアが、
「ない……ないよ……?」
 おろおろ地面を手探りしていた。
 それはコンタクトレンズを落とした者の仕草に似ていたが、セピアは普段から眼鏡を愛用しているし、それだって今はきちんと顔に乗っている。
「なにしてんだ。立てよ。落し物なんかどうだっていいだろ」
 そんな場合じゃないだろ、と怒鳴り付けたい衝動を堪え、努めて冷静に言うが、
そんなレッドを無視してセピアはコンクリートの床をまさぐっている。
(くそ、なんだってんだ――)
 無理矢理引きずってでも立ち上がらせようかと一歩踏み出した、その爪先になにがが触れる。
 レッドの足元に、鈍く輝く小さなものが落ちていた。
 拾い上げて頭上のオレンジ色の光にかざす――それは、金色の指輪だった。
 おそらく、セピアの代えの衣服と一緒に鞄に詰め込まれていた雑多な品の一つ。
 他の物は全て列車に置いてきた――持ち出す余裕などなかった。
 その中でこれだけは捨てて来れなかったのは、それだけ大事な物だということだろうか。
 命を脅かされた状況に際してもなお捨てきれぬ、生命と等しい価値を持つ、たったひとつの――。
「……それ、返して」
 セピアがおずおずと、だが断固とした口調で手を差し出す。
 レッドは手の上の指輪に目を落とし――
「ねえ、返して。それ、幸運のお守りなの」
 それを自分の掌に握りこんだ。
「……これがそんなに大事か? なら立て。ここから脱出したら返してやるよ」
「――返して」
 無視に等しい返事。
 なんとも言えない嫌な感じが、レッドの胸に込み上がる。
 つまりこういうことか?
 オレが立てと言っても座り込んだままで、野垂れ死にする気満々の癖に――オレの言うことなど頭から無視して、要求だけするのか?
 胸倉を掴んでそう詰め寄りたかった。
 その代わりに手の中の指輪を固く握り締め、そして代わりに出てきた言葉は、
「あんたは――あんたはいったいなんなんだ?」
 ――沈黙。
「さっきの現象はなんだ? あれがあんたの……『モックタートル』の最終形態なのか?」
 ――沈黙。
「さっきの『言葉遊び』はなんだ? なんで、ここ最近夜にうなされている? なんの夢を見てるんだ?」
 ――沈黙。
「なんであんた、『ブルーメン』ってのに誘拐された?
『プログラム・ジャバウォック』とはなんの計画だ? あんたは知ってるのか?」
 浮かぶ疑念の全て――今の今まで棚上げにしてきたものも含め、レッドはセピアへ向けてぶちまけていた。
 セピアはただ静かな目でこちらを見ている――なにを考えているのかは、まるで分からなかった。
 二人を隔てる、一メートルにも満たない距離を思う。
 それは果てしなく遠かった。
 彼女を知れば知るほど――近づいたと思えば思うほど、より遠くへ行ってしまうようで。
 永遠に亀に追いつけないアルキメデスのようで。
「なにがあった。バイオレットと同じ施設にいたあんたが、ARMSの不具合のために連れていかれた別のラボで。
この指輪は、そこにいた『誰か』からもらったのか?」
 そこでやっとセピアが反応らしい反応を見せた。
 頭から冷や水をぶっかけられたような顔をして、ぴくんと身を震わせる。
「言えよ」
 畳み掛けるレッドの言葉から逃げるように、セピアはのろのろと顔を伏せる。
 さっとレッドの腕が伸び、さっきは出来なかったこと――セピアの胸倉を掴んで引き寄せた。
「言え」
「……レッドには関係ないでしょ」
「言わなきゃ分かんないだろ!」
「え――?」
「あんたが黙り込んだままで――なにも言わないままで、どうして分かるってんだ!
あんた、クリフとの戦闘のときに言ったよな、『オレのことが分かった』と。
なら――なら、オレはどうなる? オレはあんたのことが分からず仕舞いなのか?
オレには、あんたを理解する機会すら与えられないと言うのか!」
 知らず腕に力が込められ、お互いの鼻がくっつきそうな距離にセピアの顔があったが、そんなことは今のレッドの思案の外にあった。
「オレはあんたにとってその程度だということか!?
兄妹の価値がない――この指輪の代わりにもならないのか!
オレは金細工以下か!」
 一気呵成に言い終え、そこで余りの直球っぷりに思い至る。
 バイオレットならまずこんな言い方はすまい。こんな抜き身の言葉ではなく、もっと細心の注意を払って単語を選ぶだろう。
(くそ――)
 なんかもういたたまれない気持ちになって、セピアの服を掴んでいた手から力が抜ける。
 こんなことを言うはずではなかった。
 ただこの指輪を餌に、セピアを立たせようとした――そのはずだったのに。
 セピアのことであれこれ思い悩むのはやめようと、そう決めたはずだった。
「……分かったよ。指輪は返す。だから立ってくれ。
オレには任務がある。そのなかには、あんたを生かすことも含まれているんだ」
 なにかの巨大なものを諦めかけるような無力感のにじむ声とともに、握り込んでいた手を開き、指輪を差し出した。
 セピアはそれに目もくれず、手も伸ばそうとしない。
 と思いきや、バネ仕掛けのような唐突さで、がばっとレッドの腕を取る。
 それは指輪を急いで取り返そうとかそういうのでは全然無く――、
「――わた、わたし」
 目に見えるような緊張がセピアの肩に渦を巻き、その渦がレッドの腕を痛いくらいに掴んでいた。
 砂漠のなかにあるような乾ききった瞳が――砂ばかりの世界で、なおもなにかを見出だそうとしている視線が、
真っすぐにレッドの瞳の奥を捉えていた。それはまるで、そこに水場を見つけたような真実そのものの必死さで。
「わたし……本当は……わたしのARMSは――」


 わたしのARMSは最初から『出来損ない』だったの。
 生まれたときから暮らしていたラボでわたしはARMS適応者に選ばれて、『モックタートル』を移植されたわ。
 でもそれがなかなか定着しなくて不安定だったから、フロリダの研究所に送られた。
 そこで、わたしは同い年の『キース』と仲良くなったの。
 その子はシャーロットっていう名前だったわ。
 ルイス・キャロル――チャールズ・ドジソンが『不思議の国のアリス』を書くきっかけとなった、
『テムズ川の遠足』に参加したリデル家の三姉妹の長女、『一の姫(プリマ)』にあやかった名前だって言ってた。
 シャーロットに会うまでは、わたしは寂しくて悲しくて泣いてばかりだった。
 でもシャーロットはそんなわたしを励ましてくれた。
 『いいこと』は向こうからやってくるのじゃなくて、そこら辺に落ちているものだから自分で探しなさいって。
 シャーロットはいつも綺麗な指輪を指に着けていて、それを大切にしていた。
 その指輪は今は誰のものでもなくて、長い時間をかけていつか本当の持ち主のところにたどり着く幸運のお守りだって。
 それが本当の持ち主のところに行くまでは、それを持っている人に『運び賃』として幸運を授けてくれるんだって。
 シャーロットが前にいたラボで、名前と一緒に指輪をくれたジプシー出身の研究員がそう教えてくれたんだよ、って言ってた。
 わたしはシャーロットと名前を教え合って、『本当の姉妹』になった。
 キースシリーズだとかマテリアルナンバーとかとは関係のない、本当の名前で本当の姉妹。
 わたしとシャーロットはそれからいつも一緒だった。ふたりでひとつみたいな、そんな安心できる素敵な気持ちだった。
 わたし、幸せだった。『いいこと』がどこに落ちているのか、いつでも簡単に見つけられていた。

 その頃のわたしは、ARMSの制御どころか、発動もろくに出来なかった。
 ううん、本当はきっと分かってた。わたしの『モックタートル』がどんなもので、その『終点』にはなにが待ってるか。
 だって、初めて『モックタートル』を発動させたとき、とても嫌な感じがしたから。
 わたしと『モックタートル』に接続された計器が一瞬で燃え上がって、
実験フロアがまるごと火事になったときから、なんとなく分かってた。
 頭では分からなくても、肌で分かってたから、わたしはARMSを発動出来なかった。きっと無意識に押さえ込んでんだと思う。

 ――分かっていたはずなのに。

 ある日わたしとシャーロットが呼び出されて、『実験』が始まったの。
 「二人のARMSの共振で、互いの欠陥を補えるかどうか」っていう実験だと説明されたわ。
 結果次第では、わたしとシャーロットのどちらにも取り返しのつかない大きなマイナス評価が下されるから覚悟するように、って。
 だから、わたし頑張ってARMSを発動させようとした。
 シャーロットと別れたくなかったし、シャーロットの力になりたかったから。
 ……でも、それが間違いだった。
 シャーロットのARMSは脚に移植された戦闘用のARMSだった。
 磁場を操ることで空中を歩くように移動したり、それを直接ぶつけることで攻撃するARMS。
 でもシャーロットは磁場を弱いレベルでしか維持できなくて、だから『再調整』のためにラボに連れてこられたの。
 実験は最初は上手くいっていたわ。
 わたしもシャーロットも裸で、データ採取のコードでぐるぐる巻きにされてたから身動きなんて取れなかったけど、
最初のARMS適応者――『アリス』が朗読した『不思議の国のアリス』の音声テープがスピーカーから流れてたから、退屈はしなかったわ。

 ――『それ』が起こったのは、ちょうど朗読が、第九章『代用海ガメの話』の中の、海の学校のくだりに差し掛かったとき。

 ――いきなり、シャーロットの脚が膨れ上がって、ベッドに突き刺さったの。
 それから周りの機械とかが片っ端から粉々に砕けていった。
 なにが起こったのか分からなかった。
 慌ててシャーロットのところへ行こうとしたけど――わたし、どこにもいなかった。いなかったの。
 わたしは確かにそこにいるのに、わたしの身体だけがどこにもなかったの。

 ……今でも夢に見る。
 スピーカーから『アリス』の言葉遊びが流れているなかで、シャーロットのARMSが怪物みたいになって暴れ回って、でもわたしはそこにいなくて。
 部屋の中は目茶苦茶で、シャーロットの身体はARMSに半分以上飲み込まれてて、
『アリス』はアナゴのおじいさんに教わる色々を話していて、わたしはなにも出来ずにただそれを見て聞いていた。

 部屋の壁が壊れそうになって、いきなりその全てが嘘みたいに収まった。
 外部から抑制信号を打ち込まれたのだと分かったころには、どこにも無かったはずのわたしの身体は元に戻っていたわ。
 ――シャーロットは……シャーロットは、腰から下が無くなっていた。
 残った身体も乾いた粘土みたいにぼろぼろで、次々に崩れていくの。
 わたしはなんとかそれを繋ぎとめようとしたけど、触るそばから砕けてしまって、どうしたらいいか分かんなかった。
 泣かないで、ってシャーロットが言うのでわたしの目から涙が零れてるのに気がついたけど、それどころじゃなかった。
 シャーロットはわたしに手の平を伸ばして指輪を見せたの。
 そして、「指輪をあげる」って言ったの。金無垢なんだって。幸運のお守りだよって。
 そして――部屋のドアが開いて、研究所の人たちが入ってきて、一緒に吹き込んできた風のなかにシャーロットは溶けていったわ。
 まるで砂のお城が消えてくみたいに。指輪だけが床に落ちて、わたしのところに転がってきた。

 そのとき分かったの。
 わたしのARMSの本当の能力は『加速』――しかも、それは一線を越えたら、限界とか抑制とかのない、行くとこまで行ってしまう力なんだって。
 そして、ラボの大人たちはそれを知っていた――知っていて、それを試すために『実験』をやったんだって分かった。
 だから、シャーロットが酷いことになっているのに誰も助けに来なかった。そうとしか思えなかった。

 そして、最後に分かったのは――  

「最後に分かったのは、わたしが彼女を殺してしまったということ。
 それから、わたしには『本当のもの』なんてなにひとついらないんだってこと。
 本当の名前も、本当の心も、本当の兄弟も。
 それが『モックタートル』――『代用海ガメ』の、わたしのARMSの意味。
 ――これでおしまい」
 そう言って、セピアは話を締め括った。
 そして、一言も言葉を発しないレッドへと青白い手を差し延べる。
「さっきは子供みたいな駄々こねてごめんなさい。
 レッドがそうしろって言うなら、わたし立つわ。走れって言うならもう一度走る。
 でもね、覚えていて欲しいの。
 わたしの『ニーベルングの指輪』は力を貸すことは出来る。でも、貸すだけ。あげることは決してできない。
 だって――わたしのARMSは、『味方殺し』のARMSだから。
 わたしにはあなたに守ってもらう資格なんか、これっぽちもないの」
 レッドは手元の指輪を見、それからセピアを見た。
 そして固く目を閉じ、ひたすら待った。
 言うべき言葉が浮かび上がるのを。
 目の前に佇む、ヒトのかたちをした救いがたい虚無に立ち向かう術が、ここに顕れるのを。
 ――遠く、風の音がした。