黒。
眼に映るのは黒、黒、黒。
己も人も黒を身にまとう。
それが当然だと誰が決めたのだろう。誰も、何も疑問を抱かないのだろうか。
着なければいけないものを着て、来なければならないから来ているのか?
本当に彼女の事を、義妹の事を悼んでいる者が、この黒い集団の中に何人いるというのだ?
眼に映るのは黒、黒、黒。
己も人も黒を身にまとう。
それが当然だと誰が決めたのだろう。誰も、何も疑問を抱かないのだろうか。
着なければいけないものを着て、来なければならないから来ているのか?
本当に彼女の事を、義妹の事を悼んでいる者が、この黒い集団の中に何人いるというのだ?
それに声。そう、声だ。
『ここへ運び込まれた時には既に心肺停止状態でした。おそらく即死かと……。
あっ、あの、御遺体はご覧にならない方が……その、何というか……あまりにも損傷が
激しいので……――』
あっ、あの、御遺体はご覧にならない方が……その、何というか……あまりにも損傷が
激しいので……――』
様々な声が人々の口から、または電波を介して発せられ、斗貴子の耳に捻じ込まれていく。
『運転手の居眠りが原因のようです。業務上過失致死の疑いで現行犯逮捕しました。
殺人罪? うーん、それはちょっとねえ……。まあ、今後の取調べによっては危険運転致死罪での
立件も無くは無いですが、どうだろうなあ。難しいんじゃないかなあ――』
殺人罪? うーん、それはちょっとねえ……。まあ、今後の取調べによっては危険運転致死罪での
立件も無くは無いですが、どうだろうなあ。難しいんじゃないかなあ――』
その度に斗貴子は殺意に近い憎しみに身を焦がされていく。
『大変痛ましい事故が起きたのはこちらの場所です。帰宅途中の武藤さんはここで容疑者の運転する
大型トラックに轢き倒された後、50m以上も引きずられ、挙句に後輪で踏み潰されるという――』
大型トラックに轢き倒された後、50m以上も引きずられ、挙句に後輪で踏み潰されるという――』
それは無差別と言ってもいい。
『だってねえ? おかしいじゃない、棺の蓋も開けないだなんて。最後のお別れくらいさせて
くれるもんでしょ? きっとアレよ。よっぽどひどい――』
くれるもんでしょ? きっとアレよ。よっぽどひどい――』
哀悼、親切、憐憫、好奇、義務。
『お兄さん! 武藤さん! 妹さんの命を奪った容疑者に今一番言いたい事は何ですか!?
お義姉さんも――』
お義姉さんも――』
その言葉達の発信源となる感情が如何なるものであろうと、彼女には等しく無価値な唾棄
すべきものだった。
悲しみと激しさが入り混じるアンビバレンツな思考。それが斗貴子の精神の奥深くまで蝕んでいく。
事故当夜に変わり果てた姿の義妹と再会して以来、斗貴子は何度も心の平衡を崩しそうになりながら、
その度に辛くも立て直している。
周囲から見れば、彼女の様子は所謂“気丈”というものに映るのだろう。
内心はどうあれ、涙一つ見せずに葬儀の準備をほぼ一人で指揮し、親族や参列者、それに
マスコミにまで対応し、悲しみに暮れる夫を支え続けている。
しかし、それにも限界があるのだ。
葬儀の最中には何度も顔を上げて、ある一点を見つめた。そうしなければ義妹のあの死に顔が
思い浮かび、彼女でさえどうしようもならなくなる。
祭壇の中央に大きく飾られた太陽のような笑顔。
あの愛らしい沈まぬ太陽は最早ここには無く、写真という無機物の中にしか存在しない。
すべきものだった。
悲しみと激しさが入り混じるアンビバレンツな思考。それが斗貴子の精神の奥深くまで蝕んでいく。
事故当夜に変わり果てた姿の義妹と再会して以来、斗貴子は何度も心の平衡を崩しそうになりながら、
その度に辛くも立て直している。
周囲から見れば、彼女の様子は所謂“気丈”というものに映るのだろう。
内心はどうあれ、涙一つ見せずに葬儀の準備をほぼ一人で指揮し、親族や参列者、それに
マスコミにまで対応し、悲しみに暮れる夫を支え続けている。
しかし、それにも限界があるのだ。
葬儀の最中には何度も顔を上げて、ある一点を見つめた。そうしなければ義妹のあの死に顔が
思い浮かび、彼女でさえどうしようもならなくなる。
祭壇の中央に大きく飾られた太陽のような笑顔。
あの愛らしい沈まぬ太陽は最早ここには無く、写真という無機物の中にしか存在しない。
「またここにいたのか……」
斗貴子の声からやや遅れて、ベッドに腰掛けたカズキは無言でゆっくり顔を上げる。
葬儀から数日が経ったが、夫は未だに仕事にも行けず、気づくと一人何をするでもなくまひろの
部屋にいる。
だが、そんな彼を責められる筈もない。
斗貴子の声からやや遅れて、ベッドに腰掛けたカズキは無言でゆっくり顔を上げる。
葬儀から数日が経ったが、夫は未だに仕事にも行けず、気づくと一人何をするでもなくまひろの
部屋にいる。
だが、そんな彼を責められる筈もない。
両親のいない時間が多かった子供の頃から、ずっと一緒に過ごしてきた存在。
ケンカもほとんど無かったであろう、自他共に認める仲の良い妹。
おそらくは自分の分身、というよりも身体の一部と言ってもいいのではないか。
眼をもぎ取られた人間が暗闇に取り残されるように、耳をもぎ取られた人間が静寂に包まれるように、
今のカズキは尽きることのない孤独と不安と喪失感の中を彷徨っているのだろう。
涙はとうに涸れ果てて流れ落ちる事はなかった。
いや、涙だけではない。あらゆる感情や言葉さえも涸れて果てたかのように、今のカズキから
表出されるものは皆無だった。
ケンカもほとんど無かったであろう、自他共に認める仲の良い妹。
おそらくは自分の分身、というよりも身体の一部と言ってもいいのではないか。
眼をもぎ取られた人間が暗闇に取り残されるように、耳をもぎ取られた人間が静寂に包まれるように、
今のカズキは尽きることのない孤独と不安と喪失感の中を彷徨っているのだろう。
涙はとうに涸れ果てて流れ落ちる事はなかった。
いや、涙だけではない。あらゆる感情や言葉さえも涸れて果てたかのように、今のカズキから
表出されるものは皆無だった。
ごくごく短い間、カズキは斗貴子の顔を見つめていたが、再び顔を伏せて淡いピンクの絨毯の
所々に見られる毛羽立ちに視線を定めた。
斗貴子もまた何も語れずに、部屋の中に視線を漂わせる。
絨毯のみならず、カズキが腰掛けているベッドカバーや枕、カーテンまでもがピンクで統一されている。
年齢に似合わぬ少女趣味かと思えば、本棚には剣だの銃だのの少年漫画が並んでおり、
この部屋の住人の変わった個性を良く表していた。
義妹のプライバシーを尊重していた斗貴子はあまりこの部屋に入った事がない。
それだけに初めて巡ってきたまひろの知られざるパーソナリティを窺う機会であったが、
そんな事をしたところで今では辛いだけだ。
何よりこの沈黙さえも斗貴子には耐え難くなっている。
所々に見られる毛羽立ちに視線を定めた。
斗貴子もまた何も語れずに、部屋の中に視線を漂わせる。
絨毯のみならず、カズキが腰掛けているベッドカバーや枕、カーテンまでもがピンクで統一されている。
年齢に似合わぬ少女趣味かと思えば、本棚には剣だの銃だのの少年漫画が並んでおり、
この部屋の住人の変わった個性を良く表していた。
義妹のプライバシーを尊重していた斗貴子はあまりこの部屋に入った事がない。
それだけに初めて巡ってきたまひろの知られざるパーソナリティを窺う機会であったが、
そんな事をしたところで今では辛いだけだ。
何よりこの沈黙さえも斗貴子には耐え難くなっている。
「斗貴子さんは……」
その沈黙を破り、カズキが口を開いた。視線は絨毯に這わせたままで。
「斗貴子さんは、いなくなったりしないよね……? ずっとオレの傍にいてくれるよね……?」
その声は低く、重く、暗い。
その言葉も後ろ向きに飛躍しており、カズキらしからぬ縋りつくような響きを持っている。
自分が何を言っているのか理解出来ているかも怪しい。
「カズキ……」
斗貴子は彼の前にひざまずくと、そっと彼の両手を自らの両手で包んだ。
「大丈夫だ、私はずっとキミの傍にいる……。あの時、言ったろう? 『キミと私は一心同体。
キミが死ぬ時が、私が死ぬ時だ』と」
過去に己が発し、今も胸の内で生き続ける言葉を数年振りに口にした際、斗貴子の両手には
ギュッと力が込められた。
「うん……」
その力強さと温かさに押されるように、カズキは頷く。
「大丈夫……。いつまでも二人一緒に――」
ここまで言った時、何の脈絡も無く、もう一つの言葉が斗貴子の脳裏にフラッシュバックした。
こちらはそう遠い過去のものではない。ごく最近のものだ。
「斗貴子さんは、いなくなったりしないよね……? ずっとオレの傍にいてくれるよね……?」
その声は低く、重く、暗い。
その言葉も後ろ向きに飛躍しており、カズキらしからぬ縋りつくような響きを持っている。
自分が何を言っているのか理解出来ているかも怪しい。
「カズキ……」
斗貴子は彼の前にひざまずくと、そっと彼の両手を自らの両手で包んだ。
「大丈夫だ、私はずっとキミの傍にいる……。あの時、言ったろう? 『キミと私は一心同体。
キミが死ぬ時が、私が死ぬ時だ』と」
過去に己が発し、今も胸の内で生き続ける言葉を数年振りに口にした際、斗貴子の両手には
ギュッと力が込められた。
「うん……」
その力強さと温かさに押されるように、カズキは頷く。
「大丈夫……。いつまでも二人一緒に――」
ここまで言った時、何の脈絡も無く、もう一つの言葉が斗貴子の脳裏にフラッシュバックした。
こちらはそう遠い過去のものではない。ごく最近のものだ。
『どうか、いつまでもカズキと二人一緒に、幸せでいられますように』
見る間に斗貴子の顔色が変わっていく。
(まさか……そんな馬鹿な……)
カズキの手を握ったまま、斗貴子はゆっくりと壁の方に顔を向けた。
あの壁の向こうには何がある?
夫婦の寝室だ。
では、その押入れの中には?
早鐘の如く鼓動が打たれ、凄まじい勢いで心拍数が増加していく。
(まさか……そんな馬鹿な……)
カズキの手を握ったまま、斗貴子はゆっくりと壁の方に顔を向けた。
あの壁の向こうには何がある?
夫婦の寝室だ。
では、その押入れの中には?
早鐘の如く鼓動が打たれ、凄まじい勢いで心拍数が増加していく。
『いつまでもカズキと二人一緒に』
そうだ、あの“手”がある。
あの、願いを何でも三つだけ叶えてくれる“猿の手”が。
自分が何の気無しに願いを掛けてしまった“猿の手”が。
背中を一筋、また一筋と汗が流れ落ちていくのがわかる。
両の掌にも汗が滲む。こんなに冷たくなっているというのに。
あの、願いを何でも三つだけ叶えてくれる“猿の手”が。
自分が何の気無しに願いを掛けてしまった“猿の手”が。
背中を一筋、また一筋と汗が流れ落ちていくのがわかる。
両の掌にも汗が滲む。こんなに冷たくなっているというのに。
『二人一緒』
自分では知覚していないが、斗貴子の全身は細かく震え始めている。
ある事実に気づいてしまったから。
それは斗貴子以外知りようのない、それだけに重大な事実に。
「斗貴子さん、どうしたの……?」
妻の突然の変貌に、カズキは少し驚いた。
病院に駆けつけた時も、警察に説明を受けている時も、葬儀の時も、常に冷静に見えた斗貴子が
異常な程に取り乱している。
どうしたというのだろうか。
カズキの止まってしまっていた思考は、少しずつ動きを取り戻していた。
一方の斗貴子は身を硬くしたまま、寝室側の壁を凝視し続けている。
ある事実に気づいてしまったから。
それは斗貴子以外知りようのない、それだけに重大な事実に。
「斗貴子さん、どうしたの……?」
妻の突然の変貌に、カズキは少し驚いた。
病院に駆けつけた時も、警察に説明を受けている時も、葬儀の時も、常に冷静に見えた斗貴子が
異常な程に取り乱している。
どうしたというのだろうか。
カズキの止まってしまっていた思考は、少しずつ動きを取り戻していた。
一方の斗貴子は身を硬くしたまま、寝室側の壁を凝視し続けている。
(私があんな願いを口にしたから……? 私が……私が望んだから……?)
(何故……? 何故、私はあの時“二人一緒”などと……。私達は“三人家族”だった筈なのに……)
(そうじゃない……そんな意味じゃなかったんだ……。アレはただ、夫婦のあり方として、
いつまでも一緒にいられればいいと……)
いつまでも一緒にいられればいいと……)
(私のせいだったのか……?」
自分の思考をつい口に出している事に斗貴子は気づいてはいない。
だが、確かにカズキは聞いてしまった。「私のせいだったのか」という呟きを。
カズキの胸が痛む。
斗貴子は自分を責めているのだと。何一つ悪い事はしていないのに、と。
カズキの視界が少しずつだが開けてきた。
これまでの自分がどうだったか。
ただ悲しみに身を任せ、泣いてばかりいた。
まひろの死が悲しいのは、自分だけではない。眼の前にいる妻もまた自分と同じように悲しかったのだ。
しかし、彼女は常に冷静と気丈を装い、妹を亡くしてからの自分をずっと慰め続け、励まし続け、
支え続けてくれた。
そう思うと、申し訳無さとカズキ本来の優しさが心の中に広がっていく。
カズキは腰掛けていたベッドから下り、絨毯の上にひざまずいた。
そして震える斗貴子を引き寄せ、抱き締める。
「そんな……。斗貴子さんのせいなんかじゃない。むしろ、斗貴子さんは今までよくやってくれたよ。
まひろはここにいられて、斗貴子さんといられて本当に楽しかったんだと思う……」
斗貴子の震えは治まらない。それどころか乱れる感情や流れる汗と共に、大きくなる一方である。
「斗貴子さん、本当は夫婦二人水いらずで暮らしたかったかもしれないのに、オレのワガママで……」
その言葉にビクリと一際大きく身を震わせた斗貴子は、眼を見開き、息を詰まらせた。
(考えを見透かされた? 私が願った内容をカズキは知っているのか?)
「違う!!」
斗貴子は悲鳴とも怒声ともつかない絶叫を上げ、カズキを強く突き飛ばした。
ベッドの端に軽く背中をぶつけたカズキは眼を丸くしている。
「ち、違う……私は、そんな意味で願った訳じゃない……! そんなつもりは、なかったんだ……」
「斗貴子さん……?」
猿の手の事など記憶に留めていないカズキにとっては、斗貴子の言動は支離滅裂なものでしかない。
この場にいるのが誰か他の者なら、斗貴子は物の見事に錯乱していると思うであろう。
場合によっては、もしかしたら狂ってしまったのではないか、とも思うかもしれない。
夫のカズキでさえ、斗貴子のこの言動は長期間の連続したストレスによって軽く混乱している為と
認識しているのだ。
「本当だ……誓ってもいい……。本当なんだ……」
意味のわからない釈明をくり返す斗貴子の眼から、ポロポロと涙が溢れ出した。
ずっと堪えていたものが、ずっと溜めていたものが溢れ出してきた。
妻として、義姉として最低の願いを口にしたという後悔と自己嫌悪が、必死の思いで築き上げてきた
堤防に大きな穴を開けたのだ。
彼女の心から溢れ出すものは真赤な血の色をしている。それはまひろが流した血の色。
己という静かなる殺人者が手に掛けた、憐れな義妹の血。
斗貴子は頭を抱え、床に突っ伏してしまった。まるで土下座するかのように。
「だから、許して……」
だが、確かにカズキは聞いてしまった。「私のせいだったのか」という呟きを。
カズキの胸が痛む。
斗貴子は自分を責めているのだと。何一つ悪い事はしていないのに、と。
カズキの視界が少しずつだが開けてきた。
これまでの自分がどうだったか。
ただ悲しみに身を任せ、泣いてばかりいた。
まひろの死が悲しいのは、自分だけではない。眼の前にいる妻もまた自分と同じように悲しかったのだ。
しかし、彼女は常に冷静と気丈を装い、妹を亡くしてからの自分をずっと慰め続け、励まし続け、
支え続けてくれた。
そう思うと、申し訳無さとカズキ本来の優しさが心の中に広がっていく。
カズキは腰掛けていたベッドから下り、絨毯の上にひざまずいた。
そして震える斗貴子を引き寄せ、抱き締める。
「そんな……。斗貴子さんのせいなんかじゃない。むしろ、斗貴子さんは今までよくやってくれたよ。
まひろはここにいられて、斗貴子さんといられて本当に楽しかったんだと思う……」
斗貴子の震えは治まらない。それどころか乱れる感情や流れる汗と共に、大きくなる一方である。
「斗貴子さん、本当は夫婦二人水いらずで暮らしたかったかもしれないのに、オレのワガママで……」
その言葉にビクリと一際大きく身を震わせた斗貴子は、眼を見開き、息を詰まらせた。
(考えを見透かされた? 私が願った内容をカズキは知っているのか?)
「違う!!」
斗貴子は悲鳴とも怒声ともつかない絶叫を上げ、カズキを強く突き飛ばした。
ベッドの端に軽く背中をぶつけたカズキは眼を丸くしている。
「ち、違う……私は、そんな意味で願った訳じゃない……! そんなつもりは、なかったんだ……」
「斗貴子さん……?」
猿の手の事など記憶に留めていないカズキにとっては、斗貴子の言動は支離滅裂なものでしかない。
この場にいるのが誰か他の者なら、斗貴子は物の見事に錯乱していると思うであろう。
場合によっては、もしかしたら狂ってしまったのではないか、とも思うかもしれない。
夫のカズキでさえ、斗貴子のこの言動は長期間の連続したストレスによって軽く混乱している為と
認識しているのだ。
「本当だ……誓ってもいい……。本当なんだ……」
意味のわからない釈明をくり返す斗貴子の眼から、ポロポロと涙が溢れ出した。
ずっと堪えていたものが、ずっと溜めていたものが溢れ出してきた。
妻として、義姉として最低の願いを口にしたという後悔と自己嫌悪が、必死の思いで築き上げてきた
堤防に大きな穴を開けたのだ。
彼女の心から溢れ出すものは真赤な血の色をしている。それはまひろが流した血の色。
己という静かなる殺人者が手に掛けた、憐れな義妹の血。
斗貴子は頭を抱え、床に突っ伏してしまった。まるで土下座するかのように。
「だから、許して……」
カラス達が空に鳴く、夕焼けの頃。
斜陽が木々を燃えるような赤に染めていく中、寝室で古い木箱を前に座る斗貴子の横顔も
また赤く照らされている。
家の中にカズキの姿は無い。
『斗貴子さんは少し休んだ方がいいよ。オレの代わりに頑張ってくれたんだもの。今度は
オレが斗貴子さんを支えるから……』
そんな言葉を残して買い物に出かけていったのだ。
カズキはほんの僅かに一歩を踏み出した。悲しみに囚われ続ける愚かしさから、ほんの僅かに。
それでも彼の悲しみが癒えるには、まだ長い長い時間が必要だろう。
もしかしたら、どんなに長い時間をかけても、一生を費やしても、その悲しみは癒されないのかも
しれない。
人が人を失うとはそういうものだ。
斜陽が木々を燃えるような赤に染めていく中、寝室で古い木箱を前に座る斗貴子の横顔も
また赤く照らされている。
家の中にカズキの姿は無い。
『斗貴子さんは少し休んだ方がいいよ。オレの代わりに頑張ってくれたんだもの。今度は
オレが斗貴子さんを支えるから……』
そんな言葉を残して買い物に出かけていったのだ。
カズキはほんの僅かに一歩を踏み出した。悲しみに囚われ続ける愚かしさから、ほんの僅かに。
それでも彼の悲しみが癒えるには、まだ長い長い時間が必要だろう。
もしかしたら、どんなに長い時間をかけても、一生を費やしても、その悲しみは癒されないのかも
しれない。
人が人を失うとはそういうものだ。
だが斗貴子は知っている。
その悲しみを瞬時に癒してくれるかもしれない“物”を知っている。
自分が犯した罪の悲しみも、大切な存在を失った二人の悲しみも。
だからこそ、もう一度この木箱を自分の前に置いているのだ。
「もしオマエが本当に願いを叶える魔力を持っているのなら……」
斗貴子は震える手で木箱の蓋を開ける。
「まひろちゃんの死が、私の願いを叶えた結果だと言うのなら……」
そして木箱から“猿の手”を取り出し、握り締めた。
握る手には止む事無く力が込められ、喉の奥から搾り出すような悲痛な声が洩れる。
その悲しみを瞬時に癒してくれるかもしれない“物”を知っている。
自分が犯した罪の悲しみも、大切な存在を失った二人の悲しみも。
だからこそ、もう一度この木箱を自分の前に置いているのだ。
「もしオマエが本当に願いを叶える魔力を持っているのなら……」
斗貴子は震える手で木箱の蓋を開ける。
「まひろちゃんの死が、私の願いを叶えた結果だと言うのなら……」
そして木箱から“猿の手”を取り出し、握り締めた。
握る手には止む事無く力が込められ、喉の奥から搾り出すような悲痛な声が洩れる。
「頼む! まひろちゃんを生き返らせてくれ! まひろちゃんを、私達に返してくれ……! これが、二つめの願いだ……」
[続]