深層意識よりも更に深い深い暗闇。永遠に封印されるべき領域で、満たされぬ欲望に苦
しみ蠢く魔獣。
加藤は試練を乗り越える過程で、奥底に潜む魔獣に気づき始めていた。
初めて体感したのは自らの偽者に打ち勝った瞬間である。明らかに空手では上回ってい
た偽者を葬り去った一撃。あれが始まりであった。
一流と呼ばれる格闘士は皆、心に餓えた獣を宿しているが、加藤はそうではない。凶器
をためらわず使用し、人生を捧げた空手さえ道具と断じた男に、獣などという高貴な象徴
が棲みつくわけがなかった。
加藤が宿していたのは魔獣。不規則に生えた牙、猛毒を含んだ爪、異常に肥大した眼球、
醜悪としか評しようがない手足、誰もが目を背ける下賤な存在。ただひたすらに殺傷能力
しか取り柄がない魔獣であった。
今までは無意識に魔獣の出現を抑えていた。もしこれが外に飛び出したら、パンドラの
箱のように不吉をまき散らすのではないかという予感があった。
しかし、もう我慢することはない。
鎖を解いてやろう。思う存分暴れさせてやろう。
──強くなるためならば。
しみ蠢く魔獣。
加藤は試練を乗り越える過程で、奥底に潜む魔獣に気づき始めていた。
初めて体感したのは自らの偽者に打ち勝った瞬間である。明らかに空手では上回ってい
た偽者を葬り去った一撃。あれが始まりであった。
一流と呼ばれる格闘士は皆、心に餓えた獣を宿しているが、加藤はそうではない。凶器
をためらわず使用し、人生を捧げた空手さえ道具と断じた男に、獣などという高貴な象徴
が棲みつくわけがなかった。
加藤が宿していたのは魔獣。不規則に生えた牙、猛毒を含んだ爪、異常に肥大した眼球、
醜悪としか評しようがない手足、誰もが目を背ける下賤な存在。ただひたすらに殺傷能力
しか取り柄がない魔獣であった。
今までは無意識に魔獣の出現を抑えていた。もしこれが外に飛び出したら、パンドラの
箱のように不吉をまき散らすのではないかという予感があった。
しかし、もう我慢することはない。
鎖を解いてやろう。思う存分暴れさせてやろう。
──強くなるためならば。
試練が島に上陸した。
正真正銘のエリート。精鋭中の精鋭。武神にもっとも愛された戦士。
きっちりと律儀な程に分けられた髪に、ダークスーツ。頬骨が浮くほどの細面だが、眼
に灯された光は限りなく熱く重い。
両手足は兵器、岩はおろか大気すら切り裂く。ひとたび体を絡め取れば、骨だけでなく
心までへし折る。
死角は絶無。百戦錬磨に育まれた第六感は、米軍の最新式レーダーよりも正確に敵の座
標を知らせる。
徹底した平常心。いかなる危機も好機も、彼にとっては過程に過ぎない。いかなる勝利
も敗北も、彼にとっては結果に過ぎない。
本日、彼に下された使命は、
──加藤清澄を殺害せよ。
まもなく二人は出会った。
無人島の浜辺は、愛し合うにも殺し合うにも絶好のスポットだ。
「今日の試練はてめぇか。……強いな」
眼力から弾き出される敵戦力。加藤は対戦者がこれまでにない猛者であると直感した。
「ところでよぉ、試練の試すって字は、多分俺が試されるって意味なんだろうな」
両手が正中線を守っている。精鋭に隙はない。
「だがよ、今日は逆だ」
加藤が歩を進める。足を引きずりながらの歩行は、空手家というよりは亡者に近い。
「俺が試してやるよ。おまえで“試し割り”だ」
間合い(エリア)が触れ合う。
(さァ……もう誰も止めやしねぇ。好きなだけ暴れてやれッ!)
一切の理性を閉ざす。加藤は生まれて初めて魔獣に身を捧げた。どうなってしまうのか、
当人でも予想はできない。
自然と喉が鳴る。
「ウオ、オオ……」
顎に上段前蹴りが飛んだ。したたかに舌を噛むが、加藤は叫ぶのを止めない。
「雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄ッ!」
空手を駆使し、荒れ狂う魔獣。
瞬時にガードを切り裂かれ、ズタボロにされる精鋭。単独による単独への集中砲火であ
る。
精鋭は劣勢を晒しながらも、客観的に戦局を分析していた。猛攻から加藤の致命的な癖
を見抜き、挽回策を練る。反撃への道筋(チャート)は開けた。
ところが、なぜか四肢が起動しない。
手に腕を取れ、パンチを打てと命じるが無視されてしまう。
足に蹴りを放て、一度離れろと命じるがこれまた無視される。
時すでに遅し。彼の肉体はとっくの昔に空手によって破壊し尽くされていた。
液体となって朽ち果ててゆく精鋭になど目もくれず、加藤はすがすがしい表情で浜辺に
立ち尽くしていた。
神々の大地にて、背後に巨漢を従え、武神は座禅を組んでいた。樹齢千年を超える大木
にも匹敵する堂々としたその姿は、周囲にまで静寂をもたらせていた。
程なくして、小鳥の姿をした部下から急報が届けられる。
精鋭戦士の惨敗。これを聞いた武神は静けさを保ったまま呟く。
「試し割られたというわけか。なるほど、もはや私の部下では瓦ほどの役にも立たないと
いうことだな」
互いに外見とは対極の能力を持つ老人と若者のタッグ。
ゲームに相手を誘い、心理戦で敵を討つ少年。
神々の間でもパーフェクトと呼ばれるほどに闘争を極めた精鋭。
これらはことごとく敗退した。それどころか武神直属のエリートが、試すどころか試し
に使われるという不甲斐なさ。残りもいるにはいるが、同じように準備体操相手になるだ
けだと武神は判断した。
「彼が一皮むけたならば、予定を変更せざるをえまい」
後ろに控える巨漢が「次は俺にやらせろ」といきり立つが、武神は振り返りもせず取り
合わない。
「はやるな。君はまだ強化が不十分だ」
武神は巨漢を制し、座禅を中断してゆらりと立ち上がる。より凶悪な試練を派遣するた
めに。
正真正銘のエリート。精鋭中の精鋭。武神にもっとも愛された戦士。
きっちりと律儀な程に分けられた髪に、ダークスーツ。頬骨が浮くほどの細面だが、眼
に灯された光は限りなく熱く重い。
両手足は兵器、岩はおろか大気すら切り裂く。ひとたび体を絡め取れば、骨だけでなく
心までへし折る。
死角は絶無。百戦錬磨に育まれた第六感は、米軍の最新式レーダーよりも正確に敵の座
標を知らせる。
徹底した平常心。いかなる危機も好機も、彼にとっては過程に過ぎない。いかなる勝利
も敗北も、彼にとっては結果に過ぎない。
本日、彼に下された使命は、
──加藤清澄を殺害せよ。
まもなく二人は出会った。
無人島の浜辺は、愛し合うにも殺し合うにも絶好のスポットだ。
「今日の試練はてめぇか。……強いな」
眼力から弾き出される敵戦力。加藤は対戦者がこれまでにない猛者であると直感した。
「ところでよぉ、試練の試すって字は、多分俺が試されるって意味なんだろうな」
両手が正中線を守っている。精鋭に隙はない。
「だがよ、今日は逆だ」
加藤が歩を進める。足を引きずりながらの歩行は、空手家というよりは亡者に近い。
「俺が試してやるよ。おまえで“試し割り”だ」
間合い(エリア)が触れ合う。
(さァ……もう誰も止めやしねぇ。好きなだけ暴れてやれッ!)
一切の理性を閉ざす。加藤は生まれて初めて魔獣に身を捧げた。どうなってしまうのか、
当人でも予想はできない。
自然と喉が鳴る。
「ウオ、オオ……」
顎に上段前蹴りが飛んだ。したたかに舌を噛むが、加藤は叫ぶのを止めない。
「雄雄雄雄雄雄雄雄雄雄ッ!」
空手を駆使し、荒れ狂う魔獣。
瞬時にガードを切り裂かれ、ズタボロにされる精鋭。単独による単独への集中砲火であ
る。
精鋭は劣勢を晒しながらも、客観的に戦局を分析していた。猛攻から加藤の致命的な癖
を見抜き、挽回策を練る。反撃への道筋(チャート)は開けた。
ところが、なぜか四肢が起動しない。
手に腕を取れ、パンチを打てと命じるが無視されてしまう。
足に蹴りを放て、一度離れろと命じるがこれまた無視される。
時すでに遅し。彼の肉体はとっくの昔に空手によって破壊し尽くされていた。
液体となって朽ち果ててゆく精鋭になど目もくれず、加藤はすがすがしい表情で浜辺に
立ち尽くしていた。
神々の大地にて、背後に巨漢を従え、武神は座禅を組んでいた。樹齢千年を超える大木
にも匹敵する堂々としたその姿は、周囲にまで静寂をもたらせていた。
程なくして、小鳥の姿をした部下から急報が届けられる。
精鋭戦士の惨敗。これを聞いた武神は静けさを保ったまま呟く。
「試し割られたというわけか。なるほど、もはや私の部下では瓦ほどの役にも立たないと
いうことだな」
互いに外見とは対極の能力を持つ老人と若者のタッグ。
ゲームに相手を誘い、心理戦で敵を討つ少年。
神々の間でもパーフェクトと呼ばれるほどに闘争を極めた精鋭。
これらはことごとく敗退した。それどころか武神直属のエリートが、試すどころか試し
に使われるという不甲斐なさ。残りもいるにはいるが、同じように準備体操相手になるだ
けだと武神は判断した。
「彼が一皮むけたならば、予定を変更せざるをえまい」
後ろに控える巨漢が「次は俺にやらせろ」といきり立つが、武神は振り返りもせず取り
合わない。
「はやるな。君はまだ強化が不十分だ」
武神は巨漢を制し、座禅を中断してゆらりと立ち上がる。より凶悪な試練を派遣するた
めに。