時の帝・後醍醐天皇は倒幕を企て、兵を率いて幕府に反旗を翻した。幕府は直ちに
軍を差し向けてこれを討伐せんとする。天皇は京都の南端に位置する笠置山中、
笠置寺に陣を張った。天皇の実子にして、かねてより僧兵として修行を積んでいた
護良親王(もりよししんのう)も比叡山の僧兵たちを率いて、背後から天皇を援護。
そして楠木正成も赤坂城に手勢を集結させ、幕府軍を迎え撃った。総勢五百人の
河内悪党が籠もる赤坂城を取り囲む幕府軍は、一万なのか二万なのかそれ以上か。
圧倒的多数、どころか絶望的多数の敵軍だが、正成は奇策の数々で健闘、むしろ
優勢に戦いを進めていた。
赤坂城は正成が急ごしらえで造った城、というか砦なので、小さなものである。鉤縄を
投げて城壁に引っ掛けて、簡単に登っていける。そのはずなのだ。普通は。が、
「……ん?」
縄を掴み、城壁を登っていこうとした幕府軍の武士たちが、ふと手を止めた。城内から、
弓矢ならぬ長~いひしゃくが突き出されたのだ。
何だ? と思って見ていたら、そのひしゃくが振り回されて、
「熱ちちちちぃぃっ! お、おのれ、卑怯者どもめっ! 正々堂々と……ぐ熱いっっ!」
「くそ、負けるか! やあやあ我こそは……ぅあダメだ、あち、あち、あち、あちっ!」
熱湯がブチまけられた。矢なら盾や鎧で防げるが、熱い湯となるとどうにもならない。
盾を伝い、鎧の隙間に流れ込み、肌に直接火傷を負わせる。防ぎようないのだ。
蟻のように城壁に取り付いていた武士たちが、悲鳴を上げて転げ落ちて逃げていく。
そして逃げていくのを確認した上で、その背に向かって一斉に矢が射かけられた。
無論無防備、防御も回避もなく全部命中、武士たちは虫ケラのように射殺される。
武士たちにもメンツがあるので、河内悪党如きチンピラ風情を相手に全軍撤退など
許されない。結果として、似たような虐殺劇が何日も続くこととなった。
「お~お~。今日も今日とてさすがだね、お兄さん」
城壁の上に立って、陸奥大和は感嘆し拍手した。今日もまた幕府軍の武士たちが、
何百という単位で射殺されている。万を余裕で越える敵軍を相手に、当方は僅か
五百なのに全員無傷、敵の損害はもう数千に達している。大勝もいいとこである。
護良親王とやらも頑張ってるらしいし、これなら完全勝利の日も遠くはないだろう。
「あはは。案外ちょろいもんだね、倒幕なんて。動乱の時代をあっという間に
駆け抜けて、新時代の到来か。日本の夜明けってやつ? まぁオレとしては、また
お兄さんとやれればそれでいいんだけど……って」
いつもながらニコニコしてた大和が、ふと気付いて口を止めた。隣にいる正成の
表情が、妙に沈んでいる。
「どしたの、お兄さん。大勝利なのに。あ、それにも飽きたとか」
「誰がだ。戦に飽きることなどあるものか。今俺が考えていたのは、我が軍のことだ」
言いながら正成が、城内に目を移す。ここから見下ろすと、今日の後始末と明日の
準備をしている皆の様子がよく見える。湯を大釜で沸かし、矢を作り、弓の手入れをし、
いつも通りだが……心なしか、元気がない。
「確かに、毎日大勝だ。だがそれでも、相手は全員が戦の専門家、武士たち。対して
こちらは、少々盗賊団の真似事をさせたとはいえ、百姓や木こりや猟師の寄せ集めに
過ぎん。ちょっとやそっと勝ったところで、恐怖心が拭いきれるものではない」
「あ、なるほど。しかも状況的には大軍に囲まれた小勢だしね。怖いか、普通は」
「当然だ。あまり長くこのままだと、攻防で勝っても他のことで負ける。皆の精神状態を
何とかせねば、死者なし兵糧あり一方的大勝、にも関わらず城が落ちかねん」
「……ふむ」
ほりほりと頭を掻きながら、大和はちょっと考えた。
「んじゃ、今夜はみんなで宴会しようよ。オレ、とっておきの芸を披露するからさ」
「宴会を? それで皆の鋭気を養おうというのか」
「そういうこと。ダメかな?」
「いや、ダメということはない。それはそれでいい考えだと思うが」
「じゃあそれでいこっ。期待しててくれよ、オレの芸」
大和はいつものニコニコ顔で、自信ありげにそう言った。
その日の夜。僅かな見張りを残して、赤坂城内の広場で大宴会が催された。
殺伐とした殺し合い(実質的には一方的虐殺だが)の日々に疲れきっていた河内悪党
の面々は、久々の酒と粗末ながらも宴会用の料理に、少しずつ元気を取り戻していく。
そして宴もたけなわになった頃、大和が登場した。ほっかむりをして、おどけた化粧を
して、両手に一本ずつ鍬を持って。器用にその二本を操って、滑稽な踊りを始める。
「♪犬が西向きゃ尾は東、オイラが笑うと星が散る、っとくらぁ♪」
皆が笑いながら見ていると、事前に打ち合わせしてあったのであろう、宴席の中から
二本の鍬が投げられた。大和は最初に持っていた二本を高く投げ上げて、その二本を
受け取った。やがてその二本を投げ上げて入れ替わりに落ちてきた二本を取り、で踊る。
「これは……」
「ほう……」
笑っていた皆の口から、溜息が漏れ出した。大和は四本の鍬を絶え間なく、まるで
お手玉のようにくるくると投げ回して、それでいて踊りの方も全く淀みなく続けていく。
片手逆立ちの姿勢から高く跳び上がったり、宙で両脚を振り回しつつ身軽に前転したり。
でも鍬は落とさない。
「♪天下の国々栄えあれ~クルリと回ればクルリと回れば、世は変わる~っと♪」
ぱしっ、と最後に二本ずつの鍬を両手で受け止め、踊りは終わった。
飲み食いを中断して見入っていた皆が、一斉に歓声を上げて拍手する。正成さえ
心から感心して、惜しみなく手を叩いていた。
その隣の席へ、皆からぱしぱし叩かれながら、ほっかむりの大和がやってくる。
「どもども、どもども。どうだった、お兄さん?」
「どうもこうもない。お前は武術のみならず、宴会芸に於いても人の域を越えているな」
「あはは、そりゃどうも」
ほりほりと頭を掻く大和、嬉しそう。
「オレはご先祖様とは違って馬鹿だからさ、こんなことぐらいしかできなくて」
「そう言えばお前の一族……陸奥圓明流といえば、源平合戦の折にもかの九郎判官
義経殿を助け、並々ならぬ武功を挙げたと伝えられているが。真のことか?」
「らしいけどね。でもオレはオレ、オレにできることをやるだけさ。だから後編も頑張るよ」
「後編? 何だそれは。今の踊りに続きがあるのか?」
と正成は尋ねるが、大和はニコニコするばかり。
「あはは。ま、楽しみにしてて。明日になりゃわかるからさ。兵法とか軍略とか、
そういうのを全然知らない馬鹿には、馬鹿なりのやり方があるってこと」
軍を差し向けてこれを討伐せんとする。天皇は京都の南端に位置する笠置山中、
笠置寺に陣を張った。天皇の実子にして、かねてより僧兵として修行を積んでいた
護良親王(もりよししんのう)も比叡山の僧兵たちを率いて、背後から天皇を援護。
そして楠木正成も赤坂城に手勢を集結させ、幕府軍を迎え撃った。総勢五百人の
河内悪党が籠もる赤坂城を取り囲む幕府軍は、一万なのか二万なのかそれ以上か。
圧倒的多数、どころか絶望的多数の敵軍だが、正成は奇策の数々で健闘、むしろ
優勢に戦いを進めていた。
赤坂城は正成が急ごしらえで造った城、というか砦なので、小さなものである。鉤縄を
投げて城壁に引っ掛けて、簡単に登っていける。そのはずなのだ。普通は。が、
「……ん?」
縄を掴み、城壁を登っていこうとした幕府軍の武士たちが、ふと手を止めた。城内から、
弓矢ならぬ長~いひしゃくが突き出されたのだ。
何だ? と思って見ていたら、そのひしゃくが振り回されて、
「熱ちちちちぃぃっ! お、おのれ、卑怯者どもめっ! 正々堂々と……ぐ熱いっっ!」
「くそ、負けるか! やあやあ我こそは……ぅあダメだ、あち、あち、あち、あちっ!」
熱湯がブチまけられた。矢なら盾や鎧で防げるが、熱い湯となるとどうにもならない。
盾を伝い、鎧の隙間に流れ込み、肌に直接火傷を負わせる。防ぎようないのだ。
蟻のように城壁に取り付いていた武士たちが、悲鳴を上げて転げ落ちて逃げていく。
そして逃げていくのを確認した上で、その背に向かって一斉に矢が射かけられた。
無論無防備、防御も回避もなく全部命中、武士たちは虫ケラのように射殺される。
武士たちにもメンツがあるので、河内悪党如きチンピラ風情を相手に全軍撤退など
許されない。結果として、似たような虐殺劇が何日も続くこととなった。
「お~お~。今日も今日とてさすがだね、お兄さん」
城壁の上に立って、陸奥大和は感嘆し拍手した。今日もまた幕府軍の武士たちが、
何百という単位で射殺されている。万を余裕で越える敵軍を相手に、当方は僅か
五百なのに全員無傷、敵の損害はもう数千に達している。大勝もいいとこである。
護良親王とやらも頑張ってるらしいし、これなら完全勝利の日も遠くはないだろう。
「あはは。案外ちょろいもんだね、倒幕なんて。動乱の時代をあっという間に
駆け抜けて、新時代の到来か。日本の夜明けってやつ? まぁオレとしては、また
お兄さんとやれればそれでいいんだけど……って」
いつもながらニコニコしてた大和が、ふと気付いて口を止めた。隣にいる正成の
表情が、妙に沈んでいる。
「どしたの、お兄さん。大勝利なのに。あ、それにも飽きたとか」
「誰がだ。戦に飽きることなどあるものか。今俺が考えていたのは、我が軍のことだ」
言いながら正成が、城内に目を移す。ここから見下ろすと、今日の後始末と明日の
準備をしている皆の様子がよく見える。湯を大釜で沸かし、矢を作り、弓の手入れをし、
いつも通りだが……心なしか、元気がない。
「確かに、毎日大勝だ。だがそれでも、相手は全員が戦の専門家、武士たち。対して
こちらは、少々盗賊団の真似事をさせたとはいえ、百姓や木こりや猟師の寄せ集めに
過ぎん。ちょっとやそっと勝ったところで、恐怖心が拭いきれるものではない」
「あ、なるほど。しかも状況的には大軍に囲まれた小勢だしね。怖いか、普通は」
「当然だ。あまり長くこのままだと、攻防で勝っても他のことで負ける。皆の精神状態を
何とかせねば、死者なし兵糧あり一方的大勝、にも関わらず城が落ちかねん」
「……ふむ」
ほりほりと頭を掻きながら、大和はちょっと考えた。
「んじゃ、今夜はみんなで宴会しようよ。オレ、とっておきの芸を披露するからさ」
「宴会を? それで皆の鋭気を養おうというのか」
「そういうこと。ダメかな?」
「いや、ダメということはない。それはそれでいい考えだと思うが」
「じゃあそれでいこっ。期待しててくれよ、オレの芸」
大和はいつものニコニコ顔で、自信ありげにそう言った。
その日の夜。僅かな見張りを残して、赤坂城内の広場で大宴会が催された。
殺伐とした殺し合い(実質的には一方的虐殺だが)の日々に疲れきっていた河内悪党
の面々は、久々の酒と粗末ながらも宴会用の料理に、少しずつ元気を取り戻していく。
そして宴もたけなわになった頃、大和が登場した。ほっかむりをして、おどけた化粧を
して、両手に一本ずつ鍬を持って。器用にその二本を操って、滑稽な踊りを始める。
「♪犬が西向きゃ尾は東、オイラが笑うと星が散る、っとくらぁ♪」
皆が笑いながら見ていると、事前に打ち合わせしてあったのであろう、宴席の中から
二本の鍬が投げられた。大和は最初に持っていた二本を高く投げ上げて、その二本を
受け取った。やがてその二本を投げ上げて入れ替わりに落ちてきた二本を取り、で踊る。
「これは……」
「ほう……」
笑っていた皆の口から、溜息が漏れ出した。大和は四本の鍬を絶え間なく、まるで
お手玉のようにくるくると投げ回して、それでいて踊りの方も全く淀みなく続けていく。
片手逆立ちの姿勢から高く跳び上がったり、宙で両脚を振り回しつつ身軽に前転したり。
でも鍬は落とさない。
「♪天下の国々栄えあれ~クルリと回ればクルリと回れば、世は変わる~っと♪」
ぱしっ、と最後に二本ずつの鍬を両手で受け止め、踊りは終わった。
飲み食いを中断して見入っていた皆が、一斉に歓声を上げて拍手する。正成さえ
心から感心して、惜しみなく手を叩いていた。
その隣の席へ、皆からぱしぱし叩かれながら、ほっかむりの大和がやってくる。
「どもども、どもども。どうだった、お兄さん?」
「どうもこうもない。お前は武術のみならず、宴会芸に於いても人の域を越えているな」
「あはは、そりゃどうも」
ほりほりと頭を掻く大和、嬉しそう。
「オレはご先祖様とは違って馬鹿だからさ、こんなことぐらいしかできなくて」
「そう言えばお前の一族……陸奥圓明流といえば、源平合戦の折にもかの九郎判官
義経殿を助け、並々ならぬ武功を挙げたと伝えられているが。真のことか?」
「らしいけどね。でもオレはオレ、オレにできることをやるだけさ。だから後編も頑張るよ」
「後編? 何だそれは。今の踊りに続きがあるのか?」
と正成は尋ねるが、大和はニコニコするばかり。
「あはは。ま、楽しみにしてて。明日になりゃわかるからさ。兵法とか軍略とか、
そういうのを全然知らない馬鹿には、馬鹿なりのやり方があるってこと」