『真紅と辛苦のデイズ_中編』
ダンダンダンダーダダン、ダーダダン♪ ダンダンダンダーダダン、ダーダダン♪
『ダースベイダーのテーマ』に送られて登場したのは、やはりダースベイダー卿だった。
もちろんそれは本物ではなく、中華料理店『鉄火屋』の店主である。
いったいなにを目的としたサービスなのか知らないが、
漆黒のガスマスクを顔に擁いて登場した彼の雄姿(っつーかコスプレ)に、その場のほぼ全員が度肝を抜かれる。
この突然の変態登場に動じないものはやはり変態しかいない。
結論から言うと変態は三人(+α)いた。
「ほう……このオレに及ばぬまでも、蝶・素敵なマスクじゃないか」
「すっげ、すっげーカッチョイー! なあカズキン、カッチョイーよな!?」
「もしかして華花ちゃんのお父さんですか? マントは似合ってませんけど、マスクだけならオシャレですね」
「……ママの『ルリヲヘッド』みたい」
しかし、ああ、変態たちよ、彼らは一つ思い違いをしていた。
確かにこの店主、一廉の変態ではあるが同時に善良な銀成市民でもあり、客商売を生業としている。
そんな彼が、わざわざ自分の趣味を披露するためだけの理由でこんな奇抜な格好でお客様の前に姿を現すはずがない。
そう、このコスチュームは──ある一点において機能的な意味での合目的性があったのだ。
最初に反応したのはまひろだった。
「あれ……?」
いきなり、まひろの目尻に涙が浮かび、その水滴はつうっ、とふっくらとした頬を伝い落ちていく。
わけも分からず、まひろはぽろぽろととめどなく溢れる涙を拭う。
「あれ? あれれ……?」
「ど、どうしたのまっぴー? ──って、え……?」
驚くさーちゃんの目にも涙。
涙のわけは、ダースベイダー=店主の抱えていた盆の、『それ』が二つとも卓に載せられた瞬間、たちどころに判明した。
「このラーメン──痛くない?」
さすがちーちん、メガネキャラは伊達ではない。今ここにある脅威の本質をたった一言で切り取ってみせた。
彼らの眼前に鎮座する『それ』はひたすらに紅く、ひたすらに熱く──ひたすらに痛かった。
唐辛子の辛さの主成分──カプサイシン。皮膚や粘膜などに触れると痛みを引き起こす。
このカプサイシンの割合を示す単位をスゴヴィル値と呼び、防犯用の催涙スプレーはおよそ二百万スゴヴィルである。
卓上の『それ』のスゴヴィル値がいかほどなのかは知るべくもないが、
上記の通り、至近距離でガス圧によって散布される催涙スプレーが二百万スゴヴィルであり、
気流に乗って漂ってきた香りだけで涙を流させることを考えると──
このラーメン、もしかしたら人としてやっちゃいけない領域に足を踏み入れてるのかも知れない。
そんな強烈なインパクトに埋もれて見落としそうになるが──量も相当なものである。
器の容量で言えばおそらく普通のラーメン用のそれの約三倍はあるだろう。ゴゼンのお風呂にぴったりだ。
そんなドレッドノート級のドンブリに、人を馬鹿にしてるのかと疑いたくなるような勢いで麺がぶち込まれている。
通常、麺というものは器に山盛りになって出されるものではない。
なのに──山になっていた。水面から顔を出す麺の塊が大きな島を作っていた。
豚の挽肉を炒めたもの、揚げニンニク、刻みネギなどがこれまた無遠慮に麺の島を埋め尽くしている。
それらを取り囲むスープは鬼が張り番してる地獄の血風呂のような毒々しい色に染まり、もうもうと『痛い』湯気が立ち昇っていた。
カプサイシンに発熱感、発汗、強心作用があるのは周知の事実、見てるだけで汗だらだらである。
あまつさえ、そのスープ──これからダービーVSジョセフ戦をやらかそうとでも言うのか、ぎりぎりの表面張力にまで注がれている。
そしてその表面を、うっとり見とれるくらい鮮やかなヴァーミリオンの発色の油が覆っていた。
赤く、そして三倍──これで角が生えてたら完璧だが、あいにく店主はガノタではない。見ての通りのスターウォーズマニアである。
「お待たせいたしました(コー、ホー)。
『辛さ爆発(コー、ホー)地獄焔(コー、ホー)・泣く子も(コー、ホー)爆発(コー、ホー)超激辛(コー、ホー)・
キョンシー(コー、ホー)が生き返る反魂辛(コー、ホー)・エリキシィラーメン』です(コー、ホー)」
マスクの吸気音がうるさくてなに言ってるか分かり辛いが、とにかくこれが『辛さ爆発地獄──長いな、『激ラー』にしよう。
とにかくこれが激ラーで間違いないようだった。
もはや言葉は不要である。
その場の誰しもが──向かうところ敵なしのパピヨンでさえ、その凶悪なしろものの前に固唾を呑んでいた。
思いは皆ひとつである。
(これ、マジで喰えんの……?)
ここで、ゴゼンが勇気を奮ってとことこと卓上を歩いて激ラーの隣に立つ。
ちゃぷ、とスープに手を浸し、それをペロリ。
どかん!
次の瞬間にはゴゼンの姿は掻き消えていた。
ピリリリリリ。
携帯の着信音が鳴り響き、パピヨンが股間のポッケから携帯電話を取り出す。
通話をオンにすると、きんきんに割れた桜花の声が流れてきた。
『パピヨン、いったいなにがあったの!? 貴方と一緒にいたはずのゴゼン様が、
致命的なダメージを受けたことで核鉄になって戻ってきたわ! ──敵の襲撃を受けているの!?』
驚愕に震える斗貴子の声が虚ろに響く、
「馬鹿な……強制、武装……解除だと……?」
なおも事態を把握しようとする桜花の通話を一方的に打ち切り、気を取り直したように胸を張るパピヨン。
「──どうした、武藤。怖気づいたか? 今ならまだ間に合うぞ?
シェイクスピア風に言えば『To be ,or not to be, that is a question』というやつだ。さあ、ど・う・す・る?」
カズキは答えない。ただ黙って激ラーを注視している。
嵩にかかるパピヨンは、いやらしい笑みを浮かべて身を乗り出す。
「先に言っておくが、貴様が負けた場合はそれなりの報いを受けてもらうから覚悟しておけ……。
そうだな──貴様は他人の痛みには滅法弱い……そこのブチ撒け女」
ぴたりと斗貴子を指で差し、
「明治浪漫風のメイド服を手始めに、蝶・恥ずかしいコスプレ七変化でロッテりやの一日店長をやってもらうか!」
濁ったドブ川のような目で、耳まで裂けよと口を開け、これ以上ない悪役顔。
呆れ半分のジト目で睨むヴィクトリア、エロスの予感にいきなり目が輝きだした岡倉、
とりあえずおろおろする大浜、どこでツッコむのが一番効果的か長考中の六舛、
そんなとんでもない要求に目を丸くしてあわわってなるまひろ&さーちゃん&ちーちん、
そして怒りと羞恥で立ち上がりかける斗貴子を手で制し、
「……お前が負けたらどうするつもりだ、蝶野!」
みんなのヒーロー武藤カズキが、闘志も露わにパピヨンに対峙した。
「知れたこと、同じことをやってやるとも」
「そんなの見たくねー」って感じでげんなりしかける岡倉だったが、
「──こいつがな」
ヴィクトリアを指名したことで、どっちに転んでもおいしい展開になったと「YES! YES! YES!」って感じでガッツポーズする。
「じょ、冗談! なんでわたしが!」
「オレは冗談など言わん」
猛烈抗議のヴィクトリアをスルーして、カズキへと視線を固定する。
その粘っこい変態的な視線を正面から受け、カズキは重々しい声音で言葉を紡ぐ。
「ダメだ、蝶野。斗貴子さんにも、ヴィクトリアちゃんにも、そんな真似はさせられない」
「フン、相も変わらぬ偽善者っぷりだな。だが、ここでそんなことを論じても解決にはならん。
貴様の思い通りにしたくば方法はただ一つ──このオレに勝つことだ!」
補足説明ではあるが、パピヨンはこのとき『ダブルバインド』という詐術を用いている。
本来矛盾するはずの二つの概念を、その片方にのみ意識を集中させることで無理矢理両立させるレトリックである。
この場合だと、最初に『勝負するかしないか』を問題として提示しておきながら、
『決着後のペナルティ』『勝てばいい』という話題へ巧みにすりかえることで、暗に『勝負すること』を前提条件として成立させてしまっている。
だが、どの道──直情的で打算や駆け引きとはほど遠い、愛すべき馬鹿野郎であるカズキにそんな小細工は不要だったろう。
「蝶野、ひとつ言っておく──お前が負けたら、七変化はお前がやれ! オレが負けたら、オレがやってやる!」
「ば、馬鹿! いきなりなにを言い出すんだ、カズキ!」
「心配しないで、斗貴子さん。オレ……なにがあっても斗貴子さんを守るから」
カズキは斗貴子を安心させるように力強く頷く。
これがもっと別の状況だったら、斗貴子も素直に頬を染めていたであろう。だが──、
「そ、そういうことを言ってるんじゃないっ! 前回といい、キミはヨゴレへのキャラ転換でも狙ってるのか!?」
「そうだカズキ! そんなの認めないぞ! オレが見たいのは──!」
「お兄ちゃんだめえええええ!」
すがりつく斗貴子と岡倉とまひろを振り払い、
「──勝負だ!」
その宣言を挑戦受諾の意志と受け止め、ダースベイダー店主が懐からライトセイバー型のストップウォッチを取り出す。
「制限時間は三十分(コー、ホー)、麺と具材はもちろんのこと(コー、ホー)、
器の底の『辛』マークが見えるまで(コー、ホー)スープを飲み干すことが(コー、ホー)完食条件です(コー、ホー)。
一秒でも過ぎた場合は(コー、ホー)園三千を申し受けますので(コー、ホー)お含みおきを」
ここが出番だと見定めた六舛が、レンゲをマイク代わりに実況を開始。
「さあ、間もなく始まります『蝶人・パピヨン』VS『武藤カズキ』の三十分一本勝負。実況・解説はわたくし六舛と大浜でお送りいたします」
「え……僕も?」
戸惑いつつもレンゲを探してきょろきょろするとっても素直で優しい大浜、
「勝てよカズキ! 負けてもいいけどな! そして罰ゲームは当初のセンで頼む!」
「……ちーちん、応援しとく?」
「えー……正直、引いちゃうな、これ……」
そんなこんなで外野も十分に暖まったところで、
「──始め!」
ヴゥォン、という合図とともに、ストップウォッチがカウントダウンをスタートした。
弾かれたようにカズキとパピヨンの両名は割り箸を手に取る。
カズキは箸の片側を口にくわえて切り離し、パピヨンは器用にも片手で箸を割ってそのまま構える。
切って落とされた戦いの火蓋、そのファーストアクションは奇しくも一致していた。
すなわち、スープから露出した麺狙いであった。外気に晒されてある程度冷まされているであろうことはもとより、
スープに浸っていない──つまり、辛さの点からいって手をつけやすいという判断である。
スピードはわずかにパピヨンが上回っていた。
速度を補うには量、と言わんばかりにカズキはおもむろに麺の島に箸を突っ込むと、ごっそり絡めとって持ち上げる。
そのまま腕を固定し、物凄い勢いで首を伸ばして顔面をそっちへ持っていった。
それを見たパピヨンが負けじと麺をつかんだ箸を蝶スピードで口元に引き寄せる。
「一口目はほぼ互角と言ったところでしょうか。さあ注目の二口目──おおっと?」
大浜が椅子から腰を浮かしかけ、その巨体がテーブルのふちに引っかかって卓が揺れる。
「これはどうしたことか──両者、動かない! どういうことでしょうか、六舛さん」
「おそらく、予想外の辛さに度を失っているのでしょう」
「二人が口にしたのは激辛スープに浸されていない部分のはずですが?」
「ええ、その通りです。つまり考えられる事はひとつ……麺に唐辛子が練りこまれていたのでしょう。
『凍傷』を意味する『フロストバイト』という名の激辛ソースがありますが、これがタバスコの十~二十倍の辛さを持つと言われています。
このソース、驚くべきことに唐辛子を原料としているにも関わらず、白い色をしているのです。
そのため、これを料理に混ぜ込むと、色を変えることなく辛さだけを付加することが可能です。
店主は、このフロストバイトをトラップとして使用しているものと思われます。──違いますか?」
レンゲを差し向けられた店主は一言、
「コー、ホー」
「驚愕です──チャレンジャーの戦術の隙を容赦なく突いてくるマスター! 真の敵はここにいたー!
これは序盤から大荒れの模様! さあ、他にもこのような卑劣な罠は仕掛けられているのか!? 勝負の行方は誰にも分からない!」
意外とノリノリな大浜の実況をよそに、カズキとパピヨンは硬直している。
先に実食に復帰するのはどちらか。
この残虐超人にも引けをとらぬ悪魔のようなラーメンを克服するのは誰か。
蝶・恥ずかしいコスプレ七変化でロッテりやの一日店長をやるのは誰か。
──それは、勝利の女神だけが知っている。
『ダースベイダーのテーマ』に送られて登場したのは、やはりダースベイダー卿だった。
もちろんそれは本物ではなく、中華料理店『鉄火屋』の店主である。
いったいなにを目的としたサービスなのか知らないが、
漆黒のガスマスクを顔に擁いて登場した彼の雄姿(っつーかコスプレ)に、その場のほぼ全員が度肝を抜かれる。
この突然の変態登場に動じないものはやはり変態しかいない。
結論から言うと変態は三人(+α)いた。
「ほう……このオレに及ばぬまでも、蝶・素敵なマスクじゃないか」
「すっげ、すっげーカッチョイー! なあカズキン、カッチョイーよな!?」
「もしかして華花ちゃんのお父さんですか? マントは似合ってませんけど、マスクだけならオシャレですね」
「……ママの『ルリヲヘッド』みたい」
しかし、ああ、変態たちよ、彼らは一つ思い違いをしていた。
確かにこの店主、一廉の変態ではあるが同時に善良な銀成市民でもあり、客商売を生業としている。
そんな彼が、わざわざ自分の趣味を披露するためだけの理由でこんな奇抜な格好でお客様の前に姿を現すはずがない。
そう、このコスチュームは──ある一点において機能的な意味での合目的性があったのだ。
最初に反応したのはまひろだった。
「あれ……?」
いきなり、まひろの目尻に涙が浮かび、その水滴はつうっ、とふっくらとした頬を伝い落ちていく。
わけも分からず、まひろはぽろぽろととめどなく溢れる涙を拭う。
「あれ? あれれ……?」
「ど、どうしたのまっぴー? ──って、え……?」
驚くさーちゃんの目にも涙。
涙のわけは、ダースベイダー=店主の抱えていた盆の、『それ』が二つとも卓に載せられた瞬間、たちどころに判明した。
「このラーメン──痛くない?」
さすがちーちん、メガネキャラは伊達ではない。今ここにある脅威の本質をたった一言で切り取ってみせた。
彼らの眼前に鎮座する『それ』はひたすらに紅く、ひたすらに熱く──ひたすらに痛かった。
唐辛子の辛さの主成分──カプサイシン。皮膚や粘膜などに触れると痛みを引き起こす。
このカプサイシンの割合を示す単位をスゴヴィル値と呼び、防犯用の催涙スプレーはおよそ二百万スゴヴィルである。
卓上の『それ』のスゴヴィル値がいかほどなのかは知るべくもないが、
上記の通り、至近距離でガス圧によって散布される催涙スプレーが二百万スゴヴィルであり、
気流に乗って漂ってきた香りだけで涙を流させることを考えると──
このラーメン、もしかしたら人としてやっちゃいけない領域に足を踏み入れてるのかも知れない。
そんな強烈なインパクトに埋もれて見落としそうになるが──量も相当なものである。
器の容量で言えばおそらく普通のラーメン用のそれの約三倍はあるだろう。ゴゼンのお風呂にぴったりだ。
そんなドレッドノート級のドンブリに、人を馬鹿にしてるのかと疑いたくなるような勢いで麺がぶち込まれている。
通常、麺というものは器に山盛りになって出されるものではない。
なのに──山になっていた。水面から顔を出す麺の塊が大きな島を作っていた。
豚の挽肉を炒めたもの、揚げニンニク、刻みネギなどがこれまた無遠慮に麺の島を埋め尽くしている。
それらを取り囲むスープは鬼が張り番してる地獄の血風呂のような毒々しい色に染まり、もうもうと『痛い』湯気が立ち昇っていた。
カプサイシンに発熱感、発汗、強心作用があるのは周知の事実、見てるだけで汗だらだらである。
あまつさえ、そのスープ──これからダービーVSジョセフ戦をやらかそうとでも言うのか、ぎりぎりの表面張力にまで注がれている。
そしてその表面を、うっとり見とれるくらい鮮やかなヴァーミリオンの発色の油が覆っていた。
赤く、そして三倍──これで角が生えてたら完璧だが、あいにく店主はガノタではない。見ての通りのスターウォーズマニアである。
「お待たせいたしました(コー、ホー)。
『辛さ爆発(コー、ホー)地獄焔(コー、ホー)・泣く子も(コー、ホー)爆発(コー、ホー)超激辛(コー、ホー)・
キョンシー(コー、ホー)が生き返る反魂辛(コー、ホー)・エリキシィラーメン』です(コー、ホー)」
マスクの吸気音がうるさくてなに言ってるか分かり辛いが、とにかくこれが『辛さ爆発地獄──長いな、『激ラー』にしよう。
とにかくこれが激ラーで間違いないようだった。
もはや言葉は不要である。
その場の誰しもが──向かうところ敵なしのパピヨンでさえ、その凶悪なしろものの前に固唾を呑んでいた。
思いは皆ひとつである。
(これ、マジで喰えんの……?)
ここで、ゴゼンが勇気を奮ってとことこと卓上を歩いて激ラーの隣に立つ。
ちゃぷ、とスープに手を浸し、それをペロリ。
どかん!
次の瞬間にはゴゼンの姿は掻き消えていた。
ピリリリリリ。
携帯の着信音が鳴り響き、パピヨンが股間のポッケから携帯電話を取り出す。
通話をオンにすると、きんきんに割れた桜花の声が流れてきた。
『パピヨン、いったいなにがあったの!? 貴方と一緒にいたはずのゴゼン様が、
致命的なダメージを受けたことで核鉄になって戻ってきたわ! ──敵の襲撃を受けているの!?』
驚愕に震える斗貴子の声が虚ろに響く、
「馬鹿な……強制、武装……解除だと……?」
なおも事態を把握しようとする桜花の通話を一方的に打ち切り、気を取り直したように胸を張るパピヨン。
「──どうした、武藤。怖気づいたか? 今ならまだ間に合うぞ?
シェイクスピア風に言えば『To be ,or not to be, that is a question』というやつだ。さあ、ど・う・す・る?」
カズキは答えない。ただ黙って激ラーを注視している。
嵩にかかるパピヨンは、いやらしい笑みを浮かべて身を乗り出す。
「先に言っておくが、貴様が負けた場合はそれなりの報いを受けてもらうから覚悟しておけ……。
そうだな──貴様は他人の痛みには滅法弱い……そこのブチ撒け女」
ぴたりと斗貴子を指で差し、
「明治浪漫風のメイド服を手始めに、蝶・恥ずかしいコスプレ七変化でロッテりやの一日店長をやってもらうか!」
濁ったドブ川のような目で、耳まで裂けよと口を開け、これ以上ない悪役顔。
呆れ半分のジト目で睨むヴィクトリア、エロスの予感にいきなり目が輝きだした岡倉、
とりあえずおろおろする大浜、どこでツッコむのが一番効果的か長考中の六舛、
そんなとんでもない要求に目を丸くしてあわわってなるまひろ&さーちゃん&ちーちん、
そして怒りと羞恥で立ち上がりかける斗貴子を手で制し、
「……お前が負けたらどうするつもりだ、蝶野!」
みんなのヒーロー武藤カズキが、闘志も露わにパピヨンに対峙した。
「知れたこと、同じことをやってやるとも」
「そんなの見たくねー」って感じでげんなりしかける岡倉だったが、
「──こいつがな」
ヴィクトリアを指名したことで、どっちに転んでもおいしい展開になったと「YES! YES! YES!」って感じでガッツポーズする。
「じょ、冗談! なんでわたしが!」
「オレは冗談など言わん」
猛烈抗議のヴィクトリアをスルーして、カズキへと視線を固定する。
その粘っこい変態的な視線を正面から受け、カズキは重々しい声音で言葉を紡ぐ。
「ダメだ、蝶野。斗貴子さんにも、ヴィクトリアちゃんにも、そんな真似はさせられない」
「フン、相も変わらぬ偽善者っぷりだな。だが、ここでそんなことを論じても解決にはならん。
貴様の思い通りにしたくば方法はただ一つ──このオレに勝つことだ!」
補足説明ではあるが、パピヨンはこのとき『ダブルバインド』という詐術を用いている。
本来矛盾するはずの二つの概念を、その片方にのみ意識を集中させることで無理矢理両立させるレトリックである。
この場合だと、最初に『勝負するかしないか』を問題として提示しておきながら、
『決着後のペナルティ』『勝てばいい』という話題へ巧みにすりかえることで、暗に『勝負すること』を前提条件として成立させてしまっている。
だが、どの道──直情的で打算や駆け引きとはほど遠い、愛すべき馬鹿野郎であるカズキにそんな小細工は不要だったろう。
「蝶野、ひとつ言っておく──お前が負けたら、七変化はお前がやれ! オレが負けたら、オレがやってやる!」
「ば、馬鹿! いきなりなにを言い出すんだ、カズキ!」
「心配しないで、斗貴子さん。オレ……なにがあっても斗貴子さんを守るから」
カズキは斗貴子を安心させるように力強く頷く。
これがもっと別の状況だったら、斗貴子も素直に頬を染めていたであろう。だが──、
「そ、そういうことを言ってるんじゃないっ! 前回といい、キミはヨゴレへのキャラ転換でも狙ってるのか!?」
「そうだカズキ! そんなの認めないぞ! オレが見たいのは──!」
「お兄ちゃんだめえええええ!」
すがりつく斗貴子と岡倉とまひろを振り払い、
「──勝負だ!」
その宣言を挑戦受諾の意志と受け止め、ダースベイダー店主が懐からライトセイバー型のストップウォッチを取り出す。
「制限時間は三十分(コー、ホー)、麺と具材はもちろんのこと(コー、ホー)、
器の底の『辛』マークが見えるまで(コー、ホー)スープを飲み干すことが(コー、ホー)完食条件です(コー、ホー)。
一秒でも過ぎた場合は(コー、ホー)園三千を申し受けますので(コー、ホー)お含みおきを」
ここが出番だと見定めた六舛が、レンゲをマイク代わりに実況を開始。
「さあ、間もなく始まります『蝶人・パピヨン』VS『武藤カズキ』の三十分一本勝負。実況・解説はわたくし六舛と大浜でお送りいたします」
「え……僕も?」
戸惑いつつもレンゲを探してきょろきょろするとっても素直で優しい大浜、
「勝てよカズキ! 負けてもいいけどな! そして罰ゲームは当初のセンで頼む!」
「……ちーちん、応援しとく?」
「えー……正直、引いちゃうな、これ……」
そんなこんなで外野も十分に暖まったところで、
「──始め!」
ヴゥォン、という合図とともに、ストップウォッチがカウントダウンをスタートした。
弾かれたようにカズキとパピヨンの両名は割り箸を手に取る。
カズキは箸の片側を口にくわえて切り離し、パピヨンは器用にも片手で箸を割ってそのまま構える。
切って落とされた戦いの火蓋、そのファーストアクションは奇しくも一致していた。
すなわち、スープから露出した麺狙いであった。外気に晒されてある程度冷まされているであろうことはもとより、
スープに浸っていない──つまり、辛さの点からいって手をつけやすいという判断である。
スピードはわずかにパピヨンが上回っていた。
速度を補うには量、と言わんばかりにカズキはおもむろに麺の島に箸を突っ込むと、ごっそり絡めとって持ち上げる。
そのまま腕を固定し、物凄い勢いで首を伸ばして顔面をそっちへ持っていった。
それを見たパピヨンが負けじと麺をつかんだ箸を蝶スピードで口元に引き寄せる。
「一口目はほぼ互角と言ったところでしょうか。さあ注目の二口目──おおっと?」
大浜が椅子から腰を浮かしかけ、その巨体がテーブルのふちに引っかかって卓が揺れる。
「これはどうしたことか──両者、動かない! どういうことでしょうか、六舛さん」
「おそらく、予想外の辛さに度を失っているのでしょう」
「二人が口にしたのは激辛スープに浸されていない部分のはずですが?」
「ええ、その通りです。つまり考えられる事はひとつ……麺に唐辛子が練りこまれていたのでしょう。
『凍傷』を意味する『フロストバイト』という名の激辛ソースがありますが、これがタバスコの十~二十倍の辛さを持つと言われています。
このソース、驚くべきことに唐辛子を原料としているにも関わらず、白い色をしているのです。
そのため、これを料理に混ぜ込むと、色を変えることなく辛さだけを付加することが可能です。
店主は、このフロストバイトをトラップとして使用しているものと思われます。──違いますか?」
レンゲを差し向けられた店主は一言、
「コー、ホー」
「驚愕です──チャレンジャーの戦術の隙を容赦なく突いてくるマスター! 真の敵はここにいたー!
これは序盤から大荒れの模様! さあ、他にもこのような卑劣な罠は仕掛けられているのか!? 勝負の行方は誰にも分からない!」
意外とノリノリな大浜の実況をよそに、カズキとパピヨンは硬直している。
先に実食に復帰するのはどちらか。
この残虐超人にも引けをとらぬ悪魔のようなラーメンを克服するのは誰か。
蝶・恥ずかしいコスプレ七変化でロッテりやの一日店長をやるのは誰か。
──それは、勝利の女神だけが知っている。