これだけの密着状態では、どんな打撃も効力は薄い。眼突きも狙いにくい。
しかし、呼吸を取り戻さねば、数分後には間違いなく窒息する。加藤は必死に拳をぶつ
けるが、掌から力が逃げ出すことはない。
「う、ぐぐっ……グッ! ウゥッ!」
窒息に近づく様子を観察するかのように、黒い男はじっと加藤を見据える。
一分が経過した。
肺機能が優秀ならば、人間は五分前後は無呼吸でも生きられる。が、疲弊しきった加藤
ではそこまでの時間は残されていない。多く見積もって、おそらく三分程度。窒息したが
最後、黒い男は次こそ加藤の首をへし折る。だからこそ、加藤も抵抗し続ける。有効打を
与えるために。
先程刺した箇所に繰り返し貫き手を敢行する。
それでも、手は剥がれてくれない。
「無駄だ」
二分が経過した。
加藤の意識が低下していくのに比例して、抵抗も薄れていく。
(やべぇ……考えろ……。こいつが思わず俺に手をくっつけてることを忘れさせちまうく
らい、強烈な攻撃をッ!)
脳に酸素が行き渡らず、思考が空回りする。錯覚ではない本当の死が迫る。
(く、苦し……し、しし、死……)
その時だった。
加藤は自分がやられているように、黒い男の口に弱々しく掌をくっつけた。
(何やってんだ、俺は……)
相手も同じ感想を持ったらしい。
「何をやっている。──!?」
男が口を開いた瞬間、加藤は舌を掴んでいた。狙ったわけではない。発作的な行動だっ
た。
空手で鍛えた指先が、舌に食い込み、瞬時に引き裂く。
「……がっ! カハッ!」
舌から血液を滴らせ、男は加藤を振りほどいた。同時に、加藤は呼吸を手に入れた。彼
の負けず嫌いが、敵と同じ行動を取らせ、結果的に窮地からの脱出に結びついた。
すかさず深呼吸し、ようやく加藤は人心地につく。
「ぜぇ、ぜぇ、あと十秒あったら失神してたな……」
まだ頭がくらくらする。ベストコンディションには程遠い。が、それは相手も同じ。脂
汗をにじませる黒い男。
「発想(センス)がいい。おまえは天性の殺人者だな」
「……近づくだけで人を殺せる奴にいわれたくねぇな」
殺気の投げ合い。
静の攻防が一転、動の攻防に移る。
「シェアァッ!」
上中下を絶妙にブレンドした、神心会仕込みの極上ラッシュ。
喉、膝、鳩尾、と危険区域を徹底的に攻める。さらに跳び上がって顔面への二連蹴り。
いずれも効いている。
が、着地の隙に頭を掴まれ、激しくシェイクされる。
脳震盪。
上下のない世界に放逐された加藤に、黒い男の絶技が発揮される。
「心臓が止まれば、人は死ぬ」
心臓マッサージのように両手を加藤の胸に添えると、
しかし、呼吸を取り戻さねば、数分後には間違いなく窒息する。加藤は必死に拳をぶつ
けるが、掌から力が逃げ出すことはない。
「う、ぐぐっ……グッ! ウゥッ!」
窒息に近づく様子を観察するかのように、黒い男はじっと加藤を見据える。
一分が経過した。
肺機能が優秀ならば、人間は五分前後は無呼吸でも生きられる。が、疲弊しきった加藤
ではそこまでの時間は残されていない。多く見積もって、おそらく三分程度。窒息したが
最後、黒い男は次こそ加藤の首をへし折る。だからこそ、加藤も抵抗し続ける。有効打を
与えるために。
先程刺した箇所に繰り返し貫き手を敢行する。
それでも、手は剥がれてくれない。
「無駄だ」
二分が経過した。
加藤の意識が低下していくのに比例して、抵抗も薄れていく。
(やべぇ……考えろ……。こいつが思わず俺に手をくっつけてることを忘れさせちまうく
らい、強烈な攻撃をッ!)
脳に酸素が行き渡らず、思考が空回りする。錯覚ではない本当の死が迫る。
(く、苦し……し、しし、死……)
その時だった。
加藤は自分がやられているように、黒い男の口に弱々しく掌をくっつけた。
(何やってんだ、俺は……)
相手も同じ感想を持ったらしい。
「何をやっている。──!?」
男が口を開いた瞬間、加藤は舌を掴んでいた。狙ったわけではない。発作的な行動だっ
た。
空手で鍛えた指先が、舌に食い込み、瞬時に引き裂く。
「……がっ! カハッ!」
舌から血液を滴らせ、男は加藤を振りほどいた。同時に、加藤は呼吸を手に入れた。彼
の負けず嫌いが、敵と同じ行動を取らせ、結果的に窮地からの脱出に結びついた。
すかさず深呼吸し、ようやく加藤は人心地につく。
「ぜぇ、ぜぇ、あと十秒あったら失神してたな……」
まだ頭がくらくらする。ベストコンディションには程遠い。が、それは相手も同じ。脂
汗をにじませる黒い男。
「発想(センス)がいい。おまえは天性の殺人者だな」
「……近づくだけで人を殺せる奴にいわれたくねぇな」
殺気の投げ合い。
静の攻防が一転、動の攻防に移る。
「シェアァッ!」
上中下を絶妙にブレンドした、神心会仕込みの極上ラッシュ。
喉、膝、鳩尾、と危険区域を徹底的に攻める。さらに跳び上がって顔面への二連蹴り。
いずれも効いている。
が、着地の隙に頭を掴まれ、激しくシェイクされる。
脳震盪。
上下のない世界に放逐された加藤に、黒い男の絶技が発揮される。
「心臓が止まれば、人は死ぬ」
心臓マッサージのように両手を加藤の胸に添えると、
「死ッ!」
かけ声と共に凶悪な圧力が胸部に放たれた。
鎬紅葉の切り札、打震に似た内部破壊を起こす殺人技。しかもあれとは違い、衝撃は全
て心臓に集約される。
加藤は仰向けに崩れ落ちた。
「これを受けて立った者、いや生きていた者はいない」
初めて、黒い男が表情に安堵を示した。
鎬紅葉の切り札、打震に似た内部破壊を起こす殺人技。しかもあれとは違い、衝撃は全
て心臓に集約される。
加藤は仰向けに崩れ落ちた。
「これを受けて立った者、いや生きていた者はいない」
初めて、黒い男が表情に安堵を示した。
「あんたって子はどこまで私たちに恥をかかせるの!」
「清澄、おまえって奴は!」
父親の平手打ちが頬に飛ぶ。
「何すんだよ! 悪いのはあいつなんだよ!」
「だからって殴る奴があるか! まったくなんでこんな風に育ってしまったんだか……」
血を分けた兄と弟も、加藤に向ける目つきは肉親のそれではなかった。恐怖と軽蔑が混
ざった、徘徊する野良犬を見るかのような。
「ケッ、なんだよ。別にいいよ、俺は好き勝手に生きてやる」
家族に愛想を尽かし、加藤は幼くしてグレた。
やがて中学時代のある日、無謀にも大学生の集団に喧嘩を売り──。
「……がはっ!」
「ペッ。こういうガキにゃ、世間の厳しさってのをきっちり指導しねぇとな」
トドメの一撃が決まる寸前、加藤は救われた。大学生五人は突如乱入した男に瞬殺され
ていた。
「強くなりてぇかい、坊主」
「ううっ……くっ……つっ……つ、強くなりてぇよ!」
「強くしてやる」
こうして独歩に拾われた加藤は、神心会でメキメキ腕を伸ばす。──が。
「顔面も打てねぇ空手なんざで強くなれっかよ、もうこれっきりだ!」
極道に身を堕とす。
「お、おい……加藤。いくら何でも目ン玉ほじくり出すのはやりすぎじゃねぇか……」
「っせえよ、俺に指図すんじゃねぇ。なんなら、てめぇもほじくられてみるか?」
やがてヤクザからも卒業し、加藤は神心会に舞い戻る。そして地下闘技場を知る。
刃牙を知り、昂昇を知り、斗羽を知り、紅葉を知り、勇次郎を知った。程なくして花田
を破り最大トーナメントに出場するが、夜叉猿Jrに叩き潰された。
その後、克己を闇に誘い、死刑囚との戦いに加わり──
「そして俺は空手家じゃなくていい」
「手に何も持たぬことを旨とする道──だから空手だ」
「やってみるか、試練」
「先輩……最後に、どうか」
「これを受けて立った者、いや生きていた者はいない」
──今現在に至る。
ダウンからコンマ数秒で、加藤は跳ね起きた。
「──なっ?!」
勝利に限りなく近づいていた男が目を丸くする。明らかに怯えている。
「心臓が止まれば人は死ぬッ! 不死身か貴様ァッ!」
「不死身なわけねぇだろ。もっとも心臓はほんの一瞬だけ止まったみてぇで、おかげで下
らない夢見ちまったぜ。ったくよォ……」
一秒にも満たぬ間ではあるが死んだにもかかわらず、加藤は笑っていた。
怯えを振り切るように、黒い男が駆け出す。
「死神の使いである俺にとって、人間の死は呼吸や食事も同然。だからおまえは死ななけ
ればならない!」
二度目の正直。再度左右の手を重ね合わせる。
一方、加藤は死を司る両手に、拳一つで挑む。
「清澄、おまえって奴は!」
父親の平手打ちが頬に飛ぶ。
「何すんだよ! 悪いのはあいつなんだよ!」
「だからって殴る奴があるか! まったくなんでこんな風に育ってしまったんだか……」
血を分けた兄と弟も、加藤に向ける目つきは肉親のそれではなかった。恐怖と軽蔑が混
ざった、徘徊する野良犬を見るかのような。
「ケッ、なんだよ。別にいいよ、俺は好き勝手に生きてやる」
家族に愛想を尽かし、加藤は幼くしてグレた。
やがて中学時代のある日、無謀にも大学生の集団に喧嘩を売り──。
「……がはっ!」
「ペッ。こういうガキにゃ、世間の厳しさってのをきっちり指導しねぇとな」
トドメの一撃が決まる寸前、加藤は救われた。大学生五人は突如乱入した男に瞬殺され
ていた。
「強くなりてぇかい、坊主」
「ううっ……くっ……つっ……つ、強くなりてぇよ!」
「強くしてやる」
こうして独歩に拾われた加藤は、神心会でメキメキ腕を伸ばす。──が。
「顔面も打てねぇ空手なんざで強くなれっかよ、もうこれっきりだ!」
極道に身を堕とす。
「お、おい……加藤。いくら何でも目ン玉ほじくり出すのはやりすぎじゃねぇか……」
「っせえよ、俺に指図すんじゃねぇ。なんなら、てめぇもほじくられてみるか?」
やがてヤクザからも卒業し、加藤は神心会に舞い戻る。そして地下闘技場を知る。
刃牙を知り、昂昇を知り、斗羽を知り、紅葉を知り、勇次郎を知った。程なくして花田
を破り最大トーナメントに出場するが、夜叉猿Jrに叩き潰された。
その後、克己を闇に誘い、死刑囚との戦いに加わり──
「そして俺は空手家じゃなくていい」
「手に何も持たぬことを旨とする道──だから空手だ」
「やってみるか、試練」
「先輩……最後に、どうか」
「これを受けて立った者、いや生きていた者はいない」
──今現在に至る。
ダウンからコンマ数秒で、加藤は跳ね起きた。
「──なっ?!」
勝利に限りなく近づいていた男が目を丸くする。明らかに怯えている。
「心臓が止まれば人は死ぬッ! 不死身か貴様ァッ!」
「不死身なわけねぇだろ。もっとも心臓はほんの一瞬だけ止まったみてぇで、おかげで下
らない夢見ちまったぜ。ったくよォ……」
一秒にも満たぬ間ではあるが死んだにもかかわらず、加藤は笑っていた。
怯えを振り切るように、黒い男が駆け出す。
「死神の使いである俺にとって、人間の死は呼吸や食事も同然。だからおまえは死ななけ
ればならない!」
二度目の正直。再度左右の手を重ね合わせる。
一方、加藤は死を司る両手に、拳一つで挑む。
「死ッ!」
「セイィッ!」
「セイィッ!」
各々の最高がぶつかり合う。
片方は打ち抜き、もう片方は弾け飛んだ。
「ぐぅわぁぁああッ!」
悲痛な叫び声が上がった。加藤ではない。
数え切れぬほどの死を演出してきた右手と左手が爆発した。本来ならば相手に伝わるべ
き衝撃を、握り込んだ拳が見事跳ね返した。
締めは、左ハイ。
「キャオラァッ!」
片方は打ち抜き、もう片方は弾け飛んだ。
「ぐぅわぁぁああッ!」
悲痛な叫び声が上がった。加藤ではない。
数え切れぬほどの死を演出してきた右手と左手が爆発した。本来ならば相手に伝わるべ
き衝撃を、握り込んだ拳が見事跳ね返した。
締めは、左ハイ。
「キャオラァッ!」