線路の中に入って最高速で突っ走る電車の前に仁王立ちでもしてみれば、あるいは今の
加藤に近い心境を味わえるかもしれない。向かい合っているだけで、後世伝記を出版され
るぐらいの偉業を成している気分になれる。自分自身を称賛したくなってしまう。
迫力という一点において、甦った末堂は今までのどの試練をも上回っていた。おそらく
は、強さも。
血走った眼球からは、絶えず剥き出しの殺意が嫌というほど注がれる。グラスはとっく
に満たされているのにまだ注ぐ。
加藤は拳の開閉を繰り返す。実際に行っている人にお目にかかったことがないが、人と
いう字を手に書いて飲み込む、あの行為によく似ていた。
不意に、殺気の波長が少し乱れた。
(──来るッ!)
瞬間移動。加藤はまず、この四文字を思い浮かべていた。次いで、空手術に瞬間移動は
存在しないことを思い出していた。そして、ようやく自分が末堂の攻撃で吹き飛ばされた
という事実に追いついた。
元々一流アスリート級の脚力を持つ末堂。武神によって能力を増幅させた彼の初速は肉
眼を超え、ダッシュの勢いを利用して放たれた前蹴りは兵器と呼べる代物だった。
(そうか……俺は蹴られて……)腹部に残る鈍痛を認識した途端、吐き気が込み上げてき
た。「ガハァッ!」
加藤は仰向けだった。一度宙に舞った血が、また自分に降りてくる。
(立た……ねぇと、立てよ俺……立て!)
休息を求める体を、命令で無理矢理立たせる。どうやらまだ体は戦ってくれるらしい。
「カァトオォォォォッ!」
末堂は膝を折り、跳び上がった。両手足を広げて空に舞った末堂の姿は、まさに古代の
翼竜。
空中で展開されたのはトマホークのような跳び足刀。片足に対し、加藤は両腕を固めた
ガードでようやく持ち応える。
「ぐぅっ……!」
ガードに使用した両腕には痺れがまだ残っているが、構ってなどいられない。足刀を受
けきった瞬間、加藤には決定的なチャンスが約束された。
(多分──これを逃せば、殺される)
末堂が着地する寸前、つま先がつくかつかぬかの刹那。敵は未だ空中にいて自由が利か
ないが、こちらの空手技は届くという絶好のポジション。
「ッシャオラァァアッ!」
問答無用の全力金的。睾丸を中心に、全身に未曾有の不快感が広がる。
動きを止めた末堂にプレゼントされるのは、むろん疾風怒涛の連撃しかない。
喉仏に貫き手、胸板と腹筋にガチガチに固めた正拳を狂ったように浴びせる。膝に足裏
を叩き込み、さらにそこから踏み込み、間欠泉のように突き上げるアッパーカット。通常、
たとえ畜生相手でもここまではすまい。ましてや友になど。それをやれてしまうのが、加
藤がデンジャラスライオンを呼ばれる所以である。
手応えあり。末堂の体が若干前に傾く。
(悪ィな、末堂……)加藤は大きく息を吸い込む。最大最強の一撃を放つために。(これ
で終わりだッ!)
下から上へ美しい曲線を描き発射される、左ハイ。
スーパーウルトラデリシャスヒット。
末堂の右頬から耳にかけてめり込んだ加藤の左足は、奥歯の幾つかを叩き割ると、好敵
手であった二メートル五センチを倒壊させるに至った。
上段廻し蹴りでの決着。奇しくも、試合前に加藤が行った挑発通りの結末となった。
──だが。
加藤は構えを解こうとはしない。まだ終わっていない、と本能が警報を発している。
うつ伏せで崩れる末堂から、くぐもった笑い声が漂ってくる。
「ク、ククク、ク……」
「え?」
「クゥゥアァトォォォォォオォオッ!」
本能は正しかった。
末堂の猛反撃。左右から拳での挟み撃ち。かろうじてかわす。と、下から迫る膝。これ
も紙一重で見切る。と、打ち上げた膝を伸ばし、踵落としに可変させる。これには両腕ブ
ロックで対抗するが、今度は受け切れない。
「ぐぉ……っ!」
防御を失敗(ミス)すれば、無防備という名の地獄に落とされるのは必然である。直後、
胃を押し潰しかねない末堂のボディブローが決まった。
「──ゲアァッ!」
胃酸が飛び出る。舌に触れる。当然だが苦くて不味い。
そこへ飛んできたのは目突き。末堂の太い指が入ってしまえば、結果は失明以外にあり
えない。
「ッシィッ!」
目突きに使用される二指を、前もって台本が用意されていたようなタイミングで迎撃す
る右拳。生来のラフファイターとして、得意技で討たれるわけにはいかない。
「バカヤロウが……。目突きと金的は俺の専売特──!?」
非の打ち所のない一撃だったはず。なのに、加藤の目が凍りつく。
打ち抜けない。否、指二本に凶器(こぶし)が押し負けている。チョキがグーを圧倒す
るなんて、あっていいのか。
「マ、ジか、よ……! ぐっ……!」
指二本に押され、加藤の足が後ろへと引きずられる。
一メートルほど後退させられた。たかが一メートルあなどるなかれ、センチに直せば百
となり、ミリに直せば千にもなる。空手家として、屈辱にまみれた一メートルであった。
気を取り直し、すかさず左拳を出すが、届く寸前に末堂の手刀が加藤の頭に落ちた。
突然だがここでクイズ。トリック無しで瓦を二十枚以上粉砕できる末堂の手刀が、より
パワーアップされた状態でヒットしたらその人間は果たしてどうなるか。
答えは──目から血を、鼻からも血を、口からも血を流しながら踏み堪える、だった。
「き、効かねェな……」
全身全霊で虚勢を吐き出す加藤。その横っ面に喰らわされる平手。約一秒の水平飛行の
後、加藤は転がりながら墜落した。
(なんてぇ強さだ……人間じゃねぇ……)
勝利が遠ざかる。背中は地平線の彼方へ消え、もう足音さえ聞こえない。全速力で追い
かけても、もう届くまい。こんなファンタスティックな光景が、傷ついた獅子の頭におぼ
ろげながら描かれた。
しかし、同時に思い知る。俺にはまだこんな下らないことを考える力が残っている、と。
余力を残しては死ねない。死ねるわけがない。あと少しというところで、あっさり死んで
どうする。
自分を守って死んだドッポにも、自分を待っている井上にも、自分と戦ってくれている
末堂にも、自分を育ててくれた独歩にも、申し訳が立たないではないか。
(俺が死ぬのは、死ぬ時だけだッ!)
やるだけやって、疲れ果てて、もうどうしようもない、死ぬしかない、などと考える力
もなくなったところへ四方八方から核ミサイルが飛んできたとしても、生きることを絶対
に諦めない。諦めてたまるか。
加藤に近い心境を味わえるかもしれない。向かい合っているだけで、後世伝記を出版され
るぐらいの偉業を成している気分になれる。自分自身を称賛したくなってしまう。
迫力という一点において、甦った末堂は今までのどの試練をも上回っていた。おそらく
は、強さも。
血走った眼球からは、絶えず剥き出しの殺意が嫌というほど注がれる。グラスはとっく
に満たされているのにまだ注ぐ。
加藤は拳の開閉を繰り返す。実際に行っている人にお目にかかったことがないが、人と
いう字を手に書いて飲み込む、あの行為によく似ていた。
不意に、殺気の波長が少し乱れた。
(──来るッ!)
瞬間移動。加藤はまず、この四文字を思い浮かべていた。次いで、空手術に瞬間移動は
存在しないことを思い出していた。そして、ようやく自分が末堂の攻撃で吹き飛ばされた
という事実に追いついた。
元々一流アスリート級の脚力を持つ末堂。武神によって能力を増幅させた彼の初速は肉
眼を超え、ダッシュの勢いを利用して放たれた前蹴りは兵器と呼べる代物だった。
(そうか……俺は蹴られて……)腹部に残る鈍痛を認識した途端、吐き気が込み上げてき
た。「ガハァッ!」
加藤は仰向けだった。一度宙に舞った血が、また自分に降りてくる。
(立た……ねぇと、立てよ俺……立て!)
休息を求める体を、命令で無理矢理立たせる。どうやらまだ体は戦ってくれるらしい。
「カァトオォォォォッ!」
末堂は膝を折り、跳び上がった。両手足を広げて空に舞った末堂の姿は、まさに古代の
翼竜。
空中で展開されたのはトマホークのような跳び足刀。片足に対し、加藤は両腕を固めた
ガードでようやく持ち応える。
「ぐぅっ……!」
ガードに使用した両腕には痺れがまだ残っているが、構ってなどいられない。足刀を受
けきった瞬間、加藤には決定的なチャンスが約束された。
(多分──これを逃せば、殺される)
末堂が着地する寸前、つま先がつくかつかぬかの刹那。敵は未だ空中にいて自由が利か
ないが、こちらの空手技は届くという絶好のポジション。
「ッシャオラァァアッ!」
問答無用の全力金的。睾丸を中心に、全身に未曾有の不快感が広がる。
動きを止めた末堂にプレゼントされるのは、むろん疾風怒涛の連撃しかない。
喉仏に貫き手、胸板と腹筋にガチガチに固めた正拳を狂ったように浴びせる。膝に足裏
を叩き込み、さらにそこから踏み込み、間欠泉のように突き上げるアッパーカット。通常、
たとえ畜生相手でもここまではすまい。ましてや友になど。それをやれてしまうのが、加
藤がデンジャラスライオンを呼ばれる所以である。
手応えあり。末堂の体が若干前に傾く。
(悪ィな、末堂……)加藤は大きく息を吸い込む。最大最強の一撃を放つために。(これ
で終わりだッ!)
下から上へ美しい曲線を描き発射される、左ハイ。
スーパーウルトラデリシャスヒット。
末堂の右頬から耳にかけてめり込んだ加藤の左足は、奥歯の幾つかを叩き割ると、好敵
手であった二メートル五センチを倒壊させるに至った。
上段廻し蹴りでの決着。奇しくも、試合前に加藤が行った挑発通りの結末となった。
──だが。
加藤は構えを解こうとはしない。まだ終わっていない、と本能が警報を発している。
うつ伏せで崩れる末堂から、くぐもった笑い声が漂ってくる。
「ク、ククク、ク……」
「え?」
「クゥゥアァトォォォォォオォオッ!」
本能は正しかった。
末堂の猛反撃。左右から拳での挟み撃ち。かろうじてかわす。と、下から迫る膝。これ
も紙一重で見切る。と、打ち上げた膝を伸ばし、踵落としに可変させる。これには両腕ブ
ロックで対抗するが、今度は受け切れない。
「ぐぉ……っ!」
防御を失敗(ミス)すれば、無防備という名の地獄に落とされるのは必然である。直後、
胃を押し潰しかねない末堂のボディブローが決まった。
「──ゲアァッ!」
胃酸が飛び出る。舌に触れる。当然だが苦くて不味い。
そこへ飛んできたのは目突き。末堂の太い指が入ってしまえば、結果は失明以外にあり
えない。
「ッシィッ!」
目突きに使用される二指を、前もって台本が用意されていたようなタイミングで迎撃す
る右拳。生来のラフファイターとして、得意技で討たれるわけにはいかない。
「バカヤロウが……。目突きと金的は俺の専売特──!?」
非の打ち所のない一撃だったはず。なのに、加藤の目が凍りつく。
打ち抜けない。否、指二本に凶器(こぶし)が押し負けている。チョキがグーを圧倒す
るなんて、あっていいのか。
「マ、ジか、よ……! ぐっ……!」
指二本に押され、加藤の足が後ろへと引きずられる。
一メートルほど後退させられた。たかが一メートルあなどるなかれ、センチに直せば百
となり、ミリに直せば千にもなる。空手家として、屈辱にまみれた一メートルであった。
気を取り直し、すかさず左拳を出すが、届く寸前に末堂の手刀が加藤の頭に落ちた。
突然だがここでクイズ。トリック無しで瓦を二十枚以上粉砕できる末堂の手刀が、より
パワーアップされた状態でヒットしたらその人間は果たしてどうなるか。
答えは──目から血を、鼻からも血を、口からも血を流しながら踏み堪える、だった。
「き、効かねェな……」
全身全霊で虚勢を吐き出す加藤。その横っ面に喰らわされる平手。約一秒の水平飛行の
後、加藤は転がりながら墜落した。
(なんてぇ強さだ……人間じゃねぇ……)
勝利が遠ざかる。背中は地平線の彼方へ消え、もう足音さえ聞こえない。全速力で追い
かけても、もう届くまい。こんなファンタスティックな光景が、傷ついた獅子の頭におぼ
ろげながら描かれた。
しかし、同時に思い知る。俺にはまだこんな下らないことを考える力が残っている、と。
余力を残しては死ねない。死ねるわけがない。あと少しというところで、あっさり死んで
どうする。
自分を守って死んだドッポにも、自分を待っている井上にも、自分と戦ってくれている
末堂にも、自分を育ててくれた独歩にも、申し訳が立たないではないか。
(俺が死ぬのは、死ぬ時だけだッ!)
やるだけやって、疲れ果てて、もうどうしようもない、死ぬしかない、などと考える力
もなくなったところへ四方八方から核ミサイルが飛んできたとしても、生きることを絶対
に諦めない。諦めてたまるか。
──加藤は立った。
立ち姿に覇気はなく、両手は一切構えを取らず、かろうじて二本の足が支えとして機能
しているといった風采だ。
それでもなお、目だけはまっすぐ敵を見据えている。末堂を倒し生き抜くと決断した男
からは、すでに後退のネジは外されていた。
(絶対に……勝つ!)
不退転の決意を固め、同時に拳をも固め、加藤がスタートを切る。
末堂も動く。脅威の瞬発力から生み出される初速で間合いを消し、斧の重さとナイフの
鋭利さという二兎を得た肘が、上空から振り下ろされる。
これを加藤は額でブロック。やはり無事では済まず、額からぱっと血が噴き出る。
次弾は下突き。反応が追いつかず、肝臓(レバー)にもろに受けてしまう。だが──
「んああッ!」
気合とも奇声とも悲鳴ともつかぬ声で、鍛え上げた肘と膝が突きに使用された右腕を挟
み潰す。メキ、と筋肉が歪んだ音が迸る。本来は防御技で、捨て身で放つ技ではないのだ
が、兎にも角にも、高等技術『蹴り足ハサミ殺し』炸裂。
しているといった風采だ。
それでもなお、目だけはまっすぐ敵を見据えている。末堂を倒し生き抜くと決断した男
からは、すでに後退のネジは外されていた。
(絶対に……勝つ!)
不退転の決意を固め、同時に拳をも固め、加藤がスタートを切る。
末堂も動く。脅威の瞬発力から生み出される初速で間合いを消し、斧の重さとナイフの
鋭利さという二兎を得た肘が、上空から振り下ろされる。
これを加藤は額でブロック。やはり無事では済まず、額からぱっと血が噴き出る。
次弾は下突き。反応が追いつかず、肝臓(レバー)にもろに受けてしまう。だが──
「んああッ!」
気合とも奇声とも悲鳴ともつかぬ声で、鍛え上げた肘と膝が突きに使用された右腕を挟
み潰す。メキ、と筋肉が歪んだ音が迸る。本来は防御技で、捨て身で放つ技ではないのだ
が、兎にも角にも、高等技術『蹴り足ハサミ殺し』炸裂。