今にも照星に向かって突進せんばかりに身構えるアンデルセン。
獲物へ襲いかかる猛獣の如く、重心を前方に乗せる。
そして、両者の眼が決闘開幕の兆しに見開かれた、その時だった。
突如、アンデルセンの背後より“何か”が空気を切り裂いて飛来し、彼の足元に突き立った。
そこには、赤い柄の短剣が三本。
「黒鍵……。チッ、“弓”か」
アンデルセンはその“黒鍵”と呼んだ短剣を見るなり、さも不快そうに表情を歪ませた。
獲物へ襲いかかる猛獣の如く、重心を前方に乗せる。
そして、両者の眼が決闘開幕の兆しに見開かれた、その時だった。
突如、アンデルセンの背後より“何か”が空気を切り裂いて飛来し、彼の足元に突き立った。
そこには、赤い柄の短剣が三本。
「黒鍵……。チッ、“弓”か」
アンデルセンはその“黒鍵”と呼んだ短剣を見るなり、さも不快そうに表情を歪ませた。
「それくらいにしておきなさい、“銃剣(バヨネット)”」
防人とアンデルセンが落ちてきた天井の大穴から、厳しさと冷たさを併せ持つ声が響く。
間も無く、その大穴から一人の人物がフワリと音も無く、ロビーの床へ下り立った。
髪、瞳、法衣(カソック)、すべてが深遠たる青。眼鏡を怜悧に煌めかせた若い女性だ。
(新手……?)
否が応にも照星の緊張感が増していく。
目の前の神父を相手にするだけでも無事では済まない覚悟をしているというのに、そのアンデルセンに
勝るとも劣らない、それでいて別種の“空気”をまとった者が現れたのだから。
服装やアンデルセンへの態度を見るに、同じ教皇庁(ヴァチカン)、第13課(イスカリオテ)の機関員である事に
間違いはないだろう、と照星は踏んでいる。
間も無く、その大穴から一人の人物がフワリと音も無く、ロビーの床へ下り立った。
髪、瞳、法衣(カソック)、すべてが深遠たる青。眼鏡を怜悧に煌めかせた若い女性だ。
(新手……?)
否が応にも照星の緊張感が増していく。
目の前の神父を相手にするだけでも無事では済まない覚悟をしているというのに、そのアンデルセンに
勝るとも劣らない、それでいて別種の“空気”をまとった者が現れたのだから。
服装やアンデルセンへの態度を見るに、同じ教皇庁(ヴァチカン)、第13課(イスカリオテ)の機関員である事に
間違いはないだろう、と照星は踏んでいる。
照星の思惑をよそに、アンデルセンは彼女の方へ振り向くと憎々しげに問いかけた。
「何の用だ、シエル」
「ラッツィンガー機関長の命を受け、次の任務を伝えにきました。手配中の分類A吸血鬼
“ジェイブリード”がシチリア島に潜伏しています。急ぎ討滅に向かいなさい」
無表情で言い渡すシエルに対し、ピクリと面持ちを変えるアンデルセン。
そこには幾分かの喜びが見え隠れしている。
「“ジャックの血統(J-breed)”だと……? わかった、すぐに向かおう。コイツらを殺してからな……」
アンデルセンは再び照星の方へと顔を向け、銃剣を握り直す。
しかし、シエルはそんな彼に叱責を飛ばした。
「いけません! あなたの任務は『パトリック・オコーネルの抹殺とNew Real IRAの壊滅』の筈です。
先程、上で任務の完了を確認しました。命令外の無駄な戦闘行為は即時停止しなさい」
特に怒りは込められていない。組織としての常識を問うているだけだ。だが、シエルの表情は
ほんの僅かに焦りを含んでいるように見受けられる。
怒りを込めるのはアンデルセンの方だった。
己が職務を捻じ曲げようとするシエルへの怒り。それに常日頃からの嫌悪が加えられる。
アンデルセンの個人的な感情から、シエルを“化物共と変わらぬ者”と見なす事による嫌悪が。
「無駄だと!? 異端者の抹殺は我々の常なる任務だ! 眼前に敵を放置して、何が第13課(イスカリオテ)か……!
何が教皇庁(ヴァチカン)かァ!!」
常人なら肝を震わせ四肢萎えさせるアンデルセンの怒号を浴びても、シエルは怯まず一歩も引かない。
「いい加減になさい、アンデルセン神父。度重なる命令違反や越権行為、ラッツィンガー機関長が――」
「あの元ヒトラー・ユーゲントの小才子が何だと言うのだ!? マクスウェルの影に怯えるしかない
あの物書きが!!」
シエルの言葉を打ち消し、アンデルセンの激怒はいよいよ最高潮に達しようとしている。
今の彼を、というよりもアンデルセンそのものを理屈で押し止めようという行為がそもそも
間違っているのだ。
上っ面の理屈などよりも信仰心のみで動いているのがアンデルセンなのだから。
こうなるとシエルだろうが、マクスウェルだろうが、現機関長だろうが、誰も彼を止められない。
「何の用だ、シエル」
「ラッツィンガー機関長の命を受け、次の任務を伝えにきました。手配中の分類A吸血鬼
“ジェイブリード”がシチリア島に潜伏しています。急ぎ討滅に向かいなさい」
無表情で言い渡すシエルに対し、ピクリと面持ちを変えるアンデルセン。
そこには幾分かの喜びが見え隠れしている。
「“ジャックの血統(J-breed)”だと……? わかった、すぐに向かおう。コイツらを殺してからな……」
アンデルセンは再び照星の方へと顔を向け、銃剣を握り直す。
しかし、シエルはそんな彼に叱責を飛ばした。
「いけません! あなたの任務は『パトリック・オコーネルの抹殺とNew Real IRAの壊滅』の筈です。
先程、上で任務の完了を確認しました。命令外の無駄な戦闘行為は即時停止しなさい」
特に怒りは込められていない。組織としての常識を問うているだけだ。だが、シエルの表情は
ほんの僅かに焦りを含んでいるように見受けられる。
怒りを込めるのはアンデルセンの方だった。
己が職務を捻じ曲げようとするシエルへの怒り。それに常日頃からの嫌悪が加えられる。
アンデルセンの個人的な感情から、シエルを“化物共と変わらぬ者”と見なす事による嫌悪が。
「無駄だと!? 異端者の抹殺は我々の常なる任務だ! 眼前に敵を放置して、何が第13課(イスカリオテ)か……!
何が教皇庁(ヴァチカン)かァ!!」
常人なら肝を震わせ四肢萎えさせるアンデルセンの怒号を浴びても、シエルは怯まず一歩も引かない。
「いい加減になさい、アンデルセン神父。度重なる命令違反や越権行為、ラッツィンガー機関長が――」
「あの元ヒトラー・ユーゲントの小才子が何だと言うのだ!? マクスウェルの影に怯えるしかない
あの物書きが!!」
シエルの言葉を打ち消し、アンデルセンの激怒はいよいよ最高潮に達しようとしている。
今の彼を、というよりもアンデルセンそのものを理屈で押し止めようという行為がそもそも
間違っているのだ。
上っ面の理屈などよりも信仰心のみで動いているのがアンデルセンなのだから。
こうなるとシエルだろうが、マクスウェルだろうが、現機関長だろうが、誰も彼を止められない。
だが、シエルはこのような結果になる事は最初からわかっていた。
「……右の任務、既に教皇猊下もご存知です。これ以上、猊下をお困りさせる気ですか?」
「……」
アンデルセンは沈黙せざるを得ない。
第13課は非公式部隊という事実とその残虐性故に、常に教皇庁内全体から疎まれている。
教皇がその軋轢に頭を悩ませるのも当然であった。
そしてまた、アンデルセンはこれまで三代の教皇に仕えており、温和で優しさに溢れた現教皇を
特に愛していた。
老齢や持病に苦しむ教皇をこれ以上思い煩わせる事は、流石のアンデルセンにも忍びない。
沈黙のまま、アンデルセンは錬金の戦士達への殺意を、シエルへの怒りを必死で抑えていた。
「……右の任務、既に教皇猊下もご存知です。これ以上、猊下をお困りさせる気ですか?」
「……」
アンデルセンは沈黙せざるを得ない。
第13課は非公式部隊という事実とその残虐性故に、常に教皇庁内全体から疎まれている。
教皇がその軋轢に頭を悩ませるのも当然であった。
そしてまた、アンデルセンはこれまで三代の教皇に仕えており、温和で優しさに溢れた現教皇を
特に愛していた。
老齢や持病に苦しむ教皇をこれ以上思い煩わせる事は、流石のアンデルセンにも忍びない。
沈黙のまま、アンデルセンは錬金の戦士達への殺意を、シエルへの怒りを必死で抑えていた。
やがて、アンデルセンは右手に握る銃剣を無言でシエルの方へと投げつけた。
銃剣はシエルの頬をかすめ、背後の壁に突き刺さる。
銃剣はシエルの頬をかすめ、背後の壁に突き刺さる。
頬に一筋、薄く血を滲ませるシエルに向かって、アンデルセンはこめかみをヒクつかせながら
吐き捨てる。
「興が削がれたわ……」
シエルが内心ホッとしたのも束の間、アンデルセンが大股に歩み寄ってくる。
「フン……。貴様がその程度の任務通達の為にわざわざ日本から来るとは思えん……」
アンデルセンはシエルの目の前まで来ると、足を止め、彼女を見下ろした。
殺気は未だ治まらず、視線は突き刺すような鋭さを持っている。
「ましてや、この私を止めようなどと……――」
暴風にも似た圧力を以って己の顔をシエルの鼻先に近づける。
シエルの頬を冷汗が伝った。先程の傷が既に消え失せた、白くきめ細かい頬を。
「――大方、あの酒に溺れた落伍者の差し金といった所か? 錬金の戦士共を殺すな、とでも?」
「……」
今度はシエルが沈黙する番だった。
これがアンデルセンなのだ。
狂気を感じさせる程の怒りを発していても、同時に氷の如く冷静な思考を巡らせる事が出来る。
彼は敏感に勘付いているのだろう。
この場面において、機関長の意志でもシエルの意志でもない、“第三の意志”が働いている事を。
吐き捨てる。
「興が削がれたわ……」
シエルが内心ホッとしたのも束の間、アンデルセンが大股に歩み寄ってくる。
「フン……。貴様がその程度の任務通達の為にわざわざ日本から来るとは思えん……」
アンデルセンはシエルの目の前まで来ると、足を止め、彼女を見下ろした。
殺気は未だ治まらず、視線は突き刺すような鋭さを持っている。
「ましてや、この私を止めようなどと……――」
暴風にも似た圧力を以って己の顔をシエルの鼻先に近づける。
シエルの頬を冷汗が伝った。先程の傷が既に消え失せた、白くきめ細かい頬を。
「――大方、あの酒に溺れた落伍者の差し金といった所か? 錬金の戦士共を殺すな、とでも?」
「……」
今度はシエルが沈黙する番だった。
これがアンデルセンなのだ。
狂気を感じさせる程の怒りを発していても、同時に氷の如く冷静な思考を巡らせる事が出来る。
彼は敏感に勘付いているのだろう。
この場面において、機関長の意志でもシエルの意志でもない、“第三の意志”が働いている事を。
アンデルセンはシエルから顔を離すと照星達の方へ振り向いた。
戦闘再開かと神経を研ぎ澄ませる照星を尻目に、左手の銃剣は袖口の中へ音立てて仕舞われる。
代わりに法衣の懐から聖書が取り出された。
「今日の所はこれで退いておいてやる……。だが次に会った、その時こそ……――」
アンデルセンがその大きな掌で聖書の表紙を力強く叩く。
すると、見えない力に操られているかのように、独りでに聖書の頁(ページ)がパラパラとめくられ始めた。
「――皆殺しだ……!」
更には次々に頁が聖書から離れ、無数の紙片と化して宙空を乱れ飛ぶ。
紙片の嵐はいよいよその激しさを増し、アンデルセンとシエルを包み込んでいった。
照星は呆気に取られながらもアンデルセンの動向を察知する。
それはこの期に及んだ彼の想像し得ないものだ。
「まさか、撤退する気ですか……」
「そ、そんな事は……させな、い……」
気づけば、防人が円山の手を払いのけ、アンデルセンを逃すまじと身を起こそうとしている。
「もうやめて! 防人君!」
千歳の悲痛な声も聞こえないのか、ふらつき這いつくばりながらも上半身を起こし、
姿を消しつつあるアンデルセンへと手を伸ばす。
既に尋常の意識ではない。
闘争の残り香が、宿敵への消えざる執念が、防人の身体を動かしているのだ。
「ま、待て……アンデルセン……。勝負は、まだ……」
アンデルセンは未だ闘いの姿勢を崩そうとしない防人に気づくと、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
戦闘再開かと神経を研ぎ澄ませる照星を尻目に、左手の銃剣は袖口の中へ音立てて仕舞われる。
代わりに法衣の懐から聖書が取り出された。
「今日の所はこれで退いておいてやる……。だが次に会った、その時こそ……――」
アンデルセンがその大きな掌で聖書の表紙を力強く叩く。
すると、見えない力に操られているかのように、独りでに聖書の頁(ページ)がパラパラとめくられ始めた。
「――皆殺しだ……!」
更には次々に頁が聖書から離れ、無数の紙片と化して宙空を乱れ飛ぶ。
紙片の嵐はいよいよその激しさを増し、アンデルセンとシエルを包み込んでいった。
照星は呆気に取られながらもアンデルセンの動向を察知する。
それはこの期に及んだ彼の想像し得ないものだ。
「まさか、撤退する気ですか……」
「そ、そんな事は……させな、い……」
気づけば、防人が円山の手を払いのけ、アンデルセンを逃すまじと身を起こそうとしている。
「もうやめて! 防人君!」
千歳の悲痛な声も聞こえないのか、ふらつき這いつくばりながらも上半身を起こし、
姿を消しつつあるアンデルセンへと手を伸ばす。
既に尋常の意識ではない。
闘争の残り香が、宿敵への消えざる執念が、防人の身体を動かしているのだ。
「ま、待て……アンデルセン……。勝負は、まだ……」
アンデルセンは未だ闘いの姿勢を崩そうとしない防人に気づくと、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
この男だけが我の、我々の闘争を華やがせてくれる。
いらぬ。もう、いらぬ。この男を殺せるならば何もいらぬ。
再び相見えたならば私はもう第13課を背負わぬのだろう。
貴様も錬金戦団なんぞを必要とはしない筈だ。
いらぬ。もう、いらぬ。この男を殺せるならば何もいらぬ。
再び相見えたならば私はもう第13課を背負わぬのだろう。
貴様も錬金戦団なんぞを必要とはしない筈だ。
防人の耳には聞こえた。確かに聞こえたのだ。
この北の地で出会ってしまった宿敵の声が。
己のすべてを懸けて、否、すべてを捨ててでも打ち倒さなければならない相手の言葉が。
「キャプテン・ブラボー。私に殺されるまで、誰にも殺されるなよ? ククク……」
紙片はいよいよ渦を巻き、吹き荒れ、とうにイスカリオテの二人の姿をかき消していた。
しかし、舞い踊る紙片の中、アンデルセンの哄笑が大きく高らかに響き渡る。
この北の地で出会ってしまった宿敵の声が。
己のすべてを懸けて、否、すべてを捨ててでも打ち倒さなければならない相手の言葉が。
「キャプテン・ブラボー。私に殺されるまで、誰にも殺されるなよ? ククク……」
紙片はいよいよ渦を巻き、吹き荒れ、とうにイスカリオテの二人の姿をかき消していた。
しかし、舞い踊る紙片の中、アンデルセンの哄笑が大きく高らかに響き渡る。
「ゲァハハハハハハハハハハハハハハハ!! ヒャアハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
その笑い声は、防人が意識を失う寸前までも尚、深い闇へと墜落していっても尚、頭蓋の中を
響いて止まないのだろう。
いつまで? 二人が再び雌雄を決するその時まで?
それはいつの事なのか。
それはいかなる場所なのか。
何が再び彼らを引き寄せるのか。
瞼の裏にその姿を焼きつけ、耳にその声を焼きつけ、拳に殴打の感触を焼きつけ、防人は意識を失った。
彼はこれからの時間を眠り続けて生きるのだろう。
眼を覚まそうが、異なる敵と戦おうが、新たな希望と出会おうが。
彼はこれからの時間を眠り続けて生きるのだろう。
それは深く長い眠りとなる。
いつの日か、錬金戦団と第13課が、錬金の戦士と聖堂騎士が、防人衛とアレクサンド・アンデルセンが、
どちらかがどちらかの命を奪いつくす約束の日まで。
心の臓腑の音色を止ませる決斗の日まで。
響いて止まないのだろう。
いつまで? 二人が再び雌雄を決するその時まで?
それはいつの事なのか。
それはいかなる場所なのか。
何が再び彼らを引き寄せるのか。
瞼の裏にその姿を焼きつけ、耳にその声を焼きつけ、拳に殴打の感触を焼きつけ、防人は意識を失った。
彼はこれからの時間を眠り続けて生きるのだろう。
眼を覚まそうが、異なる敵と戦おうが、新たな希望と出会おうが。
彼はこれからの時間を眠り続けて生きるのだろう。
それは深く長い眠りとなる。
いつの日か、錬金戦団と第13課が、錬金の戦士と聖堂騎士が、防人衛とアレクサンド・アンデルセンが、
どちらかがどちらかの命を奪いつくす約束の日まで。
心の臓腑の音色を止ませる決斗の日まで。
次回――
2001。馬鹿野郎。DADDY。終わらぬ戦争。
《THE EPILOGUE‐1:The virgins are all trimming their wicks》
2001。馬鹿野郎。DADDY。終わらぬ戦争。
《THE EPILOGUE‐1:The virgins are all trimming their wicks》