――錬金戦団大英帝国支部 大戦士長執務室
防人は立ち尽くしていた。
自分一人が大戦士長の執務室に呼び出された事に。
いくら打ち解けて話が出来たとはいえ、目の前にいる人物は言わば“雲の上の人間”だ。
自分の所属している日本の戦団のトップである亜細亜方面大戦士長にも、防人はまだ会った事が無い。
また昨日あれだけの連帯感の無さをさらけ出しただけに、何とも言いようの無い緊張感が生まれる。
「何の御用でしょうか、ウィンストン大戦士長」
「別に用って用は無えよ。出発前に少し話でもしようかと思ってな。まあ、座れよ」
とても大幹部には見えないこのくだけた人物は、引っ切り無しに煙草の煙を吐きながら着座を勧める。
特に不機嫌そうな訳でもなく、初対面の時の気安さはそのままだ。
「はあ……。失礼します」
防人はおずおずとウィンストンと向かい合うようにソファに座る。
ウィンストンはくわえていた煙草を指に挟むと、防人を見据えて口火を切った。
「マシューの事だが……悪く思うな、とは言わねえ。昨日のアレはアイツの言い過ぎだ」
防人の顔が曇る。
ウィンストンの手前、防人は必死に感情を抑制しようとした。
だが、自分を、そして仲間を全否定されたあの物言いを到底許す気にはなれない。
後年の彼は、ホムンクルス・ムーンフェイスによる部下の殺害にも、武藤カズキの再殺指令にも
“私”の感情を押し殺し、“公”を貫くまでに成長する。
しかし、如何せん今の彼は若すぎる。
「気にしていない、とは俺も言いません。俺だけじゃない。火渡や千歳も……」
視線を落とし、暗い声で言い放つ。膝の上のその拳は、怒りに強く握られていた。
ウィンストンはフーッと溜息と共に大きく煙草の煙を吐き出した。
「すまねえな……。アイツは昔からプライドが高くて自己中なとこはあったが、あんな奴じゃなかった……」
意外な話に顔を上げる防人の真向かいで、ウィンストンが短くなった煙草を灰皿に押し付ける。
吸殻から立ち上る細い煙が、ウィンストンの話す息遣いで大きく揺れ散った。
「訓練生時代も、新米時代も、それにお互い戦士長になってからもアイツと俺はいい仲間同士だったし、
親友同士だったよ。俺が無茶をする、アイツがそれを止めるって感じでな。ずっと、それが続くと思ってた……。
けど、戦団上層ぶのご老人方に見込まれて奴らと繋がるようになってから、アイツは変わっちまった……。
今じゃアイツが何を考えてるのか、何をやってるのか、俺ァ半分もわからねえ。
形式上は俺の直属の部下だが、ほとんど俺の手を離れてご老人方の為に働いてるのさ……」
話しながらも防人から微妙に眼を逸らすウィンストン。
組織を統べる立場にいる者が口にすべき事ではないと、充分に自覚しているからであろう。
「しかし……。大戦士長はウィンストン大戦士長です」
若い防人はウィンストンの心の機微には気づかず、自分の思ったままを言葉にする。
ややおかしな言い回しではあるが。
だが、ウィンストンの顔に浮かぶのは自嘲の笑みだ。
「“ただの”大戦士長さ。所詮、俺は“戦闘部門”のトップよ。使えるマシューは“政治”の場へ、
老頭児(ロートル)の言う事を聞かねえ俺は“政治”とは無関係な兵隊の親玉に、ってワケさ。
現場に飛び込めないようにクソ会議とクソ机とクソ書類でがんじがらめにした親玉にな。
お前さんも使わない物は高いとこへ置いとくだろ?」
「そんな……」
二人を包む空間に沈黙の帳が降りる。
実際は普段のお気楽さと程遠い暗い世界に囲まれているウィンストンと、若さに似合わぬ傷を抱えた防人。
外からどう見えようが、男は上着を一枚捲れば、内に着ているものは案外と汚れや綻びだらけなものなのだ。
「……すまんな、愚痴を並べちまって。本来、お前さんにゃ関係無い話なのにな。まあ……。忘れてくれ」
また少しの沈黙を挟み、幾分遠慮がちにウィンストンが話し始めた。
「それと……ジュードをよろしく頼む」
最初は誰の事を言っているのかわからなかったが、すぐに思い当たった。
子供扱いのその呼び方に頬を膨らませるあの坊やだ。
「ああ、ジュリアンの事ですね」
「ハハッ、そうだ。俺はあの坊やが三つ四つの小便垂れだった頃から面倒を見てきたんだ。
まあ、よくある話だ。ホムンクルスに家族を皆殺しにされて身寄りが無いアイツを、俺が拾ったのさ。
それから、アイツは戦団の施設に預けられたが、まるで弟のように思えてな。
特別、可愛がったよ。それに、アイツはこんな俺でも憧れてくれてな――」
『僕、大きくなったらジョンみたいな錬金の戦士になるよ!』
「――ってよく騒いでたっけ……」
先程とは違う、優しさに溢れた笑顔を浮かべるウィンストン。その脳裏には、幼い頃のジュリアンが
浮かび上がっているのだろう。
防人にも、無邪気な少年とそれを愛おしげに見守る青年の姿が、容易に想像できた。
郷愁を誘う微笑ましい光景だ。
そして、それと同時に少し驚いてもいた。
ジュリアンの生い立ちと、彼のウィンストンとの関係性が、自分の身にも覚えのあるものであったからだ。
約一ヶ月ほど前。ホムンクルスの共同体(コミューン)の潜入捜査の為に向かった赤銅島。
捜査中に知り合った数々の人間。大人とも子供とも笑顔を交し合った。
そして、任務の失敗。島民は一人残らず犠牲となった。
三人が流した涙。だが、地獄の中で見つけたたったひとつの奇跡。
あの、唯一救い出す事の出来た幼い命、津村斗貴子はこれからどんな未来を歩むのだろう。
自分もウィンストンのように、その成長をつぶさに見守る事になるのだろうか。
それとも……。
ウィンストンは視線をテーブルの辺りに定めて思い出話を続ける。まるで欧州方面大戦士長としての
タガが外れたように。
「だが、訓練所の教官はアイツに戦士の素質は無いと判断した。まあ、俺が贔屓目に見ても、
確かにアイツは戦士に向いてなかったけどよ」
「俺の見てないとこじゃ随分と落ち込んでたらしい。けど、情報部門のエージェントになった時ァ、
眩しいくらいの笑顔で俺の前に挨拶に来たっけなあ……」
「戦士だろうがエージェントだろうが、戦団の為に働く事に変わりはないと自分に言い聞かせたんだろうな。
それから今まで、お世辞にも優秀とは言えないが、アイツは誰よりも任務に対しては一生懸命さ……」
「そんなアイツだから今回の任務には大喜びしてたよ。憧れの“錬金の戦士”と同じ任務に就ける、ってな。
だが……――」
ウィンストンの眼に暗さと厳しさが戻ってきた。
「――今回の任務は危険が大きい。ホムンクルスを操ってるのは、目的達成の為なら手段を選ばす、
テメエの命をクソ程にも思わねえテロリスト(ガイキチ)共だ。それに……。
“あの”アンデルセンの影がチラついてるとなりゃあ、尚更ただのエージェントのジュードにゃ荷が重過ぎる……。
命令を撤回する事も出来るが、それをやっちゃあ他の連中に示しがつかねえし、第一アイツのやる気に
水をさしちまうしな……」
そしてウィンストンの視線が防人の目を捉える。
「だからよ……。アイツの事を、よろしく頼む……」
そして、膝に手を突き、深々と頭を下げた。
日本の風習をよく知る西欧人であるウィンストンの、最大限の礼の示し方である。
「だ、大戦士長!」
世界中のどんな軍事組織にもこんな光景はありえないだろう。
軍を統べる元帥が一兵卒に頭を下げて頼み事をしているのだから。
「すまねえ……。俺は大戦士長失格だな。自分の悩みをブチ撒けるわ、直属の部下を信用しねえわ、
身内は特別扱いするわ。ハハッ……」
先程の優しい笑顔は鳴りを潜め、またもやウィンストンの顔に自嘲的な笑みが戻ってきていた。
防人は器用な人間ではない。
お世辞や誤魔化しの言葉は得意ではないし、好きではない。
だからこそ、自分が思ったままを口にするしかない。
それが果たして我々が見るに正しいのか、間違っているのかは別にして。
「いえ……。大戦士長は素晴らしい方です。俺は、そう思います」
防人の言葉を聞いたウィンストンは不意に立ち上がった。
そして新たな煙草をくわえて火を点けると、防人に背中を向けて窓際に立った。
彼の発する“若さ”と“純粋さ”に耐え切れない心持ちだったからだろう。
それは今のウィンストンには眩し過ぎる。
窓の外を見つめたまま、話を逸らすかのように防人に忠告をした。
「ジュードだけじゃねえ……。お前さんらも充分気をつけろ。特に“奴”とは無理に交戦しようとはするな」
“奴”とはアレクサンド・アンデルセン神父の事だろう。
「マシューや火渡はだいぶ息巻いちゃいるが、ハッキリ言ってヤツに勝てるとは思えん……」
「そ、そこまで……」
ウィンストンは息を飲む防人の方へ振り返りつつ、“お手上げだ”と言わんばかりに頭を掻いた。
ボサボサのロングヘアが更に乱れ、フケが落ちる。
「まず、奴の正体がわからねえ。どんな能力を、戦術を使うのかもまったくわからん。
情報部門の記録を洗わせてみたが、目ぼしい情報は何一つ無かった。
わかったのは、奴が35年前には既に存在しているって事だけだ。俺がまだガキの頃から、
あのクソ神父は化物や異教徒を殺し回ってるってこったな」
それが事実だとすれば、かの神父は五、六十代という事になる。
そんな年寄りがいわゆる“神の敵”を誅殺し、カトリック以外のあらゆる組織に恐れられているとは
防人にはどうしても考えにくい。
(何か秘密がある筈だ……。しかもサムナー戦士長はその事に気づいている節がある……)
昨日の作戦会議の際に見せたサムナーの不自然な態度は、防人の心に疑惑を抱かせるには充分だった。
「それに奴に殺された戦士達は、いずれも名だたる歴戦の兵(つわもの)ばかりだ……。
いいか、アンデルセンにはくれぐれも気をつけろ。お前さんらの本来の任務はテロリスト及び
ホムンクルスの殲滅だ。ヴァチカンとの衝突じゃねえ……」
ウィンストンが命じる任務の“正確”な遂行は、防人達の身を案じる思いと合致している。
「わかりました……!」
その時、防人の決意の言葉が終わるのを待っていたかのように、執務室がノックされた。
「失礼します。あ、やっぱりここにいたんですね、ブラボーサン」
扉からヒョイと顔を覗かせたのは、先程まで話題の中心にいたジュリアン・パウエルだった。
「そろそろ出発の時間です。遅れるとサムナー戦士長がうるさいですよ?」
やや小声で忠告するジュリアン。防人を思いやってくれる人物がここにもいた。
先程のウィンストンの話も相まって、防人にはこの少年臭さが抜けないエージェントが
可愛い弟のように見えてしまう。
「どうしたんですか? 僕の顔に何かついてます?」
「フフッ、何でもないさ」
防人は笑いながら、ジュリアンの頭をポンポンと軽く叩く。
185cmの防人と、それより頭一つ以上背の低いジュリアンでは、そんなやり取りもあまり違和感が無い。
「ああっ! ブラボーサンまで僕を子供扱いしてっ! これでも僕はブラボーサンより年上なんですよ!?」
意外な事実を盾にして、ジュリアンは防人に食って掛かる。
「そ、そうだったのか!?」
「そうですよ! 」
じゃれ合う二人の若者の姿は、ウィンストンの胸中に温かさと苦さを同時に生み出した。
“コイツらはこれからさ。そして、きっと大丈夫だ”
“何故、どうして俺は、俺達はこうなっちまったんだろう”
「キャプテン・ブラボー」
ウィンストンは防人をそう呼んだ。
「気をつけて行ってこいよ……」
最後まで指揮官らしからぬ指揮官の言葉を受け、防人は気を引き締めて姿勢を正す。
錬金の戦士としての任務。自身の信じる正義。火渡や千歳ら、共に戦う仲間。ウィンストンの願い。
その背中は決して軽くはない。
「ハイ! 戦士キャプテン・ブラボー、これより出撃します……!」
防人衛、火渡赤馬、楯山千歳――。若き戦士達は、己が使命を果たす為に。
マシュー・サムナー――。全てを知る者は、その全てを抹殺する為に。
パトリック・オコーネル――。黒鉄の銃を抱く闘士は、死を賭した明日の為に。
そして、アレクサンド・アンデルセン――。神罰の地上代行者は、この世の愚者を打ち滅ぼす為に。
それぞれがそれぞれの“目的”を胸に、血塗られた歴史を繰り返す北の地に集おうとしていた。
正義という名の栄えある舞台の上で、狂気という名の三文歌劇が幕を上げる。
戦いの始まり(アルファ)が告げられ、闘いが終焉(オメガ)を迎える。
死が、吹き荒れる――
防人は立ち尽くしていた。
自分一人が大戦士長の執務室に呼び出された事に。
いくら打ち解けて話が出来たとはいえ、目の前にいる人物は言わば“雲の上の人間”だ。
自分の所属している日本の戦団のトップである亜細亜方面大戦士長にも、防人はまだ会った事が無い。
また昨日あれだけの連帯感の無さをさらけ出しただけに、何とも言いようの無い緊張感が生まれる。
「何の御用でしょうか、ウィンストン大戦士長」
「別に用って用は無えよ。出発前に少し話でもしようかと思ってな。まあ、座れよ」
とても大幹部には見えないこのくだけた人物は、引っ切り無しに煙草の煙を吐きながら着座を勧める。
特に不機嫌そうな訳でもなく、初対面の時の気安さはそのままだ。
「はあ……。失礼します」
防人はおずおずとウィンストンと向かい合うようにソファに座る。
ウィンストンはくわえていた煙草を指に挟むと、防人を見据えて口火を切った。
「マシューの事だが……悪く思うな、とは言わねえ。昨日のアレはアイツの言い過ぎだ」
防人の顔が曇る。
ウィンストンの手前、防人は必死に感情を抑制しようとした。
だが、自分を、そして仲間を全否定されたあの物言いを到底許す気にはなれない。
後年の彼は、ホムンクルス・ムーンフェイスによる部下の殺害にも、武藤カズキの再殺指令にも
“私”の感情を押し殺し、“公”を貫くまでに成長する。
しかし、如何せん今の彼は若すぎる。
「気にしていない、とは俺も言いません。俺だけじゃない。火渡や千歳も……」
視線を落とし、暗い声で言い放つ。膝の上のその拳は、怒りに強く握られていた。
ウィンストンはフーッと溜息と共に大きく煙草の煙を吐き出した。
「すまねえな……。アイツは昔からプライドが高くて自己中なとこはあったが、あんな奴じゃなかった……」
意外な話に顔を上げる防人の真向かいで、ウィンストンが短くなった煙草を灰皿に押し付ける。
吸殻から立ち上る細い煙が、ウィンストンの話す息遣いで大きく揺れ散った。
「訓練生時代も、新米時代も、それにお互い戦士長になってからもアイツと俺はいい仲間同士だったし、
親友同士だったよ。俺が無茶をする、アイツがそれを止めるって感じでな。ずっと、それが続くと思ってた……。
けど、戦団上層ぶのご老人方に見込まれて奴らと繋がるようになってから、アイツは変わっちまった……。
今じゃアイツが何を考えてるのか、何をやってるのか、俺ァ半分もわからねえ。
形式上は俺の直属の部下だが、ほとんど俺の手を離れてご老人方の為に働いてるのさ……」
話しながらも防人から微妙に眼を逸らすウィンストン。
組織を統べる立場にいる者が口にすべき事ではないと、充分に自覚しているからであろう。
「しかし……。大戦士長はウィンストン大戦士長です」
若い防人はウィンストンの心の機微には気づかず、自分の思ったままを言葉にする。
ややおかしな言い回しではあるが。
だが、ウィンストンの顔に浮かぶのは自嘲の笑みだ。
「“ただの”大戦士長さ。所詮、俺は“戦闘部門”のトップよ。使えるマシューは“政治”の場へ、
老頭児(ロートル)の言う事を聞かねえ俺は“政治”とは無関係な兵隊の親玉に、ってワケさ。
現場に飛び込めないようにクソ会議とクソ机とクソ書類でがんじがらめにした親玉にな。
お前さんも使わない物は高いとこへ置いとくだろ?」
「そんな……」
二人を包む空間に沈黙の帳が降りる。
実際は普段のお気楽さと程遠い暗い世界に囲まれているウィンストンと、若さに似合わぬ傷を抱えた防人。
外からどう見えようが、男は上着を一枚捲れば、内に着ているものは案外と汚れや綻びだらけなものなのだ。
「……すまんな、愚痴を並べちまって。本来、お前さんにゃ関係無い話なのにな。まあ……。忘れてくれ」
また少しの沈黙を挟み、幾分遠慮がちにウィンストンが話し始めた。
「それと……ジュードをよろしく頼む」
最初は誰の事を言っているのかわからなかったが、すぐに思い当たった。
子供扱いのその呼び方に頬を膨らませるあの坊やだ。
「ああ、ジュリアンの事ですね」
「ハハッ、そうだ。俺はあの坊やが三つ四つの小便垂れだった頃から面倒を見てきたんだ。
まあ、よくある話だ。ホムンクルスに家族を皆殺しにされて身寄りが無いアイツを、俺が拾ったのさ。
それから、アイツは戦団の施設に預けられたが、まるで弟のように思えてな。
特別、可愛がったよ。それに、アイツはこんな俺でも憧れてくれてな――」
『僕、大きくなったらジョンみたいな錬金の戦士になるよ!』
「――ってよく騒いでたっけ……」
先程とは違う、優しさに溢れた笑顔を浮かべるウィンストン。その脳裏には、幼い頃のジュリアンが
浮かび上がっているのだろう。
防人にも、無邪気な少年とそれを愛おしげに見守る青年の姿が、容易に想像できた。
郷愁を誘う微笑ましい光景だ。
そして、それと同時に少し驚いてもいた。
ジュリアンの生い立ちと、彼のウィンストンとの関係性が、自分の身にも覚えのあるものであったからだ。
約一ヶ月ほど前。ホムンクルスの共同体(コミューン)の潜入捜査の為に向かった赤銅島。
捜査中に知り合った数々の人間。大人とも子供とも笑顔を交し合った。
そして、任務の失敗。島民は一人残らず犠牲となった。
三人が流した涙。だが、地獄の中で見つけたたったひとつの奇跡。
あの、唯一救い出す事の出来た幼い命、津村斗貴子はこれからどんな未来を歩むのだろう。
自分もウィンストンのように、その成長をつぶさに見守る事になるのだろうか。
それとも……。
ウィンストンは視線をテーブルの辺りに定めて思い出話を続ける。まるで欧州方面大戦士長としての
タガが外れたように。
「だが、訓練所の教官はアイツに戦士の素質は無いと判断した。まあ、俺が贔屓目に見ても、
確かにアイツは戦士に向いてなかったけどよ」
「俺の見てないとこじゃ随分と落ち込んでたらしい。けど、情報部門のエージェントになった時ァ、
眩しいくらいの笑顔で俺の前に挨拶に来たっけなあ……」
「戦士だろうがエージェントだろうが、戦団の為に働く事に変わりはないと自分に言い聞かせたんだろうな。
それから今まで、お世辞にも優秀とは言えないが、アイツは誰よりも任務に対しては一生懸命さ……」
「そんなアイツだから今回の任務には大喜びしてたよ。憧れの“錬金の戦士”と同じ任務に就ける、ってな。
だが……――」
ウィンストンの眼に暗さと厳しさが戻ってきた。
「――今回の任務は危険が大きい。ホムンクルスを操ってるのは、目的達成の為なら手段を選ばす、
テメエの命をクソ程にも思わねえテロリスト(ガイキチ)共だ。それに……。
“あの”アンデルセンの影がチラついてるとなりゃあ、尚更ただのエージェントのジュードにゃ荷が重過ぎる……。
命令を撤回する事も出来るが、それをやっちゃあ他の連中に示しがつかねえし、第一アイツのやる気に
水をさしちまうしな……」
そしてウィンストンの視線が防人の目を捉える。
「だからよ……。アイツの事を、よろしく頼む……」
そして、膝に手を突き、深々と頭を下げた。
日本の風習をよく知る西欧人であるウィンストンの、最大限の礼の示し方である。
「だ、大戦士長!」
世界中のどんな軍事組織にもこんな光景はありえないだろう。
軍を統べる元帥が一兵卒に頭を下げて頼み事をしているのだから。
「すまねえ……。俺は大戦士長失格だな。自分の悩みをブチ撒けるわ、直属の部下を信用しねえわ、
身内は特別扱いするわ。ハハッ……」
先程の優しい笑顔は鳴りを潜め、またもやウィンストンの顔に自嘲的な笑みが戻ってきていた。
防人は器用な人間ではない。
お世辞や誤魔化しの言葉は得意ではないし、好きではない。
だからこそ、自分が思ったままを口にするしかない。
それが果たして我々が見るに正しいのか、間違っているのかは別にして。
「いえ……。大戦士長は素晴らしい方です。俺は、そう思います」
防人の言葉を聞いたウィンストンは不意に立ち上がった。
そして新たな煙草をくわえて火を点けると、防人に背中を向けて窓際に立った。
彼の発する“若さ”と“純粋さ”に耐え切れない心持ちだったからだろう。
それは今のウィンストンには眩し過ぎる。
窓の外を見つめたまま、話を逸らすかのように防人に忠告をした。
「ジュードだけじゃねえ……。お前さんらも充分気をつけろ。特に“奴”とは無理に交戦しようとはするな」
“奴”とはアレクサンド・アンデルセン神父の事だろう。
「マシューや火渡はだいぶ息巻いちゃいるが、ハッキリ言ってヤツに勝てるとは思えん……」
「そ、そこまで……」
ウィンストンは息を飲む防人の方へ振り返りつつ、“お手上げだ”と言わんばかりに頭を掻いた。
ボサボサのロングヘアが更に乱れ、フケが落ちる。
「まず、奴の正体がわからねえ。どんな能力を、戦術を使うのかもまったくわからん。
情報部門の記録を洗わせてみたが、目ぼしい情報は何一つ無かった。
わかったのは、奴が35年前には既に存在しているって事だけだ。俺がまだガキの頃から、
あのクソ神父は化物や異教徒を殺し回ってるってこったな」
それが事実だとすれば、かの神父は五、六十代という事になる。
そんな年寄りがいわゆる“神の敵”を誅殺し、カトリック以外のあらゆる組織に恐れられているとは
防人にはどうしても考えにくい。
(何か秘密がある筈だ……。しかもサムナー戦士長はその事に気づいている節がある……)
昨日の作戦会議の際に見せたサムナーの不自然な態度は、防人の心に疑惑を抱かせるには充分だった。
「それに奴に殺された戦士達は、いずれも名だたる歴戦の兵(つわもの)ばかりだ……。
いいか、アンデルセンにはくれぐれも気をつけろ。お前さんらの本来の任務はテロリスト及び
ホムンクルスの殲滅だ。ヴァチカンとの衝突じゃねえ……」
ウィンストンが命じる任務の“正確”な遂行は、防人達の身を案じる思いと合致している。
「わかりました……!」
その時、防人の決意の言葉が終わるのを待っていたかのように、執務室がノックされた。
「失礼します。あ、やっぱりここにいたんですね、ブラボーサン」
扉からヒョイと顔を覗かせたのは、先程まで話題の中心にいたジュリアン・パウエルだった。
「そろそろ出発の時間です。遅れるとサムナー戦士長がうるさいですよ?」
やや小声で忠告するジュリアン。防人を思いやってくれる人物がここにもいた。
先程のウィンストンの話も相まって、防人にはこの少年臭さが抜けないエージェントが
可愛い弟のように見えてしまう。
「どうしたんですか? 僕の顔に何かついてます?」
「フフッ、何でもないさ」
防人は笑いながら、ジュリアンの頭をポンポンと軽く叩く。
185cmの防人と、それより頭一つ以上背の低いジュリアンでは、そんなやり取りもあまり違和感が無い。
「ああっ! ブラボーサンまで僕を子供扱いしてっ! これでも僕はブラボーサンより年上なんですよ!?」
意外な事実を盾にして、ジュリアンは防人に食って掛かる。
「そ、そうだったのか!?」
「そうですよ! 」
じゃれ合う二人の若者の姿は、ウィンストンの胸中に温かさと苦さを同時に生み出した。
“コイツらはこれからさ。そして、きっと大丈夫だ”
“何故、どうして俺は、俺達はこうなっちまったんだろう”
「キャプテン・ブラボー」
ウィンストンは防人をそう呼んだ。
「気をつけて行ってこいよ……」
最後まで指揮官らしからぬ指揮官の言葉を受け、防人は気を引き締めて姿勢を正す。
錬金の戦士としての任務。自身の信じる正義。火渡や千歳ら、共に戦う仲間。ウィンストンの願い。
その背中は決して軽くはない。
「ハイ! 戦士キャプテン・ブラボー、これより出撃します……!」
防人衛、火渡赤馬、楯山千歳――。若き戦士達は、己が使命を果たす為に。
マシュー・サムナー――。全てを知る者は、その全てを抹殺する為に。
パトリック・オコーネル――。黒鉄の銃を抱く闘士は、死を賭した明日の為に。
そして、アレクサンド・アンデルセン――。神罰の地上代行者は、この世の愚者を打ち滅ぼす為に。
それぞれがそれぞれの“目的”を胸に、血塗られた歴史を繰り返す北の地に集おうとしていた。
正義という名の栄えある舞台の上で、狂気という名の三文歌劇が幕を上げる。
戦いの始まり(アルファ)が告げられ、闘いが終焉(オメガ)を迎える。
死が、吹き荒れる――